平成27年度「心の輪を広げる体験作文」作品集 中学生部門優秀賞
差別
鯖江市立中央中学校二年 加藤 那琢(福井県)
私には、七才年下の従弟がいる。隣に住んでいる父方の伯父の子供だ。結婚して五年、なかなか子供ができなかった伯父さんに子供ができたと聞いた時、私自身もちょっとうれしかった。産まれた日にはすぐ病院まで見に行って喜んでいたのを覚えている。しかし、産まれて二、三日して伯父さんから聞いた時ショックをうけた。
「産まれてきた子供が障害者かもしれない。ダウン症かも。」
と言われた。私の同級生にも同じダウン症の子がいて、その子と同じかと思うとどの様に接していいのか私自身分からなくなった。検査の結果やはりダウン症だと言う事が分かった。小さい時はダウン症がどういう障害かが分からなかったが、調べてみると、先天性の障害で染色体の異常からうまれると言うことが分かった。けど、自分の従弟だけはそうであったとしても普通の生活ができるに違いないと思っていたが、やっぱり健常児と比べたらとんでもなく違っていた。首がすわるのが遅い、歩くのが遅い、しゃべりはじめるのが遅い。やはり、何もかもが遅かった。けど、どんなに遅くても確実に成長していった。三才になる頃には歩ける様になり、六才ぐらいになるとしゃべれる様になってきた。けど、何かをしゃべっているのは分かるのだが、何と言っているのかは最初の自分の名前しか分からない。だから、「こう言ってるんか」と聞いても「ちがう」と首をふって腹をたててどこかへ行ってしまう。「ちがう」はちゃんと聞けるのに、私も訳わからんし聞かないでおいてしまった。そんなある日いつも通りまた自分の名前の後、訳の分からないことを言いだした。訳分からんと思いつつ、隣にいたその従弟の妹に
「何て言ってるの。」
と聞いてみた。きっと何か分からんけど言ってるって言うんだろうなと思っていたのに「早くご飯食べねっておばあちゃんが言ってるやって。」
と言われた。私は、一瞬びっくりして、従弟に
「そうなんか。」
と聞いたらうなずいてきた。私にはとてもしょうげきが走った。こんな小さい子には理解できて、理解できないとはどう言う事なのか。不思議に思っていた時、私ははっとした。私は従弟の言っている事を理解しようと思って聞いてなかったと。私は自分自身をすごく恥いた。それから理解して聞こうと従弟の言っている言葉に耳を傾けた。そうすると何を言っているのかが段々とわかる様になり、それに対してうけ答えをすると従弟もにっこり笑ってくれる様になっていった。今では生意気な事も多少いえる様になっていて時々腹がたってケンカっぽくなる事があるまでになった。逆におもしろい事も沢山言って来てくれる。
私自身今までは障害者イコール何もできないと言うがいねんにとらわれていて、接する事もまともにしていなかった。それが障害者の従弟ができ、自分自身が障害者に対して理解できる様になり、接し方も変わってきた。障害者と言う言葉よりは個性のある人と思える様になった。そう思える様になったのもダウン症の従弟ができたおかげだと今では感謝をしている。まだまだ世の中では障害者に対する態度はひややかなものだと思う。完全に理解してほしいとは言わないが少しでも理解してもらえば、もっと障害者が住みやすい世の中になっていくと思う。