(PDF形式:395KB)別ウインドウで開きます

障がい者制度改革推進会議(第6回)
議事録

小川議長 定刻になりましたので、これより第6回「障がい者制度改革推進会議」を開催させていただきます。委員の皆様方には御多忙のところお集りいただきまして、誠にありがとうございます。

本日は福島内閣府特命担当大臣が出席されております。委員の出欠状況ですけれども、清原委員、長瀬委員、山崎委員が御欠席、それ以外の委員は全員出席です。

会議の公開、議事進行上の時間配分につきましては、これまでと同様といたします。御発言に際し、御自身のお名前を述べられてからゆっくりと御発言いただくということについても、これまでと同様よろしくお願いいたします。

本日の会議は17時までを予定いたしております。それでは、福島大臣よりごあいさつをお願いいたします。

福島大臣 どうも皆さん、こんにちは。第6回目の障がい者制度改革推進会議、皆さんたちの情熱と思いと努力と汗と涙、涙はないかもしれませんが、それぞれしっかり事前に意見を出していただき、しかも今日も4時間の精力的な議論に力を尽くしてくださることに、心から感謝を申し上げます。また、傍聴席の皆さんもいつも熱心に傍聴してくださり、本当にありがとうございます。今後、総合福祉部会を始め、精力的に部会を置いてやっていくことになりますので、その点についても本当によろしくお願いいたします。

先日、私はみのもんたさんの番組で話をしておりましたら、パラリンピックとオリンピックの両方の選手を呼んでカナダ大使館でレセプションがあったそうです。そのときにカナダの大使が、障害者ではなくて「特別な能力を持つ人」と障害者のことをおっしゃったそうです。私たちは障害者の「害」を平仮名にするということでスタートしましたけれども、特別な能力を持っている人という、そういう意味はよくわかります。すべての障害者の皆さんが特別な能力を持っている人という社会を実現するべく、この推進会議でとりわけ頑張ってやっていきたいと思っております。

前回、政治活動の参加に関していろんな意見が出ましたが、具体的な点についても、総務省やいろんなところとのヒアリングで、しっかり生かして検討して変えていきたいと思っております。ここで議論をしたことは、この現実を変えて、この社会を住みやすくするためのものだと思っております。皆さんたちのすごいエネルギーと協力に心から感謝を申し上げ、一緒に前進していきましょう。

一言、長くなってしまいましたが、東室長が総合福祉部会のメンバーを持ってきて、ちょっと多いかなと私は思ったんですけれども、「でもいい」と、「東さんそれでやれ」と、「あなたは高村光太郎なれ」と。これはどういうことかというと「僕の前に道はない、僕の後ろに道はできる」。ですから、傍聴席にいらっしゃるみなさんや、インターネットなどで見ている多くの皆さんたちと、私たちが新しい道を本当につくっていくんだ、僕たち、私たちの後ろに道ができるということを、皆さんの力で実現をしていきたいと思っております。今日もよろしくお願いいたします。(拍手)

小川議長 ありがとうございました。

それでは、これより先の個別討議につきましては、藤井議長代理に議事進行をお願いいたしたいと思います。藤井議長代理、よろしくお願いいたします。

藤井議長代理 議長代理の藤井です。どうぞよろしくお願いいたします。

今日から福島智盲ろう者協会より1名オブザーバーで加わっています。門川さんが構成員としては本メンバーで、福島さんは門川さんの補佐として疲労の状況を見ていきながら、必要な場面で御発言いただくというふうにしていこうと思っています。構成員とオブザーバーの関係は、実際にやっていきながら改良を加えていこうとしておりますので、よろしくお願いいたします。

今日はこれから約4時間ですけれども、3つの大きな分野を議論します。これの全体の協議の進め方につきまして、東室長からお話をいただきましょう。東さん、よろしくどうぞ。

東室長 東です。今日1番目のテーマとしては、司法手続に70分ほどかけたいと思います。

2番目のテーマとしては障害児支援。これに50分ほど。

3番目のテーマとしては医療。これに70分ほどかけたいと思っております。

1番目のテーマの司法手続については、司法手続における障害者の位置づけとか、捜査段階における刑事手続、公判段階における刑事手続、専ら刑事手続をメインにしたものを一くくりにしたいと思っています。

次に受刑者の状態とか、司法関係者に対する研修その他、これは民訴なども含めますけれども、これを一くくりのテーマとしてやっていきたいと思います。

2番目につきましては障害児支援ということで、これについても基本的な考え方、法体系の問題です。次に時期的に分けまして出生直後から乳幼児期の相談支援の在り方、その後に就学前の支援策の在り方、市町村を基本とした相談支援体制について、その他ということで、これは一括して説明を申し上げたいと思っています。

3番目が医療なんですが、まず精神医療についてを一くくりとして行いたいと思います。精神医療と福祉に関わる法体系の問題から出発しまして強制入院、強制医療介入、医療サービスにおける差別的な取扱い、社会的入院までを精神関係の医療問題として一くくりでやりたいと思っています。

その後で医療行為一般の問題、重度障害児の在宅移行、受診拒否、施設での滞留化という問題。最後に医療費に絡む問題として自立支援医療における医療費並びに更正医療、育成医療、精神通院医療、その他というくくりでやっていきたいと思っております。

以上です。

藤井委員長代理 今日も大変膨大な資料が出ています。各構成員の方で書いてもらいましたけれども、司法関係で92ページ、障害児支援関係で68ページ、医療に関係しましては102ページ、合計270ページ近い資料を作成していただきました。これに追加資料がありますので、三百数十ページの資料ですから膨大なんですけれども、これらも精一杯議論をしていこうと思っています。

今ありましたように、これから70分間弱になりますが、司法手続に関する論議を進めてまいります。これは前半と後半3つずつ項目を分けてお話をしますけれども、最初に改めて権利条約の中で司法の利用に関する機会ということで、お手元の権利条約第13条をお開きください。

この障害者権利条約の司法に関する条項あるいは条文というのは、実は日本政府が提唱したんです。だから余りそうは言いませんけれども、日本条項と言っていいぐらい日本にとっては大事な条項で、一部変更はあったが、原案が生かされています。そういうことがありますので、私たちの国においては率先して、この条項に関しては内容をクリアーしていきたいという考えでいく必要があると思うんです。短いのでちょっと読んでいただきます。

介助者 第13条 司法手続の利用の機会。

1締約国は、障害者がすべての法的手続(捜査段階その他予備的な段階を含む)において、直接及び間接の参加者(証人を含む)として効果的な役割を果たすことを容易にするため、手続上の配慮及び年齢に適した配慮が提供されることなどにより、障害者が他の者との平等を基礎として司法手続を利用する効果的な機会を有することを確保する。

2締約国は、障害者が司法手続を利用する効果的な機会を有することを確保することに役立てるため、司法に関わる分野に携わる者(警察官及び刑務官を含む)に対する適当な研修を促進する。

藤井議長代理 それでは、先ほど言った前半の司法手続の位置づけ、捜査段階の刑事手続、公判段階での刑事手続の3つにつきまして、更に意見の概要を東さんからお話していただきます。

東室長 東です。今、読み上げられましたように、障害者権利条約の13条は司法へのアクセスを規定しております。ところが、日本の司法手続に関しては1995年になりますけれども、関東弁護士連合会が我が国の刑事訴訟法手続や民事訴訟手続を始めとして、裁判の手続は原則として、障害者が裁判を受けることを想定していないと指摘しております。

このような指摘を受けている現行の司法手続が、障害者に対する手続上の配慮及び年齢に適した配慮を提供していると考えるか否かという点について、御意見をいただいております。これに関しては16名の委員から意見が出されておりますが、提出された意見はさまざまな問題点を指摘しておりまして、十分な手続上の配慮及び年齢に適した配慮が提供されているという意見はございませんでした。むしろ提供されていないとか、不十分であるという意見ばかりでございました。

個別的に見ていきますが、まず捜査段階における刑事手続の問題として令状主義を挙げております。被疑者が逮捕される場合は警察官が権限のある裁判官が作成した逮捕状が存在することを示して、犯罪事実の要旨を告げることになっております。このような令状主義は障害者に対して有効に機能していると考えるか否か、問題点があればどのような手続上の配慮が必要かという点について、御意見をいただいております。

これに関しては14名の委員から意見が出されておりますけれども、提出された意見は、例えば特に知的障害や視覚障害のある人について、情報保障がなされていないことを指摘する意見が多く、これらの障害者に令状主義が有効に機能しているという意見はございませんでした。

次に弁護人選任権や黙秘権の告知という問題です。被疑者は弁護人選任権や黙秘権の告知を受けることになりますけれども、このような権利の告知が障害者に対して有効に機能していると考えるか否か、問題点があればどのような手続上の配慮が必要かも含めてご意見を賜りたいという点について、御意見をいただいております。

これに関しても14名の委員から意見が出されておりますが、基本的には令状主義に関して論じられた情報保障と共通の問題点を指摘する意見が多く、逆に有効に告知がなされているという意見はございませんでした。求められる配慮としては、それぞれの障害の特性に応じた情報保障のための手話通訳者や筆記者、知的障害者の支援者などの立会いなどが求められると書かれておりました。

次に取り調べの問題ですが、被疑者に対する取調べに際して、障害者に対して適正な取調べが保障されていると考えるか否か。特に調書の作成やその内容の確認方法を含めて問題点があれば、どのような手続上の配慮が必要かも含めて御意見を賜りたい。また、昨今よく話題になっておりますけれども、取調べの可視化、全面録画化についてどう考えるか。そのような点について15名の委員から意見をいただいております。

提出された意見は視覚障害者、ろう者、難聴者、盲ろう者、知的障害者のような障害のある方それぞれに対応した適切な情報の提供とか、その担保となる手話通訳者や筆記者、知的障害者に対する支援者の立会いのないまま取調べが行われていることの問題点、更には精神障害の状態に配慮した取調べがなされていないことや、視覚障害者にとって調書の内容を確認する手段を有しないなどの問題点を指摘するものであります。逆に、適切な取調べがなされているといった意見はございませんでした。その上で今、述べました手話通訳者や筆記者、知的障害者に対する支援者の立会いとか、取調べの全面録画の必要性を強調する意見も多くありました。

次に公判段階における刑事手続の問題として、まず自白の任意性という問題があります。取調べにより自白すると書面が作成されるわけですけれども、その自白に任意性がなければ証拠として使えないことになっております。捜査段階における障害者に対する取調べ等に関して任意性を否定すべき場合が存在するか否か。存在するとした場合は、それはどのような場合についてかという点について御意見をいただいております。

これに関しても15名から意見を出されておりますけれども、提出された意見のほとんどは取調べに関する意見の中で述べられた問題点がある場合には、任意性を否定すべき場合が存在することを指摘しております。その他の意見を含めても、積極的に障害者に対する取調べについて、任意性が問題とはならないとする意見はございませんでした。

次に証人尋問ですが、被告人や証人が障害者の場合、質問や尋問が適正になされていると考えるか否か。問題点があればどのような手続上の配慮が必要かも含めて御意見を賜りたいということに関して、15名の委員から意見が出されております。

ここでも提出された意見のほとんどは、尋問等が適正になされていないことを前提に取調べや、自白の任意性の問題で取り上げられました障害それぞれに対応した適切な情報提供、その担保となる手話通訳者、筆記者、知的障害者に対する支援者を介した尋問の必要性を指摘しておられます。更にはこれを権利として保障すべきことや、裁判官、検察官、弁護人の質問の仕方や威圧感をなくす工夫などが必要だという意見もありました。

最後に判決ですが、判決は宣告により告知されることになります。判決内容の伝達、判決文の交付が適正になされていると考えるか否かという点について、御意見をいただいております。

これに関しては13名の委員から意見が出されておりますけれども、ここではおおむね適正になされているという意見もあります。また、著しく不適正ではないという意見もありました。しかしながら、多くの意見は判決文が理解できる内容や言葉遣いでなされるべきであるとか、点訳の判決が必要であるなど、判決内容及びその伝達に障壁があるといった指摘がなされております。

以上が刑事手続についての問題です。

藤井議長代理 まず今、言ったお手元の論点で言うと3つ、先ほどありましたように司法手続の位置づけ、捜査段階と公判段階の刑事手続。全体として障害の状態、つまり障害の種類とか程度に応じた合理的配慮、支援策をどうしていくのか。とりわけ恐らく今後はこの刑事訴訟法の改正、もう一方で差別禁止法の制定の中で位置づけるべき問題という区分けがあると思うんですけれども、こんなことも頭の中に入れながら、これから御発言をいただきます。どなたからでも結構ですが、いかがでしょうか。大谷委員、どうぞ。

大谷委員 どなたも発言なさらないので、ちょっと私の意見を補足的に言わせていただきたいと思います。

要するに配慮がされていないということに関しては、おおよそどなたも意見が一致するところだろうと思います。ではどうするのかといったところを、この場で制度改革の意見をそれなりに交わすことができたかと思うんですけれども、私は弁護士として知的障害の方、ろうの方の弁護をする中で、本当に何もない。何もないことによって各弁護士のある種の経験によらざるを得ないところが非常に多い。ということは、初期の段階で刑事弁護士にどの弁護士が当たるかによって非常に差が出てしまっている。

まずここでアンバラスンな事態になって、偶然性によってたまたま障害のことを理解している弁護士であれば、そこそこのことをやられるかもしれないけれども、弁護士が全くそのことを知らなければ、その入口段階において非常に悲惨な事態になる。特に冤罪事件なんかにおいても、我々弁護士としても反省しなければいけないのですが、多くの冤罪事件が、自白があるということで弁護士が安心して、認めているから間違いないのだという形でやってしまう。そのときに障害のことをよく理解していれば、その自白を疑うことができたのではないかという事件もあるのです。

とするならば、どういうふうにするかということをやっと弁護士会でも問題にするようになった。しかし、非常にごく少数の人がそのことを問題にしているのであって、弁護士会ですら、そのことを全体的な問題意識として持って取り組んでいるとは言えない。

私とすると、そういう非常に消極的、否定的な段階のときに何を今できるかということなのですが、今、大阪の弁護士会で障害のある方が逮捕されたときには、センターを設けていて、そこにSOSを出せば経験のある弁護士が派遣される、もしくは複数受任できるようなサポートをするということを取組み始めています。

これを各弁護士会でまずは取り組むべきだというのも、今やれる1つの方法ではあるんですけれども、そういう今やれるべきことと、そのことを法制度としてどこで保障するのかということを、藤井議長が言っていただいたように問題にするべきだと思うんですが、正直申し上げて、刑事訴訟法の改正等のことに関しては後で述べたいと思いますけれども、なかなか難しいと思います。

とするならば、例えば少なくても障害者基本法に司法に関する権利等々も書いていない。これから新しく設けられるであろう差別禁止法においても、勿論細かい規定が設けられるだろうと思いますけれども、せめて障害者基本法に司法においてどういう権利があって、どうされるべきかということに関しては、明確な指針を持ったものがまずは最低規定されるべきで、そこから差別禁止法を設けるなり、緊急の課題として刑事訴訟法が改正されるようになれば勿論いいのですが、そこに至るまでも是非そのような取組みをやってもらいたいし、私たち弁護士としてもやらなければいけないなと思っていますので、その点意見を補足させていただきたいと思います。

以上です。

藤井議長代理 ほかにいかがでしょうか。関口委員、お願いします。

関口委員 弁護士の質というか、ばらつきも勿論そうなんでしょうけれども、調停委員や裁判官に関する研修は必須だと思います。これは調停や裁判を民事で私はやりましたが、やはり精神障害に関してはかなり偏見を持っていらっしゃる方が多いです。というわけで、これは司法関係者、とりわけ裁判官とか調停委員など判断を下す方が障害の特性について、きちんとした理解を持っているということは不可欠だと思います。

一応強調しておきますけれども、合理的配慮として薬が与えられたとしても、大量の向精神薬が与えられると、よだれを垂らして口もきけない状態になるんです。これは簡単に言うと服薬拒否できない状態だろうからと思うんです。つまり、そんなにいっぱいは要らないという会話が成立していて、医療としてインフォームド・コンセントが成立していれば大量の投薬を受ける馬鹿はいないわけです。だから、そういうことがまず基本にあるんだと思います。これは医療の問題に大きく踏み込む問題です。要するにインフォームド・コンセントの問題です。

刑事司法の刑事訴訟法の問題で言うと、ここに書いてありますけれども、自白が証拠となったのは戦時の特別立法としてなんです。それまで戦前でも自白は証拠ではなかったわけです。その戦時特別立法がいまだに日本の戦後の刑事訴訟法を規定していること自体がおかしい。任意性があろうが何だろうが、自白のみでは証拠とならないということは明白なのですから、それは自白でもってとるか、それとも証拠でもってとるかといったら証拠でとらなければいけないわけで、これは刑事の司法の分野にかなり突っ込みますけれども、どうしても障害者の問題をやるときに、そういう医療とか司法の問題で根幹的な部分まで突き込まざるを得ないところがあります。

