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障がい者制度改革推進会議(第25回)
議事録

小川議長 定刻になりましたので、これより第25回「障がい者制度改革推進会議」を開会させていただきます。

本日の委員の出欠状況ですが、門川委員、遠藤オブザーバー、福島オブザーバーが御欠席、中島委員が13時55分ごろ御退席、堂本委員が遅れて御出席、その他の委員は御出席です。

会議の公開はこれまでと同様といたします。進行上の時間配分については、後ほど東室長より報告があります。本日の会議は17時までを予定しております。

それでは、これより先の進行については藤井議長代理、よろしくお願いいたします。

藤井議長代理 それでは、これから先は藤井が担当させていただきます。

今日この会議の状況をNHKの方で取材をしたいということで申出がありました。委員の方にはあらかじめメール等で了解を得ているつもりでございます。第1コーナーが終わるぐらいまでカメラが入るということでございますので、よろしくお願いいたします。

なお、傍聴等の方で写っては困るという方がもしいらっしゃれば、挙手またはその他の方法で御連絡してほしいんですが、よろしくお願いできますでしょうか。特に傍聴の方で困りますという方はいらっしゃいますか。では、そういうことで御了解をお願いします。

今日から山崎委員が復帰されましたので、どうぞよろしくお願いいたします。(拍手)

それでは、本日の会議の進め方につきまして、東担当室長より御提案をお願いいたします。

東室長 こんにちは。担当室の東です。今回も引き続きまして障害者基本法の改正をテーマとして取り上げていきます。いつものように15分の休憩を3回とることにして、4つのコーナーに分ける予定です。

第1のコーナーは70分ぐらいの予定で、障害者基本法の改正の中で特に「障害者」「障害」の定義について議論していただきます。

第2のコーナーは50分ほどの予定で、基本法改正の中で特に住宅、文化・スポーツ、相談の3つの分野にわたりまして、規定ぶりイメージを基に議論していただきます。

第3のコーナーは40分ほどを予定しております。ここでは特別支援教育の在り方に関する特別委員会の検討状況について文部科学省から説明をいただいた後、議論ということになります。

最後に第4コーナーは25分の予定で、報告と質疑を行うことになっております。

本日の予定は大体以上のとおりです。

藤井議長代理 それでは、午後2時15分を目途にして第1コーナーを進めてまいります。第1コーナーは今もお話がありましたように、障害者基本法の改正の中の「障害」並びに「障害者」の定義についてであります。これまでの議論の整理をまず冒頭に東室長よりお願いいたします。

東室長 担当室の東です。これまで「障害」もしくは「障害者」の定義に関して、いろいろと御議論をしていただいております。今回はこの定義を議論するに当たっての総論的な共通認識といいますか、基本的な点について議論する前提を少し整理したいと考えております。その上で具体的に定義をどう考えていくかという、各論的なものにしていきたいと思っています。資料1ということで用意しております。これに基づいて御説明をしていきたいと思います。

まず問題の出発点ということで書かせていただいております。現行基本法は「障害者とは」ということで「身体障害、知的障害又は精神障害(以下「障害」と総称する。)があるため、継続的に日常生活または社会生活に相当な制限を受ける者をいう」という書きぶりになっております。ここでこの条文は生活上の制限の原因を身体障害、知的障害、精神障害に一方的に求めている。一方的な構造になっているわけです。ここがまさしく医学モデルであると言われるゆえんであると考えております。ですから、これを社会モデルの視点、特に社会との関わりという観点からどう書き換えていくかが、問題点の出発点であると思います。

社会参加に相当な制限を受けるという文言があれば、社会モデル的な書きぶりではないのかという議論もありますけれども、一番のポイントはそれらの社会的不利が何によって生じるのか。ここが医学モデルか社会モデルかの分岐になる点だと思っております。

その上で改めて定義をつくる場合の考慮すべき視点で、どういうものがあるかということで書かせていただいております。まず障害者基本法上の定義は基本法だけで終わるという性質のものではありません。基本法が各関係法律のトップにあるという関係がある以上、個別的な法律における定義とどう関係があるのかということを、押さえておく必要があると思います。それにつきましては当然皆様も御理解されているように、基本法の定義が個別関係法の定義を包括する関係にあるべきだろうということです。したがって、関係の個別法が基本法をはみ出すことについては問題があろうかと考えております。

関係の個別法がその目的に従って、基本法の中の一部の障害者を対象にすることは論理的にあり得る話ではありますけれども、逆に超えてしまうというのは基本的には問題だろうというところです。ただし、特定の場合にはそうは言っても、この法律においてはこれこれを障害と見なすという形で、基本法を超えた形で取り組むというやり方もあり得ないわけではないと考えております。特にここで問題になるのは、差別禁止法の中における障害の問題です。現に障害があると認められる場合だけではなくて、過去にそういう履歴があったという過去の障害、将来においてそういう障害が発生するかもしれないという将来の障害、もしくは過去、現在、未来において障害はないんだけれども、周りから障害があると見なされているような状態。特に見なされるような場合には客観的には障害ではないわけですが、そういう場合にも差別を受けるおそれがあるということで、差別禁止法の中ではそれを取り組む必要性がある場合もあります。

ですので、基本法をどの範囲でつくるかということの関連で、差別禁止法でどういう規定ぶりを使うかがある意味決まってくるのかなと思っています。

次に「障害」と「障害者」を分けるというやり方で、これまで条文イメージないし規定ぶりイメージを提案してきておりますけれども、実は現行法も「障害者とは」という形で1つの文章で書いてありますが、中身的に言うと先ほど言いましたように「身体障害、知的障害又は精神障害(以下「障害」と総称する。)」と書いてありますので、実質的に言うと現行基本法でも障害とは何である、障害者とは何であるという2つの構成になっているわけです。

あと一つは、障害者基本法の中でも「障害者」と「障害」を切り分けて書いている部分がありますし、関係各法律の中でもそういうふうに分けて書いてあるところがあります。ですので「障害」と「障害者」を分けて書くといいますか、独自の要素として規定する必要はあるだろうと考えております。

そういうことを前提に、どういう言葉を使って定義を書いていくかについての総論的な話ですけれども、定義というものはそれに該当するものとしないものを峻別するという機能があります。ですので、そこで使うべき言葉というのは、なるたけ明確であることが一般的に求められます。書いてある文言自体の内容が不明確であれば、それに該当するのかしないのかという判断が非常に困難になるわけです。そういう意味で文言の明確性がまず必要になる。

次に文言の周知性ということで書かせていただきました。やはり法律は一般国民がその時代において使われている言葉で、誰でもわかり得るものでなければならないという観点から、その言葉が余りにも新規なものであったり、一般の人には理解が遠い存在であるという場合には適しないだろうと思っております。ある程度社会に周知された言葉を使う方が、よりわかりやすい法律ができると言えるかと思います。

3番目に文言の客観性ということで書いておりますけれども、その言葉自体が客観的にその言葉に当たるかどうかということが、判断できないような言葉もあるわけです。例えば現行法で言うと「継続的」とか「相当な」という言葉がありますけれども、何をもって継続的と言うのか、誰かが評価をする必要性が生じてくる言葉もあるわけです。「相当な」も相当であるかどうかという一定の評価を下す必要があるわけです。そういう意味で客観的に一義的に決まらない言葉というものがあるわけです。そういうものはできるだけ定義の中で使う言葉としては、避けたいというのが基本だろうと思います。ただ、現行基本法でもあるように、そうは言っても使わざるを得ない側面もあります。ですからここら辺のバランスをどうするのかということも、考えていただきたいと思っているところです。

次に定義の仕方と範囲の広狭ということで書いております。定義の中ではいろんな言葉を組み合わせて定義をつくっている場合があります。単独の言葉だけで書かれている場合には、その言葉がどうなのかというだけの解釈になりますけれども、複数の言葉をつなげて書く場合に、そのつなぎ方いかんによって範囲が全く異なることがあるわけです。その問題について書いております。

定義は一般的に言いますと、この法律において●とは「なになに」であるという書き方がされておりますけれども、その「なになに」に当たる部分にどれだけの言葉をつないでいくかという観点から考えた場合に、パターンの1としては単独の要件だけで済ませるパターンがあるかと思います。

例えば「障害とは心身機能の損傷である」といった場合に、ある意味では明確でわかりやすいシンプルな定義になっているわけです。しかしながら、シンプルであれば逆にこれ以外のものは入らないということでいいのか。これだけで全部を吸収できるのか、包含し得るのかという観点からの議論が必要になります。

パターンの2としては、複数の要件に該当することを求める場合があります。例えば●=Aであって、かつBであって、かつ云々というパターンがあります。例えば「障害とは心身機能に損傷があり、社会的障壁との相互作用により、諸生活上の制限を受ける状態である」と書いてあったとします。この場合は細かく言えばいろんなものがつながっているわけですけれども、大きく言うと2つの要件でなっているわけです。1つは心身機能に損傷があること、かつ、Bとしては社会的障壁との相互作用により、諸生活上の制限を受ける状態。だからこれはAであって、かつ、Bである。AとBが重なり合う部分だけが障害という形になるわけです。しかし、こういう書き方にした場合に、機能障害だけがあっても障害とはならないという書きぶりになってくるわけです。狭くするつなぎ方なんです。そういう場合に機能障害があるだけでは障害とはならないという結果になるけれども、それでいいのかということを議論していただきたい。

例えばADA上の障害の1つとしてこういうものがあります。1つ以上の主要な生活活動を実質的に制約する心身のインペアメントという書きぶりになっています。これは単に心身のインペアメントがあるだけではだめなんだと言っているわけです。何が加わるかというと、そのインペアメントの中でそれが1つ以上の主要な生活活動を実質的に制約するものだという限定が加わっているわけです。こういう限定、特に実質的にという点でアメリカの判例は非常に限定的な解釈をしたために、障害と認められる人たちがすごく少なくなって、裁判所で裁判するときの原告適格と言いますけれども、裁判の本体に入る前に訴える利益がないということで蹴られてしまうことが多々発生したわけです。これを反省して2008年にADAを改正する、ADAの趣旨を復活するという改正法案が出されたわけです。ですから、この「かつ」という言葉で結ばれている場合に、どうなるのか、言葉を吟味してほしいということです。

それとは全く逆のパターンがあります。パターンの3ということで書いております。これは●=AまたはBまたは云々という形でつなげていく場合です。この場合はAに該当する場合にも定義に当たるし、Bに該当する場合にも定義に当たるという形で、範囲としては一番広くなります。例えば佐藤先生の提案をちょっと利用して例をつくってみたんですが「障害とは、機能障害、活動制限、または参加制約の総称」と書いた場合に、このつなぎ方というのは「または」というつなぎ方なんです。この場合に範囲はすごく広くなりますけれども、逆に言えば例えばAがなくてもBだけでいいのかという問題があります。機能障害がなくても参加制約があればいいのか。こういうつなぎ方だと、それでいいということになります。

しかし、参加制約を受けるのは障害者だけではありません。例えば人種差別とか女性差別という形で参加制約を受ける場合も世の中には多々あるわけです。ですから、こういうふうに一番広くはなりますけれども、ほかの要件がないまま他の要件だけでちゃんと表現できるのか。こういうことを総論としては考えなければならないと思っております。

最後に「障害」もしくは「障害者」の定義を今、問題にしておりますけれども、最終的には障害者がどういう人であるのかを決めないといけない。そうすると「障害」も「障害者」の定義の内容になりますので、人を決めていくという観点から、それに合ったものとして表現していくことが求められるわけです。属人的な要素として書いております。

ちょっと矛盾した言い方かもしれませんけれども、社会モデルの視点から言うと「障害」はその人の中にあるのではなくて、外にあるんだという言い方をします。しかし、外部的な制約そのものを今度は「障害者」の中に入れてしまうと、「障害者」というのは人を表すものでなければなりませんので、制約自体が人の要素の中に入ってくると変な感じになってしまうわけです。人はやはり外部とは違う存在なわけですから、外部的な制約自体がその人だという話になると非常にわかりづらいといいますか、問題があります。ですから外部的制約の話を入れるにしても、そういう状況の影響を受けやすい立場にある人という観点から、書きぶりも考えていかなければならないのではないかと考えております。

以上が大体総論的な話なんですが、ここまでで何か質問とか御意見があれば伺いたいんですけれども、総論的な、抽象的な話ですので、発言の前提にしておいていただければと思っておるところです。

藤井議長代理 これは基本法の論議の第2次意見に当たりますけれども、大分大詰めであります。恐らく今、言われましたように「障害」及び「障害者」の定義の大きな議論は今日が最後になってくるのではないかと思います。議論は少し区分けをして、今、東室長の問題整理、考え方の基本が出されました。これに関してもし質問があれば出していただいて、この後に佐藤委員からもペーパーが出ていますので、いよいよ規定ぶりイメージに入る前の段階での議論をここでしていこうと思うんですが、今の東室長のお話に関して意見、質問があったらいかがでしょうか。土本さんからイエローカードが出ています。

土本委員 土本です。最初に書かれていることなんですけれども「一方的因果構造」が読み込めない状況で、出発点からつまずいています。

藤井議長代理 今日の話は難しいことが多かったですから、今の一方的因果構造の解説をお願いします。

東室長 ごめんなさい。難しい言葉を使ってしまいました。簡単に言うと身体障害、知的障害、精神障害があるから、いろんな大変な目に遭うんだと障害者基本法は書いてあるんです。だから障害者が社会的に大変な目に遭うのは、あなた方個人の中に身体障害、精神障害、知的障害というものがあるからそうなるんだと、原因を個々人の内部的な問題、一方的にそこだけに原因を求めているという構造になっているということなんです。そういう意味として使わせていただきました。土本さん、それでようございますか。

土本委員 はい。

藤井議長代理 今の説明のとおりでいいと思うんだけれども、土本さんたちが就職できにくいということがありますね。例えば企業の方が知的障害という名前を聞いただけで、うちはお断りしますということがあるでしょう。だから本当は外部、表側にたくさん問題があるんだけれども、今の東さんの説明のとおり、この書き方だと本人の中だけに問題があるのではないかというイメージにしてしまうということで、それを一方的。社会あるいは本人を取り巻いている表側の問題と、両方本当はあるのではないかと思っているんだけれども、今の書きぶりではそれがそうなっていないという感じなんです。いいですか。難しい問題はまた質問してください。

佐藤委員、お願いします。

佐藤委員 日本社会事業大学の佐藤久夫です。どうもありがとうございます。1点は見なし規定ということで各個別の法律で基本法には書かれていないけれども、こういうものも障害者に含めるということで、差別禁止法の場合の先ほど東室長が言われたような過去の障害とか、本当はないのに見なされた障害とか、そういうものを差別禁止法の中に書き込むことは適切なことなのではないかと思います。基本法の中に全部書こうとするとごちゃごちゃになってしまうので、今の例のような特殊な場合については各則に任せることがいいのかなと思います。

2ページのパターン3でAまたはBまたはという場合なんですけれども、私が提出させていただいている案の中では「身体的又は精神的な機能障害(構造障害を含む)、およびその機能障害と社会におけるさまざまな障壁との相互作用により生じた、日常生活又は社会生活における相当な制限」にしているので、「または」という表現を使っても、例えば外国人で日本語がしゃべれないために就職がうまくいかないという、機能障害とは関係ない参加の障害については、排除することは十分可能なのではないか。

したがって、機能障害が全くない日常生活や社会生活の制限というのは含まれないので、AまたはBという表現ともちょっと違う表現なのかなと思います。

東室長 その議論は後でしていただきたいと思っていたんです。ここでは典型例としてこう書いた場合はこうなるのではないかという、説明の道具として先生の書かれた中から同じ言葉をピックアップして書いただけの話ですので、そこは1つの例として考えていただければというところです。

藤井議長代理 つまり、ある部分をピックアップさせてもらって、文例として一部使ったということなので、本質問題はもう一回また議論します。

佐藤委員 わかりました。

藤井議長代理 ほかにまず単純な、あるいは議論をしていく上で必要な質問、意見があったら前段いかがですか。この後に本論の議論をします。関口委員、どうぞ。

関口委員 「障害」及び「障害者」の定義も必要だと思うんですけれども、基本法の中に障害者差別禁止法の種をまいておくという意味で、基本法の中に障害に基づく差別の定義を入れるべきだと私は考えているんですが、いかがでしょうか。

藤井議長代理 その件は東さん、「障害」及び「障害者」とは別に、幾つかの定義の中の1つに差別というのはいかがですか。

東室長 その点は議論すべき点だと思いますけれども、今の場面での議論ではないので後にしていただければと思います。

藤井議長代理 関口さん、定義は多分幾つかほかにもあるかもわかりません。今日この場では最も根幹になる「障害」または「障害者」を議論しようということなので、いいですか。

ほかにいかがでしょうか。なければ議論に入ってまいりますけれども、この議論はこれまでも何回かあって、同時にこれは言わずもがなですが、制度の谷間をつくらないことを含めて、権利条約の前文のe項あるいは目的条項の後段の部分も想起しながら、議論をしていこうと思います。

東室長 担当室の東です。各論のポイントとして4つぐらい挙げております。ポイントの1番目は「障害」、「障害者」それぞれにどういうものを盛り込むかという点でして、まず「障害」を機能障害と定義するか、それとも機能障害に加えて社会モデルの考え方を反映させるか、この2つのやり方があるわけですが、「障害」を機能障害と定義して、障害者に社会モデルの考え方を反映させたものとを定義した場合には、権利条約やICFなどの国際的な傾向と、障害の表記がどうなのかという問題が片方であります。

