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障がい者制度改革推進会議 差別禁止部会(第6回)
議事録

○棟居部会長 定刻になりましたので、これより第6回「障がい者制度改革推進会議差別禁止部会」を開催させていただきます。
差別禁止部会は一般傍聴者の方にも公開いたします。また、会議の模様はインターネットを通じても幅広く情報提供いたします。
なお、御発言に際してのお願いとして、発言を求めるときはまず挙手をいただき、指名を受けた後、御自身のお名前を述べられてから、可能な限りゆっくりと御発言いただくようお願いします。
本日の会議は18時までを予定しております。
それでは、東室長から委員、オブザーバー及び専門協力員の出席状況と資料説明をお願いします。
○東室長 こんにちは。担当室の東です。
本日は川島委員、山崎委員、松本オブザーバーが御欠席でございます。その他の委員、オブザーバー、専門協力員は御出席です。
本日の議事は15分の休憩を2回とることにいたしまして、3つのコーナーに分けて行います。
第1のコーナーは90分を予定しております。直接差別についての議論になります。事前に委員の皆様に論点をお示ししております。まずその御意見の特徴を事務局から御紹介申し上げ、その後、議論することになります。
第2のコーナーは50分でヒアリングでございます。間接差別について相澤専門協力員より30分ほどレクチャーをいただきまして、その後、20分で議論することになります。
第3のコーナーは60分で、間接差別について議論する予定です。まず論点に関する委員の皆さんからの御意見の特徴を事務局から紹介し、続いて、西村委員が提出された資料の説明をしていただきます。その後、議論に移ることになっております。
以上が大枠です。
資料の確認をさせていただきます。
議事次第、座席表に続きまして、資料1が「『差別』の類型論を巡る論点(その1)」。
資料2が「『差別』の類型論を巡る論点(その1)に関する意見一覧」。
資料3が相澤専門協力員提出に係る資料。「間接差別について」という表題がついております。
続きまして、西村委員提出資料が2つございます。
最後に参考資料として「各国差別禁止法における差別の一般的定義比較表」があります。
以上でございますが、お手元に資料はありますでしょうか。御確認ください。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。
それでは、議事に入らせていただきます。
第1のコーナーは直接差別についてです。まず30分程度に論点(その1)について議論します。
最初に東室長から論点に関する委員の意見の特徴を10分程度で紹介していただきます。お願いします。
○東室長 担当室の東です。
今日は大きく分けると、直接差別と間接差別を議論することになります。合理的配慮の問題については、次回で議論する予定です。
まず差別類型の中では、言わば古典的な類型とも言える直接差別について議論をいたします。ただし、何をもって直接差別というのか、間接差別や合理的配慮とどこが違うのか、更には障害に起因する事由による差別など新しい類型といったものがある中で、いろいろ御見解があるかと思います。いずれこの問題につきましては、これらの類型の守備範囲とか相互関係などを議論いたす所存でございます。ただ、まずはそれぞれの類型の問題となりそうな点を議論する必要があるかと思っています。その上で、先ほど言いましたように、それぞれの類型の守備範囲とか相互関係などを整理していくという段取りになると思っています。
そこで、直接差別の論点の第1点目としてありますのは、差別的取扱いがなされるときの理由づけの多様性について、その実態といいますか、そこら辺りを共通認識する必要があるかと思いまして、9つぐらいの事例を取り上げてみました。9つの事例についての御意見を伺いましたけれども、御意見としては、例えば機能障害や能力障害という障害者個人にまつわる個人的な要素を理由づけにするものから、障害者が置かれた社会的状況であったり、障害者への忌避とか偏見、またはステレオタイプな見方など、障害者個人というよりも社会の側の要素があるという御指摘を受けておりまして、それが単独もしくは複合的な形で理由づけになっているという御意見だったと思います。
ここでの議論は、個々の事例ごとに何が理由づけとなっているのか、正解は何かといったことを詰めて議論することが目的ではありません。むしろなぜこのような多様な意見が出てきたのか、障害差別の場合、評価する人がどこに注目するかでかなり結論が異なる。逆にいえば、障害差別の場合、障害に関連するさまざまな要素が絡み合っていることがあるのではないかと思われます。ですので、この点に関して、個別の事案をどう考えるかというよりも、むしろなぜこのように評価が分かれているのかといった点について御意見があれば、その点を重点的に述べていただければと思っています。
続きまして、論点の2番目ですが、差別的取扱いの理由と障害の関係と題して、差別の根拠の多様性を差別禁止法の対象として取り込むためには、どのような考え方、方法があるかといった点について御意見を伺っております。
まず理由づけの多様性を前提として、どの範囲まで差別禁止の対象とすべきかという点に関しましては、障害に関連して差別の根拠となる多様な事柄をできる限り広く差別禁止の対象に取り込むべきであるという点がほとんどの委員の御意見でした。ただ、一般論としてだろうと思いますけれども、現実に発生する不利益や損害の中から差別と言われる特定の類型のみを取り出して、簡易迅速な救済など特段の保護を与えるとすれば、差別の範囲は明確でなければならない。その分、ある程度の限定もやむを得ないといった御意見もございました。
次に差別の根拠となる多様な事柄、差別禁止に取り組む方法に関しまして、1つは障害を理由にした差別という場合の障害を社会モデルの視点から、障害者の個人の機能障害や能力障害のみならず、その人を囲む社会的障壁も含むと考えれば、障害を理由にした差別という規定の仕方で対処できると思われます。これは前回議論したところであります。
しかしながら、今回聞いておりますのは、障害を心身の機能障害に限定する立場に立った場合にどうするかということであるわけです。そうした前提をとった場合の御意見としては、まず障害を理由とする文言でも、障害に関連する直接的な障害以外の事由が必ずしも除外されるものではないとする御意見もあります。ただ、一方で、障害に関してとか、障害に基づくとか、障害に起因する、もしくは障害の結果として発生する事由を理由とするといった規定の仕方が適当ではなかろうかという意見があります。
更に障害を理由とするという書きぶりをする場合については、その理由には、障害に関連する事由も含まれるといった理由の中身についての解釈規定を設けるべきだといった御意見もございました。
いずれにしても、立法するに当たっては、禁止される対象を明確化するといった要請があると思います。その点は皆さんも合意できる点だろうと思います。ですので、そのような観点から更に議論していただければと思っております。
なお、これらの議論に関連して、間接差別や合理的配慮との関連性を論拠として挙げておられる委員の方もおられます。この点に関して若干気になるのは、障害を理由とする差別が一番広い概念で、その中に直接差別、間接差別、合理的配慮という3つの類型があると考えておられると思われる御意見と、統一的な差別概念はなくて、直接差別、間接差別、合理的配慮というのは3つ合わせて差別の問題であって、相対的に別個のものだという前提で考えられておられる、大きく分ければ2つの立場があるという感じがします。ただ、ここで出しました論点の前提としては、それぞれ別個の類型であって、障害を理由とする差別というのは直接差別をさしております。
先ほど言いましたように、差別の3類型もしくは4類型の関係については、次回に議論する予定です。
論点の1についての報告は以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。
それでは、議論に移りたいと思います。
1、2併せて両者の関連が深いということで、どこから切り込んでいただいても結構かと思います。また、これは何度も東室長からも御発言があったかと思うんですけれども、あるいはそういう趣旨でおっしゃっていると思うんですが、勿論私を含めて前回、今回いろんな回答がございました。私にとってはかなり厳しい試験だという感じもありましたが、回答したのは、あくまで現時点でこの文脈でこのように考えたということでありまして、今日この時点で皆さんが御議論される内容も勿論随時変更していただくのは、まさに議論の場ですから、何ら差し支えないものと考えております。むしろそうやって議論を発展させて、収斂させていただければよろしいかと思っております。
そういうことで、どなたからでもいかがでしょうか。特に御発言がないというのが、実は一番予想していた展開で、ですから、今、現時点での発言には今後一切縛られるものではありませんというよけいな御注意までしておる次第なんです。
そういうことで、私から東室長に逆に出題意図を聞くという感じで、質問項目をどういうふうにしてお立てになったのかということを少しならして言っていただくと、逆にそれへの感想も含めた議論が誘発できるのではないかと思うんですが、いかがですか。
○東室長 こういう形で聞かれるのは、初めての体験です。
いつも質問する側ですので、答える立場ではないんですが、ざっくばらんに言いますと、これまで差別という問題について正面から議論してこられたことは余りないと思います。特に障害分野の差別については、公的なところで議論するのは初めてだろうと思いますし、道徳的にいって差別はよくないということは昔から言われてきたわけですけれども、一体差別とは何かという議論になるとほとんどない状態ですので、それぞれのイメージはあっても、共通のプラットホームといいますか、共通認識がない状態から議論を出発しなければならないという側面が1つあると思います。ですから、ある意味でフリーに議論していただきたい。ただ、差別という場合の一番の基本は憲法にあるわけで、憲法の基本的な価値とか考え方と障害の問題がどう絡んでいくのかという一番基本的な部分は押さえた形で議論をしたいという考え方がありました。
例えば今の議論でもそうですけれども、直接差別が何かときちっと枠組みを設定した上で議論するよりも、先ほど言いましたように、いろんなイメージとか考え方があると思いますので、直接差別や間接差別についてのそれぞれの委員のイメージの下で具体的に問題点を出し合って、最終的に議論し合うことが大事だということでつくっているわけです。
大体そんな感じです。
○棟居部会長 ありがとうございました。
こちらの方から逆にお伺いをしたのは、直接差別の第1の差別的取扱いの理由の多様性のところに、検討に当たっての背景や視点とあるんですが、これはみんな東室長にお書きいただいているわけですけれども、差別的取扱いの理由とされるものを突き詰めていくと、機能障害が問題とされているのか、能力障害が問題とされているのか、障害者そのものが忌避されているのか、障害者の置かれている社会状況そのものが問題とされているのか必ずしもはっきりしない場合もあると御指摘されているんですが、まさに、今、挙げられている機能障害、能力障害、忌避、社会状況、これらが個別事例ごとに質問条項でちりばめられているわけなんですけれども、この4点が障害者差別についての問題の特殊性といいますか、ややこしさではないかと、この記述を見まして、私も改めて考えさせられておる次第です。
まず機能障害というのがどこかにある。それに伴って、社会が要求する能力がないと、例えば普通科学級になじめないとか、体育の授業を受け入れないとか、そういう能力障害が出てくる。すると、社会の側が、言わばお荷物扱いをするといいますか、最初から排除してくるということで、能力者そのものを忌避していく。次第にそうした社会の側の個別の排除が全体の意識の中に定着してきまして、社会状況そのものが、言わば障害者という個人あるいは集団を除いても、社会の側といいますか、健常者の心の深いところにまで、そうした価値観といいますか、あるいは判断基準といいますか、そういうものが定着してしまう。初めはちょっとした機能障害、しかし、それが能力障害でしょうという社会の判定につながる。コストもあるんでしょうけれども、社会の側が忌避し排除してくる。それから、そうした単なるお金の話、能率の話がいつの間にか深い意味での意識にまで転嫁してくる。こういう4段階のような、言わば障害者差別のステップ、あるいは深くなるという意味での深化ですけれども、決してプログレスではなくて、始末が悪くなるというか、うちへ入っていく深まりというか、問題としての深刻化といいますか、そういう段階構造があるのではないか。
どこをたたいて、どこをほぐしていくかというのが非常に難しくて、最初の機能を医学的に治してしまえばいい、あるいは補ってしまえばいいというと、能力障害のところの排除の言い訳はなくなるんですけれども、忌避というところまではクリアーできるかもしれません。だけれども、最後の社会状況の方は、一旦心の中に沈み込んでしまっている健常者の意識みたいなものですから、なかなかそれを変えることは難しいとなる。要するに物すごく絡まっている糸を、どこをどうほぐしていけばいいのかということだと思います。
今回の質問項目もそれぞれがかなりばらばらに、これでもかと聞かれているような感じなんだけれども、結局1つずつが全部つながっているというところに、恐らく東さんの演出があるのではないか。何か大きな仕掛けがあるはずだと私は疑いを持ちながら『ヘンゼルとグレーテル』みたいに豆をちょっとずつ落として、絶対に迷子にならぬようにしながらいかなければいかぬと思いつつ回答した。そういう意味では、中途半端な回答に終始してしまっておるんですけれども、全部がつながっている。
全部がというのは、先ほど東さんがおっしゃっている機能障害、能力障害、忌避、社会状況、こういうもののどこを特に法的にとらえていくのか、これはある意味あらゆる局面を相手にしなければいけないんだけれども、それぞれ相手にするときの規範とか、あるいは正当化事由とかいろいろ変わってくるかもわかりません。最後の心のやみみたいな話というのは、法でどうこうできるかという問題も多分ございます。
そういうことで、私は要らぬことを言ったのかもしれません。
副部会長、どうぞ。
○竹下副部会長 部会長の話をずっと聞きながら、少しいら立ちながら聞いていたんですが、率直に言って、私は、今、部会長の話を聞いていても、やはりふんふんとは思えないんです。私は東室長の出題にどちらかといったら腹を立てながら答えた人間なんです。なぜかというと、直接差別と間接差別の理解が私自身はまだ十分には理解できません。結論だけ先に言います。それから、機能障害、能力障害、忌避、社会情勢という区別がわかりません。これがまず結論です。
ただ、こういう議論をさせようとしているのは、部会長がおっしゃるように、何が本質なのか、あるいは法で規制するというのは、どういう要件なのか。これはまさに山本先生のレポートに関係してくるんですけれども、何を要件にして法律において規制したり、あるいは是正を求めるための法律要件を明確にするために議論をしいるんだろうと思いながら、回答したんですけれども、それがまず前置きというか結論です。
その上で2つだけこの時点で申し上げたいのは、直接差別と間接差別というものの定義なり概念を、この場所で委員が最低のコンセンサスを得られるものになっているかどうか、まずその議論をしてほしいというのが第一のお願いです。とりわけ間接差別に対する疑問がどうしてもまだ頭の中で解けないんです。全部は読めていませんけれども、どの方の議論を見ていてもそうなんですが、非常にあいまいな言い方で恐縮ですけれども、障害ということを直接に名指しをして、あるいは障害を直接に要件として差別しない限りは間接差別だというようにおっしゃっているように見えなくもありませんが、他の理由によって、結果的には障害のある人が排除される場合とも読めるけれども、それはどこが違うのかというと、やはりわからない。
もう一つは、権利条約2条との関係です。権利条約2条では、差別を目的とすることに限らず、結果として差別となる場合もだめだと言っている。結果として差別となる場合を間接差別だと説明する人もいる。しかし、その部分は更にわからない。なぜかというと、主観主義といいますか、すなわち差別というものが意図した結果で生じるものであろうが、その方が差別意識がなかろうとも、結果的に差別という事象を生み出す限りは、その人の主観を問題にしないということが権利条約2条で言っていることなのかと思ったりもする。そのことと間接差別の違いがやはりわからない。これが間接差別、直接差別で今でも理解できない部分です。
それから、2番目の疑問は、そうは言ってみても、諸外国の立法例などを見ていると、分類をしていることの意味はどこにあるかということが基礎だと思います。ポイントだと思います。やはり分類するからには意味があるわけです。その意味というのは何かというと、立証、証明の問題であったり例外、あるいは山本先生の言葉を使えば阻却事由の違いであったり、罰則なり強制の仕方であったり、そういうものが違うから類型分けしているんだろうという気はするんです。そのことと、直接差別、間接差別とが結び付くのか、付かないのかということについて、むしろおわかりの方があれば教えていただきたい。これが2点目です。
以上です。
○東室長 まさに竹下副部会長が言われたように、わからないからみんなで議論してつくり上げようとしているんです。回答があるならいいんですけれども、はっきり言って、これはどこにも教科書がないんです。だれも模範解答を提案していないんです。ある意味で日本にとってはチャレンジなんです。外国で完成しているかというと、参考資料でお渡ししましたように、それぞれの各国の歴史的な発展状況を反映して、規定の仕方も統一されていません。ばらばらです。そういう中にあって、皆さんやはり漠然としているんです。竹下先生が言われたように、いろんなイメージで考えている。そういう中にあって、どこから議論を始めるか。最初に公式的にはこうなっていますという議論からしても、中身が伴わなければ共通理解にならないんです。そこに我々の出発点があるということをまず確認してほしいと思います。
