平成27年度「心の輪を広げる体験作文」作品集 高校生・一般部門佳作

認知症の患者さんとその家族をサポートするために

春日部共栄高等学校二年 仁平 朱香(さいたま市)

 近年、認知症の患者が世界で急増していると聞く。認知症患者は2050年には1億3500万人までに急増すると予想されている。現在の日本の総人口より多い。加齢が主な原因である認知症は、高齢化が急速に進む日本では、これから真剣に考えなくてはいけない大きな問題であることは間違いない。認知症患者を、また、その介護者をどのように支えていけばよいのか考えてみたい。

 私の身近に認知症の方がいた。そのAさんは若年性認知症と診断された。私が初めてそのことを知ったとき、本当に認知症なのか分からなかった。なぜなら、訪問するといつもニコニコむかえてくれたし、色々とはなしかけてくれたからだ。しかし、病気の進行は早かった。時間がたつにつれ「あれ、何か今までと違うな。」と思うことが多くなっていった。例えば、話しかけても何となく反応が薄かったり、何を言っているのか理解しにくかったりした様子が感じられたのだ。

 ある日、家族から、Aさんが突然暴力をふるうことがあるので、ちょっと困っているという話を聞いた。だが、私たちがその家にお邪魔しているときは全くそのようなことがなかったので、私はすぐには信じることができず、少し大げさに言っているのかな、と軽く流していた。

 それから何日かたって訪問したとき、Aさんはいつものように、にこやかに迎え入れてくれた。ところが、みんなでご飯を食べていると、いきなり机をドンドンと強くたたく音がした。音のほうを見ると、何かに怒っているような厳しい表情をしたAさんがそこにいた。Aさんの家族は、なだめるように優しく接していたが、私はとてもびっくりした同時に少し怖くなって、早く帰りたい気持ちになった。今までAさんの家に遊びに行くのを楽しみにしていた私だが、そのことがあってからは、なるべくなら行きたくないと思った。

 しかし、母は休みの日になるとAさんの家に行こうと私を頻繁に誘うようになった。行きたくなかった私は理由を聞いてみると、介護をしている家族のためだという。なかなか施設が見つからず、一日中、認知症のAさんと過ごす家族は、いつAさんの様子が豹変して暴力をふるわれるのではないかとおびえ、話もほとんど通じなくなり、自分だけの時間も持てない中で、本当に大変な思いをしていた。私たち家族が訪問すると、いつもおしゃべりで盛り上がっていたが、みんな顔色が悪く疲れ果てているようだった。すごくにぎやかで楽しい家だったのに、Aさんの症状が重くなってからはすっかり変わってしまった様子だった。これから、どうなってしまうのだろうと不安になり、正直怖かった。

 新聞やテレビのニュースでもよく取り上げられているが、介護施設やそこで働く人の数が圧倒的に少ないのが現状である。認知症の方が安心して過ごすことのできる施設や、介護福祉士など、介護をサポートする人の増加は、国や自治体が大至急取り組まなくてはならない必要不可欠な課題だ。それに加えて今回大切だと感じたことは、介護者、つまり患者の家族のケアの場を設けることだ。介護施設の増加がなかなか実行できないのなら、介護する人をケアする新しい取り組みも検討してみるべきだと思った。

 患者の介護に疲れても誰にも頼れず休めない、自分の時間がないなど、追い込まれている人はたくさんいるはずだ。そこで、例えば、病院などの一角に介護者が自由に利用でき、息抜きや団らんができるスペースを作ってはどうだろうか。同じ境遇の人が集まることで、お互いにアドバイスし合ったり、時には愚痴を言い合ったりすることができる場をつくるのだ。大変なのは自分一人じゃないとわかるだけでも気持ちが軽くなるのではないか。そして少しでも気分転換ができれば、また来週ここに来るまで頑張ろうという気持ちにもなるのではないだろうか。

 また、親せきや友人など周りの人も、患者の介護に関わるのは難しくても、自宅に遊びに行ったり、食事に誘ったりして気分転換の手伝いをすることは介護者のためになると思う。私も、Aさんの介護をするのは無理でも、以前のような状況になったら、その場から逃げるのではなく、話を聞くことぐらいしかできなくても、介護する人の力になれるようにしたいと思った。

 これからどんどん認知症の患者が増えるということは、私も含め誰もが認知症の問題を抱える可能性があるということだ。いつ自分の家族が認知症になってもうろたえず、患者とともに毎日を過ごすためには、だれもが介護の知恵をもち、それを実践できるようになっておくべきだと思う。

 例えば、介護の仕方によって、認知症の人の気持ちはずいぶん変わるという話を聞いた。

祖母が認知症になった姉に、バナナを食べさせようと、バナナをむいてそのままあげようとしたが、姉は頑として食べようとしなかった。ところが、施設の人がバナナを一口大に切って、きれいにお皿におき、フォークを差し出して「どうぞ」と言ったら、素直に食べてくれたそうだ。つまり、介護にはコツがあるのだ。

 認知症の人のケアの技法のひとつにユマニチュードというものがあるそうだ。認知症になり、色々なことができなくなったり、うまくコミュニケーションが取れなくなったりしても、その人を一人の人として尊重し、接するというのを基本にしている。当たり前のようだが、実際に認知症の人を前にするといろいろな感情が湧いてきてなかなか難しいと思う。患者さんにできないことがあると、つい「どうしてできないの」と不機嫌になったり、見ないふりをしたりしてしまいがちだ。しかし、言い方を変えるなど工夫して患者さんによりそい、向き合っていくことが大切だ。介護者がにこにこして優しく接すれば、必ずそれは患者にも伝わり、介護者の言うことも素直に聞いてくれることがおおいのだそうだ。そうなれば、患者と介護者のいい関係が築け、介護も楽になるに違いない。これを単なる理想で終わらせないためにも、認知症について正しく理解し、より良い介護を模索していきたいと思う。