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障がい者制度改革推進会議 差別禁止部会(第7回)
議事録

○棟居部会長 定刻になりましたので、これより第7回「障がい者制度改革推進会議差別禁止部会」を開催させていただきます。
差別禁止部会は、一般傍聴者の方にも公開いたします。また、会議の模様はインターネットを通じても幅広く情報提供いたします。
なお、御発言に際してのお願いとして、発言を求めるときは、まず、挙手いただき、指名を受けた後、御自身のお名前を述べられてから可能な限りゆっくりと御発言いただくよう、お願いします。
本日の会議は、18時までを予定しております。
それでは、東室長から、委員、オブザーバー及び専門協力員の出席状況と資料説明をお願いします。
○東室長 どうも、こんにちは。担当室の東です。お暑い中、御苦労様です。
まず、最初に内閣府の共生社会政策担当の障害者施策担当参事官が異動によって、前任の関参事官から難波参事官に代わりました。少しごあいさつをいただければと思っております。よろしくお願いします。
○難波参事官 関の後任でございます。難波と申します。どうぞ、よろしくお願いいたします。
○東室長 ありがとうございます。本日は、浅倉委員、大谷委員、小島委員、川内委員、松井委員が御欠席でございます。その他の委員、オブザーバー、専門協力員は御出席です。
本日の議事は、15分の休憩を2回とることとして、3つのコーナーで行っていきます。
第1のコーナーは、70分で差別の類型を巡る前半について議論をいたしたいと思っております。
事前に委員の皆さんに論点をお示しして御意見を求めておりますので、まず、その御意見の特徴を私の方から紹介し、その後、議論するという形にします。
第2コーナーは、60分で引き続き論点の後半について議論したいと思っております。
第3のコーナーも60分でヒアリングを行います。障害者差別が裁判で争われた事例につきまして、池田直樹弁護士にレクチャーをしていただきたいと思っております。
以上が本日の予定です。次に、資料の確認をさせていただきます。
議事次第、座席表に続きまして、資料1が、差別の類型論を巡る論点です。
資料2が、それに対する委員の意見の一覧表でございます。
資料3が、池田先生のヒアリングに関する資料でございます。
また、西村委員提出資料がございます。
最後に、参考資料として各国差別禁止における差別の一般的定義比較表・・・。済みません、これはちょっと間違いです。
障害者基本法が改正になっておりますので、それについて報告するための資料として、これが参考資料の1ですが、障害者基本法新旧対照表ということで出させていただいております。
それと、参考資料の2と3ということで、衆議院の内閣委員会もしくは参議院の内閣委員会における附帯決議を付けております。
資料としては、以上でございます。確認をお願いしたいと思います。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございます。続きまして、先日、7月29日に成立、8月5日に施行されました障害者基本法について、事務局より御報告いただきます。
○東室長 今、お手元に示しました参考資料の1、障害者基本法新旧対照表というものがありますので、開けていただけませんでしょうか。
今、おっしゃいましたように、7月29日に参議院の本会議を通過しまして、8月5日に施行されております。
ただ、全部ではなくて、障害者政策委員会の部分につきましては、1年以内で政令の定める日から施行という形になっております。
内容につきましては、見ていただければ、どこが変わったのかというのがわかるかと思いますが、アンダーラインを引いてある部分が政府原案において、修正された部分です。
それに加えまして、ゴシック体の太字で書いてある部分が国会で与野党審議の末、付け加わった部分でございます。推進会議で議論した上で、それを踏まえて政府原案という形で改正案が示されましたけれども、その他、多くの部分において与野党間の合意の下に改正がされております。
これを全部説明しますと、随分時間がかかりますので、特に差別禁止の関係について御説明申し上げたいと思います。
差別禁止に関しては、従来の3条3項というところには「何人も障害者に対し、障害を理由として差別すること、その他の権利利益を侵害する行為をしてはならない」とありました。
これに対して、改正基本法では、第4条という独立の条項化する形で規定されております。
4条1項は、先ほどの3項と基本的に同じ書きぶりでございます。
それに加えて、2項では「社会的障壁の除去は、それを必要としている障害者が現に存し、かつ、その実施に伴う負担が過重でないときは、それを怠ることによって前項の規定に違反することとならないよう、その実施について必要かつ合理的な配慮がされなければならない」という部分が加わっておりますし、更に、3項では「国は、第1項の規定に違反する行為の防止に関する啓発及び知識の普及を図るため、当該行為の防止を図るために必要となる情報の収集、整理及び提供を行うものとする」という形になっております。
そこで、特に2項は、全体として権利条約の「合理的配慮」の趣旨を踏まえて規定されたものだということで説明がなされております。
条文上は、「合理的な配慮」という形で、一般的な言葉を用いて書かれておりますが、この全体から見ると、社会的障壁を除去しないといったことは、それに伴う負担が過重でない場合には、結局、差別の規定に違反するということになりますと解釈されています。
したがいまして、改正前の基本法よりも一歩踏み込んだ形にはなっております。
しかしながら、合理的配慮というものが何であるのかという定義規定については書かれておりません。その中身を明らかにするのは、むしろ、この部会の役割だということであります。ですので、ここでの議論をしっかりしていただくということになろうかと思います。
また、ここで使われております社会的障壁という言葉については、第2条の定義の2項というところに書いてあります。それを見ますと、社会的障壁につきましては「障害がある者にとって、日常生活または社会生活を営む上で、障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のものをいう」とされています。この社会的障壁という考え方は、旧の基本法にはなかったわけでありますが、これまで政府においても使われていた4つの障壁というような考え方がベースとなって、このような文句になったものだと思います。ここに社会的障壁というものを盛り込んだ意義は大きいかなと思っているところです。
こういうものを内容とする基本法が成立しましたけれども、特に差別禁止に関しては、附帯決議の中でも触れてあります。どちらの委員会の附帯決議を見てもらっても構いませんが、6項に「国は、この法律による改正後の障害者基本法の施行の状況等を勘案し、救済の仕組みを含む障害を理由とする差別の禁止に関する制度、障害者にかかる情報、コミュニケーションに関する制度及び難病対策に関する制度について検討を加え、その結果に基づいて法制の整備、その他の必要な措置を講ずること」ということが附帯決議で載っているところであります。
ですので、この附帯決議から見ても、ここにおける議論は、非常に重要だということが言えるかなと思っております。
簡単ではありますが、基本法改正の御説明でした。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。それでは、議事に入らせていただきます。
第1のコーナーは70分を予定しております。差別の類型論を巡る論点(その2)、前回は(その1)をやりましたが、今回は(その2)でございます。
そのうち、第1、合理的配慮と、第2、禁止されるべき差別類型の特徴と関係についてです。
最初に東室長から委員の皆さんの事前意見の特徴を報告していただき、その後、議論に移りたいと思います。
まず、第1、合理的配慮について、東室長、よろしくお願いします。
○東室長 これまで差別禁止法における障害とは何かというところから始まりまして、差別の中での、いわゆる直接差別、間接差別というような議論をしてきました。その流れの最後の部分として、類型の1つとしての合理的配慮についての議論が今日の最初に来るわけです。
次が、これは3類型もしくは4類型をベースにして、これらの関係がどういう関係なのか、類型の整理を議論していただき、そして、それを前提に、その後に、例外もしくは正当化事由というものの在り方、立証責任の分配論、そこら辺を今日議論していければなと思っております。
そこで、最初の合理的配慮の問題についてですが、一般の方に合理的配慮の説明をしても、なぜ合理的配慮をしなければならないのかという点については、理解が難しいところがあるわけですね。話をしても、障害者だからといって不利益に扱うとか、違った扱いをするとか、えこひいきというか、分け隔てするような扱いはしませんとおっしゃられる。
しかしながら、なぜ、私があなたのためにほかの人と違うことをしなければならないのか、なぜしなければ差別と言われるのかと、すんなり受け入れられないというような声が返ってくるということもあり得るわけですね。
そういう中で、合理的配慮をしないことが差別であるというふうに権利条約などでは定められているわけですけれども、多くの人に、なぜそうなのかということを説得的に説明することが求められていると思うんですね。だから、単に条約で決まったからというだけでは済まされない、やはり説得責任みたいなものをある意味負っているんではないかと思います。
そういう前提での質問として、合理的配慮をしないことは差別であるといった概念はなぜ必要なのかという問いの中で、まず、なぜ合理的配慮を提供しなければ差別となるのか。そして、なぜ、その合理的配慮は優遇措置ととらえるべきではないのかという質問をさせていただきました。
まず、なぜ合理的配慮を提供しなければ差別となるのかにつきまして、さまざまな御意見をいただいております。
簡単に要約するということは難しい話ですけれども、多くの御意見は、まず、社会的背景として、障害者が社会参加できなかったり、もしくは社会から排除されたりする、そのことによって、障害者が不平等になっている。そういう原因は、社会のこれまでの障害者に対する配慮のなさとか、無理解によって生じており、そのような社会的障壁があるからなんだと。そういう点を指摘されておられます。
その上で、多くの御意見は、合理的配慮によって、これらの社会的な障壁を取り除かない限り、実質的な平等取扱いがあったとは言えないだろうと。だからこそ、合理的配慮をしないことは、差別であると考えるべきだと、こういう御意見が多かったかなと思っております。
そして、それがなぜ他人と違って優遇したというふうには言えないのかという点でありますけれども、この点に関しても、全部の御意見は紹介できませんけれども、合理的配慮の提供というのは、例えば障壁を除去するだけの話しかないという御意見であったり、市民との平等を図るための措置であるからだといった御意見、社会のさまざまなシステムが障害のない人には既に配慮されているが、その一方で、障害のある人には配慮をしないといった偏った状況が社会的背景にあるんだと。
そういう点からすると、合理的配慮は、機会の平等を実質的に確保するための条件整備でしかないんだと。もしくは、結局、同じ土俵で平等に立てるようにするための手段であると、もしくは自由競争に参加させるための手段でしかないんだと、だからこそ、優遇しているということではないという、そういう御意見が多かったかなと思います。
ここら辺は、もう少し皆さんで御議論していただければなと思います。
続きまして、合理的配慮の守備範囲ということで、合理的配慮の考え方は、どこまで及ぶかということを検討していただきたいということです。
この点に関しましては、大きく言うと、障害福祉サービスの分野においても合理的配慮の概念というのが当てはまるのか、当てはまらないのか、そこでは、かなり異なった結論になっております。
その中で、障害福祉サービスの分野についても合理的配慮というものは考えられるんだというのが若干多い意見でございました。
ただ、そこまでの範囲で考えるべきではないといった御意見もかなりありまして、ここは議論が、半々とまでは言えませんけれども、考え方がかなり分かれているということですので、これも議論していただく必要があるかなと思っています。
それと、合理的配慮の内容をどう考えるかということなんですが、合理的配慮につきましては、権利条約上、定義が設けられております。ですので、国内法制化する場合に、それがベースになろうかと思いますけれども、何せ英語が基本になっておりますので、日本語として意味がわかりづらいというところもあります。
ですので、条約に書いてあることの大事な要素は維持しながら、日本語的にわかりやすい定義を置くべきかどうかという点ついて御質問をしてみました。
これにつきましては、合理的配慮の定義を新たに考える必要があるというのが多くの意見でした。
ただ、権利条約のままでいいんではないかという御意見もありました。新たに定義が必要なんだという御意見の根拠としては、わかりやすいものでなければ、実効性がないんだというような御意見や、新たにつくる場合、条約のポイントというか、そういうものをきちんとわかりやすく示していくということが必要だといったような御意見もありました。
ただ、条約のままでいいんではないかという御意見にも理由がありまして、新たに規定することによって、逆に内容があいまいになったり、必要な大事な部分が縮小したり、範囲が変わるおそれがあるんではないかと、そういうことの御指摘もありました。
いずれの理由ももっともでありますので、これらの視点に基づいた検討が必要になるかなと思っております。
最後ですけれども、合理的配慮、リーズナブル・アコモデーションの訳の問題ですね。一般的に、これまで合理的配慮というふうに訳されてきましたけれども、果たしてこれでいいのかという問題です。
これに関しましては、合理的配慮とは違う言葉を提案されている御意見もありましたが、多くは、ベストではないかもしれないけれども、既に定着しているんだと、だから、特に変える必要はないんではないかという意見が多うございました。ですので、議論の余地は残しつつも、当面、この部会での議論の上では、特段強い御意見がなければ、合理的配慮という言葉で議論を続けていこうかなと思っているところです。
以上、合理的配慮についての説明でした。
○棟居部会長 ありがとうございました。それでは、議論を早速始めたいと思います。
今、お示しになりましたように、論点として、合理的配慮について更に4つほど分けた論点が我々にも宿題として出されました。
そのうち、最後のものについては、合理的配慮という訳語そのものの良し悪しという、議論を始める上で言葉を最初にどうするのかというのは、ある意味大事なことかもしれませんが、これについては、おおむね合理的配慮という用語自体でいいのではないかということが、一応多数といいますか、そこはこれから合理的配慮という言葉を使って議論すること自体は構わないだろうという程度のコンセンサスはありそうであります。
ということで、合理的配慮の訳語については、順番どおり、最後にとっておきまして、議論の順番、順不同でも構わないんですけれども、この論点として、我々が回答しました順番に即しますと、まず、小さな第1点は、合理的配慮をしないことは差別であるという概念がなぜ必要なのかと、これが日本社会において差別をしないと言えば、要は何もしなければ差別ではないんだと、自分は差別していません、何かいらんことしていませんと言えば、それでおしまいかと思いきや、何かしなければいけないと、積極的なアクションまで求められてしまう。例えばスロープをつくりなさいというような、そういう義務まで出てきてしまうというのが日本社会で果たして受け入れられるのかと、こういうかなり厚い壁の問題が出てくるわけでありまして、これについて、日本でこういう合理的配慮というものをどうブレークスルーさせていくかという点も含めて、御意見あるいは御議論をいただければいいと思います。
太田委員、どうぞ。
○太田委員 太田でございます。どうもありがとうございます。機会の平等を実質的に保障するために、合理的配慮が必要だということで、なぜ、具体的に必要だということを申し上げたいと思います。
まず、簡単なことから申し上げたいと思います。町に出て、5、6年前、洋服屋に入ろうとしました。洋服屋は車いすでも入れるようなところでした。ところが、私は、入店を拒否されたんですね。なぜならば、私が入店をすると、商品が車椅子のタイヤによって汚れてしまう可能性があるからだめだと。それはそれで向こうの言い分はわからないわけでもないですが、もし、そうだったら、私は何を求めているのか、何を探しているのかというのを聞いてこちらまで持って来て、商品を見せてくれることは可能だったと思います。そういう小さい配慮、そういうものも合理的配慮なんではないかと思います。
もう一つ、私は日野市に暮らしていますが、東京の日野市です。車椅子タクシーを予約しようとすると、タクシーはあっても、運転手がいないから予約できませんと、お迎えできませんと言われるわけです。普通、タクシーは呼び出しで呼べるものですね。それなのに、何で呼べないのか、専門の運転手がいないからだめだというわけです。専門運転手を工面させる合理性が果たしてあるのかと、すべての運転手が運転できるようにすれば、事は解決するわけです。そうすれば、運転手がいないから予約できない、配車ができないという問題は解決できると思います。
もう一つ、JRの新幹線などに乗るとします。以前は、自由席の切符を買って乗車できたのですが、今は指定席じゃないと乗車ができない。車椅子席は空いていないからだめだというわけです。以前は、乗車できたわけですし、在来線には別に車椅子スペースがなくったって乗せているわけです。そういう固い考えでなく、臨機応変に個別的に対応すれば、問題は解決することなのに、私にとって不利な状況をつくってしまうということにおいて、私は合理的配慮という概念は、そんなにお金をかける問題ばかりではなくて、ちょっとした配慮で普通に生活できる、すばらしい障害者にとっての概念だと思います。そういう臨機応変さというものを社会に根付かせていくことによって機会の平等を構築していくことが重要ではないかと思います。
意見はありますが、とりあえず、とどめさせてもらいます。
○棟居部会長 ありがとうございました。今、おっしゃった3つの例、少しずつずれているというか、場面は違いますけれども、要するに、最後におっしゃった臨機応変さと、これがキーワードですね。つまり、ちょっとの工夫でそんなにお金とかをかけなくても、言わば少し頭を使えば解決する。だけれども、例えば新幹線の例だと、かえって福祉のための特別の席を用意したりすることによって、かえって逆にアクセスしにくくなっていると。そういう柔軟さがむしろ欠けることによって実際に配慮しているつもりなのかもしれないけれども、配慮になっていない、その逆だと、こういう御指摘だったと。
