【高校生区分】 ◆佳作 進藤 璃子(しんどう りこ)

見えない障がいと向き合う
進藤 璃子 (学習院女子高等科 1年 東京都)

私は小学三年生の時から右耳に難聴を持っています。左耳には全く異常がないため当初は日常生活に殆ど支障はありませんでした。また自分の難聴について基本的に人に言わないようにしていたので、他人から配慮されることなく、所謂健常者と同じ生活を送ることが出来ていました。人に言わないようにしていたことには理由があります。一つは、視力が良くないというのはよくあることだけれど聴力が良くない人は特に子供ではあまり居ないのでやはり特別視されてしまうと思ったからです。もう一つの理由は小学校で親しかった友人に話してみたところその子に軽くネタにされてしまったため若干のトラウマになったからです。そのようなこともあり中学以降は仲が良くてもどんなに近くても話さないと決めていました。

中学生になってクラスの人数が増え、四方八方から話しかけられることが多くなると、主に左耳しか使えないが為に音の距離や方向が分からずどこの誰から呼ばれたのか分からなかったり、人の声と物音を聞き分けられなかったり、話しかけられても気付かなかったり、声が途切れ途切れに聞こえて何度も聞き返してしまったり、幾つもの支障を感じるようになりました。私は小学生の頃、お医者さんに「今は生活に支障が無くても、大きくなるにつれて困ることが出てくるかもしれない。困ることが出てきたらきちんと相談すること。」と言われていました。どうやら、中学生になってその時が来てしまったようです。

私はすぐに親や先生に相談することはできませんでした。自分が配慮されるようになって、障がいのある者として他人に扱われるようになりたくなかったからです。それまでは自分の難聴が「見えない障がい」であることに助けられてきました。例えば白杖をついていたら目に障がいがあるであることが分かるけれど、当時の私は補聴器など付けていなかったので見かけで耳に障がいがあることは分かりません。何も言わなければ誰にも気づかれることはないのです。けれども「あの子は話しかけても返事をしない」「人の話を聞いてない」上下関係や友人関係が小学校に比べ複雑な中で、そんな風に周りから思われていたらと思うと日に日に怖さが増していきました。挙げ句の果てには聞き取れなかったことを聞き返すことも、頻度が高すぎて変に思われたら嫌で出来なくなっていました。恐怖が限界に達し、中二の時泣く泣く親に打ち明ける決意をしました。部活顧問と担任の先生にもお話をし、今後について一緒に考えて下さいました。どちらの大人と話した時も、「周りに困っていることをきちんと話した方が良いのでは?」と言われてしまいました。一番自分がしたく無かったことだったけれど、人間関係上特に困っていた部活の方は中高一貫校の為引退まで数年いることになるので、部員もわかっていた方がお互いに安心なのでは?という流れになりお話ししておくことになりました。話すタイミングがなかったりしたけれど、最終的には部員には困っていることを自分の口で言うことができました。今まで徹底的に隠していたことを人に話すのはやはりとても怖かったです。皆を驚かせてしまった上色々な人を困らせたと思うけれど、その後部員から私への当たり方が変わることはありませんでしたし、助けてもらえたこともありました。中には「話してくれてありがとう」と言ってくれた人もいたので安心しました。

これらをきっかけに病院で検査をしたところ、小学生の頃よりも聴力が落ちていたことが分かりました。それが分かった時、もう少し早く勇気を出して親に伝えていれば悪化せずに済んだかもしれないと思い、本当に後悔しました。診察中暗い顔をしていたところ、お医者さんに補聴器を使ってみることを勧められました。私は中学生で補聴器を付けている子なんて周りにいないし、周りの人と少し違う見た目になることに抵抗を感じていました。そして何より「見える障がい」になってしまうことが嫌でした。躊躇いつつも中三の夏休みから使ってみたところ、耳に物が入り続けているのに慣れるのには時間がかかったけれど、言葉が解らなくても音の方向や呼ばれているのに気付けるようになりました。
「すれ違いざまに変な目でみられるのでは?」という不安を持ちつつも迎えた新学期。しかし自分が鈍感なのか、気遣われているのか分からないけれど、指摘してくる子は殆どいなかったことに驚きました。あるいは自然と皆に私の特徴を受け入れられているのかもしれません。中には「なんでそんなの付けてるの?」と聞いてきた子もいたけれど、私はそれを全く不快に感じませんでした。理由を説明して相手が納得した表情をしてくれると、私もとても安心することができました。他人から知られることを恐れるよりも、知って理解してもらうことが私にとっては楽になれる方法なのだと学びました。

「見えない障がい」、あるいは病気に悩む人は世の中少なくないと思います。そのような方々に私は伝えたいことがあります。周りに知られないということは特別な扱いや待遇を受けない、健常者と見かけは同じように生活できるというメリットがあります。しかしその一方で困ったときに周りに助けを求めるのが困難になり、人から隠すということが自分の中で定着してしまうと私のように悪化するなど取り返しのつかないことになってしまうこともあります。もしも困ったときには、怖いかもしれないけれど限界が来る前に誰かに助けを求めて欲しいです。理解してくれる人は必ずいます。それを私は身を持って分かりました。今回このような作文を書いたのは、私以外にもいるかもしれない、自分のことをオープンにするのが怖いと感じてしまう人がいるということを誰かに知って欲しかったからです。遅くなってしまったとしても、勇気を出して打ち明けてくれた人を責めたりはしないでください。私は「教えてくれてありがとう」が言える人として、個人個人の感じるどんな困難や苦しみも受け入れ支えたいし、そういう人と思ってもらえるようになりたいです。

ひとりで苦しんでしまう人が、一人でも少なくなりますように。