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第13回障がい者制度改革推進会議 差別禁止部会(2012年2月10日)
議事要録
【議事 情報の分野における差別禁止について】
- (東室長)情報とコミュニケーションに関連する現行法等について説明する。障害者基本法は「基本原則」(3条)で手話は言語だとした上で、コミュニケーション手段の選択の機会の確保等をうたっている。「情報の利用におけるバリアフリー化等」(22条)では「電気通信及び放送その他の情報の提供に係る役務の提供・・・に当たつては、障害者の利用の便宜を図るよう努めなければならない」としており、この「役務」に、テレビ、ラジオ、新聞等幅広いメディア等が含まれる。「消費者としての障害者の保護」(27条)では「・・・適切な方法による情報の提供等に努めなければならない」、「司法手続における配慮等」(29条)では「・・・個々の障害者の特性に応じた意思疎通の手段を確保・・・」等と定めている。バリアフリー新法では「公共交通事業者等は、高齢者、障害者等に対し、これらの者が公共交通機関を利用して移動するために必要となる情報を適切に提供するよう努めなければならない」としている。「金融商品の販売等に関する法律」は3条1項で「・・・説明をしなければならない」と義務規定にした上で、2項で「前項の説明は・・・当該顧客に理解されるために必要な方法及び程度によるものでなければならない」と個別の状況を前提とした合理的配慮に似た趣旨の規定としている。各地の差別禁止条例を見てみると、障害者が情報の提供を受ける場合と情報を出す場合に分けて規定が設けられている。そこで前回に引き続き、情報とコミュニケーションの分野における差別について受信と発信を分けて考えるべきかどうか、まず議論して頂きたい。その上で、差別禁止の対象として、相手方の範囲をどう考えるか検討して頂きたい。さらに、差別とは何か、その例外は何か、合理的配慮とは何なのかを議論して頂きたい。
- (発言)障害者が情報について不利益な状況にあるのは発信も受信も変わりないので、この点が議論になるわけではなく、情報から阻害された状況をどう解決していくのかについて考えた方がよいのではないか。命に関わる災害等については必ず他の者と同等な情報提供が必要だが、国会中継で字幕や手話がないことに現れているように障害者は根本的な情報から疎外されている。少数者である障害者と、多数者である社会との関係で、受信と発信の状況がどう変わるかについての客観的分析は必要だ。情報が阻害されている状況が差別に当たる。
- (棟居部会長)受信と発信を切り離すのは、反対だという意見だ。委員提出資料にある「障がいを理由とする差別を禁止する法律」日弁連法案概要では、受信と発信を分けているようだがどうか。
- (発言)日弁連法案概要では総則で「情報伝達方法の保障」を設け、あらゆる生活の場で自ら発信できる方法を選択する権利があることが前提になっている。発信については個別の各則で規定しており、「情報」の項目では業として提供する者に義務付けをしている。発信と受信を分けたほうが議論しやすければ分ければよいが、発信を保障するということは受信者側にもその義務を負わせているということを踏まえておく必要がある。
- (棟居部会長)障害者が受信をする時には様々な合理的配慮が必要だとのことだが、障害者自身が発信する時は合理的配慮の状況も異なるということか。
- (発言)業として発信する者は受信者に障害のある人がいる事を前提とするべきなので、事前に必要な合理的配慮を講じる必要がある。日弁連法案概要ではそれを類型的に提示したが、保障すべき内容はこれ以外にもあるだろう。障害のある人が発信する場合はまさに個別の問題なので、生活のあらゆる場所で個別の合理的配慮が保障されなければならない。
- (発言)情報の発信と受領を区別して論じることが有益な場面もあるが、より議論すべきなのは意思疎通の保障について誰が義務を負いどのような義務を負うかという点だ。
