(PDF形式:171KB)
第21回障がい者制度改革推進会議 差別禁止部会(2012年7月13日)
議事要録
【議事 部会提言の取りまとめについて】
(「はじめに」「第1、理念」「第2、目的」「第3、障害の定義」)
- (棟居部会長)部会の取りまとめは条文案で示すべきとの意見もあるが、三役としてはこれまでの議論を集約し、部会が一致できる点につき分かりやすさを最優先にして、「資料1 障害を理由とする差別の禁止に関する法制の制定等に関する差別禁止部会の意見(部会三役の原案1)」を出した。国会議員や国民に説明することを考えると、部会の取りまとめは全員一致にしたい。条文になった後で運用上の困難が問題になる際に、この部会の取りまとめによって法の精神が確認されるようなものにしたい。
「はじめに」は推進会議と当部会における検討の経緯、差別禁止法に関する世界的状況、立法事実の存在、本法の必要性と基本的性格等について述べる予定で、準備中である。
「第1、理念」では、障害者の完全参加と平等を制限する社会的障壁としての差別の解消が重要であること、この法は国民を差別者と被差別者に切り分け差別者に法的制裁を加えるものではないこと、更に、差別の解消により新たな負担やコストが発生するのではなく多様性が重視されることで社会全体にとっても有用であることについて述べている。
「第2、目的」では法の目的として、国民に何が差別に当たるかを判断する際の物差しである行為準則を提供すること、差別を受けた際の救済の仕組みを創設し司法的解決のための法規範を定立すること、救済・差別の防止・啓発・相談体制等差別の未然防止に関する国等の責務を定めること、以上の措置により共生社会の実現に資することについて述べている。
「第3、障害の定義」では、障害者権利条約と障害者基本法における障害の定義について検討を加え、そして本法が国民の行為準則として機能する必要があり障害について予見可能性が担保されるべきであること等から、機能障害(インペアメント)を障害と定義することが妥当であるとしている。
- (発言)「第1、理念」で「本法が相手方を単に法的に非難し制裁を加えようとするものではないこと」とあるが、これでは非難し制裁を加えるものであって、更に何かがあるという印象を受けるので、「単に」を削除するべきである。「第2、目的」で「何が差別に当たるのか、何が許されるのか」とあるが「何が差別に当たるのか」としてはどうか。
- (棟居部会長)「本法が相手方を単に」は国民を二分化するものではないというニュアンスを表している。最終的には司法的判断で違法となり損害賠償等の不利益な結論を差別側に課すこともあるので、「単に」を除くと実態にそぐわなくなる。「何が許されるのか」は誤解を招きやすい表現なので削除したい。
- (発言)「資料1」の2ページ「2、救済の仕組み」の「簡易迅速に問題を解決する仕組みの創設」について、具体的な仕組みまで明記するのか。2ページ「3、国等の責務」に関して、国等の範囲、責務の内容についても踏み込んで書くのか。2ページに「まず、本法はあらゆる事由を理由とする差別を禁止しようとするものではなく」とあるが、これは「この法律は障害者に係るあらゆる差別を禁止するはずではないのか」といった疑問を抱かせる表現である。全体的に、何を言っているのかが分かる書き方をしていただきたい。
- (棟居部会長)問題を解決する仕組みについては、一定の在り様を示すことは可能なので意見をいただきたい。国等の責務については、私人間の差別に介入する法律について提言する以上、差別を未然に防ぐ予防的な体制づくりという点で、より詳しく書くべきだとの指摘であった。「本法はあらゆる事由を理由とする差別を禁止しようとするものではなく」は「本法は個人のあらゆる属性を理由とする差別を禁止しようとするものではなく」としてはどうか。
- (発言)「第1、理念」の「相互に人格と個性を尊重し合い」に、自己決定という意味の「自律」を加え「相互に人格と尊厳と自律を尊重し合い」としてはどうか。同じ個所の「個人の尊厳を認め合う社会」も「個人の尊厳と人格と自律を認め合う社会」としてはどうか。「第2、目的」の「無理解や偏見により差別的な行為に・・」を「無理解や偏見、ステレオタイプにより差別的な行為に・・」としてはどうか。3ページの「3、障害の限界事例に関する議論」に、アメリカでは法律上、容貌の損傷が機能障害に入っているという例を書いてはどうか。
