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障がい者制度改革推進会議 差別禁止部会(第18回)
議事録
○棟居部会長 定刻になりましたので、これより第18回「障がい者制度改革推進会議差別禁止部会」を開催させていただきます。
差別禁止部会は、傍聴希望の方に所定の手続を経て公開しております。また、会議の模様は、インターネットを通じても幅広く情報提供いたします。
なお、御発言に際してのお願いとして、発言を求めるときは、まず挙手いただき、指名を受けた後、御自身のお名前を述べられてから、可能な限りゆっくりと御発言いただくようお願いします。
本日の会議は、18時までを予定しております。
それでは、東室長から、委員、オブザーバー及び専門協力員の出席状況と資料説明をお願いします。
○東室長 どうもこんにちは。担当室の東です。よろしくお願いします。
本日の出欠の状況でありますが、本日は浅倉委員、山崎委員が御欠席でございます。竹下副部会長が14時30分ごろに御到着の予定です。その他の委員、オブザーバー、専門協力委員の皆さんは御出席です。
本日の議事は、障害女性に関わる差別についてヒアリング及び検討というところです。
15分の休憩を2回とることとして、3つのコーナーに分けて議論いたします。
第1のコーナーは60分ほどを予定しております。前半の30分で複合差別の背景等につきまして、関西大学社会学部教授の加納恵子氏から報告をいただきます。
続きまして、後半の30分は、「障害のある女性の生活の困難-人生の中で出会う複合的な生きにくさとは-複合差別実態報告書」につきまして、DPI女性ネットワークの米津知子さんから報告をいただきます。
第2コーナーも60分でございます。最初の20分は、障害女性にかかわる差別についてということで、大野更紗さんから報告をいただきます。
続いて、残りの40分で、3つの御報告に関する質疑及び討論をいたしたいと思っております。
続きまして、第3コーナーでも60分を予定しております。障害者と性(家族も含む)に関わる論点について議論を行ってまいります。
以上が今日の予定でございます。
続きまして、資料の確認ですが、まず、資料1は加納恵子氏提出資料となっております。
資料2は、DPI女性障害者ネットワーク提出資料ということになっております。
資料3が、大野更紗氏提出資料でございます。
資料4は、障害と性(家族も含む)に関わる論点でございます。
続きまして、委員提出資料が4つございます。一まとめにはしてありますが、4つございます。
順番に申しますと、浅倉委員、池原委員、太田委員、大谷委員、川島委員、5名の委員による「障害と性(家族も含む)に関する論点」への共同意見書ということになります。
2番目が、浅倉委員、太田委員、川島委員による共同意見。障害のある女性に関する独立した条項を設ける必要性についてということの改訂版でございます。
3番目が、浅倉委員提出の複合差別についての資料でございます。
4番目が、川島委員提出の法案骨格私案(2012年5月11日版)ということです。
それに、お手元にあるかと思いますけれども、当日配付資料が2つあります。1つは、今日、ヒアリングを予定しておりますDPI女性障害者ネットワークから出していただきました毎日新聞の記事であります。DPI女性障害者ネットワークが調査したものが新聞記事になっております。
続きまして、広報「はちおうじ」ということで、八王子市の広報があります。開いていただきますと、2ページから5ページまで、今年の4月1日に施行されました「障害のある人もない人も共に安心して暮らせる八王子づくり条例」といったものが紹介されております。御存じのように、条例につきましては、これまで千葉県をはじめ、北海道、岩手県、熊本県、市のレベルで言うと、さいたま市でできておりましたけれども、6番目の条例としてでてきております。
最後に、参考資料1ということで、障害女性に関連する国内法、条約、各国法の抜粋ということで挙げさせていただいております。
以上が今日の資料でございます。御確認のほどお願いいたします。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。
それでは、議事に入らせていただきます。
第1コーナーは60分です。前半の30分は、複合差別の背景等について、関西大学社会学部教授の加納恵子氏から御報告をいただきます。加納さん、よろしくお願いします。
○加納教授 皆さん、こんにちは。関西大学社会学部の加納恵子です。今日はよろしくお願いいたします。
私の部分は、今日のレジュメ、資料1にございますけれども、「障害者差別と福祉支援-忘れられた「障害女性」の存在-」というタイトルで一応レジュメを用意いたしました。
ちなみに、資料の中身ですけれども、レジュメとして4ページまでが今日の御報告の簡単な項目となっております。
そして、5ページからは、既に出版済みの『女性福祉とは何か-その必要性と提言-』ということで、こういう本なんですが、その中で、過去に、2004年でございますけれども、女性障害者問題を読み解く、特に女性身体規範をめぐってという形で1つの論文を載せておりますので、それを参考にということで、資料の16ページまでつけております。
更に、最後の17ページ、18ページの資料は、皆さん御承知の『ノーマライゼーション』4月号に、特集「自立支援法に代わる新法への期待」ということで、「またもや挫折!?-複合差別からのレッスンを生かせ-」というタイトルで若干の提言を書かせていただいております。それも資料としてお付けしておりますので、また後ほどでもお読みいただければと思います。
それでは、早速、1ページからのレジュメに沿って御報告させていただきます。
私の担当のところは、後半で米津さんの方から実態調査の詳しい報告がございますので、その前段としての背景整理ということで、これまで私が女性障害者問題をどう社会学的に、あるいは、社会福祉学の立場から読み解くかというような枠組みをお示しするということで御報告をしたいと思っています。
「はじめに」というところに書かせていただきましたが、「わたし」の物語から「わたしたち」の物語へとあります。
私自身、2歳半でポリオに罹患いたしました。それ以降、右上肢全廃、左下肢に障害が残り、現在、中年を迎えまして、ポストポリオ症候群と第2ラウンドを格闘している当事者でございます。
私が研究を志したころには、障害者福祉等につきまして、アカデミック作法としては、研究主体に障害のあるなしということは極めて隠された客観的な立場をたもつということがアカデミック作法のいろはでございましたが、今はむしろ、自分語りの威力、当事者研究というものの重要性が認められるという時代になり、こうした政策部会ということも構成されていることをうれしく存じております。
さて、そうした当事者の中でも、本日の議題である女性障害者、あるいは障害女性、これはちょっと用語の問題がございますけれども、私の論文の関係上、女性障害者という呼び方で進めさせていただきますが、当事者の中でも、とりわけ声の小さいグループのセルフ・アドボケートのつもりで、今日は女性障害者問題に光を当てた報告ということになります。
簡単に申し上げますと、1の<1><2><3>というふうに整理をしましたが、女性障害者問題を考える今日的な意味と申しますのは、社会学的に考えますと、現代社会を問うという意味で、<1>の近代社会の規範である能力主義、それが具体的にジェンダー化された、能力主義がジェンダー化された女性障害者の問題を読み解くという意味で、セクシズムとの関係がございます。
そして、女性×障害というダブルハンディというものは、ただ単に1+1が2というダブルではなくて、むしろ複合差別的な、「ダブルバインド」という言葉を使いましたが、何と申し上げたらいいんでしょうか、昔、公害問題のときに複合汚染という言葉がございましたが、さまざまな公害、化学反応を起こし、複合的な汚染が起こるというような表現として「複合」という言葉があったかと思いますが、そういう意味で、単純に1+1が2ではない深刻な差別/排除、生きづらさ、生活の多問題、そういったことを引き起こしている状況であるという認識のもとで、女性障害者問題を位置付けているわけです。
時間の軸で、第1段階、第2段階というふうに、先行文献等も参考にしながら説明しておりますが、まず、第1段階、子どもの時代といいますか、まだ性を意識しないで済む時代、無性の時代があったとします。そこから、第二次性徴、具体的には産む性としての性を具体化する第2段階ですね。そこでは、岸田美智子・金満里の著書にあります、タイトルにありますが、私は女である!『私は女』というふうに宣言をした段階で、女性障害者ですが、その段階で、非常にこの社会にあるジェンダー・バイアスや性差別の嵐に向かうということになります。
具体的には、結婚、婚姻、出産等をめぐっての女としての能力が問われる。生殖であったり、ケア能力が問われることになるわけです。こうして、性的存在の承認ということは、女性障害者にとっては性差別の脅威に身をさらすことをも意味するわけです。そういう意味では、ダブルハンディというよりも、より複雑なダブルバインド、二重拘束状態に宙づりにされているというふうな疎外状況に置かれていると理解できるのではないでしょうか。
しかしながら、生きるということのたくましさを、こうした、「行くも地獄とどまるも地獄」という状況の中で、どうせ行くのなら突き抜けるというような逆説的な解放ストーリーも語ってくれている仲間がおります。それは、93年の『障害者の福祉』という『ノーマライゼーション』の前身の雑誌でありますけれども、そこに報告されているような田上みどりさんの物語であります。彼女いわく、中途障害ですが、障害を負うこと、障害者になることで、女をおりることが許され、これまで執拗に追いかけてきた女性としての抑圧、そういったものから解放される。ようやく晴れて自分らしく生きることができるようになったと晴れやかに自分史を語ってくれているわけですけれども、なかなか実際にはこのように突き抜けていける女性障害者というのは希有でございます。その手前のところで非常に生きづらさを感じ、辛い思いをして日々送っているという、サイレント・マス、大多数の静かなる当事者たちがいるということでございます。
以上、こういった中で、社会における女性障害者の位置、あるいは女性障害者を生きることの困難を整理いたしますと、簡単に3つの社会規範に縛られているのではないかと思うわけです。1つは、性的対象物としての美、美しさということの規範。2つには、産む性としての健康な身体。そして、3つ目に、ケア役割としてのケア倫理といったものです。
こうした社会規範、我々にとっては呪文にも似たようなものですけれども、多くの女性障害者たちは、この規範を成長段階で内面化し、非常に自己評価を低め、卑下し、自他ともに、女性としての価値の低い存在、あるいは女性としての価値のない存在として、積極的な主体的な性をあきらめてしまうという状況にあると思います。悲観的、否定的という状況にあります。それを田上さんなど勇気のある人たちは、ありのままの自分を生きてみようというふうに逆説的に提示をしていくわけです。
次に、2に移らせていただきますが、特に、近代社会規範としての能力主義がジェンダー化されるということで、女性身体規範ということをめぐって、少しお話をさせていただきたいと思います。
タイトルは「『正統な身体』とプロクルステスのベッド」というふうに、ちょっと発音も言いにくいんですが、これは、ギリシャ神話のアナロジーです。身長の高い旅人の足をプロクルステスがベッドに合わせてちょん切ってしまうという神話があるわけですけれども、そういった事態が、今、この近代社会の中で女性身体に起こってきているのではないかということの警告でございます。
正統な身体とは何かということであるわけですけれども、バレリーナやスーパーモデル、アイドル、あるいは最近マスコミなどで言われ始めている美魔女、9号サイズ神話、痩身ダイエット、次のページ、美容整形、エステティック、アンチエイジング等々ですね。最近のドラマでは、「クレオパトラな女たち」であるとか、少し前には美のコロシアム等、整形に関する「ビフォー&アフター」をある種のショー仕立てで見せた、容姿の変容そのものが人生を変えてしまうドラマとして示している文化を象徴しております。
このことから何を学ぶか、読み解くかということですが、女性身体というのが、矢印のところですけれども、非常に可塑的な素材(マテリアル)にならされている。つまり、美を開発や発展や善というふうに、よきものという公式のもとで、産業の投資する対象として、マーケットとして、欧米資本とその文化・男性意識によって、あらゆる産業と密接に関連しながら、世界規模でマーケット化に成功している。女らしさの制度が社会規範化して威力をもち出すと、現代の医療・産業技術を投入して、人工的な身体の美の矯正が進行し、女性身体は限りなく可塑的な素材して扱われはじめる。これは諸橋さんの論考です。
こういうような状況が今の近代社会に進行している中、では、女性障害者たちの身体というのはどういう扱われ方をしているかということが<2>のところで示しております。
女性障害者の身体というのは、開発的な女性身体の「規格外」であります。「戦力外通告」を受けているということになるでしょうか。せいぜい医療技術の対象マテリアルとして、正常な身体に近づけるべく、これまで整形・リハビリされてきました。
少々言葉が過ぎるわけですけれども、私も左足の手術をしていただき、足の長さをそろえ、歩くことには非常に助けになりますけれども、ともかく正常な身体にそろえる。そういうような方向で、「目指せ、健常な正統な身体!」というメッセージを受けてきたわけです。
女性障害者の聞き取り調査、伊藤さんの報告などでもありますが、悲劇としては、女性障害者たちが異質なもの、価値のない者あるいは低い者として、単純に優劣の劣位に置かれるだけではなく、「無性のもの」としてどこにも位置付けられなかったことです。自他ともに、今で言う婚活、就活の想定外として、特に親たちから、タブー視され、永遠の子どもでいてほしい、寝た子を起こすなといわれてきました。
若干時間の関係もございますのではしょらせていただきますが、次のところは摂食障害に関わっての論考を紹介しています。ここで申し上げたかったことは、一般的な女性身体の危機といいますか懸念と、それから、女性障害者の身体をつなぐ意味で、摂食障害の研究というものが役立つということで、ここで示しております。
簡単にここでは「自己定義権」について。浅野さんが、その患者が自らの状況や自己を定義する権利やパワーを剥奪されている状況にあり、家族、医者、カウンセラーの診断を含めて、自分たちの力を残念ながら奪っていくような非常に否定的な解釈、それは、援助、支援という名のもとであっても、残念ながら否定的な解釈に包囲され、ますます摂食障害から抜け出せないでいる状況というふうに解説をしています。
そういう意味で、性の具体化という身体で苦しんでいる女性障害者たちが、どうやって自分の身体を、そして自己を定義する権利を取り戻していくか、尊厳を回復していくかということの課題を示すヒントになるのではないかということでございます。
次に、3のところも若干時間の関係で、現在の非常に厳しい福祉切り詰めといいますか、バックラッシュの経緯を説明した排除型社会の進行というところですので、ここは省略させていただき、3ページの4の具体的な福祉支援の問題点を指摘することで、私の報告を終えたいと思います。
特に、現在、ウェルフェア・ステートからワークフェア・ステートというふうに言われますように、福祉国家が揺らぎ始め、就労支援、自立支援への寄り添い型という形での福祉支援シナリオというものが展開されています。寄り添い型、伴走型の支援、当事者に寄り添っていく支援ということは、ある意味で、これまで我々福祉援助論者たちが主張してきた部分を認めていただきソーシャルワークの相談機能を、ようやくここにして評価をいただいたというふうに高く評価できるところではあるんですが、しかし、社会の状況、つまり、この排除型社会にいる中での福祉支援の機能ということを考えた場合、なかなか楽観視できるところにはいないということです。
単純に言いますと、今の厳しい社会に適応をしていく、「この社会に合わせて生きていくしかない」と。あるいは、せめて適応しやすい状況に能力をたかめ、開発をし、トレーニングをして、社会に接続していく、参加していく。そういった支援シナリオであるということです。