総じて、まとめて言うと、合理的配慮というのは、何か不作為から作為へとか、そういう難しい話ではなくて、少し頭を使うと、少し柔軟に考えると、それだけのことなんだという御指摘ということですね。
○太田委員 ありがとうございます。
○棟居部会長 ありがとうございました。ほかに、いかがでしょうか。
これは、非常に大きな問題、合理的配慮というのが合理的配慮しないことが差別であるという概念がなぜ必要かという問い自体の意味が、うんと20回ぐらい読まないとよくわからない、非常に難問なんですけれども、要するに前提として、先ほど少し申しましたが、差別してはいけません。はい、わかりました。私は差別をやめますと、そこで解決するだろうと、みんな今まで思ってきた。だけれども、合理的配慮という少しのアクションを要求する。それは何もしないで済む話ではなくなった。随分大変だ、ややこしいんだなと、日本社会でなかなか合理的配慮というのが受け入れられないんではないか、お金もかかるんではないかと、こういうふうに思われてしまうけれども、どうやってそこを、言わば理屈として、あるいは説明として突破していくのかと、これが東室長の問題提起だったんです。
それに対して、最初に太田委員から、何もしないことから何かをしろという、しないことからすることへという大きな変化というような大げさな話ではなくて、ちょっと工夫してくれ、ちょっと頭使ってくれというだけなんだという、言わば日常のマナー範囲内で済む話ではないですかという、ある意味、問いに対して揺さぶるような面もある、そういう大きな御指摘を受けたと思いますけれども、これは、概念論争だからいたずらにやるよりも、現実の合理的配慮というのは、もっと簡単な、でもある種頭を使う、お金よりも頭を使う、でも頭を使えば解決できると、そういうものなんだよということですね。
○太田委員 必ずしも簡単なものばかりではないですが、簡単なものもいっぱいあるんだということを皆さんに知っていただきたいと思います。
○棟居部会長 ありがとうございました。合理的配慮について、かなり身構えて随分いろんな御意見、例えば川島委員、しばらくぶりにお帰りになりましたけれども、かなり長い御意見を寄せられたりしていますけれども、御発言ありませんでしょうか。
○川島委員 川島です。ありがとうございます。実質的な機会平等を実現するために、同じ扱いがときに必要になるときもあるし、異なる扱いがときに必要になるというところがあると思うんですけれども、私は、日本社会がどのような価値を重視して、基盤として成り立っているのかというところから考えていけば、おのずと合理的配慮は優遇措置にならないのではないかと思っております。
憲法の下でも、国際法の下でも、人間の尊厳、個人の自己決定、社会参加、機会の平等、差異の尊重、多様性の尊重といった基本的な価値については、日本のほとんどの人が合意できる基本原則だと思います。そのような基本原則を実質的に日本の領域内にある人たちが皆共有できるという観点から立てば、当然のことながら、異なった扱いというものが正当化される。ただし、過重な負担を課すようなものというのは、それは現実には無理なわけですから、その場ではできないということで、合理的配慮というのは、特に優遇措置というよりは、だれもが基本的な価値を実質的に共有できるために当然求められるものだと、今は考えております。ありがとうございます。
○棟居部会長 ありがとうございました。非常に大きな言いぶりをされまして、つまり、憲法その他、もろもろに示されている個人の尊重であるとか、差異の尊重であるとか、そうした日本社会で共有されている価値、そこから出てくる話だろうと、決してそんなに違和感を持つとか、そういう大げさな話ではないはずだという御指摘だったと思います。
先ほど室長の御紹介にありました、我々の意見の中の共通の傾向として、あくまで機会の平等というのを中心に据えながら、それを実質的に機会の平等というものを押し広げていくと、こういう点でかなり共通の、委員のこの宿題として出した回答の中の共通の考えがあるという御指摘が、先ほどなされたと思います。
この機会の平等というのは、これこそ、まさに日本社会で、みんなイコールコンディションで、フェアな競争をしましょうと、その結果については、勝った人を尊重しましょうと、勿論、余りアンバランスだと、格差社会という別の問題が出てきますけれども、機会の平等そのものは、我々は尊重しているわけです。ただ、機会の平等の名において、例えば英語の能力をはかるというときに、英会話の能力というと、これは別に英文を読めなくてもいいはずなので、殊更に文章を読ませて、それをスピーチに置き換えていくような試験が仮にあれば、どうして視覚障害者をここで排除しているんですかという素朴な疑問が出てきますね。一見機会の平等という、みんなに開かれているチャンスのようだけれども、試験のやり方によって、事実上、一定の人が排除されている。
こういうのは、英語のスピーチ能力とか、そういうのを試す上で意味ないでしょうというふうに、1個ずつ指摘して、むしろ一見何げない試験とかのやり方に潜んでいる不合理さをあぶり出していくと、そういうのも合理的配慮かなと、私は思ったりします。
どなたか、機会の平等というものの実質化という観点から、御発言はございませんでしょうか。なお、今の合理的配慮という点についての議論は、あと10分ほどを予定しております。ですから、ぎりぎりの方になって大きなことを言われると、時間配分が狂ってしまうので、おっしゃりたそうな向きも、身構えて、後出しをねらっておられるんでしたら、今、言ってくださいというのが、私のありていにいう、どうぞ、竹下副部会長。
○竹下副部会長 非常に宿題そのものが難しくて、理解もできなかったし、回答もうまくできなかったんだけれども、今日2つだけ議論をしておいた方がいいのかなと思うのは、合理的配慮というのは、日本の憲法論で考えた場合に、自由権と社会権という古典的な人権論の中に、どう取り込まれてしまうのかという危険性があるというのが、1点目の私の疑問、ないしは不安です。
もう一点は、合理的配慮というのは、差別を考えるときに、我々は今まで、積極的に排除という意識的な行動を取る場合に、差別というものを概念しやすかったわけですけれども、もう片方で、いわゆる日本語としての配慮不足というか、思いが至らないという程度のことを、言わばごめんなさいで済ませてきた文化がある。しかし、それは、決してごめんなさいで済む話ではなくて、人間性を実は、そこに否定しているということが、意識されていないということに気づかせるというものが合理的配慮ではないかと私は思っているというのが2点目です。
1点目の話は、なかなか私自身が解決できなくて、川島さんなんかに説明してもらった方がいいと思っているんですけれども、合理的配慮というのは、言わば社会ないしは国が積極的に何らかの措置を講ずることを義務づけられる、別の言い方をすると、単純な法治ではなくて、一定の政策を実行することが要素となっているために、従来の基本的人権論でいうところの社会権に属するんではないかという議論に陥りそうだということの問題提起であります。
例えば、憲法25条の生存権保障としての貧困をなくするためには、国家による積極的な施策の実施が必要だ、それは社会権だと、それに対して、基本的人権の伝統的な信仰の自由であったり、表現の自由と言われるものは、国家による手出しを禁止すると、それによって自由と平等というものを実現しようとしてきたということとの体系論から言えば、合理的配慮というのは、そこに当てはまるのか、当てはまらないのか、私は当てはまらないと言いたいんだけれども、それをどう理論的に克服するのかという問題だろうと思っています。
長くなってしまうと、よけいぐちゃぐちゃになるので、一言で言えば、例えば先ほど部会長もおっしゃったように、例えば視覚障害者にとって表現の自由、特に知る権利ということを問題にしてみても、そこに合理的配慮というものを重ねなければ、知る権利は全く奪われてしまうわけですね。例えば、表現の自由の問題の中では、非常に残念なのは、岐阜県の中津川での市会議員で、言語障害と言いますか、喉頭がんで声帯を摘出した人の議員の発言方法を制限することによって表現の自由が平気で奪われていくということになりかねない。
そういうことを考えると、合理的配慮というのは、すべての基本的人権の基礎だというふうに、私なんかは位置づけたいと思っているのが、1点目の結論です。
2点目の問題は、なかなか悩ましくて、この配慮という言葉、先ほど太田さんの発言もそうですけれども、配慮とか合理的配慮というのは、日本語としては、一方では当たり前のことを言っているようにしかならないし、他方では、消極的な概念に使われかねないという懸念がある。そうではなくて、例えばこの会場に手話通訳師がいなかったら、多分、10年前までは、それをだれも差別だとまでは言わなかったわけですね。あるいはこういう点字の資料が配付されていますけれども、10年ほど前まで点字の資料が配付された会議に、私は地方であれ、国であれ出たことがなかった。どんな審議会に出ようが、どんな会議に出ようが点字の資料をいただいたことは、10年前はなかったと思います。しかし、それを差別とだれも呼ばなかった。今は、逆にそれは差別という概念で理解しようとする。そのことは、私は非常に大事な人間の気持ちの中の弱点を表していると思っていまして、すなわち、配慮不足という日本語で済まされてきた中に、人間の人格というものを実は否定していることに、あるいはその人の価値というものを十分に尊重することを怠っていることに気づかなかった社会というものをこの合理的配慮というものは気づかしてくれる、そういう概念ではないかと、私は思っています。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。予定の時間があと5分ほどしかございませんけれども、今、竹下先生がおっしゃったので、私も思い出すのは、外国に行って、相手の会話についていけないときに、ゆっくりしゃべってくれと、すぐ言わざる得ないわけです。それを無視されると、これは合理的配慮がないなと、要するに、話の中身以前に、ゆっくりしゃべってもらわないと何のことがわからないというと、これはお答えもない、つまりテーブルの上に乗れないと、同じチャンスが提供されていないわけですから、わかるようにしゃべってもらうという、当たり前じゃないかと、そういう場面では、恐らくどなたも思うはずなんですけれども、これが障害者の場合は、恒常的にそういうことがごめんなさいで済まされてきた、あるいはそういう悪いことをしているんだ、排除しているんだということすら気づかずに、今まで来ていると。
そういう意味では、合理的配慮という言葉自体にある種の啓蒙的な意味合いも大いにあるかと思います。
残り時間がどんどん、山崎委員、お願いします。
○山崎委員 ありがとうございます。山崎です。私、宿題に答えていないので、それで発言しているわけでもございませんが、皆さんのメモを拝見したのと、先ほど冒頭に太田さんの御発言を伺っての、まず、感想的コメントが1点と、質問が1点でございます。
1点目は、今日、資料として新聞記事のようなものをお配りいただいていて、こういうのは、やはり私はすごく重要だと思います。現実に日本社会でどういうことが起きていて、現状の法制度を含めた仕組みで何が足りないか、足りない部分を補おうということで合理的配慮というキーワードをここで議論しているんだと思います。
この新聞記事の<2>で、移動の自由を訴えるために訴訟を起こされたときの記者会見で、障害者というのは、普通の人間にただ障害がくっついているだけだというふうにおっしゃっている。恐らくその障害がくっついている部分がゆえに社会的な不利益を被っているのであれば、その方についてのスタートラインをゼロにするために、場合によっては合理的配慮という社会が積極的な何がしかをしていくことを求められる、それが合理的配慮の問題の所在だというふうに思っております。
そのように考えますと、棟居委員がペーパーの中で御指摘になっているような説明が私には、非常に納得できるところでございました。それが第1点です。
第2点目は、私が必ずしも宿題にちゃんと答えなかった理由は、暑かったからというのはあるかもしれませんが、実は、それだけではなくて、いろいろと考えたんですが、最終的に、仮に合理的配慮をしなかった方、その行為について、どういう制裁を予定するのか、それが仮に予定されたとして、裁判所でそれを認定する。あるいは先ほど東室長から基本法の改正の附帯決議の6項目が口頭で御紹介がありましたが、救済の仕組みを含む障害を理由とする差別の禁止に関する制度について整備する必要がある。まさに司法救済、裁判所による救済以外に、例えば障害者権利委員会というようなものが、将来想定されて、そこで、我々が今議論している差別禁止法が運用されることになると思います。
さて、その場合に、ここで議論して、何がしかの定義を確定していくことになる合理的配慮がないことについて、どのような制裁が予定され、どのような形で制裁について事実認定がされていくか。そこら辺の制度化がどうなるか、私は、それとの関わりで合理的配慮の中身が決まると考えた方がいいかなと思っていまして、そういう趣旨で、現時点では、かなり判断停止の状況にあるということです。
ですから、お伺いしたいのは、救済の仕組みのところ、あるいは救済の委員会との兼ね合いで、合理的配慮の定義というのはもう一度そこで再議論をすることが可能であるのか、恐らくそうなると思いますので、その点だけ1点確認させていただきたいと思います。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。もう時間切れなんですけれども、これは御心配に及びません。合理的配慮については、これから何度でも出てくるということですね。結局、そこを突破しないと、差別禁止云々になりませんので、これはある意味で今回も初めの初めにすぎないということです。
もう時間が来ましたが、一言ずつということで、残りお二人お手が挙がりました、まず、野沢委員、お願いします。
○野沢委員 私も宿題をやってこなかった1人として、今、手を挙げたんですけれども、普段当たり前のことだと思って考えてきたことなんですが、改めてなぜ必要なのかと言われると、なかなか言葉に表せない。それで、基本法で社会的障壁というものが盛り込まれて、これは大変すばらしいことだと思っていて、この社会的障壁について考えると、やはり合理的配慮というのは、一番の象徴的というか、本質に迫る問題だと思って、極めて大きい問題だなと、改めて気づくんですね。
かつ、一般の人たちに、ここをわかっていただかないと、なかなかその先に行けないと、やはり一般の人たちにわかってもらえるような言葉を、我々が用意しなければいけないと思うんです。
さて、どうやって説明すればいいのかというのは、なかなか難しいんですけれども、うまくまだまとまっていないんですが、私が普段思っているのは、我々は日々生活しているわけですね。できるだけ豊かに暮らしやすくということを求めて、科学技術が進歩したり、情報化が進んだり、いろんな知識が進歩したり、進化したり、それによって恩恵を受けている。
ただ、機能的な特徴によって、必ずしも恩恵をそれによって受けられない人たちがいるわけですね。そうすると、恩恵を受けている我々と恩恵を受けられない人たちということがあるんですが、ただ単に恩恵を受けられないというだけではなくて、我々多数派が恩恵を受けていることによって、恩恵を受けられない人たちを排除していると、参加の機会を損なっているという構図だと思うんですね。ただ単に恩恵を受けられるか、受けられないかだけではなくて、特に近年の科学技術の進歩や情報化によって、この構図というものは物すごく拡大してきているというのが、今日的な課題だと私は思っています。
そうしたときに、我々恩恵を受けている側が、恩恵を受けられない人のために排除してしまっている相手に対してやるべきことというのは、配慮というと、ちょっと生ぬるいような気もして、義務と言ってもちょっと言い過ぎのような気がして、どちらかといえば、社会的な義理とか貸しとか、借りとか、何かそういう概念の方がむしろフィットするような気がしているんですね。
そのことを多数派の一般の人たちにわかっていただけるかどうかというのが、ここの勝負どころのような気がして、自分たちは、そういう義理を欠いているんだと、貸しをつくっているんだと、だから、排除してしまっている人たちに対して、特に何らかの、ただ単に何もしないというだけではなくて、何らかの措置が必要なんだということを理解していただくということなんではないかなと思っています。
まだ、うまくきちんとした上品な言葉にできない。
○棟居部会長 ありがとうございました。大分論点が見えてきました。
山本委員、お願いします。
○山本委員 私は、宿題はやってはきたのですけれども、もう少し整理して言えばよかったと思うことを整理し直して言いたいと思います。
ここでの問いかけは、ぱっと考えるだけですと、この意味での合理的配慮をしないことは差別に当たると、何か自明のように思えるところがあるわけですけれども、何人の方も御指摘されていますように、よく考えますと、理由づけは難しいところがあります。
その理由づけの仕方は、大きく分けると、2つ考えられます。1つは、例えば弱い人たちを助ける、保護しないといけないという理由づけ、あるいはみんな同じなのだから、助け合いましょうという理由づけです。もう一つは、各人には、ここでは障害者の方ですけれども、権利があって、その権利を尊重するために、このような規制をかける必要があるという理由づけです。大きく分けると、このような2つのタイプの理由づけの仕方があって、私は、可能ならば、後者の権利を軸にした理由づけをすることが望ましいのではないかと考えています。
ここで、法学者はどうしても頭が固いので、その固いところをどうクリアーしていくかが次の課題なのですが、それぞれの人に権利があるということを認めれば、もうこれで平等に権利があるわけなんだから、それ以上は各自の問題でしょうという考え方に対してどう考えるかですね。
そのときに、権利はあると言っても、権利を実際に行使しようとすると、さまざまな前提条件が必要であって、その前提条件が等しくないと、実際には権利があっても何もできないことになってしまう。だから、この前提条件をそろえるようにしましょうというのが、皆さんのおっしゃっている機会の平等の実質的保障というものなのだろうと思います。
ここまでは、まだ簡単に、もちろん簡単ではないのですけれども、何とかクリアーできるかと思います。