このことをやるのは障害者にとってだけではなくて、一般の人に対しても医療を受けるときのインフォームド・コンセントとか、自白が証拠とされないとかいう原則は必要ですし、いいことだと思うので、制度改革推進会議として障害者問題だけということでやると枠から外れるのかもしれませんけれども、強く主張しておきたいところです。

以上です。

藤井議長代理 そもそも一般の刑事訴訟法の問題があって、特に障害を持っている場合には問題が凝縮化、集積化しやすい。ですから一般の問題の中でも障害という視点から、見直しとか方向性については改善を方向づけする必要があるという意見だったと思います。

ほかにいかがでしょうか。竹下委員、どうぞ。

竹下委員 竹下ですが、3点実例で少し現状を理解してもらう必要があると思うので例を挙げます。

1つは今、調停員の話が出ましたが、北海道の家庭裁判所であった事例で、全盲の母親と弱視の父親の離婚事件で、調停員のとった態度なんですけれども、全盲の母親に対して「あなたは全盲だから子育てなんかできないでしょう。だから子どもを引き取るという主張はやめなさい。だから父親に渡してちゃんと離婚しなさい」ということを明確な方針でもって臨んで、母親がそれに反論すると「できもしない子育てをすることを前提にした主張をしても、子どもにかわいそうでしょう」という調停が行われた事例があります。

2点目に、これは私自身が弁護人として経験した事例で京都地裁ですけれども、手話を理解していない、ろう学校にすら行っていない聴覚障害のある刑事被告人に対して、黙秘権の告知が行われた際に、手話通訳者はつけましたけれども、彼に黙秘権告知は有効になされていないという主張をしました。それでも裁判所はこれでもいいんだと言うので、公判調書に対して異議まで出しました。すなわち、公判調書には黙秘権告知が行われたと書いてあるから、その調書は間違いだということで異議を出しました。

更にその調書の異議に対する裁判というのがあるんですが、その裁判の中で何と言ったかといいますと、本人が理解しているかどうかわからないけれども、裁判所としては必要とされる手話通訳者をつけて、可能な限りの努力をしたんだからいいんだ。簡単に言えば、当の本人である聴覚障害のある被告人が、理解しているかどうか問題にしなくていいんだということを明確に言いました。これが現実になされている黙秘権告知の実態です。

もう一点ですが、これは別の聴覚障害のある被告人の事例なんですけれども、やはり彼は教育を受けていない方なんですが、理解力がないために弁護人と検察官の役割を私があえて質問したら、理解できませんでした。彼がそういう理解力の下で弁護人が選任されたとは言えないし、現実に弁護人との間で信頼関係を維持して攻撃防御を図ることはできないと主張しましたが、それについても裁判所は公判手続を停止することなく裁判を進めたという例があります。

要するに、現状での刑事裁判2例から言えるのは、被疑者、被告人がどのような理解をしたかの確認すらしないまま、別の言い方をすると刑事被告人被疑者が理解をしていなくても、そのことを問題にしないという態度が現実に行われていることを、私たちは前提にして手続保障を考える必要があると思っています。

以上です。

藤井議長代理 竹下さん、そういう中でこれは当面の改善課題なんだけれども、先ほど大谷委員は障害者基本法に入れるべし、同時に差別禁止法や刑事訴訟法改正を厳しい道があるが、やっていこうではないかということがあったんですが、どういう改善の方向に関する意見がありますか。

竹下委員 意見書にも書いたんですが、3点短く。

私はまず研修というものは絶対的に必要だと思っています。

2点目には、本来の刑事責任の関係でいいますと、責任能力というものに対して厳格にきちっと適用すべきだと思っています。

3点目には手話通訳の関係もそうですし、補助者でもそうなんですが、裁判所のための補助者というのと、被疑者、被告人のための補助者を分けてつけるべきだと思っています。

1点目はイギリスで経験しましたけれども、イギリスではDDAという差別禁止法ができた以後に、警察官等に対する研修というのは非常に丁寧に行われています。したがって、知的障害であろうが身体障害であろうが、そうした障害に対する理解を捜査官等が一定の理解をした上で、捜査やその他の接触を行っているということを知ることができます。これは弁護士、裁判官等も同じであります。

2点目の問題は、補助者の関係でいいますと、現在の刑訴もそうなんですが、どうしても裁判所は自分が理解をするために手話通訳者を位置づけているとしか思えないのです。そうではなくて、手話通訳なんかは特にそうなんですけれども、昔、刑訴時における手話通訳の研究書を我々はつくったことがあるんですが、少なくても聴覚障害のある方の側で手話通訳をするということと、裁判官のために手話通訳をするということとは全く別のものだと考える必要があるわけです。そうでないと、その手話通訳者は聴覚障害のある方について、どれだけの理解をしたかの確認をしながら進めることができないわけであります。

聴覚障害のある方でも手話通訳を十分に理解できている、あるいは手話というのはそれなりに言葉に対する理解力がないと当然手話が通じていることにならないわけですから、そうした理解力の程度に応じた通訳の仕方を、その当該被疑者・被告人に合わせて配置することが必要であることから考えても、この補助者あるいは手話通訳者などが裁判官のための補助者と、刑事被疑者・被告人のための補助者というのは、明確に分けるべきだと言えるわけです。

もう一点申し上げている攻撃防御のときの責任能力の問題ですけれども、裁判所は知的障害のある方についても、先ほどの聴覚障害の方についても、判決文に記載されているので私の主観では言っていないわけですが、非常に甘いんです。

例えば、私が担当した聴覚障害のある方の刑事事件の場合、私が担当した時点で彼は前科13犯だったんです。私の段階で初めて責任能力鑑定を非常にたくさんやりました。鑑定は3つ出ました。その中でどの鑑定においても知的能力において3、4歳程度あるいは幼児程度としか出ていないのに、裁判所の判断では彼は犯罪を繰り返すことによって、犯罪の善悪の区別がつくような状態になっているんだという前提で有罪判決を下しています。

要するに、責任能力について十分な判断をするための前提としての知的障害や聴覚障害のある方、未教育の方々に対する対応というものができていないと言わざるを得ない。これらについてすべて解決するためには、まずは研修、それから、責任能力について厳格にする刑事訴訟法の取扱い方、補助者の配置の仕方を裁判所法になるんでしょうか、民事訴訟法になるんでしょうか、それへの規定が必要だろうと考えます。

以上です。

藤井議長代理 研修に関してはまた後で出ます。土本委員から手が挙がっていますので、お願いいたします。

土本委員 知的の障害と言われている人は、少しおかしい行動を起こしたらすぐ捕まえようとして、警察の力で抑えつけられてしまった事件もありました。自分もそうですけれども、法律のこととか警察のことというのは説明をしてもらっていない。ただ、いっぱい言われて何でも返事をして、「はい」と言ってしまって警察に捕まってしまう。そのときに説明をする支援者が必要です。

自分たちも理解していないのに警察に捕まって裁判にかけられてしまって、よくよく考えたら悪いことをやっていないのに捕まってしまったということも含めて、説明する支援、警察も私たちの障害のことの理解、専門的な人がいれば、そのときにゆっくりと話し合っていけばいいのではないかと思うんです。

以上です。

藤井議長代理 これも先ほど言いましたように、研修はまた後で深めていきます。同時に今、言われたのは支援者のことも重ねてお話が出ていました。久松委員、どうぞ。

久松委員 全日本ろうあ連盟の久松です。聞こえない人の裁判の実例が出されたので、非常に心地悪いんですけれども、事実として教育を十分受けられなかった聞こえない方が冤罪等で捕まる例も多いことは確かです。そういう捜査の段階から裁判までの間、きちんと情報保障がなされていないということが、実例として非常に多くあることは確かなんです。

その1つは特に言いたいことですが、国際規約に触れることがないのでこの機会に国際規約についてお話をしたいと思います。市民的及び政治的権利に関する国際規約、自由権規約の中の14条fを読み上げます。

「裁判所において使用される言語を理解すること、または話すことができない場合には、無料で通訳の援助を受けること」と書いてあります。ところが、刑事訴訟法というところを読みますと、「通訳をさせることができる」ということで、通訳にかかる費用については自己負担をしなければならないというのが、日本の司法手続の現状です。私たちはいつも通訳を保障しなければいけないと言っていますが、裁判に手話通訳をつけると費用を自分で負担しなければなりません。国際規約の自由権規約では無料としていますが、そういう条項が日本では守られていないということです。早急に刑事訴訟法を改正しなければいけないと思っています。

大谷弁護士からもおっしゃられたことですが、弁護士さんも大いに反省をしてもらいたいことがたくさんあります。聞こえない人が裁判を受けたいと思っても、弁護士に頼んでも断られるという例が非常に多くあります。手話ができませんとか、障害のことがわかりませんと言われ、弁護士を選択できる状況にはありません。国選弁護士は配置されますが、十分に被告人とコミュニケーションがとれないままに裁判がすぐに終わってしまうということがあり、どうして捕まったのかということがわからないままになる事例が非常に多いということを、是非弁護士会としても反省をして、研修をしていただきたいと思います。簡単に断ることのないようにしていただきたいと思います。

私たち一般市民から見ますと、裁判所というのは特殊な世界だと思います。その特殊な世界の中でろうあ者が捕まり、あるいは裁判をするようになったときに、手話通訳をつけても通じないこともあると思います。その場合は、その聞こえない人をよく知っている専門家あるいは当事者に補佐人をつけることを要望しても、裁判所、弁護士の理解がなかなか得られずに、補佐人をつけることを認めてもらえないことが多くあります。補佐人をつけるという制度がありますので、その手続を活用できるようにしてほしいと思っています。

2番目ですが、コミュニケーションがとれないままに、また被告人が十分理解できないままに捜査され、その上で自白したという事例が多い。その場合は、証拠能力がないから直ちに公判を打ち切るべきであることを、皆さんに是非認識していただきたいと切にお願いしたいと思います。

以上です。

藤井座長代理 この場は政策を論じる場ではあるんだけれども、どうも政策の改善までは大分時間がかかる。当面弁護士会頼みますよという御意見なので、大谷さん、一言代表してお願いします。

大谷委員 大谷です。まさに本当に我々が反省しなければいけないことが多々あるんです。実際に我々がやっているときでも感じるし、同僚のやっているものを聞いてもはらはらすることもある。ですから我々弁護士会としてもとにかく研修も含めて、先ほど言った支援センター的なものを設けて、障害のある方で何か困ったことがあったときには、弁護士会が受け皿になって相談に応じて、当番弁護士みたいな感じでやった方がいいのではないかということも、ぼちぼちですけれども始まっていますので、皆さんの期待に即応えられないかもしれませんが、頑張りますのでよろしくお願いします。

藤井座長代理 次の問題ともダブってきますので、受刑者の状態、司法関係者の啓発、研修、その他民事訴訟、行政訴訟も併せて後半は議論してまいりますので、意見の概要を東さんからお願いいたします。

東室長 東です。簡単に御説明申し上げます。

まず受刑者の状態についてですけれども、法務省が毎年矯正統計年報というものを出しております。それによると新受刑者のうち知能指数69以下の人は22%を占めているとされております。片や障害者白書では知的障害者は0.4%とされているわけです。両者の判断基準というのは必ずしも同一ではありません。ですから、単純に比較することはできませんが、なぜこのような大きな開きがあるのか。そういうことについての御意見をいただいております。

これに関しては16名の委員から意見が出されているわけですが、実はこの論点は司法へのアクセスという問題と、福祉の問題が大きく重なり合う分野だと思っております。したがいまして、これらについての多くの意見も原因とか背景について、両分野にわたる問題点が指摘されているところであります。

司法手続におきましては、手続的配慮が欠けていること。そして、その結果として必ずしも実刑にならずに済むような事件であるにもかかわらず、実刑になってしまうという問題。または量刑が通常よりも長期になるという問題、もしくは免罪の問題も指摘されているところであります。更にはこの司法手続に関与する裁判官、検察官、弁護人の無理解などもその原因として指摘されているところです。また、地域生活の支援や職場の支援からこぼれて落ちている現状の指摘があります。この背景としては障害の定義、適用の取得、福祉サービスの対象範囲といった大きな問題があります。地域社会で何らの支援を受けていないことが、結局は衣食住が保障されている刑務所に向かわせる原因となっているとの指摘もあります。さらに刑務所における合理的配慮の問題です。受刑中の障害者の処遇に関して適正になされていると考えるか否か。どのような手続上の配慮もしくは合理的配慮が必要かも含めて御意見をいただいているところであります。

15名の委員から意見を出されておりますけれども、このうち数名の委員から御指摘があるように、障害者の権利条約第14条では身柄の拘束を受けている場合の合理的配慮に言及があります。しかしながら、日本の現状については多くの委員の意見として知的障害、発達障害、精神障害のある人や聴覚障害のある人、更には車いす利用者への合理的配慮がなされていないとの指摘が挙っております。必要とされる配慮の内容としては物理的なアクセス、情報面でのアクセス、医療面での配慮、刑務所職員の研修などの必要性などが述べられております。

次に司法関係者に対する研修の問題です。これは先ほど読み上げられた13条2項に規定されています。「締約国は障害者が司法手続を効果的に利用することに役立てるため、司法に係る分野に携わる者(警察官及び刑務官を含む。)に対する適当な研修を促進する」と書いてあります。しかしながら、日本ではさまざまな事件が起きているところであります。このような事件が発生する中で、日本の司法関係者に対する研修が必要であるかどうかについて御意見をいただいておりますけれども、17名の委員から意見が出されております。

この件に関しては全員が研修の必要性を指摘しておられます。また、多くの委員は障害の理解を欠くことで生じるさまざまな問題点を指摘しておりますし、個別的には障害の特性、手話言語や障害に配慮したコミュニケーション、生活支援の基本などについての理解に関する研修が必要であるという御意見、更には障害の理解だけではなく、薬物やアルコール依存などの理解も必要であるという御意見もございました。

次に民事訴訟法、行政訴訟手続関連ですが、まず損害額の認定の問題を挙げております。障害者の稼働能力が低く認定される結果、逸失利益の認定が低く抑えられることについてはどう考えるかということについて、13名の委員から意見をいただいております。

この点に関しては、ほぼ全員が低額による認定の不当性を指摘しておられます。中でも社会の障壁や支援不足といった要因から稼働能力が低く認定されるわけで、そのような社会的な原因を考慮しないまま低額の逸失利益を認定するのは、差別であるという意見がかなりありました。また、逸失利益の稼働能力を前提として把握すること自体に問題があるという御指摘、更には仮に稼働能力を逸失利益の算定に用いるとしても、合理的配慮によって稼働できる状態というものを想定して、それを前提として算出すべきであるという御意見などもありました。

その他ですが、いろんな問題点が指摘されております。例えば訴訟能力と成年後見人制度の問題なんですけれども、成年後見制度の適用を受けていない知的障害者が消費者被害に遭って裁判を起こすとなった場合に、裁判官から後見人をつけてくださいと慫慂をされるといった問題点、被害者の立場に置かれた障害者に関しては証言の信用性の問題がありまして、なかなか証言どおりの認定をしてくれない。したがって、公的機関によって適切な証拠化が必要とされているのではないかといった御意見がありました。

また裁判員制度における欠格事由の問題などが挙げられております。著しい場合は欠格事由として排除されます。しかしそれだけではなくて、理由をつけずに排除するというシステムもあります。そういう中で障害者が排除されているという現状と、裁判員に選ばれた場合の合理的配慮をどうするかという問題が挙げられております。

更には先ほど久松委員からも発言がありましたけれども、通訳費用は訴訟費用として敗訴者負担の原則が適用される。負けた場合には自腹を切ることになります。そういう問題があります。

また障害者が証人とか傍聴者の立場に立つ場合の合理的配慮をどうするかという問題があります。障害者の権利条約第13条は、単に被疑者被告人としての障害者の問題だけではなくて、いろんな立場で絡む場合の問題も包括して規定しているところです。

さらに精神保健福祉法と医療観察法による不定期的な拘束は、裁判を受ける権利をはく奪するものではなかという御指摘や訴訟に関する資金援助とか専門的援助の制度化の御指摘も挙っております。

最後に土本さんからは実際の事例などを基にして、知的障害者が被害者の場合に加害者を起訴しなかった事例、知的障害者が成年後見人に選任され、結局他人からだまされた事例、警察官に取り押さえられて死亡事例、知的障害者が逮捕されたが、冤罪の可能性があると思われる事例、知的障害のある人の中には質問に「はい」と答えてしまいがちな人がいることなどが紹介されております。