反面として「障害」を機能障害に加えて、社会モデルの考え方を反映させたものにした場合に、例えば次の点をどう考えるかという問題点があると思います。

1つは「障害を理由とする差別」という表現を前提に考えると「『日常生活又は社会生活に制限を受けていること』を理由とする差別」という意味になるわけです。要するに外部的な制限があることを理由に、また差別という制限を受けるという同義反復になるおそれはないのかという点です。

「『日常生活又は社会生活に制限を受けていること』の種類」という意味になって、障害の種類とか程度とかいう場合に社会モデル的な要素を使った場合に、これまでの使い方とは違った意味が出てくることになるわけです。これまでの各関係法の中で障害の種類と言う場合には、専ら機能障害別に分けられた種類のことを意味していたわけです。それががらっと基本法だけで変わってしまうことになっても、それはそれでいいのかどうなのか。逆にそうあるべきだということもあるでしょうけれども、そういう点を議論していただきたいということです。

ポイント2は、現行法は「身体障害、知的障害又は精神障害」とありますけれども、これを規定ぶりでは「その他の心身機能の損傷」というものも加えているわけですが、こういうふうに例示規定としてどの程度のものにすべきかということがあります。

まず感覚的な機能障害というものを付け加えるべきだという意見がありますが、この点については従来は身体障害の中に含めて考えられてきたこととの整合性を、どう考えるのかということです。それと推進会議の意見としては「身体障害」という表現ではなくて、「身体的」という言葉をつけるべきだという御意見とか、最もシンプルにするために知的障害というものはこれまで独自のものとして書いてありましたけれども、本来的に言うと精神障害に入るという理解の下で言えば、身体障害、精神障害と2つの例示に限るべきだという意見もございます。

ですから、制度の谷間をなくさないという目的から見て、包括的に書くべきだという意見と、それはそうだけれども、ある程度の例示は必要だという意見と、どこでどう折り合えるかという点を議論していただきたい。

ポイント3としては先ほども言いましたけれども「継続的」という言葉と「相当な」という文言が要るのかどうかということです。「継続的」というのはこれまで短期間で治ってしまうようなものは省く。「相当な」は一定継続しても極めて軽微なものは省いた方がいいだろうということで、2つの言葉を使っているわけですが、例えば継続的という中に「周期的」もしくは「断続的」に生じる場合はどうなのか。そこが「継続的」で省かれるのか、逆に含み得るのか、そういう点が議論のポイントになるかと思います。

更にポイント4で「社会における様々な障壁との相互作用」という言葉を規定ぶりでは使っておりますけれども、「障壁」と言った場合にどういうものを指すのか。やはりその言葉が一定の内容を持つものとして理解されなければならないわけです。ですから、その具体的な意味するものは何なのか、そこから翻って内容を適切に表現する文言としては「障壁」がいいのか、もっとほかの言葉があるのかという議論が要るのではないかと思っています。

「相互作用」という言葉は余り日常的な用語ではないと思います。物理学とかそういう面では当たり前の言葉になるのかもしれませんけれども、なかなか一般に理解にあるのかどうなのかというところがあります。ですから「関わり」という言葉で表現できるのではないかとか、そこら辺の議論を少ししていただければと思います。

以上です。

藤井議長代理 4つの論点、これ以外でも委員の中であるかもしれませんが、少なくとも4つについてはかなり深めておく必要がある点だと思います。

それでは、残り時間で議論をしてまいりたいんですけれども、ペーパーが出ていますのが佐藤委員でありますので、そこから始めましょうか。佐藤委員、よろしいですか。

佐藤委員 ありがとうございます。資料で2枚ほど書かせていただいたんですけれども、私は「障害」の定義と「障害者」の定義を分けて、「障害者」の定義というのは「前項の障害を有する者を意味する」というくらいにして、非常に単純な構造にしたらどうかと思っています。

<1>と<2>の大きな2つの案があるということで整理をさせていただきましたけれども、<2>の「障害者」というのを機能障害レベルと日常生活や社会生活レベルの障害と、3つのレベルからなる生活機能の困難という、ICFの考え方で整理をするのが適当ではないかと思います。ただ、ICFの言葉をそのまま使うのか、それとも我々に耳慣れている日常生活または社会生活というような表現でも、ほぼ尽きるのかなと思いますので、それも選択肢にある。いずれにしろ「この法律において障害とは、身体的又は精神的な機能障害(構造障害を含む)、およびその機能障害と社会生活におけるさまざまな障壁との相互作用により生じた、日常生活又は社会生活における相当な制限を意味する」という表現が適当なのかなと思います。

「相当な制限」ということに関しては異論も出ていて、今日の提案の中で「相当な」というのも外して「継続的又は断続的な日常生活又は社会生活における制限」という表現でもいいのかなとも思います。

今の4点のポイントの中で、幾つか気がついた点がありますので補足をさせていただきますと、ポイント1の同義反復になるおそれがないかということですけれども、実態として機能障害を理由にして差別を受けることは勿論あるわけですが、それ以外に機能障害を理由にした差別が起こって、その差別を理由にした次の差別ということがあり得るので、差別の理由となる障害は機能障害だけだと言うことは、不十分なのではないかと思います。

例えば大学などで授業料免除のような支援を設けているような場合があって、この授業料免除を受けるに当たっては、これこれの試験に合格しなければいけないだとか、こういう成績をあげなければいけないとか幾つか条件を設けて、くじ引きではなくてそういう条件の下で特定の人に支援をすることがあるとします。そういう試験の合格だとか何かのハードルをクリアーするような、そのもの自体が障害者には利用しにくいものである場合があって、そうなると障害を理由とする差別の中に最初の障害を理由とする差別も含めておかないと、まずいのではないかなという感じがあります。

障害の種類などという表現以上に慣れている表現というのは、機能障害という意味で使ってきているので、そういう習慣と矛盾をして混乱するのではないかというのがポイント1の中の問題提起になっています。しかし、この権利条約が示した障害の見方というのが、いずれにしろ今まで考えられていたよりも障害という現象が複雑な現象なんだということを、世界の人々が理解しましょうというのが権利条約なんだろうと私は思います。

目が見えない、手足が麻痺していることが障害だ、障害の種類、障害の程度というのはそのことについての種類であり程度なんだという、そういう理解の仕方を乗り越えて、機能障害と障害の区別もしましょう。新しい障害の考え方の発生過程における障壁の役割なども含めて、苦労だけれども、複雑なんだから単純に理解しようとしないで、複雑なものをできるだけ理解しようと、「障害」という言葉でいろんなものを含めていたけれども、心身機能の障害と日常生活の障害と社会生活上の不利益を分けて考えましょうという、そこにおける環境の役割もきちんと理解しましょうというものを、障害者権利条約が提起しているのであるから、単純な発想と矛盾するということで単純なままでいこうというのは、後ろ向きな考え方ではないか。単純な医学モデルも単純な社会モデルもうまくいかないということで、この辺を、しかしできるだけわかりやすい言葉を使って示すようにしましょう。

例えば職業上の障害とか対人関係上の障害だとか、心身機能の障害とはまた違った次元の障害というのを我々は理解しないといけないわけで、そういう発想をしようということかと思います。

ポイント4で「関わり」という言葉の方が日常的になじみやすいので、これを使うということも1つ有力な案かなと思います。しかし「障壁」とか「相互作用」という内容をもう少し具体的に表せないかということなんですけれども、それは非常に難しく困難ではないか。障壁の内容だとか障害を発生させる過程でどういう影響を持っているかということは非常に個別性が高くて、なかなか一般的な形でそれを描き出すことは難しいだろうと思います。

例えば重度の意識障害、いわゆる植物状態と言われているような状態の人が働けない、就職に参加できないということがあります。これは明確な参加の障害ではあります。しかし、環境がどんなによくても本人の意識が全くない状況の中で、その人が働くことがまず不可能だろうということを考えれば、その場合の参加の障害には心身機能の障害がほぼ100%責任を持っている。環境が改善されても改善されないようなことではないか。

逆に車いすに乗っているというだけで、どこに就職しようとしても就職できないということは、専らほとんど環境の無理解とかアクセスの不足という環境が、専ら責任を持つべきことであろう。ですから、機能障害と環境の関係というのは非常に個別の例で多様な関係があって、いずれにしろ参加が困難になっているということなので、これを単純にわかりやすく具体的に示すということは至難の業ではないかと思います。

以上です。

藤井議長代理 関口委員、どうぞ。

関口委員 11月7日に私はこの定義案を送っていて、大分遅くなってしまって申し訳ないんですけれども、まず「この法律において」というのは基本法だから取った方がいいだろうというのがまず私の意見です。

主に「障害」と「障害者」及び「障害に基づく差別」という3段階でできていまして、「障害」は「障害とは身体的、精神的、知的、感情的状態が疾病、損傷その他事情に伴い、そのときどきの社会的環境との関係において、日常生活又は人々との社会関係(態度を含む)に相当な制限を受ける程度の状態をいう」、「障害者とは前項の障害を有する者をいう」ということで、特徴としてはバリアーとか何かを考えないで、相当な制限を受ける程度の状態を言うということでもって、この制限というのは当然自分の身体機能とかそういうものに基づく制限もあるだろうし、社会からの制限もあるだろうし、両方入るということです。

次に「継続的」を抜かしているというのは、「相当な」に全部ぶち込んでしまえという考え方です。総合福祉法などのような給付法においては一定程度の「この法律における障害者とは」でもって、それこそ給付を受ける障害者を確定しなければいけないと思うんですけれども、基本法においては「相当な制限を受ける程度の状態をいう」ということでもって問題はないのではないか。

インペアメントは機能障害と訳していますけれども、これが疾病を含むのか含まないのかはっきりしないので、それだったら「疾病、損傷その他事情に伴い」ということでもって全部入れてしまう。こうすれば難病も何ら問題ないということで考えました。

以上です。

藤井議長代理 新谷委員、どうぞ。

新谷委員 まず1点目は権利条約が「障害」については深入りしないで、「障害者」の方に深入りしたという工夫は十分考える必要があると思います。「障害」の中に入ってしまうと議論が非常に複雑になる。また同義反復が繰り返されるという意味で、障害者権利条約は「障害者は何々機能の障害を持つ」という形で、かなり工夫した書き方をしているということは押さえておく必要があると思います。

2つ目の論点は、結論的には佐藤先生と同じようなことになるんですけれども「参加の障害」とか「活動の制約」は決して障害者だけに起こる問題ではないということは、押さえておく必要があると思います。老齢の人だって疾病の人だって、参加活動の制約はあるわけです。社会モデル的な制約というのは決して障害者だけに起こるのではなくて、高齢者、疾病者、極端なことを言えばお子さんにだって起こっていることがあるわけです。そういう意味で障害を議論する機能的な役割というのは、疾病とか老齢問題と障害の問題とは別なんだということを、はっきりさせる機能的な役割が非常に大切だと思うんです。

疾病については日本の制度は医療保険制度が大きくそれをカバーしています。老齢については介護保険制度がカバーしている。それに対して障害者については大体の場合基本的に全部税金でカバーするような施策で、保険制度ではなくて施策でカバーしているという面があるわけです。そういうところで「障害者」とか「障害」の定義をしていく一番の大きなメリットというのは、老齢問題は別の制度でカバーしてください、病気の問題は別の制度でカバーしてください、それとは変わる障害特有のコアな領域は障害者の制度でカバーしていくということを、明確にする点にあると思うんです。そういう意味では言い方としては障害は「機能障害」と言うと同義反復になってしまいますので、「機能損傷」の方が同義反復を避ける意味ではいいのかもわかりませんけれども、機能損傷を起点にして、それと老齢、疾病と切り分ける縛りが「相当な制限」とか「長期にわたる制限」とか、そういう縛りをかけて疾病、老齢の問題と切り分けることをやっているのではないかと思います。

そういう意味で最終的には、担当室からいただいたモデルの第2モデル的なことに結論的にはなるのかもわかりませんが、持っている機能は個別法との関連においてきちんとここで了解しておく必要があるのではないかと思います。

以上です。

藤井議長代理 かなり基本的な財政根拠にも影響を及ぼせるような、本質問題もありました。久松委員、どうぞ。

久松委員 久松です。佐藤先生にお聞きしたいことがあります。東室長から「かつ」と「または」ということの御説明があったので、この文は理解できるようになりましたが、佐藤先生の文章に更には「および」という言葉が入っております。先ほど藤井さんが制度の谷間をなくすという考え方で話をなさいました。具体的な例で読んだとき「障害」という言葉に入るのか入らないのかを考えるというのはとても大切だと思います。2つの事例で入るのか入らないのかお聞きしたいことがあります。

1点目は味覚障害を持つ人が、料理の学校に入ることを拒まれた。味覚障害のために料理の仕事ができなかった。このようなケースの場合に、この定義で「障害」または「障害のために差別を受けた」という言い方ができるのかどうか。

2つ目は色弱、色盲の方が美術の学校あるいは医学部に入ることを拒まれた。そのためにデザインの仕事ができない。仕事に入ることを拒まれた。医者になることを拒まれた。このようなケースはこの定義の対象外なのか含まれるのか。どのように見たら良いのか教えていただければありがたいと思います。

以上です。

藤井議長代理 佐藤委員、今の2つの点でいかがでしょうか。

佐藤委員 大変難しい問題だと思いますけれども、基本法で議論するべきものというよりは、差別禁止法の障害者差別に当たるかどうかの議論だと思いますが、いずれの場合も心身機能の障害を理由にして入学を断ったことになるわけで、不利益になったことには間違いないわけですけれども、ただ、それは料理学校で味覚が失われている人に対して適切な、合理的な配慮が提供できる、味覚を補う工夫があるにもかかわらず、それを採用しようとしないで単純に入学拒否となった。色弱を補って何らかの形でデザイナーとしての道を歩める可能性があるのにもかかわらず、教育的な工夫その他の工夫をしないで断ったことになれば差別であろう。しかし、どんなに工夫をしたところで合理的な配慮がない、教育機関として十分な効果を、この人を入学させても提供できないということになれば、本人には申し訳ないけれども、それは差別とは言えないということになるのかなと思います。

障害者基本法はそういう人までも障害の中に含めてカバーをした「障害」、「障害者」の定義を設けておかないといけないかなと思います。

藤井議長代理 質問者の久松さん、いいですか。

久松委員 「かつ」で、2つを満たすということではなく、「そのどちらか一方が当てはまった場合には」という言い方の方が、例えば味覚障害者とか視覚障害者にとっては救われるのではないかなと思います。「または」として範囲を広げ、一般的に軽いと言われている障害者の救済を考えれば、制度の谷間の観点から対象になっていいのかなと思います。

以上です。

藤井議長代理 東さんからありますか。

東室長 東です。実は久松さんの質問は私も聞こうと思っていたところなんですが、先生が「および」と使われているのは「または」の意味なんでしょう。

佐藤委員 そうなんです。どうも法律上の正確な表現が思いつかなくて申し訳なかったと思います。

東室長 それを前提に確認したいわけですけれども、これを「または」と解するということは、例えば機能障害はあるんだが、社会的制限はないという場合にも「障害」ないし「障害者」に当たるという解釈でいいんでしょうか。

佐藤委員 はい。そうです。機能障害はあるけれども、周りの環境がよかったとか、いろんな要件で特に日常生活、社会生活上の支障はありませんという人も障害者ということです。

東室長 次の質問は「障害」の定義において「参加制約」もしくは2番の案では「制限を意味する」と結論部分で書かれておりますけれども、制限という言葉自体は体内的にあるものではなくて、外部から何かを受けるという意味ですね。参加制約とか活動制限自体が体内的なものというイメージというよりも、専ら外からの要素なんでしょう。それを障害者という中にそのまま持ち込むことはどうなんですか。「前項の障害を有する者を意味する」と書かれていますが、そういう相当な制限を有する者という形になるんですね。制限自体は個人の中そのものにあるわけではないわけですから、そこら辺の言葉遣いとしては先ほど総論の中の一番最後で言った部分なんですけれども、どうお考えですか。

佐藤委員 個人が持っている、個人の中にある、個人の属性としての機能障害と環境との相互作用との結果出てきている困難とか支障のことで、ですから内部なのか外なのかということを問われると、どちらでもない両方を考えましょう。日常生活や社会生活の支障は、中と外との絡み合いで出てくるものなんだという障害の理解にしましょうということですので、制限という言葉が専ら外からのものという印象を与えるのであれば、もう少し表現を支障とか困難という表現にした方がいいのかもしれません。

藤井議長代理 竹下委員、どうぞ。

竹下委員 結論から言えば、佐藤先生のおっしゃりたいことは理解できるような気もしますけれども、率直に言って結論的によくわかりません。多分聞いている方全体が今、佐藤先生の説明や、私は前もって文章も読みましたけれども、これで「障害」の定義が理解できると思った方は何人おられるでしょうか。

なぜかというと、先生がおっしゃるように障害というものをとらえるときにいろんな要素から複雑性があることは確かです。それをそのまま定義にしてしまったらよけい理解が困難になるだけのことなんです。要するに複雑であればあるほど、その内容を理解しやすくすることが求められていることは誰も異論はないはずです。それを全部を盛り込もうと無理をするから非常にわかりにくくなるというのが1点目です。

2点目には、今の議論を聞いていてどうも「障害」あるいは「障害者」の定義の部分と、差別禁止の部分を混同しているように思います。すなわち今は障害者基本法の定義を議論しているわけですから、法律から離れた定義は私は法律家として理解できないんです。あくまでも定義というのは、その法律においてどういう目的によってその法律が成り立つのかは、定義と離れて存在するはずがないんです。ですから当然のこととして差別禁止法における障害の定義と、障害者基本法における定義にずれが生じることは、法律的には何らおかしなことではないんです。