最大の問題は、そのように権利を行使する前提をそろえましょうというところまではコンセンサスが得られても、それを国が保障するのか、それだけではなくて、一般の私人がお互いに他人の前提条件をそろえるようにしましょうというところまで義務を課せられるか。ここがおそらく一番大きいポイントであって、そこでは、国か、それだけではなくて、私人一般が義務づけられるのかということを強く意識して基礎づける必要があるだろうと思います。
私人一般にまで広げるのは、頭の固い、私は余り固くないつもりではいるのですけれども、ともかくそういう人たちからしますと、各個人にまでそのような義務を課すのは、権利を広げ過ぎているというリアクションが出てくるだろうと思います。そこをどうクリアーするか。宿題で書いたのは、その部分は、憲法、あるいは社会契約をもう一度やり直すのに等しいような、大きな問題であって、そこを意識しながら議論する必要があるということだったのですが、この点を今後もっと具体的な問題を見ながら詰めていきたいと思っているところです。
○棟居部会長 どうもありがとうございました。
一言どうぞ、太田委員。
○太田委員 私は、私人一般まで広げられると、意味がなくなってしまうという立場で行っています。
○棟居部会長 ありがとうございました。よろしいですか。では、今、御意見を賜って、もう時間が来ましたが、この作為、不作為というのは、かなり相対的だなというふうに私も思っておりまして、例えば店の真ん中の床に大きな穴が開いていたら危険なわけですね。それは店の責任で穴をすぐ埋める、直す、そこを店の客が落ちないようにするという、これは別に積極的に合理的配慮しなければいかぬとか何とかいう以前の問題で、まさに我々客の安全を穴が開いていること自体で脅かしているわけです。これは、健常者との関係では、別に店のオーナーも何の疑問に感じずに必要な出費をするでしょう。しかし、障害者の方、例えば車椅子の方にとっては、段差があるというのは、我々にとって穴が開いているのと、多分同じなんですよ。でも、それについて、そういう危険なものを平気で放置してきて、せいぜいごめんなさいで済ましてきたと。
それで、議論を詰めていくけれども、積極的なそういう社会権的なものは出てこないんではないですかと、そういうところで詰まってしまう。これは何か議論の仕方、単に頭が固いとかではなくて、どこか最初からトリックに引っかかっているというふうに私も思っています。最後にいらぬことを言いました。しかし、またこの議論は永遠というほど時間はありませんけれども、何度も出てきます。
では、ここで休憩に入らせていただきまして、失礼、休憩なしですね。ごめんなさい。ちょっと期待を持たせてしまって、期待権侵害になったかもしれません。申し訳ございません。
続きまして、第2点に行きます。禁止されるべき差別類型の特徴と関係について、委員の意見の特徴を、東室長、よろしくお願いします。
○東室長 担当室の東です。第2の論点として、禁止されるべき差別類型の特徴と関係というふうに題しまして、<1>として、禁止されるべき差別類型の特徴や相互の関係についてどう考えるかということですね。
<2>として、日本における差別禁止法として、どのような差別禁止の類型を設けるべきか、ということで、これまで直接差別と呼ばれる類型であるとか、間接差別という類型とか、関連差別ということ、そして合理的配慮があるわけですけれども、これらの議論を前提に、具体的に国内法で考える場合に、一定の類型ごとに分けた規定が望ましいのか、そうではないのか、そこら辺りを議論していただきたいと思ったわけです。
この点につきまして、個別的に御意見を御紹介する前に、池原委員の方から差別類型を明らかにする意義について3点ほど述べられておられますので、まずは、これを御紹介したいと思います。
1つ目は、差別類型によって、差別的な行為が例外的に許容される実体的手続的要件の寛厳と書いていらっしゃいますけれども、寛厳に相違があるか否かにかかっているという点ですとおっしゃっています。
これは、わかりやすく言えば、差別類型によって例外事由が非常に厳格な場合と、そうでもない場合とか、そういうものがあり得る場合には、やはり類型ごとに決めていった方がいいだろうというような御意見だと思うんです。
2つ目は、行政や司法の有権解釈によって、禁止されるべき差別行為の類型が解釈上、縮小されることを防止するという点が挙げられております。
これは、類型化することによって、差別行為の内容が明確化することになりますので、その意味で、行政や司法の法解釈の幅を限定していくと、そういった意義があるんではなかろうかということですね。
3つ目としては、行為規範として禁止されるべき差別行為の基準を、広く市民に明確化することにあるという点が挙げられております。
何が差別であるのか、ないのか、その基準をだれもがわかりやすい形で提示していくといったところに類型化の意義があるんではなかろうかということですね。
こういうことを池原委員はおっしゃっていますけれども、これらはどう考えるかという点で重要な視点であると思われますので、御紹介申し上げました。
さて、その上で、委員の御意見ですけれども、これまで議論してきた幾つかの差別類型の関係について、かなり詳しく論じておられる委員もおられます。それぞれの詳細な御意見につきましては、私の方で簡単に紹介するというわけにもいきませんので、それぞれの委員にそのエッセンスを述べていただきたいと思っております。
それで、結論だけ申しますと、御意見としては、いろいろありました。1つは、類型化すべきではなく、包括すべきという御意見もございました。これを仮にほかと比べて、1つの類型でやるという意味で、1類型というふうに呼ばせていただくと、1類型から2類型、3類型、4類型ぐらいまでの、そういう御意見がございました。
そういうふうに分けても、その中でも少しずつ中身も違います。そういう状況でありますので、これについて、今日、御議論願えればと思っているところです。
ただ、今日、議論したところで片付くというような問題でもないので、引き続き事あるごとに議論が必要と思っている課題でございます。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。これも先ほどの合理的配慮と同じように、繰り返し出てくると、今日でファイナルというわけではないけれども、ここで避けて通るわけにいかないというこの差別の類型という大きな問題でございます。
この点、池原委員の御紹介がありましたが、御本人の口から、もう少し更にダイジェストとかしてお話しいただくとか、よろしいですか。
○池原委員 池原です。ありがとうございます。私自身は、類型化することの意義というのは、今、室長の方から御紹介いただいたような3つぐらいの視点があるだろうと。
とりわけ、多分重要なのは、特にヨーロッパ法の類型では、直接差別については、原則として例外を認めないか、全く例外を認めないかどちらかであって、間接差別については、もう少し緩やかな比例性の原則などに基づいて、ある程度例外を許容していくというような違いがあるわけですね。
ですから、そういうふうに連動させていくとすると、やはりどの類型の差別に当たるのかということは、ある程度明確化しておくことが必要なんではないかと思います。
もう一点、ちょっとだけ時間をいただいて、少し私の方で少し整理してみたことについて御紹介したいと思うんですけれども、図解が38ページから40ページについて書いてありますが、多分、ほかの方とは少し違っていて、私自身も今回勉強してみて、少しこういうのもあるのかなと思ったのは、1つは、直接差別というのは、従来、私自身の定義でも障害に明示的に言及して差別をしていくというか、そういう区別をしていくという類型だと理解をしていたんですが、ヨーロッパ、欧州司法裁判所の判決例で、私自身は、黙示的直接差別というふうに名前を付けてみたんですけれども、要するに、障害について必ずしも明示的に言及していないルールなんだけれども、直接差別になる場合があるんだということが指摘をされていて、どうも直接差別というのは、必ずしも形式的あるいは明示的に障害に言及しているかどうかということではないのかもしれないということをちょっと思い始めたんですね。
これは、私が説明するより、むしろヨーロッパ法の専門家の人に説明してもらった方がいいと思うんですけれども、概略どんな事例だったかというと、ドイツでは、男女間の婚姻というのと同時に、同性者間の一種の婚姻のようなものを認めると。同性者間の婚姻というのは、レジスタード・カップルと呼ばれるそうなんですけれども、少し簡略化して事例を申し上げますと、男女間の婚姻の場合には、片方の配偶者がなくなった場合に、生き残られた方は、言わば遺族年金がもらえると。
ところが、同性者間のレジスタード・カップルの場合は、その規定が及ばないので、遺族年金がもらえないということになって、それは、規定の外見上は、別に性的指向性を差別しているわけではないんだけれども、結果として、その性的指向性が男女間のカップルというのと違う人については、全面的に排除されることになってしまう。
それは、実は間接差別ではないのかということで訴えられていたんだけれども、裁判所は、いやこれは直接差別なんだというふうに言ったということなんですね。
なぜ直接差別なのかというと、要するに、そのルールを適用すると、性的指向性が異なる人が全面的に排除されることになって、男女間の婚姻をする、つまり性的指向性というのが多数派と言ったらいいんでしょうか、通常の婚姻をしている人には、全然その差別的効果が及ばないわけですね。
ですから、直接差別かどうかということのどうもメルクマールというのは、形式的に、表面的に障害について言明されているかどうかということではなくて、その規定を適用したときに、100%障害のある人だけにフォーカスが当たってしまうと、逆に障害のない人にはフォーカスが当たらないという、こういう別の言葉でいうと、一義的な関連性があるときに、直接差別と呼ぶというふうに考えるというわけです。
それと対比すると、間接差別は典型的な事例でいうと、パートタイム労働について、労働条件を相対的に不利にしておくと。これは、勿論、男性であるか、女性であるかについて言明していないわけですから、従来どおり間接差別なんですけれども、ただ、そこで非常に重要なのは、その規定を使うと、例えばパートタイム労働の8割以上の人が女性であるということであって、でも20%ぐらい男性もいるわけですね。
そうすると、その規定を適用すると、男性の一部も不利な結果を受けるけれども、女性の大半が不利な結果を受ける。こういうある意味、直接差別に比べると、直接差別は女性なら女性だけとか、性的指向性が違う人なら性的指向性が違う人だけという区別が発生するわけですけれども、間接差別の場合には、そういう一義的な区別にならなくて相対的な区別になると、つまり、どちらかというと、多数の不利益を受ける人たちは障害のある人であるとか、女性であるとか、そういうところが、間接差別の特徴として表れるということで、どうも直接差別の間接差別の区別、類型化というのは、必ずしも規定の形式性とか、障害とか、そういう差別事由を言明しているかどうかということではないのではないかと、ちょっと思ったということが1つです。
もう一つは、関連差別についてなんですけれども、これは、イギリス法に規定があるわけですけれども、2つ面白いことがあって、1つは、イギリスの法律は御承知のように平等法ということで、障害だけを特別な差別禁止法として扱うのではなくて、性とか、ほかの人種とかも含めた一般的な平等法になっているわけですね。
この一般的な平等法の中で、関連差別というのは、障害についてだけ規定されているわけです。
もう一つは、この規定を読むと面白いのは、直接差別と間接差別については、ほかの人たちと比較して、より不利益を受けているかどうかというファクターが入っているんですけれども、その関連差別については、単に不利益であるかどうかということだけが問われているんですね。レス・フェイバブリーというファクターか、アン・フェイバラブリーというファクターの違いだといって、この2つをどう考えるかということなんですけれども、時間もあれなので、結論的なことだけ申し上げると、実は、例えば人種とか性とかという差別事由は、個別性というのは余りないわけですよ。つまり、私一人の人種ということは概念として考えられないわけですけれども、障害については、障害という共通項を持っているけれども、でも私の障害というのは、同じ身体障害でもみんな違うわけですね。つまり、障害というのは、ほかの人種とか性別に比べてすごく個別性が十人十色だというところがあって、したがって、ある規定を適用したときに、普通、性だとか人種の場合には、そのグループ全体が差別を受けることになるんですけれども、障害の場合は、究極的には、ほかの障害のある人には、そんなに不利益はないんだけれども、この規定は、私にとってだけはとても不利益だということが起こり得て、そうすると、従来の間接差別と直接差別だけでは解決できない問題が発生してしまうと。つまり、ほかの障害のある人にとっては必ずしも不利益ではないのかもしれないけれども、私の障害との関係で言えば、とても不利益だということが起こり得て、ここも何とか救済しなければいけないというのが、関連差別の一番大きな目的なんじゃないかなと思ったんですね。
そういう意味で、関連差別というのも別の類型であった方がいいのではないかというのが、私の整理です。
○棟居部会長 どうもありがとうございました。非常に勉強になりましたが、お話を伺っておると、日本国憲法の構造にもかなり近いことを結果としておっしゃっているというふうに、私は憲法、しかも日本国憲法のみが専門ですので、そういう感想を抱いた次第です。
つまり、日本国憲法は、条文上の構造で、平等について二重構造になっていまして、1つは不合理な差別の禁止という、裏を返すと合理的な区別なら構わないんだという、非常に緩やかに解されてしまう、そういう一般原則。
もう一つは、人種、信条、性別、社会的身分、門地というような幾つかを列挙していまして、それについては、そういうカテゴリーに基づいて差別をしたらだめですよと、差別禁止ということも書いているんです。
ですから、不合理な差別の禁止ということと、人種とか性別とかに基づく差別の禁止と、この二枚看板といいますか、2つの規範がありまして、その両者の関係をどうとらえるかというのは、勿論1つの問題なんですけれども、結局、同じことしか言っていないよという考えもあるんですけれども、最近、多くの憲法学説、これは山崎先生にも裏を取っていただいた方がいいかもしれないけれども、多くの憲法学説が認めておるのは、特に人種とか性別とか、そういう範疇、カテゴリー、これを基準にして、例えば法律とかで異なる扱いをしていると、もうこれは憲法違反だという推定が働くと、要するに、いや、そうじゃないのだということをよほどしっかり、そういう区分けをしている側がちゃんと主張を重ねていかないと、これは本来許されないのですよという、こういう考え方が強くなっています。
それに対して、障害というのは、ちなみに人種とか信条とか、そういう列挙の中に入っていません。しかし、障害というのも同じように、おおむねというのか、その人が自分で選んでいない、それで個人の努力でいかんともし難いという点では、おおむねこの人種とか性別とかとよく似ているわけですね。しかも、まさにグループとして社会的に排除されると、この点も共通です。
そういう意味では、人種とか性別とかと並んで、社会的身分というブラックボックス的な表現が憲法にありますので、もうその中に障害者というのも含めて理解していいんではないかというふうな議論は、割と容易になされると思います。
私が、今、何を言いたいかというと、これも日本社会で受け入れられるかという受け入れ可能性の問題をここでは気にしなければいけないんですけれども、条約だからというので、そっちに合わせていくというのは、それなりの説得力は勿論あるんですけれども、欧州人権裁判所は、こういっているとか、イギリスではこうだというのは、なかなかそれだけで、では日本もということになってこない。
日本でも、今までだって、実はよく似た考えを取ってきたんだというふうに、従来の日本の法体系あるいは判例とかとうまく接合するような説明をしていけば、それは、先ほど野沢さんもおっしゃった言葉の問題なのかもしれません。要するに、ある種の言葉の力でもって、これは、そんなにびっくりするような話ではないんだなというふうにうまく、明治初期に福沢諭吉とかがやったような、これは別に日本語としてこういうふうに理解すれば、そんなにびっくりする話ではないんだという、ある種の翻案をしながらの翻訳をして受け入れていくと。これが、ここでの1つの課題かなというふうに思います。
そういう意味で、池原委員の御指摘は、非常に緻密だけれども、他方で、憲法論としては、従来からよく言われてきたことを別の角度からおっしゃっているなという意味では、説明を更に深めていただいているというように思いましたが、何か新しい議論をしなければいけないんだなというふうには、私個人は思わなかった。むしろ、これは偶然かもしれないけれども、同じ方向を向いているので、いい方向なんだなというふうに思った次第です。
済みません、べらべらしゃべりまして、太田委員、どうぞ。
○太田委員 大変勉強になりました。しかし、自分自身、混乱をしていることがあります。情報の理解、共有とともに質問させていただきたいと思います。直接差別は、今のお話だと、100%障害のある人たちの不利になること、間接差別は100%ではなくて8対2の割合になるかもしれないという話でしたが、例えば車椅子に乗っている人がレストランで入店を拒否された場合、車椅子だからという理由で拒否されたということを、車椅子だからお酒を提供しないのか、車椅子だから公共交通機関に、今は設備がないので、あなたは乗せられませんということがあるとしますね。これは、障害を理由にしたのではなく、車椅子だという障害に関連する名目で差別されている実態があるわけです。
そういうことは、私たちは、多分、これはどちらかというと、間接差別かなと考えていたのですが、今、池原委員のお話を伺うと、これは、車椅子に乗っている人は、ほぼ100%障害がある人しか推定ができませんので、100%になると直接差別になってしまうと、今、考えた次第です。私は、ここに深入りしますが、もう一度今の車椅子に関する場合、どちらに入るのか教えていただければ幸いです。
○棟居部会長 池原委員、お願いします。
○池原委員 ありがとうございます。1つは、まず、基本的な立場として、やや弁護士的な考え方ですけれども、直接差別に入った方が障害のある人には有利な結果が得られるわけですね。というのは、例外がすごく狭くなるので、基本的には直接差別ですよということが証明できれば、あとは差別者側から反論されるという余地はすごく少なくなるわけです。
