基調講演「高齢社会フォーラム・イン東京」

「高齢者から発進!世代をつむぐ、三方よしの地域づくり」

藤原 佳典
東京都健康長寿医療センター研究所 社会参加と地域保健研究チーム 研究部長

 少子高齢社会を乗り切るためには、地域住民の大多数を占め、人生経験豊かな高齢世代が、地域づくりの担い手として期待される。また、地域を持続・発展させるためには、高齢者から子どもまで全ての世代がつながり、循環する共生社会を創生する必要性がある。その中で高齢者のボランティア活動は、受け手(=売り手)よし、高齢者本人(=買い手)よし、地域(=世間)よしの“三方よし”の基盤となり得る。こうした“三方よし”の活動事例として、高齢者ボランティアによる子どもへの絵本の読み聞かせプログラム「りぷりんと」のあゆみとエビデンスを紹介した。

藤原 佳典東京都健康長寿医療センター研究所 社会参加と地域保健研究チーム 研究部長の写真

 どうも、ただいまご紹介にあずかりました東京都健康長寿医療センター研究所から参りました藤原でございます。みなさま本当に足元がお悪い中、朝早くからご参集いただきまして光栄でございます。今日は、私のほうから、1時間ほどお時間いただきまして、少し長めですけれども、イベントのキックオフということで、お話をさせていただきたいと思います。

 私の所属しております東京都健康長寿医療センター研究所は、東京都の板橋区という所にございまして、後ほど少しご紹介させていただきますが、設立者が渋沢栄一でございます。明治、幕末のころ、当時、孤児あるいはホームレスだった人たちを養育した東京都養育院という施設を彼が立ち上げまして、その後、40数年前から、高齢社会をにらみまして、高齢者の健康、あるいは、社会参加、あるいは生活をどう支援するかといったような研究所の部門と病院の部門とその二つから成り立ってる施設でございます。

 今日は、メインテーマであります『高齢者から発進、世代をつむぐ、三方よしの地域づくり』という少し大きなテーマでお話をさせていただきたいと思うのですが、四つの小テーマをご用意しております。

 先ほど多世代でつむぐと申しましたけども、今、まさに少子超高齢社会が進んできて、いかに多世代であるいは、世代間で、交流し、また助け合っていくことが重要かといったお話。二つ目が、まずは、その第一歩としてシニアの方々、元気でいただく必要があると。その元気の秘訣は実は社会参加にありといった、われわれの研究の実績を少しご紹介したいと思います。三つ目でございますが、今日お集まりのような本当に積極的に社会参加を促進されてる方、あるいは、いろんな情報をお持ちの方からすれば、当たり前というふうに思われるかと思うのですけども、実は、まだまだ地域には社会参加にもう一歩、もう二歩、もう三歩という方もたくさんいらっしゃいまして、そういったかたがたへのメッセージとしましては、まずは、いきなりボランティア、お仕事と言うと敷居が高いかもしれませんが、外出と交流から目指しましょうというお話をさせていただきます。

 四つ目でございますが、じゃあ具体的に、社会参加の姿として「三方よし」を考えていきます。そもそも三方よしという言葉なんですね。これは、設立者でございます渋沢栄一が、彼は、日本の資本主義の父と呼ばれておりまして、明治のころにいろんな企業を立ち上げてきたんですが、80歳越えてからビジネスのほうの肩書きは若い人へどんどん譲っていって、福祉のほうへ入っていきました。今日でいう、社会福祉協議会を立ち上げたのもそうですし、私どもの研究所の母体であります養育院を作ってくれました。

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 彼の著書の中で、例えば有名な『論語と算盤』という本があるんですね。つまり、論語というのは福祉ですとか道徳、算盤というのは商売とかビジネスということなんですけども、とかくこう、相反するようなものなんですけれども、福祉もビジネスもこれが一体化して、世の中を補い合ってよくしていくんだということを彼は述べております。その両方がうまくいく一番の秘訣というのが、彼は近江商人から学んでおりまして、三方よし、つまり、売り手よし、買い手よしそして、世間よしということなんですね。

 これは、おそらく今日の福祉であっても健康づくりであっても、社会参加においても全て共通することでありまして、まずは、売り手よし、つまり、社会参加することによって、シニアの方、高齢者の方自体にいろんな健康ですとか、生きがい、そういった福利があると。そしてそれを相手や関係者のかたがたにもメリットがあると。そしてそれが、どんどん広がることによって、地域全体、あるいは社会全体がよくなって初めて、物事はうまくいくんだということで、本当に私どものいろんな研究活動、あるいは、実践活動の根本にありますのが、三方よしです。しかも、シニアの方から発進する三方よしについて研究しております。その一つの具体的なプロジェクトが、最後にご紹介いたしますが、私どもが世代間交流の学校ボランティアのプロジェクトをずっと続けておりまして、そちらのご紹介をしたいと思います。

○増える現役世代の負担

 初めの、なぜ少子高齢化に世代間交流が重要かということですが、これは先ほど嶋田室長からもお話ありましたが、当たり前のように少子高齢化というのがどんどん進んで行って、今、人口も減っているという当たり前のようなお話ですけれども、この中身をのぞいてみますと、さまざまな複雑な社会的な問題を抱えております。

 一つが、よく言われます社会保障の負担というものでございます。今から50年ぐらい前は、9.1人の働き盛りで一人の高齢者の医療費ですとか、年金、そういったものを支えてればよかったという、そういうおみこし型の社会というのが続いておりました。それが最近になると、2.4人で1人と。いわゆる騎馬戦型と言われますね。まもなく、1.2人で1人を支える時代がやってくるということなんですが、この支える若者自体が減ってきているという数の問題もあるのですが、支える若者の元気度が全然50年前のこれから日本を明るく、よくするんだというなときの若者と、今の若者では、世の中を支える体力自体も弱ってるというとこが一つ問題でございます。

 そういった社会的に、ご自身がちゃんと若者自体が税金払える立場なのか。あるいは、最近特に男性ですと、なかなか結婚して家庭持つことも難しくなってきたりということで、ご自分の足元自体が、フラフラしている若者がどんどん増えてきてるというそういう非常に不安な状況でございます。とかくそうなってきましたところ、自分のおじいちゃん、おばあちゃんの面倒なら昔から世話になってるから、何か恩返ししようという気持ちがあってもおかしくはないと思うんですが、核家族化がどんどん進んできまして、自分の生活もままならないのに、赤の他人のおじいさん、おばあさんの世代のいろんな社会保障までどうして自分たちが負担しないといけないのかということで、とかく、世代間の不公平感がまん延してくるわけなんですね。