その上で、いろんな議論を重ねながら、1回の議論ではなくて、まずざっとブレーンストーミングみたいな形で議論して、その中からこことここは共通点だとか、違うとか、そういう結論をみんなで出していきたいと思っているわけです。御意見を見ていると、結論を先に出さないと気が済まないような感じもします。でも、決して結論を求めているのではなくて、この点についてどう思うかというポイントを絞って聞いたつもりです。法律としてつくり上げていく上で、一つひとつの言葉がどういう意味を持つのか、それを丁寧に確認し、共通認識をつくりながら積み上げていくという作業が必要ではなかろうかということです。方向性が見えないのかもしれませんが、みんなでぼっとしているところは、ぼっとしているんだということを明らかにした上で議論を始めたい。そんなところからの論点表づくりと御理解いただければありがたいと思っています。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。
直接差別、間接差別について、直接差別の一番最初の質問で、障害があるということで養護学校に行くことが決めつけられたとか、脳性麻痺の人には云々で歯科治療ができませんとか、多動のお子さんは別のレストランに行ってくださいとか、障害を名指しして、障害を明らかに理由にしている。とりあえずそれは直接差別の例ということで、そこはクリアーしたとして、これは差別なんですかという問いが並んでいるということです。
直接、間接の概念の区別は、間接差別の方でやります。今日でいうと、相澤先生のお話を伺って、更に最後の第3コーナーの間接差別とは何ぞやというところで、直接、間接の概念の線の引き方について議論できるのではないかと思っております。
今の私の話はミスリーディングかもしれないんですが、直接差別と東室長にくくっていただきました第1、第2、直接差別の最初の2題につきまして、皆さんいろんな御回答を寄せられておるんですけれども、実はこちらの時間配分につきましては、あと5分ほどしかありません。この2点についてはございません。何かありませんかと言っているうちに、もう時間がきてしまうということです。
野沢委員、お願いします。
○野沢委員 野沢です。
なかなか出席できなくて、いつも心苦しく思っています。どういうわけか、この部会のときに用事が入ってしまって、やっと今日出たんですけれども、また後で抜けなければいけないということで、大変申し訳なく思っています。
この回答も私はできていないのであれなんですけれども、とにかく何でもいいので意見をということなので、それに答えるんですが、私は2006年10月に千葉県で差別をなくす条例というものをつくっていたんです。そのときに一番最初は差別とは何なのかよくわからないので、今日、東さんが出されたようなこの手のもので、皆さん体験したことはありませんか、教えてくださいと県民に募集しました。なかなか集まらなかったんですけれども、最終的には八百幾つも事例が集まって、やはりこの手のものはいっぱい出てきました。ありとあらゆる分野で、こちらが思いもよらないものもたくさん出てきたんです。それを半年ぐらいかけてみんなで分析して、果たしてこれはどういう類型なのかとか、なぜこういうことが起きるのかとか、どうすればいいんだろうということをやったんです。寄せられた意見をそのままやったものですから、本当のことはわからないんです。
例えば<6>の仕事は人並み以上にやってもらっているけれども、養護学校の高等部の卒業では中卒ぐらいの賃金しか払えません、言葉ではそう言われた。相手方にとってみれば、本当は能力が低くてお金はあげられないんだけれども、そうは直接言いづらいので、養護学校卒だとわかりやすいだろうということで、理由にしている場合もありますし、中には障害者がいると楽しめないからというんですけれども、本当はそうではない。私などがよく行く店でも、ちょっと迷惑というか、嫌な客が来ると店を出て行ってもらったりするところがあるんです。それは別にその人の障害の有無とか何とかではなくて、はっきり言うとお店の経営者の側の好き嫌いです。別に障害があっても、なくても、この店には合わない人は帰ってもらったりしている店もよく知っています。
全部が全部はっきりした理由はわからないんですけれども、ざっと見たところ、1つわかったのは、八百幾つの事例のうちのほとんどが悪意のある差別ではなくて、理解不足とか慣れていないところからくる問題で、ちょっと説明すると、意外に早くわかってもらえそうなものがほとんどだったんです。つまりわからないものに対する恐れだとか、過剰な警戒感だとか、敬遠したがる気持ちというものが基本的にはたくさんあった。考えてみると、そういうものに対して規制とかペナルティなどを突きつけていったときに、果たしてどうなるんだろうかということを考えたんです。入り口のところで差別かどうか白黒つけて規制していくのではなくて、むしろあいまいなままわかってもらう、慣れてもらう、理解してもらうというソフトなアプローチをしていった方が、その先の交流はすごくいい交流が生まれたりするんです。そういう将来的ないい交流や盛り上がりまでも、入り口のところで白黒決めてしまうと、殺してしまうことになりはしないかということを私はすごく懸念しているんです。だから、間口をすごく広くとるのはとてもいいんですけれども、こちらが混沌としていて、差別かどうかわからないけれども、何か嫌な気持ちだというのはいっぱいありますので、そういうものも全部俎上にあげてもらうことはとてもいいことなんですが、それに対して一律に全部規制というところで迫っていくと、ちょっともったいない気がするんです。
八百幾つの事例が集まった中で、ほとんどが理解不足だと言いましたけれども、中には確信的な悪意のある差別があって、あるいは制度や規則などに組み込まれた差別などもあります。これは理解してもらうとか、慣れてもらうとかでは解決が難しそうなものも幾つかあったんです。特にこの場、国がつくる法律については、やはりメインのターゲットはそちらではないかという気がしています。東さんにもいろいろアドバイスしていただいたんですけれども、県レベル、自治体レベルの条例は、嫌な思いをしたり、されてしまったり、させられたりしながらも、その後も同じ生活圏域で暮らしていく場の中では、ソフトなアプローチで理解を促していったり、慣れてもらう方が、長い目で見たときにはお互いにいいのではないか。ただし、それだけでは済まないものについては、国レベルできちんとした、ある程度の拘束力というか、強制力が伴うようなものが必要だと思っています。
千葉のときにも、最後の最後まで、罰則もないような、ただ理解してもらうというだけで差別をなくせるのかという異論が随分ありましたけれども、そのうち国が必ずそういうものをつくるのでということで、みんな納得したんです。だから、是非これはつくっていただかなければ困るということです。悪意があろうが、なかろうが、やはりやられている側は嫌な思いだし、差別だというのはいいんですけれども、それを解決するときのアプローチの仕方というのは、いろんなバリエーションがあった方がいいのではないかということを申し添えたいと思います。
○棟居部会長 太田さん、どうぞ。
○太田委員 太田です。
規制によるいろいろなアプローチがあった方がいいかどうかは別にして、思い起こせば、私が小さいときにしつこく母が言った言葉で、あんたは体に障害があるんだから、みんなから愛される人になりなさい、とにかくかわいがられる人になりなさい、人とうまく関係を築けるようになりなさいということを言われていました。現実はどうなったかわかりませんが、母が言った言葉の背景には、障害者が生きるに当たって、世間は冷たい、厳しい、不条理なことがいっぱいあるから、ある程度不条理には目をつぶって、相手に合わせていきなさい、余り自分のことを主張してはいけません、そうしていけば、それなりの生活はできるのではないかという背景を、母親が体験的に、自分の苦労から私に伝えたわけで、それはとりもなおさず、障害者がやはり差別されるということの裏返しであったし、私は今でもあると思います。
そして、機能障害、能力障害、忌避という段階を経ることが、そのままストレートに合理性を持つかどうかは私にはわかりませんが、この社会には厳然として嫌がる人たちはいて、嫌われる人たちがいて、その人たちは排除されようとしているということについて、きちんと人権的なアプローチが必要だと考えています。
○棟居部会長 ありがとうございました。
予定の時間を過ぎておるんですけれども、今、太田委員から、障害者である太田さんがお子さんのときに、人とうまく関係がつくれるような人間になれ、障害者教育の方で他人とのコミュニケーションが必要であるとお母さんがおっしゃった。健常者の方の教育はどうなんだというと、障害者など多様な人間とうまくやれるようにという教育を我々は受けてきていないのではないかと思います。それが先ほどの野沢委員のあれで、八百余の事例のうちほとんどは単なる理解不足であるということにつながっていて、これは教育の問題もあると思いました。
予定の時間を過ぎておりますので、大変申し訳ございませんけれども、とりあえず先に進行させていただきます。
続きまして、30分程度を予定しておりますけれども、論点3について議論したいと思います。
最初に東室長から論点に関する委員の意見の特徴を10分程度で紹介いただきたいと思います。どうぞ。
○東室長 担当室の東です。
3点目としては、直接差別はいかなる行為を言うのかということで、この点につきましては、異別取扱いか不利益処分かということです。異別取扱いというのは、異なる取扱いという意味ですが、異別取扱いか不利益処分かという形で問題提起をさせていただいております。
なぜこのような形で問題提起をしたのかという点につきましては、検討に当たっての背景や視点に書いておりますけれども、もう少し述べさせていただくと、障害者の権利条約は障害者が世界のすべての地域において、社会の平等な構成員としての参加を妨げる障壁に直面しているという認識を示しております。こういう認識を前提に、社会への完全かつ効果的な参加及びインクルージョンということや機会の均等などを権利条約の原則に盛り込んでいるわけです。ですので、完全で効果的な社会参加の前提としての機会均等というものが、障害者にとってはいまだ非常に重要な価値であるということが、20世紀を越えた権利条約の中で達成されるべき目標であることが改めて確認されております。
その点で異別取扱いの禁止による機会の均等を確保した憲法の原点といいましょうか、出発点が障害者にとってはいまだ現在の課題という状況にあるのではないか。確かに異別取扱いを原則とすると、合理的配慮は形式的には異別取扱いを求めるものですから、異別取扱い禁止と全く逆の方向性を持っていることになって、直接差別と合理的配慮は原則例外の関係にあるという見方も成り立ちます。しかしながら、合理的配慮が従来は形式的にしかとらえられなかった機会の均等を実質化するためにつくり上げられた側面があるということを考えると、実質的な意味では同じ方向性にあるととらえることもできると思います。そういう意味で、機会の均等の確保、そのための異別取扱いの禁止といったことを基本において議論すべき点ではないかということです。
合理的配慮が差別の類型に持ち込まれたということをもって、異別取扱いの禁止ということを相対的に低い位置に位置づけるというのはどうか。仮に差別類型の最も基本的な形である直接差別において、その行為の本質を不利益処分、言葉をかえれば差別に当たるか、当たらないかのメルクマールを利益を与える行為か、そうでない行為かというところに求めてしまうと、例えば一方でいかに地域社会から分離されたシステムや手段であっても、これが本人の利益のためだということで用意されたものが、まさに合理的配慮であるといった主張がまかり通るということにもなりかねない。他方で障害者の利益になるものであれば、何でも合理的配慮であるといった形の主張もあり得ると思うわけです。ですから、機会均等を実質的に確保する手段として合理的配慮をとらえないと、合理的配慮の守備範囲自体が非常にあいまいもことなってしまう。ひいては、差別禁止という枠内にあるからこそ認められる強い権利性というのが損なわれるおそれがあると思われます。
こういう議論の前提として、いわゆる障害を理由とする差別というのは、異別取扱い禁止なのか、不利益処分の禁止なのかといった一番基本的なところを議論しておくべきではいなのかといった点から出題させていただきました。
これについての委員の御意見は、不利益取扱いを重点にするべきだという考え方と、逆に異別取扱いに重点を置く考え方、更には双方とも含むべきといった3通りに分かれると思います。これらの点につきましては、事前意見と重複しても構いませんので、この場で更に議論を深めていただければと思っているところです。
以上です。
○棟居部会長 どうもありがとうございました。
それでは、議論に移りたいと思います。今度は問題点も1つでございます。いかがでしょうか。
太田さん、どうぞ。
○太田委員 私は基本的には両者、両方という立場でありながらも、どちらかといえば、異別取扱いを重視したいと現段階では考えています。どうしてかといえば、異別取扱いによって障害者が再生産されていく構造があるからです。
私は養護学校に行き、成人になって施設で生活をしました。養護学校にいるときに、特に中学生、高校生のときに地域の学校の生徒会の交流があったわけですが、今の私からは想像できないかもしれませんが、何も言えない、何も話ができない、地域の学校の人たちがいかに勉強ができて、すごい人なんだろうということで劣等感を持って、気持ちが萎縮する中でそういうものを行ったわけです。そういう中で、どんどん自分を障害者としてつくり上げていくわけです。障害者の自分を意識して、自分は障害者だということで卑屈になっていく。そういう関係は、多分多くの障害者とそうではない人たちとの間にもあるんだろうと思います。ですから、こういう議論があること自体がまさにおかしいというか、だれもが一緒に暮らせるのが当たり前で、障害のある人はどこかほかのところに行った方がいいという議論があること自体について、議論しなければならない状況があるということが悲しいと思います。
しかし、一方で、自発的に文化の継承というか、自分の気に入った仲間、自分と同じような仲間同士で交流する権利もあるわけで、それは障害とは関係ない。いろんな選択肢が用意されていくべきであると思います。体験的に障害のない人と違うルートを歩むことは、自分にとって悔しいし、悲しいです。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。
大きく異別取扱いそのもの、不利益取扱いという結果、そのどちらに重点を置くかという問いかけに対して、個人の経験談で異別取扱いをかなり重視されて、しかも、それが障害者の側にも逆に心の壁をつくっていくという話をされたと思います。重要だと御指摘になりながら、しかし、不利益取扱いと両方とも必要だということを言われたと勝手にまとめさせていただきます
皆さん、いかがでしょうか。大谷委員、お願いします。
○大谷委員 大谷です。
皆さん意見出しされていますので、加えることはないと思いますけれども、整理させていただきたいと思います。異別取扱いという形で問題提起がされておりますけれども、現在、憲法14条がありながら、なぜ差別禁止法が必要なのかというところから入ってくると、憲法の規定しているものを、具体的に、今、差別の定義として必要とされていることは何なのかという問題意識も共有する必要があるんだろうと思います。
従来から憲法14条というのは、法の下の平等で、法の適用においては遜色なしということで同一取扱いが原則とされてきたんですけれども、いずれのころからか、同一取扱いだけでは実質的な平等が勝ち取れない、実質的な平等が保障され得ないということで、何らかの合理的な取扱いをすることもあり得るということで調整されてきた経緯がある。そうだとする中で、多少障害がある人、マイノリティの人たちに対して差別とは何なのかということに関して、混乱が生じてきてしまったと思っています。
そこはもう一度頭を整理して、まず同一取扱いが原則、基本でなければならないということを加えて、それを前提にして、異別取扱いは本人が求めた場合のみに限る。本人が求めていないにもかかわらず、異別取扱いを強制されるような形で、結果として分離していくみたいな形が現にあったわけです。その結果、異別取扱いをした側がそうしたとしても、本人が求めていないにもかかわらず、その状態を我々が生んできてしまったという歴史的な経緯があるんだということは、共通に認識するべきだと思っています。
その上で、加えてまずは同一取扱い、ですから、異別取扱いは差別の1類型にその段階で当たる。その中でも区別と排除と制限という形で例示、類型化されていますけれども、排除と制限においては、異別取扱いそのものにおいて不利益が推定されている。だったら、区別だけどうなのか。要するに別異に取り扱うということで、何が利益か、不利益か、今まではよくわからないけれども、そのこと自体も強制された異別であるという限りにおいては、これは明確に差別であるということを共通の認識にしない限りは、この60年、憲法14条がありながら、今なぜ差別の定義をしなければいけないのかという問題意識を広くみんなに理解していただけないのではなかろうか。憲法14条があるんだからいいのではないかという議論に負けてしまうのではなかろうかと思っています。ですから、権利条約がはっきりと区別、排除、制限ということを踏まえた上で、差別禁止法をつくるということであるならば、特に区別に関しては差別類型として明確に掲げなければならないということは、皆さんに理解していただきたいと思っています。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。
最近の改憲論議の中では、憲法14条に人種、性別等々についての規定がありながら、障害というのがそこに挙がっていないのではないかという指摘もあったりしまして、憲法自身が障害者差別に十分に向かい合っていないという非難があります。これが当たっているかどうかわかりませんけれども、あったりしたわけでございます。
大谷委員のあれで、憲法ということでの過剰反応は慎みたいと思っております。私の憲法論しか言えないと思いますので、意味がないと思います。