だけれども、間接差別とか関連差別だと、もう少し、現象的には差別的な現象だけれども、差別している側にも、それなりの正当化事由があるんだから、しようがないんじゃないですかという可能性の領域が広まるわけですね。
だから、できれば、直接差別的な現象は、直接差別的な現象に含め得るものは含めた方がいいだろうという価値観が私の中にはあって、なぜかというと、直接差別に類型化された方が、私がもし原告の代理人だとすると、被告からの抗弁だとか反論を受けにくくなるから、つまり、勝つ可能性が増えるからということなんですね。それは、全体の1つの、私の考え方の価値観の方向性ですけれども、先ほどの御質問のことで言うと、車椅子を使っている人というのは、通常は、下肢に障害のある人だというふうに考えられるので、障害を直接言明していないかもしれないけれども、ほとんど障害を言明しているのと同じ意味だと思いますけれども、あえて言えば、もし、仮に障害を言明していないんだとすると、従来の定義の仕方だと間接差別になりそうなんだけれども、そのフォーカスが当たる人たちはどういう人たちかというと、下肢に障害のある人というのが、多分、フォーカスが当たって、下肢に障害のない人にはフォーカスが当たらないので、直接差別類型に入る。
ただ、もし、骨折というのを障害に当たらないというふうに考えて、骨折している場合にも車椅子を使う場合がありますというふうに考えるとすると、言わば非障害者側にも一定程度、車椅子を使う事態というのが発生し得ると考えるとすると、間接差別になるという余地もあると思うんですけれども、おおざっぱな議論として言うと、まず、身体障害がある人でないと車椅子を使っていらっしゃらないだろうから、車椅子を使っている人は、レストランに入っては困りますというルールを、もし、つくったとすると、それは私の先ほどの整理の仕方からすると、あえて言えば、黙示的な直接差別になるということになるんではないかと思います。
○棟居部会長 横から口を挟んで申し訳ないですけれども、先ほど、まさに池原委員がおっしゃったように、障害者というのは、障害の程度、これはさまざまですね。ですから、人種とか性別のようにひとくくりにし切れないと、勿論、障害者という、そういう排除される対象としては、グループとしてとらえられるけれども、実際には、その中身はさまざまであるというので、別の言い方をすると、それぞれ機能障害、別々の機能障害を何か抱えておられるというわけなので、そこが逆に差別をする側、例えばさっきの例ですと、タクシー会社の側も我々は直接差別していますよなんて、これは認めるわけはないので、これは車椅子の人は、このような車には乗せられないからとか、何か危険だからと、何やかんやと、もっともらしいことを中立的な理由を当然言ってくるわけですね。
それで、結局、それは、この障害者は車椅子が必要だと、だから本音は障害者差別であっても、車椅子が要るというその機能のところに着目をして、一見中立的な、いわゆるせいぜい間接差別だと、そっちの方で合理性があるんだということで、その非難を免れようとすると。
そこで登場するのが、さっきの合理的配慮というもので、だけれども、車椅子はたためるし、あなたがちょっと手伝えば、簡単に乗り降りできるじゃないですかと、どうしてそれをしないんですかと追い込んでいけば、つまり、結局、本音は直接差別なんだなと、そこへ戻るという、ですから、直接、間接、合理的配慮、全部循環してつながっている話かなと、私は自分の宿題では書いたんですけれども、これは別の言い方をすると、概念を混乱しているということかもしれないんですけれども、裁判の場では、初めから直接差別です、間接差別ですと決まっている話ではあり得ないですね。特に、性差別とかなら、これは逃げようもなく直接差別と言えても、障害者の場合、必ず機能に着目しているという言い分が一応は成り立つ、ごめんなさい、ちょっとフォローアップされますか、池原委員。
○池原委員 今、おっしゃっていただいたことの関係で言うと、多分、通常の訴訟の入口としては、とにかくこの取扱いは私にとって不利益を発生させたんだというところから出発するんだろうと思うんですね。こちら側とすると。
そのときに、車椅子の方々の場合だと、そのときに、イギリスの関連差別ですと、その取扱いをした人の側が相手方に障害があるということを知っているか、あるいは知っていることが合理的に期待できるような、言葉かなんか難しいですけれども、知っていることが合理的に期待できるような状態にあるということが必要で、だから、被告側とすると、いや、私はあなたに障害があることなんか全然知りませんでしたという、一応、抗弁が成り立つ場合があるわけです。
例えば精神障害なんかだと、1か月に3日以上休んだら給料を減額するぞというルールをつくったときに、私は1か月に4回お医者さんに行かなければいけないので、4日休まなければいけないんだけれども、それで給料を減額するのは、私の障害を不利に取り扱っているじゃないかというふうに訴えたときに、だって、私はあなたに障害があるということは全然知らなかったよというふうに抗弁されてしまうと、日本法でそういうのができているわけではないから別なんですけれども、イギリス法の関連差別だとそこで関連差別が否定されることになるわけです。知らなかった人には、その主張はできないということになって、そのときに、2つ多分分かれ道があって、では、合理的配慮してくださいと、これからでいいから合理的配慮をしてくださいというと、合理的配慮義務が相手に発生するかもしれないし、でも、合理的配慮の道を選ばないで、だってこんなルールをつくったら、私と同じような障害のある人は全員排除されてしまうじゃないですかというふうに言うと、直接差別類型に移っていくことになるわけですね。
それで、直接差別類型の主張をしたときに、今度は、雇い主側の方が、別に1週間に3日以上を休む人というのは、障害のある人だけではなくて、ほかにも二日酔いで休んでいるやつもいるし、風邪を引いて休んでいるやつもいて、それは、別に障害者だけに不利益に作用していないよということになると、直接差別は否定されるわけです。少なくとも1人以上の非障害者に同じような不利益が発生しているという事実が証明されると、直接差別ではなくなる。
だけれども、今度は、こちらの側が、だけど、総じて見てみると、障害のある人のグループの方に、このルールは結果的により不利に働いているじゃないですかということが証明できると、間接差別が証明できるというような組み合わせになっていくのかなというのが、私の漠然とした意見です。
○棟居部会長 ありがとうございました。先ほどから手が挙がっています、川島委員、お願いします。
○川島委員 川島です。幾つか整理して。
○棟居部会長 短くお願いできますか、既に25分というのは過ぎていますので、先ほど10分既に遅れているので、35分までと思っています。
○川島委員 簡潔にお話しします。まず、先ほどの話とも連関しているので、まず、アメリカの公民権法ですね、そちらでは、宗教差別の文脈でも合理的配慮はなされていますので、そもそも合理的配慮を障害者の特別の恩恵だと見る必要はもともとなくて、日本ではもっと合理的配慮を一般化して、他の差別分野でも適用すべきだと思います。
それと関連して、第2に、規範的ではなくて、記述的に見ますと、直接差別だって、相手側に直接差別をしている慣行をやめさせてコストをかけるわけですね。作為も当然させるわけですから、合理的配慮だけがコストをかけるわけではないと、直接差別でも合理的配慮でも、相手側は自分たちの慣行を変えたりしなければいけないという意味でコストがかかると。それが2点目です。
もう一つ、3点目は、直接差別、間接差別、合理的配慮とあったときに、よりシンプルに考えていった方が、まずいいんではないかという原則ですね。あまり複雑にしてしまうと、そもそも使う側も、使われる側も混乱してしまうと。
4点目は、池原委員のお話も大変貴重な示唆に富むものなんですけれども、1つ代替案として、差別類型と挙証責任とかを、証明責任をリンクさせる必要があるのかどうかというところですね。
つまり、直接差別、間接差別、合理的配慮を全部統合したような証明責任の枠組みというのも考えていいんではないかと。
その理由として、5点目が、まず、すごく簡単に言いますと、直接差別、間接差別、合理的配慮という概念というものが、これは棟居部会長が言うように、現実の現象では相互に関連し合って生じているわけですね。
しかも、もう一つ重要なのは、ほとんど合理的配慮というのは、最初から司法に持ち込まれるというのが本当に妥当かと、さんざん議論を、話し合いを重ねた上でいくわけで、いろんな現象が、直接差別、間接差別、合理的配慮というものがいろいろ重なり合って現実に起こってくるので、その裁判技術論的な形でこの類型にもっていけば、という考えが本当に妥当かどうかというところですね。統合アプローチも可能ではないかと。
それで、長くならないように、最後に1点言いますと、直接差別、間接差別、合理的配慮の区分は何かというと、私は、学説とか諸国の判例とか、勿論、限界はありますけれども、見た限りだと混乱しまくっているというところで、これは簡潔に言わなくてはいけない。
まず、直接差別は、障害に直接言及して相手を排除することですね、不利益扱いをする。間接差別は、障害に直接言及しないのに、相手を排除してしまうと。しかし、障害差別の名の下にその差別は規制されるということですね。
ですから、実質的には、障害と排除との関連性が問われるわけです。それで、合理的配慮というのは、他の者に共通して適用されるルールに例外を設けることですね。その人だけ別の扱いをすると。そういうことだと思います。
最後に、関連差別という質問事項にあったのは、私の中では、準直接差別とか、疑似直接差別とか言ってもいいと思うんですけれども、いろんな言い方、あと、イギリスから由来したとか、いろいろ言えると思うんですけれども、関連差別というのは、結局、障害に直接言及していないんですね。障害から生じるとか、障害に関連して起こる事由に基づいて、ある人を排除しているわけですから、関連差別というのは、間接差別と機能的には同じになるわけです。
ですから、そのような形で簡潔に整理していくというのも1つの方法ではないかと思いました。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。統合ということをおっしゃって、それとは別に少なくとも整理をしていけと、簡潔化ということで、いろんなアイデアをお示しいただきました。
では、山本委員、お一言、これで一応切りたいと思います。
○山本委員 簡潔に問題提起だけをさせていただきます。この障害者差別の領域でずっと活動しておられる方々にとっては、コンセンサスがあるようなのですけれども、私はまだ不慣れなものですので、むしろ、その点をお聞かせいただきたいということです。
2点だけです。1点は、直接差別についてですが、先ほど何人かの方が、これは障害に直接言及する場合だとおっしゃっていました。この「言及する」の意味なのですが、まさに「障害者だから、こういうことはしません」というように言う場合を想定しておられるようなのですけれども、例えば、学習塾や予備校へ入りたいときに、入塾試験をおこなう。筆記はできるので、きちんと書いて、ほかの人たちと比べて、入塾の最低ラインよりは上にいっている。ところが、障害者だということに特に言及せずに、塾側ないしは予備校側が「あなたは入れません」と言った。これは直接差別ではないのか、どう考えられるのかということを私はお聞きしたいのです。私は、これは直接差別に含めてよいのではないかと思うのですが、どう説明されるのでしょうか。これが1点です。
もう1点は、間接差別の中に合理的配慮を組み入れるという意見に対しては、障害者を間接的に排除するようなルールを設定したことの当否を問うのではなくて、合理的な配慮をしてくれという請求をする場合、つまりこういう行為をせよと請求する場合を考えますと、やはり合理的配慮をしなければいけないというルールが間接差別とは別にあって、それを援用することになるのではないかと思います。その意味では、別類型と考えるのが不可欠ではないかと思うのですが、それはどうお考えなのかというのが、2点目です。
○棟居部会長 2つ目は、多分、私とかが言っている変な考えに対する御指摘で、これはまた説明をして混乱を深めるだけになると困りますので、置かしていただいて、1点目については、要するに排除という言葉が先ほどから何度も出てきていますけれども、明言するかどうかはともかく、障害者というくくりで排除すれば直接差別だというふうな理解が多分一般にはあるんではないでしょうか。排除という言葉と結び付いていると思います。
まとめなくていいということですので、今、35分よりちょっと過ぎていますけれども、ここで35分と見なして切らせていただきまして、15分、つまりお手元の時計で50分、私の時計ですと、休憩時間は14分ほどですが、お集まりください。よろしくお願いします。

(休憩)

○棟居部会長 それでは、予定の時間が来ましたので、再開させていただきます。
第2コーナーということになりますが、第2コーナーは、60分検討を予定しております。ただ、先ほどの第1コーナーでちょっと時間が押しましたので、少し60分を55分ぐらいに勉強していただいてということで、今からですと、16時45分辺りまでの時間を考えております。
この第2コーナーでは、差別の類型論を巡る論点(その2)のうち、第3正当化、例外事由、第4立証責任や推定規定、第5差別の主観的要素、第6差別禁止規定についてです。
最初に東室長から第3正当化、例外事由、第4立証責任や推定規定についての委員の皆さんの事前意見の特徴を報告していただき、その後、議論いたすこととします。
お願いします。
○東室長 どうも御苦労様です。個別的な話をする前に、今の議論をされてみておわかりのように、これまでの障害の定義から始まって、この部会による議論は、まずは、障害者差別禁止法をつくる上で、どこにどんな問題があって、どれだけ大変な問題なのか、早急に結論を詰めるというよりも、その前に問題の所在を共通認識していくというようなことが大事だろうと思うんですね。ですので、個別課題について、すぐさま結論を出すというよりも、問題点を洗い出すというようなことが求められていると考えております。
その上で、特に差別禁止法は、国民の理解を得るということが、大きな課題の1番目にあります。
2番目に、国民の理解が得られればすんなりできるかというと、今の議論を見てもおわかりのように、理論的にどう構築していくのかと、理論をきちんと整理できるのかという理論的な問題というのが2番目にあります。
しかしながら、現実の差別はどこにでもある中で、差別禁止法を現実のものとしてつくり上げていくといったことがここの課題だということになります。
それで、先ほどの課題にしても、ゆくゆくはきちんと一定の整理を出していくということが求められますので、議論して終わりということでは決してなくて、議論の始まりだというふうに認識していただければなと思っております。
先ほどの課題にしても、朝まで生テレビですか、ああいうことをやっても、1日で解決するのかというと、かなり難しい課題であると思っています。
しかしながら、いろんな工夫をしながら、一定の整理ができるような形で、今後進めていきたいと考えております。
前置きはそのくらいにして、第3については、正当化事由の問題。第4は、それに関連して立証責任、特に立証責任分配の問題について御意見をいただきました。前の議論と関連してくる部分ではあります。
それでは、まず、正当化事由を設ける必要があるのかどうかという問いについて皆さんの御意見は、少なくとも複数の類型を設けるべきであるという立場の委員の御意見の中では、やはりそれぞれの類型に応じて正当化事由の要件に違いを認めるべきだろうと、厳格さの程度にも一定強弱があるべきだろうという御意見が多かったと思います。
勿論、これらの意見の中には、正当化事由の存在を許すべきでないといった場合も含まれるといった御意見もあります。
ただ、少数ではありますけれども、類型化すべきではないという前提の下であると思いますけれども、正当化事由については、具体化は立法段階ではすべきではないといった御意見もありました。
特に、正当化事由の中で、合理的配慮については、過度の負担といった言葉が、権利条約でも用いられております。では、これについては、どう考えるのかということですけれども、この点につきましては、何らかの基準などを示すべきであるといった意見が多かったと思います。
その中で、多くの御意見では、経済的負担という要素を、過度な負担の指標として挙げられておられます。
ただし、その経済的な負担がどの程度なのかといった点については、まだ、議論が足りないのではないかというふうに思っています。
ある委員からは、過度な負担の具体的な中身に入る前に、基本的な考え方をやはり示すべきではないかといった御提案がなされております。
これにつきましては、池原委員の意見の中に、示されていると思います。
資料2の66ページ、点字版でいうと、2分冊目の、竹下先生、わかりますか、ごめんなさい、110ページです。
その中で、本来なすべきであった配慮を怠っていた場合に、成すべき配慮をしないまま組織運営を続けることは、本来許されるべきではない事態である。この社会からの排除や差別をなくしていこうという法の理念からすれば、極論すれば、財政的理由から、本来、必要とされる配慮ができないという組織は、健全な市民社会の組織として認められる資格がないといっても過言ではない。当初から配慮のための財政的手当を無視して組織を立ち上げ、配慮を行うと財政が立ち行かないから配慮の義務はないとするのでは、法の目的は達成できない。例えば、障害のある人が利用、参加等をすることを予測すべき組織や事業であるのに、それを無視して組織を立ち上げ、あるいは新年度予算や事業計画を立てるに際して、障害のある人が利用、参画する場合について、財政上、運営上、全く考慮しないまま事業を進め、後に合理的配慮の求めがあった場合に、財政上、運営上の不可能性を理由に配慮を拒否することは許されるべきではない。こうした点で、単に財政上、運営上の不可避等は、事実的な問題ではなく、それがやむを得ないと認められる事情に裏づけられたものでなければならないと考えるべきであるというふうにあります。
これは、過度な負担を考えるに当たって、1つの基本的な考え方を示した見解だと思います。ですので、何が過度の負担かということについての基本的な考え方をまず出して議論していただければなと思っております。
なお、公的支援につきましては、一定考慮すべき要素であろうと思いますが、しかしながら、それがないからといって抗弁にはならないというような意見が多数であったと思われます。
次に、第4として、立証責任や推定規定の問題を掲げております。委員がそれぞれ考えておられる差別類型は異なりますので、それぞれにおいて立証責任をどう分配するかについても細かく見れば、異なるものと思われます。