- (棟居部会長)差別禁止法は福祉施策を否定するものではなく当面は両者が両輪として機能することになるが、自律という言葉を強調するとこれが先走る懸念がある。この言葉の取扱いも含めて検討する。
- (発言)「人格と個性」を「人格と尊厳と自律」にすべきとの提案があったが、尊厳と人格は同義語ではないか。自律と自立を概念上、特定する必要があるのではないか。また、自律が差別禁止法の理念目的に入るのは法体系としてどうなのか。障害者基本法や障害者自立支援法の理念規定では「人格と個性を尊重」とあることも踏まえる必要があるのではないか。
- (発言)自律は自己決定と同義で障害者権利条約では使われている。最近、発語障害のある市議会議員が議会で代読による発言を求めたのに対し、議会がパソコンによる発言しか認めなかった案件についての裁判があり、機会の平等が実現するのであれば議員の自律、選択は尊重しなくてもよいとも受け取ることのできる判決が出た。合理的配慮を要求しても当事者の自己決定が尊重されなければ、講じられる措置はパターナリスティックな劣等処遇にも、ハラスメントにもなり得る。当事者の自己決定という意味で、自律は必要ではないか。
- (発言)人格が人に共通した一般的・客観的なものを指すのに対し、個性は個々人の違いを重視するものとして使われているのではないか。個性を削除すると、人格の意味がもとと同じなのか、個々人の違いを含めたものとしても使われているのかが問題になる。もとの案で個性が指していたものが落ちるのかどうかを考えた上で、言葉を選ぶ必要がある。
- (棟居部会長)人格は民法上の行為能力等当事者になり得るという抽象的だが社会生活上不可欠の可能性を指し、個性は日常用語に近いその人の具体的なあり様を指すということか。
- (発言)憲法学の人格的自律という考え方に従い、人格はその中に客観的な価値が内在することを表す言葉として使われており、それと個性が対比されているのではないか。
- (棟居部会長)だとすると、人格を人格的自律に置き換えることも可能になる。
- (発言)個性は削除した方がよい。「障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し」と言うと、障害は個性だから尊重すべきであるといった障害個性論を巡る長年の議論が独り歩きする可能性がある。
- (発言)3ページ「『障害』の意味については、誰しもが観念し得る一定の明確性が確保され、一般の予見可能性が担保されなければならない」について、予見可能性を担保するには手帳の所持が必要で、手帳を持たない大半の精神障害者は法の対象になるのが難しいという議論があるが、この記述はそのような意味ではないと理解してよいのか。
- (棟居部会長)予見可能性は日常的に混乱しないようにという程度の意味で、手帳等の技術的なことまでは意識していない。しかし、実務的には手帳の有無といった判断基準が必要になる可能性があり、悩ましい。
- (発言)手帳で障害者であることを判断することがよいことなのか。症状が固定化しないために手帳を受けていない人や、受けたくないという人もおり、精神障害者の多くは手帳を持たない。手帳以外の別の判断基準を考えなければならない。
- (発言)「第1、理念」で重要な視点として差別の禁止・共生社会の実現・完全参加と平等を挙げているが、前文のような形で理念を提起するのか、それとも本文に理念を規定するのか。
- (棟居部会長)部会の取りまとめは条文を提示するのではなく、その背後にある考え方を分かりやすく書きたい。従って「第1、理念」で挙げた点も理念規定にそのまま書くわけではない。この法律の必要性について無関心な方に、こちらを向いてもらうことが目的である。
- (東室長)前文が付いている閣法はわずかしかない。前文に法的効力はないので、大事な思いは本則の規定に入れるのがよい。
- (発言)「資料1」として示された意見の三役案は私たちが求めてきた内容が取り入れられており、基本的に支持する。3ページ「一般の予見可能性が担保されなければならない」は具体的に何を意味するのか。憲法学上の人格と、個性とは概念的に違うのか。差別禁止法は画期的な法律であるから、この法の必要性について権利条約と重ねて述べた前文が必要である。
- (棟居部会長)「予見可能性を担保する」とは、裁判では主張の仕方や裁判官の考え方により結論が分かれるという現状の不明確さを踏まえ、行為準則を示すことで明確性を実現するということであり、差別や合理的配慮等について一般国民に分かりやすく示す必要がある。人格や人格的自律は誰もが初めから持っているもので、個性は一人ひとりが積み上げたその人の具体的な在り様を指す。ただ、個性という表現が注意を要するのであれば、これを削除する。前文は他の法律とのバランスの問題があり、不要だということになるかもしれない。