- (東室長)受信と発信を分けた方が良いという意味ではなく、場合分けをして議論に漏れがないようにすべきだという問題意識だ。
- (棟居部会長)熊本県障害者差別禁止条例は、障害者に対する発信と障害者が受信する場合を分けており、書き振りも異なっている。
- (東室長)何が差別になるのかは、発信する場合と受信する場合とでは違うので、書き振りが異なるのは当然だ。誰がどのような義務を負うかを考える上でも、受信と発信というパターンがあることを前提にしなければ漏れが出る。
- (発言)教育機関が視覚障害のある生徒に点字版を提供するのは、情報の発信と言える。義務を負う主体がどのような合理的配慮をすべきかを考えるのに、受信と発信を念頭に置くことは大切だが、具体的に考えることが重要だ。
- (東室長)相手方の範囲をマスメディアの事業者や行政から個人まで含めるのか、もしくは一部に限定するのか。対象者の範囲を議論して頂きたい。
- (棟居部会長)マスメディアは一般公衆に情報を発信しているが、実際には情報を受信できる人とできない人がいる。できないのは障害が理由だとすれば、直接差別に当たるのではないかという問題意識をお持ちか。
- (東室長)ここでは発信と受信を分けただけで、直接差別ととらえるのか合理的配慮ととらえるのかは次の問題だ。
- (発言)発信と受信を分けられないという事例として世論調査がある。電話で質問をする時に聴覚障害を持った方は想定されているのか。答えないと、回答がなかったとして無視されてしまう。別の答え方ができるような配慮が世論調査では行われているのか。
- (東室長)それについて、今、知識を持ち合わせていない。
- (発言)差別禁止の対象は公的機関やマスメディアだけではなく、職場や小規模なサークルまで含めるべきではないか。手話通訳を提供できないという理由で、サークルに入ることを拒まれることがないようにすべきだ。財政力が乏しい場合は、公的補助を検討することも必要になるだろう。
- (東室長)私人の会話も差別禁止の対象とするという意見か。
- (発言)個人対個人を対象に含めるのは現実的には難しいだろうが、団体や組織の代表として対話する場合等は対象に含めるべきだ。会議ではなく非公式な話し合いでも、団体を代表する立場で話す場合は、個人対個人とは違うのではないか。
- (発言)マスメディアが義務を負う理由には、一般公衆への発信を引き受けていることから障害があるために受信できない者にも受信させる義務があるということと、生活をする上で重要な情報を扱うことから障害者も含めて受信できるようにする義務があるということが考えられる。問題は、特定集団や私人等マスメディア以外の場合にこの理由が当てはまるかどうかである。
- (棟居部会長)大規模なコンサートで聴覚障害がある人達が楽しめる場を設けて欲しいと言われても、そうした配慮をしないのは直接差別や合理的配慮の問題と言えるのか。マスコミのように公共性のある情報や生活の基本に関わる情報を伝える場ではない場合はどう考えるか。
- (発言)今のコンサートの例では、情報の発信及び受信だけではなく、コンサートを開きそこに出席して聞くことについて契約をするかどうかという自由も問題になる。契約をしない自由があることを考えると、自分の演奏を誰に聞かせるかは私が決めるということも不可能ではない。しかし、これでは問題が複雑になるので、まずは契約の自由が問題にならない例を考えるべきだろう。
- (発言)日本国籍を持つ人に限定したコンサート等は契約の自由という観点からどうなるか。
- (棟居部会長)ゴルフの会員権に関して類似の事件があった。ゴルフクラブは趣味のための集まりなのでどのような要件を設けるかは自由だとして、日本国籍を要件としていた。外国籍の方が正会員に登録されなかったため争ったが、主張は認められなかった。
