【高校生区分】 ◆最優秀賞 延 泰世(のぶ やすよ)

金さんへの誓い延 泰世(盈進高等学校1年 広島県)

懐かしい潮の香りがしています。金泰九さん、三年半ぶりですね。永遠に大好きです。私は春に高校生になりました。金さん、制服姿の私が見えますか。私には金さんがはっきり見えます。声もちゃんと聞こえます。

私は、母のお腹にいる時から、ここ瀬戸内海の小島にある(ハンセン病)療養所に来て、金さんにお腹をさすってもらって、この世に生を受けました。父は、子どもをつくることが許されなかった金さんの「泰」の字を私につけてくれました。「おまえが九十才まで生きるとすれば、その間、金泰九が差別に抗い、それに屈せず、国籍や民族に関係なく、多くの人を愛し、多くの人に愛されて生き抜いた証を伝えることができる。」と。

私には金さんの命が宿っています。家族やふるさとに帰ることが許されず、絶望にあえいでこの島で生きた金さんの仲間たちの命も受け継いでいます。金さんたちは、それでも、仲間と共に励まし合い、自ら生きがいを見出して、力強く、この島で生き抜きました。その強さも私の命に宿っているはずです。だからこそ、私が必ず語り継ぐと決心しています。

いま、金さんのこんな話を思い出しています。「大阪に残してきた妻が病に伏したと伝え聞いたが、絶対隔離政策のため療養所が帰省を認めず、妻の死に目に会えなかったことが一番悔しかった。もしあの時、帰ることができていれば、妻は死なずにすんだかもしれない。」金さん、愛するその人に会えましたか。
「ここ(膝の上)においで。いっしょに写真撮ろう。」金さんはいつも私にそう言ってくれました。私はうれしくて、ワクワクしてすぐに、私だけの“特等席”に行きました。手もとにある写真はすべて、金さんも私も笑顔です。そこは、金さんのすべてを全身で感じられる、私のいちばん落ち着く場所でした。そこにいるとちょっぴり、キムチとおじいさんの匂いがしてきて・・・私はそれが大好きでした。金さんの手の指は、医療の不備もあって切断されていましたが、金さんはその指のない手で私を包み込んでくれました。私はその手も大好きで、ずっと握っていましたね。

二〇一六年十一月末、金さんはこの世を去りました。父から知らされた時、頭が真っ白になりました。「嘘であってほしい」と思いながら、すぐに母と療養所に向かいました。

棺に眠る金さんを見ると涙が溢れました。冷たくなった金さんに触れると、金さんとの思い出が蘇ってきて、声を出して泣きました。そして、「ありがとう」と「さようなら」を繰り返していたことだけを覚えています。

金さん。私はまわりに流される性格です。でも、変わります。私も金さんのように誰にでも平等に接する人になります。どんな人をも心から愛する人になります。自分でやると決めたことはやります。人を傷つけ悲しませる社会の偏見や差別に対して、ダメなことはダメだと言える勇気を持って毎日を送ります。

いま、新型コロナウイルス問題で医療従事者やその家族が差別されている現状があります。金さんたちがそうであったように、感染症になった人やその家族が地域社会から排除される現状はいま、再び繰り返されています。私はこの現実を許すことができません。だからいま、私に何ができるのかと考えたとき、金さんの口癖が頭をよぎります。「正しく知って正しく行動する。」私は必ず、このことばを胸に、金さんやこの島で生き抜いた人々のことを伝えながら、社会の不条理に真っ正面から向き合い、まっすぐに生きていきます。


私は六月十九日、緊急事態宣言が解除され、ようやく他県への移動が可能になったその日、療養所にある金泰九が眠る納骨堂の前で、目を閉じ、手を合わせ、静かにそう誓った。