〜平成20年度入賞作品〜
【高校生・一般市民部門】 ◆佳作
障害者の音楽 世界へ
音楽の殿堂、ニューヨークのカーネギーホールのシャンデリアよりも輝いていた皆さんの笑顔が今でも深く脳裏に焼きついて離れません。
NPO法人日本障害者ピアノ指導者研究会で主唱するピアノパラリンピック運動を世界の人々に認識してもらい、国際的な普及、啓発を図ることを目的として、昨年十二月三日「国際障害者の日」に合わせニューヨーク国際連合ホール、五日にカーネギーホールにてピアノパラリンピックデモストレーションコンサートが開催されたのです。
会員でもある私が日本から十六名、さらに各国から八名の使節団と一週間共に生活し、また評価委員として関わったことは私の中で一生の思い出であり、改めて障害を持つ方への認識が新たになったのは言うまでもありません。
未熟児で生まれ誕生した時の体重がわずか一三九二グラム。脳は小児麻痺を患っていて手足を自由に動かすことはできないが、一本指で自分の曲作りに専念し続けている車椅子のHちゃん。
若くして失明し、難聴で腕や脚は曲がって釣り合っていないがピアノ椅子の距離を調整しキーの距離を測りプロ並みの力強さと情熱でショパンのノクターンを弾きこなしたYさん。仙台からもNさんが参加してくれました。
裂手症、固縮による両上下肢機能障害、難聴のハンディをもつNさんがジャズアレンジで「紅葉」を弾いてくれたのです。
ジャズが本場のアメリカでの反応はどうだろうと心配していましたが惜しみない拍手、スタンディングオベーション……。
はじめはいつもと同じニューヨークでのお客様の反応も”ハンディのある方々のコンサートを励ます”という親切な気持ちのあふれた表情でこられますが、コンサートが始まってすぐに、「ん?これは違うぞ」という真剣な顔になり、しまいには我を忘れて感動されていくのがよくわかります。
私もつい聴き入り、熱いものが込み上げてきてペンが止まってしまったことがたびたびあり、その努力と工夫のすばらしさ、響く音の美しさに酔いしれていました。
”身体障害は演奏上の障害ではない”まさにそう思えた瞬間でした。
いろいろなハンディはあっても障害の有無に左右されないその人の力強い生き方が伝わってくるからこそ、感動も大きく、人の心に届くのだと。
今回参加して感じたことは、障害を持つ方を取り巻く環境や家族の苦労、そして喜び。
健常者との共生を知る貴重な体験をさせていただいたこと。
障害を持つ皆さんの我慢強さをまざまざと見せ付けられ、私達障害を持たない者がいかに努力が足りないかを勉強させられました。
何か障害を持った方々は、どこかに、自分は社会から阻害されているという気分があることが多いものです。
自分は他の人のようにうまくはできないのだと思いこんでいたり、何に対しても自信がなかったりすることも多く見られるような気がします。
そういう、自分自身を縛ってしまうような枠組みをはずしていくのが私たちの仕事だと思います。
あなたはあなたのままでいいのだと、いつも思えるようにすること。
そして、自分に自信が持てるようにすること。それが、いちばんたいせつなことです。
時々「障害を持った子どもでも、ここまでできました」ということを誇らしげに話す方に会うことがありますが、それは、誇らしげに言うべきことではないと思います。
それよりも、自分を表現することがうれしくてしょうがない、と思えているか、ありのままの自分がいいと思えているか、が本当に重要なことだと思うのです。
世界中にはきっとたくさんの障害を持った人達がいると思われますが、音楽という国際共通語を通して、すばらしい人生を送ってくれたら、と願っています。
第二回ピアノパラリンピックが、カナダのバンクーバーで来年九月に開催されます。
それぞれの国籍を乗り越えて、音楽のすばらしさを世界中に伝えていければいいな、と今開催準備の仕事に燃えているところです。