地域で適切な支援のないまま犯罪に巻き込まれたり、犯罪を犯したりする場合があるけれども、加害者の場合は簡単に犯罪者とされてしまう。逆に被害者の場合はなかなか訴えを取り上げてくれずに泣き寝入りになってしまうことが、土本さんの意見としてありました。

以上が委員の主な意見の紹介ですけれども、前半の問題も含めて委員の中に意見の対立があるという問題ではないということはわかっていただけるかと思います。関東弁護士会が指摘するように、日本の刑事訴訟法、民事訴訟法は基本的に障害者がその当事者になるということを想定していないことが、皆さんの発言からも裏付けられるのではないかと感じます。ですので、この手続的な配慮、合理的配慮を実際にどうやってつくるかというところが、議論の焦点になるかなと思ったところです。

以上です。

藤井座長代理 委員間の対立はないけれども、現状のギャップは非常に大きいだけに難しい問題を抱えていると思うんですが、今の整理してもらったものに加えて御意見をいただきます。いかがでしょうか。大谷委員、どうぞ。

大谷委員 大谷です。たくさん言いたいんだけれども、絞って2点だけにします。

まず受刑者の方なんですが、御存じかどうか、明治以来の刑事施設拘禁法がやっと5年前に改正されたばかりなんです。今年はこれの見直しの時期なんです。ただし、この刑事施設拘禁法は非常に問題が多い。障害者の点からだけでなくても大きな問題を抱えている。特に医療が非常にお粗末だということと、接見交通権の保障に関しても非常にお粗末だということがあって、それがすべて一番の弱者である障害者にしわ寄せがいっている。

例えば接見交通は事例を言った方がわかりやすいかもしれませんけれども、手話を使う方が手話を使うと、立会警察官、刑務官が理解しない言語を使ったということで抑えられる。抑えられた手を払うと懲罰にかけられてしまうという、自分自身の言語を手で表現したことによって、わからない動作をして暗号を使ったという世界にまだなってしまっているところがあるんです。

それから、医療に関しても勿論医師不足ということもありますので、適切な医療が本当に保障されていないということで非常に問題があるので、この刑事施設拘禁法の5年目の見直しの時期に、何らかの点で今でも間に合うということで、ここでこのような改正点を盛り込むべきだということをまとめるならば、至急、可及的速やかにやるべきだと私は思っています。

もう一つ、知的障害の方が独居拘禁で全く隔離されてしまうことがあります。どうしても知的障害のある方は他の受刑者からいじめられる。いじめられるとまずいということで、保護的にすべての拘禁者から隔離されて、朝も晩も昼も作業も運動も1人でやることになってしまうというのは、ある種の虐待ではないかと思われるような処遇が知的障害の方にはまかり通ってしまう。そのようなことも含めて障害のある方から声をあげていかないと、これはなかなか改正が難しいかなと思う点があります。

全く違う観点なんですけれども、私は意見の方で今、東室長から提案されたように、知的障害のある方には特にそうなのかもしれませんが、刑事手続と福祉の関係をどうとらえるのかということに関しては、本当にこれから真剣に議論をしていかなければいけないと思うんですけれども、やはり真剣にかつ慎重に議論しなければいけないと思っております。

刑事手続である種の刑罰を科し、更に加えて犯罪を犯した人に対して、福祉という名の下に何らかの生活制限が継続してしまうということがあれば、それはそれ自身で人権侵害だろうと思っています。福祉は自ら求めることが前提ですし、生活制限があるということであってはならないということからすると、そこのところがあいまいになったまま、刑罰と福祉が非常にルーズな運用にされるということを見逃してしまうと、結果として人権侵害を見逃してしまうことになるのではないかという危惧もあります。

それと同じような問題だと思いますけれども、犯罪報道との関係もあると思います。犯罪報道が病名を、障害者名を特定して報道することが見逃されている。とするならば、それと犯罪との何らかの因果関係があるならまだしも、全く因果関係がないときにも、あの人は精神障害、あの人は発達障害などという形でラベリング、レッテル貼りがまかり通ってしまう。それは報道倫理の問題でもありますので、ここで意見をということにならないのかもしれませんけれども、やはり障害のある人の犯罪報道がどうあるべきかということに対しては、各報道機関に対する倫理規定の中に盛り込んでもらわないと困ると思います。非常に多岐にわたる問題になってしまいますけれども、ここしか言う場所がないとするならば、是非その点も含めて皆さんに問題意識を持っていただきたいなと思っています。

以上です。

藤井座長代理 今、言われた1点目の法律名をもう一度おっしゃっていただけますか。

大谷委員 ごめんなさい。正式な法律名が思い出せません。長い法律の名前なので後で調べます。

藤井座長代理 それが今年改正年に当たっているんですね。

大谷委員 改正ではなくて、5年目の見直しの時期がたしか今年になります。それで弁護士会もこの見直しに何を意見提言するかということを今やっていますので、そこに障害者の観点からも、こういう点も見直すべきだということを盛り込むんだったら、チャンスかなと思っています。

藤井座長代理 これは推進会議または障害団体で考えていきましょう。門川委員、お願いします。

門川委員 門川です。繰り返すまでもないかと思うのですけれども、冤罪事件等を防ぐためにも障害の特性について理解をするということ、警察官、弁護士、司法関係者に対して、そういう意味では研修を充実させることが大事かなと思います。

先ほどの手話通訳の問題にしても、聴覚障害者の立場に立った手話通訳になっていないということが多いと思われますし、裁判所においても障害のある被告人に対しての配慮はそう見られないと思うのです。

これは司法の手続きとは直接関係のないことかもしれないですが、警察官、裁判官、弁護士等に対する研修がいかに重要かということは、私、門川個人的な経験からも言えることがあります。

例えば私がアメリカに行ったときに、警察官と出会ったことが一度ならずありました。そのとき驚いたことは、その警察官が手話で話しかけてきたことがありました。また別の警察官は、日本では警察手帳を提示することで警察官であることを証明するのでしょうけれども、アメリカでは私の手をとってバッジのところに持って行って、警察ですよと教えてくれたことがありました。別の警察官は私が道に迷っていたときに、どうしたのですかと声をかけてくれ、私が手に文字を書いてくださいと言ってコミュニケーションをとって、パトカーに乗せていただいて目的地まで案内してもらったこともありました。

こういったことは日本では警察官に助けを求めようとしても、なかなか理解が得られないことが普通のようで、こちらは引いてしまいます。ですから司法の手続とは関係ないことではあるのですが、警察官や弁護士、裁判所の関係者といった人たちに対する研修というのは非常に大事だと思います。

一方で裁判員制度が始まっていますけれども、それについても私たち見えない、聞こえないという立場では、この裁判員裁判にどう関わっていいのかがわからないということになります。それは裁判を行う専門官も同じで、障害の特性に配慮し理解することが重要かと思うので、ここでは基本法とか訴訟法などにも規定していただいて、障害の特性に配慮するということに特に注意していただきたいなと思います。

以上です。

藤井座長代理 新谷委員、お願いします。

新谷委員 ちょっと素人っぽい意見で申し訳ないですけれども、裁判傍聴について一言発言させていただきます。

意見書にも書きましたが、裁判員制度開始に当たって私たちの団体は最高裁に磁気誘導ループの設置の要望を行いました。これに対して、全国60か所の裁判所に磁気誘導ループが設置されたということが、最高裁の刑事局から報告がありました。裁判所に要望に行ったときは、通用門まで係官が来て暗い部屋に係官付き添いで行って、最高裁のバリアって本当にすごいと感じました。そこに呼び込まれて非常におどおどしながら要望したのですけれども、要望結果60か所にループの設置があったということで、わざわざ報告いただき、叩けば扉は開かれると思いました。磁気ループは多分裁判員の方の席に張られていると思うのですけれども、傍聴席に磁気ループが張ってあるかどうか私たちは確かめていないので、そこの確認はしたいと思います。

それとは別に、先ほど門川さんからアメリカの話がございましたが、ある研究会でアメリカの或る州の傍聴申込用紙を紹介いただきましたが、そこにはチェックマークがあって手話通訳は必要ですか、文字通訳は必要ですかなど、マークするところがある。それをマークすると準備いただける。ここまでは普通に想像できるのですけれども、その州の申込用紙ですごいなと思ったのは、裁判所側の回答欄があるわけです。それで今回の申し込みについては、この裁判に配慮します。次の欄は、同じような事例の裁判例について配慮をします。もう一つの欄は、この配慮は恒久的に裁判所が準備しますと、3つの段階の裁判所の回答欄にあるわけです。

合理的配慮の実現プロセスとして、非常に具体的なステップを踏んでアメリカの場合やられているということです。日本でも裁判所規則か何かの改正で実現できる範囲の問題ではないか。勿論お金はかかりますが、実現できる範囲ではないかと思うのです。そんな大それたことではなくて、今回の磁気ループと同じような処理をやっていただいて、一つひとつ現実していく可能性があるのではないかと思って発言させていただきました。

以上です。

藤井座長代理 このコーナーはあと二人、大濱委員と佐藤委員で打ち切ります。大濱委員、どうぞ。

大濱委員 脊損連合会の大濱です。逸失利益の件に関してですが、私たちの団体として今、問題になっているのが、脊髄損傷の場合は中途障害が多いんですが、これは障害になった途端に一種一級の形で保険上で死亡同様の扱いになっています。

私たちの場合、頚椎、腰椎、胸腰椎がありますが、頚椎の上の方を怪我すると車の運転ができない。ところが、腰椎とか胸椎ですと運転ができるんです。このように車で運転している人が交通事故に実際遭った場合のことです。実際に遭ったときに、交通事故で加重障害となります。即ち、新たに交通事故に遭ったために手足がしびれたりして、運転ができない状態になったとき何も保障がなくて、あなたはもともと脊髄損傷でそのときにきちんと保障をもらったんだからいいでしょうとなる。このように、更なる保障がない上に障害が重なったことによって運転ができなくなっても、それに対する保障も一切ないというのが現状です。これは余りにも変です、新たな障害の追加として改めてもらわないと困る。一種一級だから、1回その時点で死亡扱いされたから、その後は何も保障しなくていいんだというのは余りにもおかしなことなので、この辺もきちんと改めていただきたいということです。

藤井座長代理 佐藤委員、どうぞ。

佐藤委員 佐藤久夫です。今の意見なんですけれども、昔は確かに脊髄損傷で歩けなくなれば最大の障害ということで、特に農業社会というか肉体労働の時代には当然のことだったんだろうと思うんです。今のお話にあるように改造自動車で通勤したりとか、いろいろ世の中が変わってきた中で、主に肉体を使ってではなくて知的な能力を使って仕事をして社会参加するようになって、環境が変わったことによって肢体不自由の持つ意味が大きく変わってきているにもかかわらず、医学モデルでずっとやってきている。制度の見直しを求めている事例と感じました。

長くなって申し訳ないんですけれども、追加資料の35ページで紹介をさせていただいたんですが、2009年に東京都内のホームレスを対象にした調査の結果が紹介されています。164人の調査の結果、知能指数70未満というのは53%で、言語を使う能力が十分でなくテストができなかった人も、このほかに多数いるという報告が寄せられています。

先ほど障害者白書では知的障害者が0.4%であるが、新規受刑者の中でIQ69以下の人は22%と何十倍もの違いがあるということについて、いろんな意見が交わされていたわけですけれども、私は知的障害者が0.4%なのに、なぜ受刑者が22%もIQの低い人たちがいるのかということではなくて、知的障害者が0.4%だから受刑者の中でかなり高い割合の知的障害者が存在することになるんだという、原因と結果の関係にあり、矛盾することではないのではないかという書き方をしました。

支援の対象者をうんと狭めているために、必要な支援が受けられずに会社でも苦労をしたり、地域社会でも苦労をしたりして弾き出されてしまうということの1つの例として、受刑者の高い率があり、ホームレスの中でもかなり高い率で知的障害を持つ人がいるという関係にあるので、司法と福祉というのは福祉だけではなくて、雇用だとか所得保障だとかいろんなものに関連しますけれども、谷間の障害を起こさないようないろんな制度というのが、総合的に関係するんだということを示した重要な数字ではないかと思いました。

以上です。

藤井座長代理 先ほどお二人の手が挙がっていたので、重複していなければ一言ずつ、竹下委員と関口委員いかがですか。

竹下委員 非常に研修が大事だということは中身は言いませんが、現在の司法制度の中では、例えば裁判所にこの人は聴覚障害があるから、難聴だからマイクを使ってくれと最高裁にその申し入れをすると、どういう答えが返ってくるかといいますと、それは各訴訟の裁判を担当している合議体の裁判官に任されているので、最高裁は口出しできませんというシステムになっています。

したがって、そうした個々の裁判官の判断に任されているがゆえに、先ほど新谷さんが指摘したような問題が解決されないという実態がありますから、必ず基本法か裁判所法という法律において合理的配慮、あるいはバリアフリー、更には差別的な取扱いに対する救済規定を設けないと、解決しないということを申し上げたいと思います。

藤井座長代理 わかりました。関口委員、どうぞ。

関口委員 刑務所の中の処遇の法律が見直されるということなので、この際にどうしても言っておきたいんですけれども、実は刑法39条、犯罪を犯した時点で心神喪失とか耗弱がなかった人が完全責任能力で刑務所に行くわけです。精神病の人も当然行くわけです。それがその他資料の46~58ページに書かれているように、刑務所の中の医療が非常に貧困である。症状をとらえて、それが懲罰の対象になってしまうという事例があります。

もう一つは、何でこういう事態が一般刑務所で起こるかというと、医療刑務所というところに行って精神科の治療を受ければいいわけで、その道もあるわけですけれども、医療刑務所に行くと保釈がありません。ですから仮釈放がないわけです。そうすると満期になってしまうわけです。それよりは我慢して薬をもらって、何とか仮釈放になるようにと頑張るわけです。

資料を見ていただければわかりますように、そういう状態の中で精神科医の配属されている率がお話にならないほど少ないわけです。そういう意味で、もしいわゆる矯正施設の処遇の見直しということがあるのであれば、全体的に底上げするとともに、刑務所内での医療的な配慮というのを、他のものと平等な使途に立ってということでもって、底上げをしていただきたいと思って発言しました。

藤井座長代理 ではこれで議論を打ち切りますけれども、司法分野というのは非常にわかりにくい、難しい。したがって運動化しにくい。また保守的である。その保守的というのは例えば、建物の構造にもあらわれてくることがいっぱいあるわけです。しかし、人権の保障あるいは人権の侵害の分かれ道がこの分野であって、看過できない問題もいっぱいあるわけです。

今日の議論では、まず障害者基本法の法律の中にちゃんとこれについては明記しよう。それから、現行の司法関連法律、刑事訴訟法を始め、今ありましたように裁判所法もあれば民事訴訟法等があります。急ぐものもありますが、現行関連法の改正をどうするのか、見直しをどうするのか。それから、差別禁止法です。恐らく先ほど門川さんの例、新谷さんの例というのはADAとも関係はなくはないと思うんです。

したがって、差別禁止法の創設の中でどう盛り込むか。トータルに合理的配慮ということをキーワードにして深めていくことで、一旦整理をさせていただきます。

これから2時35分まで15分間休憩に入って、その後に障害児の支援の分野に入っていきます。では休憩に入ってください。

(休憩)

藤井座長代理 大臣がまだ着席していませんけれども、時間がまいりましたので再開いたします。

障害を持った子ども、障害児の支援のコーナーに入ります。先ほどの第1コーナーの司法の分野なんですが、今年定期見直しがありますのは先ほど大谷委員から正式名称を聞きました。「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」ということです。長ったらしいですが、見直しが迫っていますので是非意見をだすべきということで、各団体もよろしくお願いしたいと思っています。

では、この障害児の支援に関しまして、私たちは幾つかことを想起する必要があると思うんです。1つは子供の権利条約。わが国も批准をしています。そして権利条約の中にも第7条には障害児に関する条項を盛り込んであります。短いので東さんの説明の前に、ちょっとこれだけ読みましょう。

介助者 第7条 障害のある児童

1締約国は障害のある児童が他の児童との平等を基礎として、すべての人権及び基本的自由を完全に享有することを確保するためのすべての必要な措置をとる。

2障害のある児童に関するすべての措置をとるに当たっては、児童の最善の利益が主として考慮されるものとする。

3締約国は、障害のある児童が自己に影響を及ぼすすべての事項について、自由に自己の意見を表明する権利、並びにこの権利を実現するための障害及び年齢に適した支援を提供される権利を有することを確保する。この場合において、障害のある児童の意見は他の児童との平等を基礎として、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする。

