【高校生区分】 ◆優秀賞 青野 めぐみ(あおの めぐみ)

知ることから
青野 めぐみ (開智高等学校 3年 さいたま市)

二〇二二年十二月十七日。十五年と四箇月という人生に突如、別れを告げ、妹は一人旅立っていった。

私には二つ、年の離れた妹がいた。先天性の全前脳胞症という病気を持って生まれ、身体と知的の両方に障害があった。医師からは「三歳が山場だろう。ある日、気付いたら、お母さんの隣で冷たくなっているかもしれない。」と言われたそうだ。

私は妹が大好きだった。家族の中で一番多くの時間を共にした。誰よりも悩みを聞いてくれて、そばにいてくれた。たとえ障害のせいで立つ、座る、話す、食事を摂るなどの動作を一人で行うことができず、日常生活の全てに支援が必要であっても、私にとっては可愛い存在で、妹が自分の兄弟であることを不便に思ったことはなかった。

それゆえに、スーパーマーケットなどで知らない人から好奇の目で見られたり、学校で障害児のことを「害児」と呼んで侮辱したり、「障害者の生きる価値ってなに。喋れないのに、理解しているのかも分からないのに、話しかけるとか、教育受けさせるとか金の無駄だろ。家族が可哀想、不幸だ。」
などという社会の人からの言葉を耳にすると、無性に腹が立った。なぜ、障害があるというだけで、このような対応をされるのかと。これに対する答えを探す中で「障害というものを知らないから」ではないだろうかという思いが浮かんだ。障害というものを本当には知らないことが、障害者は変な人で、自分たち健常者と違う怖い人、危害を加えてくる人という固定された、勝手なイメージを作り出してしまうのだと私は思うのだ。

障害というものを知ってもらうために、私が妹と共に生活した中で、気付き、学んだことを二つ挙げる。まず初めに、妹が十五年もの時間を生きた理由である。最初、医師からは三年の命かもしれないと言われたが、実際はその何倍もの時間を生きた。こんなにも長く生きられたのは、妹が明日への希望を持ち続けたからだと私は思う。希望などという立派なものでなくても良い。ただ明日への意識を向けること。明日は何をしよう、どんないたずらを仕掛けよう、楽しみな授業と給食があるなどの、日常の些細なこと、くだらないこと、何でも良いのだ。少しでも明日への意識を向けた時から、明日は始まる。それの積み重ねが彼女の明日を拓き続けた。

次に、意志の強さである。私たちが練習や体験を通して、できるようになることが、妹にはできなかった。たとえ本人が望んでも、何度挑戦しても、自力で日常動作を一人で行うことは、彼女の持つ機能ではできなかった。なぜなら、それが障害というものだからだ。しかし、彼女はできる機能を持つ動作については、意識的にできるように変えていた。自力での移動の際は蒲伏前進のような方法を採っていたが幼い頃は動きもゆっくりで、距離感のコントロールも上手くいかず、壁にぶつかり、泣き出すこともしばしばあった。しかし年齢が上がるにつれて、力こぶができるほどに腕の筋肉が付き、本人の意志で行きたい方向へ、とても速いスピードで移動できるようになっていった。また言語に関しても、いつの間にか全てを理解するようになり、兄弟喧嘩に参入してくるほどであった。彼女がここまで成長したのは、兄弟にいたずらをしたい、会話に混ざりたいと強く思い、それを実行し続けたからなのだと、私は思う。たとえ障害があっても、着実に成長し、できることを増やした。

障害者本人やその家族、関係者でない限り、障害について知らないことが多いのは、仕方がないことだろう。だからこそ、健常者にも「障害」というものを知って欲しい。どんな障害なのか、何が得意で、何が不得意なのか、障害者本人がどんな性格なのか。見た目の一瞬で判断したり、「障害」という言葉で、ひとまとめにしないで 個性を見て欲しい。

偏見を減らすことで、世の中の人から見た障害と、兄弟や家族から見た障害との差に苦しむことが少しでも無くなって欲しい。そして家族に障害者を持つ子どもが、自分の兄弟について気兼ねなく話せる環境ができて欲しい。