とりわけその典型例は、過去または将来における差別の対象となり得る身体的原因がそこに存在したとしても、それを障害者という定義で社会的な理解はできるでしょうか。私は不可能だと思うんです。それはあくまでも差別の対象としてそれらが意識されることは必要であるとしても、今、何らかの社会的支援を必要とする障害者に、過去の障害または将来における障害の発生が予測される遺伝的因子を持った人を、ここで障害者に定義づけることは無理があると思うんです。それが2点目です。

3点目には、これも議論を聞いていてよくわからないのは、確かに例示していくときに「身体障害、知的障害又は精神障害」と言うけれども、その例示が何のために必要かという議論があるはずです。私の理解は、例えば「その他心身の損傷」と言うけれども、普通は3つ例示があって「その他」と来る場合は、「その他」というのはその先に来る3つに相当するものでなければならないのです。例示するからには、例示とは無関係のものが「その他」に入ることは法律的にはあり得ないんです。例えば、高次機能障害や発達障害の方を、我々の今までの常識で、知的障害とか精神障害に押し込めることに無理があったからこそ、制度の谷間ができているはずです。そうであれば、例示が持つ意味の議論をもう少し丁寧にすべきだと思うんです。それが3点目です。

最後に、感覚障害をプラスするかどうかという議論にも重なると思うんですけれども、当然その定義というのはどういうサービス、どういう支援、どういう給付を目的にするかと結び付かないと意味がないと私は思うんです。ですから、私は感覚障害というものをそこに例示する場合には、感覚障害が何を意味するかということも重要な問題ではありますけれども、感覚障害ゆえにというか、感覚障害をそこに明確に定義する以上は、それに即した支援というものが意識されるからこそ感覚障害という枠組み、位置づけが必要になるはずなんです。そういうふうに整理をしてから例示部分を是非議論していただきたいと思います。

以上です。

藤井議長代理 今の竹下委員のおっしゃった1点目で対案はありますか。

竹下委員 私はわかりやすさから言うならば、定義である限りはごくシンプルに、「心身」という言葉はいいかどうか断定できないんですが、「心身の損傷」という言葉がトップに来るべきだと思うし、心身の障害に何をするかというのは法文そのものに入らなくても、それの付属文書で明らかにしていくことで十分だと思っています。

以上です。

藤井議長代理 今の意見に対して御意見があればいかがですか。長瀬委員、どうぞ。

長瀬委員 東京大学の長瀬です。ありがとうございます。

まず東室長から出していただいた整理、また、佐藤委員からの提案は考え方を整理する上で非常に役立つので感謝を申し上げたいと思います。

わかりやすさ、周知性という点、またはある面での論理性は今、竹下委員がおっしゃった点とも重なると思うのですが、その点からは1のイメージで、つまり障害の定義としていわゆるインペアメント、心身機能の損傷というのを定義して、障害の定義で社会モデル的な観点を入れるという方が、多分論理的には説明がしやすいのかなと思うのですけれども、今回の障害者の権利条約がパラダイムを変える、医学モデルから社会モデルに変えるという点を考えたときに、今の2のイメージ例、障害の定義自体に社会モデル的な観点を反映した方がパラダイムを変えていく。つまり今までの個人のさまざまな身体的な機能が知的なものを含めて、身体的な機能が損傷されている、だからさまざまな社会参加の機会を奪われて当然だという、考え方が本当に骨の髄まで私たちの社会は染み込んでいるのではないかと思います。

そこを一歩でも社会モデル的な理解に変えていく。そこが基本法の持つ最大の役割ではないかと思います。そう考えたときには確かに障害の定義がややこしくなる。それはおっしゃるとおりだと思うのですけれども、障害の定義自体の中に社会モデル的な観点を入れた方が、全体として今回の障害者の権利条約の批准に向けた基本法の、一番肝心な定義の部分の役割としてはふさわしいのではないかと思います。今、身体障害者福祉法を見ましても、例えば「すべての身体障害者は自ら進んでその障害を克服し」というような表現も、まさに医学モデルの極致ではないかと思うのですが、やはり私たちの体全体にそういう考え方が本当に染み込んでいると思います。そこをどうやって変えるのかを考えたときに、障害者の定義ではなくて、多分一番引用されることになるだろう障害の定義の部分で社会モデルを反映させた方が、結果として社会モデル的な社会的な理解につながるのではないかと思います。

そうした場合にどういう問題が生じるのかというのが、例えば障害を理由とする差別、その障害の定義の中にも差別的な考え方が含まれていることによって、障害を理由とする差別と言ったときに何がどうなるかわからない、同義反復という点は全くそのとおりだと思います。ただ、そこが逆にこの基本法の中で障害の定義の中に社会モデル的な観点を既に入れたということで、次のステップの差別禁止法のところで何か工夫することができないか。例えばこの障害を理由とする差別というのを、少し何か表現を変えるようなことはできないのかというのが1点です。

もう一点は例えば次の障害の種類という表現など、ここなんかも具体的に機能障害の種類という意味だと思いますので、そこはやはり表現を的確に機能障害の種類と変えていくことが、望ましいのではないかと思います。

ポイントの2つ目で挙げられている例示は本当に悩ましいところだと思います。例えば知的障害は本来やはり精神障害の1つの分野にしか過ぎないという、佐藤委員の昔からの持論も本当にそのとおりだと思います。ただ、従来知的障害が精神薄弱や精神遅滞という言葉があって精神のジャンルだったわけですけれども、そこから1つ知的障害という言葉に変わって、知的障害のある人に対するイメージが向上したということは、多分言葉を変えることによって私たちの認識が変わった1つのいい例だと思います。それを考えたときに、今の段階で知的障害は精神障害の1つのジャンルである、類型にしか過ぎないという論理に戻すのはいかがなものかなと思います。

ここは私も非常に迷っているところなのですけれども、では例えば発達障害という概念は発達障害者支援法がある現在で入れなくていいのか。そうした場合に例示が多くなってしまって、入らないものはどういうふうになってしまうのか。谷間を更につくってしまうのではないかという点は非常に悩ましいのですが、単に心身機能の損傷ということで身体障害、知的障害、精神障害がイメージしやすいのかと考えたときには、かえってしづらいのではないか。ですから、長くなってもそれは感覚障害を例えば含める方向で例示は逆に多くしていって、その際に例えば議論になっている発達障害なんかも入れる方向で検討した方が、谷間を少しでも埋めていく方向に多分貢献するのではないかと思っています。

本当に今の室長のポイントまたは佐藤委員の御提案から非常に学ぶところが多いのですけれども、全体としてはいかに社会モデル的な観点を基本の部分に据えていくかということから考えたときに、特に今の定義のところに関しては、これまたどちらにしても問題があると思いますけれども、2の方が機能としてはいいのではないかと思います。ありがとうございました。

藤井議長代理 尾上委員、どうぞ。

尾上委員 尾上です。どうもありがとうございます。ポイント2とポイント3に関わって発言させていただきます。

先ほど長瀬委員が言われた趣旨を別に否定する立場ではないんですけれども、現実に今までの法律で、現行の障害者基本法の規定ぶりそのままでは、逆に今までの制度の谷間を変えていこうという意思が、この基本法の議論からは見えてこないだろうと思うんです。

たしか心身障害者対策基本法と言われた時代は、私は今、条文を忘れていますが、9つぐらいの具体的な例えば肢体障害や視覚障害というのを、制限列挙的にどんどん挙げていっていたんだと思うんです。それをできるだけ包括的にということで今の「身体障害、知的障害又は精神障害」となってきたと理解をしています。

ただ、今の「身体障害、知的障害又は精神障害」という書きぶりの中に発達障害の人たちが含まれていない。つまり今の書きぶりに制度の谷間があるところに問題があるので、制限列挙的にまた繰り返していけば、もう一度百何十個制限列挙していくのかという話になっていくので、私どもは身体的障害、知的障害、精神的障害という「的」という言葉を入れているだけだと思われるかもわかりませんが、障害者権利条約に書かれている書きぶりを最大限生かすということで、今までの基本法の書きぶりとは違う、もう少し言えばここの「身体障害、知的障害又は精神障害」というもともとの基本法で指すのがイコールかどうかは別にして、ともすれば実体法で歴史のある、例えば身体障害者福祉法でいう障害者、知的障害者福祉法でいう障害者、精神保健福祉法でいう障害者ということが、そのまま串刺しのような形で「身体障害、知的障害又は精神障害」というふうに理解されてきたから、そういう串刺的なものではない包括的なものだということがわかるような書きぶりに少なくともしないと、単に制限列挙をまた増やしていけば、結局1970年にもう一度歴史を戻すようなことになってしまわないでしょうか。それが非常に気になる点であります。そういう意味で今の書きぶりよりも更に包括性、制度の谷間を埋める書きぶりにすべきだということが1点であります。

もう一点はポイント3ですけれども、ここはどういう文章にするかというのはまだ「継続的」なのか「相当な」なのかが議論の集約がされていませんが、少なくとも今までの書きぶりの中で気になるのは「継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限」という「継続的に」というのが文章の一番最初に来ているのも気になるところなんです。

例えば難病であったり精神障害であったり、周期というか変調がある。例えば調子がいいときはばりばり働いている。でも状態がきつくなってくると働けない。そういうことで就職差別で解雇されます。そして次に就職をしようとするとどんどん不安定な雇用環境に追い込まれていく。その不安定な雇用環境に追い込まれる状態自身は継続しているわけです。そういう意味で「日常生活または社会生活に継続的に相当な制限」というか、つまり「継続的」というのが制限のところにかかるべきであって、「継続的」が最初にどんとあることで、継続した一定の状態でずっと続いているみたいなことが印象としてあるのではないか。むしろ「継続的」というよりは、今回出されている「断続的」という言葉に置き換えるべきだということが1つと、もう一つはそれをどこに入れるかをもう少し議論をしたいところであります。

以上です。

藤井議長代理 北野委員、どうぞ。

北野委員 ありがとうございます。北野です。かなりいろんな議論が出尽くしておると思うんですけれども、私は竹下委員がおっしゃってくださったことの中で非常に大事なことがあると思うんです。それは障害者基本法の目的とか対象というものとの関係で、これをどう規定するかなんですけれども、恐らく目的というのは基本法ですから権利擁護を含めて各種の支援の必要性といいますか、すべての支援の必要性を含めた定義だと思うんです。

気になっているのは、この中で言うと1に障害を規定して、2で障害者というのは障害を有するものを意味するというこの規定ぶりなんですが、下手するとまた「障害を有する者」というところで属性的な物のとらえ方をされてしまうので、障害者というのは障害を持っている人のことではないかという場合も「有する」という表現を避けて、「障害者」という規定ですっきり一本化する方法も1つの方法ではないか。

あと、いわゆる心身機能の障害なのか損傷なのか、同じ言葉を避けるためにいろんな戦略を練るべきだと思いますけれども、これも竹下委員が非常にある意味で的確に言われたんですが、今後例えば「感覚的」とか「感覚障害」という表現を入れる理由はおっしゃるとおり、確かにこれまで定義の谷間というものがイコール制度とか支援の谷間になった。ですからコミュニケーション障害支援というものが非常に薄い社会の中では、「感覚的」という言葉が今後コミュニケーション障害支援を展開していく上で、大きな意味を持つという意味でこれを入れるということなら、逆に言うと尾上委員のおっしゃるように制限列挙してしまうと、その方の制度設計といいますか、仕組みや制度支援だけが進んで、また谷間の問題が出てくる。ここは非常に悩ましい問題をはらんでいる。ここはかなり的確な上手な表現を考えていかないと、問題がまた出てきますので。

藤井議長代理 北野委員、そこはどう思うんですか。そこまではみんなわかっているんです。だからどうするかという議論をしなければいけない。

北野委員 2つ考えられます。1つは「身体的・感覚的または精神的・知的な機能損傷あるいは機能障害」という表現にするか、全体を含めるような機能障害という表現にするか、どちらかなんだと思うんですけれども、その辺は御検討していただいて、あとは「相当な制限」とか「日常的及び断続的」については、私は「相当な制限」というのは本当に何を意味するのかということだと思うんです。ここはやはり私は権利擁護を含めて、各種の支援の必要性が将来的に大事な問題でありまして、「相当な制限」を表現するのは、つまり各種の支援を必要とするそういう人なんだと、明確に障害者の定義として各種の権利を含めて、各種の支援を必要とするものというふうに明確にされた方が、逆に東さんがおっしゃってくださっている人的要素なのか、外部的要素なのかという関係の問題を超えられる。

つまり相互作用というのは関係で、実際に障害者というのは関係における障害の問題ですから、そこは下手な表現をするとややこしいことになりますので、ここは属性的表現をやめて支援を必要とする者という表現で、明確に一本化されたらどうかなんて思っている次第であります。

以上です。

藤井議長代理 関口さん、どうぞ。

関口委員 繰り返すようですけれども、私のはパターン2のAかつBの方法をとっています。先ほどの発言でいらっときたのは、精神は病気なんだから医療保険でまかなっている、医療費でまかなっている。老人は介護保険。でも老人は例えば目が見えなくなってくるとか、あるいは足腰がなかなか立たなくなってくるというのは、これは障害者になっていくんだと思うんです。そのときに老人は違うんだ、病気は違うんだという話にはしてほしくないということが1つあります。

機能障害というのはICFには確かに出てくるんですけれども、実はICFをちゃんと読んでみますと、ページの下の方のところにICD10を併用すると書いてあるんです。つまりそれは精神障害の公式に日本で使われている分類法なんです。それを併用すると書いてあるんです。ですからICFで規定されるとは私は思っていなくて、ICFも併用すると書いてあるんだから、当然ICD10も併用するんだろうと思っているんです。

いろんな事情に伴って、そのときどきの社会的環境の関係においてというものでもって、社会的環境というのは例えば学校という環境、一般社会という環境など環境はいろいろあるわけです。その他事情というのは先ほど言ったように、加齢も伴えば当然のことながら発達障害などもその他事情に入るんです。疾病でも損傷でもないです。あるいは人格障害ももしかしたらその中に入るかもしれません。「生活または人々との社会関係(態度を含む)に相当の制限を受ける程度の状態をいう」でもって、私は「相当な」の前にもし必要ならば「継続的または断続的」というふうに付けてもいいと思いますけれども、「相当な」一字でくくってしまった方が楽なのではないかと思っています。

以上です。

藤井議長代理 中西委員、どうぞ。

中西委員 今、機能障害という用語だけがこの権利条約に使われて、私たちの中ではそれがどんな機能障害だということで議論の大半を費やしているんですが、逆に身体、精神は別として単に機能障害、そしてそれに行動障害を加えて定義をして、それによって社会活動制限とか参加制約とかが伴うことを障害として、やはり障害者というのは別に残しておいた方がいいと思うんです。

障害を持つ人というのはそれによって更に支援とか配慮を必要とする人であって、障害の定義と別にしてもっとシンプルに障害のところを、社会モデルを残した形で整理ができないかと思うんです。勿論それにはまた先ほどの議論を蒸し返すような疑問等指摘があると思うんですけれども、どうしたところで完璧なものというのは現段階で難しいので、先ほど竹下さんがおっしゃったような議論に戻るとすれば、私も単純化には賛成で、余りそこで長い言葉を費やすよりも、シンプルにできるだけ含みを持たせた表現で言った方がいいように思います。

藤井議長代理 大濱委員、どうぞ。

大濱委員 私は必要条件と十分条件という観点でずっとお話を聞いていたんですが、今、皆さんが言われているように社会モデル的な視点に基づく社会的制約は必要条件です。一方で、いかに障害者の定義をシンプルにするかということで、インペアメントすなわち「障害があること」を「障害者であること」の十分条件として位置づけるのは無理です。むしろ、心身の障害をなるべく広く包括的に定義する代わりに、心身の障害と同時に、いわゆる社会モデル的な制約も必要条件として考える。このように、「障害があること」イコール「障害者であること」にはならないという考え方で、必要条件と十分条件を整理していったらどうかという提案です。

藤井議長代理 それでは、この部分では東さんから何かありますか。

東室長 担当室の東です。今日の議論は結構深まった議論だと思いますけれども、議論が整理された反面、また少し混迷した面もあるかなということで、これに基づいて事務方的な案が出せるのか出せないのか悩むところであるんですが、検討させていただきます。どうもありがとうございました。

藤井議長代理 それで1つこれは参考までに、心身障害者対策基本法から障害者基本方に移る過程で、これは90~93年ぐらいに激しい議論があって、当時は心の支援は知的障害者を指す、精神は含まれないという国会答弁があって、心という字をめぐって障害団体は猛然とおかしいということもあったわけです。したがって「心身」という言葉を省き、シンプルに「障害者」。対策はイメージが何か物的な扱いということも感じ得る。したがってそれも省こうということで、そういう歴史があったわけです。今日の議論の直接ではないけれども、表記の仕方も過去の経過もあったことも踏まえて考えていくべきではないかということも、参考意見として述べておきます。

以上をもちましてこれから15分間、少し遅れましたけれども、45分まで休憩をとって第2コーナーに入ってまいります。では休憩に入ってください。

(休憩)

藤井議長代理 それでは、時間がまいりましたので再開させていただきます。第2コーナーは障害者基本法の改正について、規定ぶりイメージ素案を基にして住宅、文化・スポーツ、相談等についての議論をしてまいります。時間は50分間、大体3時35分を目途にして3つの分野を議論します。方法としては齊藤企画官より各々数分間述べて、それを基にして15分程度議論をし、一個一個議論を済ませていくという方法をとります。