藤井座長代理 それでは、いただきました意見書の概要について、東室長から説明を受けます。東さん、よろしくお願いします。

東室長 東です。ちょっと長くなりますけれども、全部を御紹介したいと思っております。

まず基本的な考え方ということで、法制度の問題について御意見を伺っております。今、読み上げられましたように、障害のある児童と障害のない児童が平等であるという趣旨からして、一人ひとりの子どもの有り様を「障害」という概念でくくる前に、個性・個人差としてとらえ、児童福祉法における子どもの施策の中で、基本的には障害児の支援を位置づけるべきだという考え方があるわけですけれども、それについてどう考えるか。これに関しては17名の委員から意見が出されております。

この点についての多くの意見は、障害児に対する支援は一般児童と区別せず、児童福祉法に基づくべきとしております。ほとんど異論を見ないところでもあります。これは障害児である前に子どもであるということとか、先ほど読んでいただきました障害者の権利条約第7条が、締約国は障害のある児童が他の児童と平等にすべての人権及び基本的自由を完全に享有することを確保するための、すべての必要な措置をとるとしているという点を根拠にしているものと思われます。

しかしながら、障害ゆえに必要な支援についてどうするのか、児童福祉法の中に位置づけるか、それとも別の法律を用意して上乗せ的に支援していくのかという点が1つの論点として提示されております。大方の意見は児童福祉法の内部で障害に基づいて、必要な支援を提供していくという形で整備していくことが前提になっているかと思われます。また、これに関連してですが、児童福祉法の児童の定義というものが狭い。その定義自体を見直していくべきではないかという御意見も挙がっております。

次に条約第7条には障害のある児童が自己に影響及ぼすすべての事項について、自由に自己の意見を表明する権利、並びにこの権利を実現するための障害及び年齢に適した支援を提供される権利を有することを確保すると規定されております。障害のある児童の意見表明権と、その権利を行使するための支援の必要性について規定しているわけです。この意見表明権等を障害者基本法で明文化することについてどう考えるかという点に関し、17名の委員から意見が出されております。

この点については御意見のほとんどは、障害児の意見表明権を障害者基本法で明文化することについて、積極的な見解でした。

条約26条以降は可能な限り初期の段階において開始し、並びに個人のニーズ及び長所に関する学際的な評価を基礎とするものであることという点と、早期からのハビリテーションとリハビリテーションを規定しております。障害のある子どものハビリテーション及びリハビリテーションは、児童福祉法、障害者自立支援法、発達障害者支援法等複数の法律で規定されているわけですが、障害のある子ども生活構造に沿った再編成とシンプル化についてどう考えるかということで、15名の委員から意見をいただいております。

ここでは種々の切り口からの御意見がありました。しかしながら、子どもの生活構造に沿った再編成とシンプル化という点については、多くの委員が総論的にではありますが、積極的な意見でございました。ただ、中にはきめ細やかな支援となれば制度の複雑化は避けられないとか、子どもという側面と障害児という側面があって、それが幾つかの法律で対処するのもやむを得ないといった意見、あるいは児童福祉制度ごとに合理的な配慮の内容が異なる場合もあって、単純に統一できるか慎重な検討が必要であるという意見も出されておりますし、また、実施主体の連携の重要性を指摘する意見もあります。

更にはリハビリテーションとかハビリテーションの定義にも絡む問題であるわけですが、隔離的傾向を懸念する意見とか、子どもにはそもそもリハビリテーションといった概念は不要ではないのか、あるいは聞こえることを絶対的な価値とすることで、子どものアイデンティティを損なうことについて留意すべきだという意見なども挙がっております。

出生直後から乳幼児期の相談支援の在り方についてということで、障害児と保護者へのケア・関わりは出生直後に障害が判明した場合には、そのときから適切な関わり方でなされる必要がある。従来の「早期発見・早期療育」という方針は、医療・療育に偏向しており、障害のない子どもと分離し選別することにつながるという問題点が指摘されておりますが、この点についてどう考えるかということで、15名の委員から意見が出されております。

ここでは従来の早期発見・早期療育という方針は、医療・療育に変更しており、障害のない子どもと分離し選別することにつながるという現状認識をお持ちの委員と、そうではないとする委員の間に認識の違いがあります。しかしながら、本来は必要な医療や療育が適切に提供されるということと、生活実態を犠牲にすることなく、限りなく統合された社会環境もしくは障害特性に応じた言語環境の中でそれらが提供される。その双方がともに追求されなければならないという点に関しては、意見の相違はないのではないかと思われます。

次に従来の早期発見・早期療育という方針の下では、障害を少しでも軽くする努力をしていくことが保護者の責任とされている現況において、保護者の罪悪感を強め、責任感をあおる結果につながる懸念があるとの指摘もなされているところでありますが、こうした指摘も念頭に置きつつ、障害の早期発見・早期支援の在り方について16名の委員から意見が出されております。

ここでは保護者の社会的孤立とか罪悪感を抱くなどの心理状態に陥る場合があることについて、多くの委員の現状認識は共通なものでございました。その上で多くの委員から本人のみならず、家族、保護者への支援や親相互のピアサポートの重要性を指摘する意見がありましたが、反面、専門家による否定的な情報の提供の在り方を問題視する意見なども出されている状況です。

次に確定診断前の子どもや気になり始めた段階での子どもの支援について、申請主義的な手続を必要とする制度のためにタイムリーな支援が困難となり、保護者による支援の辞退が懸念されることが少なくない。こうした現状に対してどう考えるかという点については、16名の委員から意見が出されております。

ここでは多くの委員から障害者手帳を取得してからの障害児への支援ということではなくて、子育て支援の一環として位置づけるべきだということや、本人や家族の立場に立った相談支援や情報の提供の重要性が指摘されておりますし、必要な支援が地域で受けられるような仕組みが重要である。それがないために保護者による支援の辞退とか、タイムリーの支援が困難になるんだという御意見もございました。

保護者の漠然とした育ち不安や育て不安を、障害種別ごとに切り分けた支援サービスの仕組みにはめ込むことは、保護者の心理面からも無理があるという指摘がありますが、こうした指摘も念頭に置きつつ、相談支援の多様な在り方ついて16名の委員から御意見が出ております。

ここでは相談の現場としても障害種別ごとに切り分けたものとはなっていないという御指摘、そうならないような努力がなされているなどの御指摘が挙っていますが、その反面、障害種別ごとの各種療法が乱立して、または細分化にわたる支援が分離選別につながりやすい。総合的な相談窓口が必要であるといった指摘もありますし、聴覚障害を持った子供に関しては、その特性に対応した相談体制が必要であるといった指摘もあります。

相談の在り方についても、必ずしも各種相談が連携したものにはなっていない。身近な相談体制やその専門性についても不十分といった意見、専門的な情報提供だけでは保護者の不安の解消にはつながらない。同じ地域の社会資源の中で孤立しないように、寄り添う形などの支援が必要であるといった意見もありました。

地域での子育てに関する相談はいろいろな関係機関での実施が望ましく、それらの情報が一元化されて、関係者や関係機関が一緒に検討できる場が必要であると言われていますが、このことについて留意点なども含めて御意見を16名の委員からいただいております。

ここでは各種機関で相談ができること、及び総合的な相談体制の必要性について多くの委員の方が賛意を表されております。ただ、保健、医療、福祉、教育などの関係機関の連携だけではなくて、親、子ども、当事者相互による相談体制の必要性とか、地域に密着した相談体制、地域の社会資源のネットワーク化、地域の社会資源とつなげるコーディネーターの重要性、地域の総合相談体制の必要性も指摘されております。そして、その際に情報の共有や一元化という点につきましてはプライバシーの問題もありますので、本人や親の同意、承諾が必要であるといった御指摘がありました。

就学前の支援策の在り方についてということで、現在、保育所での障害児の受け入れが年々増加している状況において、障害児の通園施設は障害児の専門機関としての機能の拡充が求められているとともに、地域の実情に応じて保育所等への巡回など、外に出て行って障害児や保護者、保育士等を支援しコーディネートを行う機能を果たしていくことが求められております。こうした障害児通園施設と児童デイサービスの機能を充実させるためには、その役割を担う人材や財源を確保することが必要であり、このためには個別給付の検討が必要であるという考え方がありますが、こうした考え方について16名の委員から意見が出されております。

ここでは通園施設の機能に関しては積極、消極の御意見がありました。しかしながら、通園施設の地域支援、コーディネート機能の重要性については、ほぼ異論がないところだと思われます。また、その財源として個別給付方式が妥当であるのかについては、議論が分かれるところになっておりますけれども、財源確保のための何らかの措置が必要であることについては異論がないところだと思っております。

障害児の通園施設について、障害の重複化に対応して身近な地域で支援が受けられるようにするために、障害種別による区分をなくし、多様な障害のある子どもを受け入れるようにしていく通園施設の一元化に向けた考えがあります。こうした通園施設の一元化に関し、その必要性やあり方について15名の委員から意見が出されております。

ここでは地域の身近なところで利用できるといった観点から、一元化に賛成する意見も多くありました。しかし、その際に専門性をどう確保するかが問題であるとする意見も多くございました。これに対して、そもそも通園施設の現状の改善が必要であることや、一元化によって身近で利用できる施設のない現状が解消できるといった現状にはないのではないかという御指摘もありますし、そもそも通園施設は不要であるといった意見、ないしは地域支援としての機能を強化し、在園者を暫時減らしていくべきだとする意見、一元化という問題以上に統合保育、統合幼稚園教育が前提として必要であるという意見もございました。

市町村を基本とした相談支援体制についてということで、身近な行政が子どもについての権利と責任を一層明確に自覚することは重要であるが、小規模な町村では障害のある子どもの数は少なく、こうした子どもとその家族を効果的、効率的に支援するサービスが質的、量的に保障できるのかという論点もあります。こうした点についてどう考えるか、更には町村の相談を専門的な相談支援につなげる体制を、地域の実情に応じてつくっていく場合の課題についてということで、14名の委員から意見が出されております。

ここではさまざまな議論がありますけれども、国、県、市町村の連携とか、広域的な相談支援体制の構築、国の支援、更には自治体自体が事業所化もしくは専門相談員の巡回の実施、自治体が専門的な相談支援の利用支援者の立場に立つべきなどの御意見が挙っております。

障害児には、その時々に応じて保健・医療・福祉・教育・就労などさまざまな関係者が支援を行うことが必要である。身近な地域でこうしたさまざまな分野の関係者の連携の強化を図るため、地域自立支援協議会の活用(子ども部会の設置)等により関係機関や関係者間の連携をつくっていくことが重要だと言われておりますけれども、こうした考え方について15名の委員から意見が挙っております。

ここでは自立支援協議会の役割の重要性を指摘する意見や、地域によって果たしている機能に格差があるとの御指摘、支援する側だけではなくて当事者団体や地域団体との連携も必要であるとする御指摘、コーディネーターの役割が重要であるという御指摘、子どもの場合は自立支援協議会の枠を超えた連携が必要であるという御指摘など、さまざまな御指摘が挙っておりますが、自立支援協議会が有効にその果たすべき機能を評価するための御指摘であるという点については、変わりないのではないかと考えております。

最後にその他ですけれども、項目だけ御紹介しますが、厚生労働省において平成20年に障害児支援の見直しに関する検討会報告書というものが示されております。それを資料として活用することが望ましいという御意見が挙っております。

現況の自立支援法は親ありきで、子どもは親が見るべきと自治体に言われ、多くの自治体でヘルパー時間数が少ししか決定されない現状があるという御指摘があります。

障害児の放課後、休日の保障が需要であるという御指摘があります。

細かくはいろいろ書いてありますので、見ていただければと思います。

最後に土本さんの意見として書いてありますが、特に障害のある子どもを隔離収容することをやめるべきです。仲間たちは児童施設からそのまま大人の施設に送られてきました。子どもに社会の都合、大人の都合を押し付けないでほしいということが書いてあります。

以上が意見の概要です。

藤井座長代理 それでは、このコーナーは25分間ぐらいにします。

今、土本さんからイエローカードが出ましたので、伺いましょう。

土本委員 ハビリテーションというのは何でしょうか。

藤井座長代理 ハビリテーションについて佐藤委員、簡潔にお願いいたします。わかりやすくお願いします。

佐藤委員 リハビリテーションというのは持っていた力、能力が障害、病気のために失われた場合に、能力とか社会生活とか人間としての誇りだとか、そういうものを再び取り戻すという意味で、再びという意味で「リ」を付けているわけです。子どものときから障害を持っている人の場合には、これから能力だとか誇りだとかを身に付けようということですので、再びという意味をあらわす「リ」という言葉は要らない。

リハビリテーションという言葉を使っていると、子どもにはふさわしくないということで、国連の権利条約ではリハビリテーションとハビリテーションというのを2つ並べて書いて、子どものことを忘れないようにしましょうということで強調していると私は理解しています。

以上です。

藤井座長代理 北野委員、どうぞ。

北野委員 今の件で、少しハビリテーションとリハビリテーションに関して、権利条約第26条の政府公定訳の説明に不満があります。

政府公定訳はハビリテーションの説明を「適用のための技能の習得」なんていう訳をされていまして、これは非常におかしな訳でありまして、ハビリテーションという概念は明らかに新しい能力や参加の可能性を開いていく、展開していくものですから、こういう訳は是非とも変えていただきたいと思います。

以上です。

藤井座長代理 北野委員、先ほどの佐藤委員の説明はいいわけですね。

竹下委員、どうぞ。

竹下委員 端的にはハビリテーションというのは極めていい言葉だと教えてもらったんです。要するに個性の創出というか、あるいは個性を伸ばすと訳すくらい、人間が持っている本来の力を伸ばすという意味だと思っているので、この国の訳は間違っていると思います。

藤井議長代理 翻訳に関していろんな御意見があろうかと思うんですが、どこかでまたこれは議論をしましょう。

土本さんよろしいですか。

土本委員 はい。

藤井議長代理 では、手の挙がった中西委員からいきましょう。

中西委員 中西由起子です。まず障害児の話をするときに、もう一回原点に戻って医療モデルから社会モデルへという変遷の中で考えればいいということだと思います。

一番最初の設問のところにある児童福祉法の中で障害児を討議するということに私も賛成です。前々回になると思いますが、大濱委員がALSの方の場合に、ALSだと病名がわかったときに医師から家族に対して脅かしとも言えるような「ALSになったらああだこうだ」という、ネガティブなアドバイスばかり来てしまうという1つの例が提示されました。障害児に関しても結局その子の障害がわかると、例えばここにいただいているスミスマゲニス症候群という染色体異常の子の場合なかなかない病気なので発見することができず、日本ではお医者さんがさまざまな検査を行い、その結果いろいろな障害名をつけて、そのたびにネガティブなアドバイスをもらったそうです。こんなことができない、あんなことができないということで、親に脅かしとも思えるような意見でした。

その子が4歳になったときにアメリカに行って、病名が明確になったときに、まずは遺伝子カウンセラーが、この子の場合には愛情表現が豊かだ、ユーモアのセンスが抜群だ、とてもお茶目だと言ってくれました。、いい点から入ってくれたことを例に、日米の違いが挙げられています。これと同様に、やはり医療の面ばかりを強調するのではなくて、障害児も社会の一員だということを私たちは考えなければいけないと思います。この設問に沿って私たちは今回答えていきました。その際、通園施設のところでやはり質問の前提として、通園施設そのものの存在を問いかけるような質問があって、その後通園施設とはという幾つかの質問が続けばよかったのではないでしょうか。私の中では回答するときに、この通園施設が例えば特殊教育とかインクルーシブ教育で論じられているような段階での、インクルーシブ保育におけるリソースセンターのようなイメージで回答していました。しかしよく考えてみると、やはり設問のところではかなり医療的に1つの孤立した施設としての側面もありました。何人の方が資料で指摘されていましたが、委員の理解がばらばらなままこの設問がされたことで、今までのみんなの考え方がはっきり出ていないのではないかと懸念しています。

以上です。

藤井議長代理 尾上委員、どうぞ。

尾上委員 3点ございます。

1つは先ほど中西委員からも御指摘のあった医療モデルからの転換、あるいは私たちも同じ体験をしてきた仲間として今、読んでいたのですが、先ほど土本委員の文章にある通り、仲間たちは児童施設からそのまま大人の施設に送られてきました。こういう事態を解消しなければいけないのだろうと思います。

そういう意味で早期発見、早期療育という言葉あるいは私たちのときは早期治療と言われていましたが、そういう形で子どもの段階で障害のある子だけを特別なプロセスに入れて、そしてそのまま例えば私の場合肢体不自由児施設に6歳からずっと入っている子どもが18歳になり、加齢児ということで20歳になって、そしてそのまま大人の施設へ行った多くの友達がおります。

この早期発見、早期療育、早期治療ということが、実は障害者権利条約第19条の特定の生活様式を義務づけることの入り口になってきた。その反省をしっかり踏まえた転換が必要ではないか。そういう意味では障害があることがわかったり、気づきがあった段階でいろんな支援が得られる。地域で暮らし続けるための支援につなげていく方向が要るのではないかというのが1点です。

