障害者施策に関する懇談会(平成13年7月)
1. 日時
平成13年7月30日(月)14:05~15:03
2. 場所
官邸大ホール
3. 議題
- (1)開会
- (2)総理大臣挨拶
- (3)障害のある方からのご意見等
- (4)懇談
- (5)閉会
4. 出席者
小泉内閣総理大臣
福田内閣官房長官
坂口厚生労働大臣
泉国土交通副大臣
安部内閣官房副長官
上野内閣官房副長官
古川内閣官房副長官
松下内閣府副大臣
阪上内閣府大臣政務官
山井 修 | 頚南病院勤務 |
篠 佳子 | 国立身体障害者リハビリテーションセンター非常勤講師 |
早瀬 久美 | 大正製薬株式会社勤務(日本薬剤師会出向中) |
北浦 雅子 | 障害のある方のご家族 (福)全国重症心身障害児(者)を守る会会長 |
村田 みつ | 障害のある方のご家族 |
山本 恵子 | 障害のある方のご家族 |
兒玉 明 | (福)日本身体障害者団体連合会会長 |
笹川 吉彦 | (福)日本盲人会連合会長 |
安藤 豊喜 | (財)全日本ろうあ連盟理事長 |
緒方 直助 | (福)全日本手をつなぐ育成会理事長 |
橋本 勝行 | (社)全国肢体不自由児・者父母の会連合会会長 |
古屋 治男 | (財)全国精神障害者家族会連合会理事長 |
八代 英太 | アジア太平洋障害者の十年最終年記念フォーラム組織委員会委員長 |
板山 賢治 | (財)日本障害者リハビリテーション協会副会長 |
河合 純一 | (財)日本障害者スポーツ協会 (シドニーパラリンピック選手団主将) |
河端 静子 | 日本障害者協議会代表 |
江草 安彦 | (社)日本重症児福祉協会理事長 |
雄谷 助成 | (財)日本知的障害者福祉協会会長 |
坂口 亮 | 全国肢体不自由児施設運営協議会会長 |
鈴木 清覚 | 全国社会就労センター協議会副会長 |
徳川 輝尚 | 全国身体障害者施設協議会会長 |
谷中 輝雄 | (福)全国精神障害者社会復帰施設協会会長 |
(敬称略) |
5. 内容
司会(江崎内閣府統括官) それでは、ただいまから障害者施策に関する懇談会を開催いたします。
初めに、小泉内閣総理大臣からご挨拶をお願いいたします。小泉内閣総理大臣 どうも今日は暑い中をこうしてお越しいただきまして、まことにありがとうございます。
今日は、障害者の皆さん方からご意見を伺って、今後の施策に反映していきたいと思って、こういう懇談会を設けさせていただきました。
私が初めて厚生大臣に就任したのが平成元年でしたか、そのときにノーマライゼーションという言葉がありまして、何とかもっとわかりやすい日本語はないものかといって苦慮したことがあります。だんだんだんだんそれが今ではノーマライゼーションというのがむしろノーマライゼーションとして、日本語に訳さないで使った方がわかりやすいんじゃないかという形になってまいりましたけれども、当初は障害者の社会への完全参加とか、いろいろ苦慮した思い出がございます。あるいはバリアフリーとか、お年寄りにこういう英語を片仮名にしてわかるのかどうか、こういう障害も除いていかなきゃいけないんじゃないかというようなことを話した思い出がございます。
だんだん社会の皆さん方、国民の皆さん方の障害者施策に対する理解も前より比べて大分深まってきたと思います。これからも、障害を持っている方も、あるいはご家族の方も関係者の方々も大変ご苦労が多いと思いますが、むしろ目に見えない、気づかないところで障害者の方々が健常者に勝るとも劣らない努力をしている姿というのは、逆に健常者にも大きな励みとなっている部分が私はたくさんあると思います。今日はそういう意味におきまして、皆さんがより社会に一緒に参加できるような施策、またご苦労のお話を聞かせていただきまして、今後の施策に生かしていきたいと思います。
本当にご苦労さまでした。よろしくお願いいたします。司会 本日の政府側の出席者並びにご出席いただいた皆様の名簿はお手元にお配りしてございます。ごらんください。
次に、本日ご出席の皆様を代表して、社会福祉法人日本身体障害者団体連合会会長の兒玉明様にご挨拶をお願いいたします。
よろしくお願いいたします。兒玉 明 小泉総理大臣におかれましては、内外ともにお忙しい時期にもかかわらず、障害者施策に関する懇談会を開催していただきまして、まことにありがとうございます。また、直々にお話をさせていただく機会をいただきましたことに、名誉とともに感激しております。