しかし、おおざっぱに言えば、差別を受けたことについては、差別を受けた側が立証責任を負うと、しかし、正当化事由については、差別をしたとされる方が立証責任を負うと、大枠のくくりで言えば、ほとんど共通しているのではないかというふうに思われます。
以上です。
○棟居部会長 どうもありがとうございました。これは、2つのやり方が、今、考えられるというか、私はどっちがいいかなと思っているんですけれども、つまり、正当化事由と立証責任、それぞれ別々に議論していただくのか、それとも両者は一体だということで、御自由に議論していただくのかという選択があると思うんですけれども、最初の方の、つまり別々に議論すると、立証責任の問題がかなり技術的に特化した形で後半出てきてしまうと、今、この段階では、先ほど室長もおっしゃったように、問題点を発見して共有していくという作業ですので、立証責任でうまく事が運ばないから全部だめだみたいな、そういうのは一番よくないので、正当化の話と立証責任、両方つなげてしまってというふうに私個人は考えます。それで、よろしいでしょうか。
御異議ないようでしたら、では、そのように進めさせていただきます。
ちょっといつものパターンを崩す格好になるけれども、先ほど最後に御発言になった山本委員が、立証責任から切り込んで逆に正当化という方に大論文を前回に引き続いてお書きになっているので、ここをまず簡単に紹介をしていただいて、勿論、我々は正確には共有できないと思います。だけれども、1つ難しい、厄介な問題というのか、1つ山本理論の壁もあるんだなということを自覚する上でもレクチャーをお願いできますでしょうか。
○山本委員 それでは、簡単に整理して、御紹介だけをしておきたいと思います。
差別類型によって正当化事由及び立証責任の分配が少し変わってくるだろうと思います。
直接差別については、前回もお話ししたところですが、直接差別があったことを主張・立証する必要が、原告側、つまり障害者側にある。ただ、問題は、直接差別があったことという要件が何を指すかということでして、先ほどのように、障害に直接言及して別取扱いをしたということを主張・立証するという考え方があるのに対して、私自身は、それとは違って、差別者側が一定のルールをほかの人にはそのまま適用しているけれども、障害者に対しては、その適用要件を満たしているのに、その効果である取扱いを認めていないという場合には、直接差別があったものとして扱ってよいのではないかと考えています。したがって、差別者側がどのようなルールを採用しているか、そして、自分は障害者であり、そのルールが適用されていないということを立証すれば足りることになります。
あとは、差別者側がそのような異なる取扱いをしていることを正当化する理由を、もし出せるのであれば出す。ただ、その理由に当たるものがあっても、実は、当該障害者と同じ障害を持っている人であれば、その要件を満たすことはできない。そのような、ルール自体が差別的な内容を持っている場合は、間接差別と同じように、そのようなルールをここで採用することを正当化する理由を更に出さなければならないことになる。これが直接差別です。
間接差別の場合は、障害に直接言及しない一定のルールに従って、この取扱いをしていないだけである。ただ、そのルールの内容が、実は障害者であれば、先ほど池原先生が100%か80%かという区別をされておられましたけれども、もう少し緩やかに、このルールの要件を、当該障害者と同じ障害を持つ人であれば、通常は満たすことが難しいという程度であれば、これは間接差別に当たると見ることになります。
したがって、これが証明されますと、あとは差別者側の方が、この問題についてこのルールを採用することに合理的な理由、あるいは正当な理由があることを主張・立証する必要が出てきます。これが間接差別です。
合理的配慮の不提供に関しては、余り書いていませんが、62ページ以下で扱っています。これは、不平等な状態があるけれども、差別者側に当たる人、つまり相手方がそれを是正する一定の措置を取らなければならないということを障害者側が主張・立証し、そして、現実にその取るべき措置を取っていない、つまり不履行があることまで主張・立証をする必要があります。
そうだとしますと、ここでは、相手方がなすべき是正措置はどのようなものであったかということを特定する必要があります。これが、ここでいう、合理的配慮とはどのようなものであったのかということの主張・立証にあたります。
合理的配慮の中身について、どのような判断基準を考えるかという点については、55ページ以下で、相手方に対して一定の措置を命ずることになりますので、これは相手方にも権利や自由がありますから、それを制約することになります。
そうすると、この制約が正当化される理由が必要になってきます。ここでは、大きく分けて、3つの理由が挙がっています。
まず第一に、その一定の措置が、障害者が今置かれている不平等状態を是正するのに役立つような手段でなければ話にならない。役立ちもしないような手段を命じると、不当な相手方に対する要求になってしまいます。
さらに、単に役立つだけではなくて、2番目に、それがこの不平等状態を是正するために必要不可欠な手段でなければならない。ほかに、もっと相手方に対する負担が少ないやり方があって、それでも同じ結果が導かれるときには、相手方により負担になるような手段を要求すると、相手方の権利や自由を過剰に制約することになってしまう。その意味で、必要不可欠であるという要請が、2番目です。
今のは目的に対する手段の審査ですけれども、3番目は、目的自体の審査で、56ページのウの均衡性の原則がそれにあたります。これは、取られる手段、つまり合理的配慮の手段が、その不平等状態を是正するという目的と不均衡なものでないかどうか、合理的配慮の不提供に即して言いますと、当該配慮が相手方の権利や自由を制約する程度が大きければ大きいほど、不平等状態を是正するという目的がそれを正当化するに足りるだけの重要性を持つものでなければならない。そうでなければ、そこまでの配慮は求められないというものです。
その際のポイントは、2つあります。1つは、当該配慮が相手方の権利・自由をどの程度制約するものかということです。相手方の権利・自由はどの程度重要か、その相手方の権利・自由はどこまで制約されるかがポイントになります。
もう一つは、不平等状態を是正するという目的がどの程度重要かです。ここでは、その不平等状態が問題になる事柄が障害者にとってどの程度重要なのか、そして、その不平等状態がどの程度のものかということが問題になります。
ここでは、このような意味での衡量が避けられないだろうと思います。これを証明責任ふうに言いますと、これを基礎づける評価根拠事実を障害者側が主張・立証しなければならない。そして、相手方の方は、その評価を障害する事由について主張・立証する必要がある。通常の証明責任と少し違いまして、この合理的配慮の内容及びその不履行については、このような形で証明責任がそれぞれ分かれるという形になるのではないかと思います。
長くなりまして、申し訳ありません。以上です。
○棟居部会長 どうもある意味不意打ちみたいな話をしましたけれども、コンパクトにまとめていただいてありがとうございました。
要するに、山本委員は、前回の構想からずっと一貫していると、最初から証明責任まで配慮に入れたというか、考慮されている、そういう全体のスキームを提供されているということでお伺いをしたわけでございます。
結局、山本委員の場合は、ルールというのが1つのキーワードになっていますね。直接差別という場合は、2つのルールを使い分けていると、単純化すると、障害者には別ルールと、こういうふうに理解してよろしいんでしょうか。
○山本委員 使い分けまで言う必要はなくて、ほかの人に使っているルールを使っていないというだけで。使わない、対象から外すと。
○棟居部会長 わかりました。要するに、そのルール自体に人的要件というか、障害の有無とか、そういうのが明示的にか、黙示的にか、そもそも入っていると、健常者ルールに実際にはなっていると、障害者は、そのルールの適用が排除されているということですね。別ルールがあるとまでは言わなくても、要するにルールにそもそも、障害者は対象に乗ってこないと、それが直接差別だという御理解で、今、正当化云々という話をするときに、直接差別の正当化というのも一応認める御意見も例外的には幾つか出ておったと思いますけれども、主には間接差別と、これは相手にも一応の理由があるんだろうということで、一定の場合には、これを認めざるを得ないんではないかという間接差別の正当化事由、例外事由というのが実際には大きな問題になってくるかと思いますけれども、これは確認ですけれども、山本委員の方程式ですと、間接差別の場合には、これはルールはあくまで1個で、しかもそれを障害者にも適用すると、適用対象から外しているのが、さっきの直接差別だった、間接差別は、言わば知らぬ顔してそのまま提供する、1塁まで走れと、しかし走れないと、だったらバッターアウトだと、これが間接差別だということですね。
どうぞ。
○山本委員 非常に簡単に言いますと、ルールがあって、そのルールを障害者には適用しないというのが一方の類型で、もう一つの類型は、そのルール自体が不平等にできている、ルールの適用レベルでの不平等な適用か、あるいは不平等なルールの設定かというのが、直接差別と言うかどうかは別として、それと間接差別の分れ目ではないかというのが、私の理解です。
○棟居部会長 山本委員は、この直接、間接という言葉にも、にわかにはくみしないという慎重なスタンスをお取りになって、そこは我々には聞きづらいんですけれども、あえてこちらが乱暴に単純化させていただくと、先ほどおっしゃいましたルールを、言わば適用すること自体が過酷だというか、そのことの結果として排除されていくと、これが間接差別というふうに理解していいと。その場合、正当化というのは、具体的には、どういう形で表れ得るんでしょうか。
○山本委員 例えば、前回の例でも挙がっていましたけれども、文字を実際に自分で書けなければならないという要件を設定することは、一般的には可能ではある。しかし、文字を書くことについて障害を有している人たちにとっては、それは決して満たすことのできないルールになっている。このような場合でも、ある特定の領域に絞って考えますと、そのようなルールを採用して契約するかどうかを決めることに、正当な理由があると言える場合は、間接差別には当たらないという正当化理由の提出を認める必要がやはり残っているのではないかということです。合理的配慮は、その先での問題ですね。
○棟居部会長 今の正当化というのは、おのずと相当狭くなるというふうに理解してよろしいですか。
○竹下副部会長 それは場合によって違うでしょう。
○棟居部会長 場合によって違うということですね、今の竹下副部会長のことで理解できました。どうも、山本委員、ありがとうございました。
あとは、今、理論的な頭の整理を私なりに一応させていただいたと思いますので、御自由に正当化、それから立証責任、どの角度からでも、ただし、余り技術論に入り込むということは、できれば避けていただきながら、御自由に議論していただければと思います。いかがでしょうか。
川島委員、お願いします。
○川島委員 簡潔に、立証責任のところなんですけれども、実際、直接差別、合理的配慮、間接差別等の差別の構成概念というものは、現実には、すごく複雑に絡まっていく中で、直接差別は、こういう証明責任、間接差別は、こういう証明責任、合理的配慮は、こういう証明責任というような理解というものが比較的委員の方々の中にあると思うんですけれども、そういうアプローチではなくて、包括的に、そのどれにも適合できるような形の証明責任みたいな、分配みたいな形のことは考えられるのかどうかというのを、それはもう無理だという御意見も含めてちょっとお伺いしたいと思っております。
以上です。
○棟居部会長 今のような振り方だと、また、技術的なお答えがあちこちから出てくるので、申し訳ないけれども、川島さんには、御自身はどういうふうな、つまり類型別に分けるのではなくて、包括的なアプローチを取りたいということなんですけれども、では、裁判の場では差別されたと感じる障害者側は、どういう主張とか立証とか、別に言葉の使い分けをする必要もないと思うんですけれども、何を言えばいいのか、それに対して、差別をしたとされる側は、何を言い返せばいいのか、どういう流れを想定しておられるのかということをお願いできますか。
○川島委員 正直、そこまで詰めて考えていないので、今回、書いていなかったんですけれども、意見を出せなかったんですけれども、私は、まず、差別類型論というものの意義というのをどこに求めるかというところで、やはり差別は何かというのがわかりやすくなる、皆さんが使いやすくなる、判断しやすくなるというところで意義があると思うんですけれども、証明責任となると、それをくっつけてしまっていいのかなというところは、自動的にくっつくものなのか、それともくっつけること自体の当否というものはどうなのかというところが、いまいち自分の中でも整理がつかなくて、ちょっとお伺いしたいというレベルです。済みません。
○棟居部会長 東室長から、多分、交通整理だと思いますので、お願いします。
○東室長 最終的に法律になった場合に、条文が書かれるわけですね。その条文がどう書いてあるかで、裁判所としては、これはどっちに立証責任があるかと解釈していくわけです。ですから、やはりある程度の案が具体化する段階では、当然そこに立証責任の問題を考えた上での提案がなされなければならないと考えております。
そこは、立法技術にも関連してきますけれども、意識して議論していただきたいと思っております。
○棟居部会長 その立証責任も含めた当事者の負担、特に被告側の負担を、過大なものにしないという、こういうことを配慮しないと、なかなか形にならないだろうと、こういう御指摘ですね。
竹下副部会長、お願いします。
○竹下副部会長 竹下ですけれども、今の議論に、若干抵抗ないしは反発があります。まず、例えば山本委員がルールの適用の仕方について説明したこと、私は、非常に大事だと思うんです。逆に部会長がそっちに違和感があるとおっしゃいますが、私は逆に直接差別か間接差別という分類に違和感があるんです。直接差別は日本人としてわかりやすいけれども、間接差別ということを理解することは、この委員の中でも、現時点に至ってさえ、一致しているとは思わない。それほど、間接差別というのはわかりにくい、私の頭が悪いせいかしらないけれども、わかりにくい。
そうではなくて、私は、例えば差別というものを国民に、あるいはときには差別者に立たされかねない人たちに、どう理解してもらうかが一番大事だと思うんです。
例えば、これは似て非なりかもしれませんけれども、刑事罰というのは、構成要件が不明確だと、それだけで無効ですからね。すなわち何が禁止されているかがわかりにくかったら、それだけで多分、裁判規範性は失われるわけですよ、1つはね。だから、どうすればわかりやすくなるかということが大事だと思うんです。
もう一つは、私は山本委員の話を聞いていて、私の頭の中で整理が1つ付いたなと思っているのは、私も条文の体裁として直接差別、間接差別を分けることには基本的に反対なんです。分けることは何が危険かといったら、概念がわかりにくくなるだけではなくて、それに属さない差別は許されるのかと、また新たな議論を持ち込みかねないからです。
そうではなくて、私はやはりそこはできるだけ包括的にかつわかりやすく規定する技術的なものを見出すための議論だと思っています。
2番目に、裁判規範との関係では、山本先生の話を聞いていて思ったのは、正当化理由とか、立証責任の分配のところの議論は確かに技術的になるけれども、それは技術的にならざるを得ない。ちょっと理由は置いておきますけれども、その段階で、言わばどういう場合に正当事由があるとなるかというところでの中身の議論として、このルールの話とか、あるいは類型の話というものを考えれば、一番わかりやすくなってくるのかなというのが、私の現時点での理解です。
それから、室長が言ったことにあえて逆らえば、私は法律に書いていなかったら裁判規範性が失われるとは、私は思っていなくて、イギリスに行ったときに、私は言われたけれども、やはりイギリスなんかでも司法の場では、その当時は、今の法律と違ってDDAの時代でしたから、まさに障害者差別禁止法の時代だったんですけれども、そのときでも裁判所が差別に当たるかどうかの判断をするときには、要するに、法文だけではなくて、その解釈基準として示されたような要綱やガイドライン、そういう附属文書もすべて司法判断基準にすると言っているわけですから、我々はそういうふうに物事を段階的に分けて立法化することも是非提案していくべきかと、私は思っています。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。川島委員の統合的なアプローチにシンパシーを多少示されたかなというふうにも思いますけれども、川島委員に戻しますか、先ほど立証責任について、室長は、やはり裁判を想定すれば必要だというふうにおっしゃいましたが、技術論は勿論必要だけれども、今はその場ではないというのが、先ほどから何度もお断りしておるところなので、川島委員御自身は、お手元の冊子の43ページですかね、そこでレストランで盲導犬を連れた視覚障害者、これは川島さんがお書きになったところですね。それで、犬の入店を禁止していると、そういうルール、先ほど山本委員もお使いになったルールという表現がまたここにも出てきていますけれども、店側のルールとして、犬の入店禁止と、要するにペット持込み禁止というルールを課していると、すると、盲導犬もこれは排除されてしまうと、結果として、視覚障害者に対する間接差別となるだろうと。他方でというところで、これはもう直接差別とほとんど同じ不利益処遇だと、4行目ですかね、こういうふうに間接、直接がクロスするそういう状況を想定されていて、これは当事者もどちらとも割り切り難いと、また、実際に裁判でどう事実認定され、どこをどう立証していけば、直接なりあるいは間接ということなのか、ある程度動態的なものかなというふうに私個人は思っているんですけれども、川島さんは、今、御自身がここでお書きになっている、盲導犬をレストランに連れて入るという、この設例で排除されたレストランに行きたかった視覚障害者の方がレストランを相手に裁判を起こすとしたら、ざっくり言って、どっちがどういう主張あるいは反論していけばいいのかとお考えでしょうか。
○川島委員 ありがとうございます。まず、東室長のお考えのように、立証責任の話、正当化抗弁の話を一緒にするのは、私もすごく大切だと思っております。
その上で、部会長のお話、挙げていただいたレストランで普通の犬の入店を一律に禁止しているルールについて、簡単に言いますと、まず、一律に犬の入店を禁止しているわけですから、障害に直接言及していないわけですから間接差別だと。