 こういったものは、介護政策と保育政策のどちらを優先するんだとか、そういった選挙の投票行動にも現れがちにはなるのですが、一般の市民生活レベルの、昔はお年寄りの方っていうと、地域でのんびりにこやかに日なたぼっこして、お声を掛けてくださるような存在だったというようなイメージがあったと思うのですが、今やニュースの報道では、認知症の方が事故を起こしたりですとか、あるいはキレる高齢者といった報道が見られると、必ずしも高齢者の方のイメージが、昔ほど、ほのぼのよいものではなくなり、市民生活の中でもついつい、世代間の確執とか、あるいはもっと言うと、対立が危惧されるようになりました。

 とはいえ、一億総活躍で乗り越えないと、今、この日本の国難は、人口が増えない限り、担い手がいない。やっぱり、ここで、今、シニアの方、高齢者の方にもう一度支える側に戻っていただくということが最後の選択肢じゃないか。でないと、結局ロボットと外国人しか頼るものがないっていうことになってくるんですね。でも、そういった支える側に回る高齢者の方なんですが、もはや自分自身がしんどいぞという方はおられて当然です。しかし、中には支える側に回って、もう一度、自分が逆に元気になれる方をたくさんわれわれも研究で見てまいりました。地域や社会を支えるからにはご自分も元気になっていただこうじゃないかという研究をしております。

○複雑化する地域の課題

 二つ目が、少子高齢化という人口の数の問題だけではなくて、今、この社会の問題自体が、特に、地域社会の問題自体が非常に複雑化しております。例えば、今までは、高齢者の介護だけされてる家庭とか、あるいは、障害のあるお子さんを養育されてる子育ての家庭とか、一つ一つの問題だけで完結してたものが、最近は、いわゆる長寿命化とか、核家族化ということによって、例えばお子さんの子育てに手がかかってたご家庭の中で、一緒に暮らしてたおばあちゃんが、実は最近認知症が出てきたといったことで、ダブルのケアが必要になってきてるご家族なんかも増えてまいります。

 また、そういうことによって、離職、仕事を離れないといけないということになると、今度はそこに、経済苦という問題が入ってくる場合があります。今までのように住民の問題が、単純明快に個別化というか高齢者の問題、子育ての問題、経済の問題、それ以外にはっきり分かれてるのではなくて、混合になっていく。混じり合ってるというようなことが出てきます。そうなってきますと、役所は市町村それぞれ独自にサービスを展開されているんですけれども、どうも隙間のかたがた、あるいは、複合的にいろんな課題を抱えているかたがたへの対応というのは、どうしても役所の縦割りの仕組みの中で、後手に回ったりとか、あるいは見逃されたりしてるっていうようなところがございます。

 そういう中で、本来は、今までは民生委員さんとか町会の方とか自治会の方、いわゆる地縁団体として活躍されてる方が、地域の隙間を埋めるべく頑張っていただいているんですが、でも、その地縁団体の担い手の方自体も後継者がいらっしゃらなかったりとか。あっちもこっちもお役が回ってきて、まず、一般の市民の方が倒れる前に地縁団体の担い手が倒れそうになってる状況なんですね。となると、今までの町会さん、民生委員さんだけに頼らず、第二、第三の担い手を地域で作ってく必要があるわけです。

 そこで、期待されますのが、地域のいろんな活動されてる趣味であろうが、ボランティアであろうが、入り口はなんでもいいんですが、新しいタイプの活動をされてる、住民の方々だと思います。そういった高齢者の方々に、ちょっとした地域の困り事ですとかSOSあるいは相談事なんかを雑談や立ち話の中でもいいんですけども、耳にしたら役所の方につないであげるとか、民生委員さんにつないであげるとか、つなぎ屋さんとして、活躍していただくことが期待されるわけで、これは、何も町会の方だけではなくて、どんどん個人で、いろんな地域で活動されてる方でも、そういう期待が担われるとこだと思います。

○健康長寿の条件

 こういった、世の中の背景があるわけなんですけれども、まずは、活躍していただくという意味で、シニアの方自身が、お元気でいただく必要があるというのが、原則でございます。私どもの研究所は、40数年の歴史を持っておりまして、その中で、健康長寿の10か条を公表してまいりました。こちら、ちょうど今から17年前なんですけども、健康長寿の10か条を様々な調査の中からまとめております。10か条のうちの約半分、五つに関しては、いわゆる病気対策、生活習慣病の予防という部分なんですね。

 時間の関係で、これはあんまり触れないでいきたいと思うんですが、もう一つ重要なのが、老化予防という部分なんです。これは、足腰が丈夫ですとか、頭がさえてるといったようなそういう老いとの戦いということなんですけれども、私は人間も車も元気なうちは、動いてなんぼというように考えているんですね。例えば健康は、老化予防というのを車に置き換えますと、例えば人間にとって栄養状態がいいっていうのは、車に置き換えますと、ちゃんと質のいいガソリンが満タンに入ってる。足腰が丈夫というのは、車のボディがしっかりして、タイヤもちゃんと溝の入ったタイヤがちゃんとはまっている。三つ目の最近の記憶力がいい。これは、性能のいいカーナビが装着されてると、そういうふうに覚えていただけたらと思うんですが、四つ目ですね、これ、主観的健康感といいまして、自分で健康だと思えてるというような自覚症状のことなんですね。これは、実は高齢になってくると、病気の有無とかを差っ引いても、その方の健康長寿を非常に占う重要なファクターなんですけれども、実はこれは例えば、きょうも1日、体調よく、気分よく、運転席に座れるぞといったコンディションです。

