【一般区分】 ◆優秀賞 北條 乃愛(ほうじょう のあ)

一粒の光
北條 乃愛 (岩手県)

私が中学校一年生のとき、いじめにあった。男子が数人で私の悪口を言っていたのだ。私にきこえるような声で、私の友人にささやいている。臭い・風呂入っていないそんな言葉をささやき続ける。「ちがう。そんなことない。ちゃんとお風呂入っているよ。」そんな言葉が浮かんできた。でも届かない。ちがうよと否定したいのに言えない。苦しい。辛い。悲しい。どんどんおかしくなっていく自分を止められなかった。

それから、月日が流れ、中学2年生の冬、私は、自己免疫性脳炎と呼ばれる、難病を、患った。病気のせいで記憶があいまいだが、あらゆるくだをぬいて、あばれてばかりだったと言う。家族みんな絶望していた。家族にめいわくばかりかけてしまう自分が許せなかった。合併症で、自閉スペクトラム症と双極性障害を併発してしまった。

私は思った。「どうして私だけこんな思いをしなければいけないの?」この先の人生に絶望した。

けれど、私には、生きる意味があった。それは「家族をおいて行けない」と言う強い思いがあったからだ。苦しくて辛い中でもこの思いが私を支えた。人を信じることが出来なくなっていた私のたった一粒の光。

私は、どんなことがあっても家族が大好きだった。その気持ちは、家族も同じだったようだ。私の事を心から愛し必要としてくれる家族は、私の一つの居場所だった。それでも分り合うことは、難しかった。分かってもらえないことは、どんな苦しみより辛かった。

自分の弱さと、めんどくさい性格をいつもにくんでいた。多少のことですぐ不安になりイラついたり、怒ってしまう自分が心底大嫌いだった。

そんな私を、家族は、ただ純粋に愛してくれた。ただただそのことがうれしくて涙が、出た。家族は、私の病気を理解しようと行動に移していた。医師から説明をききじっせんしようとしてくれていた。

私のために、理解するための努力をしてくれていたのだ。なんとかしようとしてくれていることが伝わってきて、うれしくてなきそうになってしまった。

このままではダメだ。そう思った。家族がこんなにがんばってくれているのに、私は何もしないままでいいのかと自分に問う。少しでも変わりたい。そう思った。自分のためだけではなく、家族のためにも。

私は、まだ何の努力もしていないではないかと自分を見つめ直した。家族のためにも変わりたい。愛する家族と笑ってすごしたい。

ただ一つの願いだった。あの頃のように、笑ってすごしたい。自分の中にあった“何か”をやぶれた気がした。

それから私は、自分に出来ることを、見つけて乗り超えていく努力をした。

中学生の頃のイジメから学んだこと、自己免疫性脳炎になったことで学んだこと、家族からもらった優しさ、全部全部大切な経験として私の中で光っていた。

私は、思った。全て大切な私の人生なんだと。辛いことも多かったけど、その中で、小さな幸せを感じていたんだと。

私の一つの居場所は、私に大きな“何か”をあたえてくれたと強く思った。

私の大切な宝物。それは家族というかけがえのないもの。

私は、家族にもらった沢山の恩を、またどこかで苦しんでいる人に恩送りをしたい。

私は今、がんを患っているおじのかいごの手伝いをしている。

自分にできることを手伝い、家族から受けた恩を、おじに恩送りしている。精神疾患はなおることはない。でも上手につき合いながら自分の人生を少しでも笑顔で溢れるようにして行きたいと思うのです。