- (発言)「第1、理念」において、差別禁止法に差別者と被差別者を生み出さないための予防的機能を持たせ、共生社会を実現するという内容を打ち出してはどうか。また、中間の論点整理で「差別の反社会性を国家意思として表明する」と指摘したように、差別が反社会的なものであるという趣旨を何らかの形で表すことはできないか。
- (棟居部会長)原案では紛争になった後の対立を前提として、これを事前に予防するとしか述べられていないが、国家意思として差別禁止を強く表明するべきとの意見である。
- (発言)差別の予防的機能に国家意思を関連づけることには議論があるかもしれないが、差別禁止法を共生社会実現に向けての共通のルールだと考えるならば、差別の未然防止という機能が必要ではないか。
- (棟居部会長)「第1、理念」で「社会的障壁をなくす」とあるが、今の意見を反映すれば社会的障壁があること自体が後手に回っているので、これをあらかじめ防ぐという書き振りになるだろう。
- (発言)「第1、理念」にある「完全参加」は、社会生活への参加という意味か。
- (棟居部会長)その通りで、機会を実質的に平等に享受するという意味合いである。
(「第4、差別の定義 1、禁止されるべき差別の形態 2、不均等待遇」)
- (棟居部会長)「第4、差別の定義」の「1、禁止されるべき差別の形態」では以下のことを述べている。第1に、障害者権利条約等を踏まえ合理的配慮の不提供を含むあらゆる形態の差別を禁止し、どのような行為が禁止されるのかについての判断基準をわかりやすく示すこと。第2に、当部会で諸外国の立法例等から差別の類型として直接差別、間接差別、関連差別、合理的配慮の不提供について検討したこと。第3に、間接差別は中立的な規則の適用により障害者が排除される類型であるが、同時に障害に関連する事由による差別としても構成できることから、これを関連差別に統合すること。第4に、直接差別と関連差別も区別が困難な場合が多いことから、不均等待遇として一本化すること。そして、不均等待遇と合理的配慮の不提供という2つの類型であらゆる差別を禁止すること。
「2、不均等待遇」では以下のことを述べている。第1に、障害または障害に関連した事由を理由とする差別は障害や障害者への思い込みやステレオタイプから異なる取扱いをすることなので、相手方が正当化するだけの事由がある例外を除いて禁止されるべきであること。第2に、過去の障害、将来発生する障害、誤認された障害を理由に障害のない人や家族等の関係者に不均等な取扱いをすることも障害を理由とした差別に含まれること。第3に、積極的に害を加える意図がなくても、行為者に障害または障害に関連する事由を理由として異なる取扱いをしているとの認識があれば不均等待遇に当たること。第4に、障害または障害に関連する事由を理由とする異なる取扱いが正当な目的でやむを得ず行われた場合は是認されるが、その立証責任は行為者が負うこと。第5に、積極的差別是正措置等の障害者への各種の優遇措置は本法に基づき禁止される差別には当たらないこと。
- (発言)3委員の提出資料「障害者差別禁止法要綱(案)」では、直接差別・間接差別・関連差別を1つの条項に含め、また、合理的配慮を行わないことも差別としている。直接差別、間接差別、関連差別に関しては不利益取扱い等に正当な目的があり、その目的を達成するためにやむを得ない場合は差別にならないとしている。合理的配慮に関しては業務の本質を損なう、過度の負担になる等の場合は、これを提供しなくても差別にならないとしている。
- (発言)3委員の提出資料の「4 障害に基づく差別の定義」に「障害に基づいて、又は障害に関連して、直接又は間接に」とあるが「障害に関連して、間接に」は言葉が重なっている。「資料1」の5、6ページに「思い込みやステレオタイプ」とあり、1ページには「無理解や偏見」という表現がある。同じ意味で使っているならば、言葉を統一してはどうか。
- (棟居部会長)「無理解や偏見」は積極的に差別的な行為をするときの動機として、また「思い込みやステレオタイプ」は行為といった動きを伴わない不均等待遇の背景として使い分けてはいるが、誤解されるならば統一した方がよい。
