〜平成20年度入賞作品〜
【中学生部門】 ◆佳作
おじいちゃんの右手
西寺なつみ
(岐阜県・多治見西高等学校附属中学校1年)
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私のおじいちゃんは、書道の師範です。
刃物も器用に使うし、何でもこなします。
字を書くとき、料理をするとき、おじいちゃんは親指と手の平で筆や包丁をはさみます。
おじいちゃんの右手には、親指と、小指の半分しかありません。三十歳のとき、機械の事故で、ほかの指を失ったからです。
おじいちゃんは、厳しいけど優しくて、いつも笑顔です。私は、おじいちゃんが障害を持っているということを、意識したことがありません。それは、おじいちゃんがそういうことを全く感じさせないほど自然体で、そのことに対する甘えがまるでないからだと思います。お母さんでさえ「手が無いからできない」という言葉を聞いたことがないそうです。
そんなおじいちゃんでも、右手を人目にさらすのがいやではめていた手袋を外すのに、十数年もかかったそうです。
接客業だったおじいちゃんは、「お客さんはいやな気がしないだろうか」とか「みんなはこの手を見てどう思うんだろう」とか、ずっと悩んでいたそうです。
長い年月を経て、思い切って手袋を全部捨ててしまったのは「手袋があったら、自分に甘えてしまうと思ったから」
手袋をやめてから、それまで感じていたプレッシャーがなくなったそうです。「手を出すようになったら、まわりのみんなも気にしなくなった」とおじいちゃんは言いますが、本当は、おじいちゃん自身のまわりを見る目が変わったのかもしれないと私は思います。
おじいちゃんがお店で働いているとき、こんなことがありました。
親子連れのお客さんが来たとき、子どもがおじいちゃんの手をじっと見ていたそうです。お母さんが子どもに注意したとき、おじいちゃんはそのお母さんに「子どもが気になるのはしょうがないんだよ、手が無いんだから。注意することない」子どもには、「おじさんは機械で手を切ってしまったから、指がなくなったんだよ。機械は危ないから、気をつけんといかんよ」と言ったそうです。
その親子はその後も何回かお店に来たけれど、もう子どもは手を気にしなくなったそうです。
お店に、おじいちゃんと同じような事故にあった人が来たこともあります。
手袋をして、ズボンのポケットに手を突っこんでいたその人に、おじいちゃんは、事故か?と聞いたそうです。そうだと言われておじいちゃんが自分もだと言ったとき、その人は初めておじいちゃんの手のケガに気付いたそうです。
「自分も最初手を隠していたけれど、出してしまった方が楽だった。手を隠すのはやめなさい」とおじいちゃんはその人に言ったそうです。その後、その人はお店に来ませんでした。おじいちゃんは、「きっと手袋を外せなかったんだろうなぁ」と言っていました。
「正直にさらけ出してしまった方が、絶対いいのにねぇ。無いなら無いでしょうがないんだから」
おじいちゃんはさらりと言いますが、その言葉は、障害をのりこえてきたおじいちゃんだからこそ言える言葉だと思います。
私が、障害を持っている人に対して、あまり気にせず普通に接することができるのは、そんなおじいちゃんが身近にいるからだと思います。
優しくて強い心を持ったおじいちゃんが、私は大好きです。