戦後の復興とともに障害者に関する社会福祉制度、社会保障制度は、世界に誇れるほど整備されてまいりました。1981年の国際障害者年を契機といたしましてノーマライゼーションの理念が浸透し、障害者自身の自立と社会参加の推進も飛躍的に発展いたしました。また、1993年には障害者基本法が成立いたしまして、身体、知的、精神、この3障害者の施策が総合的に実施されるようになりました。また、社会福祉の分野におきましても、基礎構造改革が行われております。年金、人権侵害、人権問題、雇用など、障害者をめぐる生活環境は依然として厳しいものがございます。特に、障害者の雇用に関する状況は厳しく、雇用の拡大に向けた取り組みが必要でございます。そして、21世紀はまさにすべての障害者が自立と社会参加に向かって一段と飛躍する新世紀でございます。
こうした状況の中で、障害者団体が一致団結して21世紀にふさわしい障害者運動を進めていくことが大変重要なことであると考えております。本日このような懇談会を開催していただきましたことは、時宜を得た極めて有意義なことであると感謝しております。小泉総理大臣、また本日の懇談会の開催準備にご尽力いただきました内閣府を初め関係各位に厚く御礼申し上げますとともに、我が国の障害者施策が一層充実するようお願い申し上げまして、私のご挨拶とさせていただきます。
ありがとうございました。司会 ありがとうございました。
それでは、皆様方にご発言をお願いしたいと思います。順次ご指名をさせていただきますので、よろしくお願い申し上げます。
なお、障害者団体からご推薦いただいた皆様にはあらかじめご意見を提出していただきまして、お手元にそれをまとめてお配りしてございます。ごらんいただきたいと思います。
それでは、初めに山井修様、お願いいたします。山井 修 こんにちは。新潟から来ました山井といいます。私は盲導犬を連れて生活をしておりますが、盲導犬を連れての生活が、障害者の10年、国際障害者年を迎えるとともに、生活がしやすくなってきてはいるんですが、ただし友達と食事に行ったり、ホテルへ、旅館へということになりますと、食事をさせてくれない、玄関払いで盲導犬はだめだよというふうに言われる、ホテルは断られるということで、できたら盲導犬を連れて食事ができる、そしてまた旅館に泊まれる、ホテルに泊まれるような社会がぜひ構築されることを願っております。
そして、小泉総理大臣も呼びかけ人になっている介助犬を育てる議員連盟の会という会が障害者の補助犬法ということで新しく、いつごろの国会になるかまだわかりませんが、そういう法案が準備されておりますが、ぜひ早期の成立をしていただきたい。そして、商業権が優先されるんじゃなくて、人権が優先されるような、そういう法案をぜひぜひ立法府として、また行政府としてつくっていただきたいということをぜひお願いしたいと思います。そして、その法案を提出するような段階になりましたら、その法案の趣旨の説明等々にも多分みんなで行くかと思いますが、忙しいと思いますが、会っていただければ幸いというふうに思っています。
それから、僕のところは雪国なものですから、一晩に雪が30センチも40センチも降る。そういう雪国で生活しているということは非常な困難なわけです。点字ブロックがあっても、誘導ブロックがあっても、雪が降ってしまえば全然わからなくなってしまう。それでもなおかつ生活をしていかなければいけないんですが、そういう雪国の生活をしやすいような環境づくりをぜひお願いできればというふうに思っています。雪が降ったから生活をしないでもいいということではないですし、雪とか災害、障害者がそういうところでも生活ができるんだという日本をつくっていただきたい。そのように思っております。
忙しいと思いますが、障害者が生活しやすい雪国とか社会は、健常者がもっともっと生活をしやすいんじゃないかと、かように思っております。どうぞよろしくお願いします。
以上です。司会 ありがとうございました。
次に篠佳子様、お願いいたします。篠 佳子 私は常時車いすで生活しているんですけれども、日常生活を送る上で数々の不便なところがまだまだありますので、それをぜひ改善していただきたいということをお願いしたいと思います。
まず、普通に生活するときに、駅があっても、車いすを使用しておりますので、エレベーターがなくて使用できないとか、あとは車で移動することが多くなりますので、車で行った場合に、行った先に車を止められるような広いスペースがないとか、あとは段差があってその施設の中に入れないとか、入れたとしても、今度お手洗いを探すときになかなか近くにお手洗いが見つからないというような、実態的にいろいろなことがあります。
