【一般区分】 ◆優秀賞 大代 祥也(おおしろ しょうや)

自己発信 ~相互理解のために~
大代 祥也 (北海道)

「手足が不自由でも、みんなと同じように勉強がしたい」

中学三年生の進路相談の時、私はその思いで地元の高校への入学を決めた。社会人になった今でも、あの時の選択は後悔していないと胸を張って言える。

入学前のオリエンテーションの日、帰りの玄関で早速いじめに遭った。私を見た彼らが、

「お前、成績Gクラスでしょ?バイバイ、G君」
何を言われたのか、一瞬分からなかった。後になって、『障がい者=成績が悪い』という目で見られ、馬鹿にされたのだと気づいた。時間が経つほどに、怒りが込みあがってきた。障がい者は周りからいじめられるのが普通なのか。地元の高校を選んだのは間違いだったのか。何も悪くないのに、自分を責めてしまっていた。

一年生のクラスは四階にある。当然、階段を上り下りしなければならない日々が続いた。幸い手すりはあったが、それでもかなり厳しかった。特に、体育の授業や移動教室が続く日は体の疲労も溜まった。宿泊学習は足の不調からドクターストップがかかり断念せざるを得なかった。成績は学年全体の真ん中をキープできていたのだが、体がどうしても追いつかず、一年生の後半は保健室で休ませてもらうことがほとんどだった。

結局、一年間でその高校を辞めることになった。最後の登校日、クラスメイト全員から手紙をもらった。正直、驚いた。その中には、

「高校は離れてもずっと友達でいようね」

「クラスで最初に私に話しかけてくれてありがとう」

「正直、最初はどう接していいかわからなかったけど、出会えて良かったよ」
など、それぞれの思いが綴られていた。クラスの一員として、みんなが認めてくれていたことが分かり涙が溢れた。とても嬉しかった。

その後、転入先で二年の高校生活を終え、無事高校を卒業することができた。

そんな私も、現在は社会人になって九年目になっている。数回異動を経験しているうちに、もうこれだけの年数が経っていた。業務は一般事務を担当しているが、手足が不自由なために、学生時代の時には無かった苦労をする場面が増えてきている。文字を書くのに時間がかかる、車椅子で移動すると執務スペース上どうしても通れない場所があるなど、今まで考えてもいなかった壁に当たっている。

しかし、僅かながらもその部署ごとに助けてくれる仲間がいる。重たい書類を持ってくれたり、私の代わりに外勤に行ってくれたこともあった。いくら感謝しても足りないくらい、ありがたい気持ちになる。ただ、それと同時に、どこかぶつけようのない『申し訳ない』という気持ちがでてきてしまう。自分ができないことを人に頼むという行為自体は何も問題はないはずだ。しかし、どうしても頼みづらい時もある。

「できないことは周りに頼めば助けてくれるから大丈夫」
私が今まで経験した全ての部署で、先輩から言われてきた言葉である。本当にそうだろうか。私は正直、この言葉を未だ信用できていない。助けてほしい状況で周りに必ず誰かがいるとは限らないし、頼んだからといって必ずしも助けてくれるとも限らない。自分から行動して覚えていかなければならないことは今後においてもたくさんあるし、『障がいがある』という理由だけで自分の立場が下に見られてしまうのは悔しい。しかし、身体の都合上どうしても難しいこともやはり存在する。

信用できていないこの言葉を、ここ数年で自分なりに理解し始めている。周りに頼むということは、自分から発信するということなのではないだろうか。自分ができること、できないことを自分から伝えていかなければ、周りの人の理解は得られない。自分から伝えること、話すことはコミュニケーションの一環であり、私は最近になって自己発信が苦手なことに気づかされた。自分が生まれてから二十七年間、たくさんの人に支えられてきた。もちろん、いじめられたことや、どうしてもうまくいかなかったこともあったが、学校の先生方や友達、職場の仲間など、その力は今の私の支えになっている。前の部署の送迎会で、私のもとに係の同僚全員がお礼を言いに来てくれた。私は当たり前だと思っていたことが実は当たり前ではなかったということに初めて気づいた。仲間が近くにいたという何よりも大切な事実に今まで気づかなかった自分を悔やんだ。

『障害者差別解消法』が平成二十五年に制定されてから十年が経過した。差別解消が進んでいくためにはお互いを理解する『相互理解』が不可欠であると私は考える。理解しあうためには、まず自分から周りに伝えていく『自己発信』が大切であると感じる。

「まず、仲間を作りなさい」
前の部署の上司が私に最後に伝えてくれた言葉である。これからも、自分の気持ちを仲間に伝え、円滑なコミュニケーションを図っていきたい。そして近い将来、障害のある人もない人もともに助け合って暮らせる世の中になっていることを切に願っている。