荒益 晴子さん
~手編み帽子で人々を温かくするボランティア活動~

名前(年齢) あらます はるこ
荒益 晴子さん(89歳)
地域 鳥取県倉吉市
活動概要 冬の間に、毛糸で帽子を編み、病院、福祉施設、被災地の病院などへ寄贈しており、寒い地方であるため大変喜ばれている。最近では一冬に平均100枚を手編みし、これまで40年間で2,500枚以上を寄贈している。
表章の類型 過去に培った知識や経験をいかして、それを高齢期の生活で社会に還元し活躍している事例
キーワード 手編み帽子の寄贈/高齢者支援/被災者支援

(注)年齢は、平成25年4月1日時点

活動のきっかけ

帽子を手編みする荒益さん

人に喜んでもらうと、自分も嬉しくなる

 51歳(昭和49年)のとき、冬の風が強く寒い日に、自宅近くの道路工事現場で作業員の方が手拭いを頭に巻いて働いている姿を見て寒いだろうと思い、毛糸の帽子を編んで差し上げたところ大変喜ばれ、自分も嬉しい気持ちになりました。このとき、人に喜ばれる仕事は自分にとっての生きがいになると思いました。このことが手編みの帽子を寄贈するきっかけになりました。
 冬の間、母親が一針一針毛糸を編む姿を30数年間見て育ったこともきっかけとなりました。母が編んだ手提げ袋を見て編物の妙技の素晴らしさを感じたことや母が手編み帽子を近所のお年寄りに差し上げていたことを思い出し、また、知り合いのお年寄りが夜寝る時に寒いので手拭いで頭を覆っていたことも思い出し、自分でも編める帽子を贈れば喜んでもらえるだろうと思いました。

活動内容や現在の活動状況

手編みした数々の帽子


歩行杖が離せなくなっても編み続けています

一針一針に思いやりを込めて

 昭和50年頃から、一冬に100枚ほどのペースで手編み帽子をつくっています。使ってくださる方が少しでも温かさを感じるように一針一針に思いを込め、100枚出来上がると、町役場、病院、社会福祉協議会を通して必要とされる方々に配布してもらっています。選果場で働く作業員の方々、病院の入院患者の方々、施設入所者の方々に使ってもらっています。帽子を使う方の顔は見えず、声も聞こえませんが、自分の心が温かくなれば嬉しいとの思いで続けています。
 平成23年3月11日の東日本大震災の際、テレビや新聞で毎日のように報道される被災地の状況を見たり聞いたりして、寒さの中で避難生活を余儀なくされている方々のことを思い、「自分にできることは手編み帽子をつくって使っていただくことだ」と思いました。そこで、デイサービスに通っているクリニックの医師を通して、被災地の病院へ30枚ほどの帽子を寄贈しました。遠く離れた地でそれぞれの顔は見えないけれど、受け取った人が手編み模様や配色を見るたびに、毛糸の温かい感触を直接感じていただければとの思いからです。51歳(昭和49年)から始めた手編み帽子のプレゼントの数は、40年が過ぎ、約2,500枚以上になりました。

ポイント、工夫している点

小さな親切で温かさをプレゼント

 手編み帽子を寄贈する傍ら、自宅近くのバス停留所待合室のベンチに毛糸で手編みの座布団を作成し、寄贈しています。自分の空いている時間に、自分でできる技術を活用して人の役に立とうとすること、贈り物の向こうに多くの人と無言の対話をしながら歩み続けようとすることは、荒益さんの生き方でもあります。
 平成17年(82歳)、不運にも転倒して頭を打ちつけるとともに、右肘を骨折してしまいました。完治したものの右手が不自由になり要支援状態となっています。今では歩行杖を手放すことができません。しかし、自宅で指を動かすのも大切なリハビリと考え、幸いに左利きであったので左手で編み続けています。デイサービスに通いながら、持ち前の明るさと人を和ませる笑顔を絶やさず、人々と交流する環境に恵まれて元気を養い、温かさを贈り届ける編み物のプレゼントを続けています。

 〔本人インタビュー〕
 骨折はしたけれど、もともと左効きだったので皆さんとは逆の編み方ですが、出来上がれば皆さんが編んだのと変わりはありません。今日も不自由な手で編んでいます。寒そうにしている人がいれば何とかしてあげたい。人に喜んでもらうことは、自分も嬉しくなり、生きがいになっています。これからもできる限り手編み帽子を使っていただける人たちへ届けたいと思っています。畑仕事もしなくなったけれど、編み続けることが私の生きがいの基です。
 近くに三朝温泉や関金温泉があります。住むのには恵まれた環境です。