 われわれ現役世代の健康と、退職された方の健康づくりというのは、少し変わってまいります。われわれ現役世代は、少々、車がガタが来ようが、眠気、睡眠不足だろうが、風邪気味であっても、明日の朝例えば、9時30分にイイノホールで打ち合わせがあるとなると、フラフラになってでもたどり着こうとします。でも、シニアの方、退職後の方は、いくら日頃車を磨いておいても、用事がなければ、毎日毎日車を出して出て行くということがついついおっくうになったりとか、必要性がなくなってくると、ついついやめてしまうんですね。よく、最近、いろんな所でシニアの教室なんかで、退職後は、教養(=今日用)と教育(=今日行く)が重要だというようなシャレがございます。これ、何かというと、退職後は今日の用事と今日行く所ということで、今日用、今日行くなんですね。つまり、いくらコンディションを整えておいても、その今日用、今日行く、目的がなければ、ついつい使わずにさび付いてしまいますよということで、その今日用、今日行くという意味では、目的としまして、やっぱり社会参加というのは一番重要な、今日待ってくれてる人がいる、役割があるということです。

 私は、老化予防には、エンジンの部分(=栄養、身体、頭)と、ニンジンの部分(=社会参加)と両方が重要ですよということよく申し上げているんですが、いずれにしてもその健康づくりが変わってきてると。17年たちまして、世の中の状況も移り変わってまいりました。そこで、私どもの研究所も昨年、もう一度この10か条を交通整理するということで、新ガイドラインというものを発表しております。大筋はそんなには変わらないで、交通整理というところなんですが、一つ新たに加わっている重要な項目があります。これは何かというと地域力なんです。なぜかといいますと、今までの、健康づくりは、この指とまれで、ご自身で健康を全うしたい、全うできるという方が、積極的に参加していただくための、10か条だったんですね。ところが、この17年の中で、例えば、いろんな社会情勢が変わってきました。認知症の問題というのがあります。

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 例えば、頭では分かってても、気持ちではこうすれば健康づくりにいいですよということが分かってても、それが実行できない人がたくさん増えてきたということですね。例えば、認知症の方です。この薬を何時に飲んでください。毎朝何時ごろに起きて、体操したらいいですよっていうことを言います。それ、お教えするんですけども、分かりました、と言って、扉を出た瞬間に忘れてしまうというのが、これが認知症なんですね。ということは、頭で、気持ちで分かっててもそれができない人がいる。ということになると、じゃあ、それは、誰かが、まめに教えてあげるとか、背中を押してあげる、あるいは手を引っ張っていってあげるということがないと、ご自分では分かっててもできない人が増えてくる。そういう人が今、非常に地域で増えてきております。自分だけの努力ではできないということなんですね。ですので、そういうところで、地域の力、周りの支えが必要になってくるということで、今回、健康長寿の条件ということで、新たに加わってまいりますと。こういった健康長寿の条件っていうのが、いろいろ取り沙汰される中で、やはりこの今日のメインテーマであります社会参加。これは、言葉置き換えますと、社会的な役割なんです。人間の能力というのは、ご覧の七つの段階に従って少しずつ成長して発達して、備わってくるということが言われております。

○社会的役割は人の最高能力

 これ、ある学者の説ですけれども、例えば、一番基本的な能力ということで、生命誕生。そして、少し、例えば赤ちゃんでしたら、寝返りがうてるようになるとか、はいはいできるようになるといったような、一つ一つのパーツパーツがうまく機能するようになると。もう少し成長してきますと、五感がしっかり備わってきまして、さらに成長していきますと、自分で身の回りの簡単な日常の動作をこなすことができる。例えば、おトイレ行って、自分でお尻が拭けるようになるとか、お着替えができるようになる。ご飯をこぼさず食べれるようになるといったような能力です。それがもう少し進んでまいりますと、道具を使ったり、あるいは自分でPASMOを持って、バスに乗ってちょっとお出掛けができるとか、お買い物、おつかいができるようになる。あるいは、3時間、4時間ぐらいならお留守番ができるようになるといったような、もう少し高度な社会的な能力というのが備わってまいります。さらにそれが成長していきますと、今度は、大人に言われたことをそのままやるだけではなくて、自分で機転が利くようになったりとか、あるいは、より知的好奇心が芽生えてきます。そして、さらに、家庭の内外で役割をもって、立派な成人になるというのが、人間の発達のプロセスですね。

 一方、それが、今度は、ゆっくり峠を下りていくようにゆっくり下りていくのが老化現象ということで、もともと役割持ってきびきび動いてらっしゃった方も、今日用、今日行く、やる用事がなければ、必要性がなければいつの間にか日常生活に支障が出てきたり、あるいはもっと身の回りのこともできなくなってきて、要支援、要介護というようにゆっくり下りていくというのが、老化現象ですね。ということは、今まで、われわれは、高齢期の健康づくりとか、介護の予防というと、水際作戦のことだけを考えてた時代がありました。例えば、お風呂の浴槽をまたげるために、ともかく40センチ足を上げましょうというような、そういう指導ですね。もっと、そういうのよりも、上流にある、つまり役割を持ってもらい続ける、あるいは、状況に対応できるようなテキパキした活動をずっと続けられる。そういうことをする限り、それよりも平易な能力というのは、ほっといても維持しやすいんじゃないかということで、急がば回れの介護予防というのはやっぱり、この役割づくりにあると思います。

○なぜボランティアを通じた社会参加なのか?

 実際、そういう役割づくりですけれども、これは本当に健康とも直結しておりまして、例えば、役割、これは仕事であろうがボランティアもそうなんですけれども、以前、東京都内で8年間の追跡調査というのをいたしまして、もともと完全に自立した元気な方も、やっぱり先ほどの階段の図でいう、役割の能力から落ちてきて、それが落ちて2年ぐらいたってから、今度は状況の対応能力というのが落ちまして、そこから4年ぐらいたってくると、今度は要支援になっていくというように、やはり階段の難しい順番に落ちてくるということが分かったんですね。てことは、これからもやっぱり役割という難しいものを維持するということが重要だということが、分かるということになります。

○高齢就労がもたらすメリット

 この社会参加ですけども、その方、その方の元気度とか、社会的な背景によって、人によっては社会参加が仕事であったり、あるいは、趣味であったりボランティアであったり。それがもうその方次第だと思います。それぞれ、少しずつ、責任感、責任能力ですとか、あるいはミッションという意味で、ちょっとずつ年齢とともに楽なほうへ、ゆっくり動いていくということなんですけれども。