2つ目が就学前の支援ということに関連してですけれども、これは権利条約24条ではインクルーシブ教育ということがうたわれているわけですが、前回の推進会議での議論でもいろんな意見がありましたけれども、総括的に言えば少なくとも今の学校教育法施行令の第5条の規定のように、入り口を分けられるのはまずい。入り口を分けない、そして地域での学校を基本として、希望に基づいて特別支援学級や学校も選べるということが、大体大枠なのかなという感じがしておりますが、そういったインクルーシブ教育への転換ということを前提にして、したがって、その地域の学校を基本にして、その人たちの希望に応じていろんな選択肢もあるということの中で、就学前の支援もあるべきだと思います。

特にこの制度改革推進会議というのは省庁ごとの縦割りではなくて、全閣僚で構成されている推進本部の下に置かれている推進会議というところに意味があるのかなと、そういう意味では縦割りではなくて横つなぎの障害者の生涯を通じた地域でのインクルーシブな生活、インクルーシブな社会をどう実現していくのかということから考えていく必要があるのではないか、つまり、教育のところをインクルーシブにしていく、だからそのためにこそ、就学前の支援も必要だと展開をしていく必要があるということが2点目です。

3点目ですけれども、最後の自立支援協議会の子ども部会に関連してですが、先ほどから繰り返しておりますとおり、その地域で暮らし続けられるということを基本にしていく、あるいは先ほどのハビリテーションということとも関係するのかもわかりませんが、障害があってもいろんな可能性があるし、いろんな地域での暮らし方があり得るのだということをしっかりと示していく必要があると思うのです。

ともすれば、やはり親御さんが自分の子どもに障害があるという段階でパニックになったり不安になられたりします。そうではなくて、例えば地域で重度の障害を持っていても暮らし続けている障害者がロールモデルとして役割を果たし、あるいは障害のある子どもさんを育ててきた保護者といいますか、親の先輩としてのピアカウンセラー、ピアサポーターのような役割というのが重要ですが、今の自立支援協議会ではそういった障害当事者や家族当事者といいますか、そういう人たちが明確に位置づけられているわけではないので、単に今の自立支援協議会に子ども部会をつくったら終わりという問題ではなくて、むしろしっかりとそういうインクルーシブな社会の中での生活、一生涯を通じての生活があり得るということがわかるような構成メンバーや、機能でなければいけないのではないかと思います。

以上3点です。

藤井議長代理 北野委員、どうぞ。

北野委員 私は大学の教員になる前に11年間、障害児の通園事業で保護者の支援を主にやってきましたので、特にそこで感じたことを2つ申し上げたいと思います。

1つは性急な確定的な障害名であるとか、固定的な診断名であるとか、あるいは各種の治療、教育、訓練というものは、家族にとっては余り望ましいものではないということがよくわかりました。それは保護者とか家族の方が納得して受け入れられないものであれば、効果をほとんど生みませんし、そのような性急なものというのは、家族関係にマイナスになってしまう可能性が非常に多いのであります。子どもの発達、成長は準備性であるとか説明付きの同意、インフォームド・コンセントがなければ、本人と家族にどちらかといいますと焦りであるとか、あるいは失敗体験を引き起こしてしまいますので、かえって子どもの成長、発達を阻害することが多いのであります。

大切なことは家族とか保護者の立場に立って、その不安、恐れ、不満を受け止め、なぜそのような思いを家族が抱かざるを得ないのかということをよく理解して、その不安等を取り除く相談支援の仕組みというのが一番大切であると思います。しかもその相談支援が専門職によってばらばらに行われるのではなくて、総合的な相談支援の仕組みと、できればライフサイクルに沿って一貫して行われましたら、お母さんや家族の方が何度も専門職や支援が変わるたびに説明することもなくて、非常に望ましいものになると思っています。

もう一つは、そういう仕組みをちゃんとつくっていただいて、各種の専門職というのはいい仕事をされていることも多いんですけれども、障害にのみ焦点を当てられてしまいますので、各種療法がそればかり強調されますと、本人の病気とか患者とかクライエントとしての役割のみが肥大してしまう。これは中西さんのおっしゃるとおりでありまして、やはり子どもとしての役割とか、兄弟・姉妹としての役割とか、友達としての役割とか、近所の子どもたちの役割とか、どうしてもそういうものを奪ってしまうことが多くなってしまって、障害のない子どもたちと分離された状況に置かれてしまいますので、できるだけ共に育ち、共に生きていけるインクルーシブな仕組みをつくるときには、患者とかクライエントとしての役割だけの強調ではなくて、一緒に生きる関係を前提にした仕組みをつくっていっていただきたいと思います。

以上です。

藤井議長代理 この3人の話を伺っていまして、ポイントは1項目目です。つまり、法体系の基本的有り様。この国は4年前に障害児を自立支援法に含めました。つまり自立支援法というのは成人障害者も含めて、子どもも含める。医療も含める。あれこれ含めた特別立法にしたわけです。

しかし今日の話でずっとありますのは、子どもというのは第一義的、それをさまざまな法律で補完し合うという関係で考えていこうと。そうしますと、法体系の基本としてはやはり児童福祉法にきちんと位置づけましょう。それにおいてさまざまな福祉も医療も合い補うという法律で関係してしまうということで、残り時間で法体系の基本を議論したいんですが、関口さん、これに関係しているかどうかわかりませんけれども、いかがですか。

関口委員 2点ほど言います。ハビリテーションなんですけれども、私たち精神障害者は例えば6か月入院すると社会生活は根こそぎにされます。そして精神病という障害者として新しく社会生活を再構築していかなければならないんです。再構築というよりも、むしろそれは精神病という障害を受け入れた上での新しい人生の出発になると思っています。ですから、そういう意味で精神障害者はリハビリテーションよりもハビリテーションだと私たちは言っています。それが第一点です。

第二点で法体系の根幹に触れるところですけれども、権利条約の前文のr項に「障害のある児童が他の児童との平等を基礎として、すべての人権及び基本的自由を完全に享有すべきであることを認め、このため児童の権利に関する条約の締結国が負う義務を想起し」と書いてあるんです。子どもの権利条約を日本は批准しているわけです。ところが、それによって法律の文言が変わったという例は余り聞かなくて、どちらかと言うと障害者の権利条約に関して言えば、それを見習うことだけは避けようという言い方がされているわけです。

私たちが子どもと言ったときに、子どもの権利条約を批准しているという立場からして、子どもは子どもの権利条約を批准していることによってどういうメリットを受けているかというと、その条約に沿った行政的裁量でもって救済されているという日本政府の言い方は、そういうことになっているんです。そうではないんだということをきちんとした上でもって、ほかの子どもと平等なということが重要になってくるのではないでしょうかということが言いたかったんです。

以上です。

藤井議長代理 大久保委員、どうぞ。

大久保委員 先ほどの発言の流れでちょっと思った部分なのですけれども、通園施設の評価なども出てきましたが、知的障害のところから発言させていただければと思ったのです。許していただけるでしょうか。

知的障害あるいは発達障害の方を含めていいと思いますけれども、そういった通園施設において早期発見、早期療育あるいは早期対応という場合に、私はそんなに悪いイメージは持っていないのです。

というのは歴史的にファミリーサポート、家族支援というのはセットで行われてきているということです。ですから、そういう中であまり医療的な施設とは言えないというか、福祉的な要素が強い。当然OT、PT、STとかを配置したりする場合もありますけれども、そういった視点があるということと、その考え方の中には基本は家族を孤立させないということです。つまり、こういった視点でもって相談支援あるいは家族支援というのは、ずっと行われてきているという現状があるということを、ひとつ申し上げたいということです。

また今、児童の入所施設の件について御指摘がありました。おっしゃるとおりそういう歴史があったことは事実です。そして、そういった児者一元化という言葉でいいかもしれません、更にそれが終生保護につながっていくみたいな形の歴史があったと認識しております。

そういう中でも、現実に児童の入所施設というのは有期限の施設で、社会的養護といった機能とか役割、そして緊急避難的な家庭代替機能みたいなことも一方ではあるということも、認識しておく必要があると思います。

以上です。

藤井議長代理 今の大久保さんの御意見に対する御意見があれば、時間が来ていますが認めますけれども、いかがですか。佐藤委員、どうぞ。

佐藤委員 どうもありがとうございます。私も大久保さんの意見に賛成なんですけれども、権利条約に照らせばインクルーシブな教育が必要されると同じように、その準備過程でもある学齢前についてもインクルーシブな保育、療育というのが必要なんだろうと思うんです。

そのために一般の保育所に重い障害を持っていても入れるようにして、そこに医療や訓練などのスタッフが、かなり入りながら支援をすることを基盤にしていくことが大事なんだろうと思うんです。けれども、それができて、どちらでも選べるという状況になってから通園施設をなくすのであればいいが、そちらができない間に通園施設だけをまずつぶすということを、それに近いような発言もあったので、ちょっとそれは障害を持った子どもや家族の利益にならない。予算を減らそうとする人たちは喜ぶだろうけれども、当事者にとっては歓迎すべきことではないだろうと思いますので、順序を注意しないといけないなと思います。

藤井議長代理 竹下委員、どうぞ。

竹下委員 私は結論的には通園施設は否定すべきではないと思っています。例えば視覚障害児の場合ですけれども、現在行われている並行通園、すなわち保育所への入所と同時に視覚障害児に対する訓練等を含んだ、通園施設での保育というものをやっているわけでありますが、これは絶対に必要だと思います。なぜなら、聴覚障害もそうだと思うんですが、通常の保育所においてコミュニケーション障害を持った視覚障害児に対して、特別の訓練あるいは特別の認知能力を高めるための援助というものが、絶対に必要なわけですけれども、それを通常の保育所にやれというのは、私は現実的だとは思えないのです。

問題は保育所から排除することは間違っているということであって、現在行われている並行通園というものが否定される合理性はないと思っています。

以上です。

藤井議長代理 時間が来たんですが、いかがでしょうか。大谷委員、お願いします。

大谷委員 私も基本的には通園施設そのものを早急に廃止するべきだという意見を持っているわけではない。ですけれども、現実に通園施設、療育に入ってしまうと分離されてしまうという実態があることも事実です。そこを我々がどのように調整していくかということが問題であって、早期支援はだれも否定しないし、すべての人が求めているところであるにもかかわらず、早期支援を思いとどまってしまうというか、この支援を受けてしまうと分離されてしまって、分離された結果差別される対象になってしまうということになっている。そのことをどういうふうに乗り越えていくかということが問題だと思うのです。

ですから、通園施設があるならあるでいいのですけれども、それがどのように社会的に統合されているか、支援を求めても絶対に分離されないんだということの保障をどのようにされるのかということが、私は絶対不可欠だし問題だろうと思っています。

もう一つ、子どもの権利条約のことをちょっと加えて言わせていただきたいんですが、児童福祉法に統合するべきだというのは私は基本的に賛成です。ただし、児童福祉法が子どもの権利条約の批准のときに、何ら見直しなくされてしまったという経緯もあります。

結局、意見表明権1点にとっても子どもの権利ではあるのですけれども、やはり支援を受けなければ子どもの意見そのものはなかなか表明し得ない。であるならば、例えばどのようにしたら子どもは独自の意見を表明し得るかということのサポートも受けなければならないときに、例えばオンブズパーソンとか第三者機関的な、親からも中立で、なおかつ子どもを支援していくということを、本来だったらシステム化しなければいけなかったにもかかわらず、我が国はそれを一切しなかった。

今どうやっているかというと、オンブズパーソンシステムは条例によって各自治体がつくっているんです。これは本来だったら法制度的にもっときちんと立法化して、オンブズパーソンを保障するという形でやるべきだったのに、それもしなかった。ですから、基本的に私は児童福祉法に一元化して、すべての児童の権利の中の障害のある子どもということは賛成なんですけれども、その中でもやはり児童福祉法の中に入れたときにすべての子どもに保障される、とりわけ支援が必要な障害のある子どもに対してはよりサポートが必要であるという視点で、法制度の中にきちんと盛り込むべきだと思っています。

以上2点です。

藤井議長代理 時間が来たんですが、松井さんの手が挙っていますので、お願いいたします。

松井委員 ありがとうございます。2つあるんですけれども、1つは連携ということが非常に強調されて、これは必要なことなんですが、実態としてなかなか連携が働かない。例えば市町村単位で考えると、労働部門はそこに入ってこられないということがあります。そういう意味ではよくワンストップステーションというか、1か所に行けばすべてそこで用が足りるような仕組みをつくるということがありますけれども、それは今後検討される障害者総合福祉法の中で、どのような整理がされるのかということがあると思います。

もう一つは、連携をするためにはそれなりの社会資源が必要なんですけれども、御承知のように非常に過疎化が進んでいる、例えば北海道なんかを考えると、1つの市単位の人口が3万を割るようなところがどんどん増えてきている。そういうところにおいて連携をした形で、必要なサービスを提供できるような仕組みをどのようにしてつくっていけるのかというか、そういうことも含めて検討しなければいけないのではないかと思います。

藤井議長代理 時間がないので、堂本委員と森さん、短い時間で恐縮ですが、お願いいたします。

堂本委員 大谷さんの発言で触発されました。私はちょうど「児童の権利条約」の批准のときに参議院議員で外務委員会にいたんですけれども、本当に日本国は国内法を直さなかった。涙が出るほど、ほかの諸国だと条約を批准する場合には積むと1mになるぐらい国内法を整備するんですけれども、わずか四ヶ所ぐらいで、ほとんど条約と整合していない。私はあえて今回の意見の中で障害児である前に子供であれ。しかし、児童福祉法を進化、発展させて、子ども基本法にしてください、と書かせていただいたのは、そのためなんです。

今のままの児童福祉法は古いです。最初の「すべての子どもは健やかに」というくだりは大変名文句なんですが、児童福祉法を丁寧に読むと、現行法の構造で皆さんの御主張になっていることを受けることは難しいと思います。ですから、皆さんが今日おっしゃったことを担保するのであれば、児童福祉法そのものを抜本的に変えることは難しいから子ども基本法みたいにしたらいいのではないかというのが私の意見です。発言のチャンスをいただいてありがとうございました。

藤井議長代理 森委員、どうぞ。

森委員 ありがとうございます。子どもの問題につきましては、やはり私も児童福祉法で基本的にはやるべきだと思います。そこで、先ほど出ましたけれども、法制度の問題でちょっとお聞きしたいんですが、児童通園という言葉は前にもお話しましたけれども、昭和32年にいわゆる児童福祉法に創設された制度のままなのか。ということは、あの当時の通園施設というのは、いわゆる就学猶予・免除をとれた人だけが対象になっていた施設だったんです。ですから、これが東京都の場合におきましては直営施設の場合49年の全員入学制度施行に伴い通園施設を廃止しました。それで生活実習所という成人の施設ができたんですが、そのころの法制度の形と同じ規定のままでこれは現在あるのかどうか。それが申し訳ないんですけれども、勉強不足であれなんですが、そうであるとすれば、やはり新しい観点から法律でいう規定を見直すべきだったのではないか。私の疑問点を申し上げておきたいと思います。

以上です。

藤井議長代理 時間になりました。この件はこれで終わりますけれども、子どもの法律一般に言えることでは反対はしない。ただ、現行の我が国の児童福祉法に行くには問題がある。したがって、私たちだけで縮こまるのではなくて一般法に行くんだけれども、現行の児童福祉法は相当の改正が前提ですよということが、多分ここで受けたと思うんです。

もう一点、通園施設問題が出ていました。これに関してもだれも原則インクルーシブは否定しない。ただ、発達前段階におけるかなり個別の視野は必要です。これは現行の専門で行われている通園施設はいいのか。これも今のことを固定化して見るのではなくて、将来こうあるべきだというのもあってもいいと思うんです。もう一方でこれをなくしていくという意見もありました。これに関しては今日無理にまとめません。更に原則インクルーシブ保育、幼稚園教育あるいは通園施設を含めて、しかしインクルーシブが基本であるということを確認した上で、個別の支援の在り方についてはもう少し今後また議論をしていくということで考えていきましょう。

そういうことで、このコーナーは時間がまいりましたので終わりますけれども、ちょっと時間が押していますが、やはりお休みが要りますね。45分まで休憩をして、最後の医療の方に入っていきます。45分まで休憩に入ります。

(休憩)

藤井議長代理 それでは、時間がまいりましたので着席してください。

これから最後のコーナーになりますけれども、医療の分野に入ります。この分野というのは専門的分野と言われているんですが、非常に大事な分野です。しかし、専門であるがゆえになかなか意見を出しにくかったという点があって、この分野をめぐって幾つか、障害を持った人々に対してはいろんな問題点なんかもあらわれてきております。今日は主に精神医療、重症心身障害児者と言われている方の医療、障害者に関係する医療制度全般の3つのカテゴリでお話を残り時間してまいります。

