【高校生区分】 ◆最優秀賞 久野 藍里(ひさの あいり)

共生社会の中に飛び込んでみて久野 藍里(名古屋市立中央高等学校3年 名古屋市)

私は生まれつき脳性マヒで車イス生活です。

小学校時代、地域から離れた小学校の特別支援学級に6年間在籍していました。その間、もっと普通級の子と同じように勉強がしたいという思いと友達が欲しいという思いが強くなり、母と相談をして地域の中学校の普通級に入学する事を決めました。地域の友達が全くいない状況からのスタートとなりました。

中一の時の担任の先生は、私が色々と相談すると親身になって聞いてくれました。友達はできませんでしたが良い先生に出会う事ができ一年間乗り越える事ができました。

中二の時は、クラスの男子に後ろから大声で話しかけられ、私がびっくりする反応を見て笑っているという事がありました。その事があまりにも嫌だったので、クラスの皆に自分の意思とは反して体が反応してしまう事等を話しました。その結果、その事は収まりましたが、母からは「別の学びの選択肢もあるのだよ。」と言われました。しかし、私は自分の意志で決めた事なので最後までやり通そうと思いました。

そのような時、私にとっては転機となる出会いがありました。それは、中二の時の体育の先生でした。その先生に私が「皆と一緒にバドミントンをやりたいです。」と相談したら「よし、一緒にやってみようか。」と言ってくれました。私はその先生に出会うまで何度も「できないでしょ!」と言われ悔しい思いをしてきました。私の中では、工夫すればやれると思っていましたが、その気持ちを汲み取ってくれる先生がいなかったのです。しかし、その先生は、私のやりたいという気持ちを否定せず、いつもどのようにしたら皆と一緒にできるかを考えてくれました。私と対等に接してくれた事で、自分は自分でいいんだと改めて思いました。

創作ダンスの授業では、「皆と一緒に踊りたい。」と話したら、先生は、「自分で皆に声をかけてみようか」と言ってくれました。私は、先生が見守ってくれている中、勇気をふりしぼって仲間に声をかけました。仲間は「いいよ。」とすんなり受け入れてくれたのでとても嬉しかったです。

中三の時には、自分から仲間に声をかけていきました。友達との遊び方がわからない私を担任の先生は橋渡しをしてくれ、慣れてきたら離れて見守ってくれました。修学旅行の時、母も付き添ってくれたのですが、ディズニーランドの中だけは、仲良くなった友だちと一緒に行きたいので、母とは離れ、担任・副担任、そして三人の友達と回りました。今ではそれが一番の思い出です。

中学校に入学して周囲の皆と、学習面で大きな開きがある事に衝撃を受けました。高校に行って真の勉学に触れたい・友達も作りたい・部活も経験したいと思い二年の浪人生活を経て、晴れて高校生となりました。

高校に入ってからは、中学の時の経験を活かし、積極的に話しかけていきました。するとすぐに皆と打ちとける事ができました。。

私と接していく中で私の事を理解してくれ自然に助けてくれたり、背中を押してくれたりしました。私の学校の仲間は、不登校や色々な悩みを抱えている子が多いので、人の気持ちに寄り添えるのだと思います。そういう意味で友達が作りやすい学校です。

高一の時、バレー部に入っていました。私は二年生になったら生徒会に立候補するので部を辞めると言った時に「部活のために何か協力できた事があったのかな…」とキャプテンであり親友の子に話しました。すると「藍里ちゃんの応援で勇気がもらえたんだよ。」と言ってくれて「バレー部に入ってましたと自信を持って言っていいからね。」とも言ってくれました。とても嬉しい言葉でした。

一般に言う、普通の学校に行って一番良かったと思う事は、自分が小学校で経験してこなかった事、友達関係の事、勉強の重要性等、知らなかった世界を知る事ができた事です。しかし、今、障害の重い人達が高校や大学に入る事はむずかしく、学力社会の中にあると思います。共生社会を実現していくためには、どのような障害のある人でも当たり前にそこの場に行ける事が一番大事だと感じました。一部の障害のある人だけが学びの場に行く事ができているという状況に留めてほしくないです。

私は、自分の歩んだ経験を通し、障害のある人達の相談にのれる福祉の仕事に就きたいです。英語が好きなので、大学で語学力を伸ばし、それを活かしながら海外での福祉の状況も視察し、良い所は日本の中に取り込んでいく事ができれば良いなと思っています。そして私は、共生社会を担う事のできるような人材として活躍していきたいです。