- (発言)私的自治という意味では契約は自由だが、民法はそれが公序良俗に反する場合は違法だと制約している。雇用も私的自治なので誰を雇用するかは自由だが、差別をしてはいけないという制約が前提であり、その上でどのような場合に私的自治を制約してでも利益を守るべきかが問題になる。コンサートの例では、レクリエーションにおける障害者の権利と主催者の音楽表現の自由の比較衡量が問題で、この場合は私的自治が優先され主催者が勝つかもしれない。しかし、雇用や教育等契約の中でも権利性の高いものに関しては提供する側の自由は制約されるだろう。情報提供はあらゆる場面で保障されるべきだが、そのことがどのような権利を実現するのかということと、情報を提供しないこととを比較衡量して、提供しないことが差別に当たる違法なものかどうかを判断するべきではないか。集会・シンポジウム、講座・授業等も広く公開しているものは、主催者側への義務付けがあるのではないか。地区の会合等も町内会の誰もが参加できるなら、住民である障害者にも保障すべきだということになるだろう。
- (発言)聴覚障害のある方は日本映画でも字幕がないと楽しめないが、映画制作者は画面の雰囲気を壊すから日本語の字幕を付すのはだめだと言う可能性がある。バリアフリー映画祭等の形で障害者だけを集めて特別に上映する場合も、製作者が「うちの映画は扱うな」と言う可能性がある。障害者が映画を楽しむことと表現の自由のどちらが優先するのかが問題になる。また、映画館や野球場で障害者が席を選択できるようにするには、新たに席やアクセスの経路を作らなければならず費用がかかるので、過度の負担が問題になる。過度な負担がない限り、受け入れられるものは受け入れて欲しいというのが障害者側の考えだろう。
- (発言)ある自治体では集会やシンポジウム等の際も手話通訳や要約筆記は無料で派遣されるが、別の市町村では負担軽減の制度がないため主催者側にとっては相当な負担になる。このような経済的負担への配慮は確保されるべきで、更に検討が必要だ。震災以降、マンション等で障害者を含めた避難時の対応の訓練が行われているが、電動車いすの方がこの訓練への参加を拒否されたという事例があるが、これは車椅子を利用していることを理由として最初から排除していることになる。様々な場面を考えた時にマスメディア等は義務になるだろうが、それ以外は状況によって努力義務になるものもあるだろう。
- (発言)人種差別や女性差別が多くの国々で禁止されているのと同様に、障害に基づく不利益な扱いは何の問題もなく差別なので、これはしてはいけない。しかし合理的配慮が関わってくると相手に抗弁が認められるし、サービスの本質を変えることを合理的配慮として求めることはできない。障害のある人の権利と相手側の義務のバランスが大切になる。
- (棟居部会長)アメリカの電子書籍は、書籍をダウンロードして音声に変換できるので、視覚障害のある方も読むことができる。音声入りの電子データも入手できるとのことだ。日本では著作権が問題になり、IT技術の力でバリアを除去するところまで議論が進まない。
- (発言)日本では読みたいものの音声版を作るのが一般的だが、アメリカでは無料のソフト使い、文字情報を音声に自動変換して情報を得ている。情報伝達はIT技術によって急速に発展、改善されていくことが予想される。大事なのは、障害のある人もない人も格差なく情報確保の機会を十分保障されなければならないという理念を掲げ、その実現を図ることだ。
- (発言)情報の発信側に障害者差別等を理由として一定の義務を課すと、発信側の表現の自由や意見表明の自由等への制約になる。憲法学では表現の自由が重視されているが、問題は生じないのか。
- (棟居部会長)表現の自由は大事だが、意見が障害者に伝わるよう配慮するための手段や方法への制約は、意見の中身への制約とは異なるので、憲法上問題はない。外国映画は字幕付きで見ているが表現は制約されておらず、字幕によって伝える手段が変わったに過ぎない。
- (発言)手段が制約されることで、発信しにくくなる可能性がある。負担の重さによっては、本来発信できた表現ができなくなる可能性もあるので、そう単純ではないのではないか。