東さんの方から意見の集約をお願いいたします。

東室長 東です。まずは精神関係の医療についてです。

精神医療と福祉に関わる法体系ということで、まず医療法体系についてと書いております。精神保健福祉法は、その目的に医療と保護を挙げている。その反面、一般の医療を規定する医療法では、精神病患者を精神病室ではない病室に入院させない(医療法施行規則第10条)とされているため、精神障害者は一般医療のサービスを享受できないという結果が生じているわけです。

そこで、障害者の権利条約の他の者との平等を基礎とする社会的統合の理念からして、精神医療は一般医療に包摂し、精神保健福祉法という特別な医療法体系は見直すべきかという点に関して、17名の委員から意見が出されております。

これについては見直すべきであるという点について異論はございませんでした。

福祉法体系という観点からどうかという問題です。同様に精神保健福祉法は、その目的に医療と保護を挙げている。そのため、病院への入院という形の保護が福祉としてなされ、結果として社会的入院と呼ばれる実態を発生せしめている。精神障害者福祉に関しても総合福祉法に包摂されるべきと考えるなら、精神保健福祉法は福祉施策の独自の法体系としての意義があるのか否かという点について、18名の委員から意見が出されております。

これにつきましては、総合福祉法の性格とか内容がまだ検討が不十分な段階で判断できないという意見もございましたが、その他は全員が独自の意義があることについては否定的な見解でございました。

次に精神障害者に対する強制入院の問題です。障害者の権利条約第14条(身体の自由及び安全)についての条項は「締約国は、障害者に対し、他の者と平等に次のことを確保する」として「不法に又は恣意的に自由を奪われないこと、いかなる自由のはく奪も法律に従って行われること及びいかなる場合においても自由のはく奪が障害の存在によって正当化されないこと」を挙げております。

この観点から措置入院、精神保健福祉法は「自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれ」を措置入院の要件として挙げております。この要件が自由のはく奪の根拠となり得るのか否かという点でございますが、これに関しては15名の委員から意見が出されております。

このうち10名の委員が自由のはく奪の根拠としては消極である。根拠にはならないという意見でございました。残り5名のうち4名については根拠足りうるとしつつも、厳格な適用が必要であるとか、運用の実態には大変な問題があるとか、現在の措置入院制度は人権侵害ないし差別的処遇の場合が多いとか、実態としては法律の理念や規定に沿わない非人権的な運用が行われているなどの指摘をされておられました。

残り1人の委員は、自由のはく奪の根拠とすることには極めて慎重であるべきであると書かれております。

したがいまして、法制度だけではなくて運用実態という面から言えば、障害者の権利条約上非常に問題が多いということについて、大枠では一致していると思っています。

次に医療保護入院についてですが、精神保健福祉法は、精神障害者に保護者を付した上で、保護者の同意があるときには一定の要件の下に、本人の同意がなくてもその者を入院させることができるとしております。この要件が自由のはく奪の根拠となり得るのかという点です。これに関しても17名の委員からの意見が出されております。

このうち15名の委員が自由のはく奪の根拠としては消極であり、1名の委員が根拠となり得る場合もあるが、厳格に適用すべきであるとしております。残りの委員は保護者ではなく、本人の代理人たる弁護士などの立会いの下に、判断されるべきものであるという意見が出されております。

次に医療を受けさせるために入院をさせる旨の決定ということで、いわゆる医療観察法の問題を挙げております。心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律は「対象行為を行った際の精神障害を改善し、これに伴って同様の行為を行うことなく、社会に復帰することを促進するため、入院をさせてこの法律による医療を受けさせる必要があると認める場合」には、裁判所が医療を受けさせるために入院させる旨の決定を下すことになっております。この要件は自由のはく奪の根拠となり得るかということです。

これに関しては16名の委員から意見が出されております。うち14名の委員が自由のはく奪の根拠としては消極であり、1名の委員が自由のはく奪の可能性があるとし、残る1名の委員は自由のはく奪の根拠とすることには極めて慎重であるべきであると挙げております。

次に精神障害者に対する強制医療介入の問題です。障害者の権利条約第17条について、政府仮訳では「すべての障害者は、他の者と平等に、その心身が健全であることを尊重される権利を有する」と訳されておりますけれども、川島長瀬仮訳では「障害のあるすべての人は、他の者との平等を基礎として、その身体的及び精神的なインテグリティ[不可侵性]を尊重される権利を有する」となっております。また、同条約25条では「情報に基づく自由な同意を基礎とした医療」という点が掲げられております。

かかる観点から、精神保健福祉法における強制医療介入について、精神保健福祉法において規定されている強制入院に伴う治療に関しては、他の疾患との平等を基礎として、患者本人の生命を守る緊急医療が必要とされる場合など、一般医療について強制的な介入が必要な場合と同様に解し、精神障害を理由とした特別な強制的医療制度を設けることを見直すべきか否かという点についてですが、これについては15名の委員から意見が出されております。

うち13名の委員が見直しや今後の議論が必要だとか、人権擁護のシステムが必要であるとしておられます。2名の委員が見直すことを否定ないし強制介入の必要性を述べておられます。

医療観察法における強制医療介入についてですが、先ほど言いました医療観察法の第42条には「医療を受けさせるために入院をさせる旨の決定を受けたもの」は、第43条により「入院による医療を受けなければならない」とされております。治療を受ける義務が課せられることになります。これが障害者の権利条約に違反するか否かということですが、これに関しては15名の委員から意見が出されております。

このうち10名の委員が条約に違反しているとしておられます。1名の委員が違反の可能性がある、1名の委員が入院による医療を受けさせなければならないか議論が必要とし、1名の委員が刑法39条の規定とその運用の妥当性の検討や、刑事施設において適切な医療を受けることができない問題も併せて検討が必要であり、1名の委員が必要な医療を受ける権利とも考えられるとし、1名の委員が入院による医療を義務づけることには慎重であるべきだとされております。

医療サービスにおける差別的取扱いの問題ですが、障害者の権利条約第25条は「締約国は障害者が障害を理由とする差別なしに到達可能な最高水準の健康を享受する権利を有することを認める」と規定し、締約国は、特に次のことを行うとして「障害者に対して他の者に提供されるものと同一の範囲、質及び水準の無償の又は妥当な(「負担可能な費用の」川島長瀬訳)保健及び保健計画を提供すること」とされております。

かかる観点から、精神医療の供給体制についてですが、日本では医師数、看護師数を一般医療よりも少なくてよいとする、いわゆる精神科特例は一部是正されておりますけれども、多くの単科民間病院では依然として許容されている現状にあります。これは精神医療サービスにおいて「他の者に提供されるものと同一の範囲、質及び水準」を提供したと言えるか否かということに関して、17名の委員から意見が出されております。

これにつきましては全員一致で、他の者に提供されるものと同一の範囲、質及び水準を提供しているものではないという意見でございました。

一般病院への入院体制の問題についてですが、前述のように一般医療を否定する医療法では、精神病患者を精神病室でない病室に入院させないとされているために、精神障害者は一般医療のサービスを享受できない結果が生じております。これも他の者に提供されるものと同一の範囲、質及び水準を提供したと言えるか否か。また、障害者の権利条約2条の差別の定義である、障害を理由とするあらゆる区別、排除または制限に該当するか否かということでありますが、これに関しては15名の委員から意見が出されております。

委員の結論として、一部明確でないものもありますが、ほとんどの委員はいずれについても否定的な評価をされております。

社会的入院の問題です。精神病院の入院患者のうち7万人ほどが社会的入院であるとされておりますが、治療の必要性がないにもかかわらず、医療の分野で生活を送らざるを得ないことに関してどう考えるかということであります。これに関しては18名の委員から意見が出されておりまして、表現の仕方はさまざまですが、地域の受け皿を早急に用意し、社会的入院を解消することが強く求められるという見解でした。

以上が精神に関する医療の問題です。

藤井議長代理 時間がそうないんですが、非常に大事な問題でありまして、推進会議にとってもいろんな問題が大事なんですけれども、やはりこのことも多くの国民が期待をしております。この後、重症心身障害児者の話がありますけれども、一旦この精神に関しては固有性の問題がありますので議論をしていくんですが、一つ、法体系の問題では先ほどの児童同様、精神医療に関しても現行の自立支援法では通院医療は福祉とドッキング、入院は精神保健福祉法、これに関して多くの意見はやはり一般の医療制度に足場を置くべきだと。つまり、現行の精神科医療というのは福祉内医療とか福祉的医療という、おかしな医療ができ上がってきている。大体これは異論がないところだと思うんです。

その他ずっと最後の社会的入院問題、問題現象はおかしいのはわかっているんだけれども、正解は見えているんだけれども、方程式がなかなかうまくでき上らないということがあります。こんなことを頭に置きながら精神科医療、精神障害者の問題、特に医療という点から見た問題点について論議をしていきましょう。いかがでしょうか。川崎委員、お願いします。

川崎委員 精神障害者の家族会の川崎です。先ほど来からいろいろ意見がありまして、私も文言として意見を出しておりますが、2つほど補足、強調させていただきたいと思います。

その1つは精神保健福祉法ですが、この背景が精神衛生法ということで、医療法のすごく色の濃い法律の中に福祉ということが、かなり強硬に取り付けられたような福祉法でありまして、これは改められるべきでありまして、医療法と福祉法は別個扱いにされるべきで、福祉法は総合福祉法に入れられるべきかと思います。

医療法ですが、一般医療に入れられるべきということは確かにそうなのですけれども、そうなることによって精神科特例、医者も看護師も少なくていいというのは排除されると思いますが、実は一般医療の現場における精神疾患に対する偏見差別が、かなり甚だしいものがあります。これは先ほどの司法のところにも出ましたように、やはり医療現場での医師、看護師という関係者への精神疾患への研修、そして正しく理解されるようなことがとても必要であると思っております。現在受診拒否などでかなり大変な目に遭っている当事者が多くいるということを報告させていただきます。

もう一つ、入院制度なんですけれども、精神の場合には措置入院と医療保護入院があります。措置入院は確かに自傷他害といいますか、命に関わる問題であればそういう入院が必要となると思いますが、しかし、実はこれは医療と福祉サービスがもう少しきめ細やかにできることによって、入院は避けられるのではないかと思っております。つまり、精神疾患の早期支援、早期介入によりまして、入院をしないで済むような体制づくりをされていくことが望まれますが、現状ではやはり強制入院になっておりまのすので、この措置入院の仕組みなどはもう少し検討されるべきではないかと思っております。

医療保護入院ですが、これは全くの差別法だと思っておりまして、精神保健福祉法の中に保護者制度というのがあるんですけれども、前回この保護者制度について皆様にプリントをお配りしたと思います。

保護者というのはほとんどが家族なんですが、その家族に医療を受けさせる責任とか、経済的に生活を支える責任とか、医師への協力責任など、一家族が背負い切れないほどの重責が課せられておりまして、そういう中で強制入院をさせられるということは家族にとっても大変なのですが、やはり医療保護入院というのは、本人の意思なくして家族の意思で入院させるという強制入院で、これははっきり言いまして、家族にとりましても本人にとりましても、これは人権侵害であると私は思っております。

しかしながら、実は医療保護入院という本来の問題といいますのは、精神疾患に関しましては先ほどのように命に関わる自傷他害のほかに、日常的に起きていることとしては病識のない人を家族が支えているとか、服薬中断をした人とか、やはり医療につながらなくてはいけないような人もおりますことを考えますと、保護者ではない第三者といいますか、私どもはこれは医者が担うべきではないかと思っておりまして、主治医が本人に入院の必要性をインフォームド・コンセントですけれども、説得して、本人の意思によって入院をさせるという仕組みが必要であると考えております。

以上です。

藤井議長代理 川崎さんは家族の会でしょう。政府が20年間で20回ばかり審議会を持ってきたんです。今おっしゃったことをずっと議論しているのにちっとも変わらないんですが、なぜ変わらないのでしょうか。

川崎委員 私どももそれがなぜというところで、40年近く家族会としてはいろいろと保護者制度については言ってきております。廃止を言っておりますけれども、なぜこれができないか。それは本当に私どももどうしたらいいかというところですが、是非ともこの推進会議で、これは皆さんと一緒に検討して論議されて、廃止する方向に持って行っていただきたいと思っております。

藤井議長代理 ほかにいかがでしょうか。北野委員、どうぞ。

北野委員 川崎さんと同じように私も家族が精神障害でありますので、この問題について2点言わせていただきたいと思います。

1つは社会的入院というのは障害者権利条約第19条違反でありまして、これは差別に当たると考えております。治療を目的する病院と名のつくところの平均在院日数が1年以上の373日という日本の精神科病院の数字は、諸外国の平均30日と比べていかにも異常であると思います。

実は平成16年の厚生科学研究で仙波ドクターが報告書を出していらっしゃるんですけれども、ここでこういうふうに書かれております。

これは厚生労働省の独特の計算式に問題があって、機能分化した急性期病棟の平均値はそのままでいいが、機能分化していない病院では急性期と長期入院病者が混在しているので、長期入院病者の影響を除くために年間退院者の50%が退院した時点を中間値として、その時点の退院者の在院日数をもって平均在院数を出すべきである。そうすると373日ではなくて65日になるんだと書いておられます。

英国30日、アメリカ14日、日本65日と比較して、初めて実質的な議論が可能になる。今までの373日という数値では不思議と言うほかなく、外国への説明責任も果たせない。日本は一旦入院させれば1年間も入院させるのかという誤解をさえ生むことになる。世界的傾向として急性期医療の平均在日数の数値は30~40日であろう。日本もそこまで短縮する努力をすべきである

とおっしゃっています。つまり、データを改ざんしなければ諸外国にも相手をしてもらえないという、不思議と言うほかない数値であると思います。彼はちゃんと説明もされておられます。

一方、更に日本では長期入院者が精神病院に在院していることが問題としてある。これは入院医療中心の政策から地域医療への移行という、大きな命題として解決していかなければならない問題である

と、彼ははっきり問題点も指摘されておられます。入院中心のシステムのゆえに急性期のシステムのままだらだらと入所をさせてしまって、そして長期ケアも病院で診ているという仕組みは、やはり非常に異常であるということが1つ大きな問題だと思います。

2つ目は川崎委員がおっしゃったように、やはり私は医療保護入院というのは差別に当たると明確に考えております。保護者の同意という形で、世界でも例を見ない二十歳を超えた本人の家族にも保護者という名前で規定して、精神障害者の支援というものを家族に全面的に押し付ける、つまり全責任と全支援の実態を家族に押し付ける今の仕組みというのは非常に異常な状態であると考えています。

しかも精神障害者自身も一旦入院ということになりますと、基本的に保護者という名前の家族の同意であるとか、存在がなければ地域に戻れないという意味で、社会的入院の原因にもなっていますので、是非とも保護者制度というものを即刻廃止していただいて、地域で当たり前に暮らせる地域支援の仕組みを構築していただきたいと思います。

以上です。

藤井議長代理 手が挙っていますが、やはり今日はこの場にいらっしゃいませんけれども、恐らくヒアリング等で議論していく必要があります。日本の場合には民間医療に相当多くを依存している。つまりベッド数では9割、病院数では8割強が民間病院である。その民間病院の大本の日本精神科病院協会等が、先生のお話も含めて出ています。ここで大変興味深い日精協の雑誌なんですが、10年ほど前の文章ではあるんですけれども、非常に本質的なことを書いていらっしゃる論説なんですが、短いのでちょっと朗読させていただきます。

介助者 日精協誌の1999年7月号であります。

厚生省が国策として増やしたベッドを今度は減らせという180度の方針転換を打ち出したのである。厚生省がベッドを増やせと言ったころは21万627床だから、大体その当時のベッド数に戻せばよいわけだが、まずそのためには精神科の医療費を値上げする必要がある(ちなみに患者1人当たり診療収入は内科の30.7に対して精神科12.9で、21科中最低である。病院経営新事情誌1999年3月号)その上で精神科のベッドを1床当たり1,500~2,000万円で、国が責任を持って買い上げることが必要であろう。

藤井議長代理 という具合で、1ベッド当たり1,500~2,200万で買取れと言っているんですが、国策としてやった以上は国策が責任を持てと書いてあるんですけれども、ずっとこうしたことが日精協なんかではベースとしてあるんだと思います。

更に議論を続けてまいります。大谷委員、どうぞ。

大谷委員 大きく2つのことを言いたいと思います。

私が弁護士になって32年なんだけれども、なったときからずっとこの問題は弁護士会も挙げて考え続けています。宇都宮病院があって問題が発覚し、拘禁医療から解放医療へ、解放医療から地域医療へという流れを提言しても、なかなか進まない。一方、刑罰法と精神障害者の問題も長く我々弁護士としても課題として突き付けられている。

