【一般区分】 ◆佳作 門澤 早苗(もんざわ さなえ)

共に生きる門澤 早苗(大阪市)

私は、私立の保育園に勤めている保育士である。わが園は、今年度から幼児クラスを《学年わり》から《たてわり》に変更した。まだおむつをしている3歳から、しっかり者の6歳までが同じ保育室で過ごす。わが園では、その集まりを《ファミリー》と呼ぶ。

一日中夢中になってブロックで虫を作っている男の子や、5歳児に負けじと、何でも「私もできる。やりたい!」と言っている3歳の子、今流行っているダンスを所かまわず踊っている子など、個性的な子どもたちの集まりで、毎日が刺激的でとても楽しい。ファミリーの中には、知的障がいや発達障がいを持つ子どもたちが約25%の割合で在籍している。見た目では、通常発達の子どもと何ら変わりはない。特性としては、集団活動が苦手であったり、コミュニケーションがうまく取れなかったり、感覚が人より過敏であったり、衝動が自分で抑えられなかったりする。一人ひとりの個性として受け止められれば問題はないのだが、子どもばかりの集団生活となると、それはあっという間にトラブルへと発展してしまうのだ。

発達障がいを持つA君は、人懐っこく、よく笑いよく喋る男の子であるが、自分の衝動や感情をコントロールすることがとても難しい。ファミリーでは、一人一人の宝箱があって、自分が作った物はその箱に入れて置いておいたり、棚に飾ったりしている。その宝箱の中は、大切なものが入っているので、友達の物は触ったり勝手に持って行ったりしてはいけないことになっている。しかし、A君にとってその約束を守ることは難しい。所有者が誰であっても、目に入って興味がわくと触らずにはいられない。咎められると「自分が見つけた。取ってない」と主張する。下手に攻撃するとパニックに陥って、手に持っている友達が、一生懸命に作った作品をバンと床に叩きつけてしまい、友達にも保育士にもくってかかる。何とか落ち着かせて、A君の気持ちを丁寧に引き出していく。「かっこいい物見つけた」「欲しい」「作りたいけど作られへん」。A君の思いが、保育士には伝わってくる。聞く耳を持ち始めたA君に「でも勝手に持って行っていいの?」と尋ねると、「あかん」と苦しそうに答える。「壊してしまったねえ」「作ったお友達、悲しいよ」と、友達の気持ちを代弁して繰り返し伝えていく。どうしたらいいのかをK君と一緒に考えていく。「友達のおもちゃを触りたい時、どうする?」と尋ねると、「貸してって言う」「そうやね。いいよって言って貰ってから触るねんよ」と、トラブルの度に、関わり方や伝え方を丁寧に伝える。

保育士に教えてもらった通り、A君は「貸して」と言ってみた。しかし、繰り返し自分が作った物を壊され続けている子どもたちは、そう簡単に自分の作った物をA君に貸してはくれない。にべもなく「あかん」と断られてしまう。A君はついかっとなってしまい、あっという間に友達の作品を床に叩きつけてしまう。壊されてしまった友達は、驚きと悲しみ、A君への怒りで、泣き叫んだりA君に殴りかかったりする。A君は、怒られた原因が、自分が友達の玩具を壊したからだという事に気が付かない。保育士は一日に何度も何度もA君と友達のトラブルを仲裁することに奔走する。天を仰ぐことも、言葉を失うことも数知れず。A君が悪いわけではない。衝動が抑えられず、思いのやり取りがうまくできないのだから、今はその練習をしている期間だと保育士自身も自分に言い聞かせる日々が続く。

A君への関わり方やファミリーの運営を試行錯誤して、気が付けば7月……。少しずつ、子どもたちの関係性が変わってきたように感じ始める。トラブルが無くなったわけではない。しかし、トラブルへと発展しない場面が増えてきた。よくよく観察していると、周りの子どもたちの言葉が変わってきている。

まず、頭ごなしに「やめて」と、強い口調で言う事が少なくなってきた。「何? 何がしたいん?」とA君に尋ね、K君の意向を聞き、融通できる物を代わりに渡し、「だからこれは触らんといてな」と、交渉している。また、別の子どもは、A君に「これが欲しいん?」と自分から尋ねて「欲しいんやったら、これあげるわ」と言って、予め自分が二つ作っておいた一つをA君に渡しているのである。優しくされ、もらった玩具を持ってにこにこしているA君の様子に満足していると共に、自分の作品を持っていかれない安心感をもって、再び自分の遊びに向かっているのだ。

子どもたちは何度も何度もA君とのトラブルを経験し、自分の大切な物を壊されないために自分なりに考え、一緒に過ごしていくための方法をあの手この手で考えて実践し始めている。そんな姿を垣間見て、私は毎日やってきたことが間違っていなかったのかなあと、少しホッとした。

幼児期は、人としての力を育てる黄金期だと思っている。子どもの世界はみな平等で、障がいの有無で判断したり、一方が我慢したり強制されたりするのではなく、一人の人としてお互いが真正面からぶつかり合う。思いっきり喧嘩して傷つけ合い、わんわん泣いては体をいっぱい使って消化する。そして学んでいく。いっぱい喧嘩して、いっぱい泣いて、いっぱい考えて欲しい。そうすれば少しずつ少しずつ、人と関わる力の根っこが太くなる。自分のことと人のことを大切にする礎になる。とはいえ、まだまだ保育士の仲裁や仲立ちが必要だ。ファミリーになって5か月。もっとぶつかり合って関係が深まっていくんだろう、どんな風に育ってくれるんだろうと、少し楽しみな夏でもある。