○ 小川議長 定刻になりましたので、これより第5回「障がい者制度改革推進会議」を開催させていただきます。
委員の皆様方におかれましては、御多忙のところ、お集まりをいただきまして誠にありがとうございます。
本日は、大島内閣府副大臣と泉内閣府大臣政務官が途中から参加の予定です。
本日は、福島内閣府特命担当大臣は御欠席です。
後ほど、鳩山内閣総理大臣もこの会場に来られる予定となっております。総理の御来訪に際しましては、できる限り自然体で通常どおりの討議を行い、総理にはありのままの審議の御様子を実地にごらんいただくことといたしたいと思います。総理御到着後、総理からの短いごあいさつをちょうだいするとともに、会議についての簡単な御説明を行うこととしておりますが、その後、委員各位には、通常どおりの審議を続けていただけたらと思います。どうぞよろしくお願いをいたします。
委員の出欠状況ですが、本日は遠藤オブザーバーが御欠席、山崎委員は14時ごろ到着との連絡を受けています。それ以外の委員は全員御出席です。
本日の会議は、これまでと同様、一般傍聴者の方にも公開するとともに、会議の模様について、インターネットにより幅広く情報発信をいたします。
なお、各委員の御発言に際しましては、毎回申し上げておりますが、まず、挙手をいただき、指名を受けた後に御自身のお名前を述べられてから、可能な限りゆっくりと御発言いただくようお願いいたします。
本日の会議は17時までを予定しております。また、これまでと同様、1時間強の議事の後、約15分の休憩を取るという時間配分を基本として進めてまいりたいと思います。
それでは、これより先の個別討議については、藤井議長代理に議事進行をお願いいたしたいと思います。藤井議長代理、よろしくお願いいたします。
○ 藤井議長代理 議長代理の藤井でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
今日は第5回目になります。大変長丁場でありますけれども、大事なテーマでありますので、ゆっくりと、しかし、内容が十分に深まりますように進行してまいりたいと思っておりますので、どうぞ御協力のほど、よろしくお願いいたします。
それでは最初に、東室長から、今日の議事の全体状況について説明を申し上げます。東さん、よろしくどうぞお願いします。
○ 東室長 こんにちは。室長の東です。
本日は、教育、障害の表記及び政治参加について御議論をいただきたいと思っています。
1番目のテーマは教育です。第1のコマと第2のコマの前半を当てたいと思っています。項目的に言いますと、障害者基本法の教育該当部分、教育基本法の差別禁止条項の不存在という部分、学校教育法の異なる教育目的の設定、この部分を第1コマでと思っています。次に、特別支援学校の設置、特別支援学級の設置、就学先の決定の仕組みも第1コマの部分でやりたいと思っています。次に、合理的配慮の具体化、聴覚、視覚に障害がある場合の教育、特別支援教育、その他ということで、これが第1コマの後半か、第2コマの前半辺りになるかと思っています。教育につきましては、第2のコマで議論している途中で、14時45分ぐらいだと思いますが、総理がお見えになるものと想定しているところであります。
2番目のテーマは、障害の表記にしたいと思っています。第2のコマの後半を当てる予定です。
3番目のテーマが政治参加でして、第3のコマを当てたいと思っています。選挙の仕組み、政治活動、公的活動、その他という形で進行していきたいと思っております。
以上です。
○ 藤井議長代理 では、そういうことで、第1のコマとありましたけれども、大体、14時10分をめどにして進めてまいります。第1のコマと第2のコマの真ん中ぐらいまでは教育です。教育は3分割して、大体30分間ずつ議論しますので、そういうめどで聞いてもらえればと思います。途中休憩は第2のコマが終わりまして、大体15時55分ぐらいを考えています。15分間休憩して、最後の3コマに入っていくというふうにして進めてまいります。
それでは、早速なんですが、中身に入ってまいりたいと思います。教育の点に関して、3つに分けると言ったんですが、そのうちの1つは、障害者基本法の中でどういうふうに位置づけるかという問題。2つ目は、教育基本法における差別禁止条項が現在入っていませんけれども、どんなふうにそれを存在させるかという問題。3つ目は、学校教育法の目的、障害を持っている子どもと、持っていない子どもの目的が違うとなっていますけれども、これをどんなふうに見ていくか。この3つの点について論点を整理してもらいますので、東さんに再びお願いします。
○ 東室長 東です。
内容の説明に入る前に、誤字がありましたので、訂正しておきたいと思います。