このコーナーにつきましても、あと10分程度しか議論の時間が残っておりません。どんどん御発言いただけますでしょうか。今、まさに我々の間の別異をはっきりさせるプロセスだと思います。違うんだということです。最後は先ほど野沢さんがおっしゃったみたいな大人の寛容だということで落ち着くかもしれないけれども、制度で枠をかける話になりますから、どこかでは考えが違うようでは済まない。一本化しなければいけないということになります。しかし、それまでは散々違いを出していく段階だと思います。いかがでしょうか。
竹下副部会長、どうぞ。
○竹下副部会長 今度は短くします。
私は異別と区別とが日本語としてどう違うのか理解していませんが、権利条約で注意してほしいと思うことがあるんです。権利条約の2条の差別というところでは、不利益取扱い、合理的配慮義務不履行、もう一つ大事なのは区別という単語が使われていると思います。すなわち、それが不利益であるか、合理的配慮不足であるかはともかく、区別すること自身もだめだと言っているのが権利条約の2条だという理解です。それが正しいのであれば、今の議論の前提としては、権利条約の2条にまず立つのかどうか。もっといえば、人は善意だろうか、あるいは悪意であろうが、現実に区別によって生ずる精神的な苦痛がもたらされるとすれば、それは権利条約が排除しようとしているということに尽きるのではないかという理解に立っています。そういうことをどこまで我々が念頭に置いて、国内の立法をするかということが大事だと思っています。
以上です。
○棟居部会長 今、おっしゃったのは、別異取扱いという言葉でこれから議論しようとしていることだと思います。つまりカテゴリーにくくってしまうということ自体の問題だと思います。それで損しなければいいだろうというのが利益云々という話です。ですから、利益だけを見ていると、セパレート・バット・イコールであるという話にもなってきかねないということです。そういう意味では、私個人も別異取扱いという概念、ここでは異別取扱い、そういうカテゴリーでくくってしまう、グルーピングしてしまうということ自体をかなり問題視しなければいかぬのではないかと思っています。
あと5分あるかないかです。いかがでしょうか。
東室長、お願いします。
○東室長 太田委員と大谷委員が言われたところで、共通項というのは、選択権という問題だと思います。いろんな機会がある中で、その機会を選択することの重要性というか、選択権が奪われること自体が非常に大きな不利益であるということが、本当に国民の意識として、当たり前の話として認知されていけば、異別取扱いと不利益処分というのは余り区別する意味がないという感じもするんです。しかしながら、選択ということが権利としてどれだけ保障されているかどうかわからないときに、機会均等、異別取扱いという問題とダイレクトに不利益かどうかという問題は同一には議論できない。そこがある意味では欧米との意識の差ではないかという感じもするんです。それは私の個人的な見解です。
○棟居部会長 大谷委員、お願いします。
○大谷委員 東さんに論争を売るわけではないんですが、私は選択権の問題として言ったつもりではないです。太田さんはそうだったのかもしれません。大谷意見とすると、選択権をぶつけたわけではない。同一取扱いが原則、異別取扱いは本人が求めたときに、合理的配慮なりとして、利益としてある。それは権利条約のある種の基本的な構造になっていると思います。
○東室長 選択権という表現が当たらなかったのかもしれないですけれども、本人が求めたときというのは、法的にいえば、選択権の話だと解釈したわけです。太田委員も異別取扱い禁止というのが原則だとおっしゃっているんだけれども、不利益処分とつなぐという中間項としては、選択権というものがある。私もまだ整理ができていないんですけれども。
○棟居部会長 言葉の意味がかなりあれですね。
○東室長 そこは、今、議論しなくても結構なんですが、そういうことを感じたということです。
○棟居部会長 今の点は非常に面白いです。私は進行役なので、かき混ぜてはいかぬのですけれども、多分先ほど太田委員がおっしゃった選択権というのは、強いという言葉がいいかどうかわからぬけれども、あえて異別取扱いを禁止してもらうということで、ハードルというか壁を取っ払って、その後、機会均等で競争の世界に打って出るという選択もあれば、グループで囲ってもらって構わない。しかし、その利益を保障してほしいという、弱いというか、今までそちらに社会の側が誘導してきたわけだけれども、そういうポジション取りもあり得る。この両方のチャンネルが開かれている必要があるのではないかという御指摘だと思いました。
ですから、こちらで出ていた選択とは多少ずれているかもしれないと思いましたが、これは太田委員に裁定を下していただいて、時間もそろそろきていますので、ここら辺でこれは打ち止めた方がよろしいですね。
どうぞ。
○太田委員 基本的には部会長がおっしゃられたとおりだろうとは思いますが、私が言いたいのは、異別取扱いというと何でもごちゃ混ぜ、あえて、今、インクルージョンという言葉は使いませんが、ごちゃ混ぜにしないことを差別でないと考えるとすれば、それは違う考え方もある。例えば聴覚障害の人は聴覚障害者の人たち同士で1つのグループをつくって、互いに交流し文化を継承しようという運動があるわけだから、そこも含めてインクルージョンであると考えています。何でもごちゃ混ぜということではなくて、選択権と申しますか、自分の求める生活や仲間、現実に所属したい組織、所属したいグループに入り、活動の機会を保障してほしいということです。
○棟居部会長 ありがとうございました。多文化主義的な論点まで含まれているというのは、先ほど聞き取れていませんでした。どうもありがとうございました。
そういうことで、ほぼ時間がきましたので、この点につきましても、非常に大きいんですけれども、一旦切らせていただきまして、論点4に移りたいと思います。論点4につきましては、30分程度の議論の時間を予定しております。
これも最初に東室長から、論点に関する委員の意見の特徴を10分程度でお願いいたします。
○東室長 その他ということで、4番目の論点として、委員の皆様から問題提起をいただいております。興味深いさまざまな問題点が提起されております。ただ、提起いただいた問題点につきまして、今日、議論すべきかどうかについては、次のとおり考えております。
池原委員の提案に係る欠格条項につきましては、総論的な議論を終えた後ぐらいの時期に一定の議論をしたいと思います。欠格条項と一般的に呼ばれますけれども、差別禁止という観点から考えると、例えば絶対的な欠格条項であれば、どちらかというと直接差別的な問題だと思います。相対的であって、障害ということを余り強調しない書き方であれば間接差別的な類型に当たるのではと思われます。また、資格条件の中に合理的配慮というものが前提とされているか、いなかという面でいえば、合理的配慮の問題ということで、全部関わってくる問題でありますし、また分野がいろんな生活分野に及んでおります。ですから、各論というよりも、やはり総論の一部として欠格事由は考えるべきだと思っております。その時間はヒアリングも含めて取りたいと思っております。
また、精神の分野につきましては、各論の分野ですので、今日、議論はしないことにしたいと思います。
太田委員の提案に係る就職の問題というのは、雇用のところで議論できればと思っております。
先ほど竹下副部会長が言われた点は、4番目の中にも書いてありますが、先ほど述べましたように、今回で直接差別、間接差別の議論を行い、次回に合理的配慮の話をした後で全体の関係を議論したいと思っています。
西村委員の提案に係る事案は、いずれも差別の例外といいますか、正当化事由に当たるのかといった問題、これは総論の中で正当化事由一般について議論したいと思っています。
公共交通機関における問題は、各論としてやるつもりです。
最後に山本委員から、民法学の要件事実論的と表現していいのかどうかわかりませんが、公式化されたものが提案されております。これにつきましては、山本委員から簡単に説明をいただいて、フリートークみたいなことで共通認識ができればと思っておりますが、いかがでしょうか。
○棟居部会長 ありがとうございました。
今、山本委員以外、その前に何人かの委員さんの報告について、これは別の機会に委ねるといった言及がありました。それはよろしいですか。
まず山本委員にお話いただくということで、話は通るということでよろしいですか。授業にならないように、短くお願いします。
○山本委員 予想しておりませんでしたので、特に用意がないまま、取りとめもなくお話しするかもしれませんが、御容赦ください。山本です。
29ページ以下にまとめたような意見をお出しいたしました。個々の問いに答えずに、直接差別というのはどういうものかということに関する私なりの理解の仕方と、それを法律の要件に落とし込んだときにどのような形になるだろうかということを書いてみました。ただ、私はこの問題についての専門家ではありませんので、全く問題の所在がわからないまま書いています。むしろどこがおかしいかということを御指摘いただければ、議論が進むのではないか。その意味でのたたき台だと御理解いただければと思います。
最初の直接差別の意味と成立要件で、かなめになっているのが、(a)の部分です。直接差別が問題となるのは、相手方が障害者以外の者に対しては、「要件T1が備わるときは、Rをする」というルール甲に従って行動する場合、または行動すべき場合において、障害者に対してこのルール甲を適用しないとき、つまり当該障害者は要件T1を備えているのにRをしないとき、あるいは当該障害者が要件T1を備えているかどうかを判断せずにRをしないときではないだろうか。このような理解でいいのかどうか。そして、このような理解で書かれたものがおそらく今までなかったと思いますので、これでよいかどうか、どこがおかしいかということをお教えいただければと思います。
それに従って成立要件をまとめると、下の<1><2><3>になるということです。何だろうと思われるかもしれませんが、「要件T1が備わるときは、Rをする」というルール甲に従っているというのはどういうことかというと、例を少しだけその下に挙げておきました。
歯の不具合を訴えて受診を求めてきたときは治療を行うとか、成年者が対価の支払いと引き換えにアルコール類の提供を求めてきたときは、そのアルコール類を提供するなど、こういったルールに従ってやっているにもかかわらず、あるいはやるべきであるにもかかわらず、当該障害者に対してRをしないというのが差別に一応当たるのではないかということです。
ポイントは、このようなルールに従っている場合、ないしは従うべき場合にあたらない場合に、そもそも差別が問題になるのかどうかというのが私にはわからなかったところで、それを29ページの下の方に書いています。
例えば、相手方が婚姻や養子縁組を求めてきたときに、それを拒絶した場合、あるいは売るつもりがまったくない自分の不動産、骨董品を売ってくれと障害者の方が求めてきたときに、それを拒絶した場合、つまり何かルールがあって、それに従って行動しているわけでは必ずしもないようなときにも、なお差別は問題になるのか、ならないのかというのが私にはわかりませんでしたので、お教えいただければと思います。
今日の議論に関わるのですが、どのような場合が差別に当たるかという議論も重要なのですが、どのような場合は差別に当たらないかという議論もしておくべきだろうと思いました。
以上が要件で、細かい部分は省略しますと、30ページに(2)で阻却要件を挙げております。つまり、以上で差別に当たることが基礎づけられる場合でも、相手方の方がこのような行動をすることに合理的な理由があるときには、差別を理由とする請求は認められないのではないか。
それが30ページの<a>と書いた部分で、相手方Yが先ほどのルール甲に対して、「ただし、要件T2が備わるときは、Rをしない」という例外ルール乙に従って行動していること、または行動すべきであること。<b>で、当該障害者Xは、例外ルール乙の要件T2を備えていること。例をそこに挙げておきましたけれども、「不随意運動等により、適切な治療ができない恐れがあるときは、治療を行わない」という例外ルールに従って行動していること、または行動すべきであることという要件に備わっているというのが、一応の例外を構成する理由に当たり得るということです。
ただ、31ページの(b)の部分ですが、これは一体どういう考え方かといいますと、ここが重要なのですが、これを阻却要件として位置づけるのは、先ほどの障害者の側は、当該障害者に対して異別取扱いが行われたことを証明すれば、差別を理由とする訴えが認められるのに対して、相手方は、当該異別取扱いは障害を理由とする差別ではないことの証明責任を課せられるということです。これを証明すれば免責されることになっていますが、これでいいのかどうかということ自体、大問題だと思いますで、これも検討事項だと思いました。
次の(c)も重要なのですが、先ほどの例外ルール乙が認められる場合でも、障害者であれば、通常、例外ルール乙の要件T2を備えることになるときは、間接差別と同じような問題になるので、例外ルール乙の正当性が問題になるのではないか。つまり、<c>として、相手方Yが例外ルール乙を採用することを正当化する理由があると言えないと、免責は認められないことになるのではないか。そして、その際には、次のような要因を比較衡量することになるのではないかと思いました。
まず、下の<α>、相手方Yがルール乙を採用することによって得られる利益の大きさ、及びルール乙を採用しないときに生じる弊害の重大性。次に、<β>で、当該障害者Xにとって相手方YからRを受けられることによって得られる利益の大きさ、及び当該障害者Xにとって相手方YからRを受けられないことにより生ずる弊害の重大性が比較衡量されることになるのではないかということです。
このほか、不利益の問題はありますが、これは置いておかせていただきます。
講義になってしまいましたけれども、お許しください。
○棟居部会長 どうもありがとうございました。
先ほど別室で東室長としゃべっていましたら、これは弁護士にはよくわかる要件事実論であるということで、山本委員は今までややもすれば哲学的な議論が飛び交っておりましたけれども、それをぐっと抑える方向で裁判に使える規範の明確化というか、あるいは証明責任の分配、そこら辺まで一挙に走っておられるという感想を室長が言われたと思います。それでよろしかったですね。
そういうことで、非常にきれいな整理をされるものだと思ったんですが、これは要するにきれいな紙で包んであるけれども、差別の単なる言い換えではないかというのは、この場の部会長を一応させてもらっている私としては、紙を破いたときに中から何が出てくるかという話はせざるを得ないということです。
多分できの悪い学生の質問だと思うんですけれども、ルールだといって、それはクー・クラックス・クランみたいな差別がルールだというような、自分らはずっとこれでやっておるんだということに対しても全く無力なんですかという質問とか、最後に利益衡量だとおっしゃったけれども、結局、電動車いすというのは暴走することがあるだろうとか、そういう経験値で物を言っているときに、個別にこの人はどのぐらいコントロールできるかとか、この状況でどれぐらい危険度があるかとか、いちいち考えるのは邪魔くさい。だから、一律にカットしてしまえという、いわゆる情報費用といいますか、個別にどれだけのリスクがあるかという計算などを事業者の方に負担させるな。だから、一律排除が安上がりなんだ、こちらも客を逃がしているわけだけれども、それでも結局は安上がりなんだ、それが今までの商売の経験則なんだという考えでおられるケースが結構多いと思うんです。利益衡量というのと、結局差別が安上がりなんだという経験則がまかり通っておるようなところで、果たしてどこまでその利益衡量は違うんだということを言っていけるのかとか、そういう素朴なあるいは間違ったリアクションをとりあえず私からさせていただきます。
何か教えていただけるとありがたいです。
○山本委員 余りうまく答えられませんが、まず2つお尋ねいただいたうちの1つ目に関していいますと、第1論点の2つ目だったかと思いますが、障害を理由とする差別というような要件設定をするかどうかという議論に対して、先ほども言いましたように、ここでの書き方はどうなっていたかといいますと、障害者に対する異別取扱いが行われれば、原則として差別である。しかし、それが障害を理由とする差別ではないということが示せれば、差別を理由とする請求は退けられるという構造になっているという点が新しい点です。
棟居部会長がお聞きになられたのは、障害を理由とする差別ではないという理由を挙げる際に、私はこれまでこういう例外ルールでやっています、ないしはこういう例外ルールによって処理すべき問題なんですということを言えば、それで足りるとなってしまうと、結局のところ、差別がまかり通ることになってしまっておかしいのではないかという御指摘だろうと思います。それに対しては、この中でも書きましたように、その例外ルールと称するものが障害者であれば例外ルールに当たってしまって、差別を単に正当化するだけのものになってしまっているのではないかということが問題になる場合は、この場合についてはこの例外ルールでなければならないことについて正当な理由が付加的に示されないと、やはり免責はされないということだと思います。
どのような場合であれば正当かというのが、棟居部会長が言われた第2の問題ですけれども、このときに、一律に差別は問題である、だから正当な理由はない、ないしは一定の場合があれば正当な理由はないとしてしまうというのも1つの方法だとは思いますが、障害者差別禁止法は非常に幅の広い問題を対象にする法律になるだろうと思いますので、個々の問題で出てくる理由や理由になり得るものは千差万別になってくるだろうと思います。そのような考慮が一切できない法律になってしまいますと、裁判では使えないことになりかねません。やはり一定の衡量をベースにした判断ができるようにしておきませんと、ワークしないと思います。その意味では、衡量が不可欠ですけれども、法律の中に、その衡量をどのように行うかということをどこまで書けるかは、また次の問題で、それをしっかりと議論すべきではないかと思います。
