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障害者施策トップ意識啓発20年度心の輪を広げる体験作文・障害者週間のポスター作品 > 平成20年度入賞作品 高校生・一般市民部門 佳作

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出会いふれあい心の輪「心の輪を広げる体験作文・障害者週間のポスター」作品集
〜平成20年度入賞作品〜

【高校生・一般市民部門】  ◆佳作

先生のぬくもりと私の夢

古河咲子
(佐賀県立牛津高等学校2年)

 人間という存在は、だいたいいつぐらいから他の人間に対する理解を持つようになるのでしょうか。「自分にとって、この人はお母さん、お父さん、友達……という認識的な意味でなく、その人が持つハンディキャップや個性、体質を一体どのくらいの年齢から理解し、受け入れているのでしょうか。振り返れば、自分がまだ小学校の低学年だった頃は、障害の有無に関係なく皆で遊んでいた気がします。個人差があるとは思いますが、もうそれぐらい、あるいはもっと前から、そのような他の人への理解は無意識にあるのかもしれません。しかし私の場合本当に他の人に向き合い、幼いながらも理解しようとしたのは小学校五年生の頃の出来事がきっかけでした。
 私はその日、母に連れられてある一軒の診療所へ向かいました。生まれつき腰が弱いのか、当時私は腰痛に悩まされていました。同級生の友人には「おばちゃんみたい」とからかわれそうで言い出せずにいたことを覚えています。そんな時母が知り合いに「はりきゅう」の先生がいるから、治してもらおうと提案し、その針灸の先生の元へと向かったのでした。中へ入ると、受付はなく真っ直ぐ先生の元へ案内されました。部屋に入ると、部屋の中央にある黒い細身のベッドの上に、先生らしき人がぽつんと座っていました。こっちを見るなり「よく来たねぇ〜!」と満面の笑みで挨拶をしてくれました。「はりきゅう」の意味もわからず、何をするんだろうと極度に緊張していた私は拍子抜けし、自然と安心感に包まれていきました。それが私と先生の出会いでした。
 週に一度のペースでの通院でしたが、私はその日を毎日毎日心待ちにしていました。母に通院するのが何でそんなに楽しみなのと聞かれるくらい、先生と話せることが何よりのごほうびでした。初めのころは体に針を刺していく針灸が怖くて仕方がありませんでした。でも、先生が話してくれる度、笑ってくれる度に、そんな気持ちは無くなっていきました。針灸の先生は、周りにいるどの大人よりも、私を一人の人間として見てくれていた気がします。子供扱いせず、自分の意見を親身に聞き入れてくれた初めての人でした。先生自身のことを話し出す時は必ず「ぼくはね……」の言葉から始まり、次はどんな話が聞けるのだろうとワクワクしたものでした。
 通院してしばらくがたったころです。私は少しずつ疑問を抱くようになりました。「先生はどうして部屋の中でもサングラスをかけているのだろう」「どうして昼間だけれども電気を付けないのだろう」「どうして手で探って歩くのだろう」と。湧き出した好奇心は子供の私に抑えられる訳もなく、その日ついに先生に尋ねてしまうのです。「先生は何でサングラスを外さないの?」そう聞いた途端、たまたま付き添いで同じ部屋にいた母が血相を変え、先生の手の動きもピタッと止まりました。何かいけないことを言ったのかと不安に思い顔を上げると、いつも通りの先生の顔がそこにはありました。ホッとしていると、先生は針を置いて「ぼくはね、目が見えないんです」と微笑みながら言いました。その後は先生の話も右から左へと流れ、さっきの先生の言葉が頭の中を延々とまわっていました。家に帰ってもしばらく放心状態で、考えることは先生のことばかりでした。「子供の頃病気でほぼ失明し、悩んだ頃もあったが今の仕事に本当に満足している」そう言った先生の少し寂しそうな笑顔がどうしても頭から離れず、何故か涙が止まりませんでした。何が何だかわからない家族は心配していましたが、私は泣いた理由が自分でも分からなかったのです。今考えてみても、何であんな優しい人がと理不尽に思って世の中の不平等さに泣いたのか、光を失う怖さを想像して泣いたのか、本当のことは解りません。でも当時の私には重すぎた感情が苦しくなるくらい溢れてしまったのだと思います。
 そして、もう腰も完治に近づいたから治療も終わる時を迎えました。前はあんなに楽しくて終わってほしくなかったのに、早く終わってほしいとどこかで願う自分がいました。結局幼かった私は、勝手に同情して勝手に先生の気持ちも決めつけていたのでしょう。しかし、最後の針を刺している時、先生がポツリと言いました。「ぼくはね、目が見えないけど見えるんだよ。真っ暗だけど、周りの景色も、咲子ちゃんの顔も」「ぼくには耳も鼻も、この手もあるからね」と付け加えて。だから先生の手は温かいんだねと言ってあげたかったのに最後の方は声になりませんでした。治療が終わった後、先生は玄関まで見送ってくれました。車の中でも泣きやまない私に、母が「よっぽど先生のこと好きだったんだね」と言いました。後でお礼を言ってないことに気付きました。
 人を思いやる、気づかう前に、まず相手を理解することが大切だと思います。先生の目や私の腰の様に、一見して解らないものだと、理解できなかったり訝しむからです。だからといって、人のことや気持ちなんか分かる筈ないじゃないかと諦めてしまっては、あまりに寂しいと思います。人は人のぬくもりがあるからこそ生きていける存在だと私は思います。先生が私に与えたぬくもりのように、そのぬくもりは誰かを勇気付けるものとなります。確かに障害を持っている人の真の苦しみを共有しようとすることは大事なことだと思います。しかし、理解しようと頑なになるあまり、以前の私のような同情といった気持ちが芽生えていないでしょうか。なら私はその人の苦しみではなく、ぬくもりを共有したいです。
 今私は福祉系の高校に行き、福祉の道を歩みつつあります。いつか先生に会った時に、自分の仕事を語れることが、今の私の夢です。

 

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