 例えば、仕事。これも大事な社会参加で、働き方改革ということで、若い人に着目されてますが、その若い人が働かない時間を例えば一部シニアの方が、早朝ですとか、おやすみの短時間ならいいよというような方もいっぱいいらっしゃるかと思うんです。そういう意味で、やっぱり働き方改革なんかを補てんする意味でも高齢者が働くということは非常に重要なことになってくるわけなんですが、その効能というのは、ご本人のいろんな能力維持だけでなく、人とのつながりですとか、お小遣い、軍資金がないと、社会参加もできませんので、そういった意味でも重要だということなんです。

○就業が生活機能の維持に及ぼす意義

 以前、私どもが東京の都内と、秋田県のある農村部で、男性女性、それぞれ働いてる方と、働いていない方。70歳の時点で働いてる方、働いてない方を、その後8年後にどのくらい生活自立を維持されてるかというのを調査したんですが特に男性は、農村部であろうが、都市部であろうが、働いてる方のほうが、生活の自立が維持されやすいということが分かりまして、働ける方は働くということも非常に本人の健康維持には重要ではないかなということが言えるかと思います。

 一方、今日、恐らくお集まりの多くの方が、関心を持ってらっしゃいます、ボランティアであれ、趣味、稽古事であれ、やはり、先ほどと同様に分析をしましたところ、そういう活動をやってる方とやってない方見ると、8年間ほど、あるいは数年たって見ると、生活自立は活動をしてる人のほうが、維持されやすいということが分かるんですね。ここで、ボランティアと趣味の考え方ですけども、シニアの方の場合、ボランティアと趣味っていうのは、ある意味、区別がつきにくいと。どこまでが趣味で、どこまでがボランティアか分からないって言うんですね。それは、私は非常にプラスで解釈しておりまして、例えば、もともとは、自分の趣味で始めたコーラスであったりとか、美容で始めたフラダンスであったり、それぞれ練習する間に、上手になってくるとわれわれはどうしても人前で見てほしいわ、お披露目したいわということで、それが、いつの間にかボランティア活動として、人前で演じたり、パフォーマンスをされるようになったりするということになります。

○生活機能に応じたシームレスな社会参加

 今度、そのボランティアとなると、責任のレベルが上がったりとか、あるいは、お客さんがどれだけ拍手してくれるのか、あるいは居眠りしてしまうんじゃないかというようなことも考えると、より、ご自分の活動の質を高めなければならないと考えるものです。また、逆にその施設の方も、聞き手の方も質の高いものを求めてくる。そうなると、今度はよりご自分が練習され、けいこをされ、学びを深めていかれるわけなんです。そういう意味では、学びながら、それが実践活動として、また、実践活動が学びとしてということで、その両方が、らせん状によくなっていって、いい活動に結びついていくというのが、高齢期の社会参加の望ましい姿だと考えております。

 こういうボランティアと趣味活動、これらが一体化しながらよくなって続けていくということが重要なのですが、ボランティアにしても趣味活動にしても、一種の団体活動ですから、それにはルール、あるいはお約束事がありますので、何時にどこで集合するとか、忘れ物しないで持っていくとか、そういう約束事自体が、ちょっとしんどいわとかいう方は、もうちょっとカジュアルな関係性の昔からのおなじみの友人とか、近所付き合いというのもこれも立派な社会参加だと思います。

○社会参加の基本は、外出と交流

 この社会参加は、基本は地域の近所付き合いとかお友達付き合いで、まずは外出と交流を維持するためにも非常に重要だということです。私どもは、外出の頻度が極端に落ちている方のことを閉じこもりと申します。ちなみに、皆さんの中で、昨日、日曜日、1日1回もお外へ出なかった方いらっしゃいますでしょうか。では、2、3回出たり入ったりしたかなっていう方いらっしゃいますでしょうか。あるいは、忙しくてほとんど家にいなかった方もいらっしゃいます。さすがですね。恐らく、今日お集まりの方はそういう方々だと思いますが、1週間の外出頻度が1日以下の人のことを閉じこもりと呼んでおります。

 全国津々浦々大体地域の1割ぐらいの方が閉じこもりという、データがあるのですが、その内半分の方は、ご自身の健康状態が悪いので、気持ちは出たいけれども外出できない方、残りの半分の方は、体は問題ないが引きこもってらっしゃる方です。体の具合の悪い方は、例えばヘルパーさんなり、家族が外出しましょうというと喜んで出られるので、問題ないですが、実は引きこもってらっしゃる方も2年たってみると、要支援、要介護の危険というのが2倍、3倍高くなってくるということが分かってまいりました。まずは外出することが重要だということです。

○孤立とは

 一方では、もう一つ外出さえしてれば、それで問題がないのかという疑問が残ります。つまり、外出していても全く人と交流してない方もいらっしゃいます。われわれは人と交流してない人のことを、孤立、社会的孤立と呼んでおります。その一つの定義が、同居家族以外との交流がどうかという具合に定義しています。同居家族以外との接触頻度が、直接会ったり、出向いたり、あるいは電話メール全部まとめて、週に1回未満の人のことを社会的孤立と呼んでおります。

○独居高齢女性の精神的健康は良好!若年?

 なぜ、同居家族以外というように限定しているかですが、さまざまな調査をしましても、近年1人暮らしの方が増えてきております。同居家族がいる、いないというのをごっちゃにしてしまうとまず、解釈ができなくなってくるという、手法の問題があるのです。

 また、これはある川崎の町で、以前実態調査をしたときの、精神的な健康度、心の健康のよしあしというのを、男女別、世代別、また同居、1人暮らし別に見たグラフです。例えば、このグラフが長いほど、精神的健康が恵まれているということですが、一番精神的に元気なのが、1人暮らしの高齢の女性なんです。私のことかなとなんとなくニヤッと笑われる方、おられるかと思うんですが。周囲の人は、地域でサロンを作って、1人暮らしのおばあちゃまを守りましょうという形で、キャンペーンしているかと思いますが、その効果はある意味では十分に果たされており、1人暮らしの高齢の女性はたくましい方が多いということが分かります。逆に、一番心配なのは世代を問わず、1人暮らしの男性です。そのようなことを考えますと、必ずしも1人暮らしかどうかということよりも、大家族の中でも、外部とほとんど交流をしてない人は心配ですし、逆に1人暮らしであっても、外部とうまく接触されている方は、さほど心配ないということがありますので、大事なのは、やはり外部との接触なのです。