私自身は、このようなことが要因になるだろうというものを挙げただけで、どちらの要因をどの程度、どう重視するかということについては、まだ何も書いていませんが、もしそれについてコンセンサスを得て書けるのであれば、法律に明文化していってもいいのではないかと思います。
余りいい答えではないかもしれませんけれども、さしあたり以上の通りです。
○棟居部会長 お願いします。
○竹下副部会長 少なくとも山本先生のこの整理というのは、非常に参考になるというか、面白いと思います。なぜ差別が許されないかということを考えるときに、整理する大きなきっかけになると思います。
そのことを前提にして、先生に聞きたかったことが2つありまして、まず1点目の阻却事由との関係ですけれども、直接差別の場合、すなわち障害を言わば名指ししながら不利益取扱いをする場合の阻却事由というのは存在するのか、正当化理由があれば差別は許されるのかということと、それに対して間接差別の場合、すなわち障害をもともと直接の差別の対象とはしていない形式をとりながら、結果的には障害を持っている人が不利に置かれるルール、基準がそこに持ち込まれることによって差別をされるというのが間接差別だとすれば、その場合における阻却事由というのは存在するのか。
とりわけ諸外国の立法例、前回までのヒアリングなどによると、フランスだったか、イギリスだったかは忘れましたけれども、まさに直接、間接を区別している理由の中に間接差別における例外として、用語は忘れましたけれども、合理的な理由に基づいてその基準が持ち込まれているんだということの証明さえあれば、結果的に障害のある人が不利益に取り扱われても、間接差別の場合、それは禁止対象にならないんだという体系をとっていたと思います。その体系からいえば、直接差別とされている場合、目が見えないからお前はだめだと端的に言われている場合の阻却事由というのはあり得ることになるんでしょうか。それが質問の1点目です。
もう一点は、比較衡量というのはまさに民法的なんですけれども、こういう禁止類型のときの比較衡量というのは、結論からいえばあり得るのか。私は非常に疑問を持っている。それこそ私のレベルの理解でいえば、先生も書いておられるように、侵害される利益の大きさと、禁止されることによってもたらされる利益あるいは弊害の大きさを考慮するんだけれども、そうした比較衡量をしてはいかぬのではないかというのが障害者差別禁止の出発点ではなかったのか。比較衡量、利益衡量という点からいえば、差別することによってもたらされる利益が大きくて、差別することによってもたらされる弊害あるいは不利益が小さかったとしても、それは禁止すべきではないかということ自身が障害者差別の出発点ではないのかという理解がありまして、だから、その点でも比較衡量という考え方がここに入ってくるのかどうか。
もっといえば、正当化理由という議論をここで入れるとしたら、差別禁止体系における正当化理由というのは、どういう価値観に基づいた基準になるのかということが正直言ってわからないので、もし先生がおわかりであれば教えていただきたい。
この2点です。
○棟居部会長 関連というのは、今の質問に関連ですね。大谷委員、お願いします。
○大谷委員 久々に要件事実を勉強しましたけれども、阻却要件としているということなんですが、阻却要件というお言葉を使っておられますが、要するに実体要件の中にも取り込んでいる。ですから、結局こちらが差別だと主張するときに、阻却要件が存在しないということを、差別であるということを主張する人が言わなければいけない。それは立証責任の問題で、証明責任の分配が適当かどうかについての慎重な検討を考えられるという御主張なんですけれども、要するに阻却要件が不存在なのかどうかということも含めて実体論の中に入れてしまわれておられるのかどうかだけ聞かせてください。
○棟居部会長 いろいろ出ましたが、山本委員、併せてお願いします。
○山本委員 順番にいきます。一部は後に回させていただくということも含めて、お答えをしたいと思います。
まず第1の御質問の中の第1ですけれども、整理して言う必要があるのですが、29ページをごらんいただきますと、ここに書いてある「要件T1が備わるときは、Rをする」というルール甲に従って行動している、または行動すべきであるにもかかわらず、当該障害者Xがルール甲の要件T1を満たしている、ないしはそれを判断せずに、相手方Yが当該障害者Xに対してRをしなかったことで、一応要件は満たして差別は成立する。その上で、先ほど言いましたように、そうではないという例外ルールがあって、それに従っているのだというのが抗弁にあたるという構造になっています。
結局これは何をしたことになっているかといいますと、今日の第1論点の中で出てきたものでいいますと、これが御質問に関わる部分ですけれども、直接障害を名指しして差別的行為をしている場合のほかに、能力障害ないし機能障害を理由として差別をしている場合、更に障害者を忌避している場合が類型として挙がっていました。私なりに整理していいますと、少なくともわかりやすい方からいえば、障害者を忌避している場合は、この枠組みでいいますと、阻却要件に当たる、つまり私はこのようなルールでやっていますということを示せない場合だろうと思います。要するに、きちんとした理由がなく、障害者であるだけで忌避してしまっているので、阻却要件はそもそも満たせないだろうと思いました。能力障害あるいは機能障害として挙がっているのは、一応何らかのルールがあることは示せるのだけれども、障害者一般を排除する可能性があって、そのときには正当化理由が必要になるだろうと思います。
先ほどの御質問の、直接名指しをして障害があることを理由として差別をしている場合は、ぴったり当てはまらないように見えるのですが、これも、ほかではこういうルールでやっているけれども、あなたにはこれを適用しませんというだけであれば、先ほどと同じ枠組みでいけそうです。それに対して、単に障害であることを名指しして、何らかの行動をとる場合は、まだ少しわからないところがあるのですけれども、これが差別だとすると、この枠組みに乗るのですが、障害者である方の障害を理由として何か行動をするのは、むしろ障害者の人格を侵害している、つまりほかと区別しているのではなく、この人の人格を侵害している場合に当たる可能性がある。その意味で、差別の問題ではないけれども、責任を負う場合があり得ると考えています。少しわかりにくかったかもしれませんが、一応考えているのは以上の通りです。
2つ目に問題にされた間接差別について、正当化理由があるかということは、後でもう一度扱われると思いますので、そのときに申し上げたいと思います。一応、正当化理由は同じように出てくるのではないかと思いますが、後でお話をしたいと思います。
最後の問題については、実体要件とおっしゃっていたのは構成要件にあたると理解しておられるのかもしれませんが、私の頭の中では、実体か手続かというときの実体要件の中でも、原則ルールと例外ルールがあって、原則ルールは成立要件に当たりますので、請求原因事実に当たる。例外ルールはまさに例外ルールであって、それは抗弁事実に当たると考えていますので、ここで成立要件、阻却要件と私が呼んでいるのは、請求原因と抗弁に対応しているという理解です。ここでの書き方は、障害者の相手方の側に、例外ルールがあること、およびそれが正当であることの証明責任を課せられるという形になっています。ただ、本当にそれでいいかどうかは慎重に検討しないといけないかもしれないというのが、先ほど申し上げたことです。
○大谷委員 確認です。抗弁であることは認めるけれども、証明責任の分配には慎重にしろということがわからないんです。
○山本委員 そうではないのです。
○大谷委員 これは抗弁なんですね。明確にきてしまうからね。我々とすると明確なんだけれどもね。抗弁にもかかわらず慎重なのはどうしてということです。
○棟居部会長 いろいろつぶやきが出ましたが、今の学生のざわめきも含めて、もう一言だけお願いします。
○山本委員 一言だけですが、私自身の考え方はまだ固まっていません。抗弁として構成するならば、こういう形になるということをお示ししましたが、やはりこれは抗弁ではまずい。障害者側が証明責任を負うべき事実、つまり請求原因として挙げていくべき事実であると考える考え方もあるでしょう。そうだとすると、このような構成にはならない。どちらの構成でいくべきかは、今後なお検討する必要があるでしょうというだけのことです。
○棟居部会長 池原委員、お願いします。
○池原委員 多分同じ質問になってしまうと思うんですけれども、例えば少し具体的なイメージとして考えると、欠格条項の話は別のところでやるということなんですが、1つの例としていうと、精神障害のある人には○○な免許は取らせないという一種の欠格条項があるとします。精神障害の人はそれがあるために免許が取れなかったということで裁判を提起しようとする場合、原告として一番関心があるのは、免許を取らせないという規定の違憲性とか違法性を争おうと思っているわけですけれども、この構成でいうと、免許を取らせないというところはむしろ例外ルールの方に該当して、原則ルールの方を原告としては、例えばほかの人は試験に受かればとか、一定の条件が整っていれば免許がもらえるのに、私は試験に受かるだけの能力を持っているんだけれども、もらえなかったということを証明する。被告側はそもそも法律には精神障害者には免許を取らせないというルールが規定してあって、あなたは精神障害者だからルールを与えなかったんですという抗弁になるということなんです。3番目に、そもそも精神障害者には免許を取らせないという法律そのものに合理性がないとか、あるいは憲法に違反していますとか、そういう構成の仕方になるわけです。
○棟居部会長 山本委員、お願いします。
○山本委員 山本です。
国の場合は、憲法上平等取扱い義務を負っていますので、少し構造が変わってくる可能性もあります。これは棟居部会長からお答えいただければと思いますが、私自身、わからないままむしろ問題提起しているのですけれども、差別の問題になるときは、等しきものを等しく扱わないということだろう。そうだとすると、免許を与える場合についても、こういう場合であれば免許を与えるのに与えない、この要件を満たしているにもかかわらず与えない、ないしは満たしているかどうかを判断せずに与えないということが差別なのではないか。そうだとすると、今のケースでも、一定の能力があることが証明される者については免許を与えることになっているのに、障害者には与えない、あるいはこの能力があるかどうかを判断せずに与えないということが差別ではないのか。そうすると、これだけで成立要件は満たすはずです。
あとは、精神病であるから与えないというのが理由になるかどうかですが、それは理由にならずに、なぜ免許を与えないかということを判断する別のルールがあって、それが障害者にも当てはまるからだという理由をきちんと示さなければならない。そして、そこで挙げられたルールをそのまま適用すると、障害者すべてに免許を与えないことになってしまうときは、なぜそれが正当化できるのかという理由を更に示す必要がある。そのような構造になるのではないか。差別の意味を平等取扱い義務の違反だととらえると、このような構造になっていくのではないかという思考実験をしてみたということです。
○棟居部会長 太田委員、お願いします。
○太田委員 質問なんですが、今の山本委員の御説明の例外ルールというのは、障害者とか障害者でないという枠組みではなく、すべての人たちにも当てはまるルールのことを指しているんでしょうか。
○棟居部会長 お願いします。
○山本委員 山本です。
全くそのとおりです。つまり、例外ルールと言っているのは、障害を理由としないルールに従って我々は行動しているのです、あるいは行動すべきなのですということを示すことができて初めて、相手方の請求から免れることができる。ただ、そのルールと称するものが一応障害と無関係のルールに見えて、実は障害者であれば、そのルールからすると常に例外になってしまう、ないしは通常例外になってしまうというときには、間接差別と同じ構造になるので、正当化理由を更につけ加えなければならないという仕組みではないかということです。
○棟居部会長 ありがとうございました。
浅倉委員、お願いします。時間が超過していますので、短くお願いします。
○浅倉委員 大分よくわかってきましたが、1つだけ教えていただきたいのは、29ページの最後のあたりにある、特別なルールによらない場合について、です。例えばルールはないけれども、ある特定の行為をしたときに、それが障害を理由とする行為であった場合、外国法などでは仮定的な比較対象者を設定するというような場合があります。つまり、もし自分が障害者でなかったら相手方はこうしたはずだという比較の仕方もあるのではないか。ルールがないというのはおそらく比較対象がいないという根拠に基づいておっしゃっていると思うのですが。そこのところが私は疑問でした。
○棟居部会長 疑問ということで、多分議論は要らないと思います。山本委員、お願いします。
○山本委員 上の<1>のルールの中で、ルール甲に従って行動していることだけでなく、行動すべきであることをつけ加えているのは、そのような場合でも、仮定的な場合についてこうするであろうということが言えるのであればということを何とか示したかったということです。
○棟居部会長 ありがとうございました。山本委員のこの方程式は、またいろいろ議論で出てくると思います。
そういうことで、第1コーナーを以上で終わらせていただきたいと思います。
ここで15分間の休憩をとらせていただきます。進行より5分遅れておりますけれども、休憩時間を維持させていただくことにしたいと思います。これは勿論後のしわ寄せにつながるわけでございますが、再開は15時55分とさせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。

(休憩)

○棟居部会長 そろそろ席にお着きください。定刻になっております。当初の予定より5分超過しております。
それでは、再開します。
第2コーナーはヒアリングです。最初に間接差別について相澤専門協力員から30分程度のレクチャーをしていただきます。それでは、相澤先生、お願いします。
○相澤専門協力員 皆さん、こんにちは。専門協力員の相澤と申します。本日はどうぞよろしくお願いいたします。
それでは、早速ですが、本日は間接差別、その中でもとりわけ諸外国における概念の展開の経緯について話題提供するよう東室長から仰せつかっておりますので、お手元のレジュメに即してお話させていただきたいと思います。
初めに間接差別という概念についてお話させていただくに当たり、幾つか断っておきたいことがございます。
第1ですが、本日のお話の中で使用します間接差別という用語です。この用語はイギリス及びEUを中心に使用されてきた用語でありまして、原語はindirect discrimination です。これに対してアメリカでは同一ないし類似の概念を表現する用語として、差別的効果という用語が使用されております。原語はdisparate impact になります。日本では間接差別という用語の方が今日定着しつつあるように思いますので、本日のお話の中では、こちらの方を使用させていただくことにしたいと思います。
2点目に、間接差別が発生する場面といたしましては、雇用、教育などいろいろ挙げられるのですが、私は労働法の研究者でして、これまで雇用における間接差別について研究をして参りました。それゆえに、本日の報告におきましては、主として雇用における間接差別を念頭に置きながらお話をさせていただくことになります。
第3に間接差別との関係で問題となる差別事由に関してですけれども、これは例えば人種であるとか性、障害などさまざまなものを挙げることができます。ただ、本日、諸外国における間接差別の概念について御報告するに当たっては、次のようなことを主として念頭に置いております。すなわち、アメリカ法についてお話するときには人種及び性を理由とする差別、イギリス法及びEU法については、主として性を理由とする差別、補足的に人種を理由とする差別を念頭に置いているということであります。その理由は、次に申し上げる第4の点と関連していることです。
そこで、第4の点ですが、本報告が念頭に置いている間接差別禁止規定を含む制定規則とは、具体的には、アメリカについては1964年公民権法第7編、イギリスについては1975年の性差別禁止法、EUについては2002年男女均等待遇指令改正指令であります。イギリス、EUに関しては、必要に応じて、人種についての制定規則も参照しています。
私自身は、先ほど申し上げましたように、労働法を専門にして参りましたので、雇用における差別について研究してきたわけです。そして、研究開始当初の私の強い関心が性差別にありましたことから、これまでは主としてアメリカで雇用における性差別の禁止を規定している1964年公民権法第7編に着目してまいりました。ただ、公民権法第7編といいますのは、多くの方も御存じのように、雇用における性差別のみを禁止する法律ではなく、性を含めて人種、皮膚の色、宗教、出身国を理由とする雇用差別を禁止している法律です。そのため私の間接差別の概念に関する理解といいますのが、まずはこの7編を基礎に、性のみならず、人種等を理由とする間接差別とはどういうものなのかということを理解するところから出発いたしまして、それがヨーロッパの国々における間接差別概念とどう共通するのか、あるいは異なるのかというところへ発展していきました。
そのような私自身の研究の経緯というものがありますゆえに、本日の報告は当差別禁止部会が検討の中心に据えようとしている障害を理由とする間接差別に直接的に切り込む内容にはならないこと、また雇用以外のあらゆる生活分野における間接差別を視野に収めたお話にはならないことを最初にお断りしておかなければなりません。しかしながら、本日のように間接差別概念のエッセンスとは何か、及びその概念の展開の経緯とはどういうものであったかを理解するということを課題に据えた場合には、必ずしも障害を理由とする間接差別を視野に収めていなければならないということはないように思いますし、雇用以外のあらゆる生活分野における間接差別を視野に必ずしも収めていなければならないということでもないのではないかと考えております。