他方で、視覚障害のある方が、盲導犬をいつもではないですけれども、当然連れ得る存在であるということからすれば、障害に言及していないけれども、実質的に盲導犬を連れた視覚障害のある人を排除しているルールであるから、これは間接差別とみなし得ると。
しかし、もう実質的には、明らかに視覚障害のある人が排除されているんですから、これは直接差別だと言ってもいいと、しかし、直接言及していないので、純粋な、これをクァスィ、ディレクトディスクミネーションとか、疑似直接差別とか、準直接差別みたいな類型にして、直接差別に準ずるものとして考えてもいいんじゃないかということもできます。
更に、合理的配慮もここに関係してくるんですね。このルール自体は、とりあえず、その店は維持しつつも、盲導犬については例外的に入店を認めますと、それはまさにルールは存続しているわけです。犬の入店は禁止する。しかし、盲導犬については入店を認める。これが合理的配慮なわけですね。
こういうような形で、複合的に1つの問題事例において、差別概念がざっと複合的に入ってくる、しかし、この差別の機能を明確にしておかないと、この事例というのは、明確に法的に分析評価できないわけです。
その上で、では、立証責任をどうするかというと、これは、まず、私の場合には、インターラクティブ・プロセスという当事者間の話し合いの場をまず設けた上で、行政前置主義みたいなことを考えていますので、その上で司法救済をした方がいいと考えておりますので、そこの議論の状況を十分踏まえた上で、裁判所が、では合理的配慮はそのときになされたのかどうかとか、なされなかったとしたら、では、間接差別か直接差別か意図はあったのかとか、そういうような複合的にすべてを覆えるような、3つの差別類型全部を覆えるような証明分配というものを一定のルールとして書き込むということも考えられるのではないかというようなことを考えております。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。仮に、これは時間もないのでなんですけれども、好奇心から伺うとすると、こういうルールを課しているレストランが、他方で障害者に対し結果として直接差別に近いような一律の排除をしてくるというときに、これは決して障害者差別を最初からねらって犬の入店禁止ルールを設けているわけではないですね、きっと、つまり犬同士が中で吠え合ったり、けんかをしたり、犬が嫌いな客もいたり、そういう一定の経営判断で犬の入店をお断りと、こういうふうにしているはずで、しかし、障害者が盲導犬を連れて入りたいと、言わばこれは体の一部だというような主張を当然すると思いますけれども、その入店すら拒否するというときに、これは、結局、店側としては、1人あなたが盲導犬であっても、ペットで、盲導犬の種類は何というんでしたか、その種類は忘れましたが、あの犬をペットで飼っている人もいるわけですね、純粋に愛玩動物として、それで、自分のペットと同じ種類の犬が入れているではないかと、どうして自分が自分のペットを連れて入ってはいけないんだというふうに、健常者が盲導犬だと気がつかずに自分に対してもルールに対する例外あるいは不適用、これを要求してきても、言わばルール自体がなし崩しに無効化されてしまうと、要するに1人例外を認めると、仮にその人が障害者であっても、あとは全部ルールを捨てるしかなくなるんだと、これでは結局、経営判断として成り立ちませんという、店側の言い分は、そういう理由なんですかね。
竹下さん、どうぞ。
○竹下副部会長 違うと思います。盲導犬の関係で言いますと、入店を拒否する最大の理由として言われてきていたのは、衛生面なんです。抜け毛であるとか、臭いであるとか、そういうものがごく一般的に正当理由として挙げられてきたわけです。
盲導犬に使うのは2種類、ゴールデンリトルリバーとシェパードなんだけれども、それはちょっと置きまして、では、なぜ盲導犬の入店が特別扱いされるべきかというのは、そこはもともと身体障害者補助犬法でもちゃんと考えられていて、一定の訓練によって、そうした弊害が除去されているということを証明できることを前提に盲導犬に対する特別扱いを言わば保障しているわけです。
ですから、そこでルールが崩れるということはあり得ないという前提がそこにあるということも含めて考えないと、犬全体というか、ペットと盲導犬の扱いの異別性というのは、そこは明確にならないということだと思います。
○棟居部会長 ただ、言葉を返して恐縮ですけれども、今のまさに抜け毛が不衛生であるという理由で犬の入店禁止というルールを設けておる店は、盲導犬であっても、やはり抜け毛があると、それは不衛生だと、幾ら1人の方であっても、あるいはほかにもどんどん入って来られたら、全体として同時に10匹の盲導犬が抜け毛をたくさんばらまくかもしれない。これは、うちは別に盲導犬かそうでないかには関わらず、犬は不衛生だという観点からお断りしていますと、あえて、最後まで盲導犬であれ、認めないというルールの厳格な一律適用という、これにこだわっている場合どうなんでしょう、それは正当とは言えないんですか。
○竹下副部会長 つまり、一言で言えば、ゼロではあり得ないけれども、盲導犬に対するそうした衛生面の管理が実行されているという前提もそこに加わっているわけです。
○棟居部会長 わかりました。どうぞ。
○川島委員 私にも一言、健康衛生面というのは、合理的な理由になり得ると思うんですね。ですから、そういうのを総合的に、あとは過重な負担になっているかどうかというのも総合的に考えて、個別具体的なケースごとに合理的配慮があるかどうかというのをまず考えていくと。あと、ルール自体がそもそもおかしいというときもあるので、その場合は、合理的配慮ではなくて、ルールそのものを無効化してしまえばいいわけで、そういうような感じで柔軟に考えられるのではないかと、以上です。
○棟居部会長 どうもありがとうございました。かなり正当化という論点は厄介だなというのが、今、先生方の御議論を伺っておっても、厄介というのは、結局、先ほど立証責任は技術論になるので一緒にやりましょうといった、そういう扱い方が厄介だなというふうな印象をかえって持ちました。45分まで15分ほどございます。この立証責任の技術論の方に絞った方が、多分スムーズに御発言いただけそうな気がするんですけれども、そちらに移らせていただいて、室長、それでよろしいですかね。一旦、立証責任の方に行ってみようと思いますけれども、正当を一緒にやると、どうも議論が続かないので、立証責任の方の分配と、これは池原委員は、非常に具体的に流れをお示しいただいていたと思います。違いましたかね、池原委員、お願いできますか。
○池原委員 池原ですけれども、私のは、71ページから73ページぐらいまでに書いていますが、これは、先ほど申し上げた直接差別の中に明示的と黙示的という類型があって、かつ関連差別というのは、直接差別とも間接差別とも異なるものだという、個々の非常に個性的な固有の障害のある人についての不利益自体についての問題だという類型を前提にしている整理の仕方なので、必ずしも普遍性がなくて、ほかの方々の類型論とはちょっと違ってくるだろうと思います。
ただ、先ほど申し上げたように、恐らく普通の裁判の入口とすると、多分、原告は、あるルールなり、ある取扱いが自分固有の障害との関係で大きな不利益を発生させているんだと、あるいは排除されているんだという主張があって、それに対して、先ほどのイギリス法的なものをもし前提にすると、差別者側の方は、あなたに障害があるなんていうことを知らなくて、別に障害があるから不利益が発生してしまったということになるとは思ってもみませんでしたということを、例えば言うと、そうすると、関連差別の立証は、もし、被告側の主張が成功すれば成り立たなくなるので、原告側とすると、直接差別か関連差別を証明せざるを得なくなって、でも、こういうルールを使えば、精神障害者が基本的には排除されて、精神障害のない人は排除されないという現象が起こりますよということを例えば言うと、それに成功すれば、直接差別ということになるわけですけれども、被告側が、でも同じルールを使って精神障害のない人にも一定の不利益が発生しますよということを証明すると、直接差別が成り立たなくなるので、あとは間接差別が証明できるかどうかということになると。
すると、相対的に見ると、例えば統計資料などを使って、非精神障害者よりも精神障害者の方により多く不利益が発生しているということが証明できると、一応、間接差別の入口の扉が開くことになって、あとは間接差別についての正当事由を相手方が証明できる、被告側が証明できるかどうかというような流れになっていくのかなというのがおおざっぱなイメージです。
それで、1つだけ、これはもう既に出ている議論ですけれども、私自身としては、類型論というのは、やはり正当化事由が厳格か緩やかかということとか、あるいは挙証責任がどれぐらい、被告側、端的に言うと、被告側にとって厳しい挙証責任になるのかということがかなり重要なポイントで、1つ危惧しているのは、裸の利益衡量論というか、よく言うアドホックバランシングというんですかね、その場、その場限りでの総合的な判断ということを、言わば司法とかに丸投げしてしまうと、結局のところ、余り差別が認められない方向というのが起こり得るという、比較的、弁護士的に言えば、合理的な区別は差別にならないということで随分苦労させられているということもあって、その辺にある程度司法判断の基準なり、あるいは類型的な厳しさ、緩さというのを何か設定していった方がいいのではないかというのが私の考えです。
○棟居部会長 ありがとうございました。きれいにまとめていただきまして、なお、私ちょっと進行を勘違いしておりまして、実は時間の余裕は全くないわけでございます。
第5として、差別の主観的要素、第6差別禁止規定、それぞれについて、予定ではあと10分、せいぜい延びて15分ほどで、一言ずつお願いするということで、まず、その前に意見分布を東室長の方からお願いします。第5差別の主観的要素についてという方からお願いします。
○東室長 差別に絡んで、相手方の主観的要素がどう取り扱われるかという話なんですね。差別の意図とか、善意による差別とか、いろいろ問題になっていますけれども、結論は分かれております。
ただ、この議論をする前提として、実際にやった行為の認識という問題と、それを超えて、あえて差別するとか、そういう目的とか、意欲とか、そういうものがごっちゃになって議論されているところがあると思うんです。
例えば、あるレストランに発達障害のお子さんをお母さんが連れて行かれたところ、多動であるということで断れたというような事例で、相手方はそのお子さんに何らかの障害があって多動であるということを認識しているわけですね。そして、断ったということも認識している。しかし、それは差別とは思っていないと、こういう場合はあり得るわけです。これは、あくまでも行為の認識と、ここで言っている差別の意図とかというのは、少しレベルの違う話なんです。こういうものが要るか、要らないかという議論のときに、そういう事実の認識をベースとした部分まで要らないといっているのかどうか、そういう事実の認識、客観的な認識は要るんだけれども、あえて殊更に差別を意図することまでは法律要件としては要らないというふうに考えるのか、そこら辺を少し区分けして議論していただければなと思います。
ただ、損害賠償と絡むときには、その認識がなかった場合も過失の問題は出てくるわけですので、損害賠償法上の故意過失の問題は当然あるわけですけれども、そのことと差別するつもりだったのか、つもりではなかったとのか、という問題は、レベルが違うんではないかというところを整理していただきたいなという意味で出題させていただきました。
これについては、こういう問題があるということをまずは認識していただければいいので、そんなに深い議論は要らないかなと思っています。
○棟居部会長 では、続けて第6の差別禁止規定の方も意見分布についてお願いします。
○東室長 差別禁止規定につきましては、単純に1つの包括的な規定だけで差別禁止ができるならば、何もこの出題は要らないわけですけれども、現実的には、直接差別、間接差別、合理的配慮といういろんな形の差別類型がありますので、それを包括的に表現するような仕方はあるのか、ないのかという形で提起させていただきました。
御意見につきましては、複数の差別類型を包括した表現を用いてシンプルに禁止規定をつくるべきだという御意見と、類型ごとに別立てすべきたという御意見がありました。そもそも類型化すべきではないという御意見もありますので、その場合は、直接、間接などの言葉を用いないで、内容的に包括した規定という形になろうかと思っているところです。
説明としては、以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。当初の予定ですと、40分、それが先ほど45分と言いましたが、せいぜい50分まで、残り10分ということで、今の2点、特に前半御紹介のありました、第5の差別の主観的要素、これはある意味水掛け論的になるだろうという室長の御示唆もありまして、主には第6差別禁止規定、どういうものを書くとすれば、書くべきなのかという、この点に一応絞らせていただきまして、10分検討で議論していただければと思います。
ちょっと私から振って何ですけれども、川島委員に、これも手短にお願いしたいんだけれども、包括的なアプローチをお取りになるというお立場で、その場合、どういう禁止規定をお考えなのか、結構、詳細なレポートのような回答を付けられているので、具体的な規定ぶりとしては、どういうのをお考えなのかなと、それを教えていただければと思います。
○川島委員 では、簡潔に、私のは89ページからなんですけれども、私がまず前提としているのは、何人も障害に基づく差別を受けないという形で、だれがだれに、どの領域で障害差別というものを禁止するのかというような形で、各領域ごとに明確にしていった方がいいと思うんですけれども、その場合に、今、議論になっているのは、障害差別の差別とは何かというところで、これは、私の表現はちょっと誤解を招いてしまったようだと思うんですけれども、差別には、直接差別、間接差別、合理的配慮の規定を含むと、少なくともその3つは明記すべきだと、ただし、現実の事象では、この差別が、先ほどの盲導犬の例のように、複合的に発生し得るわけで、しかも直接差別、間接差別というのが区別しにくい部分というのがすごくあるわけですので、証明責任の段階では、包括的な立証責任の分配みたいなものを考えた方がいいんではないかということです。
機能としては、差別概念というものは3つあると。それぞれの差別の概念は、それぞれ固有の意義があるわけで、それぞれを明確にした上で総合的に現実の差別というものが起こってくるというようにした方が、法的評価がむしろ楽になるし、一般の人々にもむしろ私は、竹下副部会長とは異なって、一般の人にはよりわかりやすくなるというふうに思っております。
以上です。
○棟居部会長 ありがとうございました。1点気になるというか、お伺いしたいのは、この領域というのは、これは限定列挙のような格好で、一定の領域を指定されると、そういうことですか。
○川島委員 川島ですが、領域は、私の考えでは労働、教育、サービス等、ほかの分野もいろいろあると思うんですけれども、ある程度限定列挙の方が、現時点ではいいと思っております。
○棟居部会長 ありがとうございました。では、残り時間も何度も申し上げておりますように、余りございませんけれども、御自由に、主に第6差別禁止規定、どのようなものを盛り込むべきか、という点について御意見をちょうだいできればと思います。
太田委員、お願いします。
○太田委員 太田です。包括的な差別禁止規定を設けると同時に、具体的な問題に対応できるよう、例えば教育、労働、地域サービス、そういった具体的な障害者や日常的に困っている問題に対処できるようにきちんと、何が差別に当たるかと、この分野ではこういうことをしてはいけないということをはっきり書いていただきたいと、そうすることによって、差別禁止が実効性のあるものになるというふうに思っています。
○棟居部会長 ありがとうございました。88ページの一番下の方、太田委員が出された回答でもお書きになっていますように、直接、間接、合理的配慮を提供しないことと、これを含んだ包括的な差別の定義規定をまず置くと、何人も障害に基づく差別をしてはならないと、これをぼんと最初にお書きになって、しかし、それとは別に、細かく各則、個別分野ごとの差別のリストをつくると、こういう言わば2本立てという形ですね。ありがとうございました。
ほかに、いかがでしょうか。
伊東副部会長、お願いします。
○伊東副部会長 2点申し上げます。差別禁止法で対象とする「障害の範囲」についてです。この点については総合福祉部会でもいろいろ議論がありました。勿論、医療モデルではなく社会モデル、生活モデルといった視点で考えることになると思いますが、障害者差別禁止法において、障害の範囲を特定する場合、例えば外面的な傷がある、例えば手術の跡がある、そのような状況も障害の範囲に入れることを前提にするのか、現実にはそのようなケースは、例えば就労の場面においては「差別」を受けることもありうると思う。
障害の範囲を、この差別禁止法でどう対応するのか、この辺で、障害の範囲についての議論があってもいいのではないかと思います。
第2点は、差別禁止法に幾ら強制力があったとしても、法律や規則だけで改善していくのは、やはり限界があると思います。
そこで、国民全体、社会において、障害のある人に対する配慮、思いやりといった思想を社会共通の理念として高めていくことが大事です。障害者への差別禁止を我が国で実現するには、法律の実効効果を高めるために運用のありかたをどのようにするのかも考えておかないといけない。
例えば差別の発生があれば、すぐ直接裁判に持ち込まれることを予定するのか、あるいは調整や話し合いの場面をむしろ大事にすることを想定するのか、そういうプロセスをどのようにするのかをあらかじめ考えておいて法律を作るべきでしょう。
また、差別の類型についてもある程度のスタンダード、標準がないと、調整に非常に時間がかかるということにもなります。
差別の状態をできるだけ早く改善、解決していくために効果的なシステム、ルールをどのようにするのか、法律づくりとともに、どのように法律を運用していくのかもあわせて考えていくべきと思います。
○棟居部会長 ありがとうございました。今の伊東副部会長の御指摘は、この障害の範囲について、この部会でもある程度議論すべきであると。
それから、運用方法、特に調整とか話し合いという救済手法まで念頭に置くと、差別の類型、これも詰める必要があると。本来、私が申し上げるべき要約あるいは次回以降への宿題を教えていただいたということで、これ以上、その点については、今、この限られた時間では議論せずに、皆さん、お持ち帰りいただければと思います。