最初に住宅についての規定ぶりイメージ素案について、齊藤企画官から提案をお願いします。

齊藤企画官 企画官の齊藤でございます。資料2に基づきまして説明をさせていただきたいと思います。毎度のことでございますけれども、まず本資料の趣旨を御確認させていただきますが、これまでの本会議における議論を踏まえ、事務局で規定ぶりイメージの素案をたたき台として整理をいたしたものでございまして、今後具体的に条文化していくに当たっては、それぞれの論点について精査が必要となります。特に関係省庁または内閣法制局等々の調整を経る前の段階のものでございますので、条文化に当たってはそういった関係方面との調整が必要となってくるものでございます。

それでは「1.住宅」について御説明申し上げます。規定ぶりイメージでございますが、現行の17条に住宅の確保という条文がございまして、その中に「地域社会における」を挿入ということで、前回新たに議論をした分野ということで種々御議論いただいたものを踏まえまして、基本法の書きぶりとしては「地域社会における」というのは、先日総則のところで基本理念の際にも、地域において生活をする権利を加えることになるのではないかと御説明を申し上げましたが、それに対応する形で同じ地域社会ということで挿入をいたしたものでございます。個別に御議論いただいた内容は、これを基にそれぞれの制度などで更に議論をして、実現をしていくという関係になっているのではないかと考えております。説明は以上でございます。

藤井議長代理 そういうことですが、早速質疑、主に意見を出してもらいましょう。いかがでしょうか。土本委員、どうぞ。

土本委員 土本です。住宅のことなんですけれども、公団住宅とか市営住宅に入るときにも難しい手続が必要だということを聞いたところもありますし、地域では家賃がすごく高くて住めないというところもあると聞きました。入所施設から出てきて地域で住むこともあるんですが、自分たちが言わなければならない部分はあるんですけれども、どこで住むか、誰と住むかもきちんとしていかなければならないのではないかと思いますので、やはり地域でどこに住みたいということで自分で選んで決めるときに、そのときの情報とか、そこでの家賃などを含めてわかりやすくして、家賃が安く、生活ができるような形の方がいいのかなと思います。

以上です。

藤井議長代理 例えば土本さんが今おっしゃった一般の住宅を使おうとするときに、高い地域があります。そういうときに障害者は入れないことになっていくわけです。どうすれば入れると思いますか。あるいはどうしてほしいというのが、仲間たちの希望も含めるとどうなりますか。

土本委員 自分たちのお金の問題、収入に見合ったというか、障害者基礎年金と就労している人はその就労したお金の中で、家賃とか生活面でやっていけるものにしなければならないのではないかと思うんです。

藤井議長代理 そこの中だけでは家賃が高い地域では出ないという感じですね。

もう一点おっしゃった公団を含めて公営住宅は難しいというのは、もっと具体的にこんなふうにしてほしいというのはありますか。

土本委員 保証問題とか、ふりがな振っていないことも仲間から聞かれました。

藤井議長代理 申込用紙なんかで難しい言葉だとか、最低ふりがなを振るというものもあった方がいいわけですね。

土本委員 はい。

藤井議長代理 施設から地域への移行に際して、住宅が重点政策ということも周知の事実だと思うんですが、引き続き尾上委員、どうぞ。

尾上委員 尾上です。まず前回資料があればということで提出を求められていたものを今日お出ししております。尾上提出資料を開けていただけますでしょうか。これは前回の住宅に関する問題認識のところで、グループホーム、ケアホームの設置に当たっての住民同意についてですが、まずこの1ページ目が大阪府の説明です。もともと法令に根拠規定がなくて、行政指導の中で地元同意書の提出が添付書類にあったんだけれども、これは人権問題だということで国に働きかけて、99年度にすべて撤廃されているということですから、前回の問題認識のところで言いますと、もともと法令根拠がない上に、更には「1999年に国としては全廃をしたにもかかわらず」という文章を、前回の文章の中に入れていただければということであります。これが前回の補足なんですが、この方針が出てくる基本認識というところが重要なのかなということで、ここから今日の本題に移りたいと思います。

実は1999年にこういった住民同意を条件にしないという方針を、なぜ大阪府はとろうとしたのかというと、勿論当事者団体からの要請を受けてということなんですが、3ページを見ていただけますでしょうか。これは大阪府の基本方針(素案)という中の基本理念ということで、行政の自己革新というふうに自ら革新をしていく。下線を引いておりますけれども「長い間、障害者等は『保護』される対象と捉えられてきており、地域から隔離された生活を余儀なくされ、地域社会の中で共に自立した生活者であるという考え方が希薄であった」。これは大阪府の文章です。まさに私ども推進会議の基本認識を共有できるものではないでしょうか。

更に「特に精神障害については」ということで、安田系3病院というのは大和川病院で非常に痛ましい事件があって、既に廃院にはなっているんですけれども、それで明らかになった在院中の患者に対する劣悪な処遇や、社会的入院の実態などから、社会的入院は精神障害者に対する人権侵害であり、社会的入院の解消や地域での自立支援事業が立ち遅れている状況がある。そういう中で生ずるコンフリクトの解消が急務である。地域での生活を奪うという意味で人権侵害に直結する問題だということを、既に10年前に1つの地方自治体として指摘をしてきているということであります。

この基本認識をもう一度申し上げますけれども、長い間、障害者などは「保護」される対象ととらえられ、地域から隔離された生活を余儀なくされ、地域社会の中で共に自立した生活者であるという考え方が希薄だった。その歴史的な総括を踏まえ、是非今日の規定ぶりの中で前回の問題認識の中で出されていた、一番最初の冒頭がたしか「どんなに障害が重度であっても、特定の生活様式を強いられるべきではなく、どこで誰と住むかについての選択ができるための前提として、住宅が確保できるようにすべき」という確認があったかと思います。その認識を少しでも反映ができないかなと思います。

これは勿論総則規定と各則規定の役割分担が、どうあるのかということとも関係するので、どちらの方に書くべきかというのはあるんですけれども、住宅のところで例えば「国及び地方公共団体は障害者が特定の生活様式を強いられることなく、どこで誰と住むかについての選択が可能となるよう、障害者の地域社会における生活の安定を図るため」云々というような、「特定の生活様式を強いられることなく、どこで誰と住むかについての選択が可能になるように」という文言が入らないかというのが1つ目の提案でございます。

2つ目が、この住宅の規定ぶりの後半部分、安定を図るための後半部分というのは、率直に言ってこれはせいぜい公営住宅あるいはその中でバリアフリー住宅をつくりましょうというレベルで、民間の賃貸住宅をどうしていくのか、民間の賃貸住宅のバリアフリー施策をどうしていくのかということが見えない。あるいは更に例えばこれは1~4月の議論のときにあったかと思いますけれども、公的保証人制度であったり、あるいは居住サポートであったり、もっと多様な住まい方支援というのが住宅施策の中であるべきだという議論があったかと思います。

今までの書きぶりというのは基本的にはハード側だけ、建物は勿論大事なんですけれども、単に住宅という建物だけ整備することになっていて、そこに住む人、住めるように住まい方支援をどうするかという施策が残念ながら読み取れない書きぶりになっているかなと思います。そういう意味で地域での生活の住まい方支援、具体的に言えば公的保証人制度であったり、居住サポートであったり、そういった施策あるいは民間賃貸住宅も含めて、言わば差別されることなく入居が進むような施策が読み取れるような規定を盛り込んでほしいなと思います。

長くなりましたけれども、以上です。

藤井議長代理 ほかにいかがでしょうか。前回も後半でハウジングというか、ハードとしての住宅というだけではなくて、今、尾上さんが言われた2つ目だと思うんですけれども、やはりそこで生活するにふさわしい複合要素、これは何人かの方から発言があったんですが、基本法の法律であるんだけれども、そこの目的を醸し出すような書きぶりにできないかとあったんですが、今日のところでは余りそうは読めない。

1点目に言われた権利条約第21条のa項、誰とどこで生活するというところの自由性、特定の生活様式を課さないというところの問題をどう入れるか。今日の案では「地域における安定した生活」を加えたということだと思うんですが、この辺でもう少しほかに、今日ここでうんと議論してしまう場でもないと思うので、齊藤企画官から何か今のものでコメントはありますか。

齊藤企画官 今、御指摘のあった条文、特に後段部分からでは民間の住宅など、または住まい方支援などに関して読み取れないという御指摘をいただきました。条文としては条文の構造上はそういったことも含めた住宅政策全体を、広く読み込めるような構造にはなっていると考えてございますけれども、ただ、表現上不十分だということであれば、更にこういった視点を盛り込んではどうかという御指摘をいただいたということで、検討したいと思います。構造上は広く住宅政策を読める形の構造にはなっていると考えております。

藤井議長代理 更に工夫を重ねてもらう。読めるということであるけれども、ひと工夫できないかということですね。尾上委員、どうぞ。

尾上委員 藤井さんがおっしゃっていただいた条文というのは権利条約19条ということで、その上でなんですけれども、ここは私の読み込み方が主観的なのかもわかりませんが、障害者のための住宅を確保し、あるいは住宅の整備を促進する。「住宅の整備」というのは明らかに先ほど藤井さんがおっしゃったとおり、ハードにかなり重点があるのではないでしょうか。

例えば国交省の政策以降、2005年ぐらいでしょうか、住生活基本法というものができております。つまり住生活、単にここで言うハード側だけではなくて、そこで生活ができるような、例えばよく言われる住宅施策と福祉との連携であったりとか、そういった住生活を進めていくための施策が既に法律上も確定しています。例えばせめて「住生活の支援」という言葉は入るべきではないでしょうか。それ自身は既に実定法としてもなされているものですので、そんなに突飛な提案ではないと理解をしています。

以上です。

藤井議長代理 ほかに、あともう一名ぐらいいかがですか。清原委員、どうぞ。

清原委員 ありがとうございます。ただいま尾上委員が指摘されたことと関連するのですが、三鷹市のような自治体でも勿論障害者の方に住宅を確保するための支援を、住宅関係の団体等と連携して進めております。併せて居住継続支援ということで、その住宅での居住が継続するのに必要な、例えばある場合には施設から移行された直後などはホームヘルプのこと、居住支援のことなども含めて進めている現状もあります。住宅を確保するのが大変重要な課題ですので、それがまずは書かれておりますけれども、今、住生活という言葉を使われましたが、住生活に対する支援なのか、居住生活支援なのか、その言葉はともかくとして、今のようなことを含めても実態的にはそんなに無理はないのではないかという印象を持ちました。

以上です。

藤井議長代理 「住宅」、「住生活」、「居住」という言葉が出てきています。そこにはおのずと物理的なハウス、建物と、今度はソフトの部分の支援が加わってくるというのが住生活や居住という意味で、そこまで踏み込むことができないかというニュアンスが入っていたように思います。竹下委員、どうぞ。

竹下委員 今、尾上さんなんかが言っていることは理解できるんだけれども、少し整理が必要だと思います。まず1点目の「住宅を確保し」というところには、いわゆる公営住宅だけではなくて民間賃貸業者等からの借上げとか家賃補助を含む、そういうものがここに含まれているというのが一般的だろうと思うんです。そこはそう思うんです。ただ、後半に関しては少しこの書きぶりではだめだと思うんです。

そう言いますのは2点ありまして、私は今ホームレスの支援で保証人あっせん制度をやっているんです。すなわちホームレスの方はまさに人間関係がそこで切れてしまっている方も多いわけですから、保証人を見つけることは不可能です。そうすると住宅を確保するためには保証人がいないと現実には借りることができません。そういうときに保証人をあっせんすることによって、それを福祉事務所と連携することによって、住宅を確保できているという現実があります。その事業をやっている中で障害者の方や高齢者の方からも、何でホームレスだけなんだ、私たちもあっせんしてくれという非常に強い要求がありまして、我々は対応しかねているという現実があります。

そういう意味からも今の指摘は極めて重要な部分でして、障害のある人が住居を確保するための条件整備は、これだけで読み込めないと思うので、そこは御指摘のとおりです。ただ、問題はそれを住宅という項目に入れるのか、地域生活の権利の内容なのかについては、少し整理が必要なのかなと聞いていて思いました。

以上です。

藤井議長代理 それでは、そういうところで更にこれについては練り上げていくようにしましょうか。あと2つ残っています。では次に進めてまいります。

今度は文化・スポーツについて、同じく齊藤企画官から規定ぶりイメージ案を提案していただきます。

齊藤企画官 齊藤でございます。資料の2ページ目でございます。「2.文化・スポーツ等」ということで、現行の規定を先日の議論なども踏まえまして整理をし直したものでございます。具体的には現行の規定から「障害者の文化的意欲を満たし、若しくは障害者に文化的意欲を起こさせ」の部分、「積極的に」の部分を削除し、代わって「障害者が必要な支援を受けながら、文化の享受又はスポーツ若しくはレクリエーションの活動ができるようにするため」と表記をしてはどうかと考えてございます。こういった削除をすること、それから、それぞれ新しく加えます特に「文化の享受」などについて、その内容などを精査していく必要があると考えてございます。

以上でございます。

藤井議長代理 「起こさせ」なんて現行法はひどいことを書いていますね。それでは、これに関して意見等があったらお出しください。いかがでしょうか。清原委員、どうぞ。

清原委員 ありがとうございます。三鷹市長の清原です。この文化・スポーツ等ですが、直していただいて中立的な表現になったとは思うのですが、一方で条文として接続詞的なところが気になりますので、このような考え方で修文してはいかがかと思います。

1つは文化もスポーツも自分自身が観賞することもありますし、実際に行うこともあります。ですから、日本語的には難しいのですが、文化の享受と言った場合には、文化を鑑賞することも、実際に自分ですることも含むかもしれません。ですから文化の享受はひょっとしたらそのままでいいのかもしれないのですが、その次に「又はスポーツ若しくはレクリエーション」とあるのですが、私は文化もスポーツもレクリエーションも並列的に1人の方がすべて活動することができるものでありますので、あたかも、文化の享受またはスポーツ、そうでなければレクリエーション、という感じでは、並べない方がよいのではないか。

したがいまして、単純に並列に並べて「文化の享受やスポーツ及びレクリエーションの活動ができるようにするため」ぐらいの、本当に並列的なことでもよろしいのではないかと思います。すなわち文化的な活動も、スポーツ及びレクリエーションの活動も、障害者の方が自ら行うこともあるでしょうし、また、それを観戦したり鑑賞したりするという、非常に広い意味でとらえるような文章にすることの方が、これまでの議論の趣旨につながるのではないかと感じました。

以上です。

藤井議長代理 竹下委員、どうぞ。

竹下委員 竹下です。短く言います。

この規定には理念が2点欠落していると思うんです。1点はスポーツであれ文化であれレクリエーションであれ、それらは人間の言わば尊厳であったり、自己実現であったり、基本的人権の1つであるという出発点があるわけですから、障害のある人がそうしたスポーツ、文化、芸術あるいはレクリエーションに参加し享受する権利があるという宣言が絶対に必要であって、その宣言が前提になる限りは2番目の問題として、権利条約で言われているインクルージョンの理念が見えてきません。なぜならば、そのスポーツや文化、レクリエーションはほとんどの場合に団体等によって進められるという現実の中で、障害のある人がそうした競技団体等にどういう形でインクルージョンな環境をつくってもらえるかが必要なわけですから、その理念がここの中には見えてこないと感じましたので、設備ということにこだわるのではなくて、その他の諸条件ではなくて、インクルーシブな条件づくり、環境づくりが見えてくる書きぶりが必要だと思います。

藤井議長代理 久松委員、どうぞ。

久松委員 ろうあ連盟の久松です。竹下先生のお話とダブりますが、この分野でのテーマについては前から繰り返し私は申し上げていますが、障害者が主体性を持って参加するということが大切です。特に人間としての最低限文化的な生活をするという憲法の理念に即した形で文化を享受する、文化活動を行う、文化活動をするための環境整備も、障害者自らが主体性を持って担うという形をつくる必要があると思います。

必要な支援を受けながらというのは、今までの私どもの経験から言うと、ほとんどの場合障害者が文化的活動をする、スポーツを行う、レクリエーションをする場合、それを支援するということばかりが繰り返され、実態もそうだったと思いますが、障害者が障害者を支援するということができるような書きぶりを求めたいと思います。

あとは竹下先生と同じように文化活動、スポーツを楽しむ権利、それを国民みんなが活動できるよう参加を保障するという書きぶり、権利性を持った書きぶりをお願いしたいと思います。

以上です。

藤井議長代理 権利条約で竹下委員や久松委員がおっしゃった点が、どう書かれているか読んでみましょう。

(介助者代読)

「権利条約の公定訳文の3月3日版第30条第1項2、締約国は障害者が自己の利益のためのみでなく、社会を豊かにするためにも自己の創造的、芸術的及び知的な潜在能力を開発し、及び活用する機会を有することを可能とするための適当な措置をとる。」

こういう前段があって入っている辺り、何のための文化・スポーツかという辺りをどうするか。長瀬委員、どうぞ。

長瀬委員 ありがとうございます。長瀬です。今ちょうどそこを読み上げようと思ったところだったので、ありがとうございました。30条の冒頭の部分の文化的な生活への参加の権利というものをまず明確にするという点は、竹下委員と久松委員から御指摘がありましたが、それに全く賛成です。