まず、平成22年3月4日改定版ということで、私の方から論点表の改定版を出させていただいておりますが、第5回の教育というところで「学校教育法」と書くべきところを「学校基本法」と書いております。こういう法律はありませんので、申し訳ないんですが、「学校教育法」に変えてください。それが連動していまして、「教育に関する意見一覧<1>」という、今日配付された資料1-1のページが打ってある欄の3段目、ここも「学校基本法」となっておりますので「学校教育法」に変えてください。内容的には間違っておりませんが、表記として間違っておりますので。
その上で、まず、教育については、これまで教育の内容について、そのあるべき姿は何なのかという観点の議論がいろんなところでなされてきたと思うんですが、今回、推進会議においては、権利条約の批准という観点から、専ら学校教育の法制度的な面に視点を当てて、条約上、批准する上で問題はないかという点を確認していく作業を行っていきたいと考えて、論点を作成していきました。
それで、障害者基本法に教育の部分が書いてあるわけですけれども、まず1番目として、障害者基本法の総則規定の中に、障害者の教育の権利及び求められる教育の在り方、そういうものを障害者の権利条約に即して追加して規定すべきか否かという点です。
この点については、多くの委員の方が総則に規定すべきであるということでした。ただ、総則ではなくて各論で規定すべきという御見解の方もいらっしゃいましたし、また、障害者基本法の総則にどのような権利を規定するか、そこを整理した上で検討すべきという方もいらっしゃいました。中には、書き込むことはかえって障害者の教育の特殊性が強調されかねない、だから書き込む必要はないのではないかという意見の方もいらっしゃいましたが、多くは総則に規定すべきということでした。
次に、教育に関し、障害者基本法14条1項は、障害者に対する支援をその柱として据えておりますけれども、合理的配慮については規定がございません。それで、合理的配慮もしくは必要な支援というものについても規定すべきかどうかという点であります。
この教育における合理的配慮の提供とか、必要な支援というのは、障害者の権利条約の教育条項にも明文で規定がなされているところであります。そこで改めて委員の皆様にお諮りしたところであります。これについては、多くの委員の方は規定する必要があるということでした。2名の方は、合理的配慮というものは、一般的な概念としては、過度な負担がある場合には免責されることになっているので、その言葉よりもより強力な表現で書くべきだという御意見もありました。また、少数の意見としては、合理的配慮の規定を置くにしても、ほかの権利との全体的なバランスの中でどこで書くべきか、ということが検討されるべきだとの御意見とか、合理的配慮の具体的な場面では、多様な形を取るわけで、そのような多様な配慮を効果的に規定できるならば検討すべきだという意見もございました。
次に、教育基本法の問題です。教育基本法の4条1項は、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位、また門地によって教育上差別されないとしていますけれども、この中には「障害」という文言はありません。「障害」という文言を挿入して、障害に基づく差別の禁止を明文化する必要があるのかどうかという点であります。
実は、教育基本法上の差別禁止事由としては、憲法上に明文のない経済的地位に基づく差別という点についても禁止がなされております。そういうことを考えてみて、障害に基づく差別の禁止も入れるべきではないのかどうかということが問題になると思っています。障害者の権利条約では、一般的に差別を禁止するだけではなく、教育条項においても、教育についての障害者の権利を差別なしに実現することとか、特に合理的配慮については規定がなされているところであります。こういう趣旨からしてどうなのか、ということなんですが、これについても多くの委員の方は明文化が必要だと、ないしは明文が望ましいという御意見でした。また、1名の方は、反対はしませんということで、入れるべきではないという御意見の方は1人もいなかったということです。
次に、学校教育法72条は、特別支援学校は、幼稚園、小学校、中学校、または高等学校に準ずる教育を施すものと規定されております。
まず1点目は、普通教育に準じるという設置目的が掲げられているわけですけれども、これをどう考えるかということです。
