【一般区分】 ◆佳作 渡辺 伯加(わたなべ のりか)

交換日記渡辺 伯加(仙台市)

私には、精神障害と、知的障害があります。その事を知ったのは、今から17年前に仙台に来てからの事でした。生まれて育った所は、広島県の福山と言う町です。私は、小学校一年生から、中学一年の二学期まで、特殊学級に入っていました。中学一年生の二学期から普通学級に戻りましたが、すぐにイジメの対象になりました。私は耐えられなくなると職員室の教頭先生の所に行きました。先生は、
「伯加さん、どうしましたか?」
 と私に尋ね、話を聞いて下さいました。

ある時、私が父と母の仲の悪さを話すと、両親そろって学校に呼ばれ教頭先生に
「お子さん達の前でケンカはしないと私に約束して下さい」
 と言われる事もありました。

そんなある日、放課後、色々あり学校がいやになり、学校で教頭先生が声をかけて下さったのに気付かずに帰っていました。すると帰り道の途中で
「伯加さーん」
 と私を呼ぶ教頭先生の声が聞こえたのです。私がふり返ると教頭先生はバイクに乗り、私をおいかけて下さっていました。私が
「教頭先生、どうしたんですか?」
 と言うと、先生は、
「学校で声をかけても風を切るように去って行ってしまったので心配になり追いかけて来ました。大丈夫ですか?」
 と言うのです。私は、
(この先生なら信用できる)
 と思い、
(もう一度、学校へ行ってみよう)
 と思うようになりました。

次の日学校に行くと、教頭先生が職員室前で私を待っていて、一冊のノートを私に見せて、
「これから、このノートを使って、二人で交換日記をしましょう。何でも好きな事を書いてOKですよ」
 と言って手渡して下さいました。それから一年近く二人でノートを交換しました。私は主に、学校でのいじめの事や一日に起きた出来事を書き、先生はそれにコメントして下さったり、ご自分の事を書いて下さったりしました。

そして私が中学三年になった時、教頭先生が新しい学校へ転勤される事になり、私が生徒代表でお別れの言葉を読む事になりました。式が行なわれる日まで担任の先生を前にして、何度も読む練習をしました。そして当日、私は見事に読む事が出来ました。交換日記を二人でした事、そしてその中で行なっていた、「一日何でもいいので一つ良かった事を探す事」などをしました。そして式は無事に終わり、私は家に帰りました。

その日の夕方、教頭先生は我が家にお礼を言いに来て下さいました。私は教頭先生に、「今までありがとうございました。新しい所に行かれても頑張って下さい。」
 と言うと先生が
「ありがとう伯加さん、あなたの優しい心をいつまでも忘れない様にして下さいね。」
 と、おっしゃいました。

あの教頭先生が居なければ今の私もここに居ないでしょう。これが、私と教頭先生との思い出の出来事です。