平成27年度「心の輪を広げる体験作文」作品集 中学生部門最優秀賞
心のつながり
大垣市立赤坂中学校三年 菅 麻菜美(岐阜県)
私の母さんは障害者です。母さんが私の知っている母さんではなくなったあの日から、私は大切な人を失い、大切なことを学びました。
母さんはいつも笑顔が素敵で気前のいいお喋りな人でした。いつも家族のことを第一に考えてくれて本当に私達のことを愛してくれました。私が小学校低学年の頃、人見知りで友達のつくりかたも知る由もなく一人ぼっちでした。それがすごく辛くて「どうして私には友達がいないのっ…」「どうして一言『遊ぼう』が言えないのっ…」と辛かった時、母さんは「無理して友達なんかつくらなくていい。無理してつくる友達は友達じゃないの。一人を楽しんでみるのもいいんじゃない?」
と、笑顔で私を抱きしめてくれたのを今でも思いだします。いつだって母さんに抱きしめられると体だけでなく心までも抱きしめられる感じがしました。どんなに辛くても、苦しくても、母さんがいたから頑張ることができました。母さんの笑顔は周りを和やかにし、いつだって輝いていました。
幸せだった私達家族の運命をかえることになった夏休みの日の夜、私は忘れたくても忘れることが許されない、一生後悔することになる日になりました。突然母さんが立ち上がれなくなり、喋ることもままにならない状態になりました。明らかに母さんの様子がおかしいと思い、インターネットを使って調べてみたところ脳梗塞でした。あの時急いで救急車を呼んでいれば…と、今でも胸が苦しくなります。私は救急車を呼ばず、明日の朝でも様子がおかしかったら救急車を呼ぼうと思い明日を待ちました。母さんの様子を確かめに行ったら、そこには、私の知っている母さんはいませんでした。目の焦点も合わず言葉も話すことができずまるで人形のようで私がしでかした事の大きさに言葉がでませんでした。母さんに下された診断結果はやはり脳梗塞で、その後遺症は右半身不随、失語症などで一人で生きていくことができなくなりました。 母さんと再び会ったのは一ヶ月後のことでした。その時の母さんは、いっぺんに話しかけても理解することができなかったので、ずっと「今日は四十度越えて暑かったんだ。」「ここは涼しい?」「困ったことはない?」と聞くと母さんは、首を使ったりしたりして反応してくれました。少し不安があったのですが、母さんに「母さん、私達のこと…覚えてる?」の問いに母さんは、私達の顔を見て、「うん」とともに首を縦に振ってくれました。その瞬間、私は耐えきれず母さんの手を握りながら泣き崩れました。その間母さんは、力強く私の手をずっと握り返してくれました。母さんが私の知っている母さんではなくなっても、その様は昔、いつも私を抱きしめてくれ、心も体も母さんに守られている気持ちになりました。…言葉のつながりを断ち切られても、母さんと私達家族の心のつながりは強く、太くつながっていることを学びました。
あれから、もうすぐ一年が経とうとしています。母さんは半年間のリハビリをし、杖は必要ですが歩けるようになりました。会話はまだ上手く話すことは出来ませんが、少しずつ少しずつ話せれるようになっています。たった十四年間しか母さんとの想い出がつくれず幾度も「…たら」「…れば」と思うことはありますが、これからは今まで母さんに守られていたので、今度は私が母さんを守ります。母さんから学んだ「心のつながり」を私の夢である「先生」で未来のある子供達に伝え、心と心のふれあいをしていくのだと母さんと手を握りあったあの日、心の中で誓いました。