これに関しては一貫して精神疾患があるということだけで再犯のおそれがあるとか、もしくは予防拘禁に当たるようなことは一切してはいけない。刑罰を科すことができないということであったとしても、それに代えるものとして予防拘禁を絶対あってはならないということが、一貫して弁護士会の立場だったのですけれども、残念ながらこれに関しては数年前の京都の琢磨さんの事件だったと思いますが、あれで医療観察法が導入されて予防拘禁ではない、一度罪を犯した人に対する再犯のおそれがあるということだけを理由に、この医療観察法が弁護士会の反対を押し切って制定されてしまったという事態になっているんです。

少なくとも医療そのものの問題と、刑事法を犯した後の医療をどう保障していくかという2つの問題が私はあると思うのですけれども、まず医療そのものがどうして地域医療が保障されないのかということに関しては、なるほどすばらしいベッドを1,000万で買い取れという指摘もあると思うんですが、どうあったって精神疾患に対する差別、偏見がなくならない限り、地域が受け入れない。どんなに入院患者を外に出そうとしても部屋さえ貸してもらえないという中で、どうやったら部屋を貸してもらえるのだろうかということを、みんながものすごく努力しているんだけれども、そこのドアが開かないというのが本当に長年の苦労だろうと思うのです。

これに対しては同じようなことを繰り返しますけれども、病気と犯罪との関係に対してむやみに、殊更に不安をあおっている報道がまかり通ってしまっている。やはりここも抑えなければいけないし、そういうことは差別だと、病気と犯罪を殊更につなげて言うことそのものが差別として、そういう言論は許さないということをもっときっちり言わない限りは、何かしら報道の自由、言論の自由みたいな形でそれがまかり通ってしまって、そこのところの歯止めが効いていない。そのことによって差別、偏見がどうしてもぬぐい難く残ってきてしまっているということも、是非問題にしてもらいたいと思っています。

その上で刑罰を科すことができない、もしくは刑事事件を犯した後の治療方法としてどういう形があるべきかということに関して、もっと予防拘禁に当たらないような、そういう恐れを助長するようなことがない医療体系が絶対にあるはずなんですから、そこにもう一度話を戻すべきだろうと思っていますので、よろしくお願いいたします。

以上です。

藤井議長代理 関口委員、どうぞ。

関口委員 1960年のライシャワー事件からベッドが増えたということがよく言われていますけれども、実はそれは違っていまして、その少し前に医療金融公庫というものを政府がつくりました。つまり低利でもって長期間貸し出す。それでどういうことになったかというと、今は精神病院をつくればもうかるぞという話になりまして、当然経営ですから安い土地を求めて僻地につくるわけです。ですから私立の精神病院はとんでもない僻地にある。土地が安いからです。

そのときに勿論医者の3分の1点が特例としてありましたし、その後ですぐに強制的な入院である措置入院に関しては、国庫負担を引き上げて8割保障するとやったんです。そういう政府が誘導してきた経緯がある。ですから、確かに日精協が言うように政府に保障しろというのは、それは病院側からすればそうかもしれませんけれども、政府が最初に金を貸しているんです。それでもうけてきて、武見太郎が「精神病院は牧畜業者だ」と言ったんです。400~500万、年間1人につきもうかっているわけです。

そういう中でもって閉じ込められてきた精神障害者について、日精協はどういうことを言っているかというと、難治性の統合失調症はいるんだと。ところが、調べてみると今、難治性の統合失調症と呼ばれている人たちがいるのは、大体年寄りです。そうするとおかしなことに、ある年代だけ、年をとった人だけ難治性の統合失調症が多かったのか。そんなばかな話はないんです。どの年代だって発症率は大体同じはずです。

私たちが一番言っているのは、とにかく措置入院でも自傷他害のおそれというのは未来予測なんです。医療観察法も未来予測が入っています。未来予測なんて神様でない限りできっこないんだから、法律の文言にそういうことを入れるのはやめてくれと言うんです。医療観察法で言えば刑罰法規に触れる事件を起こした人です。この人たちが制裁を受けなければいけないんだったら、他の者と平等に受けるべきです。だけれども、刑法39条では心神喪失は罰しないと書いてあるんです。心神耗弱は減刑と書いてあるんです。

そうすると減刑したり罰しなかったりする人を何で医療観察法の施設に閉じ込めるのか。あそこは人身の自由がないところです。つまり人身の自由がないということは一種の制裁です。自由権の制約です。ですから、それを医療だからいいんだと言い繕うことは到底できない。

保護入院に関して言えば、これは本当に家族の方はお気の毒だと思いますけれども、医者が入院させた方がいいですよと保護者に言って、保護者がそれを拒むことはとても難しいんです。まず知識がありません。その次に精神保健福祉法には何て書いてあるかというと、医者に協力して適正な治療を受けさせなければならないと書いてあるんです。ちゃんとまともに読めば医者の言うことを聞けと書いてあるわけです。それではんこ1つ押す、私人のはんこです。それで極端なことを言えばパトカーが来るわけです。救急車ではなくパトカーです。パトカーが来て病院に連れて行くんです。しかも時々は眠らせたりしますけれども、そういうようなことをやる。国権を発動するようなことをやるのに、たかだか保護者という私人のはんこ1つでいいのか。

つまり、措置入院が本当に救急的な、緊急的な医療必要性ということであるとするならば、保護入院はもう少し医療の緊急の度合いが低いはずです。低いはずなのに何で。

藤井議長代理 関口委員、少し時間がないから結論をお願いします。

関口委員 つまり私が言いたいのは、措置入院の場合はまだしも2人の指定医が別々に診ることになっていますけれども、結果が一致しないと無理やりにはできません。保護入院の場合はそうではないんです。指定医である主治医が入院しなさいと言って保護者がはんこを押せばいい。これは全然丸っきり人権擁護のスキームがないんです。そこのところを考えていただきたい。

藤井議長代理 門川委員の手が挙がっていますので、門川委員いきましょう。

門川委員 門川です。非常に初歩的なものなのですけれども、精神医療について議論していますが、精神病と精神障害は別物と思うのですが。精神病は一時的な病気です。一方の精神障害は障害ということで定義があるかと思うのですが、不勉強なのでよくわからないです。今は精神障害というのは統合失調症という言葉に置き換わっています。これも一つの病気みたいなものでしょう。

もう一つは、精神医療関係が純粋な精神障害者、つまり聴覚、視覚、知的であるとか、ほかにその他重複する障害は持っていない純粋な精神障害者のことを対象にしているのでしょうか。世の中にはほかの障害を持って重複した障害を持っている精神障害者がたくさんいらっしゃると思うのです。そういった人たちのことについて、医療機関ではまだ十分に認知されていないだろうと思います。例えば聴覚に障害がある精神障害者について患者の背景への理解がないために、本当は重い病気でもないのに誤診されてしまったりすることもあるだろうと思うのです。福祉と医療はクロスして考えたらいいのではないか。すみません、初歩的な疑問でした。

以上です。

藤井議長代理 まさにそれこそが今日の混乱の原因なんです。障害に詳しい佐藤委員、簡単に答えてください。今の精神疾患と精神障害の関係性です。

佐藤委員 精神保健福祉法で精神障害というのを定義しているんですけれども、それは統合失調症とか精神作用物質による中毒、依存症とか、知的発達障害だとか、そういうもの及びその他の精神疾患のある者としています。精神障害者の定義で精神疾患のある者と、病気を持っている人と定義をしているんです。

それが1つの混乱のもとなんですけれども、それは精神保健福祉法というのが医療も行うし、福祉も提供する複合的な法律だからそうなっているという背景があるわけです。15年くらい前から精神障害者に対しても福祉の支援が始まるようになって、その利用のために精神保健福祉手帳という障害者手帳が出されるようになったんですけれども、これは精神の病気を持っていれば自動的に手帳がもらえるというものではなくて、精神の病気があって生活面での支障があって支援が必要とされるということで、福祉で扱う、そして雇用率の対象にもなる障害者としての扱いというのは、この手帳を持っている人。したがって、病気を持っているだけでは障害者としての支援は受けられない。そういうことで一応の区分けはなされています。

ただ、精神疾患と言ったり精神障害と言ったり精神病と言ったり、いろんな言葉が飛び交っているので非常に混乱しがちかなと思います。

藤井議長代理 時間が来たので手が挙がっているのはわかっているんですが、恐らくこの問題があるという現状認識と、外国のいい例は皆さん知っているはずなんです。問題は解決をしていく手順とスケジュール、この戦術あるいは戦略の部分に国あるいは推進会議は多分答えを求められているように思うんです。したがって、この問題意識は共有しましたので、これは引き続きますけれども、一旦精神障害医療に関しての議論はここで終わります。

次にオーバーラップしますが、重症心身障害児等に関係する主な問題になりますけれども、やはり4点ありますので、このコーナーは残りも含めて更に意見の集約をしてもらっていますので、お願いいたします。

東室長 東です。まず医療行為一般ということで、医療行為の定義が不明確であるため、在宅で生活している重度の障害児・者が、家族の重い介護負担の下での生活を余儀なくされたり、社会参加を極度に制限されたりしている現状と対策についてどう考えるかということですが、これに関しては14名の委員から意見が出されておりまして、医療行為の定義が不明確であるから家族に重い負担がかかったり、社会参加を制限されるという関係ではないかという御意見もありますが、多くの委員の御意見は医療関係者の指導を前提として、介助者に任せてもいい医療行為というのがあるのではないかという点を、問題として挙げられておられました。

要は日常生活的に家族ができるような医療行為と言われている分野が、なぜ介助者にはできないのか。そういうものができるようにすれば、家族の負担なしに地域生活が可能ではないかという問題点を挙げられておりました。

次に重度障害児の在宅移行という問題です。障害者の権利条約第23条は「締約国は、障害のある児童が家庭生活について平等の権利を有することを確保する」「締約国は、児童がその父母の意思に反してその父母から分離されないことを確保する」「いかなる場合にも、児童が自己が障害を有すること又は父母の一報若しくは双方が障害を有することを理由として父母から分離されない」と規定しております。

しかし、日本では入院中の重度障害児の在宅移行が進まず、重症心身障害児施設の増設が取り沙汰されております。親、家族に一度も抱かれることなく例えばNICUから直接重症児施設に移管されて、一生を施設の中で暮らすこともあり得るわけです。このような重度の障害児が在宅で暮らせない状況は、障害児者本人にとって人権侵害であるのか否か、御意見を伺いたいということで書いてあります。

これにつきましては人権侵害であると答えられた人の方が多く、約10名いらっしゃいました。それに対して重度の障害を持って、なおかつ医療的ケアが在宅でできない現状にある以上、人権侵害とまでは言えないという見解も多くございました。しかしながら、条文上は障害を理由として父母から分離されないという規定には、該当すると言えば該当するわけで、現状がこうであるからやむを得ないということがいいのかどうかという点が、問題となると思っています。

次に受診拒否の問題です。障害児・者が一般医療機関で受診拒否されることが少なくない。重症心身障害などでは「医療側の経験のなさ」「診療所の構造的バリア」などによることが多く、自閉症等の発達障害児関係では医師の無理解に加えて「多動・暴れる」「症状の把握が困難」などにより、診療困難であったり時間や手間がかかったりするためとされております。

このような実態と対策についてどう考えるか、御意見を賜りたいということで論点として挙げておりますが、これについてはさまざまな差別的な受診拒否の実態が指摘されております。

これらについては医師に対する研修、教育により改善すべきであるとか、その障害者に慣れたヘルパーやパーソナルアシスタントを障害者につけることで、医療側の対応困難を軽減する。その費用については行政が出すべきであるとか、人的支援によらず解決できる問題、例えばスロープなどの物理的障壁などについては、病院側の合理的配慮として解決すべきであるとか、医療へのアクセス権を保障すべきであるとか、どのようなものが合理的配慮であるのかについて合意形成を図るべきであるとか、その点についてのガイドラインをまとめる必要があるとか、受診のためのコミュニケーション支援を制度化すべきであるとか、受診拒否は基本的には差別の問題であって、障害者差別禁止法で禁止する必要があるなどの御意見が挙がっております。

次に施設での滞留化の問題です。これは精神に関する社会的入院の問題ともオーバーラップしますが、同じ重たい知的障害と肢体不自由を持つ子どもが入所する場合、重症児施設に入所すれば重症児と呼ばれ、肢体不自由児入所施設に入所すれば重度知的障害を伴う重度肢体不自由児と呼ばれる。施設給付費が個人ではなく施設によって設定されているため、その施設給付費は重症児施設が10倍近く高く、利用年齢の制限がないことも加味されて、重症児施設の滞留化・加齢化、常時満床の状態をもたらしていると指摘されております。このような指摘を受けている現状と対策についてどう考えるか、御意見を賜りたいということで挙げております。

これにつきましても、アパート等にひとり暮らしで24時間ヘルパー利用への移行も含め、早急に在宅移行を図るべきであるとか、個人給付を原則として選択権を本人等に保障すべきであるとか、重度障害者向けの人手の厚いグループホームの設置のみならず、パーソナルアシスタントサービスを用いた単身生活等の可能性も検討すべきであるとか、支援の実態を検証すべきであるとか、多くの重度の障害を持つ児童は、医療的支援、教育的支援、福祉的支援すべてを必要としておりますが、それは重症児施設であろうと肢体不自由児施設であろうとも同じである。施設給付金の高さが関係しているとすれば、ゆゆしき問題である。地域移行の方策は個別のケアマネジメントを強化して、必要な支えを地域につくるしかないとか、障害者権利条約第9条の規定にある選択権が保障されるよう、施設から家族の下で暮らせる仕組みを構築する必要があるなどの意見がございます。

次に医療費の問題ですが、まず自立支援医療における医療費の問題です。障害者の権利条約第25条は「締約国は、障害者が障害を理由とする差別なしに到達可能な最高水準の健康を享受する権利を有することを認める」と規定し、締約国は特に次のことを行うとして「障害者に対して他の者に提供されるものと同一の範囲、質及び水準の無償の又は妥当な(「負担可能な費用の」川島長瀬訳)保健及び保健計画を提供すること」としております。

ところが、障害者自立支援法では更正医療、育成医療、精神通院医療それぞれ1割負担であり、精神科入院医療費など制度の対象外となっているものがあります。これについてどう考えるか、御意見を賜りたいということです。

論点として挙げておりますが、今回の低所得者層の負担軽減から自立支援医療は漏れている。特に保護者の年齢層が若いことに着目する必要があって、中間所得層の負担について特に配慮する必要があるという御意見とか、医療制度そのものは障害者の権利条約25条の趣旨に反していないとは考えられるが、障害のゆえに必要となる医療については、それが障害者やその家族の生活を圧迫していることにかんがみ、基本的には無料化を推進すべきであるとか、特に精神の入院に関しては一般と同じ3割負担であり、極めて不公平であるという意見が多うございます。

そして抜本的には、医療費の公費負担制度は国レベルでも自治体レベルでも多様で複雑である。障害者福祉の枠から切り離すことも含めて、総合的に見直す必要があるという御意見もございました。

次に難病のうち特定疾患以外は公費で医療を受けることができないが、これについてはどう考えるかという点であります。これについては難病の特定疾患だけを取り出して、公費医療を受けることができない人がいることを論じること自体が、適切な課題設定とは言えないという御批判もありますが、範囲を拡大すべきであるとか、難病についても特定疾患だけでなく、難病医療に必要となる医療費が障害者やその家族の生活を圧迫していることは明白であり、基本的には無料化を推進すべきであるとか、すべて公費でまかなうべきであるとか、疾患名で指定する制度を変えることが望ましい。税金を使う制度なので長期にわたる医療費負担に苦しむ人々を公平、平等に扱うべきであるとか、そのような意見がございました。

次に他の医療費助成制度との整合性を含め、医療費助成の統合化、一本化についてはどう考えるかということであります。これに関してはさまざまな目的や対象によって分断された医療費助成制度を、医療費助成制度として整合的に統合化、一本化することは余りに現実的ではないと考えられるという御意見もありますが、多くは統合化、一本化すべきだという意見でございました。

更に更正医療、育成医療、精神通院医療に関して、障害に係る医療支援が更正医療、育成医療、精神通院医療の3種に区分けされている中で、このような区分けに基づく申請手続きの違いや治療の範囲は適正であるかどうかという点につきましては、例えば申請窓口が育成医療だけは都道府県となっているということで、遠くまでいかなければならないこともあり得る。制度の対象として例えば育成医療は身体的な障害に限定されているという問題がある。制度周知が非常に不足しているという問題などが指摘されておりますし、障害の範囲が臓器別、疾患別に区分けされていることに対して、わかりやすい説明もなく、差別的な制度になっているとか、さまざまな問題が指摘されておりまして、これに関して根本的には障害の種別を問わず、障害のある人に対する医療保障を行うために、更正医療、育成医療、精神通院医療との区別は廃止すべきであるという御意見とか、一本化すべきではあるが、強制入院については総合福祉法は適用せず、全額公費負担とすべきであるという御意見もあります。