- (棟居部会長)確かに字幕を付ける予算がない場合等は、映画を作ること自体を断念する可能性もあり、そうなると内容が制約されることになる。この場合は安く字幕を使えるサービスを国がどのように支援するのかという政策論になる。字幕を付けなければいけないことになれば、字幕サービスの需要が大量に生まれ、値段が安くなる可能性もある。
- (発言)芸術的建築家が自分の芸術観に基づいてつくった建物に障害者が入れない場合、表現の自由との関係でどのように考えればよいのか。
- (発言)公衆に開かれている建物で一定規模以上のものはアクセスを保障しないと建築確認がおりないので、そのような建物は現実には建てられない。映画等の提供側には映画製作側と映画館側の2段階あり、情報保障はどちらが担当するのかが問題になる。字幕を画面に付すのは映画製作者側だが、画面に入れず必要な人にだけ字幕を届けるクローズドキャプションという手法もある。提供側が何段階もある場合にどう扱うのか考えなければいけない。
- (発言)コンサート等ではレクリエーションにおける障害者の権利よりも主催者の音楽表現の自由が優先され主催者が勝つかもしれないとの発言があったが、それは違うだろう。文化を享受する、文化活動に参加するという面からみれば差別そのものだ。映画については、映画館または上映主催者の義務と製作者の義務を分けて整理しないと混乱する。電子化された図書等についてはソフトが発達してきており、日本語も音声化できるようになった。ただ、音声によるインターネットへのアクセスができないことに関する外国の裁判例では、視覚障害者が負けた事例も勝った事例もあり、問題はそう単純ではない。
【議事 教育の分野における差別禁止について】
- (東室長)教育に関する現行法について説明する。学校教育法施行令22条の3には特別支援学校での教育の対象にすべき障害の種類と程度が規定されている。ただし、これに該当しても市町村教育委員会が小中学校で適切な教育を受けることができると認めた場合は認定就学として例外が認められる。つまり、障害の種類と程度で就学先が分けられる原則分離の制度となっており、差別禁止の観点から見ると障害を理由とする区別や排除と言える。教育に関する法制度について、イギリス、フランス、イタリア、スウェーデン、ニュージーランド、アメリカ、韓国を比較した。各国の就学先決定は、地域の通常学校に入学することを原則とし、特別の学校に就学する場合は障害の程度や内容だけでなく、一定の要件がそろうことを条件に挙げている。差別禁止法については、イギリス、スウェーデン、ニュージーランド、韓国では、障害児の教育に関する差別の禁止規定がある。フランスに関しては、2008年法で障害を理由にした差別について教育を含め禁止している。各国の法制度はインクルーシブ教育の規定が教育に関する法律に設けられており、これとは別に差別禁止法がある。この2つの仕組みが備わってインクルーシブ教育が保障されている。以上を踏まえ、<1>対象とする教育や学校の範囲、<2>どのような行為を差別と考えるか、<3>教育における合理的配慮はどのようなものか、について議論していただきたい。
- (棟居部会長)委員提出資料「教育における差別禁止条項案」を参照しながら進める。
(上記<1>について)「教育における差別禁止条項案」では「学校の設置者その他教育に関わる団体または個人」を対象としているが、このようなとらえ方でよいか。
(上記<2>について)「教育における差別禁止条項案」では授業だけではなく「修学旅行のほか学校等がその教育に関して行うすべての活動」の場面で「障害のある人(子ども)の参加を、障害を理由に、区別、制限、排除、または拒否し、もしくは、保護者の付添いを条件とするなどの不利益な取扱い」が差別とされているが、このようなとらえ方でよいか。
(上記<3>について)「教育における差別禁止条項案」では「(1)適切な情報伝達方法の提供、(2)利用可能な物理的環境の提供、(3)必要な人員の配置、(4)その他当該障害のある人(子ども)が当該学校等における教育に完全に参加するために必要な教育環境、方法及び内容の変更と調整」を合理的配慮の中身として書いているが、このようなとらえ方でよいか。