そもそもそういう設備がないということや、あとはその設備があってもうまく生きていないということ。これは、駐車場があっても、お手洗いがあっても、一般の方がお使いになっているということがよくありまして、その設備があるんだけれども、十分に生かされていないというようなことがあります。設備がないこと、あとは設備があっても十分生かされていないということは、そこがないと困る人がたくさんいるということを、周りの方が、一般の方がご存じないということが原因になっているのではないかと思うんです。ですので、交通のバリアフリー法ですとか建物のバリアフリー、そういったことの法律がだんだんできていってとっても住みやすい状態に最近なってきているんですけれども、さらにバリアフリーを進めていただくために、一般の方にもその法律はどういうものか、実際にどういうふうに使われているのかということを知っていただくようなPRというんでしょうか、そういうこともやっていただきたいというふうに思います。
それから、私は国立身体障害者リハビリテーションセンターの方で非常勤講師をさせていただいているんですけれども、周りの訓練生の話を聞きますと、まだまだ就職は難しいというようなことも聞きます。法定雇用率の達成ができていない企業がかなりあるという話を聞くにつけ、どうにかならないものか常に思うんです。なぜそういう雇用率を達成できないのかということを調査していただいて、どういう状況なのか。どういうバックアップ体制があれば雇用できるのかということも調査していただいて、どんどんバックアップ体制を整備していただければ、もっともっとたくさんの方が労働力として使えるというような形になってくると思います。
今現在、障害者はどちらかというと保護される立場というような感じがするんですけれども、これからは障害者であっても、そうでなくても、同じように平等に社会に参加できるような環境をぜひつくっていただきたいと思うんです。それに当たっては建物や交通機関にバリアのない社会をつくっていただいたり、あとは雇用の機会を拡大していただりということはとても重要になってくると思いますので、ぜひその辺をよろしくお願いしたいと思います。
以上です。司会 ありがとうございました。
次に、早瀬久美様、お願いいたします。早瀬久美(手話通訳による発言) 本日は、小泉総理大臣初め内閣の皆様方、障害者施策の懇談会を開いていただき、そこにお招きいただきまして、大変ありがとうございました。
薬剤師の免許を取得させていただきましたことに関しましては、皆様に甚大なるご協力をいただき、ありがとうございました。3年間、薬剤師の免許をいただくまでの間、いろいろなことを考えました結果、3つのことをお話しさせていただきたいと思います。
まず第1点といたしまして、欠格条項があるということを国民が知らないまま法律改正されても、実際にはまだまだ知られていない状況であり、薬剤師として仕事につく場合には特に患者さんに対するバリアもまだまだあるかと存じます。そのためには、薬剤師の資質は聞こえる、聞こえないということに関係ないということを実際に障害を持っている薬剤師が仕事をすることで証明するだけではなく国からも保証していただければ安心だと思います。
第2点目といたしまして、これから薬剤師が増えていった場合に、仮に聞こえない患者さんがいらした場合に、必ずしも聞こえない薬剤師が対応できるわけではありません。ですから、聞こえない薬剤師が増えるということよりも、聞こえる薬剤師に対して障害者に対する接し方をもっと教えていくべきではないかと思っております。そのために、障害者に対する接し方をさらに研究し、それを医療関係者にも広めていってほしいと思っております。
その方法としましては、例えば医療の手話、病気に関する手話、薬の名前に関する手話などがありますが、そうした専門的な用語の手話をきちっとつくって国としても認めていただき、薬学部や医学部でも指導していただき、現場に立ったときにそれを生かせるように、早期から教育をしていただきたいと思います。
3点目といたしまして、現在、手話の普及もまだまだなために、学生が勉強したいと思っていても手話通訳者を確保することができないというような面があり、また講義をそのために受けられないという問題が起きております。また、専門用語の出来る手話通訳者の数が現在少ない状況ですので、もっとそういった手話通訳者を増やしていただいて、大学などには必ず手話通訳や紙に書くノートテイクなどでケアしてもらえる、そういった制度をつくってほしいと思っております。