勿論、排除や差別、剥奪をされた状況からは、不確かな接合、あるいは不十分な社会参加であっても、そういうチャンネルがつながるということが重要ではあるわけですけれども、しかし、それは、正しく当事者たちの権利、人権等の認識のもとでの支援であるのかどうか。そのあたりが不十分であるという認識をもたざるを得ません。そうした状況から、昨年度の障害者虐待防止法制定へとつながったと思います。
そうした中で、ここで伝えたいことは、福祉の現場での矛盾といいますか、問題点として1点挙げるとするならば、簡単にこの図で示しましたけれども、プログラム、今、差別禁止部会のような形で、政策形成のプロセスで政策をつくり、制度化していくという上へ向かう矢印ですが、そこから一定制度化され、サービスとして、今度は具体的に下りてくる、つまり福祉サービスとして下りてきた段階に「福祉支援」ということで強調されるときには、その前提となる「人権」といったものよりも、あるいは、その人権を云々する「差別問題」と認識するセンスよりも、その人が抱える「生活問題」、つまり、「生活ニーズ」を測るということから「支援シナリオ」をスタートしていくという運びになるわけです。となれば、その人に起こっている多問題、支援困難なケースというものは、その背後にある社会問題がその個人の生活次元に発現しているといった認識、これは「社会モデル」ですが。制度改革審議会が訴えている社会モデルではなくて、「生活モデル」ではあっても相変わらずの「個人モデル」にとどまる、そうした理解の上での支援シナリオになってしまっているということです。そのあたりをどのように変容するかということであるかと思います。
最後に、時間がそろそろきておりますので、4ページの最後のところで、ソーシャルワークの限界というふうに示しておりますけれども、こうした意味でのミクロ次元での家族システム、家族制度、あるいはもう少し大きなマクロ次元での雇用や経済社会システム、制度次元、そういったそれぞれに内蔵された性別格差、能力格差による差別構造を不問にしたまま、さまざまなシステム群の「最大の適応状態」を福祉支援の最大のレベルと功利主義的に評定して、システムの再調整を試みるというシナリオに、残念ながらですけれども、全体としてとどまっているということを、私たち福祉関係者も反省せざるを得ないと思うわけです。
そこで、そのものを補うためのオルタナティブの思想として、セルフヘルプであったりセルフケア、<3>のところに当事者主権への反転という形で、女性解放運動思想家としての上野さんと障害者解放運動思想家としての中西さんが非常にわかりやすく岩波新書で「当事者主権」ということを述べられておりますが、ここでは、結局、「専門家主義への対抗」として当事者学の発信の意味を、「公共性を組み替える」と述べられています。つまり、これまでの代表制・多数決民主主義の「最大多数の最大幸福」という功利主義的な公共性理念を、むしろ平均、標準(Mサイズ)ではなくて、「最大ニーズをもつ最後の一人」に合わせた制度設計、これこそを「ユニバーサルデザイン」と呼ぶとして、公共性の組み替えを主張されているとおりです。この最大ニーズをもつ最後の一人のその特定集団として、障害のある女性に光を当ててほしいと思うわけです。
決して複合差別は女性障害者だけが受けているものではございません。特別扱いを求めているのでもありません。むしろ、複合差別の典型的な集団を明示するという意味で、女性障害者問題を条項化して明示することで、ほかの複合差別問題への牽引や啓発の役を担えるのではないかと思っている次第です。
以上です。
○棟居部会長 どうもありがとうございました。
それでは、続いて、後半の30分はDPI女性障害者ネットワークの米津知子氏へのヒアリングで、「障害のある女性の生活の困難-人生の中で出会う複合的な生きにくさとは-複合差別実態調査報告書」について、御報告をいただきます。米津さん、よろしくお願いします。
○米津氏 米津です。よろしくお願いいたします。
DPI女性障害者ネットワークは、1986年に発足しました。障害女性の自立促進を目指しています。現在では、各地の障害女性のグループや個人とゆるやかなネットワークでつながって、国内や時には海外にもいろいろな情報発信をしています。国内のさまざまな施策に対して、提言や問題提起なども行ってきました。
私たちは、障害女性が受けている差別は、障害をもつことによる差別と、性の違いによる差別が複合していると考えています。障害者権利条約もこの認識をもって、第6条に「障害のある女性」の項目を設けました。私たちも障害者基本法改正のときに、こちらの障がい者制度改革推進会議に提言を送り、障害をもつ女性の項目ができるように働きかけました。第二次意見にはそれが取り入れられました。大変心強く思いました。恐らく日本の障害者施策の中で、ここまで女性について言及したというのは初めてではないかと思われます。でも、残念ながら基本法の改正にそれは反映されませんでした。
この経験から、私たちは、障害女性の状況が社会的にはまだまだ知られていない。法律による救済を必要とする困難な状況が今も数多くあるということを、データをもって私たちが明らかにしなければいけないということを痛感しました。
そこで、昨年、私たちは調査を行いました。「障害のある女性の生きにくさに関する調査」です。当事者からアンケート、聞き取り、それから、都道府県の公式サイトを見て、DV防止計画と男女共同参画計画についても調査をしました。その調査の結果がこれです。「障害のある女性の生活の困難・複合差別実態調査報告書」というものを今年の3月に発行しました。
今日は、この中から、特に差別禁止という観点で大切だと思うことについてお話をします。性的被害、介助、性と生殖、就労と収入について、そして、こうした問題に施策が対応していないのではないかということについてお話をしていきたいと思います。
まず最初に、性的被害についてお話しします。
前回17回の部会では、ハラスメントについての議論が行われました。私も傍聴していました。性的被害というのはいろいろな形があります。それぞれのケースが差別と言うべきなのか、ハラスメントなのか、あるいはハラスメントだとして、それが差別禁止の枠組みにどう位置付けられるのか、議論はさまざまあると思います。しかし、どう解釈する場合でも、障害女性にとって性的被害はとても重大な経験、そして解決すべきテーマです。
私たちの調査に対して、回答の中で一番多かったのが性的被害に関するものでした。私たちの調査は自由記述ですから、人生の中で感じた困難な経験を書いてくださいというふうにお願いしました。性的被害は経験しましたかという質問はしていません。それでも、回答者の約35%が性的被害を経験したということを書いてきました。職場で上司から、学校で教師から、福祉施設や病院、職場、介助者から、家庭の中で親族から、さまざまなところで被害が起きています。こういう場所は、障害女性が簡単に立ち去ることができない場所です。嫌でも居続けなければいけない所です。そして、加害者は立場の強い人たちです。これだけを見ても、たとえ犯罪に該当するような被害を受けても、そこから立ち去り、あるいは訴えるということがどれほど難しいか、わかっていただけると思います。そして、障害女性が経済的自立が難しいということも、この問題を大変深刻にしています。
幾つか回答を紹介します。ここでは十分に読み上げることができないので、どうぞ皆さん、今日の資料をお読みになってください。
ある人は、授産施設に通う送迎バスで、私は自分で乗り降りできますと言っているのに、毎回男性スタッフが体に触る。
ある人は、マッサージ師として働いている職場で、休憩中に上司と2人きりになると、後ろから抱きつかれる。
母親の恋人と同居している人は、その彼がお風呂の介護をしてくれるんだけれども、体を触ってきて、とても辛い。それをお母さんに訴えるんですが、信じてもらえない。
義理のお兄さん、あるいは実のお兄さんからの被害という訴えもありました。
もう一人、職場における性的被害について書かれた方がいます。この人は、たくさんの企業に就職を目指して断られ、ようやく得た職場が、彼女がそれまで持った仕事の中で一番条件がよかったそうです。でも、職場の中で女性は彼女一人。派遣社員という身分でした。でも、彼女は子どもも育てなければならないので一生懸命働きました。こういうケースというのは、軽度の障害女性がよく置かれる状況です。そして、彼女は上司から性的な被害を受け、会社に相談しましたが、相手にされず、勇気をもって裁判を起こしましたが、認められなくて、現在、最高裁に上告しています。そして、会社からは、雇止めの通告がありました。こういう状況に多くの障害女性が直面しています。
次に、介助についてお話しします。これは性的被害ともとても近くにある問題です。男性が女性の介助をする異性介助の問題がとても深刻だという回答がたくさんありました。障害者の運動は、同性介助を求めてきました。これは、女性には女性を、男性には男性をと機械的に割り振るというものではなくて、介助を受ける当事者が安心できる人からの介助を選べるということを求めているものです。そして、女性からは、同性介助の希望が非常に多いのです。その理由としては、今、加納さんもお話になりましたが、女性の体がどういうふうに見られているかということも関係があると思います。
介助というのは、身体接触、体に触られる、触るということがとても多いものです。そういうことは、また性的被害を受けるリスクとも隣り合わせだということです。そして、女性の体が鑑賞の対象になったり、商品として価値付けられるという意味を残念ながらこの社会では持たされている。そういうことから見ても、女性が男性から受ける介助にとても違和感をもち、リスクが高く、とても脅威で苦痛だということを是非理解していただきたいと思います。
介助という職種は、女性がついている割合が非常に高いそうです。この分野で働く人の80%以上が女性です。でも、病院や施設では、最近は男性の介助従業者も増えています。そのことから、病院や施設の中における異性介助が問題だという回答が寄せられています。
介助の問題は、時々医療と比較されて、例えば、男性の医師が女性の患者を診る場合もあるじゃないか。介助のときにはどうしてそれがだめなのかということをおっしゃる方もいます。でも、医療と介助は違うと思います。介助は、たとえ病院の中にいたとしても、日常生活を支えるものです。ですから、医療と介助はやはり分けて考えていただきたいと思います。
筋ジストロフィーという障害をもっている女性で、国立病院に入院中の方からこういう回答がきています。一番辛いのはトイレの介助です。男性職員が来るとき、嫌だとはなかなか言いにくいんですけれども、でも、女性の方と変わってもらえますかと言うと、女性の看護師さんが来てくれます。だけど、しょっちゅうこんなことを言われたら、私たちの仕事が増えて、男性の仕事が少なくなる、職場が成り立たなくなるから規則に従ってほしいと言われてしまうそうです。最近はお風呂も男性が入れる病棟も増えてきて、とても辛いと彼女は言っています。
もう一人の筋ジストロフィーの女性の回答ですが、彼女は、こういう病院の異性介助をとても辛いと感じて、今は自立生活をして、同性介助を受けています。でも、病院にいたときの経験として、トイレが時間が決まっている。人間はいつトイレに行くかわからないのに、職員の都合で時間が決められて、人間扱いしていないというか、物を扱っているみたいな、というような経験をしたと書いています。
筋ジス病棟に限らず、例えば、施設で障害女性の入浴介助を当然のように男性職員が行っていたという回答もありました。性的被害のリスクや、鑑賞される体というのは、障害のない女性にとっても問題です。でも、障害のある女性の場合は、トイレに行くときに、そのたびに男性の目を意識しなければならない。はらはらしてしまう。そういう経験もある。その苦痛を時にあきらめなければならない。こういう状況にあるということを考えていただきたいと思います。
次に、性と生殖についてということでお話しします。
私たちの調査に、優生保護法のもとで優生手術を強制されたという回答がありました。それから、子宮摘出を勧められたという回答もあります。優生手術というのは、優生上の理由で妊娠できなくさせる手術のことです。これを自分は行われたという人、あるいは自分は子宮を摘出されたということは、当事者がこれまでも言ってきましたが、公的な調査はこれについて行われていません。私たちは民間ではありますが、調査の回答に本人が自分の経験として書かれたということは大変意義があると思います。
こういう回答だけではなくて、私はたまたま見たテレビ番組ですが、4月20日、Eテレの「ハートネットTV」という番組で、今、子育てをしている障害者の人たちが出演していました。一人親の女性と、2組のカップルですが、妊娠したとき、周りから中絶を強く勧められた体験を語っていました。まさに今も障害者、特に女性の性と生殖の健康と権利がとても脅かされています。
回答を紹介します。優生手術を受けたという方ですが、この人は、10歳代だった1963年頃に優生手術を、自分は納得していないのに受けさせられたということです。
もう一人の方は、生理が始まった中学生のころ、お母さんから、生理はなくてもいいんじゃないのと言われて、それは子宮を取るという意味だったそうです。結局、この人は取ることはしませんでしたけれども、言われただけでもとても嫌だったと言っています。
そして、40代の女性は、妊娠したとき、医師と母親から堕胎を勧められたと言っています。この方は、ほんの5~6年前の経験です。
こういう状況の下地となっているのが、名前をさっき挙げました優生保護法ではないかと思います。この法律は1948年から96年、つい最近までありました。この法律は、障害をもつ人が生まれてこないことを、出生を防止するということが目的の一つになっている法律でした。そして、障害児を産む可能性のある人に、本人が同意をしなくても、医師の申請だけで優生手術、不妊化する手術を行うことができるという規定がありました。その条文に基づいて、1949年から96年までの間に、1万6,477人が優生手術を強制されました。その中の約7割、1万1,313人が女性です。このことについては、1998年の国連人権委員会が日本政府に対して、こういう強制不妊の対象となった人たちが補償を受けられるようにしなさいという勧告をしました。この件に関しては、DPI日本会議の働きかけがあったということを思い出します。でも、日本政府は、この勧告に対してもまだ何もしていません。
さっき、性的被害のこと、それから、介助の問題を見てきました。性的被害のところでは、障害女性が自分が望まない形で性をもつ存在として扱われて、性の被害、性的被害に遭っています。でも、介助では、性のある存在だということが無視されて、性のない存在、時には物のように扱われています。そして、生殖、子どもをもつことについては否定される。この、一体障害女性って何なんだという状況が、障害女性の状況です。女性としての尊厳が奪われている。そういうことを私たちは本当に憤りをもって訴えたいと思います。
私たちが言いたいのは、障害者が圧力や強制を受けずに妊娠、出産できるようにしたいということです。そして、子どもを望まないときには、障害に応じて使うことができる避妊法を開発して、性や、子どもをもつ、もたないに関して、ちゃんと教育をしてほしいし、情報、そして手段が得られるようにしてほしいということです。これは、権利条約の23条でも言っています。障害をもたない人の性と生殖が必ずしも満たされているわけではなくて、今も子どもを育てるのにとてもお金がかかるので、子どもが欲しい、2人目、3人目も欲しい。でも産めないという人はたくさんいます。でも、障害者、障害女性は、そこの水準にも達していない。どうかこの問題について、機会を同等に与えられるように、そのことを社会がしっかり認識してほしいと思っています。
次に、就労と収入についてお話しします。
私たちが行った調査の回答からは、就労を希望する女性がとても多い。でも、それが社会的に理解されていないという状況が見えます。そして、今の社会が、男性が働いて稼いで、女性は家で養われて家事をするという性別役割分業がまだとても強いなということを感じます。