この準じるということが一体何を意味するのか、必ずしも一義的に明白になってはいない。そういう中で、いろんな御意見がありました。この「準じる」という言葉に、一般より一段低い教育ないしは一般とは異なる教育という響きを強く感じられる委員の方の中では、例えば、障害児を普通教育から排除する結果や、分離の根拠となっている、普通教育と同等の教育にはなっていない、障害者の権利条約の教育条項に違反する、差別に当たる、差別に当たる可能性がある、準じるという規定自体を削除すべき、抜本的に改正すべきである、同等もしくは同格の教育という表現に変えるべきである、普通教育に密接にリンクした教育を施すことが設置目的として掲げられるべき、などの御意見がございました。ほかの御意見としては、「準じる」を同等または同一というふうに解釈するか、もしくは、それ以上の手厚い保護を意味するというふうに解釈できれば問題はないという御意見でした。しかしながら、多数の意見からすると、必ずしもそのような解釈が多くの方の認識ではないということが言えるのではないかと思われます。
次に、この目的の設定は、障害者権利条約の差別、第2条に規定がありますが、これに該当すると考えるか否かという点であります。
これにつきましては、18名の委員から意見が出ておりますが、12名の方は差別に該当する、1名の方は、その恐れがあるという御意見でした。また、その他の意見としては、同等という表現であればとか、同等と解釈すればとか、普通教育と密接にリンクした教育であればとか、そういう条件つきであれば差別には該当しないというような御意見もありました。さらに、差別には該当しないとする見解もございました。「準じる」というのは、個々の障害に応じて弾力的に教育課程を取り扱うことができるとするもので、必ずしも差別には該当しないという内容でございました。
次に、3番目でありますが、障害者の権利条約第24条1項が、この権利を差別なしに、かつ機会均等を基礎として実現すると、そのように規定している点に合致していると考えるか否かという点であります。
これについては、先ほどの見解と大体同じような状況であります。多くの方が権利条約に合致していないという御意見でした。また、ほかの御意見としては、合致しているとまでは言い切れないという意見とか、一定の目的をつけ加えれば合致するとか、等しいという意味であれば、もしくは普通教育に加え、それぞれの障害に合わせて必要な教育というものであれば合致している、普通教育と密接にリンクした教育であれば必ずしも矛盾しない、そのような御意見がありましたし、大きく乖離しているとは言えない、違反しているとは言えないとする見解もありました。
というところが大体の御意見の御紹介です。
○ 藤井議長代理 それでは、これから議論を展開してまいりますけれども、今の3つの要素、まずは障害者基本法における障害のある子どもたちへの教育に関する位置づけをどうするのかということ、それから、教育基本法における差別禁止の要素を入れていくという問題、それから、学校教育法第72条の「準ずる」教育に関する評価、在り方ということで、併せて権利条約第24条の1項を述べられました。
少し分けて議論しましょうか。まず、障害者基本法における位置づけに関しては、多くは入れるべしと。しかし、2人の方は、多分、本質はそう違わない気がするんですが、かえって、これに入れると、ほかの分野もどうするのかということも起こってくるし、どうなのかという議論も展開している方もいらっしゃいます。まず、これに関して、文書に書いてあることに加えて、どうしても発言しておきたいという方がいらっしゃいますか。障害者基本法における位置づけ、いかがでしょうか。
関口さん。お名前は必ず発言のときに言ってくださいね。
○ 関口委員 関口です。
手違いで私の文章が載っていないまま編集されてしまいました。今、お手元に配っていると思いますけれども、情報保障の点で大変申し訳ないことをしました。ごめんなさい。
私の意見では、障害者基本法の中に入れることは勿論だが、教育基本法と学校教育法にも入れるべきと書いてあります。規定すべきであるということは勿論そのとおりで、幼いときから統合した環境が必要だろうということも書いてあります。
○ 藤井議長代理 ほかにいかがでしょうか。
佐藤委員、どうぞ。
○ 佐藤委員 この設問の趣旨がわかりにくかったので意見が分かれたのかなと思います。というのは、障害者基本法の総則の中に、教育の権利だけを入れるとすればおかしな話ではないかということで、私は賛成はしなかったんですけれども、労働だとか、移動だとか、住宅だとか、地域で暮らす権利だとか、いろんな権利が書かれるのであれば、教育だけ外すというのはおかしな話だということで、どういう全体像なのかということがよくわからないまま皆さん回答しているので、意見が割れたのかなと思います。
○ 藤井議長代理 そうしますと、佐藤委員としては、全体のことが入るんであれば、主な権利を入れる中では入れても構わないという意見ですか。
○ 佐藤委員 はい。いろんな権利が入るのであれば、教育は是非入れる必要がある。
○ 藤井議長代理 ほかにいかがでしょうか。
