平成27年度「心の輪を広げる体験作文」作品集 高校生・一般部門佳作
障がいについて
学校法人創価学園関西創価高等学校三年 塙 正行(大阪市)
「障がい」という言葉に、どんなイメージを持っていますか。ほとんどの人の持っている「障がい」へのイメージは、イメージではなく、「偏見」なのではないかと思います。
私には二つ年の離れた姉がいます。小さいころから仲が良く、喧嘩をすることも多かったですが、幼馴染の二人と一緒によく遊んでいました。姉は少し心配性なところがありましたが、お茶目で明るい性格でした。
中学生になった姉は不登校になりました。詳しく話を聞くことはなかったのですが、学校の先生が苦手だったことがその理由だと聞いていました。その後姉は、なんとか中学、高校と進み、昨年大学にも入学しました。
しかし姉は、大学の生活に馴染めず、大学を辞めることになりました。
昨年の秋、姉は「障がい者」になりました。
軽度の発達障害でした。大学の先生が、姉に検査を受けることを促してくれたのでした。しかし、障がいといえど、障がい者とも、障がい者でないとも言い難い線引きの難しい状態だったそうです。しかし、障がい者と認定されると、障がい者向けの施設などの使用や保障が受けさせてもらえるというので、姉は障がい者となることを選んだそうです。身近な人に障がいを持っている人を知らなくて、触れ合ったこともなくて、障がいを持っている人はかわいそうだな、なんていう、障がいのイメージという「偏見」を抱いて生きてきました。そんな私にとって、姉が障がい者となってしまったことに対する衝撃は大きいものであったし、姉自身に与える衝撃も計り知れないものであったと思います。
その日から、私は姉に対する関わり方に迷い始めました。それまで何も考えず接してきた姉との間に、妙な距離が生まれて、喧嘩することさえもしにくくなりました。それは、今まで障がいに対して抱いてきた印象と現実との差に驚き、いざ目の前にしたときに、接した方がわからなくなってしまったからだと思います。
目の前にいるのは今までと変わらない姉なのです。少し抜けていて天然なところはありますが、それが私にとって普通だったのです。
それから私は、障がいについて調べ始めました。障がいのことを少しでも理解しようと思ったからです。
姉は障がい者という認定を受けた時から、それによるショックによって、さらに情緒が不安定に感じられることが多くなりました。障がいについてほとんど知識のなかった私はそれまで、姉と喧嘩をする時も、正しい、正しくないの理屈で喧嘩をしていました。しかしそれはおそらく、姉にとって理解のしづらいものであり、姉は理解できないことに苛立ちを感じているような感じがしました。そう感じてからは、姉と接するときは理屈じゃなく、感情で接するようにし始めました。例えば、口喧嘩に正しい正しくないを求めずに、「いらいらしたから」、「おもしろくないから」、など、自分の気持ちをなんとか伝えられるように心がけました。
それから徐々に私と姉は、いい意味で喧嘩をすることが少なくなりました。私に姉の気持ちが少しだけわかるようになったからです。
中学、高校と不登校気味だった姉に対して、私は理解を示しませんでした。学校というものが大嫌いである私は、学校に行かないという選択肢があることに対して、羨望の目を向けていたからです。しかしそこには姉の苦悩があり、弟からそんな目で見られるのはとてもつらかったと思います。そもそも精神的な病を患ったのも障がいが原因で、誰にも理解してもらえない悲しみや、人と違うことによる苦しみは、想像できないほどの苦しみだったんだろうと思います。
私は、姉という最も近い障がい者に触れ合い、色々なことを学び、いくつかの決め事を心の中に作りました。それは、絶対に偏見を持たないこと、相手のことを理解すること、うまく話せなくてもうまく動けなくても、できないことがあっても、「できる」ことを大切にすること。
私は、障がいということに対して、姉が障がい者になるまで理解を示しませんでした。障がいを持つ人々にとって、一番つらいことは理解してもらえないことだろうと思います。障がいのない私たちには、障がいというものを深く知る機会も、理解しようとする機会も少ないと思います。だから、余計に障がい者の方々がつらい思いをするのだと思います。
特に私が何かできるわけではありませんが、この作文を書くことによって、誰かの意識を、理解を、考え方を、変えられたらいいなあと思っています。