障害女性は、自分は結婚できないんじゃないかと思わせられてしまうことが多いので、働いて自分で食べていこうと考える人がたくさんいます。私もそうでした。そういう人が就労を希望しても、とても条件が悪かったり、なかなか就労できない。賃金が低い。不安定な条件ということになりがちです。そういう不安定さにつけ込む形で性的被害が多いということもさっき申し上げました。回答を幾つか紹介します。
ある企業の面接で、うちは障害者は要らないんだよ。一応面接くらいはしないといけないのでしたけれど、男性で見た目もわからない障害だったらいいんだけどなと言って断られたという回答があります。
それから、障害女性なんだから、無理して働く必要ないんではないかと言われた人もいます。
こういう状況は、事故で障害をもったことの補償にも男女差という形であらわれます。ある回答者は、10代の後半で事故で片足を失いました。でも、まだ彼女は働いてもいなかったんですが、逸失利益は男女の就業や賃金から割り出されるので、男性であった場合に比べてとても低い賠償額になったということです。
私たち以外の調査も見てみたいと思います。国立社会保障・人口問題研究所が2005年から2006年にかけて「障害者生活実態調査」というのを行いました。東京の稲城市と静岡県富士市で行ったのですが、この調査で「仕事がある」と回答した人の割合は、一般男性の約9割。一般女性の6割強、障害男性の4割強、障害女性は3割弱です。年金や手当も含む単身世帯の年間収入は、平均すると一般男性が400万円で、どんどん半分、半分みたいに下がっていって、障害女性は92万円です。年金や手当てを含まない就労による収入を見ると、障害女性の半分が50万円未満。7割が99万円未満です。ここに年金を受け取ったとしても、とても自立した生活を営むには、余りにも少ない金額です。
では、こういう障害女性の状況に対して、国の施策はどうなっているのかということをみたいと思います。
私たちの調査では、男女共同参画計画とDV防止計画について、47都道府県の施策を検証しました。国は、男女共同参画基本計画というものを立てます。一番新しいものは、2010年の12月に出た第三次の計画です。この中には、障害女性を含む複合的な困難をもつ人たちについて課題を書き込んで、これを解決する必要があるということを、今までの計画に比べると非常にたくさん書かれています。また、DV防止法、これは配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律というのですが、これが2004年に改正されました。この改正で、障害がある被害者への配慮も含めた基本的な方針というものが定められました。ただ、こうした計画があるにもかかわらず、具体的な施策はないというのが私たちの調査で見える現状です。
男女共同参画施策の中では、障害女性のためという施策もあるんですが、それが例えば、盲女性の家庭生活訓練事業、つまり、障害女性が家庭の中に限定した生活訓練を受けるというもので、男女共同参画というものに果たしてこれは合っているのかという疑問も残るものがありました。
最近どんどん改訂されていく、こういう計画の中には、確かに障害女性に対して対応が必要。この課題を解決していなければならないということが書かれてはいるんだけれども、そのニーズに対して、社会的な課題として具体的に対応していくという政策は、残念ながら本当にない。あっても非常に少ないんです。
DV防止計画はどうかというと、障害がある被害者が想定されているにもかかわらず、それがどういう実態なのかということはデータが示されていません。つまり、DVの被害を受けている人の中に、障害をもつ人がどのくらいいるかということが知られていません。相談窓口にたどり着けていない障害者がたくさんいるのではないかということも心配されます。それは、施設にバリアがあって、身体障害の人が入れないとか、視覚障害の人に点訳の資料がないとか、あるいは聴覚障害の人にはノートテイクや手話の通訳が必要なんだけれども、それが十分に保障されていない。そういうことで、相談にすらたどり着けない状況があるのではないかと心配しています。
そして、非常に問題だと思われるのは、障害をもつ女性をDVから保護する施設として、一般の人はシェルターというところに保護されます。ここは、たとえ加害者が自分の連れ合いがここに入っているんじゃないかと聞いてきても教えません。押しかけてきても入り口で中に入れません。セキュリティがあるわけです。でも、障害者は、そういう施設にバリアがあって入れないことが多いので、福祉施設に送るという計画をもっている自治体が多いんです。これがどう問題か。つまり、セキュリティがないので、聞いてきたら教えられてしまうかも、いるということが伝わってしまうかもしれない。そして、押しかけてきたら、防止するガードもないわけです。守ってもらえません。そして、一応福祉施設に行けるんだからということで、シェルターがバリアをなくしていくという機会が遅れてしまっています。このように、女性に対する施策は、障害女性が直面している問題に非常に対応していません。
では、障害者施策はどうでしょうか。残念ながら、障害者施策は性による格差に認識がありません。2011年の障害者白書を見ますと、巻末に統計表が19あるのですが、その中で性別集計をしているのは1つだけです。性によって障害者の中でも格差があるということの認識がない。だから、集計も多分行われないのでしょう。それでますます性により格差があるということが知られていないので、施策も行われないという悪循環になっていると思います。
結果として、障害女性は、合理的な配慮を受けることができなくて、障害のない女性と比べても、障害男性と比べても、不均等な待遇を受けています。介助のところでもお話ししたように、障害女性の尊厳を害する行為が行われています。これを差別と認めて、障害者差別禁止法に他者との平等を担保するための条文を是非入れてほしいんです。障害者権利条約が6条に設けたように、「障害のある女性」という項目をつくってほしいと思います。そして、文章としては、障害をもつことに加えて、性別によって格差が生じていることを認識して、これを是正する配慮を行うべきと、だれが読んでもわかるように書いてもらいたいと思います。性別に配慮だけだと、さっき出てきた例みたいに、ああ、男の人は就業したいのね、女性は家庭責任があるねと読んでしまう人も市民の中にはいるかもしれません。だから、はっきり格差を是正するんだよとわかるように書いてほしいんです。
障害女性の困難の多くは、これまで社会的に認識されない、あるいは無視されることがとても多かったと思います。障害女性は、自分たちの力で努力して、自分の人生を生きてきました。格差に対処してきました。一人ひとり、障害女性は決して弱くないんです。でも、こういう格差を乗り越えるために、たくさん力を使わなければなりません。教育を受けたり、就業したり、人と関係をもったり、自分のため、社会に対して使いたい力を、まず格差を乗り越えるためにいっぱいそこで力を使わなければなりません。こういう問題について、もっと社会全体が認識をもって対処してもらえるように、強いスポットライトをこの問題に当ててもらいたいと思います。
障害者差別禁止法は、これができれば、差別を受けた人が裁判を起こすことも可能にすると聞いています。でも、更に、法律に書かれることによって、ああ、これは差別なんだ、こういうことは障害女性に対して差別になるんだということを法律を読んだ人がわかって、これをやめていこうという社会的な規範というのでしょうか、世論が動いていくということも、法律がもっているとても大きな力だと思います。
今日お話ししてきたことを、この部会の皆さんがしっかり受けとめてくださって、私たちは、条文をつくるという専門性はありませんけれども、ここにいらっしゃる皆さんが、障害者差別禁止法の中に、どうしたら障害女性のための条文をつくることができるか、そのことにどうぞ知恵を集めてくださって、実現してくださるように期待しています。
どうもありがとうございました。
○棟居部会長 米津さん、どうもありがとうございました。
以上で第1コーナーを終わります。
なお、予定の時間より少し早めにお二人のご協力によりスムーズに進行しておりますので、今、私の時計では7分を指しておりますけれども、15分間の休憩をとらせていただきまして、15時22分あたりをめどに再開させていただきたいと思います。
(休憩)
○棟居部会長 それでは、再開します。
第2コーナーは60分です。
最初の20分は、障害女性にかかわる差別について、大野更紗氏から御報告をいただきます。大野さん、よろしくお願いします。
○大野氏 大野更紗と申します。
恐らくこの中では一番若輩者です。私は1984年生まれの、昭和59年生まれで、現在27歳ですので、委員の皆様方や推進会議の皆様方にとっては、ほとんど孫か娘かぐらいの年齢かと思います。ですので、専門家ともほど遠く、政策提言の特殊な言語の使い方にも慣れておらず、かなりラフな感じでお話しいたします。その点に関してはどうか御容赦いただければと思います。
本日の議題は、女性障害者の差別についてなんですけれども、私が本日用意してきました資料は、「難病の置かれている現状について」というものでございます。本日、このような資料を用意した自分の思いというか、立場上、最初に少し申し上げますと、自立支援法から新法に切り替わるときに、「難病」という文言が新法に入るわけなんですけれども、難病患者、難病と一言で一括りに語ることはできないような、非常に多様な複雑な現状が難病患者の方たちは抱えていらっしゃるわけです。私は、自らの立場性としては、一難病患者としてお話しいたします。資料を参照しながらお話しできればと思います。
途中で、今日、余り体調がすぐれないので、少し息継ぎをしたりとか、それから、休憩を入れたりすることもあるかと思います。お聞き苦しい点、聞きにくいとき、あるかもしれませんけれども、それも御容赦、御寛容いただければ幸いです。
難病の現状ということで、まず、難病患者に対する施策というものは、これまでは基本的に厚生労働省の医療政策の枠組みの中で、難病対策という枠組みの中で、難病患者というのは基本的には研究対象としてとらえられてきて、福祉や就労支援といった社会福祉制度の対象としては扱われてこなかった。今日まで、研究対象としての扱われ方にとどまっているという現状がございます。
戦後の難病対策の流れを、図で非常にラフな形でここで御説明しておりますけれども、まず、難病対策の3つの柱として、第1に、調査研究の推進ということで、これは、医学的な調査研究ですね。難治性疾患克服研究事業等の研究補助ということで、これは研究対象として。第2点に、医療施設等の整備ということで、治療を行うために医療施設を整備するという施策があります。それから、これは、当事者たち、患者に直接関わってくることですけれども、医療費の負担が非常に重いわけですね。特に、私を個人的な例にして申し上げますと、私は、自己免疫疾患と通称呼ばれるような、膠原病ですとか、そういったたぐいの難治性疾患に罹患しているわけですけれども、病名は皮膚筋炎という病名と筋膜炎脂肪織炎症候群皮という病名が2つ付いております。
私の自己免疫疾患系の難病の特徴というのは、難病というのは、文字どおり原因がわからない。原因が究明されていない。そして、治療法が確立されていないので、対症療法で病体を押さえ込んで、自らの生存というか、ADLの状態を持続させていくしかないわけですけれども、その治療行為の過程において、365日、常時医療的ケアを必要とします。私の場合は、それは薬ですね。自己免疫疾患は、自己免疫のシステムが暴走する病気ですので、これを対症療法として押さえ込むために、免疫抑制剤のたぐいであるとか、あるいはステロイドのたぐいを対症療法として常時服用します。
私の場合ですと、現在、毎日、今日の朝も薬を服用して、昼も服用してきたわけですけれども、これを途切れさせることができないんですね。途切れさせるとどうなるかというと、生命の危機に陥る、ショック状態に陥る。こういう状況下に置かれる中で、医療の中で、医療の側と密接にこれまで関わらざるを得なかったというか、そういった難病患者の方々の非常に特殊な、障害者という中でも、難病患者の特殊性というか、特徴というのは、常時医療的ケアを必要とするというところにあるのかもしれません。
それから、難病施策ですけれども、医療費の自己負担の軽減などについて、すべての施策についてなんですけれども、研究対象としての難病対策の特徴というのは、これは、疾患で区切りをつけられるんですね。現在、2011年時点において、難治性疾患克服研究事業の対象となっているのは364疾患。つまり、病名で分けられているわけですね。そのうち医療費助成、通称特定疾患ですね。これは後ほど御説明いたしますけれども、医療費助成を受けられるのは56疾患しかございません。そのため、難病患者というのは、難病を発症した後に、自らの病名、疾患の名前が、まず研究の対象として指定されていなければ、医療費助成や福祉サービスといった制度の対象にはならない。難病対策上の難病に指定されない難病については、何の制度の対象にもならないという現状があるんですね。
例えば、慢性疲労症候群という病気があるんですけれども、これは、364疾患に指定されていないんですね。該当していないので、慢性疲労症候群と診断された患者さんは、この病名がついているがために、医療費の助成すら受けられないということ。そういう現状がございます。
それから、難病対策の中で、研究対象として難病に指定されているものの中にも、利用できる制度というのは格差があって、研究以外のどちらの対象になっていない疾患もたくさんあるのですが、これが慢性疲労症候群ですとかなんですけれども、この難病対策の枠組みの中で、福祉サービスとして実施されている、難病患者等居宅生活支援事業、難病患者等ホームヘルプサービス事業なども、名目上は難病対策の枠組みの中で存在するんですけれども、ほとんど利用実績がありません。運用実績がありません。平成22年度で利用実績は315人。難病患者への就労支援施策についても、平成22年度で133件。雇入れ件数が136件。全国規模で見ると、非常に限定的な、熱心な自治体しか難病対策の枠組みではこの施策をしてくれないという現状があります。
私自身も、東京都在住なんですけれども、自己免疫疾患の通称SLEという、全身性エリテマトーデスという疾患があるんですけれども、その難病患者の方が難病患者等ホームヘルプサービス事業を使いたいとおっしゃって、都内のある区の区役所に電話で問い合わせをしました。その方がもう御自分でお話しできるような状態ではなかったので、非常に危篤な状態にあって代わりに電話をしたんですけれども、前例がない、なかなか難しい、ということを言われました。この前例がない、運用実績がないというのは、難病対策の事業では非常にままあることです。
それから、2ページ目をごらんいただければと思います。難病の範囲ということで、そもそも難病とは何なのかというお話を少しさせていただきたいと思いますけれども、国際的に言われているすべての希少性疾患というのは、これは、WHOの推計ですけれども、5,000から7,000疾患ぐらいあるのではないか。これは医学的にも未知の領域ですので、まだまだ研究が進んでいない分野なわけですね。その中で、何千という疾患、病名の中で、研究対象と指定されている難病の病名があって、更にその中での56疾患だけが医療費の助成を受けられるということで、よく「制度の谷間」ですとかいう単語が使われますけれども、難病施策における制度の谷間というのは、病名がつくり出す谷間と言ってもいいのかもしれません。つまり、病名が違うだけで、使える制度や運命、生死が分かれると言っても過言ではないかもしれません。自らの生命維持に、死ぬまで医療的ケアをずっと必要とする、投薬を必要とするのに、医療費の助成を受けられないということは、一生、現在の国民皆保険制度の3割負担で医療的ケアを受け続けなければならないということですから、経済的負担はかくも重くなります。
それから、下の方に移りますけれども、難病に起因して生じる機能障害が身体障害者福祉法における障害等級に該当する場合は、勿論障害者手帳を取得することは可能なんですね。私自身も、再認定の期限付きではありますけれども、現在肢体不自由の枠で、2級の手帳を保持しております。
