【一般区分】 ◆最優秀賞 山﨑 大(やまざき まさる)

ワタシノイチブニナリユクソイツ山﨑 大(無職 新潟県)

そいつは静かにやってきた。そいつは、物心つく時ぐらいに、卵が産み落とされたみたいに、私の体の中に入りこんできた。そいつは小学校の時には幼虫に成長していた。その時には、私の心の中に悪いことをしたいという思いがちょっと浮かんでいた。

中学校卒業時、そいつはサナギのようになっていた。私は体の中のそいつを恐れるようになっていった。そいつは少しずつ育っていた。私はそいつから逃げるように自分を鍛えた。だがそいつは消えていくどころか強くなるみたいだった。高校のころ、ついにそいつはサナギから成虫になる段階になった。その頃、私は精神科に通院をするようになった。薬を飲めばそいつは消えるかもしれない。そう思い私は忘れずに薬を飲んだ。だがそいつは消えなかった。

高校卒業後、私は浪人生になった。その頃、そいつは強くなって私の意識をむしばんできていた。だが私は薬が効かないと思い、薬を飲まない期間を作った。

一か月後、私は入院していた。そいつは統合失調症という成虫になり幻聴として私に攻撃するようになっていた。私にはやはり薬が必要だった。

退院後、両親とベテルの家に行ったことがある。その時、その施設の方が「幻聴と闘わないで仲良くやっていこう」と言っていた。私はその意味がなかなか分からなかった。

相手を弱らして自分が強くなれば相手はいつか消えると、思っていた。その考えが変わりはじめたのは二度目の入院後である。私はあるおじさんと出会った。いろいろな話を聞く中で、私はそのおじさんにも悪いことをしてしまう心があることを知った。別のある人が「いい人が大半で悪い人が少しいるのが社会で、それが人なんだよ」と言っていたのを思い出した。私には衝撃的であった。誰しも悪い心があるんだ。そういった自分を認めながら生きているんだ。闘ってはダメなことを知ってから、そいつは少しだけ私にやさしくなった。

大学卒業時、私は大学教員と話をした。その中で、「統合失調症による障がいで離れていってしまった人がいる自分が許せないです。今まで頑張ってきた自分が虚しくて…」と言った。「そうだとしても、これから会う人に良くしていくしかないじゃん」とその方は言った。

私はハッとした。私は自身の障がいを認めていなかったのだ。私は心の中にいるそいつをいつか追い出してみせると自分を追い込んでいた。結局そいつはいなくならず強くなって私に攻撃していた。けれど、多分そいつは障がいなんだ。それに気づいた時、そいつは障がいという私の体の一部分に生まれ変わり始めた。

私は私が信じる道を行く。私には幻聴が顔を出す時間と顔を出さない時間がある。障がいが顔を出す時間が長くなると、私は不安になりさらに幻聴が聞こえることもある。だが“障がいを抱える私”は私自身で、他者とは違う私そのものである。それは障がいがあってもなくても変わらない事実だ。私はかけがえのない一人の人間なんだ。

それに気づいてから私はさらに次のような気づきをした。大切な人たちを失った時、私は多分障がいが顔を出していたんだ。もうその人たちは顔を背けて私の方を向いてくれないけれど、私はこれからの人生を誠実に生き続けよう。そして何年もたっていつかその人たちが私に顔を向けてくれたとしたら「あの時はゴメン。実はあの時障がいがあって…」と勇気を振り絞って言おう。それで私からまた顔をそむけてしまったらそれはそれで仕方がない。私は、私が“障がいを抱える私”を他人に曝け出す勇気を持つことこそが、障がいがある人とない人の心のふれあいにつながると思う。同様に、障がいを理解しようとしない人たちや障がいを理解しようとしてくれる人たちとの心のふれ合いも大切だと思う。それだけでなく、障がい当事者の自分自身の障がいとのふれ合いも大切だと思う。なぜなら、障がい当事者は自身の障がいから逃避した生活を送っている人も多いと思うからだ。

さらけ出す時のために、私はそいつを前向きに迎え入れなければならないと思う。私自身が障がいを持っていることによって後ろ向きになっていたら、その人たちは、障害を抱える私を前向きに受け入れられないと思うから。私の中の障がいが顔を出して誰かに頼りたいときは、手を差し伸べてくれた人の手をしっかり握る。そして例え誰も手を差し伸べてくれなくても、自分から頼らせてほしいと手を差し出す勇気が必要であると思う。そして休むときは休み、疲れた体を癒す時間を作る。

敵が見えなかった恐怖から少し解放され、私は自分に余裕ができ始める。そして共生社会の敵であるそいつはいなくなり、今は社会に受け入れられるだろう障がいとして私の一部分になりつつある。日々障がいとふれ合うことで、私は自身の障がいへの理解を深めている。

障がいを抱える私は、障がいとともに、障がいのない人に分かるよう、うまく自分の特性を伝えたい。そのために、統合失調症当事者である私をできるだけ正確に表現できるよう、努力していけたらと思う。だってそいつが自身の一部になりつつある私は、そいつが敵にみえていた時よりずっと自分のことがわかるはずだから。