- (発言)差別禁止法の対象を「あらゆる教育に携わる者たち」としてはどうか。「教育における差別禁止条項案」では学校はすべて対象で、その他予備校や個人経営の塾等も含め教育に関わる団体と個人を広く網羅した。また、1項で入学を求めた時は拒否してはならないとし、2項で入学後の学校行事等あらゆる教育について書いている。
- (発言)対象者として学校、学校設置者は問題ない。私塾は教育に入れるのか役務に入れるのか議論があるが、差別禁止法の対象にするのはよい。総論で差別は不均等待遇と合理的配慮の否定だとした上で、各論で学校と設置者が何人に対しても障害を理由としてしてはいけない差別を具体的に列記すると分かり易いのではないか。
- (発言)確かに、入学・転学・卒業等差別が起こる場面を具体的に明記した方が分かり易い。
- (発言)重度障害者は特別支援学校に行くということで、違う取扱いで就学決定をするのはおかしい。どの学校に入るかは障害の有無に関わらず本人と家族に決める権利がある。教育学的な立場と差別禁止や障害者の権利がごちゃ混ぜで議論されがちなので、この部会では教育論よりも差別禁止という観点で議論をして頂きたい。対象範囲については、義務教育はもとより高校、大学、専門学校等あらゆる教育に関係するところを含めるべきだ。合理的配慮としてはノートテーク、介助、設備の改善等が求められるし、分かり易い教科書や教科書の点字版等も必要だ。通学も義務教育段階では学校側の責任ではないか。インターネット等の活用や教員の訪問によって在宅で学ぶことも含め、その人に合う教育方法を選択できることが必要だ。
- (東室長)障害者権利条約25条5項では高等教育、職業訓練、成人教育及び生涯学習について書かれているが、ここには一般の職業訓練も含むと考えるか。障害者の職業訓練というと福祉的就労の場が主で、一般の職業訓練学校に行ける人が少ないという現実もある。
- (発言)一般の職業訓練も含めるべきだと思う。障害者訓練校という選択もあり得るが、能力があり合理的配慮を提供できるならば、一般の訓練校も入学させるべきだ。
- (発言)訓練は技能訓練だけではなく職業教育も含んでおり、そこから障害のある人が排除されないようにするべきだ。障害者の職業訓練を雇用促進法だけで考えるのではなく、職業能力開発促進法等まで範囲を広げて対応するべきだ。
- (棟居部会長)職業訓練を教育の主目的にするべきではなく、学校では共に学ぶ。しかし、保護者や本人が職業訓練を希望する場合には、学校の外にそのための施設をつくるという理解でよいか。
- (発言)障害者の訓練は障害者職業訓練校という狭い領域での訓練が中心だが、通常の職業訓練や職業教育に障害のある人が入れるように配慮をすべきだ。教育的なインクルージョンと職業的なインクルージョンはセットの考え方だ。障害があれば特別支援学校が当然だということになっているが、本人が希望し適切であれば、通常のプログラムの中で訓練や生涯教育を受けられる仕組みにすべきだ。
- (棟居部会長)「どのような行為を差別と考えるか」についての議論に移る。
- (発言)「教育における差別禁止条項案」の2項の「障害を理由に」は「障害を理由とすると同時に障害に関連する事柄を理由に」とした方がよい。合理的配慮以外の差別類型を不利益処遇としてまとめることができると考えるが、この不利益処遇に関して、障害者差別禁止法では障害者の権利と相手側の義務とのバランスを適切にとる必要がある。相手側が「正当な目的の達成に相応な手段」を証明すれば違法な差別にはならず、また相手側が障害を認知不可能であった場合にも、違法な差別にはならない。(以下、英国平等法の行為準則を参照しながら事例の説明。委員提出資料69ページ参照。)
- (東室長)「教育における差別禁止条項案」等で「入学」とあるが、これは自分が聾学校、盲学校、養護学校に行きたいと望む場合には、差別には該当しないという前提でよいのか。
- (発言)その通りだ。本人が求めた時に、与えられない場合が差別に当たる。