しかし、このような例は例外的であって、難病の医療費助成制度の対象となっている56疾患の難病、約68万人の患者さんがいらっしゃいますけれども、その中で手帳を保持している方はおよそ20%程度にすぎない。そして、これは手帳制度や現在の判定のシステムの根幹に関わることだと思いますけれども、難病に起因して生じる機能の障害というのは、特定の種類や部位だけでなく、身体の至るところで生じることが多い。私の疾患も全身性の免疫性の疾患ですので、それこそ頭も先から足の先まで、内臓でも骨でも全身にわたって病気が進行するわけです。なので、測ったりすることですとか、固定してその状態を測定することは非常に難しいんですね。なので、難病患者の方々が身体障害者手帳を取得する際に、現在の手帳の判定システムであると、非常に低く見積もられるんですね。
例えば、先ほど私がお話に出した全身性エリテマトーデスのSLEの患者さんは、寝たきり状態となったり、生命の危機に度々陥っているにもかかわらず身体障害者手帳を保持していらっしゃいません。患者さんの中には「肢体不自由では手帳は取れない」とドクターに言われる方もおります。実際、医療の場でドクターにそのように言われると、患者としては身動きがとれなくなります。
よって、実質的に一部の難病患者、私のような障害者福祉制度と難病の対策、それから、さまざまな制度を闘病中に病院の中で熟知して調べるようなクレバーな、制度を自らで使い倒せるようなクレバーな患者以外の方は、ここで振り落とされるわけですね。実質的に一部の難病患者が障害者福祉の対象となっているという実態があるといっても、それをもって難病は福祉制度の対象となっているとは言い難い。というより、それはほとんど言えない。特殊な一部のクレバーな難病患者だけが制度を使えるという状況にあります。
それから、医療の現状について少しお話しさせていただきます。
先ほどもお話ししましたけれども、多種多様な疾患があり、その病体や症状もさまざまで、また、見た目に非常にわかりにくい。周囲の理解が得られにくいということがよく言われます。これは、社会や生活、福祉の現場においてもそうですし、更には、医療の現場においてもこれは例外ではありません。
これは、財団法人北海道難病連「難病患者等の日常生活状況と社会福祉ニーズに関するアンケート調査実施事務局」がつくった「難病患者等の日常生活と福祉ニーズに関するアンケート調査」というものをここで皆さんにごらんいただいているんですけれども、難治性疾患の病名の診断がつくまでに通った医療機関のおおよその数についてのアンケートをここで載せております。最も多いのは「3~5か所」ですね。発症したと思われる時点から実際に診断が確定するまでの期間に、たくさんの医療機関を渡り歩かなければならないわけですね。つまり、診断をつけてくれる専門医の医師にたどり着くまでに、たくさんの医療機関をめぐらなくてはならない。更には、診断名が付いても、そこから数年後、あるいは数十年後というケースも決してまれなことではありません。私も実際に同じ病院に通っている患者さんでそういう方はいらっしゃいます。10年間誤診であったと。30年間誤診であったという方は、これは決して難病の世界では特殊なことではありません。診断がついたと思っても、別の医療機関、別の専門医を受診したら、実はほかの病名が付いた。ほかの難病であったというケースなどもございます。
このように、医療の世界でも診断する医師ですらよくわからないことが多いわけですね。医師ですら、専門医ですらよくわからないことが多い難病では、継続的に治療してくれる医療機関を見つけることすら、非常にハンディが高いわけです。住居から医療機関に要する片道の時間の設問が北海道の患者団体の調査であるんですけれども、ずっとその医療機関に自分の生命維持のために通い続けなければならないんですけれども、診てくれる医師が余りいないので、最も多い回答が「30分未満」ですけれども、この中で「1~2時間」「2~3時間」という方々がこれだけの割合で非常に多くいらっしゃるということは、なかなかの重い現実だと思います。通院する上での課題や不安を抱えられている方も多くて、ここのアンケート結果で、「通院費の負担が大きい」ですとか「近くに医療機関がない」「交通機関の便数が少ない」「医療機関における緊急時の対応が不十分」など、まず、第一義的に医療ケアを必要とするわけですけれども、福祉の手前で。その確保すら、いまだに不十分であるというような実態が次第に明らかになりつつあります。これは、恐らくはもっと大規模な全国的な調査が必要であって、難病の福祉施策を実施していくに当たって、難病の患者さんたちが置かれている現状をもっと丁寧にきちんと、まず調査するという段階から始めなければいけないのではないかなと、一患者として当事者としては思っております。余りにも難病患者に対する知識であるとか、難病患者に対する情報が世論一般、世間一般に足りな過ぎるという実感があります。
難病福祉について申し上げますと、難病患者のQOLの向上やソーシャルウェルフェアには、まず第一義的に医療的ケアが不可欠です。ヘルスケアを包括する必要性があります。ただ、今回、自立支援法から新法に切り替わって、「難病」という文言が入るということに、難病患者の団体や当事者の方々は、大きな期待と大きな不安と両方抱いていらっしゃると思います。医療というのは、かつて難病患者にとって、自らのQOLを支える情報の唯一の集約点であったわけですね。
しかし、医療保険の分野でも、地域包括ケアの政策がスタートしたりですとか、それから、病床の機能分化であるとか、もはや現実の社会や現実の医療の政策が在宅にロンチしているわけですね。在宅へシフトしている。もはや現実は、かつての難病患者のQOL情報を医療が唯一そこに集約されていたという状況ではもはやないわけです。
現在の難病患者の状況というのは、かつて自らのQOL情報の唯一の集約点であった病院が解体されるとともに大きく変動することになります。そこから地域へ、在宅へ。家で住む、家で暮らす、地域で暮らすということに現実が先行して切り替わっていく。その中で、現在の複雑化したシステムの中で、難病患者は途方に暮れているという状況にあるのではないかなと思います。
少し時間をオーバーしてしまって、それから、こういった場で難病の話を体系的に説明することに慣れておらず、非常にわかりにくい点も多かったかと思います。もし御質問や御意見等があれば、補足的にお話をいたしますので、私の意見はこれで終了させていただきたいと思います。どうもありがとうございました。
○棟居部会長 大野さん、どうもありがとうございました。
それでは、残りの30分少々を使いまして、以上3つの御報告に関する質疑及び議論を行います。その手順といたしまして、まず、内容的な、あるいは文章上の表現上の、ここがわからないという確認的な御質問があれば、加納さん、米津さん、大野さん、その順番にお答えをいただきたいと思います。今は確認的な御質問です。太田委員、どうぞ。
○太田委員 加納さんに質問をさせていただきたいと思います。
加納さんのレジュメの1ページに「障害者の福祉」誌で、田上みどりさんの現状のことを書かれています。女性からおりることによって障害者を突きぬけることができたというような話があったように思いますが、それは、肯定的な意味で加納さんは言われたのか、現状の社会に問題があるという意味で言われたのか、少し解釈ができなかったので、補足をお願いします。
○棟居部会長 加納さん、お答えをお願いします。
○加納教授 御質問ありがとうございます。若干説明が不十分だったかと思いますが、この田上みどりさんの逆説的な解放ストーリーを御紹介しましたのは、結局、女性として社会的に生きていくといったときに、多くの性差別といった壁に突き当たってきたと。あるいは抑圧があった。それは、日常生活的に申し上げれば、例えば結婚のプレッシャーであるとか、そういった意味合い、一般的な性役割分業、性の差別的な構造から来るプレッシャーがあったと。ところが、人生半ばにして障害を負うことで、一気にその抑圧から解放されたという、言えば強気の解釈なわけです。
どういうことかいいますと、女として見られなくなったということだと思います。結婚やそういった対象として見られなくなった。そういう抑圧から解放されたというのは、期待をされなくなって自由になったという意味合いのものを、非常に明るく逆説的な解放ストーリーとして自分の人生を肯定的に生きるためにそういうふうに再定義して説明されたと思います。
ですので、最後にちょっと米津さんも説明されましたが、女性障害者が決してとてもバルネラブルで弱い存在であるということを言いたいのではなくて、いろいろなハンディをもってもたくましく生きていく、そういう存在であると。ところが、やはりそういうふうになるまでに多くの抑圧と戦うためのエネルギーを費やすことが問題であり、フェアではないということを伝えたいために、この両方のことを伝えたいために、田上さんのストーリーを紹介した次第です。
○棟居部会長 ありがとうございます。
議論にはまた後で時間をとっています。
○太田委員 再確認です。
○棟居部会長 お願いします。
○太田委員 まだわからないんですが、多くの障害者、障害女性がそういう状況にあると私も認識をしています。それで、女からおりて楽になることはいいことだと思っていませんよね。
○加納教授 そうです。確認ありがとうございます。非常に厳しい状況にあるということをお伝えする趣旨でございます。
○棟居部会長 ありがとうございました。
御回答される際にお名前をお願いします。今、加納さんにお答えいただきました。どうもありがとうございました。
それでは、加納さんについての御確認の質問はもうよろしいでしょうか。
では、続きまして米津さんの御報告に対して御確認の質問はありませんでしょうか。あるいは、その後の大野さんについてはいかがでしょうか。確認よろしいでしょうか。どうぞ、伊東副部会長。
○伊東副部会長 大野さんにお尋ねいたします。
レジュメの5行目にありますが、難病対策で医療費助成と研究協力についての関係ですが、研究協力に対する見返りとして医療費助成その他の福祉サービスがあるとのことですが、見返り関係については、制度の中に明記されているのでしょうか。
○大野氏 ごめんなさい。ちょっと、今、質問の意図をややグリッドに把握できないんですけれども、もう一度お願いできますでしょうか。
○棟居部会長 伊東副部会長、お願いします。
○伊東副部会長 伊東です。
研究協力、研究対象として協力することが条件として、医療費助成、あるいは相談支援などのサービスが受けられるというような条件が明記されているのか、また、もしそうなっていたとした場合に、自分は嫌だといったときにはどうなるのか。何かに明記されているのか、運用上のことなのか、あるいは大野さんが感じておられることなのか、その辺はいかがなんでしょうか。
○大野氏 これは制度上で明記されていることであって、これが実際の医療現場でどのように運用されているかどうかですとか、あるいは、医師の方ですとか、病院のMSWの方たち、ソーシャルワーカーの方たちが難治性疾患の患者さんの方たちにどのようにインフォームドコンセントされているかというのは、個々の事例によって異なると思います。
○棟居部会長 大野さん、お答えありがとうございました。伊東副部会長、よろしいですか。
松井委員、お願いします。
○松井委員 松井です。
加納さんにお聞きしたいんですけれども、4ページの真ん中辺に「最大ニーズをもつ最後の一人に合わせた制度設計を」というふうに書かれておりますけれども、これは具体的にどういうことをイメージされているんでしょうか。
○棟居部会長 今の御質問、御確認は、加納さんに対する御確認ということで、加納さんの資料1の4ページの「最大ニーズをもつ最後の一人に」という4ページの真ん中辺の表現についての御質問ということですね。加納さん、お願いします。
○加納教授 このテキストにおきましては、「最大ニーズをもつ最後の一人」というのは、障害で言えば重度の障害をもつ方という意味合いであるかと。テキストでは抽象的な意味合いで使っておられますが、それをこの文脈で私なりに解釈をすれば、特定集団として、複合差別に苦しんでいる女性障害者の人たちに光を当てる。つまり、こうした人たちに合わせた制度設計をする必要があり、条項に「女性障害者」を明記していただくということでございます。
○松井委員 ついでに、その後で、「ユニバーサルデザインと呼ぶ」と規定されています。これは、最後の一人に合わせた制度設計がユニバーサルデザインというふうに理解されているということですね。
○加納教授 そうですね。つまり、ユニバーサル、普遍福祉といった文脈では、みんなの福祉、多数の人たちを、例えば高齢者福祉なんかを社会福祉の文脈では使うわけですけれども、これまでの貧困対策としての福祉から、普遍的な福祉へというユニバーサリズムというふうな言い方をします。ここで言われているのは、まさにあまねく、だれ一人見逃さないといいますか、そういった意味でのユニバーサルデザインではないかという定義と読みました。
○棟居部会長 今、加納さんにお答えいただきました。
ちょっと私から今ので1点確認させていただくと、ユニバーサルデザインと言うときに、平均とか標準、ここでお書きになっているMサイズを基準にしたユニバーサルデザインではだめだと、こういう御指摘ということですね。
○加納教授 はい。
○棟居部会長 ありがとうございました。
ほかに御確認ありませんでしょうか。よろしければ、残りの時間を使いまして、これからは順不同で、御質問といいますか、意見表明、あるいは議論、勿論お三方、御報告者からの反論も含めてですが、自由に討議をさせていただければと思います。どなたからでもどうぞ。川内委員、お願いします。
○川内委員 川内です。
今の加納さんの資料の4ページのユニバーサルデザインのお話をちょっとさせていただきます。これは、ニーズの分布というのがベルカーブ、正規分布であると考えた場合に、一番端っこの極めて厳しいニーズをもつ人たちというのは、人数も非常に少ないわけですけれども、その人たちを救わずしてどうするんだという意味で言われていると思います。「最大ニーズをもつ最後の一人」というのはそういう意味だと思います。ただし、それをユニバーサルデザインと呼んでもらってはかなり困るというか、それを勿論捨てるわけではないんですけれども、この論というのは、よく、障害のある方が使いやすいものはみんなに使いやすいという論につながりやすい意見で、それは決してそうではなくて、最大ニーズをもつ最後の一人のニーズがすべての人に普遍化できるわけではなくて、それをいかにしてほかの人たちにも恩恵になるように、今まではほかの人たちも気がつかずに、それは何とか使えてきたけれども、本当に使えない人が使えないと言ったときに、それをいかにしてほかの人たちももっと使いやすいような、あるいは住みやすいような環境につくっていくかという工夫がとても重要で、そこがユニバーサルデザインと呼ぶべきもので、それは加納さんがおっしゃっていた、だれも見逃さないという考え方には賛成しますけれども、最大ニーズをもつ最後の一人に焦点を合わせたら、それがユニバーサルデザインになるとは言ってはならないと私は考えています。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。
加納さん、お答えいただきますか。あるいはほかの方でも自由に結構ですけれども。要するに、今の川内委員の御指摘は、そこにはやはりデザイナーのセンスが間に入らないとユニバーサルデザインにはならないと、こういうことですかね。
ありがとうございます。
加納さんもよろしいですか、そこは。
○加納教授 はい、結構です。
○棟居部会長 川内委員は建築のプロでいらっしゃるんです。
○加納教授 わかりました。
○棟居部会長 ほか、御意見等。太田委員、お手をお上げになっていましたでしょうか。太田委員、お願いします。
○太田委員 太田です。
私は、女性障害者をはじめ、複合差別は定義が必要という立場、共同意見書を出している立場から発言をしたいと思います。
実態論として、米津さんがアンケートをもとに話してくださり、それをある程度理論化したお話が加納さんのお話だったように思います。
性的被害ということを米津さんが言われましたが、私、施設に20年ほど前暮らしていて、ちょうど男性職員が女性障害者に性的な暴力行為を働いたということで、私、当時、居住者の自治会の会長をしていまして、そういう事件が訴えられ、発覚し、その職員の処分を園側に要求し、1年ぐらい園側と交渉し、自治会は解雇要求をしたんですが、解雇という形ではなくて退職という形で、自治会としては不満足な形で終わったことを鮮明に覚えています。こういう状況というのは、施設にはよくある話であります。