また、薬剤師として実際に働いていく段階で新たな勉強をしていくために、学会や研修会にも参加しなければなりませんが、専門用語の出来る手話通訳者がいませんと、その内容を把握できません。薬剤師をきちっと養成していくためには専門用語の出来る手話通訳が最も大切ですし、さらに新しい手話も考えていく必要があると思います。
今回はそういったいろいろなことを考えさせられました。幸い、今日このいい機会を与えていただきまして、本当にどうもありがとうございました。感謝いたします。司会 ありがとうございました。
次に、北浦雅子様、お願いいたします。北浦雅子 私どもの会は、重い障害を持つ我が子の命を守りたいという願いで、昭和39年に会を結成いたしました。当時の国の姿勢は、障害が重くて社会の役に立たないものに国のお金は使えませんということでした。私どもは、たとえどんなに障害が重くても真剣に生きている、この命を守ってほしい。また、社会の中で一番弱いものを切り捨ててしまうことはその次に弱いものを切り捨てることになって、社会の幸せにつながらないのではないかということを訴えまして、それ以来、最も弱い者を1人も漏れなく守るを基本理念として運動し、事業を行っております。
現在は重症心身障害児も1人の人間として認められ、施設も、医療と福祉が連携を密にして非常にいい療育を行っていただいておりますし、学校教育や在宅対策も年ごとに推進してまいりました。
このように重症児の命が守られるようになりましたのは、本当に多くの、各方面の方々のご理解とご支援をいただきました。そして、殊に専門の先生方と職員が尽力してくださいまして、そのことに親の私どもは非常に感謝いたしておりますが、親がそれに甘えることなく親自身が自分の責任と義務を果たすため、国際障害者年に親の憲章を作成いたしました。
実は、私の次男が昭和21年に生まれましたが、大変健康で生まれたのですけれども、生後7カ月目に種痘を接種し、そのために脳炎を起こして右半身マヒ、そして言葉も言えない重症児になってしまいました。そのときの悲しみは到底言葉では言いあらわせませんが、しかし彼は24歳でむらさき愛育園に入所してから多くの人と接し、また職員の手厚い看護によって彼は立派に成長しております。特に驚きますのは、40歳で自力で寝返りが打てるようになりました。そして、48歳のときにうつ伏せになり、左手でおもちゃを転がす遊びをしていたらしいのですが、その手の動きを見て職員が筆を持たせたらどうなるだろうかということを思いまして筆を持たせましたら、左手でばっと絵をかくようになったのです。それが、意味はないのですけれども、何とも言えない、何かを訴えているという絵をかくようになったものですから、本当に多くの方に感動していただきました。
その絵を外来廊下に展示してありましたときに、感想ノートに「芸大の学生ですが、私はもう学校をやめようかとなやんでいましたが、この絵を見たらやっぱり頑張ろうと思った、ありがとう」という感想文が書いてございました。残された能力をいかして成長してゆく、これが生きるということだと教えられ、施設のありがたさ、大切さを痛感いたしております。
しかし、最近の若いお母さん方は、できるだけ自分たちと一緒に家庭で育てたいという方が増えてまいりまして、その毎日の生活を見ておりますと、涙ぐましいものがございます。特に、たんをとります吸引とか、それから経管栄養の医療ケアを必要とする重症児も学校に通っているんですけれども、学校の先生が医療ケアを行うことが認められていませんので、親の方々は毎日学校へついていかなければならないわけです。そういうお母さんたちを見ておりますと、せめて医療と教育が連携を密にして、お母さんがいっときでもいいから安らぐ時間を与えてあげたらありがたいと願っております。
重症心身障害児というのは、一見ごらんになると何もわからないというふうにお思いになると思うのですけれども、人の愛を感じますと、本当に何とも言えない笑顔で、にっこり笑って答えてくれます。体の障害が重いのに、その笑顔を見ておりますと、この子供たちの姿の中から生きるって何なんだ、幸せって何なんだということを考えさせられます。
登校拒否の中学生が重症児と接しまして、心を癒していくという話をよく聞くようになりました。現在の社会で忘れられている「思いやりのあるやさしい心」を重症児が伝えていると思われ、こうした心の輪を私どもは社会に広げていって、そして社会のご理解を得る運動が大切なことだと最近特に痛感しております。
