【高校生区分】 ◆佳作 鈴木 悠太(すずき ゆうた)

僕は健常者と障がい者鈴木 悠太(静岡県立西部特別支援学校高等部1年 浜松市)

ある日、僕は障がい者になった。

中学一年の冬、僕は水泳の飛び込みで首の骨を折った。水の上に出たくても体が動かない。このまま死んでしまうのか・・・と意識がなくなり心臓が止まった。

次の日、気がつくと僕は知らない部屋で横になっていた。起きたくても体を起こせない。

声を出したくても人工呼吸器に繋がれているため声が出ない。薬の効果か意識が朦朧とする。首の後ろが痛い。心肺蘇生をされた後救急車で病院に運ばれ首の骨が折れているところを固定する手術を受けたためだった。ご飯も水分も飲み込むことが出来ないため鼻から胃まで繋がるチューブが入れられていた。

そんな状態が二ヶ月続いた。医者から僕は頚髄損傷だと言われた。神経が傷ついて体の感覚がなくなり損傷部位によるが僕の場合は肩から下を動かすことが出来なくなるというものだった。人工呼吸器が喉に繋がっていてとても痛かった。栄養を鼻からチューブを通して入れるため、とても気持ち悪くて何回も吐いた。絶望を感じた。何度も『死にたい』と思った。泣いて涙が頬をつたっても手が動かないので涙を拭くことも出来ない。

入院は一年に及んだ。人工呼吸器は外せるようになったが手足は動かないままだ。


怪我をする前の中学一年の時、障がい者とのふれ合いで、ある障がい者施設へ行った。
話しをしたり簡単なゲームをしたりした。
帰り際に何故か追い掛けられた。初めて人を「怖い」と思ってしまった。障がい者=怖いという印象を受けた。今まで生きてきた十三年間で初めて障がい者の存在を知った。
普通に歩けて、普通の会話が出来、普通の暮らしが出来る。この普通がある日を境に全く出来なくなってしまったのだ。

そう、僕も障がい者の仲間入りしたのだ。

一年の入院後、自宅とは別の場所に帰った。

健常者の身体で「行ってきます。」と自宅を出たまま一年後、障がい者となって車椅子に乗って帰ってきた。顎で操作する電動車椅子のため車体が大きく自宅は狭かった。そんな車椅子に乗っている自分の姿を誰にも見られたくなかった。しばらく家に引きこもっていた。

数ヶ月したある日、勇気を出して近くのコンビニに行ってみた。みんなの視線が痛かった。二度見、三度見される。知り合いには絶対、会いたくなかった。もう帰りたい・・・。

その日以来しばらく家から出なくなった。

しかし、僕は中学生。義務教育中なので学校に通わなければならない。怪我をする前に通っていた中学校はエレベーターもなく階段や坂が多かった。健常者だった僕は何不自由なく普通に自転車で通っていた。しかし障がい者になった僕の身体では普通校は通える場所ではなかった。友達と楽しく過ごしていた学校も転校を余儀なくされた。仲の良かった友達や慣れた場所と掛け離れた未知の世界の支援学校に転校して、とても辛かった。

普通の中学生なら朝、自分で起き着替えをし朝食を食べ身支度をし、すぐ家を出ることができる。しかし、この身体では全てを介助してもらわないと身支度ができない。起きてから家を出るまで二時間は掛かってしまう。

何もできなくなってしまった自分にイライラする。

やっとの思いで学校に着くと、そこには、いろいろな障がいを抱えた子達が沢山いた。

今まで知らなかった世界だ。皆いろんな人の手助けを貸りて学校に来て、しかも楽しそうにしている。そんな姿を見ているうちに自分だけじゃないんだ・・・。という感情が芽生えた。だんだんと自分の中の「障がい者」という怖いイメージが溶けていった。それと同時に外に出てみようという気持ちにもなった。最初に感じた他人の視線が怖かった自分を越えられるか勇気がいった。買物や外食に行ってみようと出掛けた。

ある日、お店の前に車椅子をとめたら店員さんがドアを開けてくれ中に案内してくれた。
 中にいるお客さんも通路を譲ってくれる。
 あれ!? 今までと違う感覚だ。嬉しかった。

車椅子姿を誰にも見られたくなかった自分が嘘のようだった。人の優しさに触れた瞬間だった。頑張ってね、と声を掛けてくれる人もいた。自分が健常者と障がい者の架け橋になっている。そう思えた。怪我をして障がい者になったことは不幸な事だったかもしれない。しかし、失った事は多いけど得たものも必ずある気がする。

僕は健常者と障がい者と二度味わう人生になった。再生医療で動ける体を手に入れ、もしかしたら、また健常者に近づくことが出来るかもしれない。
 健常者の気持ちも障がい者の気持ちも僕ならわかる。両者の架け橋になりたい。

障害は害ではない。人間の気持ちを解きほぐしてくれるキラキラ輝くものが僕には見えた。

これから健常者と障がい者が分け隔てなく共に助け合い共存できる、そんな社会になるために、自分の身体だから出来る架け橋をしていきたい。