- (発言)「資料1」に提起された内容について、基本的に支持する。障害者が受けてきた差別は直接差別や間接差別等に単純に分類できるものではなく、様々な要因が絡み合って生じていることを明記する必要がある。不均等待遇という言葉は一般の人にも分かりやすいが、異なる取扱いは積極的是正措置や合理的配慮も含むので、不利益を意味する言葉だとは必ずしも理解されないのではないか。正当化事由に関して「当該取扱いが客観的に見て、正当な目的の下に行われたものであり」とあるが、この客観性という物差しが差別禁止法の必要性につながっているので、より踏み込んだ表現にする必要性について検討するべきである。
- (東室長)障害者が受ける差別は様々な要因が絡み合って生じているとのことだが、差別という事実は1つであるが、その評価の仕方がいくつかあるために混乱し、実態が複雑に見えるということではないか。
- (発言)大事なことは障害者がどういう差別を受けているのかである。障害のない人が当たり前に参加している機会や待遇を、障害があるために受けることができないという事実をどう解消するかが中心的な課題である。
- (東室長)例えば点字を用意していないという実態は単純であるが、これを説明する際に、間接差別か関連差別か等が問題になり、混乱するのではないか。実際の差別の形は個々に違うが、様々な要因が絡み合っているわけではない。
- (発言)特別支援学校や障害者施設、あるいは雇用就労の場における代替措置的なシステムは積極的差別是正措置ではないと解釈してよいか。
- (棟居部会長)特別支援学校等が積極的差別是正措置に入るという見方は念頭にはなかった。
- (発言)「資料1」の3ページ「第4、差別の定義」に、障害を理由とする差別に関する行為準則を分かりやすく示すことが目的であるとの趣旨が書かれているが、その通りである。6ページ「3 主観的要素」の「障害以外にも異なる取扱いを行った理由が存在する場合には、必ずしも障害が主たる理由であることまでは必要とならない」はどういう意図か。「2 過去の障害等」について、過去の障害や家族の障害についての予見可能性を企業側は実際にどう判断するのか。
- (棟居部会長)「3 主観的要素」についての質問に関しては、複数の理由がある場合に障害が理由で差別が行われていれば、その他の理由の有無に関わらず本法の対象にするということである。
- (発言)「必ずしも障害者が主たる理由であることまでは必要とならない」とまで書くと、障害を理由とする部分がわずかな場合もこの法律でカバーすることになり、不適切ではないか。
- (発言)在日朝鮮人で全盲の人が長い間、就職できなかった。彼の人格を障害と在日に分けて議論することは不可能である。そうすると、障害を理由とする異なる取扱いがされている場合には、本法で対応するべきではないかというのが、この部分の趣旨である。
- (東室長)過去の障害等の予見可能性の問題についてであるが、過去に障害があったことや将来に生じる障害のことを知らずに、違う取扱いをした場合は差別に当たらない。知っていて違う取扱いをした場合(原告側がそれを立証するのは困難だが)には差別となるが、行為者側は知らなければ差別にならない。
- (発言)「資料1」4ページからの差別の類型では、間接差別は関連差別でカバーできるので、類型として挙げないことが前提になっている。裁判では間接差別の場合、原告は中立的な規定が存在することと、その規定を適用すると障害者が排除されることの2つを証明すればよいのではないか。一方、関連差別の場合はこれに加えて障害と関連があることが要件になるので、主張すべき事項が1個増えるのではないか。また、関連があることについて行為者に認識があることも要件となる可能性がある。こうした関連性が裁判所で厳密な要件とされると関連差別が立証できないことが懸念されるので、間接差別は残してもよいのではないか。
- (棟居部会長)裁判所に判断を委ねるという側面が大きいが、結局は間接差別と関連差別を一本化することになるので、上記のような懸念は当たらないのではないか。ただ、分かりやすい行為規範を示すという観点からいうと、分かりにくい概念である間接差別を関連差別に一本化するのは冒険である。裁判所は簡単には差別であると認定しないことが考えられ、長い闘いになるのではないか。
- (発言)間接差別の場合も中立的な基準と不利益を被ったことだけではなく、そのことと障害との関連を証明しなければならないのではないか。