ここでの議論としては、本質的には、さまざまな主要な権利を入れる中に教育も省かないと、障害者基本法の中にきちんと位置づけていこうというふうに整理をさせていただきます。
続きまして、教育基本法における差別禁止条項に障害ということを、ほかの差別されている、あるいは差別されやすい分野と一緒に入れていくという点については、これはほとんど皆さん一致しているんですが、特に発言ございますか。よろしゅうございますか。
教育基本法における、さまざまな差別されやすい、差別されている分野の中に、障害ということも入れていくべきであると、こういうふうにここは整理させていただきましょう。
続きまして、学校教育法が二重目的になっている。一般的には、甲子園の優勝旗と準優勝旗は全く違います。準ずる教育というのは、何か1ランク下というイメージがあるんだけれども、さあ、その本質はいかにということで、「準ずる」の解釈はさまざまあるんですが、これに関して御発言ございますか。
関口委員。
○ 関口委員 これもお手元に資料が行っていないので読み上げますと、「憲法26条1項の義務教育は、普通教育と解するのが当然であり、職業教育、技能教育ではない。特別支援学校の教育が普通教育の内容を含むのでなければ差別である。
さらに、権利条約24条2項a)は『障害者が障害に基づいて一般的な教育制度から排除されないこと及び障害のある児童が障害に基づいて無償のかつ義務的な初等教育から又は中等教育から排除されないこと』を確保するように求めている。」ということであります。
○ 藤井議長代理 それで、関口さんは、この。
○ 関口委員 ですから、この「準ずる」ではまずいんではないかということです。目的の設定に関して、差別であるという意見が12票だったということですけれども、1票加えて13票にしておいていただきたいと思います。
○ 藤井議長代理 はい。
ほかにどうでしょうか。目的に関するところでは。
竹下委員。
○ 竹下委員 書いてあることとダブらず一言で言えば、「準ずる」を善意で理解するためには、障害のある人に、その障害に合わせた、変容された教育を施そうということだろうと思うんですけれども、そこに大きな落とし穴があるのは、例えどのような重度の障害があっても普通教育は保障されなければならないということを、この2項が排除しているとすれば、重大な差別だということです。あくまでも普通教育を障害児・者に保障した上で、それに特別ニーズとしての配慮が必要であって、「準ずる」というのは、そういう意味で誤解を招くということを明確にしておく必要があるんだろうと思います。
以上です。
○ 藤井議長代理 今、言われたことは、つくった動機とは別に、障害児に関しては1ランク下の扱いという論拠にこの部分がなっているという点があるのは重大問題という指摘なんですが、これに関する御意見はほかにございますか。
むしろ弊害の部分が大きいし、年数がたつにつれ、さまざまな問題点も、ここにもし立脚点の一部があれば、これはやはり改正すべきだという点で、恐らくこのメンバーは一致するように思いますので、この部分もそういうふうに整理させていただきましょう。
特に、このコーナーは、今の教育に関する、特に法律において、全般的におかしい部分です。この後、第2コーナーでかなり各論に入ってまいりますので、その前に、一般的な法律における位置づけとして、おかしい部分については考えていこうということなんですが、時間がありますので、今言ったこと以外でもし何かあれば、御発言いかがでしょうか。特にはないですね。大変順調に進んでおります。かつてなく順調に進んでいますので、次の問題が多分たくさん時間取りますので、少し先を急ぎましょう。
次は、教育の中の2つ目のカテゴリーになってきますけれども、特別支援学校の設置、特別支援学級の設置、就学先の決定の仕組み、この辺までを、委員の方から出ています論点を東室長から整理をしていただきます。では、東さん、お願いします。
○ 東室長 東です。
まず、学校教育法上の問題です。特別支援学校の設置ということで、学校教育法80条は、普通学校の場合と異なり、都道府県に特別支援学校の設置を義務づけております。更に、同78条は、特別支援学校には寄宿舎を設けなければならないと規定されております。これらの規定は、居住する市町村から離れて就学をせざるを得ない、そんな事態を予定するものであると思われますが、障害者の権利条約24条2項(b)というところでは、障害者が他の者と平等を基礎として、自己の生活する地域社会において包容され、質が高く、かつ無償の初等教育の機会及び中等教育の機会を与えられることというような規定があります。これに違反すると考えるかどうかということです。
この論点に関しましては、もう少し正確に書くべきだったかなと反省しております。それはどういうことかというと、本人ないし保護者の意思に反する場合と、そうでない場合に区分けして聞くべきであったかもしれません。
