【高校生区分】 ◆佳作 石渡 那美(いしわた なみ)

会話をする
石渡 那美 (埼玉県立戸田翔陽高等学校 1年 埼玉県)

私には、耳が聞こえない聴覚障害をもった大叔母がいます。彼女は「先天性難聴」であり、生まれたときから音が聞こえないそうです。母は大叔母のこども、母からするといとこにあたりますが、歳が近かったこともあり、小さい頃は大叔母の家に泊まりに行ったりしていたそうです。母の話によると、大叔母が耳が聞こえないと判明したのは赤ちゃんの頃だったそうですが、六十年ほど前のことで、今ほど医学が発達しておらず、発見されたのは大分後だったそうです。現代でも耳が聞こえないと診断されたら、大変な戸惑いと不安があると思いますが、当時はもっと大変だったのではないかと思います。

そんな大叔母とこの夏、法事のため会う機会がありました。私は小さい頃、何度か会った事があるそうですが、記憶にはあまりないため私にとっては初めて会うような感覚でした。会うにあたって、とても不安になりました。耳が聞こえない人とどの様にコミニュケーションを取ったら良いのか分からなかったからです。手話を少し調べてみましたが難しく、とても一朝一夕で覚えられるものではないと思いました。それでも、挨拶くらいはと思い、「こんにちは」と「さようなら」、それと「ありがとう」は覚えようと練習しました。法事の当日、大叔母の姿を見ると、とても緊張しました。それでもせっかく挨拶の手話を覚えたのだからと、実践してみました。これで通じるのだろうかとドキドキしましたが、大叔母は笑顔で手話の挨拶を返してくれました。とても嬉しかったです。けれど、その後はどうしてよいか分からずその場を離れてしまいました。手話が通じたことのよろこびと同時に、もっと他の手話も覚えてきたら良かったなとも思いました。しかし、私はその後の母や、母の姉の姿を見て驚きました。母や、母の姉は手話を勉強したことはないそうです。普段から聴覚障害のある人と接しているわけでもありません。それでも久しぶりに再会した大叔母と会話をしているではありませんか。会話というと語弊があるかもしれませんが、私にはそれくらい母と大叔母が自然なコミュニケーションを取っているように見えたのでした。何故そう見えたのか、様子を見ていると、手話が完璧に出来なくても、話したいことがある時は肩を叩いて知らせ、身振り手振りのジェスチャーをしたり、大きな口を開けてはっきり、ゆっくりと話すこと。これは口話という方法だと後で知りました。他にも筆談、今はスマートフォンなどの文字を打てる物があるので、紙に書く筆談よりも速く相手に話したい事を伝えることもできます。そんな母や、母の姉と大叔母の様子を見ていたら、コミュニケーションを取る為に必要な事は決まった方法ではなく、“相手に伝えたいという心”が大事なのだと思いました。そう思った私は大叔母ともっと話してみたくなりました。でも何を話そう、そう考えて大叔母のことを見ていると、本当に笑顔の絶えない明るい人だなと思いました。母に聞いた話だと、友人が多く、若い頃は車が好きで7人乗りの大きな車で北から南まで、全国にいる友人に会いに行ったりしていたそうです。その話を聞いて、私はまた驚きました。耳が聞こえない人は車の運転なんて出来ないだろうと勝手に思い込んでいたからです。ですが、耳が聞こえない事以外は私と変わらないんだと知りました。

人は一人一人違って、沢山の個性がある。障害もその一つであること。相手を知ろうとする心が大切で、どんな事に楽しさを感じ、逆にどんな事が嫌だと感じるのか。障害がある人もない人も“普通”という偏見の壁を取り外せば、もっと沢山の輪が生まれるのではないかと思いました。

今回は挨拶だけで終わってしまった大叔母の事も次会う時はもっとコミュニケーションを取ってみようと思います。