〜平成20年度入賞作品〜
【高校生・一般市民部門】 ◆佳作
I 先輩とパソコンボランティアに支えられて
私は六十五歳の誕生日を迎えた直後から、急激に視力が低下し、左目の「盲」に加え右目も「盲」の失明状態に陥った。
私は、ならくの底から立ち上がり今後活動的な生活を過ごすためには、老体に鞭打って点字の習得と音声パソコンを活用しての情報交換能力の向上をはからねばならないと決意した。
障害のショックからまだ覚めやらぬ平成十八年四月病院から退院するなり、県下で音声パソコンにかけては先駆者として活躍しているI先輩をたずね、彼の助言を受けて、視覚障害者用の音声ソフトを組み入れたパソコンを購入した。
マウス操作が出来ないため、キーの配列を頭にたたきこまなければならない。主要キーと一つまたは二つのキーを複合操作する機能の特性を彼から指導を受け、音声を頼りにキーに向かって文字の書き込みをする毎日であった。
最初の取り組みは、一日の感謝と反省、そして明日への希望をこめての日記の作成であった。音声パソコンがひと時たりとも、頭から離れないように集中するのを心がけたのである。
文字の書き込み操作が可能になったところで、「メール友の会」への入会を勧められ、音声によるメールソフトを購入した。I先輩の親切丁寧な指導の繰り返しによって、やっと仲間との交信に成功した時の感動と喜びは例えようがなかった。
失明後、テレビやラジオから伝わってくる情報は、ごく一般的なものばかりで、新聞で報道されているような、リアルな事件や話題、読者の声など、私が求めようとしている内容にはほど遠く、満足しがたい日々を過ごしていた。この何ともしがたい状況を、I先輩に話したところ、「インターネットをしてみないか」とのお誘いを受けた。早速、彼の指導を受けて、アクセスしようとするのであるが、思うようにははかどらず、途中で唯一の頼りである音声ガイドが途絶え、仕方なく強制終了せざるを得ない状態を繰り返し、自信喪失となっていた。
私のこのような悩みを解消するかのように、県下では音声パソコンの研修を受けたボランティアの育成が、着々と計画実施されていた。そして、この新たな事業を実践するために、「移動不自由な視覚障害者宅を訪問し、在宅指導を開始するので、共に学んでみないか」という提案があった。私にとって願ってもないこのありがたい絶好の機会を逃すまいと、即座に決意した。
来宅された三人のボランティアは、「県政だより」を朗読し、テープ録音して聞かせて頂いているので、より親近感をもって接する事ができた。
インターネットのアクセスに苦悩していた私は、ラジオ放送のリスナーとつながりをもち、電波を通して交流を深めたいとの思いから、「ラジオビタミン」に挑戦してみたいと学習をはじめた。まず「ラジオビタミン」にアクセスしようとするのだが、どうしてもたどり着くことができず、時間を浪費する状態を生じた。そこで急遽I先輩に電話をしながらの指示を仰ぐのであるが、このトラブルを即座に解決する優れた才能には、目を見張るばかりであった。悪戦苦闘の末やっとのことで、アクセスに成功し、投稿メールを送り届けたときには、はずむ心に満足していた。国内からは、電話の励ましやメールの問い合わせなどがあり、電波の反響の大きさを実感していた。
前述したテレビ・ラジオの限られた情報に対する不満を解消するため、音声ソフト「ニュース情報システム」を取り入れた。それで多くの情報に触れ共有することが可能になり、私の心は以前に増して満たされ、明るくなる毎日であった。
これから、添付ファイルの送受信を学び、その後ナイーブネットを活用し、デイジー図書「国際規格録音図書」を目録から検索し、文学の世界を存分に楽しみたいと心はずませているのである。
IT機器の進歩には、目をみはるものがある。音声パソコンの出現で、視覚障害者も多くの情報を手にする事が可能となった。しかし、操作手順の難しさや指導ボランティアの不足などの要因から、折角開かれたこの機会を、充分に活用していない仲間が多いことも現実である。
I先輩のように音声パソコンについて優れた能力を身に付けている仲間は、限られている。であるならば、どんなことに興味をもち、何を学び習得したいのか、自らが目標を持ち、マイペースでI先輩やボランティアの皆様と共に学習する事が、自分に適した音声パソコンの活用に生かされるのではないだろうか。
移動が不自由な私たちのために、I先輩を中心に設立されたパソコンボランティアに、感謝と敬意を表しつつ、私が体験した喜びと楽しさと、まだ学び得ていない多くの仲間にこの活動が広がることを心から切望している。