したがいまして、第5の点になるんですけれども、本報告の骨子は、間接差別概念のアメリカにおける誕生とその後の衰退、イギリス及びEUにおける同概念の発展とを対比させることによって、間接差別概念の可能性と限界についてお話することにあります。
最初、東室長から報告のタイトルをいただいたときには、諸外国における間接差別概念の「発展」の経緯についてお話してくださいと言われたのですけれども、私はこれまで間接差別概念について、雇用に絞って検討してきた中で、アメリカについては「発展」という言葉が必ずしも当てはまらない、むしろ先ほど衰退という言葉を使いましたけれども、そちらの方が適切なのではないかという思いを強くして参りましたので、概念の「発展」の経緯というタイトルは使用せず、代わりに「展開」の経緯とすることで、もう少しニュートラルに、そこにはマイナスの意味での展開もあるということを表現しようと思いました。そして、このマイナスの意味での展開は、主としてアメリカで生じたことだったということをご説明しようと思っております。
それでは、IIにまいります。間接差別という概念は、よく知られていますように、アメリカにおいて1971年、Griggs 事件連邦最高裁判決の中で誕生しました。Griggs 事件の概要は次のようなものでして、使用者がある職務への採用の要件として高卒の学歴と一般教養などを試す適性試験のようなものを課したところ、過去において劣悪な教育しか受けられなかった黒人が、これらの要件を満たすことができず、雇用差別訴訟に発展したというものです。原告であったのは黒人の集団なのですが、彼らは使用者の所在地であったノースカロライナ州の一般的な統計を利用して、黒人は白人と比べて高卒の学歴保有者が少ないことと、高卒同等程度の本件適性試験に合格することが相当に困難であることを証明しました。
当時の公民権法第7編には、間接差別を禁止する明文規定は存在しませんでしたので、間接差別の禁止というのは専ら判例法理として明らかにされたものです。根拠規定は、皆様に配付しました資料に引用しました。資料というのは、私の資料一式の一番最後のページにありますけれども、資料1の703条(a)が根拠規定になっています。
Griggs 事件において連邦最高裁が強調したことは、次の点でした。すなわち、公民権法第7編の立法目的は、雇用における人為的、恣意的、かつ不必要な障壁を除去することにあり、同編はあからさまな差別のみならず、外形上は公平であっても、運用上は差別的である慣行も禁止するものである。したがって、第7編違反なしと判断するための指標は、業務上の必要性である。仮に黒人を排除する雇用慣行につき職務遂行能力との関連性がないということが示されれば、当該慣行は禁止されなければならないと述べたわけです。それはレジュメにも掲載したとおりです。つまり連邦最高裁は、黒人にとって障壁となっている雇用慣行が業務上の必要性、職務関連性という観点に照らして差別的と言えるか否かを吟味すると判示したわけです。こう述べることを通して、Griggs 事件判決というのは、間接的に差別効果が問題となっている際には、差別の意図の証明は不要であるということを判示しました。
ちなみに間接差別法理において、差別の意図の不要が証明であるということがより明確になったのは、その後のことでして、連邦最高裁がもう少し後に差別的取扱い法理と言われる法理、これはアメリカにおけるいわゆる直接差別法理と言い換えてもいいかと思いますが、これを形成したときでした。つまり間接差別法理と直接差別法理の対比から、間接差別法理においては差別の意図の証明が不要であるということが一層明らかにされた。逆に直接差別の場合には、差別の意図を明確に証明しなさいということが言渡されたというわけです。
間接差別法理が形成されたことの意義は、何といってもGriggs 事件において問題となっていたような適性試験の利用というのが、採用という場面から姿を消していったということです。これは当時のアメリカを知らないと、なかなかこのように言えないと思うのですけれども、アメリカ人にお話をうかがいますと、当時こういう適性試験の利用というのが社会に根強くはびこっていて、これが原因で黒人が雇用の場から排除されていたということですので、こういうものが使用できないという判例法理が形成されたことは社会を変える大きな力になったということです。
IIIにまいります。間接差別という概念は、今、述べましたように、間接差別の禁止を直接的には何ら規定していない1964年公民権法第7編の文言を根拠に、1971年のアメリカの最高裁判決によって形成されたものだったわけです。ですが、その後、欧米諸国では、間接差別禁止規定が成文化されていきました。それを皆さんにご覧いただきたいと思いまして、資料の方に列挙しました。
イギリスでは、1975年になりますが、性差別禁止法が制定されて、その中に早くも明文で間接差別を禁止する規定が置かれました。このときの規定については、時間の関係上読み上げることはいたしませんけれども、お手元の資料2に掲げておきました。この規定の制定には、アメリカの71年のGriggs 事件判決が大きな影響を与えたと言われています。
続いて、EUにおいては、1976年に男女均等待遇指令というものが出されておりまして、間接差別の禁止がうたわれています。しかし、このときは間接差別の概念の詳しい定義は設けられませんでした。ですが、1997年になりますと、EU指令で間接差別の定義が設けられ、この定義が2002年になると改正されて、今日に至っています。2002年のEU指令の文言についても、お手元の資料2に掲げておきました。
2002年のEU指令における間接差別の定義は、加盟国であるイギリスにも当然影響を与えました。その結果、イギリスでは2005年に性差別禁止法の改正がなされました。お手元の資料2でイギリスの2005年の規定を御確認いただく際には、EU指令の文言の影響が色濃く反映されていることに注意してごらんいただければと思います。上下に並べておきましたので、それらを見比べていただくと、文言が非常に似通っていることがお分かりいただけるかと思います。
なお、レジュメに書き込むのを忘れましたので、書き加えていただければと思いますのは、イギリスにおいては2006年及び2010年にそれぞれ2006年平等法、2010年平等法という法律が制定されております。これらは言わば包括的平等法とも言うべきもので、禁止される差別の事由が人種、性、障害、性的嗜好、宗教、年齢となっております。この包括的平等法の制定によって、今、申し上げました差別が禁止される事由のすべてについて、間接差別が禁止されることになりました。なお、2010年平等法につきましては、数回前の当部会において長谷川聡先生が御報告なさっておりますので、本日は割愛したいと思います。
一方、アメリカに目を転じて見ますと、1971年に判例法理として明らかにされた間接差別の禁止というのは、91年になってようやく明文で禁止されるに至りました。その規定につきましては、資料2に掲げておきました。後から改めて参照していただきたいと思います。
以上が欧米の国々における法律の制定状況についてです。
IVに移ります。ここでは最初に申し上げました間接差別概念のアメリカにおける衰退とヨーロッパにおける発展についてお話したいと思います。ただし、最初にお断りしておきたいのは、今、申し上げたアメリカにおける衰退とヨーロッパにおける発展という点についてですが、これはあくまでも欧米法の動向を大局的見地に立って考察した場合に言い得ることであって、個々の事例については、当然のことながら、これと反することも起きています。
例えばレジュメのIVの1をごらんください。アメリカにおいても間接差別概念に若干の発展が見られたこともありました。アメリカにおいては、Griggs 事件判決が出された後はしばらく同じような事件、すなわち、先ほども述べましたように、適性試験の利用を通して黒人を雇用の場から排除するという事件が訴訟になるという時期がありました。そのような中で、アメリカにおいては、例えばレジュメのIVの1の(1)に掲げましたように、性差別にも間接差別禁止法理の適用があるということが明らかにされた判例が出されました。
それから、間接差別をもたらし得るとして争える制度や基準というのは、例えばGriggs 事件におけるような適性試験や高卒の学歴という客観的な基準でなくともよい、もっと主観的なものであってもよいという判例も出されるようになりました。つまり面接などで、この人を採用しようか、それとも不採用にしようか、どうしようかというような判断を迫られることがありますが、そのようなときに、その判断に関わった人の主観でものごとを決定する、言い換えれば、予め客観的な指標などを設けることなく、判断に携わる人の主観で行う人事決定の結果として、ある属性を有する人たちが集団として排除されるようなことがあれば、主観的な決定であっても、間接差別をもたらしているとして争い得るんだとする判例も現れています。
それでは、この後は時間の関係上、ところどころ省略しつつ事例の紹介をしていきたいと思います。
今、アメリカでは若干の法理の発展が見られたというお話をしたんですけれども、全体的に見ますと、アメリカにおいては間接差別概念の衰退の方が発展よりも著しかったと言えます。そこで、レジュメの2の衰退という箇所の「(1)間接差別として争いうる事案に関して」をごらんください。衰退をもたらした原因というものを、ここでは(a)群と(b)群に大別してみました。最初の(a)群の方は、要するにどういうことかといいますと、原告が間接差別をもたらしていると争った雇用慣行、employment practices が間接差別を禁止する公民権法の条文に存在する特定の雇用慣行という文言には、包摂できないとして訴えが退けられている事例です。これがどういうことかを御確認いただくために、先ほどの資料2の7ページをご覧いただきたいと思います。一番下のところから次の8ページにわたる箇所に、1964年公民権法第7編703条(k)(1)(A)とあります。これがアメリカで現在も存在する間接差別の禁止規定なのですが、8ページの3行目、特定の雇用慣行という文言があります。a particular employment practice と原語も添えておきました。これに関してですが、裁判所は、特定の雇用慣行という文言を非常に狭く限定的に解釈することによって、これも間接差別をもたらした雇用慣行ではない、あれもそういう雇用慣行ではないとして、申立人の主張を退けていく判決を出していくようになりました。
その結果、レジュメにも掲げておきましたけれども、例えば職場で英語のみを使用することを義務づけるということが、メキシコ系のアメリカ人、この人たちはスペイン語を母国語としているわけですけれども、この人たちに対する間接差別を構成するという訴えが退けられたという事例が登場しました。
また、パートタイム労働者から解雇するという基準が、女性に対する間接差別を構成するという訴えも退けられたというようなことがありました。
もう一方の(b)群の方、これは、職務は異なるけれども同一の価値の労働を行う男女間における賃金格差、これを間接差別として争い得るかということが問題になった事例の数々です。ただし、今日は時間の関係で男女賃金差別、要するに男女差別に特化した話に入っていく余裕がありませんので、ここの部分は割愛させていただきます。
そうしますと、レジュメでは「(2)間接差別を証明する統計資料に関して」というところにいきなり飛びます。間接差別を裁判で争うに当たっては、原告側に差別が存在したことを証明する責任が課されています。間接差別といいますのは、Griggs 事件を思い出していただくとおわかりになりますように、特定の集団と別の比較可能な集団を比べてみたときに、ある中立的な雇用慣行ないし雇用基準が、特定の集団に著しい不利益をもたらしていることを示すことによって証明されるものですから、差別の証明に当たっては、統計資料というものが必要になってきます。アメリカでは、Griggs 事件当初は、差別を証明するための統計資料として、人口統計や国勢調査結果のような一般的資料を用いることが認められていました。しかし、レジュメに掲げました1979年のBeazer事件連邦最高裁判決以来、このような一般的統計資料の利用が認められなくなりました。裁判所が、被告である使用者が間接差別を行ったということを直接的に証明する資料しか証拠として採用しないという方針を採るようになり、それをずっと維持するようになったためです。換言すれば、一般的な統計資料は被告たる使用者が間接差別を行ったということを厳密に証明するものではないんだとして、こうした統計資料の利用が退けられていったということです。
続いて、レジュメの「(3)間接差別に対する抗弁に関して」です。アメリカでは間接差別の訴えに対する使用者の抗弁は、非常に多くの場合、認められています。抗弁の際に重要となる、問題の雇用慣行の業務上の必要性と職務関連性については、一貫した解釈基準が存在しないというのが多くの先行研究の指摘するところでもあります。
なお、間接差別をもたらしていると認定された特定の雇用慣行とコストとの関係をどう考えるかという点については、後からヨーロッパ法との比較においてお話したいと思います。
そうしますと、これで大体アメリカの話は終わりでして、以上を整理しますと、次のようなことが指摘できるかと思います。
第1に、アメリカではそもそも間接差別として争い得る問題というものが非常に限定されてしまっている。それは1991年公民権法が制定されて以降は、同法の条文の文言にありました特定の雇用慣行という文言を狭く解することによって起きていることでありまして、その結果、いろいろな問題を間接差別として構成しにくくなっているということです。
第2に、間接差別を証明するための統計資料に、使用者自身が差別を行っていたということを示す厳密性が要求されるようになっているということ。
第3に、間接差別に対する抗弁が容易に認容されるようになっているということ。
こうした点を指摘することができると思います。
それでは、次にヨーロッパ諸国の状況を、今まで述べましたようなアメリカの状況と比較していきたいと思います。
「(1)間接差別として争いうる事案に関して」ですが、ヨーロッパにおいても客観的な制度に基づく人事決定と並び、主観的な人事決定のもたらす差別的効果も間接差別として争い得るという判断が下されています。この点はアメリカ法も同様です。
しかし、イギリスには、例えばシーク教徒である原告にショートヘアを強制し、ターバンの着用を禁止することは、人種関係法違反の民族的出身を理由とする間接差別であると判示した判例が存在します。レジュメにも載せておきましたけれども、この判例などは、例えば先ほどもお話しました職場において英語のみの使用を強制して、それ以外の言語、スペイン語などの使用を禁止することは、間接差別に当たるという訴えが退けられたアメリカの事例と非常に対照的です。
また、イギリスの事例で、出産後、パートタイムで働きたいと申し出た女性に対して、フルタイム勤務を要求することは女性に対する間接差別に当たるとした事例があるのですが、これなどは、パートタイム労働者から優先的に解雇することは、女性に対する間接差別であるという訴えが退けられたアメリカの事例と本質的に対照をなす事例であると言えましょう。
次に間接差別を証明する統計資料の利用の仕方、評価の仕方について、イギリスの裁判例を中心に見てまいりますと、例えば次のような判例が目にとまります。ロンドン地下鉄事件ないしEdwards事件と言われる事件です。これは女性の地下鉄運転手が間接差別を争った事件です。地下鉄の運転手という職務は、交代制勤務を要求される仕事のようでありまして、早朝、深夜に勤務するか、または日勤であっても長時間勤務するかという、いずれかを要求される勤務体制であったようなんですが、原告は、こういう勤務体制を組んでいることが女性に対する間接差別に当たるという主張を行いました。そして、その際に次のような資料を提出して、間接差別の証明を試みました。すなわち、つまり2,023人の男性が全員交替制勤務で就労することができた。その一方で、女性は、そもそもこの地下鉄会社には21人しか女性がいなかったのですけれども、20人が交代制に応じられた。つまり、原告1人が応じられなかった。割合的に見ると、女性も95.2%はこの勤務体制で就労できるということなのです。男性100に対して女性は95.2%。果たして、これが、女性に著しい不利益をもたらしていると言い得るのかどうか、これこそがまさに事件の争点となったわけですが、これにつき、裁判所は、間接差別の推定がはたらくと言渡しました。
その判断の根拠として裁判所が挙げたことは、以下のようなことでした。1点目、対象となる男性が2,023人と圧倒的に多数であったにもかかわらず、交替制勤務という条件によって不利益を被る男性が1人もいなかった。
2点目、ひとり親として育児を行う女性、原告はまさにその一人親だったのですけれども、そういう女性というのは男性の10倍にも達しているという全国的統計が存在しているということ。
3点目、地下鉄運転手として働くことが、女性にとっては困難もしくは魅力的ではないかもしれないという一般的な知見が存在するということ。
4点目、95.2%という数字は、最大値ではなくて、最低値であると推定することが可能だということ。
こうしたことを列挙して、100対95.2でも間接差別があったと推定されるとしたのです。
また、別のイギリスの事例ですけれども、雇用契約の中に転勤条項を挿入することは、女性に対する間接差別に当たると争われた事例において、イギリスの裁判所は、女性が男性よりも高い割合で二次的な生計維持者となっているという現実があり、それゆえに男性よりも女性の方が転勤に応じにくいという事実を想起すれば、問題の転勤条項を雇用契約中に挿入することは、統計的証拠がなくとも女性に対して差別的効果を有すると判断されると判示しました。要するに、裁判所は、本件については統計資料の提出は不要であると述べたわけです。
加えて、イギリスのまた別の事例ですけれども、その事例は、「間接差別の存在を示す入念な統計資料が提出されるまでは、間接差別の存在を認めないとすると、アメリカが直面しているような膨大な時間とコストがかかるという問題に直面する」と述べて、アメリカにおける判例のありようを名指しで批判しつつ、間接差別を証明するとは厳密には言い難い統計資料が提出されたとしても、被告側がそれに対して強いて反論しないのであれば、それによって間接差別を推定してよいのだと判示した事例もあります。