ということで、進行が押しておりますので、ここで第2コーナー終了ということにさせていただきたいんですが、1点、太田委員、お願いします。
○太田委員 立証責任で1つだけ申し上げたいんですが、やはり障害者はいろんな障害者がいて、自分の表現能力、コミュニケーション能力あるいは資力、財産ですね、そういうものが非常に厳しい立場にあるわけで、やはり障害者は差別を受けたということをもって問題の俎上に上げるということで、差別をした方は、差別をしていないんだということをきちんと証明するような手続、障害者に簡単に問題提起できるような手続を、そういう仕組みをお願いしたいと思います。
○棟居部会長 ありがとうございました。今、立証責任、技術論だといって、先ほど押さえよう、押さえようとしてきましたが、非常に大きな御指摘、つまり、障害者に立証責任を振っていくことが非常に過酷になると、むしろ差別をされたということで、とりあえず、いや、していないんだという、例えばレストランとか、そちらの側に立証責任を転換するというか、課していくという、こういう運用についての重要な御指摘があったと思います。
ということで、第2コーナーを終了させていただきます。
ここで、時間が押しておるので、15分より少し切り詰めさせていただきまして、今、52分ぐらいですけれども、17時5分、13分ぐらいの休憩ということで、御勘弁いただきたいと思います。再開は17時5分というふうにさせていただきます。

(休憩)

○棟居部会長 それでは、先ほど予告しました17時5分になりましたので、再開させていただきます。
第3コーナーは、当初1時間を見ておったんですけれども、ちょっと遅れておりますので、50分ほどの時間しかございませんが、まず、大阪弁護士会の池田直樹先生から障害者差別が裁判で争われた事例について、25分検討でレクチャーをいただきます。その後、これも25分検討で議論したいと思います。
それでは、池田先生、よろしくお願いします。
○池田氏 ただいま紹介いただきました、大阪から来ました弁護士の池田です。プロフィールは、ほとんど御存じないかと思いますが、以前池原委員と一緒にアメリカに行きまして、アメリカの障害者の権利擁護について、弁護士がそれこそ24時間権利擁護のために実務活動をしていました。日本は、そこまでできなくて、ほんの片手間な権利擁護しかできていなかったので、それはおかしいと、権利擁護に専念する事務所をやろうということで、こういう事務所を設立した経緯がございました。
今日は、お手元に資料、レジュメと冒頭で山崎先生から紹介いただきました新聞記事を用意しました。新聞記事とか、パンフレットの紹介は、出典のところの年代を見ていただくと、かなり古いです。平成5年、それから判決文でも、私のレジュメにも引用しましたが、平成11年、14年、このころの運動あるいは裁判がこのレベルだったという意味では、私は、今日、報告させていただくときに、私なりに今の状況に比べると、この前はどれほどひどかったかということと同時に、ここまである程度当事者運動が社会あるいは裁判所を壁際に追い詰めてきているなということは感じます。しかし、最後の壁を突破するということになると、裁判所はあくまで法規範を適用して救済すべきものは救済する、しかし、法規範がなければ、救済すべきだけれども、救済できない。そういう裁判所なりのジレンマみたいなものが感じられます。
それで、今日、報告させていただく中で、今の現行法で、間接差別にしても合理的配慮義務にしても十分裁判所は受けとめ切れない状況にあるんではないか。今日、2つ紹介させていただく裁判例の中に、裁判所としては、こうあるべきだと思うと、しかし、それを義務づける規定はない、法的根拠はない、だから、配慮をしなくても違法とは言えない、だから慰謝料は認めないという形で当てはめられている経過があります。
そういうのを見ると、ここの部会での議論、先ほど差別禁止法の立証責任の問題までありました。やはりそこまで具体的に裁判規範性のあるものを練り上げて、そして、最終的には、これは政治の判断ですね。国会で野党等でそれを受け入れる、国民の側の批判に応えられる内容のものを用意しないと、結局、まず、法律ができるかどうか自体が危うくなってしまいますし、問題は、先ほども指摘がありましたが、成立した法律は、結局、どういうふうに実践されていくのか、国民の中で、やはり合理的配慮義務というのを受け入れ、それはそうなんだと、それが当然なんだというレベルにまで浸透させていく工夫、そこがこの規範の充実といいますか、浸透といいますか、そういう意味だと。ここで考えられているのは、そういう意味では、ほんの出発点で、まず、法律をつくること、そして、つくった法律をどう浸透させていくかというところまで見据えて議論を深めていただければと思います。
今日は、そのための具体例として、2つ裁判例を紹介させてもらいます。今まで議論されているのをお聞きしました。確かに、具体例を視野に入れて議論した方がわかりやすいかなと思うんですが、抽象的な議論もありました。でも、それを実務の面から見ますと、やはりそれを当てはめるときに、一体どこがネックになって、どの辺をちゃんと条文の中に入れておいてもらいたいのか、その辺も私なりに考えて、今後もこの問題にはずっと関わっていきたいと思います。
レジュメですが、事例は2つ、最初の裁判例は、重度の身体障害で電動車椅子を利用されている方が高架駅に乗って、鉄道で都心部に出かけると、そういう日常生活の中で、なぜ高架駅にエレベーターがないのかという素朴な疑問を彼は投げかけました。
彼と私との関係は、アドボカシー研究会という車椅子の当事者、視覚障害の人、それと弁護士、福祉系の学者など、大阪で10名ないし20名で権利擁護の活動をやっておりました。
その中で、彼が、実は自分は家から電動車椅子でこの会場まで来るんだけれども、その鉄道を利用すると、常にこの高架駅でこういう目に遭っているんだという声があって、それでは、一度そのことをみんなで検討して、通るかどうかは別にして、訴訟というテーブルでちゃんと鉄道会社と渡り合おうではないかと。
私自身も、権利擁護というのは、だれかがやってくれるものではなくて、当事者が自分の怒りを出発点にして、その怒りをどういう形で表現して説得していくのか、そのエンパワーメントの1つの実践として、自分の問題は自分が一番よくその問題点にぶつかって表現できるはずだから頑張れと、それでみんなで支えようということで、裁判することになった。それが平成5年ごろの動きです。
お手元の資料の1枚目、新聞記事の最初の資料1というのを見ていただきますと、平成5年5月にこういう鉄道会社の名前も出ておりますが、これは「訴訟準備中」という段階の記事です。
その次をめくっていただきますと、これはパンフレットの表紙に彼が書いているんですが、ちょうど一番下ですね。1990年10月13日に提訴しましたというふうに書いてあります。
つまり、平成5年から平成7年まで2年かかりました。その意味では、その間に、この研究会でいろいろ議論しながらどういうふうに自分らの怒りを表現したらいいのか、私も弁護士として、この当時は、そんなにまだ議論が盛んではなかったので、当時の議論の中から彼の怒りを表現できる法律構成を考えて、何とか裁判に持ち込んで闘ったということです。
もう少し彼の提起したところを紹介しますと、私のレジュメの1枚目の(2)というところですが、高架駅に彼の車椅子を持ち上げるということの問題点として理解してほしいのは、彼は電動車椅子を利用しているのですが、私は電動車椅子というのは、電気で動く車椅子程度しかわかりませんでした。しかし、皆さんは当然御存じかと思いますが、電池というのは蓄電池ですから、鉛を積んでいます。そして、普通のパイプの車椅子と違って、電動の場合は、物すごくがっちりしています。蓄電池の上に本人の体重が乗りますから、車椅子自体が頑丈に、従って重たくできています。更に本人の、乗っている人の体重が加わる。とても2人で担ぐとかいうことはできません。彼の場合の車椅子は6人がかりで高架駅の改札からプラットホームまで担ぎ上げると、それは普通に考えても大変なことです。
だからこそ、その鉄道会社は彼の利用に対していろいろ嫌がらせをしました。また、エレベーターはできないけれども、階段昇降機というのをエレベーターの代替手段として導入しました。階段昇降機というのは、絵があればよかったんですが、ここに文章で書いていますように、車椅子を水平板の上に乗せて、産経新聞の<4>ですね。この写真で、彼が乗っているのが階段昇降機です。階段に接した形でキャタピラがあり、彼の車椅子は、その上の水平板の上に固定されており、この状態でで、電動でキャタピラが回ります。そして、上の方にいる駅員さんがレバー操作をして、昇降できるという。
これは、安全なのかどうか、このキャタピラの幅は狭いですね、肩幅ぐらいしかない、このキャタピラが少し傾くと、階段の角のところで滑ってずれてしまうと、ごろんと落ちてしまう、乗っている者にとっては物すごく怖いということは言っていました。
この裁判の検証のときに、裁判官が修習生を連れて駅に行って、それで修習生を階段昇降機に乗せたんですけれども、裁判官は、乗ろうとしませんでした。やはりこれは怖いなという実感があったんではないかと思います。そういう階段昇降機がエレベーターに代替し得るのかというようなところも、実は争点にはなりました。
ちょっと進みますが、そういう形で、こちらはエレベーター設置を求めようという裁判を起こしたんですが、もう一つ、この裁判の請求は、下の(3)ということで、彼がこの駅を利用している中で、駅員さんからいろいろ嫌がらせをされたというのを<1>~<9>まで彼自身が苦情受付場所というんですかね、そういう乗客の苦情を聞きますよというところに投書をしたんですね。そして、それをちゃんと残していて、いついつ、どこどこの駅で駅員さんからこんなことをされましたと、それはすべて個別の彼の直接差別、今日の議論でいけば直接差別的な言動なので、それはそれで慰謝料請求しようということで指摘しました。
ちょっと読みますと、<1>は無断でバッグを開けて住所録を取り出して家族に連絡した。
<2>番は、改札から高架駅のホームまで運びあげた後、暴言をはき、更に車椅子を蹴ったと。
<3>番目は、ほかの客が頭をたたいたので駅員さんにその男を捕まえてほしいと頼んだけれども無視された。
<4>番は、別の駅から電車に乗って最寄駅で降りるつもりだったけれども、満員電車に乗ってくれるなと強い口調で言われた。それで、電車から降りてきた原告に対し、邪魔な車椅子やなと、ほかのお客さんが迷惑やないかと、少し大きめで言われた。
<5>番目は、最寄駅で降りた原告に対し、こんな遅く帰ってきても駅員が少ないから困るやないか、もっと早く帰ってきてもらえないかと。つまり、駅員さんはこの車を降ろすのに6人要るわけですね。しかし、夜遅くなると、駅員さんはその駅には2人しかいないと、ほかから呼んでこなければならないという駅側の事情があって、もっと早い時間帯だったら手配できるから早く帰ってこいという鉄道会社の都合を彼にぶつけたわけです。
<7>番、最寄駅から降りた原告に対し、この駅は駅員が少ないから行きも帰りもと両方というのは困ると、どっちかにしてくれと、来ないでくれという言い方ですね。
<8>番、ホームの駅員が原告の許可を求めず、電動車椅子のモーターブレーキを解除したと。これは介助のために手動でコントロールするからということで、電動のスイッチを切ってしまったんですね。
<9>番、別の駅から乗車する際に、最寄駅で降りたいが、連絡してほしいというと、その時間帯は駅員がいないから、そこで降りることは無理だと、鉄道会社としては対応できないという形で断られたと、彼はこういう苦情、このエレベーター設置を求めるのと同時に、個別の直接差別ということで慰謝料請求しました。
この裁判はエレベーター設置要求をメインとして始めたのですが、弁護士としては、どうしてエレベーターの問題を裁判上の争点にするのかということで悩みました。余り詳しくはお話しできないんですが、移動環境整備要求権というのを私なりに考えまして、それを裁判所に求めました。
基本は、今日議論に出ていましたように、自由権と社会権という議論が従来から法律家の中では前提です。自由権というのは、妨害しなければいいと。しかし、彼は移動したいといっても、ちゃんと駅のホームにだれかが上げてくれないと自分では上がれない、エレベーターもない、そういう状況では移動の自由を保障したことにはならないじゃないかと、だったら移動できるような環境を整備するのが社会の責任だろうと、その意味では、合理的配慮義務という配慮という言葉を使っていますが、少なくとも彼が社会の一員であれば、普通の人と同じように鉄道を利用できる環境を用意する義務があるはずだと、それに見合う要求権を当事者に認めるべきだということで、裁判をしました。
裁判所の出した結論は、そういう要求権、そういった義務というものを定めた法律はない。そして、個別の直接差別の9項目についても、2つだけ認めました。これは、3ページ目の判決文の5の判決理由の(3)で、<2>と<5>についてのみ違法性を認め、そのほかは棄却と、ここで私なりにちょっと思ったのは、彼は9つ、自分の尊厳が傷つけられたということで慰謝料請求したわけですが、裁判所の認定としては、「不快に思うかもしれないけれども、不法行為、つまり損害賠償をもって償うべきほどの違法性はない」という違法性の程度みたいなものを適用して、9つの事例のうち、<2>番と<5>番、車椅子を蹴飛ばしたこと、暴言をはいたこと、それについては認めるけれども、それ以外は、確かに不快なのはわかるけれども、損害賠償を払えというほどのことでもないという判断がありました。
それで、一番参考にしたいのは、判決文の<2>のところなんですけれども、最終的にエレベーターの設置については、違憲というのは認めませんでした。だけれども、鉄道事業者がエレベーター整備については、最大限の努力を払いなさいと。障害者と健常者との実質的平等を確保することは、社会的な要請になっている現状も認定しました。
そして、同じ投資する中でも、移動の自由を確保するための投資は、相当程度優先順位が高いという認定もしました。だから、努力をしなさいということで、結論としては義務づけた法規範がないので、請求は認めないけれども、だからといって、鉄道会社の自由裁量ではないんだということは言ってくれました。
それから、次に、別の事件、もう一つあります、控訴審の紹介は省きます。4ページです。2つ目の事例は、観光地を走行する鉄道で、原告は車椅子の重度の障害の方です。そして、この鉄道会社は、その観光地を通るということで、特にその列車にトイレ車両を連結していました。ところが、そのトイレが車椅子対応になっていませんでした。そこで、彼は自分もこの観光地を電車に乗って行きたいと、でもここにトイレ車両が利用できないとなると、この電車に乗れないじゃないかということで、やはりそれはおかしいということで、これは青森の方の線区なので、東京地裁で裁判を起こしました。
このときも、車椅子対応のトイレにせよということを求めたけれども、結局裁判所は認めませんでした。彼の主張として、トイレというのは、当然人間の生理的な要求としてみんなが利用できる状況というのが必要なわけで、特に観光地だと、ジュースとかビールとかお茶とかを飲むじゃないかと。それで、鉄道会社は、わざわざトイレ車両を連結しながら、なぜ車椅子対応にしなかったのかと。車椅子対応にするか、否かも鉄道会社の裁量に任されているのかと、そこが一番彼の怒ったところだったわけです。
5ページのところを見てもらうと、(2)の中ほど、「トイレ車両を連結するか、否かは裁量を委ねられているが、連結すると判断した以上は、同様に車椅子対応にすべきではないのか」という点をこちらは指摘したんですけれども、判決文は、6ページのところで、まず、<2>を見てもらいますと、鉄道事業者は利用客数や予算上の制約を考慮に入れて判断する自由がある。先ほど、今日の議論でも予算の問題が出ていました。
それから、<3>、どのような対策を講じ、いかなる程度まで実質的平等を実現するかは、立法に委ねられている。
<4>、鉄道事業者に対し、障害者の利用を可能にするための具体的な施策を義務づけ、あるいは国にその主導を義務づけるだけの法的根拠は見出し難いということでした。ただ、<5>のところで、そうは言っても個人の尊厳は尊重されなければならないということで、できるだけ何不自由なく旅行できるように配慮することが望ましいという裁判所なりの視点は示してくれましたけれども、救済するだけの法規範がないということで、結論は認められませんでした。
最後、まとめですけれども、7ページのところで、私なりにこの裁判を経験して、1つは今日議論がありました、基本法の制定と、差別禁止法の制定とそれぞれ意義があると思います。基本法はやはり国の施策推進のガイドラインですから、そこで明確にどういう社会を目指すのか、それは国中心に目指す、障害を理由とした差別のない社会、それは1つ大事です。しかし、もう一つ、個々の障害のある本人が、自分が受けた差別に対し、自分として救済を求める手続、その救済の声を受けとめる法制度というものがないと、結局、国に実現してもらうだけになってしまう、これは2つのルートが必要だろうと思います。
そのために、この差別禁止法ができ、かつ裁判規範性があれば、個々の事例で、私はこういう差別を受けましたと提訴し、裁判所はそれを受けとめて、その義務規定に当たるかどうか、今日、いろんな要件の議論がありましたけれども、そういったものを当てはめて救済すべきは救済する、あるいはその判決とは別に調停などの救済機関が差別是正措置を講じて、具体的な救済につなげてくれる、その2つのルートを合わせることで全体としての社会に対する浸透あるいは差別のない社会というのを実現していけるんではないかと、その2つを私なりに現場で個々の障害者からこんな差別を受けたという声を受けとめて、司法的救済を担当してきた者としては、何としてもこの差別禁止法をつくっていただいて、それを裁判で利用できるようにお願いしたいし、また、協力していきたいと思います。
ちょっとはしょりましたけれども、一応、私の報告とさせていただきます。
○棟居部会長 どうも池田先生、ありがとうございました。先ほどからずっとお付き合いいただいて、我々の議論にもユーザーの観点から一定の御指摘、御示唆をいただけたと思います。
それでは、議論に移りたいと思います。池田先生への質問という形から入るのが自然かと思いますけれども、まず、今、大分詰めたものですから、もう少し事案をとか、いろいろ御質問の方からありませんでしょうか。ないようでしたら、逆にヘビーユーザーである弁護士の先生として、これはどうなんだと、先ほどの幾つかの積み残した論点について、池田先生に裁定をいただくというのも1つの。