その他ですが、項目だけ御紹介しておきます。まずは入院中の介護の問題が出されております。精神障害者等に対して課されている保護者制度については、他の者との平等という点に反しており、早急な見直しがなされるべきであるとする御意見がありました。

最後に土本さんから出されております。一部を読ませていただきます。私の弟は重症心身障害者と言われ、子どものときから今まで40年以上も重症心身障害児施設に隔離収容されています。地域で必要とするサービスが受けられれば、今すぐにでも出してやりたいと思っていますということが書かれております。

また、聴覚障害児医療の問題点として、新生児聴覚スクリーニングと人工内耳の問題が提起されております。久松委員から特にろう者のことについて書かれています。例えば手話の動作が治療を行う際に危ないという理由だけで当事者の手足をベッドに縛りつけたりする例が多い。当事者同士が結婚したいと言っても結婚が許されなかった。断種手術を強制された。このように現行の医療制度が障害者への差別や隔離を助長している面があることを強く認識する必要があるという御指摘が挙がっております。

簡単ですが、以上です。

藤井議長代理 今日の残り時間は、5時には全部終わりますので少しばかりあれしますが、しかし討論は5時に終わると思っています。どうしても発言をしたい方は挙手してくださいますか。尾上委員、堂本委員、久松委員、大濱委員の4人を優先して、結論から言っていただきまして、どれもこれも重いテーマなんですけれども、時間がないですから、しかし見ていますと相当問題意識は共有している点も多いと思うんです。論点、争点もありますが、まず尾上委員からいきましょう。

尾上委員 2点ほどありまして、1つは地域生活と医療的ケアの問題であります。やはり自立生活運動が広がる中で、より重度の障害者の地域での自立が広がりつつあると思うのですが、地域で生活をしているときに介助と併せて医療的ケアというものが得られるかどうか、あるいはもう一つは入院をしたときに地域で慣れた介護者といいますか、その介護者が病院においても同様の介護が得られるか、その障害者に慣れた介助者の手による介護が得られるかどうかというのが非常に大きな問題になっていると思います。それがなければ、結局やはり地域でやっと暮らしても、そこで切れ目ができてしまうと思っています。

特に地域で暮らすための医療的ケアということで、人工呼吸器を付けた親の会「バクバクの会」というところの報告書を皆さんに配っておりますが、これは例えば尼崎や大阪などで人工呼吸器を付けたお子さんが地域の小学校、中学校、高校、ある人は大学まで行かれて、今は地域で暮らしておられる。その際、勿論24時間の介護に加えて医療的ケアの研修もした上で、言わば生活支援行為として医療的ケアがあれば地域で暮らせますよという、まさに生きた実践例なのです。

是非この報告書を後で見ていただければと思います。こういったことが当たり前になっていくような政策展開が必要ではないかということが1つであります。

もう一つが、先ほどの重心と言われている人たちの在宅生活といいますか、地域移行が進まない問題についてであります。私の説明不足があったかと思いますけれども、かつて子どものときの施設から、そのまま大人の施設へ行きということは、決して過去形ではないということであります。

例えば北海道とかですと特別支援学校に寄宿舎付きのものがほとんどで、特別支援学校に行くことで寄宿舎に行かれて、そのまま寄宿舎から大人の施設へそのまま行かれている例がまだまだあるわけです。決して昔の話ではございません。そしてとりわけ重心と言われている人たちの地域生活支援の状況がまだまだ薄い中で、在宅生活がなかなか難しいというところが問題なのだと思うんです。

66ページの資料に私の意見を入れておきましたけれども、設問で言われている在宅で暮らせない状況という、これこそが問題なのだろうと思うんです。地域で暮らせるか否かは政策の方向と社会資源の整備の度合いによって、大きく可変をしていくものだと思います。

例えば私が子どものときの1960、70年代には、脳性まひなどの全身性障害を持つ者に対して、身の回りのことすら自分でできない障害者が地域で暮らせるはずがないと言われてきました。そして、その後知的障害者は地域で暮らせるはずがないと言われ、次には高齢の知的障害者や強度行動障害を持つ人が暮らせるはずがない。同じような文脈で今、医療的ケアが必要な障害者は地域で暮らせるはずがないと言われているならば、同じ歴史の過ちをまた繰り返していることになるのではないでしょうか。常にあたかも入所施設を必要とする障害者のグループを新たに見つけ出すかのような議論は延々と繰り返されてきた、その歴史は終止符を打たなければいけないのではないかと思うのです。

何を絵空事のようなことをと思われるかもわかりませんが、1つは外国の例でございます。追加資料の27ページは山梨学院大学の竹端寛さんがスウェーデンに行かれた後の報告で、2006年12月『ノーマライゼーション』という雑誌に載ったものですけれども、そのスウェーデンでは入所施設がなくなったというのは御存じの方が多いと思いますが、でもそれに対して疑り深い人は、例えば重症心身障害児のための入所施設も本当にないのかと筆者に重ねて尋ねてくる。事実ないということなのですが、なぜなくなったかということで28ページでございます。

これはJAG協会という、重身の人たちのサポートをされているNPOなのですけれども、前々回の総合福祉法の議論でもパーソナルアシスタントによる援助、支援ということが必須であるという話がありましたが、まさにLSSという法律でパーソナルアシスタントという仕組みができることによって、重身の人たちの協同組合を立ち上げて、サービス保証人というのと本人とで当事者管理をしていく。そのことによって施設にいた人がすべて地域で暮らせるようになったわけであります。

遠いスウェーデンはそうだろうなと思われがちかもわかりませんが、それだけではなくて西宮の青葉園のように、今の日本の大変な状況であっても、地域で暮らし続ける支援をされているところがございます。時間が長くなりましたけれども、是非限られた時間ですので、先ほどの「バクバクの会」の皆さん、あるいは西宮で重身の人たちの地域生活を支援されている青葉園の人たちのヒアリングなども、是非この推進会議や部会などでやってほしいなということを最後にお願いして、発言に代えさせていただきます。

藤井議長代理 堂本委員、どうぞ。

堂本委員 医療費の問題で発言したい。精神は、97%が入院費、3%が地域医療です。1兆4,000億とわずか500億。これでは退院はできません。ですから、国策としてずっと収容という形をとってきたのだとしたら、ここで国策として地域で使う医療費というふうに切り替えてもらうことが、今の社会的入院をなくす社会だと思います。

今の尾上さんの発言についても同じようなところが重身の方については大事だと思います。呉秀三が「この病を得たる不幸のほかに、この国に生まれたる不幸」と言った。この国に生まれたる不幸と明治時代に言われて、平成の今もそれが続いているのは世界に恥じることです。是非ここで転換をしていただきたいと思います。転換をみんなでしましょう。どうもありがとうございました。

藤井議長代理 堂本さんは議員をやられて知事もやられて、ずっとそういう御主張でやってこられたわけですが、国策としてとおっしゃったけれども、そのことは大体このメンバーで了解しているんです。それを実現あらしめる戦術は何かありますか。

堂本委員 政権交代をしたのですから、やはり政治家が決断をしてもらわないと、この医療費の転換、先ほど日精協の文章を座長が読んでくださいましたけれども、精神病院の経営難を解消するための保障を求めるというもので、まさに問題です。ですから、そこのところをどう解決していくか、今まで散々お互いに現実は見てきました。この何十年という間見てきた。それを変えられるのは今しかないと思います。

それは政権交代でやることだと思うし、この会議でやることだろう、本部がやることだろう、大臣もおられるので、是非そこのところだけは、今やらなかったら日本は人権が守れない国としていつまで経っても世界に恥じる国であり続けるということです。人権の観点からの改革をやれば私は新政権は本当に日本中から、世界中から評価されるだろうと、そのぐらいに思います。

藤井議長代理 これだけやって現政権は褒められるということですね。

堂本委員 私はそう思います。

藤井議長代理 それは本部長に後で伝えましょう。そうしたら大臣は帰られますが、一言ありますか。

福島大臣 5時から新たな会議があるのですみません。今日はほぼ4時間皆さんたちとお付き合いができてよかったです。まず現実を踏まえた議論が熱心にされていることと、違うところもちょっとずつありながら、大枠のコンセンサスでは大変一致していると思います。

そのための戦略と手続と立法で、最後に堂本さんに言っていただきましたが、これだけではありませんけれども、これも含めてしっかりやりたい。ただ、実際に皆さんたちには本当に心から感謝で、やはり障害者施策は物すごく変わってきた。こういう議論は、やはり皆さんの熱意と現実を変えようということによって動いていると思います。

この議論をきちんと、実現のための政治のプロセスも皆さんたちと一緒に必ずやっていきたいと思っております。別に今日は締めのあいさつではありませんので、私がいなくなった後もまた続けてください。一緒に本当に最後まで頑張りましょう。ありがとうございます。(拍手)

(福島大臣退室)

藤井議長代理 大濱委員、引き続きお願いします。

大濱委員 大濱です。この医療全般ですが、医療全般を考えるときに私は基本的に権利条約の19条、地域での生活と特定の生活様式で生活する義務を負わないという、これに立脚した医療というものをきちんと考えていかなければならない。私はこういう観点で医療を考えているんですが、そうしますとやはり地域で生活するには何が必要かということなんです。私たち重度障害者にとって地域で生活するためには、ホームヘルパーやってはいけない医療行為がいっぱいあるわけですが、本当はそうではなくて、地域で生活するための生活支援のための行為というのはどういう行為が本当に必要なのか。この地域で生活するために何が必要か、から政策を考えて欲しい。現行制度の逆順でやってもらいたい。

例えば、今日は橋本みさおさんがここに来られているんですが、痰の吸引をされて普通に暮らしている、地域に暮らしているわけです。ヘルパーが痰の吸引をする。この研修期間をお聞きしたら大体1か月か2か月ぐらいで、痰の吸引はだれでもできるようになるわけです。このことは今、基本的に認められていますが、まだきちんとした制度として認められていない。リップリーディングも、研修をしたら8か月程度で身について、実際にできるようになるわけです。そういう形で重度の障害者がどうやって地域で暮らすか、そのためにはどのような支援がという視点こそが、本当に大事だと思います。

そうなると医療行為かどうかという視点で問題を捉えるよりも、地域で暮らすためにはこういう医療が必要なので、その医療は制度と介護する人がやってよいと、どうしたら医療的な介護行為ができるのかという、むしろこちら地域側の基準から施策を具体化して行くべきだと思っています。初めからこれはやってはいけないと、医師法有り気の視点から考えるのでなく、逆転の発想がここでは必要なのではないかと考えております。

これが一番大事なことで、それに伴って、やはりこのような形で私たちが地域で暮らすためには、先ほどの尾上さんの発言ともバッティングしますが、入院中の介護の問題は同じだと思っています。入院中、重度の障害者が入った場合は、はっきり言って看護師さんでは無理です。病院の側からだれか付いてくれないかと言われるぐらいです。そこら辺もきちんと、現行制度の訪問系の介護サービスできるような制度設計が急務であると思います。

以上です。

藤井議長代理 久松委員、どうぞ。

久松委員 全日本ろうあ連盟の久松です。この医療という重いテーマで討議するときに、皆さんも反対しないと思いますが、研修が必要という言い方を繰り返ししています。私も研修に反対はしません。研修は必要ですが、必要と言いながらも実際に研修で理解できるのか、研修だけで理解できるのかということも多く疑問に持っております。司法もそうですが、行政が好む専門家という方たちにあえて問いただしたいと思います。

いまだに欠格条項の中に残っている道路交通法は、耳の聞こえない者はまだ運転免許は条件つきで認められることになっています。いつも条件つきということが出てきますが、そのための審査委員会には、私たち当事者は委員として参加できません。その委員会には専門家として耳鼻科の医師が呼ばれる。耳鼻科の医師が呼ばれて発言する内容は、耳の聞こえない者の運転は危ないとコメントすることが多いのです。断種手術の問題も同様です。人工内耳の問題も同じです。専門家ほど壁が厚い。こういう人たちのことの問題解決をするためにはどうしたらいいかということを常に考えています。

やはり研修のほかに、今ここにいる例えば弁護士の先生、東先生や竹下先生など、障害を持つ当事者の参加をもっと広げていくという政策づくりも必要ではないかと思います。今アメリカでは耳の聞こえない医師が200人いると聞いております。200人医者がいるということで、周りの医療に従事する人たち、施設のコミュニケーション環境もどんどんよくなっております。結果的に一般の医療も受けやすくなるといういい結果が広がっています。

医療の現場に障害を持つ当事者をもっと広げていく、そういう政策づくりというものが非常に必要だと思います。研修と同じぐらい障害を持つ当事者が社会に参加する、医療や司法の分野で活躍できることを強く求めたいと思います。

新谷委員 時間がないので1、2分で。難病が討議テーマから落ちてしまったので、その場で問題提起をしたかったのですけれども、医療制度と福祉制度と介護制度の関係、言い換えれば病気と障害と老齢というのはどう関係しているのだということの議論を、どこかでやってほしいのです。その意味は、障害に固有の医療、精神の方の通院とか、そういうものは独自の医療制度としてずっとやっていくのか、それとも何人かの委員の方が提起されていますけれども、一般の医療制度に包摂して、それで障害者の自己負担の問題は所得保障の問題として論じていくのか、大きな意味での福祉制度と医療制度の関係を整理しないと、これから常に自己負担の問題が出たときに繰り返し論点になってくると思うのです。

そういう意味で、一般医療と障害者の固有の医療は一体どこが違うのかということを、やはりこの場で議論しないと、国民一般からのいろんな疑問に対してきちんと答えを出していけないのではないかと思います。そういうテーマ設定の場を是非つくっていただきたいというのが意見です。

藤井議長代理 手が挙がっているのは見えているんですが、聞いているんですが、時間がありませんからこれで打ち切ります。

最後にありましたように、福祉と医療の有り様は恐らく政策的にも実践的にも個別に極め合う。その上で連携をし合う。つまり融合とかごちゃ混ぜということではなくて、そのときに福祉側から医療にどう注文をつけるか。だから今、言ったお互いに連携をするシステムをどうするのかという辺りは、これは恐らく今後議論をする。どういう部会ができるかはわかりませんけれども、恐らく部会で議論するのに値するテーマだろうと思っています。

重心でも精神でもありますけれども、かつてこれも昔習ったんですが『看護覚え書』という書物の中でナイチンゲールが「致命的な病気の大多数は病院でつくられる」という明言があります。勿論彼女は精神科を意識したわけではないんだけれども、その文章を見ると2か月以上入院していますと、脳の生きる力が衰えるんですよということを150年前から言っているわけです。今日今なお通用するというのも本当に情けないと思うんですが、こんなこともきちんと認識していく必要があるだろう。医療という厚化粧の下での現代版の座敷牢というのはあってはいけないと思うんです。そういうことも含めて今後この問題については、やはり非医療側から、しかし障害当事者側から意見を言っていくという価値がとてもあるし、多分その向こうには一般の市民を含めた医療改革につながっていくんだろうということを考えいく必要があると思っています。

私が分担して今日少し時間をオーバーしましたけれども、重い3つのテーマなんですが、これで議論は終わって、小川議長の方にマイクを渡します。

小川議長 本日は長時間の討議お疲れ様でございました。ここで東室長より今後の予定を含め報告すべき事項について簡潔に御説明をお願いいたします。

東室長 今日はどうも御苦労様でした。次回は4月12日となっております。テーマは交通アクセス、建物の利用、情報へのアクセス、所得保障、障害者施策の予算確保に向けた課題等ということで行いたいと思っております。意見の提出期限は4月5日午後3時ということで、御協力のほどお願いします。

前回、総合福祉部会のことについて今回発表できるということで話しましたけれども、まだ最終的な調整が済んでいないこともありまして、正式には次回の4月12日に発表できると思っております。ずっと待たせて申し訳ないんですが、御理解願いたいと思っております。

次々回になりますけれども、4月19日月曜日、このときには関係団体からのヒアリングを予定しております。それ以後は各省庁や各施策分野に関する団体からのヒアリングということで行っていきたいと思っております。

大体以上でございます。

小川議長 ありがとうございました。それでは、これを持ちまして本日の会議を終了いたします。尾上委員、どうぞ。

尾上委員 時間のないところ申し訳ないです。4月5日が締め切りと示されたのですが、12日の意見書を出すための論点やフォーマットというのは、いついただけますでしょうか。

東室長 今、準備しておりますので、ちょっとお待ちください。済みません。

小川議長 よろしいですか。それでは、これをもちまして終了いたします。御苦労様でございました。

▲ このページの上へ

-