優秀賞 【高校・一般部門】 鈴木 志保

あの時の思い…そしてこれから

 

すずき しほ
鈴木 志保 (仙台市)

ずっと心の奥に引っかかっている忘れられない出来事があります。

私の家は老舗のそば屋を営んでいます。私が幼い頃はコンビニや飲食店も今より普及しておらず、とても忙しく従業員さんも十人位いたと思います。その十人の半分は知的障がい者の人で住み込みで働いていました。今は一人だけになってしまいましたが、その人ももう二十五年、一緒に暮らしています。トイレもお風呂も御飯も一緒です。今の核家族世代の子どもたちは想像もつかないかもしれません。祖父母、父と母、妹二人、そして従業員さん、核大、大!家族です。生まれた時からそんな環境の中で育ったので違和感や嫌悪感は感じたことはありませんでした。

私や妹の面倒を見てくれていたのは知的障がいを持つ従業員の方たちでした。こんな言い方は失礼かもしれませんが、他の従業員の人と同じ様に働くことは難しく、洗い場や掃除の他に父母にかわり私達姉妹に御飯を食べさせてくれて、オムツも替えてお風呂にも入れてくれました。オンブをして公園に連れて行くことも日課だったと聞きました。絵が得意な人はよくロボットやアニメの絵を描いてくれたのを今でもはっきり覚えています。

障がいのある人とない人が支え合う共生社会、という言葉をよく耳にします。私が幼かったあの頃、祖父母も父母も周りの誰もが共生社会ということを考えていた訳ではなく、あたり前に、障がいのあるなしに関わらずお互いを信頼し助け合って生きていたように思います。誰かから信じて頼りにされることで、やる気や自信がつき頑張って生きていくことが出来るのだと…父母は本当に心から信頼して私達姉妹の面倒を見てもらっていたのだと思います。

それなのに…自分でもなぜあの時あんな態度を取ってしまったのか、私の心が弱く醜かったからでしょうか。

私が中学二年の時、友達と下校中に遠くの方で両手を大きく振って、体をピョンピョン跳ねて

「おっかえり〜!ヤッホ〜!」

と満面の笑みでずっと手を振っている人がいました。お店で働いている知的障がい者の人でした。ただいま、と手を振り返そうとした時に友達が、

「何あの変な人、知ってる?」

と、その時私は俯いて、全然知らない、と答えてしまったのです。俯きながら目だけその人を見ると不思議そうな少し悲しそうな顔で手を振っていました。胸が苦しくて痛くて、自分が恥ずかしくて、店に帰ってもその人と顔を合わせられずにいました。でもその人は忘れているのか何とも思っていないのか、いつも通り笑顔で話しかけてきました。普通に接してくれる程に自分のことが嫌で嫌でたまらなくなりました。生まれた時から一緒に暮らしてきて家族のように思っていた筈なのに、友達に変な人と思われた人と一緒に住んでいると思われたくなかった、そう思った自分が恥ずかしくて、折角私を見つけて嬉しくて大きく手を振ってくれたのに声も掛けずに悲しい気持ちにさせてしまった事、ずっと忘れられずに過ごしてきました。

私が大学に入学する頃にその従業員さんも店を辞めてしまい会うこともなくなりました。それでも胸の奥にあるあの時の気持ちは忘れたことはありませんでした。

結婚をして三番目の子を妊娠中、六ヵ月で破水をしてしまいお医者様から、もし生まれてきてもかなり重い障がいを持つと告げられました。ベットの上で頭に思い浮かんだ事はあの時の罰だ、あの時醜い気持ちで無視してしまったからだと。今思えばその人は私を恨んだり怒ったりしている筈がないのに、そんな事を考えていました。

我が子は奇跡的に無事生まれて、左半身の軽いまひはあるものの元気に中学校に通っています。障がいがあることで我慢すること、辛いことも多々ありますがとても心が強く、どんな風に生まれてきても今、生きていることが大事なんだよ、と逆に励まされています。

母になり、障がいを持つ子の親になり、気づいたこと、教えられたことが山ほどあります。障がいがあることで皆に迷惑をかけることを誰よりも本人が理解していること、だからこそいつもありがとう、と感謝の気持ちでいます。そして何事にも一生懸命です。

私はこの子が大人になり働きに出ることになった時、住み込みで働きに出せるかと考えてみました。働き口の方を心から信じていたとしても心配で手離せないかもしれません。逆に自分の子どもを、それも乳幼児や幼少の子を、障がいのある人に預けられるだろうか、信じて公園に行かせられるだろうか、無理かもしれません。自分の心の小ささに嫌気がします。障がいのあるなしに関わらず、人間が共に生きていくことには何よりも「信頼」が一番なのだと今更ながら思い知らされています。誰もが誰かに助けられ支えられ生きています。障がいがあるからといって何かをしてもらうばかりではありません。健常者だから何かをしてあげるばかりではないと思うのです。私が障がいを持つ人に育てられたように誰もが信じて頼られる存在であることが共生への第一歩なのではないかと思います。

今年の夏、父が近所のスーパーで二十五年振りに店で働いていた障がい者の人とばったり会ったそうです。私が中学の時、無視してしまったあの人です。店に来るように誘ったところ喜んで来てくれました。もう還暦なんだよーと話す笑顔はあの頃と何も変わっていませんでした。本当に四十歳位にしか見えず得意だったロボットの絵を沢山描いてお土産にと渡してくれました。あの時はごめんなさいと何度も言おうと思ったのですが言い出せずに、でも多分そんな事気にしてないよーといつもと同じ笑顔で言ってくれる気がしました。私の子どもたちと楽しく話しているのを見て、あの、忘れられなかった苦しい想いが少しずつ溶けて、何か優しい物が心に入っていくようでした。

私は多分障がい者の人と見近に生きてきたと思います。娘が障がいを持ったことでより色々な思いや悩み、苦労も喜びも感じることが出来ました。そんな私でも、人からの目を気にしたり、自分の子どもが今よりずっと重い障がいだったら今と同じ気持ちで生きていけるのか…わかりません。でも、だからこそ障がいのある人や子どもたちから沢山のことを学び伝えられることがあると思うのです。

人を傷つけると、自分の心も傷ついていきます。人を信じることは簡単ではありませんが、誰かを信じ、信じられ、助け、助けられ、支え、支え合えるそんな優しい輪が広がるよう、そんな未来を信じて笑顔で生きていきたいです。