○交流なき外出と外出なき交流の弊害

 その外部との接触が、われわれの健康にどのような影響を与えているか。また、外出も重要ということで、その組み合わせを以前、研究したことがございます。埼玉のある町で、住民のかたがたへアンケート調査を2回行いました。初めにアンケート調査を行ったときに、四つのタイプに分類しました。一つ目が毎日外出をしており、かつ外部との接触頻度も1週間に1回以上という標準的な方です。こういう方を基準に置いた場合に、4年後、例えば男性は、見かけ上は毎日外出していますが、外部と接触頻度のない方というのは、生活機能の低下が2倍ぐらい出やすいということが分かりました。ですので、男性の方で、例えば、コンビニの店員さんからするとあの方いつも昼ご飯のころに総菜買いに来られるわねということで、外出されているのはみんなから見られています。しかし、レジのパートに視線合わすこともなく、あいさつしてもらうこともなく、黙々と帰っていかれる方なのよねというな方もいらっしゃるかと思います。そういう方は、少し心配だということです。

 あるいはウォーキングでも、毎日ウォーキングされていても、サングラスしてマスクしてヘッドホンして、一切外部遮断というオーラを出して黙々と歩いてられるような方もいらっしゃいますが、やはり和気あいあいと、みんなでウォーキングされてる方のほうが、長く健康になれるという印象があるかと思います。

 一方、女性ですが、女性は、外部と交流していて当たり前なのです。例えば、90歳ぐらいになっても、田舎の妹さんと電話でつながっていたりとか、あるいは、訪問に来たお客さんと縁側で立ち話したりというような方もいらっしゃるかと思います。女性は外出しないといくらコミュニケーションをしていても、1.6倍ぐらい生活機能が低下する危険があることが示されました。そういう意味では、男性は交流なき外出、女性は外出なき交流というのに要注意ということになるかと思います。

○ストレス状態に至る要因

 そう考えた場合、なぜ交流とか外出というのが重要なのかということですが、外出は入り口としては自分一人でも散歩というのは始められますが、交流というのは、相手があっての交流です。では、交流が、どうして重要かということですが、人間のストレスと非常に関係しております。ちなみに皆さんの中で、今、ストレスなしで天下泰平という方がいらっしゃいますか?はい、と本当は手を上げていただきたいんですが、周りの目がありますから、にっこり笑っていただければと思います。今、天下泰平、ストレスなしという方はいらっしゃいます? 3割ぐらい、お見受けしますね。

 二通りあるかと思います。全く本当にストレスのない天下泰平の方と、ストレスを感じてらっしゃらない方なんですね。ストレスというのは、例えば、病気であったり、死別、離別というような源がありストレッサ―と呼びます。もう一つが、同じストレスを受けたときの受け止め方でその人の性格であったり、価値観であったり、そのときのコンディションであったりというものが影響していきます。両方が、相互作用としてそれが吉と出るか凶と出るかということです。残念ながら、病気も死別、離別もいつ誰に起こるか分かりませんし、受け止め方も、昔の経験をすぐ消すこともできないですし、性格をすぐ変えることもできない。では、なんともしようがないのかということですが、そのときに重要になってくるのが、つながりとか、交流であり、サポートなのです。

○社会的支援・つながりと健康の関連

 つながりが豊かな方はストレスに強いということがございます。例えば、私どもが認知症の患者さんの診療をするときに、ご本人と分けて、ご家族に必ず申し上げることが、認知症を抱えてらっしゃるご家族、奥さん、あるいはご主人自体が、孤立しないでくださいねということです。誰かとつながってくださいねということをお伝えします。今、地域で、認知症を支える家族会や、カフェがたくさん出てきております。これらの目的は、同じ境遇の方、あるいはそれを分かっている方が、集まって、いろいろ情報交換する中で、気持ちもほぐしてもらうということです。われわれ医療者は、技術とか知識は提供できても、本当の意味で気持ちに寄り添うことというのはできないわけです。それが、われわれが10回アドバイスするより、地域の先輩が一言言ったほうが、しっくりくることが非常に多いのです。そういう意味では、そのストレスに対して、つながりが豊かな方というのは、ストレスに対して強くなれると思います。また、ストレスを日頃感じていないような状態でも、頼れるのは自分だけというように思っていると、ストレスホルモンが、意識せずにでも出ており、いつの間にか慢性的に血圧が上がってたりとか、あるいはホルモンのバランスを崩していたりというようなことになりかねないということもあります。

 三つ目は、つながりが豊かな方と、そうでない方で大きく異なるのが、周りから、耳よりの情報をもらえるかどうかということなんです。例えば、健康や安心、安全の情報というのをもらうかどうか。つまり、よく、皆さまがたも地域でいろんな会合をしたりとか、あるいはイベントの待ち時間とか、行き帰りのとき、どういう話をなさるかということを聞くと、大抵、血圧の薬が増えたとか、睡眠薬が1錠減ったとか、腰が痛いだとか健康関係のことが多いと思います。私も、時々テレビの健康番組のお手伝いをすることあるのですが、どうしてもテレビやマスメディアから流れてくる健康の情報というのは、視聴率をあおるために、怖い情報を流したくなります。孤立してる人は、どういう情報を頼りにするかというと、耳より情報ではなくて、マスメディアの情報が中心になります。そうなると、遠い海外で起こったような怖いことが、明日わが身に起こるのではないかということで、不安になり、寝られない。あるいは次の日にいきなり病院に電話してしまうということになります。

 実は、そのようなテレビで出てくるような奇病、難病に振り回される方というのはごく一部でありまして、もっと重要なのは、地元でインフルエンザの予防接種いつからやっているよとか、あるいは地域の体操教室がどこで何時にやっているよというような情報だということになります。そういうことを考えた場合に、この三つの経路で、社会的なつながりが豊かな方のほうが、最終的にご自分の健康に跳ね返ってくるということが、言えるかと思います。

○人々の「つながり」とは

 このようにストレスとのつながりの関係は大きいのですが、つながりというもの自体も、今の日本の社会では少し様変わりしてまいりました。これまで、長きにわたって日本の社会は、血縁、地縁、社縁という三つの縁に守られているというように言われておりました。その中でも、血縁、地縁というのが弱くなってきているというのは、イメージが分かるかと思うのですが、社縁もしかりでございます。特に、退職されると、だんだん会社の付き合いというものも薄まってくるというのはあると思うのですが、今や、若い人にとっても、自分の勤める会社が、一生定年まで面倒見てくれるというようなことを、保証できる会社は非常に少ないですので、会社への愛着精神もどんどん変わってきております。また、同じ会社の中で、常勤の人と非常勤の人、パートの人など色々な待遇の人がいると、本当の意味で団結してということができなくなってくる環境があります。ですので社縁がこれから日本はどんどん弱くなっていく可能性があるのではないかと思います。

○地域での交流が生まれるには?

