【高校生区分】 ◆佳作 林 勇希(はやし ゆうき)
僕の見る「障がい」林 勇希(関西創価高等学校1年 大阪府)
僕には、特別支援学級に通っている妹がいます。そのことで、僕の家族にとって「障がい」はとても身近です。だから改めて考えてみたことはありませんでした。
最近、父が監督をしているバスケットボールチームでの出来事から、「障がい」について改めて考えました。
最近、特別支援学級在籍のお子さんが、父のチームに入部したいということで、ご家族が相談に来られたそうです。入部動機は、仲の良い友達がチームに居てどうしても入部したいと本人が言うとのことでした。しかし、大低の習い事は障がいがあることでお断りされること、入部できたとしても、チームにご迷惑がかからないかなど、さまざまな心配事を持ってこられたそうです。僕の母も妹のことで、保育園や幼稚園、習い事を断られた経験をしてきたそうで、気持ちはよくわかると言いました。
僕の父は特別支援学級の担任をしており、バスケの指導だけでなく、配慮の必要なお子さんの練習を何度か見てきました。だから今回のことも心配ないと僕は思いました。
しかし、ご家族が心配していたことは他にもありました。
「自分の子どもは障がいのある子と関わらせたくない」と多くのご家庭が思うのではないかとの心配でした。そんなことを僕自身考えたこともなかったので、とても複雑な気持ちになりました。自分が考えているように人が考えているとは限らないと知ったからです。そのご家族は「自分に障がいのある子どもが居なかったら、そのように自分たちも考えていた可能性もあります。よそのご家庭のご心配も理解できます。」とも言われたそうです。もしかしたらここまで悲しい経験をされたからなのかもしれません。
僕は、その言葉を聞いてハッとしました。もしかしたら、障がいを持った人が身近にいる人と、そうでない人では、見ている世界は違うのかもしれないと。また、そのように考えてしまうのは、自分と少し違うタイプの人のことをよく知らないことから生じる恐怖感からかもしれないと。もし僕の妹が障がいを持っていなければ、自分と少し違うタイプの人への接し方や考え方は変わったものになっていたかもしれません。それは、「知らないこと」から来る戸惑いだと僕は思います。
妹が僕の妹として生まれてきてくれて良かったと思いました。
その理由は「障がい」が身近にあることで目の前の人が誰であれ、「その人をその人として見る」ということがごく自然のこととして僕の感覚の中にあるからです。
僕の妹は僕の妹で、「障がい者の妹」だとはいちいち思いません。逆に、障がいがあると言われてもパッとしません。
きっと父のチームに所属する子ども達も支援学級に通うお子さんと長く接していく中で、「障がいを持っている○○くん」とは思わなくなっていくと思います。母の言葉を借りて言うと「人を様々なフィルターを通して見なくなる」ということです。結果的にそのお子さんは、父のクラブチームに入り、毎日練習を頑張っています。父のチームの子たちはみんな優しく、入部したお子さんとチームメイト両方にとって良かったと思いましたし、これからのチームにとっても大きいと思います。
父はよく「障がいの理解は異文化理解」と言います。
この先、多くの出会いがあると思います。その時、目の前の人を「きっとこんなやつだ」と決めつけず一歩近づいていきたいと思います。「知ること」で、戸惑いや恐怖感も無くなると思います。しばらくすれば、きっと「その人をその人として」見るようになり、良さがわかってくると思います。