平成27年度「心の輪を広げる体験作文」作品集 高校生・一般部門佳作
「生きるエネルギー」
保田 健太(相模原市)
「ピンチをチャンスに変える」よく耳にする言葉だが、失敗の連続で孤独に襲われた時、考え方を変えるのは容易ではない。けれど人は一人で生きている訳でもない。多くの人と出会い繋がって生きている。その繋がりの中にこそ「ピンチをチャンスに変える心のカギ」があると僕は思う。なぜなら、様々な人の言動や想いに支えられ、今、僕は生きているからだ。その思考の中軸となってきたのが、今年の夏、百年を迎えた高校野球だ。
平成六年六月、僕は待望の男の子として生まれた。だが、全身に運動神経の麻痺があり、絶望的な宣告をされた。ここから一生終わることのない戦いが始まった。日常必要な全ての動作を、訓練で獲得するのは至難の業だ。
二・三歳の頃の記憶は曖昧だが、スポーツ番組が好きでいつも見ていた。特に野球は大好きだった。母にバットやボールを握らせてもらい、嬉しそうに見ている写真も残っている。この頃、気管支喘息や肺炎で入退院を繰り返していたが「いつか野球をやるんだ。」と思い頑張った。ところが四歳の頃、二度けいれんを起こし、生死の境をさ迷った。この時、意識が戻らない僕に、母はボールを握らせて「野球やろうね。」と話し続けた。すると朝方、ボールを握った手がピクピク動き出し意識が回復した。その数日後、初めて「オイチイ。」と言葉を話した。奇跡の始まりに母は泣いていた。僕は「きっと野球の神様が命を助けてくれたんだ。そして、頑張ったから言葉をプレゼントしてくれた。」本気でそう信じている。
それからは、0歳から毎日続けた訓練の効果が、少しずつ形になっていった。みんなより、ゆっくりだけど話せるようになり、目の前に置いてもらえれば、自分で食べられるようにもなった。僕はエレベーターのある普通校に入学した。文字も一日三時間書く練習をし、大きな字だが少しずつ書けるようになり医師を驚かせた。歩行器で歩く練習も始めた。授業中の細かな作業が出来なくて、悔しいことも山ほどあったけれど諦めずに続けた。高校球児の「どんなに苦しくても、努力しないで立ち止まっていることが一番悔しい。」その言葉がずっと僕の心に残っていたからだ。
だが小学三年の九月、頭から落ちる転倒事故に遭い、絶体絶命の苦境に追い込まれた。全身打撲、鞭打ち症、顔半分ビーチボールのように腫れ、目と口は開けることが出来なかった。脳に異常がなかったのは不幸中の幸いだったが、全身の痛みと恐怖で眠れず、ベッドの中で震えていた。十日を過ぎ、少しずつ体を起こせるようになった。母は、体力が落ちないようにと、工夫して食事を作ってくれた。そして、いつも高校野球のビデオを付けておいてくれた。でも楽しんで見れなかった。大きな心配を抱えていたから。僕は今の自分と向き合うのが怖かった。二十日を過ぎ、除々に体を動かしたが、九年間かけて獲得した動作はゼロに近い状態だった。それでも母は「必ず出来るようになる!もう一度一緒に頑張ろう。」と前向きだった。そんな時、けがから復帰した球児の言葉が僕の心に染み込んだ。「立ち上がって転んでの繰り返しで、何度も諦めかけました。でも、支えてくれる仲間がいました。そして、簡単じゃないから価値があると思い頑張りました。」誰にでも人に見せない涙があると知った。そして今日より明日は、もっと強くなろうと思った。「もう二度と逃げない!」と、心に誓った。
今思い返すと、僕の二十一年間は「九回裏二アウト、ランナーなし、十点ビハインド」といった、ピンチの連続だった。一生懸命やればやる程、前に進めば進む程、高く厚い壁が現れる。でもそんな時、勇気を出して周囲の人達の力を借りた。その繰り返しの中から、人の輪と絆が少しずつ生まれていった。信じ合う心に壁などないし、障害の有無も関係ないと素直に思えた。そして、日常のカッコ悪いことの積み重ねが、自分を成長させ変えていく。自分が諦めないで行動すれば、奇跡は何度でも起きると実感した。こんなふうに前を向いて進めたのは、一点の曇りも感じさせない彼らのプレーがあったからだ。「負けるな!諦めるな!絶対に出来る!」と、僕を救ってくれた。その一つひとつのプレーは、日々の努力の結晶であり、彼らの苦悩と支えた人達の想いが詰まっている。そして、地方大会で戦った参加校全ての想いも。それは、全身に麻痺のある僕が、一つひとつの動作を何年もかけて訓練し、多くの人の力を借りて、様々なことに挑戦し続けてきた情景と重なる。だから、生きるエネルギーになったと思う。
僕は現在、サポーターと共生社会への理解を深める講演にも取り組んでいる。そして時間のある限り観戦し、選手達にメッセージを贈っている。「野球が出来る喜びと、全てのプレッシャーを力に変えて勝利を掴み取れ!
乗り越えてきた自分とチームをどこまでも信じ、支えてくれる人の優しさを忘れずに戦おう!」これは自分への戒めでもある。
そして、甲子園は今年も熱く、厳しく、優しい場所でした。熱戦ばかりだったので、何も聞こえないくらいの歓声と拍手とどよめきが一投一打に沸き上がった。このダイナミックな環境が、本来の力を超えるプレーを生み出している。試合終了後の惜しみない拍手は、全ての選手が主役だと思える瞬間だ。また観客も彼らのプレーに感動し、多くの夢と勇気を自らのエネルギーに変えている。観戦中、あるキャスターの「甲子園に勝ち負けはあっても敗者はいない!」という言葉を思い出し胸が熱くなった。子供から大人まで魅了し、日本中が一つになる高校野球は、素晴らしい教育だと思う。彼らの輝いた瞳の中には、それぞれの未来がある。その未来で、この素晴らしい経験とエネルギーを活かして欲しい!何の偏見も持たず、誰もが必要とされ、生きがいを感じて、笑顔で生きられるよう、日本の社会に活かして欲しい!未来を担う全ての球児達へ。僕のメッセージとして届けたい!