フランスでは、1990年に「障害及び健康状態を理由とする差別を禁止する法律」(1990年7月12日の法律、以下1990年法という)が制定され、障害を理由とする差別禁止原則が導入された。1990年法は、刑法典を修正し、従来、性別、宗教、人種等を理由とする差別に限って認められていた刑事制裁を、障害及び健康状態を理由とする差別にも拡張すると同時に、労働法典の修正も行い、障害及び健康状態を理由とする解雇や懲戒解雇等を無効とした。あまり知られていないが、フランスでは、1990年の段階で既に、障害を理由とする差別禁止原則が確立されていた。しかしながら、フランスでは、障害を理由とする差別禁止原則が、アメリカほどのインパクトを持ちえなかった。実際のところ、近年になるまで、障害を理由とする差別に関する裁判例は非常に少なく、判例の蓄積もほとんどないと言って良い。その理由の1つは、差別禁止の根拠条文が、刑法典に規定されたことにある。つまり、差別の被害者は、差別を訴えようとする場合、刑事告訴をしなければならないこととなっているのである。しかし、刑事訴訟では、無罪の推定が働き、立証責任も検事の側にある。そのため、これを救済手段として利用するのは、容易なことではない。他方、雇用の分野では、労働法典で障害を理由とする差別禁止が定められ、民事救済の道も保障された。しかし、労働法典の差別禁止規定は、障害に関して言えば、ほぼ、死文化していた。その背景の1つには、フランスの障害者雇用政策の中心が、使用者に一定割合の障害者の雇用を課す雇用義務制度にあったことがあろう。しかしながら、2000年EC指令(雇用及び職業における均等待遇の一般的枠組みを設定する指令:2000/78/EC)を契機として、フランスでも、障害を理由とする差別禁止に対する関心が高まることとなる。2000年以降、フランスで、このテーマに関する関心が高まったのは、EUの影響によるところが大きい。加えて、フランスでは、2000年以降、上記EC指令を含むその他の差別禁止に関するEC指令を国内法化する立法が相次いだ(例えば、差別対策に関する2001年11月16日の法律、社会現代化に関する2002年1月17日の法律、HALDE(高等差別禁止平等対策機関)の設立に関する法律、差別対策分野のEU法への適合を目指す様々な規定を定める2008年5月27日の法律)。そして、「障害者の権利と機会の平等、参加、市民権に関する2005年2月11日の法律」によって、雇用における障害を理由とする差別禁止原則に、アメリカ法でいう「合理的配慮」(フランスでは、適切な措置(mesure appropriee)という)概念が導入されたことによって、フランスにおける障害を理由とする差別禁止原則は、新たな局面を迎えることとなった。近年では、裁判例も増加しつつあり、特に、雇用(公務)の分野で、コンセイユ・デタ(行政最高裁判所)の判決が、先例となりうるような重要な判断を下している。
2009年には、障害を理由とする差別禁止に関する新たな立法はなかった。現在、フランスでは、2000年以降に相次いだ差別禁止立法に基づく制度運営がスムーズになされるように、努力が払われているところである。そこで、本稿では、障害を理由とする差別に関する紛争の実態を探ることで、2009年の動向を確認することとしたい。以下の記述は、2009年のHALDE報告書(Rapport annuel 2009)からの引用である。まず、HALDEへの申立件数・相談件数を確認し、次いで、2009年に出された勧告例・裁判例をいくつか紹介する。
<1>HALDEへの申立件数、電話相談件数
まず、2009年におけるHALDEへの申立は、全部で10,545件に及んだ(前年比+21%)。郵便による申立が5,308件、インターネットからの申立が3,034件、地方局員(correspondants locaux)からの登録が2,203件であった。
差別理由ごとに整理すると、出自を理由とする差別に関する申立が最も多く、全体の28.5%を占めている。次に多いのが、障害及び健康状態を理由とするもので、全体の18.5%を占めた。以下、性別(6.5%)、組合活動(6.0%)、年齢(5.5%)、宗教的信条(3.0%)、妊娠(2.5%)、性的指向(2.5%)、家族状況(2.5%)、外見(1.5%)、政治的見解(1.0%)が続いている。障害を理由とする差別が占める割合は、2番目に大きい。他方、分野ごとに整理すると、雇用に関する申立が最も多く、全体の48.5%(民間:採用9.0%、キャリア22.5%、公的部門:採用3.5%、キャリア13.5%)を占めた。これに、公的サービス(10.0%)、民間サービス・財(10.0%)に関するものが続き、教育(6.0%)、住宅(5.5%)、規制(5.0%)となっている。雇用に関する申立が圧倒的に多いことが分かる。さらに、HALDEに対する電話相談の件数をみると、2009年には、21,170件の電話相談があった(2008年は21,024件)。そのうち、出自に関するものが39%、障害及び健康状態に関するものが28%を占めた。電話相談においても、障害及び健康状態に関する相談が多いことが分かる。また、分野別では、雇用に関する相談が最も多く、全体の66%を占めた。
<2>勧告例・裁判例
上記のように、障害及び健康状態を理由とする差別に関する申立の数は、非常に多い。その中には、最終的に、HALDEによる勧告の対象となるものもある。以下に、2009年HALDE報告書に掲載されていた勧告例(a〜c)、及び、裁判例(d)を紹介しておく。
a. Deliberation n° 2009-29 du 2 fevrier 2009
a. は、労働ポストの調整拒否は、差別となりうることを再確認した事例である。労働ポストの調整拒否と健康状態を理由とする懲戒処分に関する申立について、HALDEが、調査を行ったところ、使用者は、<1>申立人の労働ポストについて、労働医の推奨する調整を全く行っていなかったこと、及び、<2>調整のなされていないポストに就くことを拒否したことを理由として申立人に対し懲戒処分を行ったことが判明した。この事案につき、HALDEは、労働ポストの調整の欠如や、申立人に対する懲戒処分は、健康状態を理由とする差別となりうるという判断を下し、当該見解を労働審判所に提出することを決定した。
b. Deliberation n° 2009-241 du 15 juin 2009
b. は、障害を理由とする昇進(evolution professionnelle)差別が、HALDEによる介入の対象となることを示した事例である。申立人は、24歳の時から昇進していないのは、障害を理由とする差別ではないかと考えた。この事案につき、HALDEは、昇進の欠如は、客観的に正当化されないこと、申立人の職業能力の評価は、医学的な「制限」を参照して行われていたことを確認した。その上で、HALDEは、本件の解決策として、調停を行うよう勧告した。
c. Deliberation n° 2009-310 du 7 septembre 2009.