室長どうぞ。
○東室長 請求の根拠として、障害者基本法の差別禁止の条項は、裁判所の中で主張されたんですか。主張されたならば、それに対するどういう対応だったのか、ちょっと教えていただきたいと思います。
○池田氏 主張はしました。たしか当時の基本法3条の「差別してはならない」という追加規定がない時代だったのでなおさらなんですけれども、基本法というのは、個々の市民、国民に対する権利義務を決めた法律ではなく、あくまで政策立案の上での方向、ガイドラインを定めて、かつ事業主とか地方自治体とか、そういう政策実施者向けの規範なので、個々の国民がそれを根拠に被害救済を求めるということを予定していないということでした。従って、今回、基本法がバージョンアップされましたけれども、恐らくそれだけで裁判所が裁判規範性を認めてくれることは期待できないんではないかなと思います。
○棟居部会長 私からも好奇心で、こういう何とか権というふうによく言われるような聞きなれない移動環境整備要求権ですか、こういうのを出すと、その時点で相手方は鼻をふふんと笑っておって、何かおかしなものを出してきよったなと、でも裁判規範性なしやというので終わってしまうというのが、私も見聞きする憲法上の人権裁判といいますか、そういうので多いパターンなんですけれども、勿論、池田先生は、もっと攻めやすい別の切り口があればということでいろんな工夫をされたと思うんですけれども、公共交通機関ですから、これは平等にアクセスできなければ、そもそも公共性自体がうそになってしまうわけですから、公共交通機関だからその分地域独占しているし、あるいは土地収用とかも認められると、いろいろな公共性というものには、平等のアクセス権、つまりホームに、あとは日本全国どこでも座って行けますよと、だけれども、ホームに立てない人にとっては、公共交通機関でも何でもないわけですね。そこを公共性というので、どこまで主張されたのかなというのが、私は興味本位で1点お伺いしたいんですけれども。
○池田氏 ありがとうございます。当然、我々がこの鉄道会社を相手にするときに、やはり鉄道の公共交通機関の意義といいますか、公共性、つまりそこは国と同視はできないけれども、やはり社会的使命というのがあるじゃないかと、それは、当然、利用者として一般の人のほかに、車椅子の人も、当然利用者として予定しているべきではないのかと、そこを抜きに通常の方の利便性は前提だけれども、エレベーターなり、何か配慮しなければならない人に対してどうするかは裁量だというふうに言われると、それこそ公共性はどう考えているんだと、公共の中に車椅子の人は入っていないじゃないかということは主張しております。
ただ、裁判所は、やはりそれも含めて裁量の中に入れてしまった。それは、明文として義務規定がないと裁判所は言うんですね、公共だけからそういう義務は導き出せないというのが裁判所の判断だったと思います。
○棟居部会長 どうもありがとうございました。それでは、あと、直接に、今の御報告に御質問がもしないようでしたら、先ほどのものに引っかけるといっても、あれにまた戻ると残り時間が幾らあっても足りなくなりますので、この池田先生のレジュメの2ページ、1ページからですけれども、<1>から<9>まで慰謝料を請求されたのは、暴言等いろいろな事柄があったわけですね。その中で、特に例えば<5>は言い方も含めて論外かもしれませんが、<6>で駅員の数が足りないと、ちなみにこういうところの表現で、これは大阪の出来事なのでしようがないんですけれども、大阪弁でされると、いかにもリアルというか、何か物語り性が出てしまうので、私はテキスト類では、極力こういうのは避けてほしいなというふうに思っているんですけれども、目に浮かぶようなこういうやりとりがここで再現されていますね。それは、横に置いておいて、<6>なんかですと、これは駅員が数が足りないから対応できないと、<7>も似たような事情だったのか、こういう向こうのシフトに合わせてほしいと、こういうのは、池田先生は、先ほどの我々の要望でいうと、これは要するに障害者は邪魔だというのと結局同じなんだから、直接差別そのものだというふうにお考えでしょうか。
○池田氏 ありがとうございます。こちらとしては、暴言自体が彼に対する嫌悪感みたいなものが表現されています。大阪人であれば、これがどういう口調で言われたかというのはおわかりいただけると思いますが、やはり車椅子の利用者を一乗客として認めていない。さきほど、野沢さんから貸し、借り、義理という話がありました。やはり仲間という関係から出てくる言葉ではないんですね。同じ仲間じゃないかと、同じ地域に住んでいる仲間じゃないかということから、こんな言葉は出てこない。この駅員にとっては、車椅子の人というのは、邪魔者、自分らとは関係ない、何でこんなところに来たんだという発想しかないので、ちょっと法的な問題から離れますけれども、やはりその鉄道会社の職員教育あるいは広く市民の人が車椅子の人をどう見ているのか、確かに車椅子はスペースを取りますから、満員電車の中に車椅子が入ってくると、何か白い目で見るというふうな感覚はあるかもしれません。しかし、その車椅子の人にとっては、その時間に目的地に行かないと遅刻する。だとしたら、それは同じじゃないか、たまたま体型の大きい人と同じだけの問題であって、車椅子だからどうこうという問題ではないはずなので、やはりそこで少し区別してしまう、同じ仲間と見ていないというところがやはりポイントになるかなと思います。
○棟居部会長 すると、先ほど間接差別というものを持ってくると、私の理解が合っているかどうかわかりませんけれども、相手方に一応、経営上の理由がいろいろあって、この労働組合との関係でもこの時間帯は、もう2人しか置いておけないとか、何とか一応、もっともらしい正当化事由を会社側が言ってくると、その正当性があるかないかのやりとり、つまり間接差別か、そうでないかというそのやりとりになってくると、かなり会社側のテーブルの上に乗ってしまう格好になると、そうではなくて、これは何かいろいろ駅員の数がとか言っているけれども、つまり迷惑なんだと、ほかの健常者の乗客とあなたらは違うんだと、こういうまさに排除の論理があると、それで慰謝料だという、一見間接差別っぽいけれども、実は直接差別だという方に、先生方、主張の中ではもっていかれるということでしょうか。
○池田氏 そうですね。やはり直接差別というのが、彼自身が不快に思った、傷つけられたというその気持ちを弁護士、代理人としては受けとめる必要があるし、そこに調整原理を入れてくることについては、明示ではないのかもしれませんが、やはりまずそこをポイントにせざるを得ないというふうには考えました。
○棟居部会長 これもしつこくて何ですけれども、危険だということを、このリフトですね、階段を上がっていく。
○池田氏 階段昇降機ですね。
○棟居部会長 昇降機については、危険性をおっしゃっていて、これは、転げ落ちたら命に関わるなというのが写真を見てもわかるんですけれども、何かエレベーターはエレベーターで、要するにボタンを押して自分で乗ったらいいじゃないかといって、駅員はもう全然ノータッチになりますね。要するに、権利としては、勿論、エレベーターがあれば、電車に乗れるんですから、この移動環境整備要求権としては満足したということになるだろうけれども、本当に社会連帯、つまり、先ほどの野沢さんの義理とか貸し借りという仲間かそうでないかというので言うと、むしろ、駅員もあるいは駅員が足りなかったから、そこらにおる人もみんながやってきて、担いで上がっていくと、これがまず、実はエレベーターに対する事前の策ではなくて、みんなで担いで上がる方が、むしろ本来望ましいという、先生、そういうふうにはお考えにならないですか。
○池田氏 勿論、選択肢の1つですね。ですから、そういう仲間であれば、みんなで担いでというのを受け入れる社会を目指すのか、あるいはそういう設備の1つのバリエーションとして、ここではエレベーターと挙げましたけれども、エレベーター以外に自分で解決できる、選択できるツールがあれば、やはりそれを彼が選択する以上は求めるべきだろうと。
それで、担いでもらうというのは、彼も言っていたんですが、こっちからお願いするというのが取っかかりになってしまうんですね。お願いする、つまり、こちらがやはり頭を下げないと手伝ってもらえない、勿論、任意に走り寄って、上に上がるんだったら持ちますよというふうに周りから声をかけてくれれば、それはそれでいいのかもしれませんけれども、日常的には、こっちからだれか手伝ってくださいと呼びかける、お願いするというのが現状だとすると、そこを変えていくのは大変だなというのが彼の実感だと思います。
○棟居部会長 ありがとうございました。ほかに御質問あるいは先ほどの話題に引き続き、太田委員、お願いします。
○太田委員 太田です。今、みんなで担いであげるのも選択肢ではないかと、部会長はおっしゃって、1つの理屈ではあるんですが、電動車椅子は120kg、重たいもので150kgあります。私も10年くらい前までは担いでもらって毎日通っていたんですが、腰を痛める人も少なくなかったように思って、現実的には、やはり気軽にできる、抵抗感なくできる普通と同じ感覚でという意味では、やはりエレベーターが基本的には必要だと思います。私も一時期昇降機を使っていましたが、本当に怖くて、事故になりそうなことが何遍もありました。移動の権利というのは、とても大事だと思います。
もう一点先生にお伺いしたいんですが、駅員の嫌がらせや悪口、裁判では認められた部分と認められていない部分があるわけですが、嫌がらせ、悪口というのは、差別に当たるかどうかということをお伺いしたいと思います。
○棟居部会長 今のを確認すると、幾つもハラスメントがあって、そのうちの2つだけ認めたんですね。残りは認めなかったと、これはなぜかという。
○太田委員 先生がそういう悪口とか嫌がらせとかハラスメント自体を差別と思いますかということです。
○棟居部会長 ありがとうございました。悪口等自体を差別とお考えかということですね。
○太田委員 はい。
○池田氏 悪口一般というよりも、彼が車椅子で乗ってきたこと自体に対する不快感を駅員は示したわけですね。ですから、それは、まさに障害そのものに向けられた悪口なので、それはやはり差別だと思います。
○棟居部会長 つまり、太田さんは、関西弁なので、悪口というニュアンスを強く受けられたかもしれませんけれども、これは冷静に言葉を分析すると、個人に対する悪口というよりは、障害者を、まさに社会的障壁を設けて排除するという、そっちが強いんだというふうに法律構成をされたということだったと思います。
大阪でというか、これもまたよけいなことでしょうけれども、割ときついやりとりは普通にあったりするので、ただ、それが障害と絡んでいるというところで差別だと。
○池田氏 確かに、あほ、ばか論争というのがあって、言葉はきつくても、そんなに悪意がないということは確かにあるんです。そういう意味では、その場のニュアンスで理解すべきでしょうけれども、彼はまさに自分がそういう車椅子を乗ってここにいること自体に向けられたという、そこで不快感、屈辱を覚えたということなので、それはやはり我々が受けとめるべきだというふうに思いました。
○太田委員 ありがとうございました。
○棟居部会長 ほかにいかがでしょうか。
伊東副部会長、お願いします。
○伊東副部会長 ご質問も含めておうかがいしたい。第1点は、善意を期待し、お願いして差別の解消をしていただくということであってはならないのではないでしょうか。善意に依存することで物事が可能になるという状態は、やはり差別が解消されていないという状態であると思います。
第2点は、私も10年ほど前にしばらく車椅子で動いていたことがありますが、例えば、新幹線を利用するのに、突然に駅に行きますと、駅サイドから大抵の場合、苦情を言われる。事前予約なしに急に来られると困ると、常に言われました。
今も変わりないと思いますが、東京駅で新幹線に乗る場合、2日前までに駅長室に連絡をして、そして、「切符を買って1時間前に待合室に来なさい、丸の内側の南口の専用の待合室で待つように」と言われます。そして30分ぐらい待たされたあと、駅員さんが来て移動を開始します。
これが「合理的配慮」に入るのか、あるいはこの状況がなおも差別の範囲なのか。多分、現実の場面でこのような、合理的配慮なのか、なおも差別なのか、判断に困難する場面が結構出てくると思います。
○池田氏 だんだん難しい問題になっているように思います。彼も、特に苦情としては言っていないけれども、やはり自分の最寄り駅で乗るときは、どこで降りるんだということを聞かれて、降りる駅でちゃんとスロープのようなものを用意して乗る車両も一番後ろの車両に乗ってくださいということで、目的地に来ると、一番後ろのホームでスロープを持って待ってくれているんですね。そういう意味では、スムーズに移動はできるけれども、では、途中で行き先を変えたらどうするんでしょうか、「あなた言っていたところで待っていたのに」と言われても困るわけで、目的地が変わったんだったら連絡すれば済むというようなことで折り合いを付けなければいけないのか、あるいはいつでも降るときに、駅員に言えば、すぐ用意してくれるようにすればいいじゃないかと、そこの個別の場面で、車椅子の側も何らかの協力は必要だという声は、恐らく社会の側からは出てくると思います。
そのときに、では、どこまでだったら、今の社会との折り合いを付けられるかと、それはちゃんと支援者なり、アドバイザーが付いた上で、一つひとつ解決していくことかなと思いました。
それで、池原さんが、ある場面でそういう問題が起きても、それまでにちゃんとやっておくシステムを取っておけば、こういう事態は起きなかったではないか、財政の問題もそうなんですが、そこを考えると、では、この場合はやむを得ないけれども、では、もっと鉄道会社は、そういう人が日常的にどこでも降りられるようにするためには、どんなシステムを取るべきだったのかということは、すぐに議論してそういうことが再発しないような体制を取るというか、そういう社会を前進させていく、責任追及よりも前進させていく事例をヒヤリハットのような形で教訓化していくということこそ有益かなという気がしました。
○棟居部会長 ありがとうございました。ほかに、御質問、いかがでしょう。
川島委員、お願いします。
○川島委員 ちょうど今のと関連して御質問なんですけれども、差別禁止法というものよりも、むしろ事前にいろいろと社会設計をインクルーシブな形にしていった方が効果的じゃないかというニュアンスのお話だったと思うんですけれども、我々がここで議論しているときに、差別禁止法にどこまで求めるのか、つまり、差別禁止法の機能と限界ですね。
そもそもないものねだりして、差別禁止法に何でも入れ込むということはできないと思うんですけれども、池田先生としては、差別禁止法はどこまでできて、限界というのは、どこら辺にあるのかというところを改めてちょっと教えていただければと思います。
○池田氏 ありがとうございます。今日の私の話の最後のところで、障害者基本法と差別禁止法と、これ2つそれぞれ重要な役割があるんだという整理を申し上げましたが、それの延長で言いますと、差別禁止法は、あくまで個別救済の1つのツールでしかないという限界があると思います。そこを幾らいろんな裁判が出ても、裁判上は、個別事件限りの規範力しかないんですね。その救済力も、社会全体に対する救済ではなくて、この件に限り、あなたは何ぼの損害賠償を認めますとか、あるいは差別是正の何らかの救済がされても、個別事件限りなので、それを社会全体でどう取り上げて改善していくかというのは、これは政策の問題になってくるんですね。
だから、個別の解決能力しかないという射程距離が狭いけれども、それは限界であると同時に、その人にとっては唯一の救済方法なんですね、当該被害者にとっては、だから、限界であるけれども、まず、それがないと、すべて政策に任せることになると、あなたの今の被害が救済できませんけれども、そのうち社会を変えていきますから、それまで我慢してくださいというのと一緒なんですよ。基本法は、いずれ達成に向けてステップアップしていくでしょうけれども、では、ステップアップしていくまで、今、被害を受けた人は、何も救済されないまま放っておいていいのかということなんですね。そこを考えると、やはり両方ないとだめだというふうに思います。
○棟居部会長 ありがとうございました。差別禁止法について、制定の意義をきれいにまとめていただいたと思います。
ということで、内容的にもいい節目になったと思いますので、本日、ちょうど時間もまいりました。これで、第3コーナーを終わらせていただきます。
ヒアリングに御協力いただきました、池田弁護士には、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
これで、本日の議事は終了しました。それでは、最後に、東室長から次回の予定等について御報告をいただきます。
○東室長 どうも御苦労様でした。次回、第8回になりますけれども、差別禁止部会は9月12日月曜日、14時から18時までの予定です。会場の都合で、次回は金曜日ではなく、月曜日ですので、お間違いのないようにお願いします。
それ以降は、第9回が10月14日、これは金曜日です。10回目が11月11日、11回目が12月9日、金曜日です。ということになりますが、次回は、一応、今日までの議論で総則的な部分を一当たりした、一巡したということになります。次回以降は、各論的な問題に移っていきたいと思っていますが、実は、欠格条項という問題がありまして、これはいろんな生活分野にわたって、いろんな面で資格制限があります。これと差別禁止法をどういうふうに考えていけばいいのかと、まだ、未整理の部分もあろうかと思いますけれども、これにつきましてヒアリングをして、皆さんとともに共通理解をしていきたいと思っています。
それと、まだ、お願いもしていないんですけれども、千葉県では差別禁止に関する条例ができて、もう何年になりますかね、あそこでは司法救済ということよりも、むしろ行政的な救済ということに力を置いて、かなりの事例が集積していると思うんですね。ですので、できれば、その状況などをここで報告していただければなと、今、思っている最中で、まだ具体的にお願いまではしておりませんので、次回にそれが実現できるかわかりませんが、そっちの方向で進めていければなと、今、思っている次第です。
以上です。
○棟居部会長 どうもありがとうございました。本日の差別禁止部会の概要につきまして、この後、記者会見において、私と東室長から説明させていただきます。
本日は、お忙しい中、お集まりいただき、誠にありがとうございました。
以上です。

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