 では、人のつながりをどうするかということですが、古きよき時代のような自然発生的な隣近所の交流というものを今すぐ、求めるといっても、プライバシーの問題ですとか、あるいは町自体が、どんどん開発又は逆に過疎化してきたりというようなこともあり、難しいと思います。そうなると、なんとかして、交流が生まれたり、支え合い、つながりが生まれるような仕組みとか、プログラムのようなものが必要になってきます。こうしたプログラムの内容を考えるときに重要になってくるのが、関わる人にちょっとずついろんなメリットがある「三方よし」がその秘訣ということです。そのような三方よしの秘訣をどう見つけていくかということになるわけですが、そこで一つの事例としてご紹介したいのが、われわれの世代間交流のプロジェクトでございます。

○次世代継承への意識・行動

 そもそもこの世代間交流という考えは、皆さんの中で例えば10代、20代ぐらいの若者と、日頃常時交流のある方っていらっしゃいますでしょうか。では、30代、40代の方と交流のある方いらっしゃいますでしょうか。では、50代、60代の方。では、70歳以上の方と交流が多い方。やっぱり同世代が一番多いですね。エリクソンという心理学者の説ですが、人間の心理的な発達段階について、周りからいろんな情報とか、あるいは知恵をもらいながらだんだん成長していき、壮年期になってくると、人は、次はわがことだけではなくて、次の世代に何をバトンタッチしていくかなということを考え出すというのです。これが成熟した人間の姿だということを言います。それがない限り、逆にその方は次のご自身の人生の成長に至らないのではないか。そこで停滞してしまうんだということなのです。

 例えば、スポーツ選手もそうだと思います。自分が引退した後、大体皆さん、その地域の少年のスポーツ教室の支援とか、後輩の支援というのをするかと思います。逆に引退してすぐに高齢者のスポーツを支援する方って少ないですよね。年齢的にも目上の方にいろいろ指導するのも恐れ多いのもありますけども、やっぱりそうではなくて、今、自分たちのやってきたことを誰が引き継いでくれるのか。それは次の若者だということで、引退した人はやはり若者にどんどん伝授していきます。これは、スポーツだけではなくて、仕事の上での技術とか経験もそうでしょうし、あるいは、家族の中、地域の中でもいろんな知恵とか思い、また人によってはその地域のお祭りですとか、文化を継承する方もいらっしゃいます。また、地元の里山を守ろうというような方、川を守るというような方もいらっしゃるかと思います。いずれにしても人間っていうのは、自分がある程度頑張ってやってきたら、次は下の若い人に何を残すかというのを考えていくというのが、これが人間の摂理だろうということでございます。

○世の中のニーズからみた、シニアボランティアとは・・・

 そうした理由から、高齢者による世代間継承、あるいは次世代支援というのが、重要になってくるわけであります。例えばわれわれが、取り組んできましたシニアによる地域での保育園、幼稚園、小学校、中学校での子どもへのボランティアについても同様です。他の側面から世代間交流の意義や現状を見てみましょう。確かにある程度地域でもイベントとしては、1年に1回餅つき大会とか、クリスマスの交流会とか、一緒にシニアの方が入って給食を食べるといったようなイベントはよくやっているのですが、1回限りということが多いです。また、なんでも老人クラブに頼んだらなんとかなるだろうと、昔遊びを教えてくださいや、けん玉を触ったこともない人ばかりなのに、昔遊びをお願いしますということになり、ギャップや負担が発生する実情があります。

 一方、シニアの方が、若い世代を支援しているということは、これはいい意味でも、周りから目立ちやすいです。例えば、ボランティアの活動として、シニアが老人ホームを訪問される場合があります。それが、周りの人からすると、家族かお友だちなのかなという目で見えるかもしれませんが、例えば小学校とか保育園に定期的に3人、4人のシニアの方が訪問されていると、おじいちゃん、おばあちゃんの訪問日ではないのに何かなと、あ、ボランティアなのかと気付き、それを周りの親世代、あるいは職員世代が、シニアの方がこんな所で活動してくださっているんだということが分かります。そういう意味では、シニアの方が子どもが主体の異空間で異世代に関わるということ自体は、いい意味で社会へのインパクトを与えるという面があるかと思います。

○地域の健康。福祉事業が抱える課題

 この多世代の交流というのは、活動そのものの効果だけではなくて、継続性の点でも重要です。それを運営するボランティア自身も例えばかなり高齢の人ばかりとか、あるいは、若い世代ばかりですと、なかなか次の団体の中での担い手が継続して育たないため、だんだん団体が小さくなっていったりするんですね。以前、横浜市で、全保健師さんに地元でいろんな活動を支援されている中で、安心して見ていることができるたくましい活動とはどのような活動か聞くと、例えば会食であっても、子どもだけとか高齢者だけではなくて、多世代で、会食のできるような多世代型の子ども食堂や多世代が来ることができるようなサロンをやっている活動のほうが、主催者もお客さんも多様なメンバーで、安心してたくましくやってらっしゃるという評価をもらっております。ですので、シニアが中心であっても、いろんな世代を巻き込むということが重要なのではないかなと思います。

○シニア読み聞かせボランティア「りぷりんと」

 こういう中で、具体的な例として、私どもが、10年以上にわたってやってきております世代間交流、「りぷりんと」という、絵本の読み聞かせをするシニアの団体のプロジェクトの実践例をご紹介したいと思います。これは、おかげさまで2年前にWHOの高齢者レポートの日本の中での優良事例に取り上げていただいております。この活動は、2004年に、厚生労働省などの科学研究費をいただいて、モデル研究として、立ち上げました。モデル事業が終了後、ボランティアさんが、各自で自主活動として展開されており、どんどん活動場所が増えてきております。この活動の入り口は、多くの場合、絵本の読み聞かせを学び、読み聞かせのやり方をマスターすることによって、ご自分の脳トレに生かしませんかという、ボランティアとしてだけでなく認知症予防として、絵本を使った脳トレ型の教室としても案内しています。その後、実習期間が終わった後、自主活動する人は、ボランティアとして続けるというプロジェクトです。