- (発言)「教育における差別禁止条項案」1項で、「入学を求めたときは、障害を理由に、これを拒否してはならない」とある。知的障害のある子が入学したいと希望した時に、合格点に届かない場合でも障害を理由に拒否してはならないが、4項の「教育の目的を達成しえない」という理由で落とされるという理解で良いのか。
- (発言)義務教育以外の大学等では入試の点数に達しないという理由で不合格になっても差別に該当しない可能性がある。その場合も、合理的配慮をすれば点数に達する可能性があれば、合理的配慮をしなければならない。合理的配慮を尽くした上で達成できない場合には、差別には当たらない。
- (発言)知的障害の場合、点数が取れないことが障害に起因しているので、点数が届かないため落とすのは障害に起因した理由で落とすということになるのではないか。合理的配慮を尽くすと言うが、入学試験の段階では大学が合理的配慮を尽くして教育成果が上がるかどうかというのは判断できない。合理的配慮は入試の場面では言えないのではないか。
- (発言)大学入試に当たって知的障害のある子には、本人の要求を受けて合理的配慮を尽くすべきだ。その上で、そこでの学習を保障できない時に拒否するのは、差別に当たらない。義務教育、幼稚園、高校の教育については、別途の判断があるだろう。高校は準義務教育だと考えているので、すべての合理的配慮を尽くしても学習を保障できないとするのは、限りなく小さくなる。高校に関しては、知的障害のある子も就学可能な状態になっているのではないか。
- (棟居部会長)日本国憲法26条の「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」は全国一律の機会均等、つまり到達度を揃える観点からの教育だと理解されてきた。しかし「その能力に応じて」の「その」をパーソナルな個人だと考えると、「等しく教育を受ける」は到達度を揃えることではなく、教育の機会を等しく与えられることになり、いろいろな点数、特徴、個性の子どもが同じ場所で、それぞれ学べばよいということだ。
- (発言)適正基準という考え方があり、物事の本質に関わることは変更しないでよい。大学入試で、知的障害があってもなくても特定の点数で合格すると決める時には、この点数が適性基準になるため、到達すれば合格になる。義務教育では適正基準の内容は変わるだろう。物事の本質に関わることについて学校側に変更を求めることはできないだろう。
- (棟居部会長)教育における合理的配慮はどのようなものかについて議論を続けたい。
- (発言)<1>合理的配慮は(あ)決め方・やり方の変更、(い)物理的形状の変更、(う)補助手段の提供 の3つに区別できる。<2>過重な負担を伴う場合に、学校側は合理的配慮を提供する必要はない。<3>学校関係活動と異なる活動について合理的配慮は必要ない。<4>学校側は合理的配慮として試験の内容等の適性基準を変更する必要はないが、試験時間の延長など試験の仕方を変更する必要はある。ただし試験時間がその試験の本質的部分を構成する場合は延長する必要はない。<5>学校は、障害のある生徒のための特定の合理的配慮の提供が他の生徒に甚大な問題を与える場合には、それを提供する必要はなく別の合理的配慮を提供する必要がある。<6>学校は合理的配慮の費用を生徒・親に請求できない。<7>障害のある生徒と親は、その生徒の障害の存在・性格を内密に扱うことを学校側に要求する権利を有する。
- (東室長)先の「教育における差別禁止条項案」では合理的配慮として「適切な情報伝達方法の提供」等と書かれているが、今示された案では「決め方・やり方の変更」等という書き方になっている。
- (発言)「適切な情報伝達方法の提供」を3つの区分で説明すると、「(あ)決め方・やり方の変更」と「(う)補助手段の提供」を提供する義務を負うということだ。
- (棟居部会長)障害者の情報アクセスに関する合理的配慮は、一般社会と教育現場とでは異なるのか。