最近、国の経済状況は厳しくて、米百俵の精神というものに私も感動いたしておりますが、私どもも身を引き締めてまいりますが、やはり障害者が安心して生きていけること、そして医療費の抑制などで最も弱い子供が切り捨てられていくことのないように、切にお願い申し上げたいと思います。
最後に一言ご報告させていただきますが、厚生労働省が平成11年に国立病院、国立療養所の再編成見直しの中で、国立療養所足利病院を重症心身障害モデル経営移譲と発表されました。多くのお母さん方の切なる願いを受けまして、6月1日に本会で経営移譲をお受けすることになりました。名称は足利の森足利病院となりましたが、国立療養所から希望された職員と新規採用の職員が心を合わせて温かい保健医療福祉施設となるように、その実現に今努力しております。大変なお仕事ではございますが、このことによって少しでも社会のためのモデルとなればということを願ってこのことをお受けいたしましたことをご報告させていただきます。
どうもありがとうございました。司会 ありがとうございました。
次に、村田みつ様、お願いいたします。村田みつ 精神障害者の家族でございます。
先日の大阪の池田小事件は、障害者本人も家族も、全く打ちのめされるように、つらい思いを味わいました。まじめに医者にかかり、家族も一生懸命支援し、施設の職員も親身になって世話をし、そして社会の片隅でそおっと小さな幸せを見つけて社会人として生活しようと思う障害者にとっては、てっついを食わされた。ここを何とかしてほしい、そのように思います。
今、私は70歳でこんなに元気になっておりますけれども、かつての時代、結核で腸結核まで進んでおりました。そのときにストレプトマイシンが保険適用になりまして、共済保険の場合、6時間ごとに2週間打ち続けられました。それで激しい結核は改善されました。そして現在になっております。でも、そのときに国民健康保険の人は、1週間に2本のストレプトマイシンでした。そうすると、私の隣で私より軽く入ってきた人がどんどん死んでいるんです。医療は仁術といいますが、やっぱり医療もお金の要るちゃんとしたものでなければ、本当に充実したものにはなっていかないものです。
それで、精神の分野について見ますと、医者の数、看護婦の数、看護士、そして点数とかいろいろ、とても一般の医療よりおくれております。厳しいんです。ですから、やっぱり医療費というものをほかの医療費並みに上げていただき、十分な医療を加えていただき、そして手当を手厚くしてもらえれば、患者は病院で本当に必要な医療を受け、そして退院しても温かく医療が十分に受けられるようになると思うんです。ベッド数は減らしても、医者、医療費、そういうものを十分にとっていただき、また、精神科医療の研究費も増額していただいて、よい医療体制を整えていただきたい。それが患者とか家族にとって大きな福音につながると思います。
それから、福祉の方ですが、3障害一緒の障害者基本法と言いましたが、現実には精神の分野は大変おくれております。身体の方々の長年の積み上げは立派ですし、なお前進されることを望みます。知的もそうです。と同じように、精神障害者の分野も引き上げていただきたいと思います。
ちなみに、精神保健福祉手帳は、精神の場合、からっぽに近い状態です。交通費、そして住宅、それから地域ケア等、十分に受けられるようにしてもらいたいし、それから障害者の雇用率とか雇用施策も推進してほしいんです。そして、地域を啓発するということ、家族会も、それから行政も一緒になって十分に進めてくださるようお願いをしたいと思います。
以上でございます。司会 ありがとうございました。
次に、山本恵子様にお願いいたします。山本恵子 私にはことし35歳になります知的障害者、すなわち自閉症の息子がおります。とても体は丈夫で、ほとんど毎日通所しております。その通所しているところといいますのは、都立の武蔵野福祉作業所というところに通っております。毎日毎日元気で通っているものですから、指導してくださる先生方には申しわけないなと私は思っておりますが、この子は決まった時間に通所して、決まった時間に帰ってきます。それで、帰ってきてからまた電車やバスを利用して遊びに行くんです。また決まった時間に家に帰ってきます。こういう生活が続いているわけなんです。絶対に自分の生活を守りながら、他人には余り興味を持っておりません。だから、その通所以外のとき、何か用事があるとか家での行事があるというときには前の前から、この日は何があるよ、この日はどうするんだよということを話しておきませんと、そのときになってお話ししたんではパニックになっちゃうんです。なかなか自分の意思だけを通して他人のことを考えない障害者なんですが、こういう障害者を抱えながら、今まで私は福祉の道を歩んでまいりました。