これは先ほど清原委員がおっしゃった点とも重なると思うのですけれども、文化の享受の部分はどうしても受け身的、受動的なニュアンスがありますので、例えば文化への貢献ですとか、積極的に、主体的に参加をする。これは久松委員がおっしゃった点でもあるのですが、花田春兆先生なんかは日本の文化は障害者が担ってきたとよくおっしゃっていますので、そういったことを考えても文化への貢献という積極的な、主体的な面を明示していただきたいというのが1点です。

もう一点、これが最後ですけれども、前回もここのところで申し上げたと思いますが、やはり権利条約は文化的な生活、レクリエーション、レジャー及びスポーツへの参加となっていますので、ここもレジャーを是非盛り込んでいただきたいと思います。日本語で余暇と言ってしまうと、どうしても余った時間にするものとか、そういうニュアンスが生じてしまいますが、やはり生きていく上でレジャーというのは非常に大切だと思いますので、その点にも具体的な言及をお願いしたいと思います。

以上です。ありがとうございます。

藤井議長代理 花田春兆さんという名前が出ましたけれども、中村草田男の弟子で俳句の世界では大変な貢献をしている方で、八十数歳の脳性麻痺で今でも現役で俳諧の中で頑張っていらっしゃる方です。松井委員、どうぞ。

松井委員 ありがとうございます。先ほど長瀬さんから発言があったんですけれども、余暇、レジャーという関連で、日本ではなかなか休暇を十分とれないというのが今の実態です。ヨーロッパにおいても障害を持った人たちが休暇をエンジョイできないということで、フランスでもオランダでも賃金の8%が休暇手当という形で5月に一括で支払われており、それで5週間の夏休みを楽しむ。これは障害の有無にかかわらず、すべての労働者についてそういうことになっているわけですが、そういう意味で障害を持った方々も余暇、レジャーが楽しめるような条件を整備することが表記されていいのではないかと思います。

藤井議長代理 大谷委員、どうぞ。

大谷委員 声が出ないので短く言いたいと思います。

毎度同じことなんですけれども、やはり基本理念で何が確認されるかが重要だと思います。住宅と文化・スポーツを比べても、文化・スポーツのところには「必要な支援を受けながら」が入り、住宅のところには「必要な支援を受けながら」という言葉がないんです。必要な支援を受けるということは非常に重要なことなので、本来はすべてにかかるところなんですけれども、文化・スポーツのところだけに入っているということに今の規定ぶりではなっています。ですけれども、例えば基本理念に住宅のところは地域生活の権利もしくは自立生活の権利ということで、自立とは必要な支援を受けながら自立すること、地域社会における生活も必要な支援を地域社会で受ける権利という形で、そこで確認されていればいいんですが、確認されないで「住宅もしくは文化」という形だけでこういうふうになってしまうと、非常に基本的な理念なくしてこれを保障するということになってしまいますので、非常に偏った形になってくると思います。

ですから、ここに「必要な支援を受けながら」と入っているのは重要なことですからいいんですけれども、これは総論において基本的なところで確認するべき事項なので、各論に書くなら全部のところに書く。住宅においても必要な支援を受けながら、地域社会における生活の安定を図るためというところに全部かかってきてしまいますので、やはり統一的な障害者基本法の法体系がどうなのかということを、イメージした形で提案していただけたらなと思います。

以上です。

藤井議長代理 大事な指摘で、場合によっては基本理念までさかのぼってということもあり得る。書くんだったら全部、あるいは全部にかぶるように総則部分で表現すべしという御意見です。大久保委員、どうぞ。

大久保委員 大久保です。今の御発言とも関連しますけれども、まず、ここの規定に関して言えば「必要な支援を受けながら」という文言は、余り私は評価できないというのは、障害のある方々の芸術性あるいは創造性といったものについて、必ずしも必要な支援云々ということでなくても、そもそも持ち得ている方々が現実にいるということです。そういうことも含めると、これは何となくイメージがよくないなということと、先ほどほかの方の御発言にもありましたけれども、やはり文化を享受と言うと非常に受け身的な感じがするのですが、積極的に芸術活動やそういうものに参加している方もいらっしゃいます。そういうことも含めると、やはりそういった書きぶりにしていただいた方がいいのかなということがします。ただ「必要な支援を受けながら」というのは確かにおっしゃったように重要ですので、これをすべての文言に入れるかどうかは別にして、どこかではしっかりと押さえておく必要はあると思います。

以上です。

藤井議長代理 今の大久保さんのは多分2つの要素があって、そもそも芸術性だとか創造性というものは内発的なものがあるはずなので、余りよけいなことはしては困るんだということもあり得る。ただし、それこそ映画を見に行ったり、スポーツを見に行ったり、スポーツを行う場合にも支援が要る。そこを区分けして書かないといけないという御指摘だと思います。森委員、どうぞ。

森委員 森でございます。基本法全体について我々が検討したときには、サービスの客体から権利の主体に置き換えようというのが大きなテーマになったんです。これを見てみますとほとんど受け身になってしまっているんです。住宅のところもそうですけれども、尾上さんが言ったとおり、まず権利をちゃんと押さえておいて、そのためにこうやるんですよとしてもらいたいと思っておるんです。それは今度の文化的のところもそうだと思うんです。やはり障害者はスポーツに参加する権利があるというところを押さえてもらって、それを受けて何をやらなければいけないかという規定にできないかなと、これは全体的な問題ですが、なるべくそういう権利性のところを出せるものは出してもらいたいと思っております。

以上です。

藤井議長代理 時間が来ましたので、この点で齊藤企画官からもし何かあれば一言いかがですか。

齊藤企画官 いろいろ御指摘をいただいたことについては、今後更に検討を進めたいと思ってございます。御指摘の中で大谷先生から、ある意味総論事項ではないかということは御指摘のとおりだと思いますので、全体の整理をしっかりとさせていただきたいと思います。

何人かの委員の方から、施策の内容として設備、施設といったところに偏っているのではないかという御指摘をいただきまして、もともと現行のものを手直しする形で、要は現行のものは既に既存の支援などの施策が講じられているものでございまして、それをベースにつくっておりまして、更に新しい種々御指摘いただいたようなことを含めた場合、どういう記述が必要なのか検討していきたいと思ってございます。

以上です。

藤井議長代理 今のは大事な点で、そもそも理念が欠けているという辺りの見解はいかがですか。

齊藤企画官 正直申し上げて、現行の法律をベースに事務的な作業をしてございますので、各条文それぞれ施策の基本的な方法を記述する構造に現行法はなってございます。ですから、そこのところにさかのぼって、それぞれの分野ごとの理念を盛り込んでいくという考え方で作業をしておらなかったものですから、御指摘で欠けているというのはまさにそういう作業をしておらなかったので当然かと思いますが、基本的に基本法をこれまでいろいろ御議論いただく中で、各条文をご覧いただいているんですけれども、総則として基本的な考え方をまとめている。更に各則ではそれぞれの施策の方向を書くという構造が現在の各基本法のスタンダードなものですから、それにのっとって作業を進めたということでございまして、今後いろいろいただいている御指摘をどう表現することが可能なのか、考えていきたいと思ってございます。

藤井議長代理 堂本委員、少し時間がオーバーしているので簡潔にお願いします。

堂本委員 今の企画官の発言はとても重要だと思うんです。私も医療のところでどういうふうに基本法に入れるかということを具体的に考えてみますと、やはりもともとスタンスの違うところに新しいもののスタンスを入れるということは非常に困難。言ってみれば油と水と違うようなものを一緒にして、何が何だかわからない。ましてや現行法を改正するということだと、基本的視点が最初から違うのではないかと思うんです。抜本改正というのはどういうことなのか、本当は最初のスタンスを変えた段階で、今まさに御指摘のあった客体から主体へということを考えたその段階で、書きぶりは考えるべきだと思うんです。書き方の全体の構造自体を変えないと油と水になってしまう。言葉の使い方がそれぞれ受け身になっています。ここのところは本質的な問題だと思うので、このまま作業が進むと幾ら意見を言ってもそれが条文としてできあがった場合に、きちんと主体にならない。ここのところは何としても今の段階できちんと議論を私たちが知っておく必要があると思います。

ありがとうございました。

藤井議長代理 かなり根本的で、これはこの分野に限らずに、今度の基本法の基本的なスタンスに関わってくることなので少し延長します。清原委員、どうぞ。

清原委員 ありがとうございます。大変大切なポイントで今、議論が進んでおりますので、基礎自治体の立場から申し上げたいと思います。

今回、基本法を検討する中で主語が「国及び地方公共団体は」とあります。これは国そして地方公共団体に何らかの対策なり対応なり、言葉は責任であったり責務であったりするかもしれませんが、それを求めるという法律の構造になっています。したがいまして、理念はあくまでも障害者の皆様がサービスや支援の受け手であるだけではなくて、主体的な社会の当事者として参画していく、それを保障していくという理念に立ったとしても、ある条文の部分はどうしても国や地方公共団体がこうしなさいと書くわけですから、障害者の立場に立った、どんな方から見ても違和感が生ずることがあり得ると私の立場では認識します。それを乗り越えていかなければならないということだろうと思います。

その辺は理念のところ、あるいは法律の寄って立つところを明確にすることがきちんとできていれば、このような箇所において、それを保障するために国及び地方公共団体は何をすべきか、どういう条件整備をすべきか、どう支援するか、になりますので、皆様のように本当に主体性をお感じになった方からは、何となく消極的なように聞こえたり見えたりするかもしれません。でも吟味していただいて、国や地方公共団体がすべきことが鮮明に出るようにしておく必要も法律にはあると考えます。

したがいまして、今日の議論というのは大変重要なポイントであると思いますが、法律によって役割、責務、条件整備をしていく立場としては、その辺の何とも言えない難しさもあることをお話させていただき、少しでも共有していただければありがたいと思います。

以上です。

藤井議長代理 竹下委員、どうぞ。

竹下委員 清原さんの言いたいことには共鳴しましたけれども、それは違います。本当は次の相談のところでまとめて言おうと思っていたんですが。

今、議論しているのは何かというと、例えば文化・スポーツで言えば、例えば何条第1項で視覚障害者の主体性を明確にして、権利性を規定して、それが理念の第1項です。2項において、その理念を前提として国及び地方公共団体は何をすべきかと出てくるんです。だから権利・義務と責任体制が明確になるんです。したがって主語は国または地方公共団体でも構わないんです。そのことと権利性が明確にできるかと言ったら全く別次元の問題です。

そのことが3に実はあらわれていまして、相談等のところで「国及び地方公共団体は」の後に「権利・利益の保護等のために」と書いてあります。これが権利性の否定なんです。何かというと、要するに国または地方公共団体は権利の理念を前提にすれば、権利・利益の保護ではなくて保障なんです。そうすれば国、地方公共団体と国民の関係はきちんと体系的に整理されて、基本法の一体化ができるはずです。そういう意味でもし清原さんがおっしゃるのであれば、私は異論ないんですけれども、そうではなくて国または地方公共団体が主語だからやむを得ないという趣旨であれば、私は誤解だと思うんです。

以上です。

藤井議長代理 清原委員、どうぞ。

清原委員 ありがとうございます。私はそのように竹下委員がおっしゃるような立場です。私は障害者の方であるか否かにかかわらず、基本的人権を保障するのは憲法に規定された国及び地方公共団体の責務だと思って仕事をしておりますので、それは所与のことです。

私が申し上げたいのは、「条件整備」と書いたときに、それが主体性を損なうかのように思われることもあるかもしれません。つまり、自分たちでやりたいと思う方に対して、そのことが実現するように条件整備をすべきだと一貫して書いていけばいいわけですから、それは竹下委員と同じ考えですが、その表現の中にあくまでも主体性だけを果たせる方だけではなくて、何らかの支援が必要な対象者はいるわけで、先ほども藤井議長代理がおっしゃいましたように、主体的に活動するときの条件整備と、鑑賞したりスポーツを観戦したりするときの条件整備は、おのずと具体的な内容は違ってくるかもしれない。その辺が難しいところですねとおっしゃったようなことを、私たちは日常的な仕事にしているわけです。

ですから理念は共有しておりますけれども、しかし、条件整備として関われなければならないところについては、主体性をお考えの方からは受け身になるなというニュアンスになることも、あるかもしれないというおそれを申し上げたのでございまして、私としては権利を保障していくという立場は皆様と共通だと思っております。他に基礎自治体の立場の委員がいないものですから、堂本元知事にはそのような立場から補強していただければありがたいと思います。

堂本委員 ちょっと私は清原さんのご意見は違うのではないかと思うんです。竹下さんと私は全く同じことを考えているんですが、私は知事というよりは国会議員で環境基本法、これは閣法でしたし、男女共同参画社会基本法も閣法でした。そういった基本法に二度関わりましたけれども、国とか地方公共団体の責務は勿論書きますが、そこからスタートするのではなくて、やはりその法律が持っている本質をきちんと最初に理念でうたう場合には、かつて苦い思いをしました。むしろどちらかというとパターナリズムの強い中央集権的な書きぶりにならざるを得なかったことがあるわけです。

今ここでこういう形で議論をし、そして新しい形でやっていこうというからには、文章の構成の在り方を変えようとすれば、革命的に変わってくるのではないかということで、今、市長さんとしておっしゃっている、そういうことで仕事をしている。それはあると思いますけれども、これは基本法なんです。基本法であればあるほど、その場合には基本的な考え方や理念というものを、きちんとどこが主体かということを考えながら表現する方が私はいいのではないかと思います。

法律の構造は次の問題で、それは各自治体のレベルで国なり都道府県なり市町村がやるべきことというのは、きちんとまた次の段階で担保されると思いますが、筆の起こし方としては私は革新的な形でやったらいかがかなということで、必ずしも補強にはならないかもしれないけれども、そう思います。

清原委員 この場では「違うんじゃないかと思います」という御意見を言わないでいただきたいと思います。私は障がい者制度改革推進会議というのは、多様な立場の方がそれぞれに経験や役割、責務を認識しながら、それぞれ率直に意見を交換するということでございまして、ひょっとしたらある部分については、必ずしも全体の一致が求められることではないと思うのです。

やはり多元性、多様性ということで言えば、私は少なくとも先ほど大谷委員が言われましたように、これは理念で書いてあれば各条文に一々入れなくてもいいことがあるかもしれないとおっしゃったようなことに、触発されて申し上げているのでありまして、理念あるいは基本的なところでしっかりと今の権利性、主体性というものがまず想起されてそこで書かれていれば、各論のところでは国や地方公共団体の支援や条件整備の責務というものをきちんと書いておかないと、それはそれで仕事の仕方が今から後退してはいけないわけですから、今やっていることは少なくとも所与のこととして、更によりよいものにしていくという各条文の書き方が工夫できると考えております。

したがいまして、考え方は違うと思っておりませんで、竹下委員、堂本委員に言われたような同じスタンスで、少なくとも考え方としては、基本理念としては障害のある方の権利を保障し、それが擁護の対象だとか支援の対象だけと考えるのではなくて、むしろ障害のあるなしにかかわらず、この社会の構成員としてしっかりと権利を保障され、活躍することを保障していくための基本法だと認識しておりますので、少し現実的に制度や条例に持っていくときのことで私は言わなければならないと感じておりますので、その辺の理念的なところでの誤解は解いておきたいと思います。

以上です。

藤井議長代理 終わりますけれども、このコーナーの後半に2つの問題があって、堂本委員がおっしゃった大事なことは、この基本法抜本改正というときに水と油とおっしゃったけれども、木に竹を接ぐようなことではいけない。つまり部分的に現行法のつまみ改正ではいけないんだ。やはり構造を転換すると言ったからには、そういう手法を脱却しましょうという提案があったと思うんです。

もう一点は今、出たように、そもそも「国や自治体は」と言う前に、これは全体の表現に関わってくるんだけれども、権利性を前面に出して、理念があった上で「かつ国や自治体は」という構造。この辺を今後また規定ぶりを書く原案作成者は、肝に銘じてほしいなとここで言っておきましょう。

もう一個残っています。「3.相談等」を齊藤企画官からお願いします。

齊藤企画官 資料の3ページ目でございます。既に一部御意見も出ておるところでございますけれども、御説明を申し上げますと「3.相談等」ということで、現行の20条の規定に一部文言を追加してございます。この規定に関しましては国及び地方公共団体が相談業務などを実施するに当たって、明記すべき事項が書かれているわけでございますが、そこにこれまでの推進会議の議論を踏まえまして「障害者の必要に応じて」という文言の挿入をしている次第でございます。

以上でございます。

藤井議長代理 いかがでしょうか。竹下委員、どうぞ。

竹下委員 先ほど申し上げたように、ここに「保護」とありますが、本当に総則で障害者の権利という言葉で主体性を明確にしているのであれば、これは明らかに法律の中の矛盾です。保護というのは法律の言葉で使った場合に、それの相手方になるのは被保護者です。保護を受ける人です。そうであればせっかく障害者の福祉を抜本的に見直そうというときに、障害者の権利性、主体性を明確にして積極的な行動を引き出していこう、社会の理解を深めていこうというときに、相変わらず齊藤企画官が言うように古い法律の枠の中の「保護」でとどめるというのは、明らかに規定ぶりは誤解だと思うんです。そのことを考えた場合に、ここは利益の保護ではなくて「保障等のため」であって、言葉の遊びではなくて理念そのものの徹底の問題なんです。

したがって、後半に来るところの相談業務等の利用の関係で言いますと、ドイツ社会法典の第1編を見てほしいと思うんです。すなわち、社会保障の観点では自治体や国は適正に福祉やそういう制度が利用できるように説明義務、教示義務、相談における障害者、あるいは社会福祉を必要とする国民の言わば利益を十分に保障する観点で、相談業務等が存在することは第1編に明記されているわけです。そうであれば恩恵的な相談業務であってはいけないのです。あくまでも障害者が自己実現を図る権利を実現するために、奉仕するための相談業務でなければならないということが、この規定ぶりからは見えてこないどころか矛盾していると思うので、書きぶりを変える必要があると思います。