- (発言)イギリスの合理的配慮は「物事のやり方、決め方の変更」「物理的形状の変更」「補助手段、補助サービスの提供」という3つの構造をもつ。そして情報について「物事のやり方、決め方の変更」「補助手段、補助サービスの提供」が問題になる場合はアクセシブルな様式で提供すべきだと明文化されており、教育機関、公務遂行者、使用者等に義務を課している。日本の差別禁止法に取り入れる場合も、基本的には同じだと考えている。
- (発言)合理的配慮に関して、我が国の判例を紹介する。(委員提出資料中の「原則共学保障と合理的配慮に関する裁判例」参照)障害者権利条約が採択される前の2005年の判例で、公立幼稚園の入園拒否に対して仮の義務付けで入園した初めてのものだ。裁判所は「地方公共団体としては、幼児の保護者から公立幼稚園への入園の申請があった場合には、これを拒否する合理的な理由がない限り、同申請を許可すべきであり、合理的な理由がなく不許可としたような場合には、その裁量権を逸脱又は濫用したものとして、その不許可処分は違法になると解するのが相当である」「障害を有する幼児に対し、一定の人的、物的な配慮をすることは、社会全体の責務であり、公立幼稚園を設置する地方公共団体においてもこのような配慮をすることが期待される」と述べている。保護者側が教諭の加配を主張したのに対し、幼稚園側は財政不足を理由として、まさに「過度の負担」と言える抗弁をした。これについての裁判所の判断は「幼児にとっての幼稚園教育の重要性や、行政機関において障害を有する幼児に対してできる限りの配慮をすることが期待されていることなどにかんがみれば、地方公共団体が、財施上の理由により、安易に障害を有する幼児の就園を不許可にすることは許されない」というものだった。この判断の過程は、障害児の就学、入園等に関して一般化できるリーディングケースだ。これは就学前教育の事例だが、就学前と高校については準義務教育化している。義務教育であれば無条件にすべての国民に保障しなければならない。
- (発言)本人の求めがある場合はろう学校、盲学校、特別支援学校へ行くこともあるだろうが、学校教育法施行令で異なる取扱いがあることを我々は問題視している事をおさえて欲しい。
- (東室長)制度自体が原則としては分離することになっており、推進会議ではこれを変えるべきだという意見が出された。これについては文部科学省の方で検討して、結論が出されることになる。ここでは、差別禁止として教育分野でどう書くかが問題になる。
- (発言)先の「教育における差別禁止条項案」には「学校の設置者および学校等は、前項の合理的配慮を提供することが過度の負担であることを証明したとき、もしくは合理的配慮を尽くしてもなお本人の教育目的を達成しえないことを証明したときは、1項・2項に規定する責務を免れる」とある。一方、委員提出資料69ページの提案では、不利益処遇の例を示しつつ「不利益処分に当たるものを正当化できた場合を除く」という言い方で、例外を規定している。この両者の衡量事由は同じなのか。
- (発言)差別を不均等待遇と合理的配慮の2類型とし、前者には正当化の抗弁を認め、後者はそれと別個に過度の負担という抗弁を認めるという切り分けをしている。不均等待遇については、正当な目的があり達成手段として適切であることを相手方が証明すれば、違法な差別は発生しない。合理的配慮については、それが過重な負担であること、もしくは物事の本質を変更することを相手方が証明すれば、違法な差別は発生しない。両者の内容は違うと考えるが、これ以上の説明は宿題にさせてほしい。
- (発言)委員提出資料中の「労働雇用分野・教育分野における合理的配慮について検討すべきこと」は重要だが、これについては議論するのか。
- (発言)前回の厚労省と文科省へのヒアリングで、合理的配慮の位置づけ等について我々とすれ違いがあることが明らかになった。「労働雇用分野・教育分野における合理的配慮について検討すべきこと」はすれ違ったまま進めていいのかという重大な提起なので、まとめて議論させていただきたい。