それも当時の私がいた施設は、居住者同士の交際が自由だったわけで、男性の居住者の求めに応じて、男子職員が、女性障害者が拒否しているにもかかわらず、男性障害者の要求に応じた介護を行ったということが問題となりました。このように、女性障害者、障害女性は、常に男性の意思に振り回されてしまい、すごい生きづらさがあるというふうに思います。権利条約でもそういう歴史的なこと、世界中でもそういう問題があるということで、障害者で複合差別ということが明記されているわけですから、是非日本の差別禁止法でも複合差別の中に障害女性というものを組み入れていくべきだと考えています。障害女性を取れ入れることによって、加納さんも最後におっしゃったように、他の複合差別の問題も考えるようになってくるのではないかと。問題として顕著な障害女性の問題を是非取り入れるべきだと私は思います。
以上です。
○棟居部会長 太田委員、ありがとうございました。
ほかに御意見。松井委員、どうぞ。
○松井委員 松井です。
大野さんに対する質問になってしまいますけれども、大野さん、今日は難病患者の置かれている状況について、全般的なことを詳しく話をしていただきましたけれども、大野さん自身が難病を患っておられ、女性であるがゆえに、男性に比べて非常に苦労されている点というか、女性の立場から見ての問題点、特に一番何が課題なのかということについて話をしていただければと思いますが、いかがでしょうか。
○大野氏 女性という立場性と難病という立場性を両方引きつけて、少し当事者としてお話をさせていただきますと、特に膠原病系、自己免疫疾患系の難病は、罹患される方は女性が非常に多いんですね。そして、これはきちんとした大規模な調査が必要だと思いますけれども、ほとんどの方が、生活するために、生きていくために、配偶者に完全に依存しているんですね。所得もそうです。就労もできないし、医療的ケアを受け続けなければならないし、障害者福祉施策に参入できないとなったときに、男性の配偶者、パートナーに自らの生活を完全に依存するという傾向は顕著にあると思います。
そして、先ほど、DPIの女性ネットワークの方々から報告がありましたけれども、医療現場においては、つまり、病院の中というのは高度に管理された空間ですので、ここで、例えば性差別の問題であるとか、セクシャリティの問題であるとか、あるいはDVや暴力の問題であるとか差別の問題が生じるということは、急性期病床の場合は、現実的には起こりにくい。病院というのは高度に管理された空間ですから。ただし、急性期病床の場合ですよ。非常に高度に管理されていますので。これが長期療養病床とか、また長いところになると、事情は変わってくると思います。しかし、生活の場、社会の場に出てきた場合、男性の配偶者に依存せざるを得ないという現実は、つまり、夫に逆らえない。例えば、自分が難病にかかっていて福祉を受けたい、介助を受けたい、障害者手帳を申請したいと思っても、配偶者の男性に、そのようなことは世間体としてみっともないことであるからやめろととめられると。そういった理由で障害者手帳を申請しないという女性も多くいらっしゃいます。なので、まさに複合的差別というか、さまざまな障害者に対する差別と、女性に対する差別と、難病者に対する差別が複合的に女性の難病患者にのしかかってくるという現状があるように、一当事者として社会にいる中で、それは実感として思って感じていることです。
○棟居部会長 どうもありがとうございました。
それでは、大谷委員、お願いします。
○大谷委員 お三方の話、とてもありがとうございました。参考になりましたし、感動的でした。ありがとうございました。
それで、ちょっと米津さんに質問したいと思います。確かに第二次意見には障害女性に関する意見出しをさせていただいたんですけれども、残念ながら障害者基本法の改正には至らなかった。ただし、医療、施策義務、議員の加入で、防災のこの3か条には、性別という言葉を入れて、従来は性別は意識されていなかったけれども、性別に配慮した医療もしくは性別に配慮した施策義務等々という形で盛り込まれました。
このように、各則に「性別」という言葉が入ったというだけでは不十分で、やはり障害女性という一括りのものが欲しいということをもう少し、どうしてそのようにお考えなのかということを教えていただきたいということと、加えてもう一つだけ、やはり米津さんにお聞きしたいんですけれども、意思決定に関して複合差別があるというのは確かにそうだと思うんですけれども、多少言いにくいか、もしくは聞きにくい質問ではあるんですけれども、障害者団体におけるある種のジェンダー意識によって、いわゆる障害者間における女性差別。特に私たちが見ていても、障害者団体に女性のトップが少ない。いわゆる参画、障害者団体、当事者団体ですら参画が不十分ではなかろうかと思われる事態があるんですけれども、そのことに関しては、米津さんは、これは複合差別ではなくて、どうなのか。そういう問題ではない。ただ共同参画のことを言っておられますので、そのようなことに関してはどのような問題意識をもっておられるのか、ちょっとお聞きしたいなと思います。この2点よろしくお願いします。
○棟居部会長 米津さん、お願いします。
○米津氏 基本法に今まではなかった性別に配慮するということが入ったことは、全くなかったことに比べれば、確かに一歩前進だと言えると思います。ただ、私は、先ほども申しましたが、若干心配がありまして、性別について配慮という言葉を聞いた人が、どういうふうに思い起こすのだろうかと。法律の分野でとても詳しい専門性のある方々は、そういう心配はないのかもしれないんですが、例えば一般市民の中でその言葉を聞いたときに、今、この社会がもっている性別役割分業が根っこのところにあって、そこからの発想で見てしまうのではないか。男女共同参画計画の中で障害女性に対して、盲女性の生活訓練というのが、家庭の中での技術、生け花とか、そういうものも入っているみたいなんですが、そういうものを発想してしまい、では、男性に対しては、恐らく就業できるようにということを思い起こされるのではないか。そういう心配を私はもちました。そして、性が違うことによって格差ができてしまっているということに対して、より着目されやすい言葉で、障害女性に対して配慮、あるいは不均等を正すということがしっかり書かれてほしいと思いました。
もう一つの障害者団体も含めて意思決定の場に女性が少ないということについてどう思うかということなんですが、確かに障害者の世界、障害者団体の中でも、そこはこの社会の縮図ですから、ここの場所でも、今日は私たち女性ネットは5人で座っていますので、女性の数が増えております。意見発表も女性ばかりでしたし。でも、委員としてこの場におられる方は圧倒的に男性が多いですよね。それは障害者団体の中でも同じようなことが起きていると思います。
このことは、障害者団体の中でどうするかということも勿論ありますけれども、やはり基本的に、例えば教育を受けることとか、自分の意思をはっきり表現すること、自分について決めることというところにおいて、女性がもっと自分を大事にして、自分の意見を発表できるということをいろいろな角度からつくり上げていかないといけないことだと思っています。
私は70年代から女性運動の中にいたこともありますが、そのときには、今よりもっと障害者団体も男性の方がたくさんいらっしゃいました。女性も勿論いらしたんですけれども、やはり意思決定は多くは男の方がやっていらっしゃったように見えます。1986年に女性障害者ネットワークができたということは、それに対して、女性も女性の立場から障害をもっているという問題についてももっと発言していくことがあるということでできた。そのとき、私は後から入れていただいたので、初期のメンバーではありませんが、やはりそういう形で少しずつ、女性が自分が発言できる場所をつくっていこうとしています。
男性も恐らくだんだんそのことを理解されてきていると思いますが、広い政策をつくる場所においても、もっと女性が、そして障害に関するところでしたら、障害女性が、例えばこういった部会でも当事者の女性が委員として参画できるような時代になってほしいと。女性がどんどん自分の意見を言える状況を更につくっていきたいと考えています。
○棟居部会長 米津さん、ありがとうございました。
予定の時間、尽きております。御意見ございませんでしょうか。
なければ、以上で第2コーナーを終わらせていただきます。
3人の方々、どうも貴重な御報告ありがとうございました。
それから、休憩後に第3コーナーを行いますけれども、もし時間等許せば、是非お残りいただいて、参加していただければと思います。
以上で第2コーナーを終わります。
ここで15分間の休憩をとらせていただきます。
再開は、16時40分少し回ったところとさせていただきます。
(休憩)
○棟居部会長 それでは、再開します。
第3コーナーは60分で、障害と性(家族も含む)に関わる論点について議論を行います。
はじめに、室長の方から論点整理等をお願いします。
○東室長 担当室の東です。御苦労さまでございます。
女性障害者の問題につきましては、推進会議においても議論をしてきたところであります。当部会においても議論してきたところであるんですが、今日、実態調査ないしは社会的構造をメインに報告をいただいております。そういう中で見えてきた議論といいますか、論点は4つほどあるのではないかと今思っているところです。
1つは、これは前回議論したところでありますけれども、女性障害者の複合差別、複合的な困難と言われるときに、その実態として、性的な被害、こういうのは必ず上がってきます。ですので、ハラスメントと差別の類型をどう考えるのかといったところの整理が必要だというのが第1点で、これは前回議論していただいたところです。
第2点目としては、差別禁止事由として、性差別でもなく、障害差別でもなく、別個の障害女性、女性障害、どっちですかね、障害女性差別という別個の類型を設けるべきかといった点ですね。
3つ目の論点としては、共同意見にもありますように、性と生殖に関する権利というものを差別禁止法という法律の中に落とし込むべきかどうかという論点ですね。
4つ目が、先ほどは差別禁止事由の中に別個の類型をつくるかという論点でしたけれども、最後の論点は、個別分野に性と生殖に関する分野を設けて、そこにおける差別を禁止するかといった論点だと思っています。
2番目の差別禁止事由として別個の類型をつくるべきか、3番目の個別分野として別個の分野をつくるべきかというこの論点は、例えば、韓国における差別禁止法においても、イギリスの2010年法においても、ある程度関係する部分があるところであると思っております。ただ、それぞれの状況、日本の状況とは違いますので、ダイレクトに引き移すということがどうなのかということも含めて議論していただきたいと思っているところです。
それで、具体的には資料4に今日の論点として、最初のハラスメントと差別の関係を除いた部分について出させていただいているところです。
1は、実態としては複合的な差別があるといったことを前提にした場合に、特別な類型として設けるかといった、先ほどの2番目の論点を書いております。この場合については、特別な類型をつくった場合に、障害差別でもなく、性差別でもなく、そういうのを複合した形態という形を新たにつくるとした場合には、要証事実、立証事実をどう考えるのか。そこら辺が非常に大きな論点になろうかなと思っております。
証明の仕方としては、自分が受けた不利益は、障害のある女性が不利益を受けた場合に、この不利益は性差別でもないんだと。障害差別でもないんだと。複合した差別であるということを立証することになるのかどうか。そこら辺も詰めておく必要がある論点だろうと思っているところです。
2番目の権利の話ですけれども、確かに権利条約では、性と生殖と言われる部分のある部分については、一定の規定はありますけれども、全般的な形での権利規定というのは僕はないというふうに思っているところなんですね。そして、その具体的な中身、性と生殖の権利といった場合に、だれに対して何を求めることができるのかといったあたりの中身はほとんど議論されておりません。そこをもしも本当に書けという議論であれば、そこの中身をきちんと詰めた上でないと議論は進まないのではないかなと。そういったところが論点になるかなと思っています。
それと、3番目の性と生殖に関する分野を個別分野として規定するかどうかという論点につきましては、韓国の差別禁止法においては、子育ての部分の問題であるとか、障害女性だけではない部分も入っているのかなという感じがするんですね。ですので、障害女性ということを念頭に置いた場合に、性と生殖といった場合、どこまでの範囲を考えるのかといったあたりを議論していただければなと思っているところです。
以上です。
○棟居部会長 どうもありがとうございました。
それでは、議論に入りますけれども、委員提出資料ということで幾つかのご意見をちょうだいしているんですが、本日、残念ながら多くの意見に参加をされました浅倉委員が御欠席なんですが、先ほど、浅倉、太田、川島、3委員による委員提出資料については、太田委員の方から少しだけ言及があったところです。また後でおっしゃるかもわかりませんが。一番総括的には、委員提出資料という冊子の最初に収録してあります浅倉、太田、池原、大谷、川島、5委員による共同意見書をちょうだいしておるんですが、これについてお触れいただきますか。順番としては。では、大谷委員、もしくは池原委員、どちらでもお願いできれば。大谷委員、では、お願いします。
○大谷委員 大谷です。
とりあえず5人提出共同意見書ということで出させていただきました。述べたいことは、第1には、とにかく複合差別という実態があるということで、その立法の必要性と、そのことを規定する必要性を述べているということです。これは1から4まで理由を挙げましたけれども、そのことを固有に規定しなければ、固有に救済し得ないケースが非常に谷間的にあるのではなかろうかと。非常にレアケースのように思われますけれども、確かにあるのではないかということで例示させていただいています。
ちなみにですけれども、先ほど来から東室長が言っておられるように、別に言葉尻をとらえるわけではないんですけれども、障害差別でもなく、女性差別でもないということではなくて、障害差別でもあり、女性差別でもありというのが複合差別だと思っているんですね。ですけれども、どちらかに、どっちなんだと言われると特定しにくい。一人の人体に与えられた差別に対して、どっちによる差別なのかが判然としない差別が私は複合差別だと思っていますので、差別ではないという言い方にちょっと引っかかりますけれども、そういうこととして、私とすると、第2番目の理由に、判然としない、両方、どちらか特定しがたい理由による差別ということの類型化が必要ではなかろうかと。
それから、3番目の理由とすれば、やはり被害が大きくなるということと、4番目には、特に複合差別の中でも女性と障害、もしくは女性が絡むところに関しては、非常に深くジェンダー意識というものがありますので、差別されやすい類型として救済の必要性があると。ここまでは、私は今日のお話を聞いて、その必要性はもう多くの人が認知し得たかなと思って、あえてもう言う必要がないかなと思うぐらいの気持ちでいます。
ただし、室長からの提案に沿って答えるならば、これをどのような法形式に載せるのかということに関しては、確かにいろいろ工夫が必要かと思っています。各論として載せるのか、差別類型の一つとして複合差別を含むという、差別とは何かという一つの定義の中に入れ込むのか、もしくは全く複合差別一般論ではなくて、障害女性に関して権利条約のような文言、ちょっと規範的な要素の規定の仕方にすぎないかもしれませんけれども、総則に入れ込むということが私は最低限必要だろうと思っております。
それから、第2の論点に関しては、これは私は性と生殖に関する権利に関しては女性だけではないというふうに思っているので、これは男女問わず障害者はもっているものと。ですから、これを権利と言うことに関する抵抗があるとすると、他者との平等に他者と比較してそれが保障されていないということで障害者差別禁止法に盛り込むということは十分可能であるというふうに思っております。