c. は、家族の呼寄申請に関する事案である。アルジェリア国籍、障害率80%の申立人は、収入が不十分であることを理由として、家族の呼寄申請を却下された。この事案につき、HALDEは、SMIC(法定最低賃金)以上の収入を要求する知事の拒否決定は、AAH(成人障害者手当)を受給している障害者の特別な状況を考慮しておらず、また、申立人が通常の家族生活を送ることを不可能にするものであることから、障害を理由とする差別となるという判断を示した。この他、HALDEは、<1>同じ状況にある他の外国人は、収入要件を課されることなく家族の呼寄ができることに鑑みて、知事の拒否決定は、国籍を理由とする差別でもあること、<2>SMIC以上の収入を要請する知事の拒否決定は、申立人の収入計算においてAPL(個別住宅手当)を算入しておらず、現行法に違反する旨も確認し、これらの見解を、行政裁判所に提出することを決定した。
d. Tribunal administratif de Rouen,n° 0700940-3, 2009年7月9日
(ルーアン行政裁判所 2009年7月9日判決)
d. は、聴覚障害を理由とする身体・スポーツ教育教員試験への登録拒否に関する事案である。結論として、ルーアン行政裁判所は、国に対し、原告が本件拒否によって被った精神的損害に対する慰謝料として、原告に5,000ユーロを支払うよう命じた。裁判所は、証拠からは、原告の障害が、身体・スポーツ教育の教員としての雇用と両立不可能であったことの確認、及び、行政が障害を補う適切な措置を探求したことの確認がとれなかったこと、そして、本件では、障害を補うための適切な措置に過度の負担は生じないことが確認されたことを重視し、上記の結論を下した。
(注)なお、本件登録拒否に関しては、同時に、HALDEへの申立もなされていた。申立を受けたHALDEは、2005年9月26日の勧告(no2005-34)で、国民教育大臣及び障害担当閣外大臣に対し、身体・スポーツ教育教員試験への登録に水難救助資格を要請するデクレを修正するよう、勧告を行った。しかし、同デクレは、未だに修正されておらず、また、国民教育研究総組合連合が提起した裁判によって、同デクレは、生徒の安全確保を理由に有効とされた(コンセイユ・デタ(行政最高裁判所)2008年11月14日判決)。HALDEは、同デクレの修正を要求し続けているところである。
障害者権利条約に関しては、新しい動きがあった。フランスは、2007年3月30日に、障害者権利条約に署名し、2008年9月23日には、その選択議定書にも署名をしていた。こうした状況の中で、フランスの同条約への批准が待たれていたところ、2009年12月、「障害者権利条約の批准を認める法律」が可決され、2010年2月18日、ついに、批准がなされるに至った。
障害者権利条約への批准に関しては、2009年3月2日に、前述のHALDEによって、政府に同条約への批准を求める勧告が出されていた(Deliberation n° 2009-114 du 2 mars 2009)。そして、その後、2009年6月24日に、「障害者権利条約の批准を認める法律案」が国民議会に提出され、議会での同法律案の審議が開始されていた。フランスは、2005年の改正(「障害者の権利と機会の平等、参加、市民権に関する2005年2月11日の法律」)で、障害者に関する法制度の大幅な見直しを行っていたことから、権利条約の批准のために、特別な対応を行ったということはなかった。その理由は、「障害者権利条約が定めている基本原則及び価値は、2005年法によって、既に、体現されている」と考えられていることにある。実際、上記法律案の立法理由には、次のことが示されている。
「権利条約の目的は、障害者に、国際法で既に承認された権利の実質的な享受を保障することにある。権利条約は、未だ十分に遵守されていない障害者の権利を再確認するものであるが、特に、新たな権利を創設しているわけではない。重要なのは、障害者のために、障害者の権利が含意するものを明確にすることである。権利条約は、国際的レベルで集団的コンセンサスが得られたことを示している。それは、フランスが要求し、障害者の権利と機会の平等、参加、市民権に関する2005年2月11日の法律で定めた新たな方向性、すなわち、障害者の政治的・経済的・社会的・文化的生活への真の参加に向けた方向性を強固にするものである。」
「権利条約は、上記2005年2月11日の法律の先駆的部分を踏襲するものである。」
このように、フランスでは、権利条約の要請は、2005年法によって満たされていると考えられている。こうした状況の中で、フランスは、国内における障害問題の優先的位置付けを勘案して、最良の期間内に権利条約を批准することとした。先進国の1つであるフランスが、批准に至ったことは注目される。