- (発言)合理的配慮について確認したい。聴覚障害者が手話によるコミュニケーションを求めた場合に、手話を理解できない者が筆談などその他の方法を求めても不利益取扱いには当たらない。障害者が求める通り手話を提供するのが望ましいが、現実には即座に提供できないことがあるため、合理的配慮の内容に障害者の要求が反映されないケースが生じる。そこで、障害者差別禁止法の下で義務を負う主体に、事前に改善を義務付ける必要がある。この「事前的改善措置」は合理的配慮とは概念的に区別するべきだ。
- (棟居部会長)今の意見は、前回のヒアリングで文部科学省が示した「基礎的環境整備」とつながる印象がある。厚生労働省や文部科学省へのヒアリングでは、権利性が意識されていないのではないかという危機感をもった。
- (発言)厚労省や文科省において、我々と全く別のことを議論しているのではないだろう。現状の学校制度や障害者雇用施策をどう障害者権利条約に近づけるかという点では発想の出発点は違うが、権利条約に基づく差別をなくす社会づくりという点では対立するものではなく確認のための議論ができていないのではないか。また、我々が教育について議論した内容を文科省の人たちがどう受け止めるのか、どこに発想の違いがあるのか等発展的に議論をする場面を準備して頂きたい。
- (発言)厚労省の考え方には事業主の義務も明記されている。ただ、刑罰法規や準司法的手続のように判定的な形で行わないという点は考え方が異なる。司法的効力を持つ差別禁止法になれば、これを使って司法手続きを進めることは当然できる。合理的配慮について労使間で話合いをすべきというのも悪いことではない。合理的配慮の中身についての厚生労働省の考え方も、今日提案されたイギリスの3類型を考慮している枠組みなので、同じような議論だ。
- (発言)合理的配慮は個別に対応するのに対して、事前的改善措置は子どもの将来性を前提とした措置だということか。
- (発言)合理的配慮は個別的で、かつ当事者からの要求の後で相手側に義務が発生するという意味で事後的だ。事前的改善措置は、サービス提供者等があらかじめ障害種別を考慮に入れて合理的配慮を整備しておくというものだ。
- (発言)事前的改善措置とイギリスの予測型合理的調整は違うものか。障害に関わる障壁を減らすための標準化のラインと、事前的改善措置の内容や義務はどう違うのか。個々人の障害にかかわるニーズを、事前に把握し理解できない場合もある。事前的改善措置の範疇やアクセシビリティー基準との整合性はどうなるのか。
- (発言)イギリスの平等法で言う予測型合理的調整と事前的改善措置は同じものをイメージしている。事前的改善措置は、障害者一般のニーズを事前に満たすように教育機関やサービス提供者が環境を整備しておくことだが、それを怠ることで障害者一般に実質的不利が及び、特定の個人が実質的不利を被ってしまった場合は、違法の差別が発生し、個人の権利に結び付く。合理的配慮を要求しなくても差別が発生したと提起できるのが特徴だ。
- (発言)公立幼稚園の入園拒否の判例に関して、仮に私立の幼稚園であれば過重な負担はネガティブな判決になると考えられるか。ホームヘルパー養成講座のように行政から補助金が出ている講座でも知的障害のある人の受講を拒否する場合があるが、公的な費用が使われている場合に受講生についての制限は許されないという規制が必要だ。
- (発言)私立でも、私学助成という公的な補助があるという意味では同じだろう。職業教育についても、同様に考えるべきだろう。
- (東室長)差別禁止法は私人間の権利関係を明確にする必要がある。行政に対する事業者の義務ではなく、障害者個人に対する相手方の義務になるため、そこから請求権が発生する。この点は総則規定で明確に触れる必要がある。事前的改善措置はバリアフリー基準等との違いが問題だ。必要性は誰も否定しないが、差別禁止法に、これをしなくても差別にならないものを盛り込むという点で、差別禁止法の守備範囲に関する大きな論点だ。仮にこれを含めるならば、各省庁がやっている、もしくはやるべきことを、差別禁止法に含めることになる。
[以上]
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