ちなみに、性と生殖に関する権利に関しては、勿論、男性障害者も、先ほどから出ている優生保護法時代における強制不妊は、実は私は正直驚きましたけれども、たしか68%という数字だったと思いますけれども、3割以上の男性がいるということで、やはりかなり強制不妊手術がされたと。断種手術がされたという意味からすれば、障害男性にとっても非常に重要な問題である、ゆゆしき問題であるというふうに思っていますので、このことに関しては是非明記していただきたいと思っております。これが各論において、だれが権利義務なのかということに関しては、若干どういうような規定ぶりが必要なのかということに関して、詰めた議論が必要ではなかろうかという室長からの提案があるんですけれども、私はここは実は個人的な意見としては、ちょっとまだまとめ切れないんですけれども、ただし、やはり性と生殖に関する他者と比較しての不利益取扱いが、施設内もしくは家庭内で行われるということからすると、やはりそのことを想定した各論に規定した規定ぶりというのは難しいのかな、何とか工夫できないかなというふうにはまだ思っております。でも、最低限、総論にそれを意識した、明記した規定が必要であると思っております。
ということで、5人意見は、ざっくりと複合差別に関する規定が必要であると。特に障害女性に関する規定は特出しして必要であるということと、それから、性と生殖に関する不利益取扱いは、男女障害者にとって重要な問題だから、差別禁止法に盛り込むべきであるということをざっくり述べただけですから、規定ぶりに関しては、やはりいろいろな人の意見もしくはケースを紹介しながらやっていくしかないかなと思っております。
ちなみに、2007年、今日は持ってきませんでしたけれども、日弁連案では、実は性と生殖に関する規定に関しては、総則にしか盛り込めなかったということですので、やはり各論に盛り込むには、日弁連案を討議したときも、2007年当時はまだ難しかったかなということで、総則に盛り込みました。自己決定権の中の一つとして盛り込んだ経緯がありますので、御参考までに紹介しておきたいと思います。
以上です。
○棟居部会長 大谷委員、ありがとうございました。
池原委員、何か補足されますでしょうか。
○池原委員 池原です。
現段階で申し上げるのは、かえって議論を混乱してしまうのか、整理できるのか、よくわからないんですけれども、確かに今の大谷委員のお話の中で出てきた複合差別という問題が、やや言葉の遊びみたいな感じがしてしまいますけれども、本件で言うと、障害差別でもなく、女性差別でもない独特な固有の差別というとらえ方をすべきなのか、障害差別でもあり、女性差別でもあるということになるのかというのは、なかなか難しい問題だと思うんですね。
例えば、イギリスの平等法みたいなある種普遍的な差別禁止法であるという前提に立つと、いわば障害差別でもなく女性差別でもない固有の複合差別という、本当は恐らく複合差別というのは、1+1が2になるのではなくて、1+1が3とか4になってしまうという現象だとすると、本来は独特な差別カテゴリーとして把握するというのが、事柄の実態にはもしかしたら合っているのかなと思うんですけれども、ただ、障害差別禁止法という法の切り口から入っていくときは、普遍的に差別を禁止するという法律ではないという建前になってしまうので、何らかの形で障害に関連した差別であるということが言える必要があるのではないかと私は思っているんですね。
それで、そういうふうに考えたときに、障害女性の差別という問題がどういうことになっていくかというと、障害に関連した差別なのだということで原告が訴えていくと、それは別に障害に関連した事由で差別しているのではなくて、別の理由で差別をしているんですと、そういう抗弁が正当なのかどうかということはありますけれども、少なくとも障害差別禁止法の適用によって解決されるべき問題ではなくて、せいぜいいけるとしても、民法の不法行為の一般原則を使うならともかくとして、障害差別禁止法の問題ではないですよという逃げ方をされることにはならないかと。
だから、いわば障害差別禁止法の中で女性障害差別という特別類型を設けることの意義というのは、やや一面的ですけれども、もしかすると、障害に関連した差別というものの立証の困難性というか、あるいはそこから別の理由を立てられることによって、本当は障害に関連性をもっているんだけれども、関連性がないんですというふうに逃げられてしまうことがないような手当てをするというところに独特な意味があるのかなと私はちょっと思っていて、ただ、法技術的というか、技術的な意味では、本当はそれは複合差別という事象を直視して把握しているわけではないんですけれども、障害差別禁止法の中でその問題は解決していかないと、どの法律からも漏れていってしまうということがあるので、取り込んでいくとすると、いわば取りこぼしがないような形の、いわば被告の側のある種の法適用を回避する抗弁みたいなものを、いや、これはそういう理由では法適用は回避できませんよという手当てをするところに独特な意味があるのかなというふうに私は思っています。
○棟居部会長 どうもありがとうございました。
1点だけ確認させてください。それは、例えば、独自の救済手続、救済機関を差別禁止法が仮に設けることができたとした場合、そしてこれは女性障害者差別だというのは、独自の手続に乗っかるという前提で当事者が手続を進行しようとした場合に、差別した側、相手方が、これは女性差別かもしれないけれども、障害者差別禁止法が定めた手続の対象外だと、対象には当たらないという、非常に形式的、技術的な逃げというか、回避の戦術がありうるかもしれない。それをなくすために、女性障害者というカテゴリーを設けておけばなくせるという前提でお話しになっていますよね。本当になくせるんですかね。そういう逃げは。
○池原委員 ありがとうございます。池原です。
それは、いわば室長もお話しになっておられた要件事実というか、いわば女性である障害のある人が何らかの別異取扱いなり、不利益取扱いを受けたんだけれども、それが要するに障害に関連した事由なんだということを争点として争っていくわけですけれども、差別者側というか、被告側が、私は確かに別異取扱いしているけれども、それは全然また障害とは私としては違う理由で、むしろ性別というところに着目してこういう取扱いをしているので、少なくとも障害者差別禁止法とか、あるいはそれに基づく救済機関で解決されるべき問題ではないんですという言い分が成り立たないようにするような要件の組み立てをする必要があると思うんですけれども、今、ちょっとそこまで具体的には。
○棟居部会長 細かい話を聞いてしまって。ありがとうございました。
川島委員、お願いします。
○川島委員 今の点では2つ言えると思うんですけれども、イギリスの結合差別の文脈では、黒人の女性の結合差別の例が平等法の解説書の中で挙がっています。白人の女性は差別されていない。黒人の男性も差別されていないと。そのときに、黒人の女性が不利益扱いを受けたときに、被告側が性差別も人種差別もないんだと主張する場合に、原告側の黒人の女性は結合差別を主張するという話があるんですけれども、そのほかに、より重要なのは、障害女性にとって特有なニーズというのがあると思うんですね。そういうものに対して合理的配慮をするときに、それは単なる障害に基づくニーズじゃなくて、だから合理的配慮をしなくていいんだみたいなことを言われてしまうかもしれないと。障害女性特有のニーズ、例えば、トイレとか、あと、お風呂ですね。そのときに、障害女性ならではのニーズに対して、相手側が合理的配慮をすることは認められないといけないし、それは障害差別という概念よりも、障害女性差別という文脈で規定する方が実効性があると思います。
それで、室長が先ほど4つの論点を挙げてくださって、事前の資料4で3つの論点を挙げてくださったんですけれども、それに対して、浅倉、太田、川島、3名の共同意見の改訂版というのがありますので、それをちょっと紹介させてください。
委員提出資料の5ページ目からなんですけれども、「共同意見(改訂版)の趣旨」とあって、この提案は、障害女性の立場で、アンケートや政策提言に取り組んでいる団体の人たちとともに検討を重ね、作成したと。
障害女性は、「障害」と「女性」という2つの特徴が重なることによって、障害男性よりも不利な立場に置かれることがあります。例えば、障害女性は性と生殖に関する自己決定に関して、障害男性が経験しない差別を受けることがあり、また、機会の平等、社会参加の実現という観点から見ても、障害男性よりも一層不利な立場に置かれることが多いと。これは、先ほど米津さんがお話ししてくださったDPI女性障害者ネットワークの調査研究が資料1にありまして、ここでは中間整理の項目ごとにコメントが振ってありますので、役に立つのかなと思います。
本文に戻りまして、にもかかわらず、障害女性が被る差別は、障害差別の文脈では障害男性の陰に隠れてしまい、女性差別の文脈では「非障害女性」の陰に隠れてしまいがちである。障害女性に対する差別への関心の低さ、そして、障害女性に特有のニーズに対する軽視が、障害女性の不利な立場を更に深刻にさせている。障害女性に対する差別の問題は、女性分野と障害分野の両方で軽視されがちである。
したがって、当部会で障害女性という論点を意識的、積極的に取り上げるべきで、将来の障害差別禁止法の中に、障害女性の独立した条文を設ける必要があると思います。実際、韓国のように差別禁止法に女性障害者の独立した条文を設けている国があります。これは資料2で、崔栄繁氏の訳で挙げてあります。これは、そうした条文の必要性を裏付けしております。また、第3次男女共同参画社会基本計画もこのような問題意識を共有しておりますが、これは資料3に挙げています。
骨格提言の中にも障害女性に特化した独立条文を設ける必要性を明示すべきだとして、そのための議論のたたき台として、A、B、Cと挙げました。Cについては、室長からの御指摘が資料4の方に挙げられています。それで今回、Cを改訂したものを用意しました。
簡単に第A条と第B条について説明しますと、Aは、合理的配慮です。これは、例えば、先ほど言ったように、障害女性がトイレの介助のときに女性の職員による介助を求めると。これは障害女性特有のニーズに対する合理的配慮。
不均等待遇なんですけれども、これは、例えば障害女性が妊娠したときに、中絶しなさいと。もし中絶しないならば、こういうような不利益が課せられますよ、みたいな条件を付けて、障害女性の妊娠に対して何かの条件を付けて不利益扱いを行おうとするような行為を禁止する必要があります。これは、合理的配慮じゃない分類で、障害女性差別に特有の不均等待遇というような形で必要だと。そして、障害女性に対するこういうような問題は総論に置くべきだと。AとBは。なぜなら、障害女性差別というのは、障害男性差別と同じように、教育から労働分野、役務分野、すべてにわたっておりますので、これは総論に置くべきだと。
次に、第C条に関して、これは前回の第C条の改訂版なんですけれども、6ページに、性と生殖というのを挙げて、こういうふうに書きました。使用者、学校、役務提供者及び公務機関等は、性と生殖に関する事項(避妊、妊娠、出産等)について、何人に対しても障害を理由とする差別(合理的配慮の否定を含む。)をしてはならない、と。
この趣旨は、その下の「たたき台(改訂版)の説明」の中の一番下の方に、説明があります。
新第C条は、障害者全般を対象とする規定で、性と生殖に関する差別を禁止しています。これは各則に置くことを想定しています。具体的な規制事項として、例示的に避妊・妊娠・出産を挙げています。義務を負う者は、広くとらえるべきだとは思いますが、差し当たりの例示で、使用者、学校、役務提供者、公務機関を示しました。
なお、今回の共同意見では、権利という言葉にこだわっていないと。規制すべき実質的な内容として、避妊・妊娠・出産等に関して合理的配慮の否定を含め、障害を理由とする差別をしてはならないというのが今回の趣旨ですと。
これが共同意見でして、恐れ入りますが、続いて24ページと25ページも開いていただきたいんですけれども、24ページ、25ページは私の案で、共同意見と趣旨は同じなんですけれども、私の今までつくってきた体系の中に落とし込むとこうなるということで、24ページの第4条というのは結合差別の規定です。結合差別というのは、先ほどと同じように、不均等待遇と合理的配慮義務違反という2つの形態があると。第4条の5で、結合差別はこれを禁止するという形で、この条文の中で禁止をしてしまうと。
それで、第4条の第4項では、障害女性については別項で定めると。第5条で定めると。
第5条では、これも障害女性に対する差別というのは、不均等待遇と合理的配慮義務違反という2つの形態があると。2項、3項でそれぞれの定義を書いて、第4項で障害女性に対する差別は、これを禁止するという形で書きました。
なぜこのように第4条と第5条で結合差別と障害女性差別の両方を設けたかという趣旨も含め、また、室長の先ほどの提示された論点にも答える形で、説明を読ませてください。
25ページですが、障害女性に関する条文(第5条)は、浅倉、太田、川島の3委員の共同意見の趣旨を反映させたもので、以下、これは私見になります。
まず、第5条は「女性差別」一般を禁止するものではありません。「障害女性差別」一般を禁止するものです。
第5条は、「障害女性」を「非障害女性」と比べて優遇することを意図するものではありません。これはあくまでも、障害のない女性と同じ機会を障害のある女性も等しく享受すべきだという趣旨です。
第5条は、障害差別禁止法の枠内において、「障害」と「女性」という両特徴を有することで生じる「障害女性に固有の差別」に対応することを主眼としています。
第4条(結合差別)と第5条(障害女性)の両方を設けたのは、複合差別全般に関する条文が必要であると同時に、障害女性固有の条文も必要であると考えたからです。その理由は、4点挙げられます。
第1に、障害女性の置かれた不利な立場は、上記の共同意見書が示すように、女性分野と障害分野の両方で見落とされがちで、その不利な立場に対応するためには、障害女性に固有の条文を設ける必要がある。例えば、障害女性はトイレを使用するときに、男性の介助を強いられることがあると。これは障害差別という概念ではカバーできません。また、先ほど障害女性が妊娠したときに、強制中絶をしなければ、という条件を付けるなどして障害女性に不利な扱いをすることは、不均等待遇だということになります。そのため、「障害女性差別」という「障害女性に固有の差別」(合理的配慮の否定を含む)を禁止して、救済を図る必要がある。これが立法事実になります。
第2に、障害女性固有の条文を設けることは、次のような意味においても効果的だと。まず、例えば、障害女性固有の条文があれば、法施策面や法運用面において、障害女性の差別解消が明示的に具体的に取り上げられる可能性が高まります。また、社会政治的な啓発的効果をもち得ますし、障害女性自身がさまざまな条文に性のことに配慮しろと書かれても、条文に容易にアクセスできないんですね。分散していて。ですから、一つ障害女性の固有の条文というのを設けることによって、障害差別禁止法にアクセスしやすくなる、使いやすくなる、これは非常に重要なことだと思います。
第3に、さまざまな複合差別の中でも、特に障害女性差別の問題状況は、かなり具体的かつ明確に、これまで認識され、指摘されてきた問題なので、複合差別の中から障害女性の部分だけを個別条文化することは可能で、妥当だと思います。今後、もし障害女性以外の複合差別の問題状況が具体的かつ明確に認識され、指摘されるようになれば、それは今後法改正によって対応できるかと思います。
第4に、障害女性に特化した条文をつくっても、第4条で複合差別全般を扱っているので、必ずしも他の複合差別の問題を軽視しているという批判は当たることにはならないと思います。
最後に、14ページに浅倉むつ子委員が英国の複合差別と結合差別の状況について簡潔に整理されていて、これは私が内容を説明することはできませんけれども、これを読むと、イギリスの状況がよくわかります。
もう一つ、複合差別という言葉がマルチプルディスクリミネーションで、結合差別がコンバインドディスクリミネーションであると、15ページにこれらの言葉が書いてあります。一応言葉も、先ほどちょっと問題になっていましたので、このような記述があることを申し上げます。
以上です。
○棟居部会長 どうもありがとうございました。
ほかに御意見、あるいは。では、松井委員、お願いします。
○松井委員 松井です。ありがとうございます。
