【高校生・一般部門】 ◆佳作 蟹井 克男(かにい かつお)

俺たちの魂に障害はない蟹井 克男(堺市)

俺たちの魂に障害はない
「おはよう、昨日の阪神巨人戦、巨人の完勝や、やったな」
「あんた阪神ファンやったんちゃうんか」
「いや、勝ってる方のファンや、応援してる方が負けたら悔しいから、その時勝ってる方を応援することにしたんや。ほんならいつでもええ気持ちや」

ここは知的な面に障害を持つ人たちが通う、大阪府の就労継続支援B型と生活介護の事業所だ。ここに通う人たちは、支援学校卒業後の十八歳から上は六十歳過ぎまで様々で、日中は内職的な軽作業等をして過ごされている。

十年前の朝も、施設中に元気あふれる声がこだましていた。この施設の支援員として初出勤し、緊張面していた私に、屈託のない笑顔で話し掛けて来る人がいた。
「今日の朝、何食べたん?」
「ごはんに味噌汁に・・・」
「僕は牛乳かけごはんや、牛乳に砂糖をかき混ぜて、ごはんにかけるんや、一回やってみ、うまいで」

彼の一言で私の緊張が解け、思わず笑顔を返したことを今でもはっきり覚えている。

彼らは私が想像していた人たちとは全く違っていた。どこか暗く、モノクロな人たちを私はイメージしていた。しかし彼らは底抜けに明るく、鮮やかな色彩を放っていた。昼休みには、五十歳近いおばちゃんが飛んだり跳ねたりしてはしゃぎまわり、六十歳前後の人がピンクレディの曲に合わせて踊っていた。一般的に人は自分の年齢相応の言動を取ろうとするものだが、彼らは自分の年齢に対する一般的な固定概念に縛られることなく、強烈な個性を自由に発揮していた。

そして彼らは優しかった。ある人は、脚の不自由な人が椅子から立ち上がって歩こうとすると、さっと杖を手渡してあげていた。またある人は、送迎車から自分自身で降りることができない人に
「お母さんが待ってるよ」
と優しく声をかけ、シートベルトをはずしてあげていた。私たち支援員が利用者さんの手助けを行うことは、給料を頂いての職務だが、彼の行為は「ありがとう」の一言をも期待しない無私の行為だ。しかしこの優しい彼は、平仮名ひとつ書けない人だった。

またある時、言うことを聞いてくれない利用者さんに、私はつい怒鳴ってしまったことがあった。それをそばで聞いていた人に、
「怒鳴っても、言うことを聞いてなんかくれないですよ。もっと優しくお願いします」
と言われ、ハッとした。そう言った彼は、一桁の足し算もできない人だった。

平仮名ひとつ書けなくても、一桁の足し算ができなくても、彼らは人間としてもっとはるかに大切なことを知っているのだ。

私がこの施設で職を得てから十年間、彼らには助けられてきた。職務上は私が彼らを支援していることになるのだが、支援されているのは実は私の方だという気がしてならない。

私は生来、協調性に欠け、とてもじゃないが組織の中での『お勤め』を続けられるタイプの人間じゃあない。

私は五十歳近くまで、フリーランスの三流カメラマンでなんとか飯を食い繋いできたが、カメラマンを続けていく気力も体力も尽き果てて、この施設にたどり着いたのだ。そんな私を支えてくれたのは彼らなのだ。

私が体調不良で施設を休んだあくる日は、みんな口々に
「心配したで」
「無理したらあかんで」
「寂しかったよ」
と言ってくれた。けっして社交辞令ではなく、純な優しさが伝わってきた。

健常者の集団に、知的障害を持つ人がひとり入って来ると、その場の空気が優しさに包まれると以前聴いたことがある。それはきっと、彼らが放つ純な心が、周囲の健常者の心の奥底に潜んでいる純な心に感応し、優しさとなって表れるのだろう。

彼らは人がつい忘れがちな、人として最も大切なことを、心の奥底から引き出してくれるのだ。故に私は、彼らがこの社会に存在すること自体に、大きな意義があると感じている。その意義のために、彼らはこの世に生まれてきたようにさえ思えてならない。

この施設では、大学生が教員免許を取得する際に必要な、介護等体験の実習生を受け入れている。体験期間は五日間で、利用者さんと共に過ごしてもらう。最終日には利用者さんから
「話を聴いてくれて、ありがとう」
「もう会われへんのか、寂しいなあ」
「体に気を付けてな」
等の言葉を掛けられ、思わず涙ぐむ実習生も多い。そしてほとんどの実習生が、ここに通う利用者さんの明るさと優しさに触れ、彼らに対する印象が変わったと言葉を残して実習を終えていく。私や実習生がそうだったように、多くの人が、知的障害を持つ人たちに対して、誤ったイメージを持たれていると思う。その誤りを払拭するためには、強烈な個性を放ち光り輝く彼らのことを、広く社会に伝える必要性を私は感じ、このペンを握った。

たとえ彼らが平仮名ひとつ書けなくても、一桁の足し算ができなくても、意思疎通が難しくても、それは人間社会の表層的な薄い部分における『障害』に過ぎない。

夜空に輝く満天の星たちと共に、太鼓の昔から連綿と受け継がれてきた『人間として最も大切な心』は、『障害』が有ろうと無かろうと、この世に生を受けた全ての人間が宿しているものであり、永遠に不変だ。

最後に、私が愛して止まない彼らの心の奥底から、私の心の奥底に伝わる、彼らの叫び声を、声高らかに代弁させていただきます。
「俺たちの魂に障害はない!」