そのほかにも、地区における親の会の運動にも参加しまして、小規模作業所、それから生活寮、通所更生施設などの福祉行政におけるそういう運動にもかかわってまいりました。現に私は今、全日本手をつなぐ育成会の会員でもあります。現在、田無第2さくらの園という小規模作業所で、こういう知的障害者と一緒に仕事をしております。
どうも知的障害者と申しますのは、ちょっとほかの障害者の方々とは異なっているようなんです。身体障害者や精神障害者、その他の障害者の皆さんは、障害者本人がきちんとした意見を持ち、その意見を福祉行政に反映させていくということができるようでございますが、知的障害者となると判断能力が十分でないものですから、なかなかそうはいきません。やはりだれかが代弁しないと事は進まないようでございます。
今、私たちの中でも知的障害者本人の自己主張ということでいろいろ訓練はしていますが、なかなかそこまではいきません。そこで今日は、知的障害者施策について私からお願いを述べさせていただきたいと思います。
社会福祉構造改革がうたわれまして、社会福祉事業法の改正が行われ、福祉の分野も大変な変革を迎えています。私たちもこの変革に取り残されないように、がむしゃらに頑張っている毎日です。
福祉行政の所管が区市町村に移行されてきますと、地域における私たち親の会の役割もますます大事なものになります。それで、その運営する小規模作業所もますます地域にきちっと根差していかなきゃいけないものですから、とっても重要なものになってくると思います。
それで、地域における福祉的就労や日中活動の場として重要な小規模作業所については、法定化を推進していただきたい。これが私たちの一つの願いです。今、その法定化を推進されてはいるんですが、ますますそれができますように、小規模作業所の地位が少しでも上がったらいいんじゃないかと考えております。
2番目には、平成15年度以降に知的障害者福祉に関する事務が各区市町村に移譲されてきますが、これについては十分な予算措置を図っていただきたい。
それから、入所施設から安心して地域居住に移行できますように、地域における福祉サービスの充実を図っていただきたいと思います。
それから、今から知的障害者福祉については措置制度から支援費制度への移行が行われるわけですが、支援費制度への移行にあっても、現行の利用者の負担を上回る負担が生じないようご配慮願いたいと思います。
今この3点をお願いし、話はここで終わらせていただくんですが、申しわけございません。最後に、私たちの全国大会が11月6、7、天皇陛下、皇后陛下をお迎えして行われることになっております。どうぞ小泉総理大臣もいらしていただきたい。それはお願いいたします。
ありがとうございました。司会 ありがとうございました。
それでは、これから時間の許す限り懇談をしていただきたいと思いますが、初めに政府側の出席者から何かございませんでしょうか。坂口厚生労働大臣 先ほどは障害者の皆さん方の雇用の問題のお話をお話しいただきまして、私たちも、身体障害者、それから知的障害者も含めまして、精神障害者の皆さん方につきましても雇用の場をもう少し拡大していくということを一生懸命やろうじゃないかというので今さまざまな角度から検討し、そしてそれが実現されるように対策を練っているところでございます。特に、先ほどご指摘ございましたとおり、精神障害者の皆さん方の雇用というのが最もおくれておりますので、精神障害者の皆さん方にも雇用の場が拡大できるようにしなければならないというので、研究会も設けまして、いろいろ検討をしていただいてきたところでございます。大体この秋にその結論が出ますので、それを参考にさせていただきながら新しい対応を考えたいと、こういうふうに思っておるところでございます。
各企業におきます障害者の皆さん方の雇用率につきましても、もう少し今までよりも踏み込んだお願いをしなければならないというふうに思っておりまして、これも今やろうとしているところでございます。
それから、障害者の皆さん方、とりわけ身体障害者の皆さん方を初めとして、いろいろな能力、いわゆる職業能力というものを身につけていただくようにしなければなりませんので、あらゆる角度の職業能力を身につけていただくように、そこもひとつ頑張りたいと思っております。