確認をさせていただきたいんですけれども、この共同意見、5人の方が出された2ページ目の真ん中辺に、以上の理由により複合差別を別個の類型として設けるべきとあります。今、川島委員から、複合差別は、基本的にはまずは女性であって、それ以外のものも勿論あるんだけれども、それは現時点では必ずしも明確ではないから取り上げないというような表現になっていたと思いますけれども、仮に複合差別を別個の類型として設けるということであれば、必ずしも女性だけでなくて、それ以外のマイノリティの人も当然対象となるのではないでしょうか。ですから、それを女性に限定するということについては、私は、当面ということにしても、かなり問題があると思います。ですから、もし別個に設けるのであれば、対象はかなり広く取るべきではないかと思います。
以上です。
○棟居部会長 川島委員。
○川島委員 ありがとうございます。今の松井委員に対するリプライ…。
○竹下副部会長 それはちょっと後にしてください。
○棟居部会長 では、竹下副部会長、先にお手を挙げておられました。お願いします。
○竹下副部会長 竹下です。
今の松井委員の発言に重ねて発言したいんですけれども。まず1点目は、松井委員と同じで、結論だけ先に言いますと、総論として女性障害者に対する差別の項目を設けることに反対まではしません。ただ、今の川島委員の発言等との関係で言うと、僕は強い疑問があるんですね。例えば、私が裁判をやって経験するのは、在日朝鮮人の視覚障害者の置かれた状況なんです。例えば、年金問題とかで裁判をやられても、克服しがたい状況に置かれるわけです。そうであれば、複合差別という言い方で言うならば、そうした状況というものをどうやって区別するのか。区別するという意味は、規定の仕方として、すべてを網羅する必要があるのかという問題です。
2番目には、僕は複合差別の存在自体を否定するつもりはないけれども、固有のというか、特有のというものについてどう位置付けるかという方が大事だろうと思うんです。例えば、今どきはないんだろうと思いますけれども、例えば、中国で言いますと、全盲の女性に対して性の差別の典型的な形としててん足の差別があったわけですね。まさにそれは全盲ということと女性というものでしかあり得ない差別だったわけです。それ以外にあり得ないんですね。そういうことはほかでもあるだろうと私は思っています。そういうものを想定しているのか、そうじゃないのかというのは、是非そこも区別して御説明いただきたい。
3点目は、女性差別の問題と、障害者差別の問題が複合していることを前提としたとして、女性差別に対する救済では救えない。障害者差別に対する救済でも救えないということが前提になっている御主張なのかどうかについても御教示いただきたい。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。いずれも川島委員に対する質問ということで、川島委員に振らせていただいてよろしいですか。では、川島委員、お願いします。
○川島委員 川島です。
私は、私見の範囲になりますので、他の委員の御意見とは違うところもあるかもしれませんので、まず、私から。
松井委員と竹下副部会長の意見、両方合わせて簡潔に説明しますと、まず、私の中では、複合差別もしくは結合差別に関しては、総論で全体的に禁止すべきだと思っています。その中でも特に障害女性に関しては、具体的かつ明確に、問題状況が統計的にデータ上集まってきているので、それに対して具体的に特化して条文を立ち上げて具体化していくことはできると思います。もし、国籍と障害の結合状況の差別というのが社会問題的に明確かつ具体的に明らかであれば、それも個別条文として立てればいいと思いますけれども、でも、そうやってどんどん立てていくということはきりがないので、やはり総則的に複合差別の条文というのを設けて、その中から特に具体的に立法事実が明らかに具体化されている部分は、明確にされている部分は一つ取り上げるという趣旨なので、どっちかにするという二者択一よりも、具体化された部分を複合差別の中から取り上げるという、それによって当事者が使いやすくなるのではないかという趣旨もあります。
あと、もう一点だけなんですけれども、つまり、障害差別という文脈では必ず救済できないのかというよりも、救済されない恐れが経験上あるというところが一つイギリスの立法政策を見てもあるのと、合理的配慮のニーズが、障害女性にとって差別問題で重要なのはこのニーズなのですが、この特有のニーズというものが完全に無視されているわけですね。そのニーズを合理的配慮としてすくい上げるために、障害女性に対する差別というものは、明示的に規定すべきだと思っております。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。
なかなか難しい問題ばかりで、議論がかみ合いにくいんですけれども、私は非常に素朴な質問を、どなたにでもお答えいただいたらいいと思うんですけれども、先ほど来出ていたいろいろなケースでは、介護はすると。放置しているわけではないですよね。介護はすると。しかし、介護の仕方が、女性であるということに対する配慮を欠いている。あるいはそれにいわば便乗する形でセクシャルハラスメント的な行為までが行われてしまうと。こういうことであって、これは合理的配慮の中身の問題として、相手の個性、あるいは女性としての尊厳、こういうことに配慮することも合理的配慮なんだという合理的配慮の議論を詰めていく形では解決できないんですか。
川島委員。
○川島委員 川島です。
私見ですが、それはちょっと難しいと思います。それは、障害というのとほかの属性というのは区別できるものなので、障害部分については配慮するけれども、ほかの部分については、これはちょっと違いますよという議論は、これは成立しうると思っております。
○棟居部会長 では、室長、お願いします。
○東室長 合理的配慮は障害分野で発達してきた経緯がありますが、女性分野にもこれは広がる話だという方向性は重々わかります。ただ、実質的な機会均等を果たすための合理的配慮という概念自体からいっても、障害女性の場合は、障害のない女性と同じような扱いというものを実質的に確保するために合理的配慮というのがある、そこが原点なんじゃないでしょうか。要するに、障害女性と障害のない女性との格差をなくすというときに、女性という性を抜きに合理的配慮を考えるということはあり得ないのではないか。障害女性について合理的配慮というときには、当然性を持った人間であることが、その中身として入るんじゃないのかなという気もしますが、その点はどうなんでしょうか。単に性を抜きにした健常者一般と同じ機会均等という話ではないわけですね。障害女性が合理的配慮が必要だよというときには、女性として、ほかの女性と同じ均等な状況にもっていくということが合理的配慮の中身そのものじゃないんでしょうか。そこら辺との関係で、別個につくらなければならないという理由がよくわからないところもあるんですけれども、どうでしょうか。
○棟居部会長 今、かなり問題点を明確に絞っていただいたと思います。では、川島委員からまずお答えになりますか。
○川島委員 川島です。
簡潔にですけれども、私は今の室長みたいな理解も不可能ではないと思いますけれども、必ずしもそういうような解釈をとる人が趨勢になるかどうかわからないと。つまり、立法段階で明確に手当てをしておいた方が、障害女性に対する合理的配慮というものを明確にしておいた方が、解釈段階、適用段階で誤解・混乱がなくなる、と立法論的にそう思います。
○棟居部会長 では、太田委員、どうぞ。
○太田委員 太田です。
この問題は、実に複雑な、明確な基準をもって示せるような問題ではないと思いますが、障害女性というのは、障害男性と比べ、あるいは、他の女性と比べて、大きな不利益を受けていることは厳然としてあるわけで、先ほども会議が男性が多く占められていると、障害団体の構成員も男性が占められていると、そういう文化というのは厳然としてある。文化としてある一方で、障害も女性も身体機能に関わる問題なわけで、単なる偏見とか、そういう領域ではなくて、身体構造機能上の問題の複合的差別だと。だからこそ、障害女性は非常に弱い立場にあると、私も男性ですが、差別意識をもつ場面というのはしばしばあります。そう思ってしまうような構造に今の日本の社会はあると。
ですから、話を戻しますと、機能に着目した障害者差別禁止法ですから、障害という括りである意味十分に思えるんですが、しかし、そこに歴史的な、あるいは社会的な根深い女性観、あるいは男性観、社会の中で役立つ人、役に立たない人という価値観の中で培われてきた障害であったり、女性であったり、機能プラスアルファの文化的、意識的常識がある現状で、だから、池原委員が言ったように、障害差別でも救済されない、女性差別でも救済されない、抜け落ちる事例が生じやすい部分だと思います。だから、障害女性というのは、現段階では法律の中に盛り込むことは不合理ではないと思います。
○棟居部会長 ありがとうございました。
今、非常に難しい話を多分されたと思うんです。つまり、障害女性差別というのは、歴史的に女性差別という面が勿論あると。だけど、女性であるがゆえに期待される、子どもを産むとか、家族の世話をするという機能を果たせない。ですから、男性障害者よりももっと機能障害の程度が重いというふうに扱われて、つまり、女性であることによって、障害の程度が、本来果たす役割が果たせないから、もっと重いと。そういう差別なんだ。全く世間で言う役に立たないという言い方をする差別だと。これは、ですから、障害なんだ、あくまで障害者差別なんだということを一つ太田さんは強調されて、だけど、なんで女性にそういう役割をそもそも押し付けているかというと、歴史的にずっとそういう女性差別の歴史があったという形で私はとらえました。ですから、あくまで障害者差別中で特別の規定を設けるべきだという、こういうお考えの理由付けですよね。今のは。ちょっとつまらん補足をしました。
大谷委員、どうぞ。
○大谷委員 全くそのとおりのことなんで、私は、障害女性と言ったときに、一番大きいのは性と生殖、子育て、家族関係、家族形成に関する不利益、均等待遇がされていないということが非常に大きい問題だろうと思っているんですね。ですから、男女を問わず、すべての障害者に対して、性と生殖に関わる事項、家族形成も含めて、子育ても含めた、適当な等しい取扱いをせよということが1項立てられれば、かなり女性障害者の今置かれている状況に関しては大きく一歩前進すると思っています。
それから、セクシャルハラスメントという概念も含めて、障害女性が非常にいわゆるセクハラに遭いやすい立場であるということは、より意識された条項、先ほど先回議論しましたので、そこは触れませんでしたけれども、やはりハラスメント条項の中に大きくセクシャルハラスメントと一類型占めていますので、そこでも差別ではないけれども、差別に近い、虐待と差別の間で救済されない場面ということがかなり意識された条項が盛り込まれれば、これはこれで大きく救済されうるだろうと思っています。
それで、実は、一番難しくて、私たちが3人提案、5人提案という形で分けられてしまって、これはなんでこんなふうになってしまったのかとなっているんですけれども、一番ぎりぎり私自身が何となくすとんと落ちないのは、やはり合理的配慮の問題なんですね。合理的配慮は、私の理解では、個別、その事情に応じて配慮すると。ということであれば、それは性差に基づく配慮というのは当然前提とされているはずだと。そして、その人が固有にそれを求めているにかかわらず、それが得られないというのは、男性にとってでも異性介護は嫌だというふうに言われれば、それはそれで合理的配慮が不全であったということになるので、そのことを取り上げて、女性障害者にとって合理的配慮の一類型として異性介護の問題を挙げるということが、場面とすればわかるけれども、固有にというふうになってしまうことが、例示としてどうなのかなと。逆に一類型として挙げる場面としてどうなのかなというふうに思いつつ、なかなか踏ん切りがつかなくて、結局、最終的に、済みません、3人提案、5人提案という形で分かれてしまったんですね。
ですから、合理的配慮というのは、そもそも個別の事情を吟味するものなんだから、性差は当然含まれているということで、きちんと整理されていけば、乗り越えられるのか。いや、それでも乗り越えられない。やはりここは、差別の一類型、合理的配慮の一類型として、女性障害者固有の合理的配慮類型を提示するべきなんだということの必要性があるということがあれば、やはり各論にきちんと盛り込むべき事案になってくるかなというふうに思います。
○棟居部会長 竹下副部会長、ごめんなさい。今、報告者の加納さんからまずお手が挙がりましたので、せっかくおいでいただいているので、加納さんにまずお願いします。
○加納教授 加納です。
御議論、非常に理解が深まってありがたいですけれども、まず、川島さんの私案、提案されたことに、基本的に当事者側としては非常にわかりやすい、まさにアクセスのしやすい構造になっているなということを感じました。
実は、最初、室長がおっしゃった、立件においての性差別でもない、障害差別でもないという話になったらどうするんだということがございましたけれども、同じようなことが福祉のサービス現場でもあります。要するに、どちらの制度からも排除されているという深い谷間に落ちている状況、介護の話にしてもそういうことだと思うんですね。ハラスメントのリスクという意味で、そのリスクの高さが、今の養護の場としての家庭や施設、あるいは学校、医療といった、養護すべき場において、ハラスメントに発展しかねないリスクが高いのだということだと思うんです。
ですから、具体的にアクセスであったり、啓発であったり、自分たちで泣き寝入りしなくて済むのだということが、こういった条項で伝えられれば、「私が今悩んでいるのは、一体これは性差別なのか、障害者差別なのか」と、ふつうはそんなに理屈立てて悩むわけではなく、ともかく「生きるのが大変だ、生きづらい、どうしよう、死にたい」と、そんな状況なわけですから、条項として、私が今悩んでいることが女性障害者差別である、結合差別と言うのか、複合差別と言うのか、そういう概念に、条項を見れば当たるんだということを少しずつ、当事者もですが、その周辺の養護の立場にある親やさまざまな支援をする人たちが理解を深めれば、はるかに状況は改善されていくだろうという見通しをもちますので、是非積極的な御議論をお願いしたいと思います。
○棟居部会長 どうも貴重なコメントありがとうございました。
竹下副部会長にまず。先にお手が挙がっているので。竹下副部会長、ごめんなさい、時間の関係で手短にお願いできれば幸いです。
○竹下副部会長 迷っているからこそなんですけれども、両方言いますと、先ほど太田君が言った関係では、現在の裁判例でも、女性であり、かつ障害があるための差別は判例であらわれるんですね。交通事故に全盲の女性が被害者となった事案では、女性の家庭労働については、主婦損という形で損害がほぼ定型的に積算されます。ところが、横浜で起こった事件に対しては、裁判所は、どうせあなたは全盲だから家事ができないでしょうという偏見で、主婦損を認めませんでした。そのために、主婦としての家事をやっているんだと必死になって周辺の陳述書を添えながらやったんですけれども、それでも通常の主婦損の損害額を認めませんでした。そういう意味では、極めて現代においてもそういうものはあるということが1つですね。
もう片一方で、トイレの問題も含めてそうなんですが、これは障害者特有の問題だと僕は逆に思わないんです。高齢者についても同じことがありまして、男性高齢者に対しては男性介護者というのが今の流れです。かつてはそれは無視されてきました。そういうことを考えると、どういう規定の仕方をすべきかというのは、私は非常に悩むべきであるけれども、少なくとも今日の議論を聞いていても、共通として、総論として規定することの必要性は余り対立はないんじゃないかと思いました。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。
では、東室長、お願いします。
○東室長 結合差別につきましては、イギリスの2010年法をベースに議論がなされていると思うんですが、2010年法が言う結合差別の中身というのが、いまいち私にはわからないところがあります。それで、川島委員はよく引用されていらっしゃいますので、少し御教示していただきたいと思っております。担当室のほうでつくりました参考資料1の、これは関連法令の抜粋なんですが、14ページを開けていただけますか。ここに2010年法の複合差別、二重特性ということで書いてあります。
