平成27年度「心の輪を広げる体験作文」作品集 高校生・一般部門優秀賞
花火
石川県立翠星高等学校二年 沢辺 小晴(石川県)
「名前、なんていうの?」他の子ども達が花火の登場に興奮している中、その子は私に問いかけました。しかし、この子が聞いているのは私ではなく、私の隣で車椅子に座っている兄の名前です。
この日は、町内の納涼会がありました。夕暮れ時に町内の人が集まり、皆でお弁当を食べたり、すいか割りをしたり、じゃんけん大会やビンゴゲーム等をして楽しみました。そして辺りが暗くなり、灯り無しでは誰が誰なのかも分からないくらいになりました。けれど、子ども達は少しも怖がらず、むしろウキウキとしていました。なぜなら、これから今日の目玉、花火が始まるからです。
困ったことにその日はとても暑く、辺りが闇に包まれた頃、やっと涼しくなりました。すると、母は今まで家に居た兄を車椅子に乗せて連れてきました。私は町内の子どもの中では一番年上なので、花火は遠慮しておこうかなと思い、兄の隣にあった椅子に腰かけました。
ここまで読んで下さったみなさんは分かるように、私の兄は障害者です。一人で歩くことも食事をすることも出来ませんし、会話が成り立つこともない。一般の人が「障害者」と聞いて、真っ先に思い浮かぶタイプじゃないかと思います。けれど、言葉は通じなくても、感情はありますし、性格もあります。私の兄は人が大好きで、この日のように人が集まっている所だと喜びます。
私は兄に、皆が居て嬉しいねぇと声をかけました。すると「嬉しいの?」と意外な人から返事が返ってきました。声の主は、同じ町会の小さな男の子でした。先ほどのビンゴ大会でも積極的に私に話しかけてくれた、とてもフレンドリーな子です。男の子はもう一度「嬉しがってるの?」と聞きました。私は「うん。人がいっぱい居るのが好きなんだよ。」と答えました。男の子は「へぇ」と呟き、兄を不思議そうに見つめました。
兄に興味を持つ子どもはよくいます。ですが、そのほとんどは遠くから見ているだけで、その目には「得体の知れない者への恐れ」が含まれています。ですから、この男の子も、もう花火の方に行ってしまうのだろうなと、そう思っていました。ですが、男の子は「名前、なんていうの?」と聞いてきました。その後も「何歳?」「どうしてこうなったん?」「足、変になってない?」「どうして喜んでるって分かるの?」と様々な質問をしてきました。
ひとしきり質問をすると、男の子は最後に「一緒に居たほうがいい?」と聞いてきました。私は一瞬意味が分からなかったのですが、最初に私が言った事を思い出しました。皆が居て嬉しいねぇ。私が兄に向けて言った言葉を、男の子は覚えていたのです。聞いて、知って、理解しようとする、大人でさえ見ないフリをする所を、男の子はきちんと見つめて向き合ってくれました。それが本当に嬉しかったです。ですが、男の子の花火の時間を奪うわけにもいかないので、大丈夫だよと伝えました。
男の子が他の子達の元へ向かった後も、私は兄に話しかけました。もちろん返事はありません。ですが、兄が楽しんでいることは表情から分かります。
以前、偶然SNSで障害者の事について批判的な意見を述べている人を見つけたことがあります。もはやただの悪口とか思えない文に、怒りで涙が止まりませんでした。花火を好きな人も、嫌いな人もいるように、好き嫌いがあるのは当たり前だと思います。でも、一つ悪口を言えば、それで傷つく人も必ず一人はいるのだということを、その人に知ってほしかったです。
私は花火が好きです。あの男の子も、花火への着火を急かしている所を見ると、花火が大好きなようです。そんなあの子が、花火の準備より兄の方へ来てくれた。花火ほど様々な色に変えられなくても、綺麗な光で沢山の人を惹きつけられなくても、誰かをほぉっとさせる淡い温かな灯を、男の子と兄は持っているのだと感じました。