○絵本は世代間交流の宝庫・・・安・近・深

 なぜ、われわれはこの絵本というものを一つの切り口にしたかというと、絵本は、非常に多岐に渡っているということがあります。皆さんの中で、この1年間なにかのきっかけで、絵本に触れたことがある方、読んだことある方っていらっしゃいますでしょうか。案外いらっしゃいますね。実は、私も自分の子どもが小さかったときに、家内が保護者として、幼稚園、小学校で、読み聞かせをしておりまして、自分の出番の前の日にいろいろ絵本を積んで、吟味しておりました。それを見ましたところ、実は主人公が高齢者の方を扱っているものが非常に多いんですね。一つ一つの本にそれぞれメッセージがあり、高齢者の方が、感情移入しやすいということがあります。この本は例えば子どもが読んだだけなら、楽しかった面白かっただけですが、大人の方が読むと、これは、平和のことを語っているんだとか、これは環境問題のこと語っているんだとか、あるいは、これは人権のこと語っているとかが分かります。とにかく、人間の社会生活全てと関係しているのが絵本だと思います。

 シニアの方が自分の声で自分の考えを述べやすい、そのために、簡潔にまとまっているツールが絵本だということで、ネタが尽きることもありませんし、近くの図書館へ行くと、無料で借りられるというようなこともあり、絵本というのは非常に世代間交流としては使いやすいのではないかと思います。

○生涯学習型・認知介入プログラム

 実際、われわれはいろんな市町村から、委託を受けてやったりする場合も、まず初めの初級講座は、単に図書館が養成するようなお話ボランティアさんとは全然違いまして、シニアの方が絵本を上手に読んでもらう、あるいは、記憶力もよくしてもらうためのものですので、きちんと発声練習とか、あるいは10分間、5分間、びくつかないように、体づくりもしたりとか、あるいは、絵本を使った伝言ゲームのようなことをしたりというようなトレーニングも入ります。そのようなシリーズを続けております。そして、終了した方々に、そのまま希望される方は、地元で地域の活動に入ってもらうというような形で行っております。その養成セミナー後、一つの小学校や保育園へ、まず、シニアの方自身も一つの施設に対して数人のチームで定期的に通うというような、体制を組んでいらっしゃいます。

○シニアの効果

 こういったことが、実際シニアの方にどういう効果があるのかといったことをわれわれはモデル研究として、実証してきました。例えば、このボランティアになるための養成講座をしっかり受けた方というのは、3カ月たってみると、いろんな記憶力の検査や、ものごとを敏捷にやるというテストの成績がよくなったという結果があります。しかし、その後、解散してしまうとやはりそれらの成績はゆっくり落ちていってしまいます。なんとか今の成績を維持するためには、やはり自主活動として続けていきましょうということを一緒に考えるわけです。その自主活動というのは、ボランティア活動です。

 例えば、児童館や保育園で、まず先輩がやってらっしゃるところに合流してやってみると、子どもたちの前で絵本を実際読むのは5分、10分の話ですが、その前に入念に練習をされたりとか、図書館通いされたり、あるいは反省会したりといったような、サイクルの活動をずっと続けていきます。何曜日にはどこの図書館に行って、その三日後には練習、本番というようなことの繰り返しです。このような繰り返しが、日常生活の一コマになるということが、いわゆる健康維持、介護予防、認知症予防で、非常に重要になります。かといって、永遠のワンパターンでは意味がないんです。つまり、毎回読む絵本が変わるということが、聞き手にとってはありがたい話ですし、読むご本人も、十八番ばかり読んでいても脳の刺激には不十分だということで、どんどん毎回、違う絵本にチャレンジされる。チャレンジしながら、ずっとそのボランティアの一週間のサイクルは崩さないというのが、これが重要でありまして、こういう活動を、6年間続けた方に脳のMRIを撮っていただいたことがあるのですが、記憶をつかさどる海馬という所が普通は、加齢現象と共に1年に1パーセントぐらい縮んでいくんですが6年間活動をしっかりなさっている方は殆ど縮んでいなかったということが分かりました。これは、同じサイクルで活動をずっと続けているからこその力だということになります。

 一見、絵本の読み聞かせという活動は、文科系の活動、文系の活動のように思われますが実は、結構声を出したり、体を使ったりというようなことも多くあります。7年間ずっとこの活動をされた方は、体力測定のバランス力のテストにおいて、7年間ほとんど、バランス力が崩れていないことが分かりました。単なる文科系の活動ではなく、体も使うということが分かりました。時間どおりにテキパキ動く必要があるというようなこともあり、以前、ボランティアの方に、万歩計を持っていただきますと、この活動するようになってから1日1万歩ぐらい、歩くようになりましたと言うことがありました。結局、ボランティアの往復ですとか、図書館をまわったりとか、あるいはボランティアをすることによって、日頃の生活自体がテキパキしたり、何時までにお夕飯の用意もしないといけないと、生活自体の活動性が向上し、歩数も上がったということなのです。

 われわれは今まで、健康づくりといいますと、ウォーキングのためにウォーキングをするとか、あるいは、体操のために体操をするというのはそれ自体が、最終目標に思っていたことが多かったと思います。そうではなくて、絵本読み聞かせのボランティアの方々は、日頃、なんとか次の自分の出番をうまくこなして、ボランティアを楽しみたいと思い、そうしているうちに、気が付いたら、1日1万歩歩いており、頭も体も心も使っていましたとなっています。健康がお土産のように付いてきましたよということを皆さん実感されています。恐らく、この社会参加の姿というのは、健康のためにやるのではなく、社会参加した結果健康が付いてくるということが一番のスマートなモデルではないかと思います。

