【一般区分】 ◆佳作 原田 勉(はらだ つとむ)
共生社会の実現のためには連帯行動こそ必要原田 勉(広島市)
私の左耳は難聴である。特に高音の領域が聞きづらい状態にある。父親も難聴により身体障害者手帳の交付を受けており、私も今後の加齢により、周囲とのコミュニケーションに支障を来すことになるのではないかと危惧している。
他方、今日、新型コロナウイルスの感染拡大により、歌手の皆さんは入場者数を大幅に制限するとともに、感染防止対策をしっかり講じなければコンサートを開催することができない状況にある。
私は医学的に聴覚の障害により歌唱や音楽をよく聞くことができず、他方、歌手の皆さんは、社会的な制約から歌唱や音楽を披露することができず、いわば私も歌手の皆さんも日常生活や社会活動に支障を来しているという共通の状態にあると言うことができる。
このように日常生活や社会活動に係る支障は、本人の心身の障害だけではなく、生活や活動をしにくくしている世間の意識や社会の仕組み、制度にも起因しており、今日、障害は社会的モデルとして認識されつつある。
さて、今日の新型コロナウイルスの感染状況を見ると、これまで人々の生活や活動を支えていた多様なサービスは総じて低下・縮小・喪失する事態となっている。そして、これまで当然に享受できると考えていた平穏な暮らしに、何らかの制約や支障が生じることになったという点で、障害の有無に関わらず全ての国民は、少なからず社会的に「障害者化」したことを認識する必要があるのではないかと考える。
社会に制約や制限が生まれ、行動が不自由になると、人々の日々の生活に心の余裕がなくなり、自分の生活の維持で手一杯となり、結果、寛容性が失われることになる。例えば、困っている人を見ても、見て見ぬ振りをしたり、あるいは、簡単に手助けできるのに、あえて手助けしようとせず、障害のある方々を始めとした社会的弱者の方々には暮らしにくい、孤立、分断、差別、排除が生まれることになる。
現在、多くの都道府県や市区町村において、障害のある方々を支えるヘルプマーク・ヘルプカードの普及促進や多彩なあいサポート運動が展開されている。しかし、前述のような社会状況になると、障害のある方々は、周囲に支援や援助を求めにくくなり、精神的にも実態的にも抑圧的な差別感にさいなまれる暮らしにくい地域社会となる。このことは、太平洋戦時下、障害のある方々は、障害のために兵隊として戦場にも行けず、また、銃後の守りとして社会に協力、貢献もできない存在として、世間から白眼視され、理不尽な差別を受けた歴史が証明している。
一方、現在では、新型コロナウイルスの感染を巡り、医療従事者やクラスターが発生した施設、学校・生徒に対する偏見的な誹謗・中傷や、飲食店等への正義の名を借りた脅迫めいた張り紙、都会から田舎への帰省を非難する張り紙など、全国各地で社会に差別と分断をもたらす心無い言動が行われている。
そして、こういった誰でも「障害者化」してしまう可能性がある社会環境にあって、コロナ禍を背景とした差別を助長する動きが見られる現状を克服するため、私は、自己中心的な孤立、分断、差別、排除をもたらすような行動は否定され、お互いに手を携えて支え合う社会的な連帯行動こそがとるべき行動ではないかと考える。
フランス領アルジェリアの港町でペストが発生し、街が封鎖される中で、疫病蔓延という不条理にあらがう市民の姿を描いたカミュの小説「ペスト」では、感染初期には楽観的に行動していた市民が、感染が拡大すると、感染の恐怖に怯えながらも自ら保健隊を組織し、患者の汚物や死体の処理を行うなど、社会的な連帯行動をとるに至っている。
現在の新型コロナウイルスの感染動向を踏まえると、この小説で描かれている市民の行動は、極めて示唆に富むものと言え、実際、我が国では医療機関へのマスクや防護服の寄附活動、毎週金曜日に一斉に拍手を送るフライデーオベーション、感染流行地域への看護師の派遣、介護施設で患者が発生した場合の施設間の応援体制の確保といったことが全国各地で取り組まれている。
厳しい状況下であるからこそ、障害のある方々が暮らしやすい多様性のある共生社会の実現のため、お互いの人格と個性を尊重し合うだけでなく、個人、家族、団体、施設・事業所、地域、自治体等のあらゆるレベルで手を携えてお互いに助け合う連帯の行動を取る必要があると考える。そのためには、まず、常に障害のある方々に寄り添い、相手の立場に自分を置き換えて思考、行動できる力と研ぎ澄まされた人権感覚を身に付けることが不可欠である。そして、こういった人々の輪が、徐々に地域に広がることによって、社会のあり様を構造的に変えていくことになると確信している。
近年、地震、津波、風水害、原発事故など、私たちの生存を脅かす予想を超えた不条理なことが頻発し、障害のある方々はその都度苦難な状況に置かれている。新型コロナウイルスの感染拡大に伴う「障害者化」現象にあって、これまでの経済的合理性を追求する生き方を見直すとともに、社会的な不条理への対応として、どのような行動を取ればよいのか、今日、誰も落ちこぼれることなく社会全体が一歩発展するための人間の新たな可能性が問われているように思う。
また、来年は、延期された東京パラリンピックが開催される。これを一過性のイベントに終わらせることなく、万人がお互いに助け合い連帯して生きるとはどういうことか、これまでの私たちの精神構造を変革し、行動変容をもたらすものにしなくてはならない。これこそが、後世に継承すべきパラリンピックのレガシーと考える。