- (発言)間接差別の場合は中立的な規定の存在と、その結果として排除されていることを証明するのだが、「その結果として」という中に障害との関連が含まれている。それが、関連差別の場合は独立した要件となり、障害との関連を証明することが求められるのではないか。
- (発言)イギリス等の経験では間接差別の方が証明は大変である。間接差別の場合は、同じような障害者集団がそのルールによって排除されていることの証明や比較対象が必要であるが、関連差別の場合、比較対象は不要で、自分が排除されていることを証明すればよい。
- (発言)関連差別に間接差別を統合した場合、その範囲がどこまで広がるのか不明確になるので、分かりやすいルールという観点から、「障害に関連する」には中立的な基準を適用しているように見えて結果的に一定の障害者を排除する効果を持つことを含むといった定義を法律に書かざるを得ないだろう。
- (発言)「障害に基づく差別」の方が「障害を理由とする差別」よりよいのではないか。「資料1」では「事由ゆえに」「事由を理由にする」等の表記もあるので、これらは統一してはどうか。「不均等取扱い」「不均等待遇」「不均等な取扱い」等も統一していただきたい。行為準則という言葉は日本語として一般的ではないので、行為規範としてはどうか。
- (発言)「資料1」6ページにある、差別されている側の認識で足りるとする主観的要素と、差別的取扱いが客観的にやむを得ないとする正当化事由とでは、どちらが優先されるのか。
- (棟居部会長)主観的要素は成立に関する要件で、これが満たされ異なる取扱いを行っているとの認識があれば差別になる。ただし、正当化事由によりその取扱いが例外的に正当化できる場合は差別ではないことになる。訴訟の場での技術論まで踏まえているわけではない。
- (発言)差別禁止法は障害のある人への不利益な取扱いのみを禁止するのか、それとも合理的配慮等の優遇も異なる取り扱いとして禁止するのか。
- (棟居部会長)障害者差別を禁止するので、優遇は禁止の対象としては念頭に置いていない。障害者への合理的配慮が必要であるという一方で、行き過ぎると合理的配慮を課された側が逆差別を受けることになるとすると、合理的配慮の幅が狭くなりリスクを負うことになる。
- (発言)「障害に基づく差別」の方が「障害を理由とする差別」よりよいという意見があったが、どうしてか。
- (発言)「障害を理由とする」と言うと、障害との関連を厳密に示さなければいけないのではないか。また「~の事由を理由とする」では表現が重なっている。「障害に基づく」とすれば障害に基づいて差別が発生していることさえ示せばよいのではないか。
- (発言)語感として、「理由とする」は人間の意思的な作用が要素として入るが、「基づく」は客観的に関係性があればよいのではないか。
- (発言)差別を不均等な取扱いとする点は、他の人には一定の取扱いをしているが障害者にはそれをしないということが示されるので、適当ではないか。結婚、養子縁組、友人間の私的なサークル活動や趣味の会等私的な親密圏と言われるものは、本法の対象外とするべきではないか。「資料1」の6ページにある主観的要素について、民法の一般ルールでは損害賠償の場合は主観的要件として故意・過失があり、差止めの場合には客観的な違法性や権利侵害があれば足りると考えられているが、この主観的要素と民法との関係をどうとらえるか。また、本法の趣旨が平等取扱いにあるなら主観に関わりなく不平等な取扱いは是正しなければならないが、それでもなお主観的要素が問題になるとすると、人格を害することが行われている場合の保護の必要性といった趣旨が含められていると見ることができるのではないか。以上を踏まえ、主観的要素という要件をどのような意味で取り上げるのかを明らかにする必要がある。
- (棟居部会長)親密圏といった極めてパーソナルな事柄がこの法律の射程外だという点については合理的配慮の所で書いている。
- (東室長)主観的要素については、悪意や害がなくとも差別になることがあるという点をはっきりさせるという意味で書いている。また、差止め等の要件である客観違法があれば故意や過失は必ずしも必要ないという議論については、相手方に認識がなく過失もない場合にまで現時点で平等を要求するのはどうなのかという疑問がある。共生社会をつくる過程で、合意を作った上で次の段階に進むという過程が必要ではないか等の議論もあるだろう。
- (発言)「資料1」の1ページ「第1、理念」にある完全参加は社会生活への参加を指すとのことだが、だとすると周りの人に認識がなければ社会生活に参加ができないのはどうなのかという問題が出てくる。