以上です。

藤井議長代理 中西委員、どうぞ。

中西委員 今の竹下さんのお話の続きというか、それに関する点を含んでいると思うんですけれども、普通に相談業務となりますと障害者は相談を受ける人という意味合いで、現実には今ピアカウンセリング等が実施されていますので、ピアカウンセリングという言葉を使うか、もしくは障害者によるカウンセリング及びその他の相談業務という形で、ピアカウンセリングもしくは障害者によるカウンセリングも含めて、討議された方がいいと思います。

以上です。

藤井議長代理 中西さん、ちなみにピアカウンセリングというのは日本語でどういうふうに表現すればいいんですか。

中西委員 現実に日本語でピアカウンセリングと使われていて、これはまだ法律用語にはなっていないと思うんですけれども、施策として東京都の要綱等の中には入っているはずです。

藤井議長代理 そのままピアカウンセリングでですね。新谷委員、どうぞ。

新谷委員 新谷です。まず条文の書き方なんですけれども、文化・スポーツでもそうですが、前回情報分野では国、地方自治体の施策に対する義務づけがあって、その3番目に事業者の問題が出てきました。文化、レクリエーションでも相談事業でもそうなんですけれども、民間というか国、自治体だけではなくて、ほかで担われている部分が随分あるわけです。その部分で義務づけは難しいという前回の説明ですけれども、努力目標、努力義務という言い方があるんですから、そういうことは文化・スポーツのところでも必要だし、相談等も必要だと思います。国、自治体の後に事業者を対象にしないといけないということがあると思います。

特に相談事業は医療機関、企業内の相談機能というのは私たちにとっては非常に深刻な問題です。聴覚障害の場合に耳鼻咽喉科に行って待ち時間3時間で、相談も何もなくて5分間で終わって、その後相談に乗ってくれるところはほとんどないんです。プロの患者になるとお医者さんと関係ができて、何とか相談に乗ってもらえるということあるわけですけれども、ほとんど病院に行っても相談機能がないわけです。その次に自治体に行かれるのですけれども、自治体の方は余り御存じなくて、本当に行きどころがなくて当事者団体が相談を受けたりするわけですが、そういうことがありますので、相談については国、自治体にプラスして医療機関、企業内の相談機能というものを何らかの形で手かがりを書いていただきたいと思います。

藤井議長代理 久松委員、どうぞ。

久松委員 全日本ろうあ連盟の久松です。ずばり言えるかどうか自信がありませんが、これからも続けて齊藤企画官の書きぶりにお付き合いするのかと思うと、ちょっと基本的なところをお聞きしたいと思っております。

まず齊藤企画官は当然障害者権利条約を読んでいますね。では改めて、日本語の使い方でわからないことがあります。先ほど竹下先生からも発言がありましたように、「権利・利益の保護」という言葉の使い方は、どのように理解したらいいのでしょうか。例えば「権利・利益の保障」という言葉が必要という意見もありましたが、「権利の保障」という言葉の使い方ではだめなのか。「権利・利益」という言葉はどういう意味を持っているのか。障害者はそもそも権利を奪われている。権利がない状態でそれを受けたときに、この「権利・利益」という言葉が使えるのか。権利を侵害されたときに「権利の回復」という言葉が使えるのか。その言葉の使い方に混乱しています。「保護」という言葉、または「保障」という言葉を使ったときに、どういう違いがあるのかを齊藤企画官から御説明いただきたいと思います。

もう一つあります。「障害者の必要に応じて」という言葉を使っておりますが、「必要」という言葉を使ったときに、「必要」というのが何なのかがわかりにくいです。例えばろうあ者の場合、言語が違うと相談を受けたくても、相談したくてもできません。手話ができない相談員とは相談できないので、ろうあ者が相談を受けられる機会が非常に少なくなります。手話通訳を呼ぶことがありますが、相談する相手の方はほとんどろうあ者の特性、特徴も理解できないで相談を受けている方が多いです。「障害の必要に応じて」は「障害の特性に応じて」という言葉にできないのかと思っております。言葉の表現の工夫が必要かなと思っております。

以上です。

藤井議長代理 1点目のことはこれからの議論の進行に影響しますので「権利・利益の保護」あるいは「権利の保障」でいいのか。齊藤企画官からここの説明はいかがでしょうか。

齊藤企画官 「保護」と「保障」でございますが、先ほど竹下委員から御指摘があったことと関係するわけでございますけれども、「保護」というのは基本的に守るということの法律用語でございます。「保障」というのは保護し、権利等の侵害に対して権利の保全をする。それを侵害から回復するということを含む概念かと考えてございます。

要は今、議論していただいている「3.相談等」におきますと、単純な話で今は「保護等」となっているのが現行の条文でございまして、この部分の記述ぶりが「保護等」のままでいいのかも含めて、本会議において御議論いただきたいということで、現行から特に手直しをしていないところでございまして、先ほど竹下委員から御指摘がありましたように、総則との関係で具体的にここの条文についてどういう文言がより適切かについては、更に精査をしていく必要があると考えてございます。

「必要に応じて」のところでございますけれども、まさに今、御指摘をいただいたような「障害の特性に応じて」といったことも含めて、「必要」ということで読み込めるかなということで、最低限の文字数で書いただけでございまして、更に表現の仕方としてより正確性なり必要な書きぶりがあるのであれば、それを検討していきたいということでございます。

藤井議長代理 「権利・利益」の「利益」は要らないのではないかという意見もありましたけれども、そこはどうですか。

齊藤企画官 そこも全く同じでございまして、現行こういうふうに書かれておりますということを前提に、今回の制度改革の中で具体的に実現をする内容を踏まえると、ここの部分の文言はそれぞれ現行のままで適当なのかどうなのかが、まさにこの会議において御議論いただきたい内容でございます。

藤井議長代理 尾上委員、どうぞ。

尾上委員 尾上です。時間の関係で結論的な、こういうキーワードが入ってほしいなということを言います。3点あります。

1つは相談等が何のためにあるかということになるんですけれども、たしかこれも推進会議でいろんな議論を重ねてきましたが「支援付きの自己決定」あるいは「自己決定のプロセスに対する支援」がすごく重要ではないかということがありました。そういう「支援付きの自己決定を進めていくために」とか「自己決定支援」という書きぶりというのが何とか入らないかと思うのが1つ。

それとの関係で権利条約にも使われている言葉ですけれども、「エンパワーメント」という言葉があります。片仮名の言葉がそのまま入りにくいのかもわかりませんが、先ほどのピアカウンセリング、ピアカウンセラーも一緒ですけれども、今までは残念ながら日本の社会が、その活動が重要であるにもかかわらず日本の法制度が認めてこなかったから、言わば片仮名用語にしかなっていないのであって、片仮名用語だからそういった考え方が取り入れられないということではないと思いますので、先ほどのピアカウンセラーやエンパワーメント支援のようなことが入らないか。

最後、こちらのタイトルの部分は「相談等」になっていますけれども、「相談や権利擁護等」という形で、もう少し障害者の権利、主体性、権利を擁護していくといった書きぶりに、タイトルも含めてならないか。

もう一度申しますが「支援付きの自己決定」「エンパワーメント」「権利擁護」といった言葉尻と言うよりは考え方が読み取れるような条文であってほしいと思います。

以上です。

藤井議長代理 関口委員、どうぞ。

関口委員 成年後見制なんですけれども、まだそんなに普及もしていないのですが、普及していく途上だと思うんですけれども、権利条約12条の法的能力のところで言いますと、やはり完全後見になってしまいますと財産が動かせない、あるいは後見人が動かすということがありまして、そういう意味では法的無能力ということになりかねないので、成年後見というものを将来的に制度改正を含めて見直していくことも含めて、ここを取っていただきたい。その代わりに「自己決定の支援」ということを入れてほしいと思います。

もう一つは国及び地方公共団体となっているので、直接には関係ないのかもしれませんけれども、国及び地方公共団体が行う相談というのも必要なんでしょうが、むしろ第三者というか、アドボケイトといいますか、権利擁護者というか、権利主張者というか、そういう者の存在の方が非常にこれから重要になっていく。つまり自己決定の支援をすることに対して支援する人、そういう人たちを何らかの形で踏み出すような形をとっていってあげたらと思います。

以上です。

藤井議長代理 松井委員、どうぞ。

松井委員 相談業務は最近ワンストップサービスという言い方で、総合的な窓口、つまり雇用、福祉、年金なんかの窓口を一本化する動きが欧米諸国でみられますけれども、そういうニュアンスを含むような表現、総合的な相談業務というのがそうなるかどうかはわかりませんが、そういうニュアンスを含むような表現を考えていただきたいと思います。

藤井議長代理 森委員、どうぞ。

森委員 時間がありませんので、簡単に言います。

基本的に言いますと、この保護というのは竹下委員と同じように取ってもらいたい。私は前に選挙権の問題で、被成年後見人になった場合において剥奪されてしまう、これを直してもらいたいと言ったつもりですが、ここでまさに保護という形でとらえているということが、やはり問題なんだろうと思っています。

以上です。

藤井議長代理 大久保委員、どうぞ。

大久保委員 大久保です。今お話を伺ってきて、ここの相談等という条文だけで「相談」と「権利」を盛り込むと無理があるのではないか。「相談」というのは日常的な相談と重要な住まい方支援みたいな形も含めて、別の要素もあるわけです。それでここに「相談等」みたいな形で一緒に盛り込むというのは無理がある。だったら先ほどの「自己決定」ないし「権利の保障」でもいいですけれども、どういう言葉がいいかは別にして、そういう形で設けて、相談は相談で別に起こすなりした方が、整理しやすいのではないかと思います。

以上です。

藤井議長代理 それでは、この件はこれで終わりますが、このコーナーはとても大事な本基本法抜本改正の根幹に関わる論議をしたような思いがいたします。是非今後とも齊藤企画官にも持ち帰ってもらいますし、担当室でも十分斟酌をし、委員の方でも成り行きを注視していくということで、今日の3つの分野については一旦ここで終わりにしてまいります。

時間が余りありませんから、今から4時10分までを休憩にします。休憩はこれが最後になりますので、よろしくお願いいたします。

(休憩)

藤井議長代理 それでは、よろしいですか。4時10分になりましたので、このコーナーは第3コーナーと第4コーナーを合わせて5時を目途にして進行してまいります。そのうちの大半は第3コーナーで、特別支援教育の在り方に関する特別委員会、特特委と言われているんですが、検討状況について今日は文科省から説明をいただいて論議します。文科省からは千原課長がお見えになっていますので、千原課長を御紹介します。

では千原さん、よろしくお願いします。

千原課長 特別支援教育課長の千原でございます。本日はこの御説明の機会をいただきまして、大変ありがとうございます。お手元の資料3に基づきまして今、文部科学省中教審の特別委員会での議論の状況を御報告させていただきたいと思います。

最初に「はじめに」から始まる目次が付いておりまして、1枚めくっていただきますと論点整理(委員長試案)ということで「はじめに」からスタートいたします。

6月にこちらの推進会議の第1次意見、また、それを受けての閣議決定がございまして、それを受けまして文部科学省の中央教育審議会に特別委員会が7月に設置をされまして、直近は11月5日でございますが、それまで6回にわたり議論を進めていただいてきてございます。それまではいわゆる就学先決定の在り方ですとか、環境整備、合理的配慮、教員の確保、専門性の向上等々の議論を個別にやってまいりまして、前々回の第5回のときに自由討議を行い、そして前回の第6回の11月5日の会議において、それまでの委員から出された御意見、あるいはいろいろな都道府県から聞いたヒアリングの状況等を踏まえて、委員長が中間まとめに資する論点整理の試案ということで、今お手元の資料3が出された次第でございます。

委員長からは総論としてどういう方向感を示すのかということで、十分ではないかもしれませんけれども、委員の御意見等を踏まえてまとめさせていただいたという御紹介が、前回の委員会のときにあった次第でございます。

「はじめに」は私が申し上げさせていただいたようなことも含め、今回こういう特別委員会が設置されて議論が進められたという状況が書いてございます。

1ページめくっていただきますと「1.総論」から「4.教職員の確保及び専門性向上のための方策」まであるわけでございますけれども、時間もございますので、四角く囲まれたところが特に御議論のまとめとなっているポイントでございますので、そこのところを御紹介しつつ、前回の委員会で主な意見ということでどういう御議論があったかも、もし可能であれば御紹介をしたいと思っております。

2ページ「1.総論」の囲みの最初の○でございますけれども、インクルーシブ教育システムという理念、それに向かっていくという方向性について基本的に賛成であるということについては、異論がなかったところでございます。

2番目の○でございますが、インクルーシブ教育システムにおいて重要なことということで、その時点で対象となる児童生徒の教育的ニーズに最も的確に応える指導を提供できる、多様で柔軟な仕組みの整備。その後に続いてまいりますけれども、通常の学級、通級による指導、特別支援学級あるいは特別支援学校といった、多様な学びの場を用意しておくことが必要だろうという御意見が多うございました。

次の○でございますが、障害のある子とない子がともに学ぶということは、共生社会の形成に向けて役に立つ。個人の価値を尊重する態度、自他の敬愛と協力を重んずる態度を養うことが期待できるということでございます。

こういった共生社会の形成に向けてということに関連いたしまして、今後の進め方ということで御議論がございまして、短期、中期、長期的に行う制度改正として整理して、段階的に実施していく必要があるという御議論でございます。やや趣旨を取り違えていたら失礼ですが、例えば今、直ちに100点を取れないと0点なのかという御議論があって、長期的にはこのぐらいを目指す、中期的には、短期的にはという目標を持って、段階的に進めていくことが必要なのではないかという御議論がございました。

6ページは「2.就学相談・就学先決定の在り方について」でございます。

最初の○は、やはり早期からの就学相談あるいは教育相談をやることが大事だというところについては、御議論が基本的に一致していると思います。現在の制度でございますと学齢簿が入学する前の年の10月ぐらいにできるということですが、いろいろな信頼醸成とか共通理解を得ていくためには、できる限り乳幼児期を含めて早期から教育相談を進めていくことが大事だという御議論でございます。

次の○でございますけれども、今いわゆる就学基準というものに該当する障害のあるお子様は、原則特別支援学校に就学するという仕組みになってございますが、これについてはそういう仕組みは改めて、障害の状態とか本人の教育的ニーズ、本人・保護者の御意見、専門家の意見を踏まえて、総合的な観点から就学先を決定するという仕組みにすることが適当であろうというまとめでございます。その際、本人・保護者の意見を尊重する。そして、それ経て最終的には小学校の設置者となります市町村教育委員会が決定していくことが適当だろうという御御論でございます。本人・保護者と教育委員会あるいは学校の意見が一致しない場合、それは調整の仕組みについて検討していくことが必要だという御議論でございます。

次の○ですが、一度例えば特別支援学校に行ってしまうと、ずっとそのまま就学先が固定してしまうという形の理解というのが結構ございまして、決してそうではないということもあるんですけれども、やはり就学先の決定した後にも、教育相談というのは就学先決定をするところだけで終わるのではなくて、継続的にそういう教育相談を行っていく。また、その結果によって柔軟に特別支援学校から通常の学校に行くとか、就学先の見直しというのも適切に図っていく。そういった支援を行っていくことが適当であろうという御議論でございます。

今のこの案では市町村教育委員会が学校の設置者であるとともに、就学先の決定をする当事者になりますけれども、必ずそこが障害のあるお子様本人、保護者に対して十分な相談あるいは情報提供ができる体制を整備していくことが必要ですし、そういったことに対して更に上の都道府県教育委員会が、専門的な相談や助言をする機能を充実・強化することが必要だという御議論でございます。

2番目の就学先決定の仕組みについては御議論がございまして、特に先ほど申し上げました本人・保護者の意見を尊重するという点については、これは尊重するということではなくて、保護者の権利、義務その他ありますけれども、例えば合意あるいは同意が必要ではないかという御意見も、何名かの委員から御指摘があったところでございます。

10ページは「3.特別支援教育を推進するための人的・物的な環境整備について」でございます。こちらにつきましては発達障害も含めて、特別支援教育のさらなる環境整備が必要だという御意見が多くなってございます。合理的配慮につきましてはさまざまな委員の方から、障害種別によって合理的配慮というのは異なるのではないかという御意見もございました。ソフト、ハード両面からの検討をしていくことが必要だ。あるいはそういったことについては、財政的なバックアップというのも必要だという御意見もございました。こちらにつきましては7月に設置をされて6回会議を重ねましたが、十分にこの点について御議論が進んでございません。委員長の感じとしては、やはりここについては引き続き今後議論をしていくことが必要だろうという方向感でございます。

3番目の○でございますけれども、いわゆる特別支援学校と幼・小・中・高等学校との間で行われている、地域でともに学ぶという観点での交流及び共同学習の推進に当たっては、例えば事例として御紹介いただきました埼玉県あるいは東京都といった地域におきましては、地域の小・中学校に副籍あるいは支援籍というものを置いて、交流を盛んにやっているという事例も御紹介いただきました。そういった居住する地域の小・中学校に副次的な学籍を持っていただくような一層の工夫で、より交流及び共同学習の推進を図っていくことが大事だということとなっております。