以上に述べましたように、イギリスの裁判所は、統計資料不要といったり、100対95.2のような非常に僅差の数値からも間接差別を推定していたり、厳密に精査すれば、間接差別を示す統計としては問題なしとは言えないけれども、特に相手方が反論しないならばそれでもいいのではないかと言ったりしておりまして、アメリカと比較したときには、非常に緩やかな判断が行われているということが指摘しうる状況になっています。
次に「(3)間接差別に対する抗弁に関して」見てみたいと思います。イギリスの判例においては、「間接差別を生じさせている基準や慣行等が不可欠であることの証明まで要求する」という時代から、「確実に根拠を有し許容するものであるということの証明を要求する」という時代を経て、「当該基準や慣行の差別的効果と使用者側の合理的理由の比較衡量により、その正当性を判断する」という枠組みが形成されてきました。
その一方で、EUの判例においては、1980年後半ごろから「間接差別を生じさせた行為の目的が社会政策上不可欠であったか、手段が目的達成のために適切かつ不可欠なものであったか」と、目的と手段の両面から正当性を判断するという枠組みが形成されてきました。
EUにおきましては、2002年にこの判例の枠組みが男女均等待遇改正指令に反映されまして、イギリスもその影響を受けて、先ほどもお話しましたように、2005年に性差別禁止法を改正したわけです。そして、この判断枠組みを2010年平等法においても採用しています。
なお、間接差別をもたらしているとされる雇用慣行とコストとの関係をどう考えるかという問題について分析してみますと、イギリスを始めヨーロッパ諸国においては、間接差別を軽減するような雇用慣行の採用にはコストがかかるということを、使用者側が抗弁事由として主張しなければならないとされています。しかし、ヨーロッパでは、近年、コストを抗弁事由として認めることに裁判所は消極的になってきています。
これに対して、アメリカでは、間接差別を軽減するような雇用慣行が存在し、その採用が使用者の利益に資するものであったにもかかわらず、使用者はその採用を拒否したということを証明する責任が原告側、つまり間接差別を申し立てている方にあると法律の文言で定められています。その上、判例は、雇用慣行が使用者の利益に資するものであったかを判断するに当たって、裁判所はコスト、その他の負担を考慮に入れる必要があると述べています。したがって、差別を許容しないという意味での人権を優先させるのか、あるいはコストを考慮に入れてよいという意味での経営判断を優先させるのかという点においても、アメリカとイギリスは非常に対照的であると言えます。
最後に「V まとめ」になります。
「1 間接差別概念の特徴」としては、以下のことが挙げられると思います。レジュメの(1)と(2)を入れ替えて述べますけれども、まず間接差別というのは、属性に中立的な慣行や基準が、結果としてある特定の属性(その属性とは、人種でも、性でも、障害でもよいのですが)を有する集団に不利益を与え、その集団に属する者を排除しているという、結果に着目して差別を発見していく概念です。ですので、その裏返しとして、差別の意図の証明が不要とされています。
次の点ですけれども、間接差別概念は形式的平等ではなく、実質的平等を追求したものであるということが指摘できると思います。ただし、結果の平等が求められているわけではないことには留意する必要があります。それは使用者に抗弁の機会が与えられているというところからもおわかりいただけるかと思います。
第3に、間接差別とは、特定の集団に注目し、それと比較可能な集団との比較において差別が生じているか否かを問題としますので、差別が認められた場合には、被差別集団全体に対して差別の是正効果が及ぶということが特徴として挙げられます。
「2 間接差別概念の拡大・矮小化」についてでありますけれども、次のことが結論として指摘できるかと思います。
第1に、今日では客観的制度や基準による雇用上の決定と並び、主観的人事決定がもたらす不利益も間接差別として争い得るようになっているということであります。
第2に、間接差別を惹起する社会構造にメスを入れられるかどうかということは、直接的・法技術的には間接差別概念をどう定義し、当事者にどのような立証責任を課していくか、ということと関係していると言えます。
具体的にはこれまでお話してきたとおりでありまして、レジュメの(a)~(c)に列挙しておきました。
第3に、間接差別を惹起する社会構造にメスを入れられるか否かは、間接的には、だれが法的判断に携わるのかという法の実現の在り方及び広い社会文化と関係している、と指摘することができます。そして、このことが、イギリスとアメリカ、あるいはEUとアメリカにおける間接差別概念の展開の違いをもたらした原因と考えられます。
このことをもう少し具体的に申し上げますと、例えばだれが法的判断に携わるのかという重要な点につき、アメリカでは、間接差別の判断に関わるのが連邦裁判所の裁判官で、彼ら、彼女らは、大統領の指名と上院での承認を経て任命されます。したがって、政治が保守化すると裁判所のメンバーも保守化して、判例も保守化するという傾向になっていきます。
これに対して、イギリス及びEUは法的判断に携わる人及びその選出方法が異なっています。イギリスの雇用審判所においては、職業裁判官に加え労使の組織代表から推薦されたレイ・メンバーと呼ばれる法律の専門家でない人たちが審判員として判断に加わっています。レイ・メンバーとは、直訳すれば素人ということになるんですけれども、雇用の場一般における知識と専門性を有するがゆえに選出された人々でありまして、彼らにはそのような知識とか専門性を活かして、柔軟な判断をすることが求められています。具体的事例において、「一般知識や常識から考えて、間接差別があったと推定される」という判断が下されている理由のひとつには、彼らの知識や専門性にもとづく法的判断があるものと考えられます。
それから、EU地方裁判所の裁判官の任命についてですが、これは各加盟国からの推薦と全加盟国による承認というプロセスを経るものとされています。多様な国家がEUを形成しているという点で、裁判官の価値観がある一定の価値観に偏ることが起きにくいということは指摘できるかと思います。
レジュメの最後の「(b)間接差別概念の展開を左右する社会文化」については、次のことを指摘したいと思います。アメリカという国は、資本主義経済活動に対する規制に極めて消極的で、経営の自由を最大限に尊重しようとする国家です。これに対し、EUでは社会国家的発想が強く、加盟国はEUの理念ないし価値を実現することを求められます。コストよりも人権というような判断などには、今、述べましたような社会文化の影響が最も色濃く表れていると言えるのではないかと思います。そして、このような社会文化こそが、アメリカにおける間接差別概念の衰退と、ヨーロッパにおける同概念の発展に影響したのではないかと思います。
最後に、今後当部会においては、障害を理由とする差別の禁止という文脈において、間接差別の禁止を法律上明記するのか否かということが検討課題になってくるのだろうと思います。仮に間接差別を禁止した場合、恐らくは、差別の証明の基準と差別に対する抗弁の基準をどのように設定するのかという点がポイントになるのだろうと考えます。
しかし、こうした論点は、実は非常に直接的・法技術的な問題であって、その根本には、もっと深い問題が、すなわち、日本はどのような国を目指すのかという思想の問題が存在するのではないかと思います。別の言い方をすれば、障害を持つ人と持たない人が共生できる社会をつくろうという国家的な思想的基盤を定めないことには、間接差別規定を制定したところで、アメリカにおいて見てきたように、差別概念の衰退がどんどん進むことになりかねないと考えるからです。そのような意味で、社会の思想的基盤をどう定めていくのかということが、究極的には課題として突きつけられているのではないかと考えます。
長くなりましたけれども、以上が私の御報告となります。御清聴ありがとうございました。(拍手)
○棟居部会長 相澤専門協力員、どうもありがとうございました。
最後のくくりで、先ほどの第1コーナーで山本委員の定式化のおかげで、随分思想的な話から各論的、技術的な話に移行しつつあるかと思いましたが、結局それは大きな話につながっているんだと言われてしまったので、やはりそうなんだろうと私個人は力強く思った次第でございます。
そういうことで、20分程度の議論を予定しておるんですけれども、全体の進行が現時点で20分近く遅れている状況でございます。ですから、今回は特に強く議論を求めるということはいたしません。御自由にお願いします。
松井委員、どうぞ。
○松井委員 松井です。
簡単な質問からします。アメリカの1971年のGriggs の結果、適性試験はやらなくなったということでした。しかも、その後でいわゆる主観的な面接についてもできない。そうすると、それにかわるものは一体何なのかということが1点です。
もう一つ、最後のところで、英国の雇用審判所の構成メンバーは何人ぐらいですか。事例によって違うのかもわかりませんけれども、基本的に何人で構成されているかを教えていただきたいと思います。
○棟居部会長 相澤専門協力員、お願いします。
○相澤専門協力員 1点目の質問は、客観的な制度が間接差別禁止規定によって排除されていったということですけれども、適性試験の問題は確かに解消されていっていると言えるかと思いますが、例えば別の客観的な制度なども問題になることはあります。
レジュメにも掲げましたが、例えば、2ページ目のIVの1の(3)辺りに書きました消防士など市の職員の応募につき、当該市の住民にしか応募資格を与えないとした居住地要件は、人種に対し間接差別的効果を有すると争われた事件がありました。この事件などでは、結論としては居住地要件は間接差別をもたらしていたとして第7編違反が認定されたのですが、これは消防士など市の職員、要するに市という公的機関が募集をしているという点で、居住地要件が人種に対し差別的効果を有すると判断されたのでしょうが、民間の使用者が同じようなことをしていた事件では、必ずしも居住地要件がだめだという判断にはなっていないときがあるのです。今、一例としてあげた居住地要件の他にも、客観的な制度というものはありますし、使用者はまた、そうした基準を考え出そうとしてきたわけですから、客観的制度のすべてが排除されたわけではないと言ってよいと思います。
主観的な基準については、間接差別として争い得るということは最高裁も判示したことではあるんですけれども、間接差別の存否に関する審理というのはそこで終わりではなくて、その後、必ず、そうした主観的基準ないし要件に業務上の必要性があったか、職務関連性があったかということを問題とします。つまり、使用者には抗弁の機会が与えられており、この抗弁基準というのがアメリカでは余り厳格に決まっていないので、裁判官の匙加減1つで、業務上の必要性がありました、職務関連性がありましたと認定されて、結果的には主観的な決定は第7編違反を惹起していませんでした、という判断になることがあるわけです。したがいまして、間接差別がすべてなくなって、差別のない社会ができているわけではないということが言えるかと思います。
2点目のご質問はイギリスの審判員のことですけれども、私はイギリス法を専門にしておりませんので、その辺はよくわかりません。もしこの中でイギリス法について詳しい方がおられましたら、お願いします。浅倉委員はいかがでしょうか。お教えいただきたいと思います。
○棟居部会長 浅倉委員、お願いします。
○浅倉委員 浅倉です。
雇用審判所は通常3人です。職業裁判官とレイ・メンバー、1人ずつです。
○相澤専門協力員 そういうことです。済みませんでした。ありがとうございました。
○棟居部会長 ほかに御質問いかがでしょうか。太田委員、お願いします。
○太田委員 ありがとうございます。
間接差別について差別の意図を証明するというのは、アメリカもイギリスもヨーロッパも同じ考えでしょうか。なぜこういう質問をするかというと、例えば直接差別においても、場合によっては要らないのではないかという立場を私はとっているからです。障害があるから、この人は特別支援学校に行った方がいいという考え方があるとしたら、その決定者はその人の幸せを考慮して決定した場合です。差別する意図はないということも言えるわけです。そういうときには、差別する意図の証明の不要について、アメリカもヨーロッパも同じ立場をとっているのでしょうか。
○相澤専門協力員 結論としては同じ立場をとっていて、差別の証明は間接差別法理においては必要ないとされております。勿論差別の意図を背後に隠しながら中立的な基準をつくっているということもあるのかもしれませんけれども、それをあえて問わないというのが間接差別概念法理の大きな特徴の1つです。
○棟居部会長 太田委員は直接差別についても、障害者の側の幸せを勝手に考えて、別異の取扱いをした方がいいんだという、言わば善意に基づく差別があるのではないか。太田委員はそれがまさに差別なんだとおっしゃっています。だから、直接差別の場合も差別の意図というのは不要だ、間接差別と同様に考えたいという意見表明を含んだ御質問をされています。
○太田委員 そのとおりです。
○棟居部会長 その意見表明について、相澤さんに、今、あなたはどうですかと聞くのは、今日来ていただいている趣旨からしたらどうかわかりませんけれども、ついでなので、お願いします。
○相澤専門協力員 直接差別についても意図を問わないとしていくとすれば、間接差別と直接差別を線引きする線というものがなくなり、間接差別、直接差別とここでも分けて議論していることの意義が失われるように思います。
それから、意図を証明するというのは非常に難しい場合もあると思います。だからこそ、また間接差別法理というものができて、それによって救済された人もいて、こういう法理が歴史的に人類史上の中で形成されてきてよかったのではないかという評価もありますので、そういうふうに考えたときに、間接差別の意義をきちんと残しておくという意味で、直接差別と間接差別と分けて差別を類型化していくことは必要だと、現段階では考えます。
○棟居部会長 横から済みませんが、女性差別の場合、従来おじさん族は、女性は家庭にいるのが幸せであるという勝手な論理をとってきたわけです。これは障害者について別の学校に行くのが幸せであるということと全く同じではないかと思うんですけれども、その比較というのは余りよくないですか。
○相澤専門協力員 先生の御質問は、女性をということですか。
○棟居部会長 ごめんなさい。時間がないのでなんですけれども、要するに相澤さんは本来性差別について研究されてきたので、性差別でも言わば女性の側の幸せを考えた別異取扱いはずっとあって、そこを乗り越えるのが大変だったのではないか。これはまさに女性だから家にいろ、女性だから深夜残業するなのたぐいです。これはみんな女性だからですから、直接差別そのものですね。
○相澤専門協力員 はい。
○棟居部会長 しかし、そこで意図というのが、要するに善意だから構わないみたいなことを言われたら困りますから、つまり差別的な意図というのは不要なのではないかという話になると思います。
今のことは多分間違えも含んでいると思いますので、より授業に熟達されている浅倉先生にお願いします。
○浅倉委員 浅倉です。
相澤さんがこう言いたいのではないかということを代弁させていただきます。
直接差別の意図というのは、決して悪意をもって差別するという「差別の意図」ではなく、「女性であることを理由として」いるかどうかの根拠になるものであると考えます。そうしますと、「女性であるということ」と「異なる取扱い」が関連している、法的にいえば因果関係にあるということでよいのではないかと思います。したがって、意図的に悪意を持って不利益に扱っているのか、それともたまたま善意であったか、ということではないのではないか、と思います。
○棟居部会長 どうもありがとうございました。
多少議論を混乱させてしまい申し訳ございませんでした。
そういうことで、勝手に引っ張っておる間に時間がどんどんなくなっておるんですけれども、あとお一方いかがでしょうか。
もしなければ、最後の第3コーナーは間接差別というテーマで、また相澤さんにも多少振る格好になるかもわかりませんが、私の方としては、今ここでとりあえず切らせていただいてもいいというつもりでおります。よろしいですか。
相澤先生、本当にありがとうございました。(拍手)
これでこのコーナーを終了します。
ここで15分の休憩をとらせていただきます。15分といいましても、50分より少し過ぎておるんですけれども、時間が押しておりますので、5時5分再開とさせていただきたいと思います。

(休憩)

○棟居部会長 そろそろ時間になりました。御着席をお願いします。それでは、再開させていただきます。
第3コーナーは、間接差別についてです。
まず東室長から論点に関する委員の意見の特徴を15分程度で紹介していただきます。よろしくお願いします。
○東室長 今日、時間内に終わるかどうかわかりませんが、まず論点1と論点2を御説明申し上げます。
間接差別の議論の前提として、間接差別に値しそうな事案が少ないのではないかという声も聞こえてきますので、委員の方に間接差別として実際にどのような事例をお考えなのか紹介していただきました。委員の方からは30を超える事例を挙げていただきました。それぞれの事例が間接差別に該当するかどうかといった議論にもなりそうなものがあるとは思いますけれども、雇用の分野だけでなく、いろいろな分野にわたって事例が挙がっているということがわかるかと思います。これらの事例につきましては、個別的に検討する時間はありませんが、これからの議論の参考にさせていただきたいと思っております。
間接差別の論点の第1番目として、受験または採用の要件として規定された5つの具体例が間接差別の類型の問題となるかについて御意見を伺いました。この事例は後で西村委員からお話があると思いますけれども、西村委員の方で調査された事例を参考にしております。
一般的な間接差別というのは、規定、基準、慣行などを障害の有無を問わず適用する場合において、規定などの形式が中立的で障害を名指ししたり、特別に扱う対象にはしていないけれども、結果として障害者が不利になってしまう場合を言うようです。そのような観点から5つの事例を挙げて、これらが間接差別の問題として検討すべきかどうか御意見を伺いました。