- (東室長)実際の場面では、どうして障害者にはできないのかといった交渉が始まる。するとその時点で障害があることが相手方にも分かるので、不都合は起きないのではないか。
- (発言)「資料1」の7ページにある積極的差別是正措置については、それが必要ない社会を目指すが当面は必要性があるということだろう。当面が恒久的にならないよう、積極的差別是正措置が必要ない社会づくりに向けた取組みをするという考え方が望ましいのではないか。
- (発言)中間とりまとめでは、雇用率を当面は積極的差別是正措置として認めざるを得ないという議論をした。ただし、特定子会社等に障害者を集めて雇用率を達成したとする実態も現に出てきているため、一般論として積極的差別是正措置は否定しないが、運用等においては基本理念に反することがないようにといった注意規定を置くべきである。
- (棟居部会長)積極的差別是正措置が弁明に使われると、それ自体が社会的障壁になるという逆説的なことになる。この取りまとめは、提言として立法につなげるというだけではなく、社会に向けて提案をするという姿勢が色濃く出た方がよいかもしれない。
(「第4、差別の定義 3、合理的配慮の不提供」)
- (棟居部会長)合理的配慮の不提供では以下のことを述べている。第一に、障害者権利条約を踏まえ、社会的障壁により障害者の実質的な権利行使が妨げられている場合に、障害者からの求めに応じて必要かつ適当な調整を行わないこと、すなわち合理的配慮の不提供は差別とすること。第二に、障害のない人に提供されるサービスや機会は障害者にも利用可能であるべきだとの考え方から、合理的配慮という作為義務が相手方に課せられること。第三に、合理的配慮をしないことが差別となる分野は、障害のない人へ何らかの役務が提供される、または機会や権利が与えられている分野であり、私的な領域等には合理的配慮は義務づけられないこと。次に、合理的配慮の内容としては基準・手順の変更、物理的形状の変更、補助器具・サービスの提供が考えられ、過度の負担が生じる場合には義務づけられないこと。過度の負担かどうかは合理的配慮の提供に係るコスト、業務に支障があるか、サービスの本質が損なわれるか等によって判断され、義務づけられない場合の立証責任は差別をする側にあること。更に、合理的配慮及び過度の負担は個別性が強い概念なので、基準としての明確性という観点から国が障害者や事業者、国民の理解の下でガイドラインを作成するべきであること。また、合理的配慮の内容は障害者と求められた者が協議して確定することが望ましいが、合意できない場合は調停等行政機関による解決や最終的には司法の場での判断になること。最後に、合理的配慮の実効性を担保するため、求めがない場合でもあらかじめ何らかの措置を講じるべきだとする事前的改善措置については、現時点では本法の対象とはしないこと。
- (発言)「資料1」は一読して意味が分かりにくい箇所がある。9ページに「相手方の性格、業務の内容、業務の規模、業務の公共性、不特定性、事業規模から見た負担の割合」とあるが、業務の規模と事業規模からみた負担の割合とは内容が重なっている。事前的改善措置はバリアフリー施策とは違い司法的救済までを想定しているから盛り込むべきであるが、現時点ではそれが難しいという点は理解している。法律の実施状況を見て見直す際には、検討に値する重要な論点であると書いていただきたい。全体として、三役の原案は素晴らしい内容である。
- (発言)発達障害や知的障害の方々への合理的配慮については議論が深まっていない。一般企業で働く知的障害、発達障害、精神障害の方々が増えているが、定着しないのは職場の側に障害特性の理解が足りないからではないか。コミュニケーション特性の理解に基づいた指導、環境整備、人間関係の調整等が必要で、感覚過敏の人にパーテーションで仕切って良好な労働環境を提供する、混乱してパニックを起こす人のために一時避難できるスペースを用意する等の合理的配慮があれば定着できる人も増えるだろう。ガイドライン等にも盛り込んでいただきたい。合理的配慮を提供せずに厳しい指導をすることで、本人がストレスをためうつ状態やひきこもりになるケースは精神的虐待ではないか。「資料1」6ページの過去の障害等にある「家族等の障害関係者に対して不均等な取扱いをすること」は家族にとってはありがたい指摘であるが、具体的にはどのようなことを想定しているのか。
- (棟居部会長)ガイドラインには知的障害、発達障害等についても盛り込むべきとの指摘はその通りである。
