【一般区分】 ◆優秀賞 北構 健寿(きたかまえ たけとし)

たくさんの「ありがとう」北構 健寿(東京都)

私は視覚に障害がある。視覚障害者のイメージはどんなものだろうか。見えないなんてかわいそう、何をするにも大変そうなど色々あるだろう。だが、本人のやる気と周囲の協力があれば、視覚障害者も何にでも挑戦できるのだ。

中学二年の春、頭の奥をつねられるような頭痛が突然始まった。目の奥の痛みも激しくなり、夏の終わりには人の顔が認識できないほど視力が低下した。ある日は鉄柱にぶつかる。別の日は階段を踏み外し転げ落ちる。一番酷かった事は、
「お前、白い杖も持っていないし、普通に見えてそうじゃん。」
 と同級生にからかわれ、視野外からいきなり殴られたこともあった。
 その時の唯一の救いが、母が言ってくれた
「絶対、治るよ。」
 という言葉だった。私は、その言葉を信じて、治ることを願っていた。
 だが、医師から告げられたのは
 「残念ながら、手術をしても直りません。」
 という残酷な一言だった。それを聞いた母が、その場で静かに涙を流す姿を今でも鮮明に覚えている。私もその場で眩暈を起こした。

その日以降、家に引きこもるようになり、そんな暮らしが一年半も続いた。体も心も病んでいき、将来の事なんて考える余裕すらなかった。自分が消えれば家族も楽になるのではないか?などと考えた時もあった。

だが、ある映画が私の人生の価値観を変えてくれた。交通事故で失明した主人公が特殊能力を得て、昼間は盲目の弁護士、夜は法では裁けない悪人を裁く物語だ。私もこの主人公のように自分の障害と向き合い努力をしようと思った。引きこもり生活に終止符を打ち、「盲学校」に通い、頑張ってみることに決めた。

盲学校卒業後、化粧品・健康食品の製造販売をしている企業の特例子会社に就職することができた。サンプルを数える業務、名刺印刷業務を任され、やりがいを感じていたが、五年程経つと視力が再び悪化していった。サンプルの表裏の区別ができないほど視力が落ち、名刺印刷業務も他の人に交代することになった。体調不良も増え、会社も休みがちになり、仕事を続けられるのか不安でいっぱいだった。

ある日、親会社から
 「一緒にお仕事をしませんか?」
 という話を頂いた。親会社は、社会貢献活動の一環として特別支援学校に通う高校三年生へ「身だしなみセミナー」を実施している。スキンケア・整髪など基本の身だしなみを教えるのだ。そのセミナーの講師をやってみないかという話だった。

視覚に障がいがあり、大勢の人の前で話した経験も無い自分に務まるのか不安だった。だが、せっかくきたチャンス。新しい仕事に挑戦したいと思った。

セミナー講師になるには、「見えにくいこと」、「大勢の人の前で、相手に分かりやすく話をする」という大きな壁を乗り越えなければならない。

まずは、台本を丸暗記しようと思った。台本を暗記してそのまま読み上げれば大丈夫だと思っていたが、その考えは甘かった。先輩に練習に付き合ってもらい、いざ声に出してみると、声が小さい、途中全て忘れて無言になるなど、相手に伝えることの難しさを痛感した。

「台本を暗記するのではなく、内容を理解して、自分の言葉で相手に伝えてごらん。」
 と先輩から助言をもらった。先輩に毎日毎日練習に付き合ってもらい、血のにじむような特訓の日々が始まった。

実際のセミナーを見学に行くと、講師は台本をただ読むのではなく、笑顔を絶やさず、受講者の障害の程度に合わせてできるだけ簡単な言葉でゆっくり話す、など様々な工夫をしていた。その時、台本をただ読めばいいのではない、相手を思いやり寄り添う気持ちが一番大切なのだと気づかされた。台本を分かりやすい言葉に修正し、自分の体験談を追記するなど、自分なりの工夫をした。帰宅後は自室や風呂場で、大きな声で練習を重ねた。

地道な練習の甲斐もあり、一回、二回と講師をする度に、自信をもって、笑顔で話せるようになっていった。

三回目のセミナーの休憩時間、受講者が私に話しかけてきてくれた。
 「さっき使ったこの商品いくらですか?」
 私が、値段を伝えると、
 「使用感も好きだし、説明もとても分かりやすかったので今日買ってみようと思います!ありがとうございました!」
 と明るい声で感謝の言葉を伝えてくれた。

改めて思い返すと、人から「ありがとう」と言われた事がなかった。誰かに助けてもらい、「ありがとう」と言うばかりの私が、人の役に立ち、「ありがとう」と言われた。自分が人の役に立っていると実感できて、心の中がじんわりと温かくなるのを感じた。

この十一年間、視覚に障害があることで、悔し涙を流した日も、眠れぬ夜もあった。だが、周りの人に支えてもらいながら再び立ち上がることができた。
 ある人の、
 「自立は、一人で全部やることではない。周りの人が助けてくれる、周りとそういう関係を築いていくことが、自立。」
という言葉が心に残っている。私が現在セミナー講師を務められるのは、私一人の力ではない。数えきれない人たちの助けの上で、私は成り立っている。

今はまだ「ありがとう」と伝えることが多いが、人の役に立ち、これからも様々な事に挑戦していき、たくさんの人からたくさんの「ありがとう」をもらえる人間になりたい。