この点につきましては、正当化事由の有無が検討される必要があるにしても、結論としては多くの意見が間接差別の問題であると評価されております。ただ、何人かの委員からは合理的配慮との関連性が指摘されておりますし、直接差別の類型で考察すべきであるという御意見もありましたが、間接差別の問題として検討すべき事案が、現に存在するという点ではほぼ一致していると思います。
その上で、特に事例の(2)(3)(5)は直接差別であるという御意見があります。これらは規定や基準で示された条件が障害そのものに関わってくるのか、それとも障害と関連するが障害そのものではなく、表面的には中立的な規定と見るか、そういう点の評価の違いによって分かれたという感じもします。この点については、若干御議論していただければと思っています。
次に2点目ですが、合理的配慮を提供しない場合を差別の類型に取り込めば、間接差別という差別類型を設ける必要があるのかという点であります。これにつきましては、多くの委員が必要であるという意見であり、全く不要であるといった御意見はございませんでした。
必要であるとする理由につきましては、例えば間接差別においては相手方は障害の存在を知っている必要はないが、合理的配慮については障害者側から障害の存在を明示して、初めて問題となる場合だから、両者は異なる概念であるという御意見。
問題となっている規定の限定的適用などによって、解決できる場合が存在する。その場合には、合理的配慮の問題は考える必要がない。もしくは合理的配慮では解決できない事例があるといった御意見。
更に規定や基準を撤廃するだけでよい場合は、間接概念という概念でくくった方が端的であるといった御意見。
間接差別が問題とされる場合でも、合理的配慮の問題と無関係な事例が存在することや、無意識に差別を招致するような場合には、合理的配慮の有無を問題にする余地はないといった御意見。
中立的または一般的な規定、基準、慣行などの適用が、結果として障害者等に不利益な状況や排除を生み出している現状を改善するために必要であるといった御意見。
合理的配慮は機会の均等を確保するものであるが、間接差別とは結果の平等を確保するものであるといった御意見。
間接差別概念により隠れた差別を差別として認定し、しかる後に合理的配慮義務が発生すると考えれば、両者の概念は相補うものになるといった御意見。
などが挙がっております。これらの御意見は重要な御指摘でありますので、事前に御意見をいただいていない委員の方も含め、再度御議論願えればと思っているところです。
論点1と論点2につきましては、以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。
それでは、議論に移りたいと思います。
なお、終わる時間は決まっておりますので、第3コーナー終了は17時55分というレッドラインを引かせていただきたいと思っております。後ろの時間を意識されながら御議論願えれば幸いでございます。
先ほども東室長から御案内がありましたように、途中で西村委員提出資料の説明について、5分程度とっておかなければいけないということも御認識ください。
それでは、御自由にどうぞ。
西村委員、まず皮切りにお願いできますでしょうか。
○西村委員 資料は2点提出させていただいてます。資料1は、採用された障害者の職場状況です。資料2は、採用する側が定めている採用要件等々になります。
私どもは自治労という労働組合としての立場で、障害を持っている労働者、組合員がどのような職場環境の中にいるのか、その状況を確認しながら、働きやすい職場環境や労働条件を整備していくことと、障害者雇用を促進していくためにさまざまな取組みをしてきました。そのための活動の一環として、こうした調査等々も実施しているということを冒頭に申し上げておきたいと思います。
まず資料1ですが、これは千葉県や内閣府でも、障害者の差別事例に関するアンケート調査等々を実施してますが、私どもはそれぞれの障害や使用している福祉機器などの把握に努めながら、それぞれの状況把握と働きやすい職場状況や不便な状況、配慮してほしいことを自由記載として、16ページに、載せております。
この調査は、約3か月間実施し、60名のアンケート調査の結果をまとめましたが、障害者が必要とする労働条件が整備をされていない働きにくい状況が示めされています。こうした状況は、間接差別に入ると思う事例もあります。
そうした事例の1つとしては、OA等々の新システムがそれぞれ行政の中で導入された結果、従来確保されていた音声読み取りなど、バリアフリー機能が失われていたという報告があります。本来すべての職員が使えるはずなのに、障害のある職員が使えなくなってしまっているという実態があります。
また、庁舎の古い、新しいということもありますが、建物の構造が非常に使いにくい、あるいはさまざまな配慮、具体的には、物の配置、照明等々の状況によって障害者が、働きにくい環境になっていることが指摘されております。
詳細につきましては、後ほど資料を確認していただければ、個別具体の事例につきましては、確認することができますので、よろしくお願いいたします。
資料2ですが、これは昨年7月から9月まで、おおむね2か月間、調査を実施しております。回答を頂戴した582の自治体の障害者採用に係る状況をまとめています。
具体的な調査内容については、一般採用試験で障害者を採用している場合は、その応募要件を調査しています。また、障害者を一般採用ではなく特別枠、いわゆる障害者枠で採用試験を実施している場合は、その応募要件等を確認しました。その内容としては、一般試験と特別採用試験に共通するもの、共通しないものもありましたが、おおむね一般試験で、特に記載をされていた内容を御報告したいと思います。
資料2の2ページ「2 一般枠の採用試験で障害者を雇用している実施状況について」というところに書かせていただいておりますが、20%の自治体が試験の申込書、受験票の記入を自筆としています。
それから、活字印刷物を読めること。
電話対応及び面接が可能であること。
こうした要件のとらえかたについては、議論があるかもしれませんけれども、先ほど出ていたお話ですが、居住地を当該自治体としているということもありました。
また、自家用車による来場を禁止し、一般公共交通機関を利用することとしていること。
身長と体重、視力と視野、聴力等の身体の状況に関する確認規定がありました。
そのほかにも面接だけではなくて、集団討論の試験を実施しているところもあります。
こうした試験を実施していない自治体では、すべて自分でできるとことを前提としているという書き方をしているところもありますが、一部の自治体では、障害の状況によっては、体力検査等々の一部または全部を免除しているという回答がありました。具体的には、体力試験を実施している151の自治体のうち9つの自治体が、受験者が障害者である場合は、全部または一部を免除しているという回答がありました。
ちなみに、346の自治体から面接または集団討論試験を実施していると回答がありましたが、このうち5つの自治体では、聴覚に障害がある場合は、手話通訳あるいは音声文字通訳等々を配置し、情報保障に努めているという回答を受けています。
以上、提出させていただいた資料の概要につきまして、御報告させていただきました。
○棟居部会長 どうもありがとうございました。貴重な具体例を追加していただいたと思います。
それでは、先ほど東室長から御案内のありました各論点につきまして、御自由に御議論いただければと思います。
竹下先生、お願いします。
○竹下副部会長 結論からいえば、多分意図としては(1)~(5)を間接差別の1つの事例としてぶつけて問題提起をしているんだろうと思いながら、私は受け止めたんですけれども、非常に迷っています。こういう事例などで見ると、非常に微妙な表現によって中立的基準とそうではない場合に分かれる気がします。
例えば1問目の公共交通機関を利用することといった場合には、中立的だと思います。現に自家用車の利用というものが、職場における駐車スペースの問題であったり、途中における安全確保の問題であったり、通勤労災を含めまして、そういう基準から公共交通機関を使うことを義務付けることがあり得る。それに対して補助者なしに、あるいは単独で通勤できるか、できないかという基準とは一緒に扱えないのではないかと思いました。
とりわけ(5)の自ら自書することになってくると、表現上は障害ということを名指ししていてないように見えるけれども、自ら自書できないということは、障害に対するねらい打ちであって、それ以外の中立性というのは存在するのか。別の言い方をすると、障害を理由とせずに自書できない人はいるのか。識字の人はこの場合考える必要があるのかどうかわかりませんけれども、少なくとも自書できないということは、表現としては中立性に見えるが、端的に障害に対する直接的な制限としか考えられない。そういう場合にまで間接差別と分類するのかという思いで迷いながら回答しました。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。
まさに自書というのは、投票所に来い、投票所で自分で書くという、選挙でいえば選挙の公正を確保するために最低限必要なんだという考え方が、自宅で寝たきりだという人の投票を阻んできた。こういう過去に裁判で争われたような例にもつながるところがあるかと思います。
それが公務員の採用試験の場合には、試験場にやってきなさい、受験票の記入は自分で書きなさいといった、一見当たり前のようなハードルが、そこに何か排除の意図はないのかもしれないけれども、それだからこそ強固なものとして続いているということです。
先ほど西村委員が御指摘になりましたことは、それぞれの採用試験等についての御研究だったんですけれども、それを含めて、今の間接差別全体について、残り時間も30分を切っておりますので、自由に議論していただければ、恐らくおのずとすべての話につながるのではないかと思っております。
先ほどの相澤専門協力員のお話は、極めて期せずしてなんですけれども、その直前の山本委員の要件事実論的なきれいな整理とある意味土俵を同じくする非常に技術的な話をされまして、そういう意味で、先ほどの休憩時間にも弁護士トークが続いていたりしていたと思うんですが、そうした要因をそのまま続ける格好でも構いませんし、もう一回もっと原理的な話に戻すということでも構わないと思うんですけれども、間接差別についてあるいは項目ごとの順番でも構いませんが、御意見ございますか。
もし御発言がなければ、何か面白そうなことを書いておられる方に、これはどういう意味ですかと聞いていくという格好にします。その場合は私は除くということでやっていきたいと思っております。
東室長からまとめで1つお願いします。
○東室長 論点の3点目からお話します。
3点目は、外国の法制度を見ると、間接差別では中立的または一般的な規定、基準、慣行などの適用行為を対象としているように思われます。しかしながら、日本の男女雇用機会均等法では、厚生労働省省令で定めた措置だけに限定しているわけです。こういう限定列挙的なやり方がいいのかどうかということで、御意見を求めました。限定すべきではないという御意見が主だったと思います。
理由としては、間接差別は社会において当たり前とされてきた規定、基準、慣行などが差別的に機能することを改めて明らかにして、その差別的構造の解消を目的とするものであるから、意図的に限定することは間接差別の禁止規定の意義に反するといった御意見。
結果として発生する社会的排除といった要素に目を向けると、差別をなくしていくためには、間接差別を広く取り込む必要があるといった御意見。
間接差別が障害者を想定していない今までの社会構造との関係を問うものであるから、幅広く検討できる規定であるべきといった御意見。
性別に基づく差別は一定の類型化になじみやすいと思われるけれども、障害者の場合は障害種別が多様であり、部位や程度によってもニーズが異なる。類型化は不可能であるといった御意見。
障害の場合、さまざまな主観的動機から間接差別を企てることがあり、性差別と比べると客観性に乏しいといった御意見。
男女雇用機会均等法においても見直しが求められているわけで、ましてや障害の多様性を考えれば限定すべきではないといった御意見。
障害分野における間接差別では、雇用分野だけに限定されるものではない。さまざまな日常生活や社会生活分野を網羅すべきなので、適用対象を限定すべきではない。
そのような御意見がありました。
次に論点の4点目ですけれども、間接差別では不利益かどうかを判断する仕組みとして、他の者と比較するという手段が採用されております。その場合、具体的にだれとだれを比較するのかという点に関して御意見を伺いました。多くの委員は障害のある人とない人を比較するといった御意見でした。ただ、この点は性差別と同様の判断枠組みでいいのかどうかというのは、検討の必要があろうかと思っています。
なぜかと申しますと、そもそも間接差別では、相手方の行為は一見中立的ですから、行為の外形では差別に当たるかどうか判断できないということがあるわけです。そこで、今、述べたように、問題とされる属性を持たない人との比較によって不利益な結果が発生しているかどうかを判断することになりますけれども、性差別の分野では確かに一般的な女性、一般的な男性という比較が成り立つことを前提に、それぞれの平均値でどうかという判断過程をたどることになると思います。
ただ、その際、実際に発生している格差の発生に対して、性の影響がどの程度あるのか。これを判断するには、逆に性以外の要素についてはできるだけ同じような条件をそろえた上で比較することが求められるわけですけれども、そういう2点から見て、そもそも障害の場合、特定の規定、基準、慣行の適用を受ける中に、平均をとるに足りる数の障害者がいるのか。しかも、障害といっても多種多様ですので、その中で同種で同程度の者と限定したら、そもそも絶対数がかなり少なくなる。そのような状況で障害群の平均をとることにどれだけの意味があるのかといった実際上の問題があると思います。
しかも、比較する場合には、障害以外の要素は可能な限り排除して、同じ条件の設定が望ましいということになると、最終的には障害のあるAさんと、障害がないと仮定したAさんを比較することになるのではなかろうか。そうだとすると、結果としては、棟居先生の御意見に近い見方もあり得ると思うわけです。そこで、この点は改めて御議論願いたいということです。
最後になりますけれども、いろんな意見が挙がっております。山本先生以外の委員が出されました論点につきましては、ほかのところでやりたいと思います。ここで山本先生から先ほどの続きがあると思いますので、解説をいただければと思います。
○棟居部会長 それでは、まず山本先生に先ほどの続きというか、間接差別バージョンでお願いします。
○山本委員 それでは、少しだけお時間をとって御説明させていただきます。54ページ以下をごらんください。先ほどの直接差別と対比していただきますと、多少わかりやすいかと思います。
私もよくわからないのですけれども、間接差別が問題になるのは、(a)にありますように、相手方が障害者に対しても、障害者以外の者に対しても、要件T3が備わるときはRをするというルール丙に従って行動する場合、または行動すべき場合において、通常、障害者はルール丙の要件T3を備えることができないときではないのかと思いました。
もしそうだとしますと、間接差別の要件は、まず、下の<1>相手方Yがこのようなルール丙に従って行動していること、または行動すべきであること、例えば活字印刷物の判読が不可能な者は採用しないというルールに従って行動していること、またはすべきであること等々となります。
さらに、<2>が重要ですが、当該障害者Xと同等の障害を持つ者は、通常ルール丙の要件T3を満たすことができないということも要件となります。これは先ほどの相澤さんの御報告の中で出てきた統計資料の問題と関わっているのではないかと思いましたが、よくわかりません。
その上で、結論として、<3>で、相手方Yが当該障害者Xに対してRをしなかったことが要件となるのではないかと思います。
(b)は後でお話するとして、これで成立要件を満たすことになるのではないでしょうか。
ただ、下の(2)の阻却要件、これは抗弁のつもりなのですが、これに対して間接差別の場合でも、相手方Yがルール丙を採用することを正当化する理由があるときは、差別を理由とする請求は認められないのではないか。
そうすると、次の56ページです。<a>として、相手方Yがルール丙を採用することを正当化する理由があると言えれば、請求は退けられる。その判断の際には、先ほどの直接差別のところで申し上げましたように、やはり比較衡量がどうしても問題になるのではないか。相手方Yがこのルールを採用することによって得られる利益の大きさ及びこれを採用しないときに生ずる弊害の重大性、当該障害者XにとってYからRという行為が受けられることによって得られる利益の大きさ、及び当該障害者にとって相手方YからRという行為を受けられないことによって生ずる弊害の重大性。これらは衡量の要素だけであって、どちらの要素にどのような重みをつけるかは次の問題でして、それを立法で定められるかどうかも次の問題になります。
その上で戻っていただきまして、55ページです。これは是非お教えていただきたいポイントなのですが、(b)で合理的配慮の欠如を差別の1類型とする場合との違いがよくわかりません。合理的配慮の欠如の場合は、54ページの<1>と<2>です。先ほどのルール丙に従って相手方が行動している。けれども、ルール丙の要件を当該障害者Xと同等の障害を持つ者は満たすことができない場合には、合理的配慮が要請されるわけでして、相手方Yに対して障害者がルール丙の要件T3を満たしたのと同じ状態にするために、合理的な配慮をしなければならないという規範命令が出されるのではないか。そうすると、相手方Yがそのような合理的配慮をしていないときに、差別に当たるとすることになるのではないかと思います。これが<3>です。