- (東室長)合理的配慮を提供せずに厳しい指導をすることでうつ状態等になるのは精神的虐待にあたる場合もある。虐待防止法の要件は厳しいので、これに当たらなくとも、いじめに当たる場合もあるだろう。ただ、虐待防止法でカバーしない取扱いを、差別禁止法でいじめやハラスメントとして取り上げることがどうかという問題になる。
- (棟居部会長)「家族等の障害関係者に対して不均等な取扱いをすること」で想定しているのは、子どもが障害児だから早く帰る必要がある働く母親に対して差別的な取扱いをすることも、障害を理由とする差別に当たるといったことである。
- (発言)発達障害は親のしつけが原因であるとして、親の子育てについての条例や法律を作る動きがあるが、これは不均等な取扱いに当たるのか。
- (棟居部会長)個人の意見だが、差別禁止法の大前提は障害をありのままに受け入れることなので、障害が誰の責任なのかは詮索しないはずである。親の責任を持ち出すことは、障害をある種の加害行為の結果だとして親子関係や家族関係に負のレッテルを貼ることであり、そのような考え方は理解しがたい。こうした条例の動き等はまったく意識していない。
- (発言)「資料1」7ページで、合理的配慮は「権利の制限の原因を除去するため」に必要であると説明しているが、待遇や取扱い等明確な権利性まで至らない不均等取扱いに対する合理的配慮も必要ではないか。3委員の提出資料の1ページでは、この点を意識して「平等に権利を行使し、又は均等な機会や待遇を保障するために」合理的配慮を行わないことは差別に当たるとしている。「資料1」の意図はこれと同じか。「資料1」の10ページに「合意形成をベースにした行政機関による解決の仕組み」とあるが、合意形成をどの機関で行うかが重要である。3委員の提出資料では、合理的配慮の調整及び紛争解決を行う機関として障害者基本法に基づく障害者政策委員会を提案している。単に「合意形成をベースにした行政機関」とだけ書くと、文科省が用意しているように教育委員会において内部的に行い、第三者が関与できなるということがあり得る。
- (棟居部会長)「合意形成をベースにした行政機関」と書くだけでは第三者性が担保されないという指摘はその通りである。救済は次回のテーマなので、指摘を取入れて修文する。合理的配慮についての記述が権利にこだわり過ぎて狭くなっているので、実効性をもたせるために、不均等な待遇等事実に即して書くべきであるという指摘もその通りである。
- (発言)「資料1」の7ページ、「3.合理的配慮の不提供」の「1)障害者権利条約における定義」と「2)合理的配慮が求められる根拠」は簡潔に分かりやすくまとめていただきたい。9ページ「7)合理的配慮の実現に向けたプロセス」に関わって、雇用の分野には職場介助者等の障害者雇用促進法に基づく支援策があるが、合理的配慮を実現する中でこうした公的制度の位置づけについて検討する必要がある。
- (棟居部会長)簡潔に書くべきとの指摘には応えたい。公的制度と合理的配慮の関連に関しては、10ページの「8)事前的改善措置との関係」で、公的制度は本法の対象としないと整理している。
- (発言)障害者が働く上で必要な環境を整えるために助成金や人的支援のメニューがあるので、合理的配慮については予算措置も含め、こうした現行制度でどこまで対応できるのかといった検討も必要である。教育分野でも通学や介助が大きな負担になっている実態があるので、同様の検討が必要である。
- (東室長)権利条約では差別禁止に関することと、差別が起きないために国がすべき施策という2つの要素が書かれている。本法は、まずは前者を実定法化するものであり、国の様々な施策を実行するための法律ではない。しかし、差別の解消や防止、合理的配慮が求められる人への支援等を国の施策として位置付けるならば7ページ「3、合理的配慮の不提供」ではなく2ページ「3、国等の責務」で書くことになるのか、また総則で書くならば雇用や教育等特定分野の規定ではなく全般的なものとして書くことになるのか等について、ご議論いただきたい。
- (発言)財政的な支援があると合理的配慮をしやすいのは確かだが、予算の範囲内に限定されるという側面もある。予算の有無にかかわらず、対応すべきことは対応するという共通理解が必要である。