この中の立証責任に関する部分なんですが、まず、3項で、被害者の方は、複合する特性それぞれを理由として、加害者が被害者への直接差別を行ったことを証明する必要はないと書いてあるんですね。しかしながら、その下の4項では、その一方で、要するに、加害者によるBへの取扱いの特性のいずれか又は両方の直接差別に当たらないことを加害者の方が証明した場合には、複合差別で問題になっている本法違反の主張を行うことができないと書いてあるんですね。だから、例えば、これは障害に基づく差別ではありませんよという立証を相手方が成功したならば、複合差別にはならないというふうに読めるんです。
そうすると、最初の5人の共同意見の中で出されている事例の1番目ですか、重要な会議に障害女性だけが出席を断られたといった場合に、それは障害差別でもないですよ。なぜなら、障害のある男性は入っているじゃないですか。また、女性差別でもないですよ。なぜなら、障害はないけれども、女性も入っているんだからと主張されることが予想されるような事例では、2010年法のこの規定は使えないということになりはしないかなと考えると、よけいにわからなくなってくるんですね。そこら辺、どういうふうに考えたらいいのか、教えてください。
○棟居部会長 川島委員。手短にお答えをお願いします。
○川島委員 手短ということで、まず、英語の原文を見ないと、この日本語訳だと、今、答えられないというのが1点。
2点目が、イギリスの複合差別とか結合差別というのは、イギリスの中では直接差別類型でしか適用されないということで、まず批判があると。それと、次に重要な論点として、イギリスの差別禁止法というのは、古典的なアプローチをとっているので、比較対象(コンパレイター)と比べて自分が不利益を被ったという、例えば、障害差別だったら、障害者が非障害者と比べて不利益扱いを被ったという、ことで比較対象(非障害者)を特定しなくてはいけないと。そういうふうに、だれかと比べて自分は不利を被ったというのが伝統的にイギリスで発展した差別禁止法なんですけれども、イギリスでは、そのアプローチにはちょっと限界があるだろうという指摘があります。つまり、障害の多様性とかを考えると。
そこで、イギリスでは、関連差別という、起因差別とも言いますけれども、新しい概念で、だれかと比べて不利を被ったのではなくて、障害を理由として不利を被ったら、それを証明すれば、原告は一応証明責任を果たしたことになって、相手方はそれに正当な理由があることを証明しないといけない、というような形になったと。
しかし、室長が今挙げられた文脈というのは、あくまでも古典的な比較対象アプローチ、コンパレイターという比較対象者を特定しないといけないという文脈で持ち上げられた条文であって、関連差別とか、そういった障害分野特有のものを含んでいないので、これは本当にあくまでも参考程度にすべきもので、イギリスの研究者の中でもこういった不十分な規定ですね、合理的配慮の考えなんか、ここには入っていないわけですので、ですから、イギリスの例というのは、あくまでもこういうものがあると。日本ではこういう反省を生かして、実効的で、予測可能で当事者がアクセスしやすいといったものをつくる必要があると思っております。
○棟居部会長 それでは、東室長、お願いいたします。
○東室長 ちょっとよくわからない面もあります。今のご説明を受けて、立法政策の面から考えても、川島委員がおっしゃっている結合差別の中身というのが何なのかというのがよくわからないんですね。先ほど、池原委員が言われたように、障害差別でもない、女性差別でもない、特有の類型をイメージされているのか、そうではなくて、両方にも関わるんだけれども、立証的に非常に難しい面があるから、こういう類型を設けようとしているのか、そこのスタンスで全然違ってくるんじゃなかろうかという気がするんですね。そこら辺の整理というものが少し要るんじゃなかろうかと、この条文を見ながら思ったんですけれども、いかがでしょうか。
○棟居部会長 ごめんなさい、横から口をはさんで。大変大きなテーマなんですけれども、我々は、障害女性に絞った議論をすればいいと思うんですよ。それで、先ほど太田委員がおっしゃったので私は非常にすとんと理解できたんですが、女性で障害者という場合、あくまで障害者なんです。障害者としての機能が極めて損なわれているという扱い。その中に歴史的に女性の役割論というのがある。つまり、子どもが産めないとか、家族の世話かできないということで、例えば視覚障害だというのに加えて、そういうのもいわば障害事由として更に重なってくるというのが女性障害者が置かれている状況だとすると、これは、あくまで障害という括りの中で考えていけるんじゃないかなと。ですから、今、室長が提起された、非常に大きな論理学みたいな難問は、イギリス平等法についてはあるんでしょう。多分。しかし、ありがたいことに、女性障害者という論点に今我々は絞っていますし、日本では差別禁止法はあくまで障害者という枠の中で議論すると思いますので、大きな宿題として私は、いわゆる霞が関用語で言う「頭の体操」としては取っておきたいと思いますけれども、詰めなくていいんじゃないかなと勝手に思いますが、いかがですか。どうでしょうか。
○東室長 そこは議論していただければと思います。
○棟居部会長 残り時間はもうわずかですので、じゃ、野沢委員、しばらく御発言を聞いていません。ごめんなさい、野沢委員、お願いします。
○野沢委員 せっかく盛り上がってきた中で、ちょっと違うとんちんかんなあれかもしれませんけれども、本来だったらば、前回発言すべき内容かもしれませんが、東室長の方から最初に、性的な被害、ハラスメントと差別との関係についてということがあったので、その辺だけお話を私からしたいなと思います。
特に、知的障害の方たちのいろいろな被害を見ると、性的な被害というのは潜在的にはものすごく多いんだろうなということを言われていて、いろいろな虐待類型を見ても、実は開けてみたら性的なものが一番多いんじゃないかという人も結構いるんですね。わからないです。全然それが表に出てこないから。
では、なんで表に出てこないのかといったら、いろいろな理由があるんですけれども、1つは、障害の程度がすごく重くて判断能力に著しいハンディがあるために、自分が何をされているのかということが認識できないということ。あるいは、嫌だといっても、それがコミュニケーションの問題で周りに伝えられない。そういう認識はもてているんだけれども、恥ずかしいとか、あるいは家族も、そんなことを言うもんじゃないということで、社会的な理由で表に出てこない。
もう一つの大きな問題は、実は、本来であれば彼らをエンパワーメントしたり、代弁したり、守ったりするべき立場の人たちが加害者になっているケースが圧倒的に多いということです。
さらには、そういう被害が表に出てきたときに、救済面において、男性優位ないろいろな司法の手続だとか、そういう人的な問題もあって、なかなかそれが救済されないという問題があると思うんですね。表に出てこない。出てきたところで救済されない。だから増えている。多いんだという、堂々巡りのようですけれども、原因と理由がお互いに絡み合いながらふくらんでいるというのが実態じゃないのかなと思います。
異性介助の問題だとか、あるいは、表に出てきたときにどうやって救済していくのか、救済がうまくいかないという問題などは、合理的配慮を詰めていくことである程度解消されていくのかなと、その道筋が私には何となく見えるんですけれども、最初の判断能力に著しいハンディがあるために、自分の身に何が起きているかわからない人に対する被害をどうやって救っていくのかと考えるときに、果たして合理的配慮とか、そういう問題でどうやって救えるんだろうかと、見通しがつかないんですね。しかも、その被害者にとっては全面的に自分の生活をゆだねている人が加害者である場合は、合理的配慮とか救済について議論する土台そのものがつくれないということがあって、さあ、これは一体どう考えていくんだろう。これは複合差別と言っていいのか、それとも固有のもの、全く別の固有のものと言っていいのか、それすらも何かよくわからないんです。
その辺の法律の構成をどうすればいいかというのは私にはわかりませんけれども、川島委員の中で、私が一番合点がいったのは、社会的、政治的な啓発的効果をもちうると。とにかく、少しでもこの問題に光を当てて、何らかの形で前進させるもとが、せっかくなので、この中で皆さんの知恵を出していただいてできないものかなというのが私の意見です。
○棟居部会長 ありがとうございました。
遠藤オブザーバー、お手が挙がっていたと思います。お願いします。
○遠藤オブザーバー 発言の機会をいただき、ありがとうございます。経団連の遠藤と申します。2つの点で申し上げます。
まず、議論を伺っていますと、いろいろな事象を取り上げて論理展開されているのですが、私は政策的にどう対応するのかという次元のお話と、立法論としてどう対応するのかという次元は、分けて考えるべきだと思っております。そういう意味で、他には当てはまらない固有のものであることが明確にならない限りにおいては、複合差別的なものを新たな類型化として整理するということについては反対でございます。
資料で言うと、5人の共同意見という形で出てきましたが、Aパターン、Bパターン、Cパターンというのがあり、これがもし典型的な例であるのだとすれば、なおさら、固有のものがあるということには理解が及ばなくなります。仮に固有であるとか、あるいは特有であるとかということであれば、更に具体の例をお示ししていただきたいと思っています。
以上であります。
○棟居部会長 ありがとうございました。
山本委員、先にお手をお挙げになりました。伊藤委員、ちょっとお待ちください。
○山本委員 山本です。
「頭の体操」をすべきではないということなのかもしれませんが、東室長がおっしゃっていることの意味は、私なりに見ますと、やはり重いことではないかと思います。といいますのは、差別の禁止を問題にするわけですので、だれとだれを比べるか、そして、比べた上で差があるというのが差別があるということであって、これがやはり基本になるのだろうと思います。そうしますと、だれと比べて違いがあるかということが問題とされなければなりませんし、効果としては、その比べた相手と同じようにしないければならないということが恐らく出てくるのだろうと思います。
ここでは、まず、障害者が障害者でない人と比べて差別されているということが言えなければ、そもそも差別禁止法の問題にはなりません。単純に女性が差別されているだけであるときは、それ自体大きな問題ですけれども、少なくとも差別禁止法の中で女性差別禁止そのものを定めるわけにはいきません。障害者の差別があくまでも対象となります。その中で、女性であるということに特有の差別があるというのが、今、議論されていることだと思います。
ただ、そのときに、障害のない、しかも、男性と言うべきかどうかわかりません、人一般かもしれませんが、そういったものと比べて差があるので、そのレベルまで等しい扱いをしなければならないということが、恐らくこの類型を設けると出てくる直接の効果ではないかと思います。問題は、勿論、障害者の差別禁止法でそこまでの効果を定めることが適当なのかどうかです。それが、今争われていることではないかと思いました。私も、どちらか結論が出なくて本当に困っているところですけれども、それが1つの問題です。
もう1つ、棟居部会長がおっしゃったのは、それとは少し次元とは違う問題で、障害と呼んでは本来いけないものを、社会では障害、女性について特に障害というレッテルを張って差別をしているというケースがある。それはそれとして固有の問題なので、それをカバーする特別な規定が要るのではないかというようなことをおっしゃったように思います。ただ、これは先ほどの話とは少し違う問題で、恐らく竹下副部会長などがおっしゃった、本来、差別事由としてはいけないようなものを差別事由として、そしてそれが障害と相まって障害と呼ばれている場合がほかもあるかもしれない。そういったものとどう切り分けるのかという、非常に難しい問題が出てきそうです。
ただ、いずれも問題のあることであって、ほかにも問題があるから規定しないというのもどうかと思います。しかし、ほかに問題があるのに、これだけ規定するのはどうかと言われると、それもそうかと思いますし、いずれも問題があるのだから、まずはこれを問題あるものとして規定すべきだというのも、そうかと思います。そのような意味で非常に揺れているということだけをさしあたり申し上げておきたいと思います。
○棟居部会長 ありがとうございました。
堀木訴訟という、これは竹下副部会長なんかは非常に精通されている訴訟の最高裁判決で、2つの事由が重なっているというときに、両方からはもらえないと。それは立法裁量で1つに絞って構わないという非常にあいまいな言い方ですけれども、私は複合差別というのか、女性障害者という場合に、そうした裁判例、これはもっぱら福祉的な文脈での裁判例ですけれども、決して障害がある、あるいは、母子家庭であるといった支障が2つ重なることによって、支給されるべき金額が倍になる必要はないんだと。つまり、困窮という事実は1個なんだからという突き放した見方がその根底にあると思うんですけれども、そうした1+1は1であるというある種の判例がありまして、これが今日議論したケースにも及ぶというのは余りよいことではないなと。つまり、やはり固有の何かがある。1+1が2以上だという議論を多くの方はされたと思うんですけれども、私は「頭の体操」をもっとしなければ理由付けは弱いというのは重々承知ながら、1+1が2になるか、2以上になるかという議論以外に、実は、単にそれは女性差別の問題ですねというふうに引き取られて、そもそも1+1が1で終わる可能性すらあるということを、先ほど言うのを控えておりましたが、今、山本委員に鋭く御指摘されて、もっと手前の議論もあるんじゃないかということを付け足しさせていただきました。
それでは、済みません。伊藤委員、御発言は最後になります。伊藤委員、お願いします。
○伊藤委員 伊藤です。
障害であり女性であるということによって著しい差別があるという立法事実があるということであれば、このような規定が必要だということは理解できます。また、その2つが重なることで、1+1が3になり、4になるという深い権利侵害が起きるということであれば、それを救済するために、特段の規定もありうるのかもしれません。
その一方で、今日、加納さんのお話で考えてみました。理想的な女性モデルという3つの規範、呪文というのが1ページ目にあるんですが、これを男性に置き換えて考えた場合に、力強さとかたくましさとか、つくる性だとか、稼ぐとか、大黒柱とか、そういったようなことが男性に求められるということにもなります。ジェンダー論を十分に理解できていないかもしれませんが、女性と障害という類型を置くことによって、逆に男性の障害者が生きにくくなるというような反対解釈的なことが行われないようなことは絶対必要だと思います。
それと、性と生殖については、先ほど大谷委員が御指摘のとおりで、私も優生手術が3割あるということは重い話でして、これは男女ということは関係なく規定する必要があると思います。
あと、差別の禁止対象者について3者の提案があるんですが、委員提出資料の6ページのところですね。第C条の規定を見ますと、使用者、学校、役務提供者及び公務機関等が差別の禁止対象者ですけれども、医療機関というのは当然入るべきですし、一番悩ましいのは家族ということになるのではないかと思います。
以上です。
○棟居部会長 どうもありがとうございました。
文字どおり議論は尽きませんが、時間が非常に押しております。そこで、以上で第3コーナーを終わらせていただきます。
本日の議事は、これにて終了いたしました。
最後に東室長から次回の予定等について御報告をお願いします。
○東室長 担当室の東です。
今日はどうも御苦労さまでございました。
次回の差別禁止部会は5月25日金曜日の予定でございます。
テーマにつきましては、救済手続についてということであります。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございます。
本日の差別禁止部会の概要につきまして、この後、記者会見において、私と伊東副部会長、竹下副部会長、東室長から説明させていただきます。
本日は、お忙しい中をお集まりいただき、まことにありがとうございました。
以上です。