そうだとしますと、間接差別と比べれば、<1><2>の要件は重なるのですけれども、やはり違ってくるのではないかと思いました。というのは、上の<3>単に相手方YがRをしなかったということと、合理的配慮をしなかったということとでは要件が違ってくる。間接差別の方が立証は容易になりますが、合理的配慮の場合は、求められるべき合理的配慮を特定した上で、その不履行を立証しないといけないでしょう。
2番目に、間接差別の場合は、先ほどのルール丙を採用することに正当な理由があるときは、差別を理由とする請求は否定されるわけですけれども、合理的配慮の欠如の場合は、ルール丙を一応前提とした上で、合理的配慮が欠けているということを言いますので、先ほどのような正当な理由は問題にしないという前提ではないかと思いました。
いずれも規範的な評価や衡量が出てくるのですけれども、合理的配慮の欠如の場合は、あくまでも求められるべき合理的配慮を特定することが必要になってきて、そこで衡量が必要なのですが、そこで行われる判断は、先ほどのルール丙を採用することに正当な理由があるかどうかという判断とは少し違いがあるのではないかと思いました。その意味で、両類型は重なりはあるけれども、違うものとして位置づけるべきではないかと思いましたが、どこに誤りがあるかお教えいただければ幸いです。
以上です。
○棟居部会長 今、おっしゃったのは、間接差別と合理的配慮を山本先生の要件事実論的な図式で分析的にとらえた場合、こういう差異が残るのではないか。突き詰めれば、間接差別と合理的配慮の差異というのは、今、おっしゃった点に尽きるのではないかと御指摘かと思います。どこが間違っているということではなくて、そのとおりですということではないかと思います。
ただ、逆にいうと、我々が議論しようとしている間接差別と合理的配慮、あるいは間接差別という概念が要るのか、合理的配慮という概念が要るのかという、これが山本先生の図式ですべて尽きている話なのかというのは、恐らく山本先生もそこまでも含意しておっしゃっているわけではないだろうと思います。
どなたか御発言されますか。竹下副部会長、お願いします。
○竹下副部会長 山本先生の整理というのは、なるほどと思いながら読んでいても、やはり首をかしげてしまうのが2つあるんです。
結論からいえば、仮に今日出題されている(1)~(5)が間接差別だということで類型化されるならば、これらと合理的配慮というのは結び付かないのではないかという疑問があるんです。
例えば(5)の自書することについて、合理的配慮をそこに持ち込む余地があるのか。結論はないのではないかと思ってしまうんです。場合によっては(1)の公共交通機関を利用することでも、そこに合理的配慮があり得るのか。要するに間接差別が問題となる場面では常に合理的配慮によって収束するというか、平等が実現することになるのか否かについて疑問があるのかが1点目です。
もう一つは、合理的配慮について、山本先生がおっしゃるように、特定して云々とおっしゃるけれども、合理的配慮そのものの考え方は、その特定そのものが実は正当化理由との関係でも難しいと思います。例えば活字ないし印刷文字を読めるかというところについては、合理的配慮の問題なのか、正当化理由の問題なのかが問われることになりませんか。
例えば私のような弱小法律事務所で、自費でアシスタントをつけろと言われたときに、経済的にもたないから、その場合に過度の負担も含めて合理的配慮義務の範囲内になるかということと、大企業などで補助者をつける場合との合理的配慮というのはおのずと違ってくると言われているわけですから、そういう点からも間接差別の問題を論じるときと、合理的配慮というのは重ねない方がいいのではないかと思っているんですけれども、違うんでしょうか。
○棟居部会長 山本委員、お願いします。
○山本委員 1点目の御質問は、間接差別と合理的配慮の欠如は、全く違う場合があるのではないかという御指摘だったと思います。つまり、先ほどの<1><2>の要件を満たした場合には、重なるという言い方をしましたけれども、そのような場合であったとしても、合理的配慮がそもそもできない場合があるわけであって、そのような場合は、そもそも両者は交錯しない。これは全くおっしゃるとおりでして、合理的配慮を特定して、その不履行があると言えて初めて合理的配慮の欠如に基づく請求ができるわけですけれども、合理的配慮の措置があり得ないわけですから、そもそも問題にならないというだけで終わると思います。両者が重なるのは、合理的配慮を特定できる場合だけだろうと思いました。
後半の方の御質問は、私の理解が違っていれば言っていただきたいのですけれども、合理的配慮の欠如で何が問題になるかというと、先ほど言いましたように、何が合理的配慮として要求できるかということを判断する必要があって、その際には、弱小法律事務所かどうかはよくわかりませんが、そのようなところと財力が豊かなところでは、要求できる程度が違う可能性がある。これはまさにおっしゃるとおりで、合理的配慮の措置を特定する際の衡量要因として、そのようなものが挙がってくるということだろうと思います。
しかし、間接差別で問題になるのはそのようなことではなくて、自書ができなければならないというルールを正当化する理由が要求されるわけであって、この仕事に関して自書を要求することを基礎づける正当な理由がないと言えるのであれば、正当化できない差別に当たるだけである。ですから、ここで問題になるのは、財力がどうこうという問題ではなくて、このようなルールを採用していることの当否が問題になっているだけで、問題とすべき事柄が違っている。だから、間接差別と合理的配慮の欠如は、差別類型としては異なるという結果になると思ったのですが、いかがでしょうか。
○棟居部会長 今の点はよろしいですか。
なお、今、山本委員がおっしゃいましたが、先ほどの相澤専門協力員の資料の表現、職務上の関連性があり、業務上の必要性云々という、結局あの勝負になってくると、企業が手練れの竹下弁護士のような人を雇うと、負けないということになってしまうのではないかと思うんですけれども、間接差別というのは、本来、直接差別のように露骨に差別はしていない。その意味では非常にスマートな一面を持つんでしょうけれども、やっていることは直接差別と変わらないのではないかという発見ないし告発の意味があるはずなんですが、そういう間接差別だというと、職務上の関連性がありますから、業務上の必要性を立証しますからというそちらに移行してしまうと、告発とか発見をした意味がなくなる気もしないではないです。
間接差別という概念は結局何なんだ。私は直接差別に非常に近寄せたものとしてEUが確立してきたものだと思っていたんですけれども、アメリカ型の処理だと、弁護士さんの役割分担の問題です、業務上の必要性の立証がどちらに被るかというそれだけだ。それは初めから弁護士事務所がすごい資料を用意するということなんでしょう。
西村委員、お願いします。
○西村委員 これが間接差別か直接差別かということは、私も明確には判断がつきませんが、私たちが、把握している実態について2つほど報告をしたいと思います。
1つは、採用後の通勤方法について所管課とやりとりをしたことがあります。
具体的には、公務員の一般的な通勤や出張に要する交通費は、原則として時間や費用面で効率的な公共交通機関を使ったときに要する費用が支給されることになっていますが、車いす使用者で一般公共交通機関が利用困難で、自家用車も使用できない場合の通勤方法として、家族の送迎、福祉タクシーや移動サービスの利用による通勤の可否について所管課に確認しました。その結果、具体的な通勤手段については、その選択肢を制限するものではない。ただ、そこで要する交通費については、原則として、時間及び費用負担の効率的な経路を適用するとの回答が示された事例があります。つまり、障害があるために、障害の無い人が通常に利用できる公共交通機関が利用できない結果、その他の方法で通勤してもそれにともなう負担は、自費で対応することが求められている実態があります。
もう一つの事例としては、人的支援の確保なのですが、私が勤めている職場では、聴覚に障害がある職員が出席する会議や研修に手話通訳を派遣することを認めていますが、民間企業等においては、会議は職場の秘密条項を協議する場で、そこに部外者である手話通訳者等が入ることは機密保持上、困難とする実態が報告されています。
こうした状況があることを、先ほどの報告と今の議論への補足として報告します。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。民間についての守秘義務というか、保秘との関係という御指摘もいただきました。
御意見いかがでしょうか。伊東副部会長、お願いします。
○伊東副部会長 私の自己体験も含めて申し上げますと、私が45年前に社会に出るとき、あるいはその前の学校、子ども時代から、例えば就学免除の制度があったりして、私も二度ほど入学ができそうになくなった経験があります。また、就職のときにも、私は100社以上の会社から障害を理由に採用試験そのものを断られました。当時は、直接的に障害を理由として障害者を差別するという現状、状況が社会の中では当たり前にありました。しかし、今は直接的に社会の1つのモラルといいましょうか、障害を理由に直接拒否したり、断るということは、少なくなってきてはおります。
差別禁止法が動き出し、実施されていくときに、間接差別とか障害そのものを理由にしないで、差別される局面がもっとひどくなるのではないかと心配しております。間接差別について、あるいは障害を直接理由にしないで差別されないような状況設定を法の中あるいは施行規則の中で相当重視してつくらないと、骨抜きになる危険があると思います。
それから、合理的配慮について申し上げれば、安易に合理的配慮に対応を期待しない方がいいと思います。例えば障害者雇用の場合でも、特例子会社という制度があたかも障害者のためにつくったと思われるところもありますけれども、実態はそういう何らかの配慮をしたことによって、そこに障害者が追い込まれてしまう。そこから脱却できないという環境をつくってしまい、可能性のある人たちが社会で活躍する場面を失ってしまう恐れがあります。
アメリカやヨーロッパでは重度の障害があっても、専門家として活躍している人がおります。結局、今の特別支援教育にしても、障害があるという理由、事情で、その分野に追い込んでしまう。ですから、日本ではたぐいまれな何らかの能力を持っている障害のある方でも、結果として、人生の中でその人の能力を発揮できないままに終わってしまうという現状があることを考えたときに、合理的配慮は必要だが、そのことに過大な期待をするのではなく、差別禁止法の実態を成果あるものにする必要があるのではないかと思います。
○棟居部会長 ありがとうございました。
私の理解では、今の合理的配慮が逆に障害者を囲い込んでいくというか、結局、社会に打って出て力を試すチャンスを阻む機能があるのではないかという、御自身の御経験に基づいた御懸念を示された。その意味で、間接差別の概念をとっておくことが重要だという御指摘でよろしいですね。ありがとうございました。
ほかにございますか。時間はあと5分ほどになっておりますけれども、いかがでしようか。太田委員、お願いします。
○太田委員 私たちが差別されるとき、建物でいえば、日本の牛丼屋さんは車いすで入りにくいところが多くて、アメリカのハンバーガー屋さんは入りやすいところが多い。
また、交通機関をとっていえば、車いすにはいろんなタイプがあって、三輪の車いすは乗車を拒否されて、普通タイプの車いすは乗れるというような差別を私は日々体験しているんです。
そういう体験をして、向こうにクレームすると、必ずといっていいほど返ってくる答えは、差別をするつもりはないんですということを言って、危険性とか、違う理由を言って排除してくるということがあります。
私はこういう法律をつくる際には、今の伊東さんの話ではありませんが、間接差別、差別する意図はないということで、中立性を装った差別の問題の解決が必要だと思っています。
でも、合理的配慮については必要だと考えています。合理的配慮によって、一般社会の人たちと同じテーブルで仕事をし、同じ場で学び、そういう環境をつくるためのさまざまな合理的配慮であるなら、障害者を弱い者とするのではなくて、一般生活の中に入れる合理的配慮なので、それは必要だと考えます。
○棟居部会長 ありがとうございました。
最後は合理的配慮によって同じ職場で、同じ条件で働いていくという、押し上げるというところで合理的配慮という概念はなお必要だということの述べられたと思います。
その前にお話になりました、車いすのサイズなどで物理的に入れない。しかし、差別する意図はないんだということを聞いて思いましたのは、川島さんがいたら、もっと正確なことをおっしゃってくださるんだろうけれども、最近アメリカの憲法学者で、もっと幅広く議論している学者がインターネットの規格のコードを持ち出しまして、今までのルールによって我々を縛るというのではなくて、規格がこうですからということで、物理的、結果的に、例えばパソコンだとキーボードを打つ。そうすると、指がかなり自由に動かないと実際にはなかなか使えない。そうすると、必要な情報が得られない。指が自由に動かなかったらコンピュータを使うなと命令されているわけではないんだけれども、コードというか、物理的な規格とか障壁で結果として排除されてしまう。そういうことももっと憲法論として見ていくべきだといった議論が注目されているかと思います。
まさに障害者の問題というのは、ルール上あからさまな直接差別はもとよりですが、自書しなさいとか、試験場に来なさい、あるいはこの幅しか通れませんとか、そういう物理的な規格、物理的な条件づけによって、結果として排除を生んでいる。そういう見えない隠れたコードみたいな、ある種ルールではそんなはずはないんだけれどもというようなたくさんの落とし穴みたいなものがあって、しかし、そこに障害者の人が引っかかるというか、そこでつまずいてしまう、排除されてしまう。最後の限られた時間で、勝手に自分の学者的な興味で物を申し上げて申し訳ないけれども、非常に大きい論点につながっていると思いました。したがって、間接差別という概念は一筋縄ではいきません。
東室長、お願いします。
○東室長 伊東副部会長の意見に対して太田委員が言われて、特に合理的配慮の意義づけみたいなところで、少し対立するような意見だという御理解があるかもしれませんけれども、実はそうではなくて、伊東副部会長が言われたのは、見えない差別、差別とは明言しない差別みたいなものがいっぱいあるから間接差別が必要だ。例えば特例子会社にしても、本人のためにやっていて、合理的配慮と言うけれども、それは合理的配慮ではなくて間接差別的なものなんだというところをおっしゃりたいために、過度に合理的配慮に期待するわけにはいかないという御趣旨だったと思います。そういう御理解でよろしゅうございますか。ちょっと誤解があったかと思います。
○棟居部会長 済みません。わかりやすくするために、過度な対立図式に私がもっていったようなところがあります。失礼しました。
申し訳ございません。時間がもうございません。それでは、1点お願いします。
○小島委員 小島です。
間接差別の中で、だれとだれを比較して不利益を講じているかという判断のところで、ほかの委員の方は障害を持っている方と持っていない方を比較して、不利益を考慮するかどうか判断すべきだという御意見がありました。それと部会長の意見は、そうではないという意見でありました。これは室長も指摘されたところです。
例えば具体的にある企業を考えた場合、そこは中小でそんなに人数もいない。障害を持っている人は20代、30代、あとは年配で40代、50代となると、比較のしようがない。だれと比較をするのかということになる。そういう問題が当然出てくるはずです。そうすると、同規模あるいは同職種など、社会全体のデーターを使うことになるのかどうか。そのデーターが本当に使えるかどうかということもあります。そうすると、障害を持っている方と持っていない方の比較ということが可能なのか。比較できる場合はそれを使うことがあるだと思いますが、できない場合はどうするのか。部会長が指摘されたように、具体的にどういうことで、比較・判定できるかということです。障害を持っている、持っていないということだけでは比較できない場合がある。そういうことも想定する必要があるのではないかと思います。
○棟居部会長 ありがとうございます。
今日は時間がないですけれども、合理的配慮などになると、かなり個別的にカウントせざるを得ない。そうすると、その人がという比較になるのではないかと思います。ただ、今日はもう時間切れです。
そういうことで、以上で第3コーナーを強制終了させていただきます。
これで本日の議事は終了しました。
最後に東室長から次回の予定等について御報告をお願いします。
○東室長 どうもありがとうございました。
担当室の東ですが、次回は第7回になりますが、8月12日金曜日14時から18時の予定です。
それ以降につきましては、前回も話しておりますけれども、確認の意味で述べておきたいと思います。
第8回が、9月12日月曜日でございます。
第9回が、10月14日金曜日でございます。
第10回が、11月11日金曜日でございます。
第11回が、12月9日金曜日でございます。
次回は合理的配慮のテーマがメインとなります。ただ、合理的配慮の議論が終われば、総論的にいいますと、例外事由といいますか、正当化事由について、それぞれの類型に応じたものがあるのかどうか、挙証責任の議論を絡めた議論をすべきだと思っております。
ちょっと前後しますけれども、それとともに、先ほど概念の明確化という点で、3類型ないし4類型の関係をどう考えるか、それぞれの守備範囲がどうなるのか、そういう辺りを議論できればと思っているところです。
論点表はなるべく早く出したいと思いますので、できるだけ御意見をいただければと思っているところです。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。
私の不手際で時間をオーバーしてしまいまして、大変申し訳なく存じます。
本日の差別禁止部会の概要につきましては、この後の記者会見において、私と東室長から説明させていただきます。
本日はお忙しい中お集まりいただき、ありがとうございました。
○東室長 どうもありがとうございました。

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