○子どもへの効果

 この活動自体は、三方よしという視点からは子どもとか、保護者とか教職員の縁もいろんなプラスの効果を出しておりまして、例えば子どもにとっては、ボランティアさんに読んでもらった絵本を高学年の子であっても、もう1回図書室で借り直した子が増えました。あるいは、日頃おじいちゃん、おばあちゃんと接したことのない子が多いですが、ボランティアさんを通じて、高齢者イコール温かいとか優しいというイメージを定着したという報告も受けておりまして、子どもの情操教育にも役立ってるかと思います。保護者の方々も、ボランティアに入ってもらうことで、ご自分たちのPTA活動の負担が少し心理的にも物理的にも軽減したとか、シニアの方への感謝というのが、高まったということが報告されております。そういうことを考えた場合に、三方よし、高齢者もよし、子どももよし、保護者もよしがこのプログラムから示唆されることなのですが、あくまで読み聞かせというのは一つのプログラムです。重要になってくるのは、地域地域でいろんな事情があるわけでして、いろんな取り組みがあってしかるべきだと思います。そこに、共通しているのは、どの世代も今や孤立しかけていて、つながりが弱くなっているということです。

○世代共通の課題

 例えば、私はいつも孤立することによって、三つのFという障害が起こってくるということを申しています。このFというのは、不安、不便、不健康というものです。例えば高齢者ですと、よく子どもたちは、ごみ屋敷に住んでいる高齢者のことをごみ集めるのが趣味だと思っていますが、そうではないんですね。結局、1人暮らしで、例えば足腰が不自由になったり、あるいはごみを分別できなくなってきて、そういうことを頼める人がいないから不便なままでごみが集まってきてそこで、不衛生な環境ができた。あるいは、1人暮らしというのは不安だというようなことで、この不安、不便、不健康が出てきます。これは若い世代も同じでありまして、例えば、今まで現役でバリバリお仕事されていたママさんが、いきなり地域で出産ということになったときに、里帰り出産もままならない。

 そういったときに、1人で子育てする不安というのは多々あります。今や、インターネットからいろんな情報があり過ぎるがゆえに不安というのは大きいんですね。確かに地元でファミリーサポートとかでいろいろサポートしてくれますが、例えば、夜中どうするのとか、急にお願いできないということもあり、不安とか不便というのを抱えながらいつの間にかストレスが溜まってしまうこともあります。

○共創社会へ!多世代互助コミュニティプロジェクト進行中

基調講演の写真

 とにかく、孤立は、どの世代も問わず、現代社会の抱えている現代病であります。孤立を今後どうしていくかということが非常に重要であり、一つの次なるステップとしまして、いろんな形での交流というのが重要だろうと考えています。絵本が生み出すのが一つの入り口ですが、基本は1世代、多世代、同世代全ては三つの支え合いつながりからできているんだと思います。

 一番緩いのが、ちょっと地元であいさつをしたり声掛けをできるような関係性を作り、そこから、もう少し、顔の見える場とか、集いの場というのが、どんどんでできていくことが重要だろうと思います。そういう交流の場を通じて、なんとなく顔の知っている人同士で、ちょっとした困りごとを相談し、例えばお年寄りなら、ちょっとこのごろゴミ出し大変なのよと言ったら、ママさんでもお手伝いできるかもしれません。逆に、ママさんも私が役所に行ってる間、30分だけこの子見ててくださらないと言うと、そういうサロンで、子どもを預けることもできるかもしれないということで、交流とかいろんな居場所というものが、最終的に支え合いにつながるということもあるのではないかなと思います。

 こういう三つの支え合いというのが、今、どの地域でも重要になってくるのではないかということで、2年前から、具体的な次のプロジェクトとして、東京都の北区さんと川崎市の多摩区さんと、二つのモデル地区でこういう多世代が支え合えるような地域づくりをどう作っていくのかというプロジェクトを進めているというところが現状でございます。

○世代間交流は、シニアからキックオフ!

 世代間交流、あるいは多世代というのは、まずは、地域で大多数活躍されているシニアの方から、人生の先輩からキックオフしていただきたいというのがあります。それで、自分のために、次世代のために、そして世間よしの三方よしとなります。

 この方は、先ほどの読み聞かせのグループの仲間の方で、大田区で、活躍されていた方です。残念ながら去年の9月に天に召されましたけれども、彼は亡くなるとき86歳で、要介護1ですが、ボランティアをしてた方なんです。もともと、奥さんを亡くされて、1人で家にこもってらっしゃったところ、地域包括支援センターの方が、近々絵本を使った脳トレ教室をやるので参加しませんかということで、お声を掛けたところ、絵本なんてわしの柄じゃないよということで、初めは断ってらっしゃったんですけども、脳トレのためだということで、参加されましたら、結構、はまってしまわれまして。3カ月間レッスンを受けられて、修了日、たまたま隣の保育園で、読み聞かせの脳トレ講座の終了日に、発表の会っていうのが設けられました。そのときに、会が始まるまでは、これで、俺も修了証もらってお役御免だとおっしゃっていたんですけれども、最後に子どもが拍手してくれて、また来てねと言われると、また来るよということになりまして、それで4年間続けられました。

 彼は、本当に虚弱な方でして、よく転倒され、たくさん手術もされました。その度に、また復帰されてくるんですけども、その一つの魅力というのは、待ってくれてる子どもがいるとか、ボランティアの仲間も待ってくれているよということでした。よく、彼は最後におっしゃっていたのですが、俺も60年ぶりぐらいにこんな小っちゃい子と接するようになって、子どもたちのことも、外で会ったときに見守るような目が養われてきた。逆に、俺自身もいつひっくり返ってるのか分からないが、それをひょっとしたら第一発見者が子どもたちかもしれないし、保育園の先生かもしれない。僕はこの活動によって、単に絵本だけではなくて、地域の見守りのキャッチボールができるようになりましたというような、そういう名言を残してたたれました。

 そういう意味では、澁澤栄一が、100年前に福祉もビジネスも両方が相合わさって世の中をよくしていくんだ。三方よしだということを提言しておりました。それと同時に、この男性はこれからのシニアの方というのは例え、ご自身が一部介護保険のお世話になるような状態になっても、まだまだできることはあるんだということで、介護保険イコール受け身ではなくて、そのやれる範囲での社会貢献というのはいろんなレベルで、いろんな段階であるのではないかなということを残してくれたわれわれにとってのヒーローだったと考えております。

 ということで、今日はシニアの社会参加を多世代でという切り口で、1時間ですがご紹介させていただきました。午後からの三つの分科会に少しでもヒントになるようなものを頭の中に入れていただければ幸いかと存じます。長時間、ご清聴いただきましてありがとうございました。