特別支援学校につきましては、地域において一定の専門的な知見がある先生がそろっているということもございまして、地域における特別支援教育のセンター的な機能というものを有してございますけれども、それを一層活用していくという方向感がここの論点整理案では出ているところでございます。

13ページ「4.教職員の確保及び専門性向上のための方策」ということで、こちらにつきましてもインクルーシブ教育システムを構築していくという観点では、教職員の確保、専門性の向上についていろいろな御指摘、御意見をいただいてございます。具体的な方策として例えば発達障害のあるお子様というのは、各通常の学級にお一人ぐらいはいるような状況を踏まえれば、既に特別支援教育というものは専門的なものではなくて、普通の先生が必ず持っていなければいけないような能力ではないかということで、例えば大学でのカリキュラムで教員養成の在り方も考えなければいけない。あるいは今は学校種別ということで特別支援学校免許状という形での免許の取得になっておりますが、それについても特別支援学校という形での免許ではなくて、別途特別支援教育の免許状という形の在り方もあるのではないかという御指摘等々ございまして、こちらにつきましても今後引き続き検討していくことが必要だということでございます。

冒頭10分間ということで議長代理からいただきました。一応冒頭の御説明は終わらせていただきます。ありがとうございます。

藤井議長代理 資料3に基づきまして10分間程度の説明でありました。大分凝縮して説明してまいりましたので、いろんな質問、意見もあるかと思います。残り30分弱になりますけれども、4時50分を目途にして質疑を交換してまいります。まず発言を求めたい方は挙手していただけますか。竹下委員、どうぞ。

竹下委員 言いたいことは必要に応じて文書で出すことにしまして、2点に絞ってお話をします。

1点は7ページなんですが、結局は特別支援教育の考え方の中で今のお話でも、あるいは文面でも権利条約を受け入れて、言わば前進していくんだと言いながら、中身を見てみますと、まさに決定の仕組みのところを見てみますと、従来と全く変わっていない。原則という言葉はやめるんだと言ったけれども、決定のシステム、仕組みというところでは、市町村教育委員会が決定するということで全く変わっていない。

しかも一貫してずっと出てくる言葉が「専門的知識を有する人」で、これは誰なんでしょうか。どんな専門的知識なんでしょうか。就学先を決めるのに専門的知識が要るんですか。これは結局のところは「専門的知識を有する人」という言い回しの中で、本人の自己決定権や選択権を奪おうとする流れが、非常に色濃く出ていると言わざるを得ません。これが1点目です。

2点目は、そのときに地域の条件などを考えることが文言上書かれているわけでありますが、これは残念ながらこれまでの統合教育等における矛盾や、現場における声を反映していないことから来る言葉だと思います。とりわけ視覚障害者で言いますと、当事者団体の声が意識的に特別委員会から排除されているために、伝えることができなかったことは非常に残念でありますけれども、例えば点訳があるかないかによって、統合教育を拒否されたり受け入れたりするという現実を踏まえたとき、こういう言葉にはならないことを付け加えて終わります。

以上です。

藤井議長代理 千原課長からは何人かから御発言いただいた上で、少しまとめて見解等を述べてもらうようにします。北野委員、お願いします。

北野委員 私は一緒にかつて研究したことがある、公教育計画学会の資料を出させてもらっています。ルビとかの時間がなくて6ページ以降は御容赦していただければと思いますけれども、こういうものを使いながら私の意見を幾つか言わせていただきます。

ページごとに幾つか言わせていただきたいんですけれども、共有できる部分も実は全くないことはありません。例えば4ページの<5>で、特別支援教育という言葉をインクルーシブ教育という言葉に変えていただきました。私はやはり財政的な措置を日本のインクルーシブ教育全体に対して、高いインセンティブをあげてほしい。

OECDから見ても日本の教育予算というのはOECDの中で最低です。福祉だけでなくて教育全体の予算をOECDでの平均並みにしていくということは、これからとても大事なことです。予算も活用していきたいと思うんですけれども、問題はその次のインクルーシブ教育システムと地域性のところで、インクルーシブ教育のためには障害のある当事者がどれだけ社会に参加できるかが問われている。インクルーシブ教育システムの推進に当たっては普段から地域でと書いてもらって、地域の学校に学籍を置いてと書いていますけれども、根本的に違うのではないか。つまり、初めから一緒に学校でともに学び、ともにいろんなことをしておれば、この目的が達成される。ここは学籍の問題ではなくて学校で普通に学ぶということが基本にあれば、こういうことは達成できる。

5ページでも通学の利便性の向上のために特別支援学校の分室を設置するなど、地域化を進めている都道府県もあるとありますが、そういう問題ではないのではないか。アメリカでもイギリスでも書いてもらっている中で一番表現が足らないのは、基本的に最も制約の少ない環境であるとか、最も統合された環境で教育を受けることが前提なんです。restricted environmentであるとかmost integratedなenvironmentでともに教育を受ける、サービスを受けるということ、つまり基本は地域で普通学校、普通学級で受けることが原則である。その原則ということを明確にうたわない限り、こんな小手先でいろいろ書かれても結局は原則は貫いていないといいますか、私はそこが全体を読んでいて原則が不明確だなと思います。

例えば8ページでは、原則ということが見えないためにこういう表現が出てまいります。<6>で地域の事情等により環境整備に困難が予想される場合には、本人・保護者にあらかじめ受けられる教育や支援について説明し、十分な理解を得るということは、これはごめんなさいということですね。昨年の奈良県のケースでもそうなんです。ごめんなさいではないということです。バリアフリーであるとかインクルーシブなシステムというのは、それをすることが当然のことでありまして、しないことが差別であることを今回の法律はうたっているんですから、ごめんなさいでは済まないということだけを明確に。

では予算制約性の問題はどうなのかということなんですけれども、ここでも誤解をされておられます。11ページのところで非常に大きな誤解があります。それはいわゆる合理的配慮について非常に大きな誤解をされています。合理的配慮もあるけれども、均衡を失した場合に過度の負担に対してアンデューハードシップがあると書いておられますが、これはアメリカのADAも含めて、教育法で言えば基本的に民間のサービス上にこういう表現はあるんですけれども、公的なシステムにおいては当然連邦法の予算の制約を受けておりますので、連邦予算の制約を受けている場合にはリハビリテーション法の504条項が機能いたします。ですから合理的配慮ではなくて、バリアフリーすることは義務づけられております。ですからアンデューハードシップなんて議論は成立しないんです。

基本的にそれは権利としてバリアフリーで、公的機関、公教育の機関はバリアフリーにすることは最低の条件でして、それはもう義務づけられておって、プラス一人ひとりにより細かい配慮が要る場合に合理的配慮の問題が出てくる。それに関しても公教育の場合には504条項が働きますから、当然それについては予算が降りてくる。ですからここはアメリカの仕組みを誤解されていると思います。

そういうふうに言い出したらいろいろあるんですけれども、11ページの上の方で悲しい表現がありまして、環境整備が進まないままインクルージョンを進めることは、結果として教育のダンピングを招いてしまうという表現は、私は非常に危険な表現だと思います。例えば今日皆さんにお配りした資料でもボツにしてくれと申しましたけれども、例えば特別支援学校の子どもさんにかかっている予算は1人当たり850万です。一方で普通学校や特別支援学級でいらっしゃる方については80~90万ですから、100万かかっていない。つまり特別支援学校で10倍以上の予算がかかっている。ですから当然それに基づいて普通学校、普通学級で予算が特別支援学校から普通学級に予算が回れば、ダンピングなんてことが起こるはずがないんです。つまりより高い支援が普通学校の普通学級で受けられることになりますので、この表現も私は非常に納得のいかない表現だなと、もう少しそういうことも含めて考えていただきたい。切りがありませんけれども、この辺で終わらせていただきます。

藤井議長代理 千原さんから後で何かお話があるかもわかりません。大谷委員、どうぞ。

大谷委員 大谷です。机上配付させていただきました。11月11日付でこれはインクルーシブ議員連盟で、私と文科省の方がヒアリングを受けましたので、そのときに出した書面を出させていただきました。時間がなかったので主にインクルーシブ教育システムと就学決定手続について反論させていただきました。

一番言いたいことは、まず最初の出だしがインクルーシブ教育システムにおいて重要なことは、多様な学びの場を用意しておくことであるという結論が、私はどうしても論理的整合性も含めてどうしてそうなってしまうのか全く納得できない。従来からインクルーシブ教育システムというのは、学びの場を統一して統合し、そして支援することである。これは一致していることだと思うんです。統合して支援する。にもかかわらず委員長試案は形式的に場を一緒にするのではなく、多様な学びの場を、と言っているんです。形式的に場を一緒にして済むなんてことは誰も思っていない。必要な支援をしてくれ。その場合に多様な支援をということはあっても、多様な学びの場になってしまうのかが全く理解できない。統合した上での多様な支援をということであるならば、私はスタートにおいて一致したなということで安心して読めるんだけれども、まずスタートが違う。これは非常に驚きでしたので、是非ここは再考していただきたいところです。

時間がないから全部指摘することはできませんけれども、ともに学ぶと言っておきながら、教育条件が大幅に改善されない状況の中ですると形式的な平等化になってしまう。こう言っていますけれども、実質的に平等にするためにはそれこそ多様な支援をする。統合した上での支援をと言っているので、まず今はお金がない、何もできないからだめなんだ、支援はないんだということを前提にして話が進められているようですので、それもまた再考していただきたいと思います。

第三にインクルーシブ教育システムと地域性についてなんですけれども、インクルーシブという世界的な流れに関してこのままではいけないと思った挙句が、居住地校に副次的な学籍を置く、となっているんです。ここは制度改革を議論しているので、まず原則学籍を地域の学校に置き、支援籍を特別支援学校に置くというならわかります。言葉をすべらせたのかなと私は思いますけれども、今、課長は交流教育を盛んにやっているところもあるとおっしゃいましたが、これは資料を後で提出したいと思っていますけれども、交流教育はそんなにできていないんです。1年に1回、それも間接交流しかないとか、連れていくのも大変、学校の先生も大変。特に文科省は国際的な流れを意識して地域に支援籍を、地元校との支援籍をと言っているから、特別支援学校から地元校に連れて行かなければいけない。そうすると学校の先生はそんなに連れて行けない。だから交流なんてそんなにできていないんです。やっとできても本当に仲間になるような交流教育なんかできない。たまたま1年に1回会えるか会えないかの交流教育しかできない。こんなことでインクルーシブ教育システムなんてとても言えることではないと思います。

もう一つだけ、一番仕組みのところだけ是非忘れていただきたくないのは、竹下委員が言ったように全く現状どおりなんです。なぜ現状どおりかということを少し私の経験も含めて調べさせていただきましたけれども、同じなんです。就学先決定を総合的に判断するというこの仕組みは昭和53年、1978年の「54義務化」を前に文科省が発表した通達なんです。これはただ単に医学的な判断、22条の表だけでなくて心理学的、教育的観点から総合的に決定すべしというのが通達で出ているんです。ですから医学的だけではなくて、確かに障害が重くても地域の学校に行けている子がいました。それは心理的、教育学的観点からでした。53年の309号通達でずっとそういうふうにやってきた。そして変えたのは平成14年、2002年の認定就学のときに変えただけ。なぜ変えたかというと、そのときには地域の学校に受け入れ態勢があるならば、通常だったら特別支援学校に行かなければいけない子も、地域の学校に受け入れ態勢があるならば、地域の学校に措置してもいいという意味での認定就学を入れたときに通達を変えて、それが平成14年の2915通知です。

これと今の委員長試案とどこが違うのか。文言がほとんど同じなんです。どこも違わない。私たちが知りたいのは22条の3のまさに医学モデルの典型の表を撤廃するのかどうか。ああいう一律の就学基準をもうやめようというスタンスに立つのか。就学基準を設けるならば、あれを権利性のある規定にするためにはどうしたらいいのか。そこを議論していただきたい。にもかかわらず、就学決定手続の中で就学基準という言葉を生かし、そして総合的判断ということを言いながら、それは1978年から30年ずっと同じことをやっていることを、何でこの時期に委員長試案で出るのか。私には全く理解できないんです。

せっかく特特委でいろんな方が議論なさっているんだったら、もう少しいろんな資料を見ていただきたい。これが「54義務化」の前に出した通達と同じものなのか。どこが新しく変わるのか。全然変わらないではないかということも含めて私は精査していただきたいと思います。私はまだこれが試案という形で出たときに、こういう形で文科省の方がヒアリングに来てくれたことをとてもうれしく思います。ですから、これが変わり得るんだ。この試案はまさにたたき台だということで、これからまだまだ変わり得るということを是非踏まえて、今日持ち帰っていただきたいと思います。

合理的配慮に関しては決定的に誤解があるのではないかということに関しては、既に北野委員が言ってくださいましたのでもう触れませんけれども、私は就学決定手続のところだけでも資料を見直していただきたい。同じことを同じようにやって改めるなんて言わないでもらいたい。これでは改まりません。ですから、そこのところだけでももう一度検討し直していただきたいと思います。

以上です。

藤井議長代理 尾上委員、どうぞ。

尾上委員 尾上です。本当はもっと時間があればいろんな意見交換をしたいところですが、時間の関係で指摘をしたいと思います。

1つは先ほど北野委員がおっしゃられたアメリカにおいてという話がありましたが、韓国においても2007年に障害者差別禁止法ができて、そしてインクルーシブ教育が原則であることが明確になった上で、学校において運用上まさに義務としてそういう条件をつくっていかなければいけない。アメリカと同様なものであるということを申し上げておきたいと思います。

その上で政府同士の機関ですので、私ども推進会議の方で議論をし、まとめ上げた第1次意見書はちゃんと正確に読んでほしいと思います。この委員長試案の中では、これは既に何人かの方が言われていますけれども、形式的に場を一緒にするのではなくてとありますが、推進会議はそんなこと一言も言っていないです。原則は地域、その上で当然のことながら当該学校が必要な合理的配慮や支援を講ずるということを言っています。あたかも何か私ども推進会議が形式的な場を一緒にすると言っているかのような、誤解に基づく記述はやめていただきたいと思います。そういう意味では形式的に場を一緒にするというよりは、地域の学校を原則にするのがいの一番で当たり前であって、その上で本人・保護者が希望する場合は、勿論今までどおり特別支援学校も選べるという仕組みにした上で、どこにおいても必要な合理的配慮と、支援を得られる仕組みを私たち推進会議を提案しているということを、特特委の委員の皆さんに誤解のないように事務局として責任を持って伝えてください。こんな誤解に基づいた記述で、試案をまとめないでいただきたいということが1つでございます。

もう一つが先ほどの、これも何人かの方がおっしゃっていましたけれども、試案7ページの就学先決定の仕組みで、特別支援学校に原則就学するという従来の就学先決定の仕組みを改める。ここだけ見るとすごく期待してしまうんです。つまり、特別支援学校に原則就学するという従来の仕組みを改め、原則地域の学校で学ぶという仕組みに改めた上で、本人・保護者の希望を尊重して、特別支援学校も選べるという仕組みにしてもらえたらいいだけなんだと思うんですが、そこはそうではないというのが一番気になるところであります。

これも誤解のないように言いますけれども、推進会議は別に特別支援学校を廃止するとか、そんな記述は1つも第1次意見にはないです。つまり本人・保護者が希望する場合は今までどおり、あるいはこれからも特別支援学校を選べる。でも今の学校教育法施行令第5条、つまり原則特別支援学校に行くという仕組みの中でやはり泣いている本人さん、親御さんがいる。これを何としても解決しなければならないということで第1次意見書を出したということは、しっかり踏まえていただきたいと思います。

そしてそれは絵空事ではないということをもう一つ指摘をしたいと思います。これは今日、北野委員から出ている資料で東大阪市の仕組みを書かれた7ページのところです。ルビがないみたいで土本さんには申し訳ございません。3月に推進会議で東大阪市における就学先決定の仕組みということで、市政だよりのコピーをお持ちしてお渡ししました。その就学先決定の仕組みで、まず障害のあるなしにかかわらず就学通知を、その地域の小学校、中学校に就学するという通知を出した上で、本人・保護者が希望する場合は12月までに教育委員会は学校に申し出れば、当然先ほども申しましたが特別支援学校も選べる。特に希望しなければ当たり前に地域の学校に行ける。これで泣いている人はいません。そして実際これは2年目になっています。この説明をさせてもらったのは去年の秋ということでした。今年の秋も全く同じ市政だよりが全校に配布されている。現場は全く混乱しておりません。そういう意味で、こういう形でやっておられる仕組みをしっかり事務局として学んでいただいて、資料提供を特特委の皆様にもしっかりお伝えくださいということを以上お願いしたいと思います。

藤原議長代理 時間が大分迫って来たんですが、あと二人手が挙がっております。重複は精いっぱい避けていただいて、先に長瀬委員、お願いします。

長瀬委員 ありがとうございます。東京大学の長瀬と申します。今日はお忙しいところ文科省の方には本当にありがとうございます。また、私たち推進会議の第1次意見、閣議決定に基づいて特別支援教育に関する見直しを進めていただいていることを、本当にありがたく存じます。

私から1点だけ申し上げたいと思います。これは国連の人権高等弁務官事務所が今年4月に出したもので、障害者権利条約のモニタリングに関する資料です。私が訳させていただいたものは8月11日の第2回の特特委でも、大久保委員を通じて資料として提示させていただいているのですけれども、これは既に御承知のように、国連のジュネーブでは批准した国では国際的なモニタリングのプロセスが始まっておりまして、日本もあと3年か4年先に批准した際には、こうした資料に基づいて日本の障害児教育政策に関してのいろいろな審査が行われるということですので、今からこうしたものを念頭に置いて、批准のための障害児教育に関する見直しも是非行っていただきたいと思います。