今まで、例えば視力障害の皆さん方でございますと、はり、きゅう、あんまという、どちらかといいますと判で押したような職業を皆さん方にお願いをし、皆さん方もそのことを一生懸命ご勉強なさり、あるいはまた能力を身につけるようにしていただいてきたわけでございますが、それも大事だというふうに思っておりますけれども、それだけではなくて、IT化も進んできたことでございますので、皆さん方に幅広い職業に就いていただけるよう工夫をしなければいけないというふうに厚生労働省としては考えておりまして、皆さん方にできるだけ活用していただける体制をつくりたいというふうに思っております。泉国土交通副大臣 今日はいろいろなご意見をお聞かせいただきまして、大変ありがとうございました。
バリアフリーの問題については、ようやく政府が本格的に整備を進め始めたところでございまして、まだまだ皆さん方にご納得いただける、ご満足いただける状況に至ってないことを承知いたしております。駅でありますとか、あるいは旅客船のターミナル、航空のビル、そうしたことを一定基準を設けまして始めさせていただきました。しかし、私どもとしましては、今日お話のございましたように、多くの方々がお使いいただく建物、ハートビル法と我々は呼ばせていただいておりますが、今は努力をしていただく規定、努力規定でございますが、これを義務を課すような方向に来年度からでも進められないかと検討いたしております。
また、先ほど山井さんでございますか、雪国のお話がございました。私どももせめて歩道だけでも何とか冬場安全にお通りいただけるような仕組みができないかと、こういうことも検討の場にようやく出させていただいたところでございますが、これからも精いっぱい努めてまいりたいと思います。どうぞまたご支援をいただきますようにお願いいたします。司会 ありがとうございました。
ご発言を希望される方おられましたらお願いします。八代英太 今日は障害者団体のそれぞれ理事会の皆さんをお招きいただきまして、懇談会を開いていただいて、本当にありがとうございます。私も24年の議会活動はほとんど障害者問題を中心に今日まで参りましたし、私自身も、途中の障害でございますが、もう29年目に入りました。今、生まれながらの障害を持つ人、途中で障害を持つ人、 500万とも 600万とも言われているわけですが、そういう意味ではその人たちの痛みというものが本当に政治の中で生かされていくことは、これからまた構造改革によって国民の痛みをということがよくマスコミ等で報じられておりますが、むしろ我々は痛みと共生しながら今日まで頑張っているという、そこに福祉的にしっかり、またこれ以上の痛みが押しつけられないような福祉セーフティーネットのようなものもしっかりと構築をしていただかなければならないと、こんなふうに思います。
それと仕事も、我々は耐えるのではなくて、みずから機会をもらって社会にチャレンジをしていくというのが基本的でございますから、職業も、何ができないのではなくて何ができるかということを考えながら、欠格条項も取り払う方向でございますけれども、職業も1万種、1万 5,000種とあるというようなことを伺いますから、できるだけ障害を持った人たちが自立をする。自立をしながらも、その汗が評価されるようないろいろな制度をこれから考えていくことも必要だろうと思います。
そんなことで、実は来年が、国連障害者の10年からアジア太平洋の障害者の10年になりまして、ちょうど2002年が最終年になります。これは日本が提唱しました。そんなことを思うと、この2002年が障害者にとっての20世紀の最後だという思いをみんな持っておりまして、今日ここにおいでの団体の皆さんはみんな組織委員会に入っていただいて、私が組織委員長を引き受けまして、実は来年札幌と、それから大阪と滋賀県で障害者の国際会議を開くわけでございます。我々民間の手づくりでやっていくんですが、しかしこれもなかなか現状の経済状況下でございますから、できるだけ政府の諸手を挙げてご協力をいただきながら、来年が日本の心を世界に発信する。そして、日本の障害者が障害者の20世紀の最後を飾って新たなポスト、アジア太平洋の10年のための本格的な自立への21世紀にしたいという思いでみんな今頑張っておりますので、来年度の厳しい予算の状況はわかっておりますが、小泉総理のまた温かい心に我々もすがりながら、また厚生労働省のお力もかりながら、あらゆる省庁のお力をかりながら、来年の国際会議に世界の障害者が日本に集まると、こういう大きなイベントの組織委員会をこの皆さん全員が参加してやっていただいて頑張りたいと思っておりますので、何とぞ政府の温かいご指導とご支援を心からお願いしたいと思っております。