【一般区分】 ◆佳作 髙木 美卯(たかぎ みう)

共生のためのほっこりする出来事
髙木 美卯 (広島市)

私が「たかしくん」と呼ばれる男性に会ったのは、町の小さな皮膚科の待合室で、時間にしてたったの十分~十五分のこと。けれどその体験は私の今までの概念を覆すほどだった。なのでぜひその不思議な体験を、今回紹介したいと思う。

三児の母。専業主婦。不自由ない生活を送っているが、やはり心の中のモヤモヤは取りきれず、子育ての大変さを痛感していた。社会に取り残されたような孤独感。それでも子育てをしているという使命感。今まで経験したことのない感情が渦巻いていて、「たかしくん」と出会ったその日も、心が晴れきらずにいたのを覚えている。

特に三番目の長男には手がかかる。ちょうど一歳半頃で身体の発達も言葉の成長も著しい時期だ。走る・登る・上がるなどは日常茶飯事で、暴れ回って手がつけられなかった。上二人が女の子だったこともあり、男の子ってこんなにも力があって、留まることを知らないのかと驚きを隠せなかった。

その日も案の定、病院の待合室の小さなキッズスペースで暴れていた。大きな声を発し、一人公園状態だった。私は呆れ果てて疲れ切っていた。そんなとき「たかしくん」とその母親が現われた。「たかしくん」は私と同じくらいの年齢の男性で(たかしくんの母親が私の母親と同じくらい?六十代くらいだったので)身体はしっかり成人であるが、知的に遅れがあるのを見て分かる印象の人だった。「たかしくん」は手で顔を叩いたり、引っかいたりする癖があるようで、皮膚科に薬をもらいに来ていた。そんな「たかしくん」であるが、待合室ではとても落ち着いていて母親の手をにぎり座っていた。私は「たかしくん」を刺激してはいけないと思い、少し距離を保ち、様子を見ていた。特に長男がへたに近づいて大変なことになってはいけないと少し警戒していたと思う。そんな時!ずっとキッズスペースで暴れていた長男が静かに「たかしくん」に近づき、ほどよい距離感でスッと隣に座ったのだった!そして「たかしくん」と長男はお互いの顔を見て、ニコニコしながら、それでも二人とも静かに座っていたのだ。私はとても驚いた。そして自分がなんて浅はかな人間だったんだろうと心を打たれた。その光景はまるで猿と猿が毛づくろいしているような、本能のまま同士がいい距離感を保って、相乗効果でよい関係を築いているような、そんな感じだった。頭で考えるのではなく、動いた身体の結果であった。

考えてみれば、長男から見た「たかしくん」は障害がある、ないなんて分からないんだなと思った。“障害”ということ自体、長男は理解していない。私自身の中に潜んでいる“障害”への偏見に、自分自身恥ずかしくなった。ものすごく純粋な上に、二人の関係が成り立っていて、成立している。不思議だったけど、それが本能だった。

その後、私は「たかしくん」の母親と少しお話をさせてもらった。「長男くん、とてもしっかりしているね。うちはずっと大人になっても子育てして大変だよ。」という「たかしくん」の母親。「いえいえ、ちょうど手がかかる時期で大変なんです。」と私。どちらがより大変だとは判断がつかないし、比較するつもりもない。「たかしくん」と長男が薬をもらった後、二人を離れさせるのがとても大変だったからだ。二人とも居心地がよくその場から動かない。「たかしくん」は動かないと地団駄を踏んでいたし、長男はイヤイヤと泣き出した。最後はお互い無理矢理その場を引きはなした。現実はこんなものだ。私も「たかしくん」の母親もきっとギリギリの状況で日常生活を送っているはずだ。そんな曇るような日常の中に、こんなほっこりする場面が少しでもあれば、癒されるし、またがんばろうと思える。そんな暖かい、不思議な、本能のままの出来事だった。

障害者への支援や子育て支援はとても充実してきているし、その方々への考えも浸透してきているように思う。でも、こんな日常のほっこりした体験や心のつながりが一番当事者を助けることになると感じた。「たかしくん」と長男の例を見ても、周りが暖かく見守り、当事者同士が相乗効果でよい関係を築く。それが大切だと感じた。それを偏見なしで本能的に行うことが共生の第一歩だと思った。すっかり「たかしくん」と長男から学んだ出来事だった。私の心を晴れにしてくれてありがとう。二人とも。