既に御承知と思いますが、一般的モニタリング質問ということで一番最初に出てきますのは、障害のある人はあらゆる段階におけるインクルーシブな教育が利用できるのか。尊重すべき義務としまして、国は明示的にインクルーシブ教育への権利を認めているのか。国は障害のある生徒が就学を義務づけられている分離学校制度を、維持しているのかという点がございます。時間がありませんので1点だけに絞らせていただきますけれども、こうした観点から考えましたときに、現在の就学先決定の現在の仕組みに非常に問題があります。権利条約のモニタリングの文章からしても、非常に問題のある状態が続いています。

ですので文部科学省としても、この条約批准を機会に見直す本当にいいチャンスだと思いますので、先ほど課長からも前回の特特委の中で就学先決定の仕組みのところで本人・保護者の意見を尊重することでは足りなくて、本人・保護者の同意を確保するという意見が出されているという御紹介がありました。そういった点を是非、最終的な意見では反映して、障害者の権利条約の批准に向けて大きな前進を進めていただきたいと思います。ありがとうございます。

藤井議長代理 新谷委員、どうぞ。

新谷委員 新谷です。1点だけです。

2ページの括弧の中の総論部分に、多様な学びの場を設けると言いながらカスケードという括弧付きがついています。これはお考えになっているのは、多様な学びの場に価値序列をつけているような印象を受けるんですけれども、せっかくインクルーシブな教育でさまざまな支援の形でいろんな学びの場をつくっているのに、そこにカスケードという表現をすると、これは上の教育の場だ、これは下の教育の場だみたいな変な話が出てくるのではないかと思うんですが、その辺でどんな学びの場も価値的には同じなんだ、そこの支援の在り方がそれぞれいろんな異なった面があるんだ。こういう中にインクルーシブ教育をイメージしているんだという理解があったと思うんですけれども、その辺についてのお考えをお聞かせください。

藤井議長代理 課長の御発言にいく前に東さんから発言を求められておりますので、よろしくどうぞ。

東室長 意見ということではありません。2ページに参考資料2としてgeneral education system(教育制度一般)の解釈についてという資料が本来添付されているようです。今日は委員の皆様にはルビ付きが間に合わずに配付しておりませんけれども、この参考資料2は文科省が外務省に問い合わせて、以下の回答があったという紙になっております。そこにはgeneral education systemを教育制度一般と訳して、この中に特別支援学校等の教育も含まれるということかについて、YESと答えた文書が出ています。しかし、general education systemを教育制度一般と訳することについては、多くの人がおかしいと言っているわけです。

確かにこういう議論が第8回の特別委員会であったことは事実です。しかし、それは極めてインフォーマルな会議で、しかも一部の国が集まって議論したというだけに過ぎません。そこでのインフォーマルな議論が第8回の公式の場できちんと述べられて、それに基づいて採択されたという経緯はありません。しかしながら、こういう形で意味自体が本来は一般教育制度と訳すべきところを、教育一般制度という形で訳した上で、外務省のお墨付き的な文書が出ていますけれども、今この外務省が出している訳は変わっているわけです。

そういう中にあって、これはいつの時点での、日付も何もありません。外務省がこういう解釈を今もとっているかどうかは聞いてみなければわからないと思います。そういう問題がある文書をあえてこういうふうに出されておりますけれども、少なくともこれはいつの時点でのお話なのか、作成日付等について明確に資料があれば教えていただければと思っています。

藤井議長代理 そもそも課長の拘束時間は大分オーバーしていますので、この辺でお答えいただいて、もう少しお付き合いいただければと思うんですが、千原さんからお答えできる範囲でお答えいただけますか。

千原課長 文部科学省特別支援教育課長の千原でございます。今、委員の先生からたくさんの御指摘をいただきました。大変重く受け止めさせていただきます。すべてにお答えをするお時間も、私も事務局でございますので委員会を代表してという立場でないので、今の御指摘を受け止めさせていただくということではございますが、幾つか例えば新谷委員から、カスケードについて序列をつけている感じということがございましたが、これについてはどれが上でどれが下という趣旨があるとは、事務局としては当然思っておりません。それぞれ大事な多様な学びの場の1つであろうと思ってございます。

東室長からgeneral education systemについていつのことかという御指摘については、これは第4回か第5回のときに特別委員会で御紹介する前に、文部科学省から外務省にこういう理解でいいかということを確認させていただいて、出させていただいたというのが客観的な御説明でございます。

制度が変わっていないのではないかという観点について、先生の御指摘がたくさんありましたが、文部科学省としては現在は就学基準というものが1つの判断基準となって、それに該当すれば原則特別支援学校に行くという現在の制度でございますけれども、今、委員長試案に書かれている形では、いわゆる就学基準というものが判断の1つの材料になるという観点では、先生方の意見は十分でないという御指摘かと受け止めておりますけれども、漸進的にといいますか、制度をそこは改めていくというのが今の委員長試案の方向感なんだろうと受け止めております。

とりあえず以上でございます。

藤井議長代理 時間が余りないのですが、北野委員からどうぞ。

北野委員 千原課長にお願いしたいのは、かなり委員もいろいろ頑張っていただいているのを聞いておりまして、例えば8ページ<3>で学校や教育委員会が自分の子どもを進んで受け入れてくれるという姿勢が見られないと、保護者は心を開いて就学相談をすることができないと正直に書いておられて、学校とか教育委員会というのは障害のある子どもを地域で受け入れるという意識を持って、就学相談・就学先決定に臨む必要があると書いてもらっています。もしできましたら、ここで障害のある子どもを地域で受け入れることを原則にして、就学相談・就学先決定に臨んでいくということまで、もう一歩踏み込んだ表現を、基本的に地域で受け入れることを原則にして、そういう方向で今、進んでいるとすれば、そういうことを是非とも御明確にしていただけたらなと希望いたします。

藤井議長代理 私の方から1つ伺っておきたいことは、各則で推進会議も当然教育に関して近々規定ぶりイメージ素案も含めて出てくる。しかし、特特委というのは関係性も無用の混乱があってはいけない。そうしますと気になりますのはスケジュールなんですけれども、千原課長がわかる範囲で、今後特特委の進行状況で、最終的な方向が出るのはいつぐらいなのかということはいかがでしょうか。

千原課長 特別支援教育課長の千原でございます。今、藤井議長代理の御質問については、まず年内に中間的なとりまとめを行っていただく方向で今、動いてございます。この論点整理が更に深化していくような形かと事務局では考えておりますが、具体的に言いますと次回第7回の特別委員会が11月19日でございます。事務局としては委員会での御議論の進捗次第というところがございまして、いつまでに年内のとりまとめが終わるかというのは予断を持って申し上げることはできませんが、前回11月5日に初めて委員長試案が出まして、こういった論点整理に向けて御議論が活発にされたところでございまして、次が19日という段取りでございます。その19日で更に議論が続くようであれば、11月下旬なのか12月上旬に入ってくるのか、そういったところは事務局としては御準備しなければいけないのかなと思ってございます。

以上です。

藤井議長代理 堂本委員、どうぞ。

堂本委員 是非伺いたいのですが、今日大変具体的な質問が各委員から出ました。これを特別委員会の先生方お一人お一人に適切に、正確にお伝えいただくことはできますでしょうか。

藤井議長代理 これについてはいかがですか。

千原課長 特別支援教育課長の千原でございます。事務局として本日いただいた御意見は、特別委員会にお伝えをしたいと思います。

藤井議長代理 東委員から発言を求められています。

東室長 これまで議事録ということでまとめてきましたけれども、公表が遅れているのは各委員の先生からチェックしたものが返ってこないという現状もあるんです。少なくとも今日の議論はきちんと伝えたいと思います。19日に間に合うかどうかはわかりませんが、この部分だけでも早急に皆さんに送りますので、発言された方、そうでない方も含めて即座に返答いただければ、資料として用意できるかなと思っております。

そこでお頼みなんですが、そういう資料ができたらお渡し願えますでしょうか。

藤井議長代理 千原課長、どうぞ。

藤井議長代理 よろしゅうございますね。それは確認させていただきます。尾上委員、どうぞ。

尾上委員 議事録も勿論なんですけれども、それに関わってなんですが、第1次意見をとりまとめるに当って、例えば今日出ていた東大阪の仕組みであったり、あるいは第1次意見でまとめている方向はどういうものかということについて、事実誤認に基づいてのやりとりが続く限りは不毛な議論になってしまいますから、そういった議事録プラスこれまで推進会議の議論で出されてきた資料なども、お渡ししたいと思います。

藤井議長代理 では今日のこの場の内容を特特委にお伝えいただく。ペーパーでも19日に間に合うように準備をするということですね。そして先ほど日程を伺いますと、推進会議は第2次意見とりまとめが12月中旬と予定を組んでおります。そうしますと特特委でのまとめのタイムラグがどう出るのか。これは是非事務局同士で調整をしてほしいと思っております。そういう宿題をお願いした上で千原さん、今日はどうもありがとうございました。

それでは、少し時間が過ぎていますが、最後のコーナーに引き続き入ってまいります。わかりやすい第1次意見の作業チームで共同座長から御発言を求められております。土本さんと長瀬さん、お願いいたします。

土本委員 わかりやすい第1次意見ができ上がって、早速地域フォーラムで使っていただいているということで、かなり部数がまかれていることを聞きました。今日最終的にもう一回確認したところ、ページ数が打っていなかったところがありました。今日を含めて9回目になったと思うんですけれども、いろんな意見などあってわかりやすくできたと思いますけれども、まだまだ合理的配慮が足りない部分があるので、今後やるときにも気をつけながら進めたいと思っています。

以上です。

藤井議長代理 長瀬委員、どうぞ。

長瀬委員 長瀬です。地域フォーラムでの配布を優先したこともありまして、今日は残念ながらまだ皆さんのお手元には配れません。別にもったいをつけているわけではなくて、来週には皆さんにも1部ずつお配りしたいと思います。

実際に手にとってごらんいただきたいと思いますけれども、私自身もこれから例えば地域フォーラムなんかで説明する際には、多分こういう資料が非常にわかりやすいのかなと思います。勿論、知的障害のある方たちのアクセシビリティや、合理的配慮ということでつくったのですけれども、でき上がったものはいろんな意味で非常に誰にとってもわかりやすいものになっているのではないかと自負をしております。

今日は第1次意見がこうやってできたので簡単な打ち上げを行いまして、わかりやすい第1次意見をつくる作業チームはほぼ解散の方向に向かっておりますが、今日はそれでつくり方について反省もいたしました。委員の方からは、実際に会って、それぞれが意見を出し合ってつくった過程が非常に大事だったという御意見をいただいています。全員が集まってわかりやすくする作業というのは、1回しかできなかったのは非常に残念でしたけれども、逆に言うとそういう機会が一度でもあったことが貴重な経験になりましたので、また今後そういう機会があるとすればですが、実際に会って作業をする機会をなるべく確保して作業を進めていただきたいと思います。

ひとまず作業チームの役割は終えましたので、今後はまた実際に配布したり、実際に使っていただいた経験で、これからこういうところが今後は必要だとか、そういう意見があればいただくことにさせていただきたいと思いますので、当面作業チームとしての会合の予定はないという状態です。ありがとうございます。

藤井議長代理 お疲れ様でした。地域フォーラムがこの間に3会場行われています。複数名出ていますが、代表して1名ずつに簡単な報告をいただきます。先週9日に行われた滋賀について久松委員か北野委員、どちらかが代表でどうでしょうか。

北野委員 滋賀は300人以上の方が集まられて分厚い要望書を受け取ってきましたが、すごい活発な議論で、私と久松委員が答えるのが大変なぐらいいろんな御質問、御意見が出まして、私は主にわかりやすいバージョンを今回使わせていただいて御説明をさせていただきました。後ろにイエローカードも入っていますので、これも使って、こういうものができていますということを話させていただきまして、それも大きな関心を持っていただきました。

私の方から1つだけお願いがありまして、これをこれから毎回地方のフォーラムで配りますので、そのときにどなたかが必ずこれがどういうものか、なぜできてどんな意味があるかを御説明していただければ非常にいいなと。これについての御意見などを是非とも今後いただければいいなと思っています。

以上です。

藤井議長代理 岡山で11日にありました。これは東さんからお願いします。

東室長 11日に私と北野先生で岡山の地方フォーラムに参加してまいりました。およそ300名ぐらいで、持って行った資料がほとんどなくなってしまうという盛況でございました。このフォーラムの開催準備に当って地元では実行委員会が結成されました。本当に改めて地元の実行委員会の皆様にお礼を申し上げたいと思っています。

時間がないので議論の御紹介をしたいんですけれども、シンポジウムでは岡山県の身体障害者福祉連合会の片岡様が、視覚障害の立場から御発言をいただいたり、岡山県の手をつなぐ育成会の福田様から御意見をいただいたり、精神家族会連合会の小川様などから、本当に目一杯の課題をいただいたという感じです。すごく多かったので北野先生がほとんど発言する時間がなくて、フロアからも精神の当事者、違憲訴訟の原告の方、難病の方、学校の先生含め11名ぐらいの御意見がありました。

特に印象的だったのは、これまで精神障害の方は意見を集団の中では発言できる機会はあったんでしょうけれども、こういう障害の種別を超えた場面で発言をしたり、いろんな資料を配ったりすることはなかなかできなかったが、こういう機会ができていろいろ配ることもできて、非常に感謝しているという意見もありまして、1つにまとまっていこうという動きを肌で感じました。関係者の中からも今回で終わらせるのではなくて、岡山のJDF、ODFみたいな形でつくっていくべきではないかという議論も、終わった後聞こえてきました。そういうことで非常によかったなと思っております。

以上です。

藤井議長代理 昨日埼玉で行われました。中西委員から報告をお願いします。

中西委員 埼玉の地域フォーラムです。私たちがつくる新しい障害者制度と題して埼玉の48団体が集まって、フォーラムのための実行委員会をつくって参集してくださいました。場所が200人しか入らないホールだったので、残念ながら出席を断った方がいたそうです。階段だったので車いすの方は下の方ですので、かなりぎゅうぎゅうに混雑していた印象でした。藤井さんが基調講演をしてくださいまして、私はパネリストとして現地の聴覚障害、重度障害の親の会の方と御一緒に発言させていただきました。

そのほかにも指定発言ということで9人、フロアから10人の方が発言してくださり、その中には難病、高次脳障害の方等いらっしゃって、いろんな御意見が伺えたんですが、この中で特に新しい情報としては手話言語法が今、制定に向けた動きが始まったということで、これで聴覚障害の方が言っていらっしゃる問題の幾つかが解決されるのではないかと、お話を伺いながら思いました。さいたま市においては障害のあるさいたま市民の権利条例が、多分政令指定都市では初めてつくられ、こういう形で下から私たちの障害政策の改革を応援してくれる力が出ているんだということがわかってよかったと思います。

以上です。

藤井議長代理 長瀬さん、簡単に言ってください。

長瀬委員 長瀬です。ありがとうございます。いつも発言する際になると緊張するので、先ほどわかりやすいチームの共同座長としての御報告で、大事な点を幾つか忘れてしまいました。申し訳ありません。もしかすると報告する機会がありませんので。この冊子をつくったメンバーですけれども、土本さんは勿論ですが、北野さん、堂本さん、大久保さん、育成会の室津さん、勿論土本さんの支援者の元氏さん、特に感謝を申し上げたいのは事務局です。当初は予算もなかったということでしたが、予算も確保していただいて、本当にきれいな印刷になったことをありがたく思います。事務局の成富さんには本当によくサポートをしていただきました。この場でお礼を申し上げたいと思います。

もう一点は、この段階でまだ間に合うかどうかわからない各則に関する提案なのですけれども、一度御提案申し上げたんですが、障害のある女性に関する各則です。これについては第16回の7月12日の段階で、13名の委員から重要なテーマであるということで大きなテーマとして支持をされて、実際に第1次意見の中でも複合的差別という形で意見が盛り込まれています。障害者の権利条約の中でも独自の条文になっています。特に日本の社会がジェンダーの問題をもう解決しているということであれば、特に障害の分野でもそうした影響は少ないかもしれませんけれども、例えば毎年国連が出しています人間開発指数でも2009年で日本は全体で10番ですが、ジェンダーが入ってくるエンパワーメント指数になると57位と非常に落ちています。それは明らかに障害のある女性についても当てはまっているというのが残念ながら現状だと思いますので、本当にバスに乗り遅れているかもしれないんですが、障害のある女性に関する各則の検討を是非お願いしたいと思います。済みませんでした。ありがとうございます。

藤井議長代理 そういう点で言うと今の女性の複合差別やジェンダーの視点、子どもの問題も抜けてはいけない問題としたいと思います。

ではこの辺で内容を終わりますので、マイクを小川議長にお返しします。

小川議長 本日は長時間の御討議お疲れ様でございました。ここで東室長より今後の予定を含め、報告すべき事項があれば御説明をお願いいたします。室長どうぞ。

東室長 どうも御苦労様でした。次回は26回になります。11月22日月曜日です。議題は引き続きまして基本法の改正等です。ただ、22日は差別禁止部会も行います。ですので13時から15時半までを推進会議、16時から17時15分までを差別禁止部会の第1回としたいと思っております。

以上です。

小川議長 ありがとうございました。それでは、これをもちまして本日の会議を終了いたします。この後この場所で記者会見を行います。本日はお忙しい中お集まりをいただきまして、ありがとうございました。御苦労様でございました。

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