今日は本当にありがとうございました。笹川吉彦 福田官房長官にお願いしたいんですが、私どもは今日、小泉総理大臣と直接お話ができると伺って参りました。残念ながら、一言も発言のチャンスがございません。ぜひひとつ今日発言しなかった団体と、総理は大変お忙しいことは百も承知ですけれども、懇談できる機会をぜひ設けていただきたいと思います。そうしませんと、私も団体の代表として来て一言も発言しなかったら報告ができません。
それから、やはりこういう場合は我々が言うだけではなくて、総理の方からご見解を聞かせていただきたい。こういう問題に対してはこうだというような総理の生のお声を伺いたい。そうしませんと、全く一方通行で終わってしまいます。この辺ぜひひとつご配慮をいただきたいと思います。お願いします。雄谷助成 日本知的障害者福祉協会の雄谷と申します。2点お願いしたいと思います。
知的障害者と障害者の雇用促進と就職の安定のため、障害者雇用納付金制度の充実、拡大について、一層のご配慮をお願いしたいと思います。
もう1点は、戦後、たくさんの施設ができましたが、その再生産、新しく施設を建て直すことについて、いわゆる民間ではその資金繰りに非常に苦慮しております。この問題について、公私間の格差がないように、ひとつ特別のご配慮をお願いしたいと思います。
以上でございます。河端静子 八代先生は2002年の障害者の最終年のことをおっしゃいましたけれども、私は、出席簿の下から7番目の日本障害者協議会の代表でございます。この日本障害者協議会というのは、国際障害者年を契機として生まれました。ですから、2002年の最終年は大変力を入れて身体障害者、全国の連合会の兒玉会長もいらっしゃいますけれども、我々障害者団体といたしましては、国際障害者年がすばらしい日本における年でございました。まさにこの国際障害者年を契機といたしまして、福祉施策は随分進んでまいりました。これは政府初め関係者の方々が本当に一生懸命やってくださったおかげだと思っています。ですから、来年度の2002年のアジア太平洋障害者の十年の最終年にはぜひとも日本として我々力いっぱいやりたいと思いますので、政府の方からも補助をきちんといただいて、世界に誇るアジア太平洋障害者の十年の最終年としたいと思います。よろしくどうぞお願いいたします。
司会 ありがとうございました。
それでは時間が参りましたので、懇談会をこれで終了させていただきたいと思います。
最後に、福田内閣官房長官からご挨拶をお願いいたします。福田官房長官 本日は大変いろいろなお話をお伺いいたしまして、また具体的なご提案もいただきまして、大変ありがとうございました。また、感動的な北浦さんのお話も伺いまして、大変勉強もさせていただきました。
障害者に関します施策というものは、生きがいを持って、そしてまた安心して暮らすことができる社会を築くという趣旨で大変重要な政策課題であるというように考えております。小泉内閣にとりましてもこれは極めて大事な政策課題の一つでございますので、一生懸命この課題に取り組ませていただきたいと思っております。
14年度に基本計画が終わりますので、その先のことをまた考えていかなければいけないということで、次の障害者基本計画をつくるために我々もいろいろな角度から検討したいと思っておりますけれども、そういう検討をする上で今日のお話などを重大に受けとめさせていただいて、よい計画をつくるようにこれから全力を挙げてまいりたいと、このように思っております。
篠さんだったかな、バリアフリーの施設の問題。これは今、国土交通副大臣と話をしておったんですけれども、私どもも施設の整備度というものが必ずしも進んでないというように思っておりますので、そういうものを実地に見てこようと、こういうようなことを今副大臣と話をしていたところでございますが、そのようなことをしながら我々も勉強させていただき、そして皆様方のご提案をまた参考にさせていただいて、諸施策の推進のために全力を挙げてまいりたい、このように思っております。
そのようなことで頑張りますので、どうかよろしくまた皆さん方のご協力をお願いいたします。
ありがとうございました。司会 これをもちまして懇談会を終了させていただきます。本日はどうもありがとうございました。