【小学生区分】 ◆佳作 澤幡 遼眞(さわはた りょうま)

車いすが教えてくれたもの澤幡 遼眞(茨城大学教育学部附属小学校4年 茨城県)

「車いすは、みんなの足になる。」

ぼくは、三年の四月の始めに、大たいこっ頭すべり症という病気になりました。原いんは不明で、すぐに手じゅつをしないと歩けなくなってしまうとお医者さんから言われて、ぼくの頭にイナズマが落ちました。ぼくにとって、歩けなくなってしまうという不安と、どうしてこんな病気になってしまったんだろうという悲しみが一気におそって来ました。だけど、それい上につらかったことは、手じゅつの後、車いすになってしまったことです。

ちょっとの段差が行けなくて、頭に来ます。今までバスで通っていた小学校には、車で送ってもらうことになって、友達と帰ることもできなくなりました。大好きだった体育の時間は、いつも見学したり保健室にいたり。早く体育をやりたいなあ、つまらないなあ、と思っています。トイレの時には、ズボンをぬいだりはいたりするのが難しかったし、段差が大きい所や入れない所は、いつも遠回りでとてもめんどうです。ぼくの口ぐせは、いつも「サイテー」になっていました。

運動会の時には、車いすからみんなをおうえんしていました。みんなに伝わるように、大きな声で「がんばれー!」と言いました。友達の中には、「車いすで楽で良いよね」と言う人がいたけれど、本当はぼくだってみんなと一しょに走りたいし、競争したかった。車いすだからって、楽ではないのです。でも、先生は車いすのままおどれるダンスを考えてくれました。みんなとおどれてとても楽しかったことを今でもよく覚えています。友達も、車いすをおしてくれたり、だいじょうぶ?と声をかけてくれました。家族は、運動会に参加できたぼくをとても喜んでくれました。

車いすになって気がついたことがありました。それは、いつも教室の前の段差を上がる時は友達が押してくれること。車いすのタイヤを回すと、自分が走っているようで、わくわくする時があることです。

お母さんが働いているかいごしせつでは、車いすを使っている人たちがたくさんいます。毎年夏祭りのお手伝いをしていたり、ボランティアをしていた時は何も感じなかったけれども、今は足の不自由な人の気持ちがわかります。

ぼくは今、リハビリをがんばって歩けるようになりました。走ったり、体育の授業に出ることはまだむりですが、だれかの車いすをおすことができます。車いすは、人をささえるもので、なければ足が不自由な人はどこにも行くことができません。たくさんの人がどこへでも行けるように、こんどはぼくが、だれかの背中をおしてあげたいです。