- (発言)合理的配慮の不提供を差別と位置づける場合の射程や要件について、「資料1」の7ページには「社会的障壁により障害者の実質的な権利行使が妨げられている場合」といった一般的な記述と、「・・障害のない人には・・サービス、社会的インフラなどが・・提供され、障害のない人にとってもこれを利用することなくしてはもはや日常生活や社会生活が営めないほど人々の生活に深くかかわりをもっているにもかかわらず、それらを障害者が利用できなければ」といった具体的な記述があるが、どちらの形で定めるのか。
- (棟居部会長)社会的障壁は偏見や固定的な物の見方が集積してできており、そこには既に余計な作為がある。これに対し合理的配慮は私人間に今までなかった作為請求権や作為義務を発生させるものであり、日本の法体系では違和感のある制度だという懸念や拒絶反応があるだろう。だから丁寧に分かりやすく説明をする必要があり、権利条約の考え方を述べると同時に、合理的配慮が求められる場面を明確にすることで今までやってきた事柄を制度的に整理するだけであることを示し、国民一般に安心してもらうことを意図している。さらに拒絶反応を取り除くために、私的な領域は適用対象にならないことも述べている。
- (発言)「資料1」の8ページに「何らかのサービス、役務提供」とあるが、サービスか役務提供のどちらかでよいのではないか。合理的配慮と積極的差別是正措置を区別する判断基準を一般の人に分かりやすく示す必要がある。合理的配慮は、障害者個々人のニーズに即した配慮という個別性と、障害者が要求してから相手側に措置を講じる義務が発生するという事後性がポイントであり、他方で積極的差別是正措置は、障害者集団が歴史的に受けてきた不利な立場を是正するという集団性と、要求される前から施策等として措置をとる事前性が特徴である。その上で、合理的配慮に対しては司法的救済が担保されることや、積極的差別津是正措置は逆差別には当たらないこと等を示すとよいのではないか。
- (発言)「資料1」の7ページにある「3、合理的配慮の不提供」について、障害者自身からの求めがない場合はどう考えるのか。また、特定のあるいは複数の障害者から多くの求めがあった場合に、仮に全体の8割しか実現しなかった場合は差別になるのか。8ページの「5)正当化事由」について「過度の負担であるかどうかの判断に当たっては・・・経済的・財政的なコストの他に業務遂行に及ぼす影響等を考慮する必要がある」としたにもかかわらず、続いて「障害者が直面している事柄の重要性、配慮の不可欠性、非代替性、配慮がないことによって被る不利益の性格や重大性が判断の要素として考慮されることになるであろう」と書かれている点には疑問がある。この流れからみて、整理の仕方に問題があるのではないか。
- (棟居部会長)障害者の求めには応じられないが別の形でサービスが提供できる場合に合理的配慮と言えるかという点について、合理的配慮を求めるというのは本人が手を挙げるということで、配慮の内容を過度に特定するところまでは意味しないのではないか。客観的に合理的配慮と見ることができれば足りる。100のうちコストや時間の制約等から80しか合理的配慮を尽くせない場合は、正当化事由が存在するかどうかが問題になる。ただ、この障害者には合理的配慮を提供しこの人には提供しないという新たな差別が発生すると、これは別次元の話になる。経済的・財政的なコストの面だけで正当化事由になるはずなのに、障害者への影響という質のファクターが同時に出てくるという整理はおかしいのではないかという指摘についても三役で検討したい。
- (発言)「資料1」の9ページ「5)正当化事由」についての議論に関連して、何をもって過度の負担と言うかが問題になる。相手方の能力や経済力と比較して合理的配慮にかかるコストが多過ぎるかどうかを考えると、相手方のみが基準になる。一方、障害者の必要性と比較して、相手方の負担が過大かどうかを考えるという立場もある。「資料1」の提案は後者の考え方をとっているが、どちらが適当なのかについて検討していただきたい。
- (発言)過度の負担についてはEU内でも議論がある。まず、合理的配慮の必要性とそれが適正であるかどうかが問題になり、次にその合理的配慮が過度な負担かどうかが検討されるようである。後者のみが、あるいは後者が主に検討されるのは問題ではないかという議論がある。
- (発言)障害者の求めのうち80%が実現している場合は合理的配慮を提供したと言えるかどうかについては、事案によって変わるので今後の課題である。選挙で投票できない場合は80%の人が投票可能になったからいって、国民の権利である参政権が確保できないという状態は改善されていない。
[以上]
▲ このページの上へ