【中学生区分】 ◆佳作 生野 巧(いくの たくみ)

ある日 突然
生野 巧 (大阪狭山市立狭山中学校 3年 大阪府)

小さい頃の夢は警察官だった。運動は昔から得意で、運動会では毎年リレー選手だった。中学から陸上部に入って、一年生で駅伝の選手になれた時は嬉しかった。剣道も習っていた。稽古は厳しかったけれど、おかげで初段審査も順調に合格したから二年生で二段取得を目指していた。一ヶ月後に運動会を控えた九月の夕方。僕の心臓は止まった。本当に突然だった。剣道の稽古は大会前の調整稽古で、ちょっと気持ちを落ち着かせた瞬間、急に身体が熱くなって、目の前は真っ暗になった。

その後の記憶は全くない。ただ、真っ暗な世界。お花畑もなかったし、川の向こうでひいばあちゃんが手招きすることもなかった。次の記憶は救急車の中。何度も呼びかける救急隊員の人、泣きながら名前を呼ぶお母さん。

当初、熱中症で倒れたと思われていた。でも、眼球が上転し、色黒の肌が紙のように真っ白になった時、剣道の先生は異常に気づき、すぐにAEDと救急車の手配をしてくれた。学校には先生が残っていて、呼びかけにすぐに、AEDを取って走ってきてくれた。心臓が停止してから二十分が生死の分かれ目らしい。平日で学校が開いていた。夜八時だけど先生が残っていた。すぐにAEDを使ってもらえた。僕はいくつもの幸運のもと五分ほどで心肺蘇生をしてもらえた。

最先端医療技術を誇る病院で、僕の心臓を止めた原因は突き止められるはずだった。何度も全身麻酔をした。何度も造影剤を入れた。心筋を採取した。冠動脈も調べた。家族みんなの遺伝子も調べた。だけどどんな検査をしても僕の心臓に異常はなかったんだ。

『特発性心室細動』これが僕の診断名だ。心臓が突然止まったけど、原因が分からないから、いつまた止まるか分からない。という状態だ。「埋め込み式の除細動器」を体内に入れることになった。この石鹸大の機械は、一生外れることはない。それは、心臓機能障害一級に値し、僕は一生、身体障害者手帳を所持することになった。

僕は勉強が苦手だ。成績は中の下ぐらい。真面目に勉強しているけど、成績はふるわない。だけど運動という強みがあった。陸上は好きだったし、運動は得意だったから消防士とか、剣道を続けていけば警察官になれるかも…なんて思ったりしていた。でも、もう無理だ。だって、僕の心臓はいつ止まるか分からない。そんな危ない心臓では警察官になれない。消防士の厳しい訓練はできない。僕は何もかも無くした。目の前に存在した幾つもの道が消えた気がした。僕に価値は?息が苦しい。真っ暗な世界に一人きり。涙が溢れた。

そんな時、「子どもは親より先に死んでは絶対ダメなの。」と、お母さんが抱きしめてくれた。「生きてりゃあ、なんとかなる。」と、おじいちゃんが言った。「あなたが居てくれるだけで、それだけで嬉しい。」と、おばあちゃんが言った。「こうして、家族で一緒に食事できることが一番幸せだ。」と、父さんが言った。「世の中色んな道がある。おまえに合う道は必ずある。」と、剣道の先生が言った。僕は一人じゃない。幾つもの温かい手が僕を抱きしめてくれていた。前とは違う温かい涙が溢れた。

この先僕は、容赦ない現実を見るかもしれない。理不尽な壁を感じて自暴自棄になるかもしれない。人の目を気にして下を向くかもしれない。だけど僕は、命を救ってくれた多くの人に対して恥ずかしい人間にはなりたくない。剣道の先生、学校の先生、消防隊員の人、病院の先生、看護師さん、リハビリの先生、たくさんの人が僕の蘇生を喜んでくれた。家族が、親戚が、友達が、「生きていてくれて嬉しい。」って言ってくれた。

これまでの入院生活の中で、いつも笑顔で接してくれた看護師さんや検査技師さん、リハビリの先生の仕事に興味を抱くようになった。今度は僕も、人を助けられる人間になりたいと思っている。