平成27年度「心の輪を広げる体験作文」作品集 中学生部門佳作

弟の個性

静岡市立東豊田中学校一年 立石 桃子(静岡市)

 私の弟は一歳のころとても大きな病気をしました。急性脳症という病気でした。お医者さんには「もう歩けない、話せない」と私たち家族にとって暗い未来しか想像できないような言葉を次々に言われました。その時の両親の表情は今でも鮮明に覚えています。しかし今弟はとても元気になって、運動は苦手ですが普通の子と同じように学校へ行き、遊んでいます。ここまでの七年間、言葉では言い尽くせない程いろんなことがありました。リハビリの病院へ通うため静岡市へ引っ越し、良いといわれるもの全てをやり、家族全員が弟の回復のために全力を尽くしました。こうして我が家の生活は弟の病気をきっかけに一変しました。そして私は弟のリハビリにつきそうことで今まで知らなかった療育の世界に出会ったのです。

 弟がリハビリをしながら通った療育施設には私たちと姿、形が違う子供たちがたくさんいました。どこを見てるかわからない表情の子、言葉にならない奇声を発する子、突然ビクビクっと手足を動かす子。まだ幼かった私はどこを見ていいのか、何を話せばいいのか、どう接すればいいのか、戸惑ってしまいました。でも療育の先生はだれも歌わず、踊れず、反応しない子供たちの前でも、大きな声で名前を呼び、体操をして私が通っていた幼稚園の先生と同じように、明るくてずっと笑顔でした。そして毎週弟につきそい、施設に通ううちに自分の中で子供たちの見方がかわっていくのを感じました。療育の教室は本当に小さな成長でもみんなが心から喜ぶ場でした。返事に手を挙げることができた、食べ物を咽ずに飲み込めたなど、私たちには練習する必要のないあたり前のことが、そこの子供たちには病院でリハビリを積み重ねて、ようやく習得していくものなんだとわかりました。先週出来なかったことがほんの少し出来そうな兆しが見えた時、その子のお母さんは涙をうかべて喜び、周りからはすごいねと拍手が起こる。私はそんな当たり前のことなのに…という気持ちよりも、とてもあたたかい気持ちになって一緒に手をたたいたことを覚えています。そして初め表情がないと思っていた子供たちでも、ほめられると口を大きく開けたり、首を振ったりその子なりの嬉しい気持ちを精一杯表現していることに気づきました。嬉しい、悲しい、などいろんな感情を抱くというのは私たちと全く同じで、ただそれを伝える手段が違うというだけ。「私たちと同じなんだ。」そう思うと、もっともっとその子供たちのことを知りたくなり、施設に行くのが楽しみになりました。私の中で何かが変わり子供達に「ケンチャンねえね」と受け入れてもらったことは今でも忘れられません。

 みんな違ってみんないいという詩の文句が私は好きです。みんな違ってあたり前。一人一人いろんな個性がありお互いに違いがあるから、相手を好きになったり嫌いになったり興味を持つのだと思います。生まれた時からの障害や、事故や病気の後遺症からくる障害はその人が一生受け入れていかなければならない個性のひとつです。障害を個性として受け入れられる社会であれば障害者にとってもっと生きやすい社会になると思います。かわいそうだとか、あわれみの感情をもつこと自体、障害者に対する偏見であって私たち側から勝手に築いた壁のように思います。私が療育の場で知った子供たちには、常にこうなりたい、こうしたいという希望がありました。それに向けてリハビリをがんばる姿はかっこよかったです。障害があることで不自由なことがあっても人それぞれ幸せの尺度は違うし、その人達なりの幸せを求めて人生を歩むのは私達と全く変わりはありません。

 弟の後遺症も、今では大切な個性です。足がおそいのも、握力が弱いのも、変なしゃべり方をするのも、全て弟の大切な個性です。