これについては、18名、関口さんを入れると19名からの意見が出されております。この論点については、さまざまな御意見がありました。明確に区分して御説明申し上げることはできませんが、意に反する場合を念頭に置いた場合には、権利条約に違反するという御意見が多かったと思います。そうでない場合を想定した場合、むしろ本人が望む場合を念頭に置くと、例えば、寄宿舎の設備は就学の機会を保障するものだという評価が多かったと思います。ですので、意に反する場合と、そうでない場合、そこは区分けした議論が必要なのかなと思っているところです。
また、親からの分離を禁止する障害者の権利条約23条4項というものがあります。ここでは、締約国は、児童がその父母の意思に反して、その父母から分離されないことを確保するというものですが、これに違反すると考えるか否か。
この論点に関しましては、条約の内容からおわかりのように、父母の意思に反する場合を問題としているわけです。これについては、18名の委員から意見が出されておりますが、多くの意見では、父母の意思に反する場合には条約違反に当たる、もしくはその可能性があるとするものです。中には、就学の分野に適用すべき条項ではないんではないかという意見とか、単にこの規定には該当しないという意見もありました。しかし、多くは違反するのではないかという御意見です。
次に、特別支援学級の設置の問題です。学校教育法81条は、普通学校の通常学級のほかに特別支援学級の規定を置いております。この規定は、普通学級ではない学級の教育を前提にするものですが、これは障害者の権利条約第24条第1項のインクルーシブ・エデュケーションに合致するものと考えるか否かという点です。
この点に関しては、18名の委員から御意見が出ております。特別支援学級はインクルーシブ・エデュケーションに合致する、ないしは乖離するものではないとする御意見が6名ぐらい、合致しないと考えられる方が7名ぐらい、選択肢とか選択権の存在を前提にした御意見が5名ぐらいという形で、意見が分かれているところです。
次に、就学先の決定の仕組みについてです。学校教育法第17条は、保護者にその子どもを小学校、中学校に就学させる義務を規定するとともに、特別支援学校に就学させる義務をも別個に規定しております。そして、その親の義務の履行として、学校教育法施行令は、障害のない人、子どもを含みますが、これについて、学校教育法施行令第5条によって、市町村教育委員会が入学期日等の通知や学校の指定を行うのに対して、障害のある人については、学齢期を迎える前の子どもを対象とする就学時の健康診断等によって、同施行令22条の3が規定する障害と障害の程度に該当する障害の存在がわかると、同施行令11条によって、例外は認定就学者ですが、原則として、都道府県教育委員会が特別支援学校の入学期日等の通知とか、学校の指定をすることになっております。
こういう分けられた手続の中で、まず、第1番目として、このような障害のある人の就学先の決定を、法律そのものではなくて施行令に委ねているわけです。施行令は、立法府の直接関与を要しないものです。そういう形で委任していいのかというのが論点です。
この点に関しては、16名ほどの委員から意見をいただいておりますが、ほとんどの意見は、事柄の重要性に鑑みて法律で決めるべきだという御意見ないしは法律での取扱いも検討すべきだという御意見でした。ただ、中には、障害のある人のみを法律で決めるのは異別取扱いであるという御意見もありましたが、ここでの論点は、障害者だけ法律に基づくもの、障害のない人は政令でいいんだという論点の立て方ではないわけですので、そこには少し誤解があるかなと思っています。
次に、学校教育法施行令5条並びに22条の3項、障害に基づく分離制度の廃止についてどう考えるか。
この点に関しては、8名の方は廃止すべきである、1名の方は段階的な廃止を、2名の方は廃止とか改正の検討、または見直しや改善が必要であるといった意見が挙がっております。また、特別支援学校の選択肢まで否定されるべきではなく、単に廃止することは望ましくないと、そのような御意見とか、普通学級に学籍を持って、希望と必要に応じて、そこで学ぶことを基礎として、そこにできるだけの支援を持ち込んで、更に必要と希望に応じて、その他の教育の場も活用するといった全体像を描きたいとする御意見、それとか、普通学校や普通学級での取り得る配慮、支援を超えた部分もあるのではないかという御意見、更には、手話言語による学習等、集団性の保障が必要であるという御意見もありました。
3番目の論点としては、障害のある人が生活する地域社会にある学校に学籍というものを一元化することについてどう考えるのかということです。
この件に関しましては、学籍を地域の学校に一元化すべきだとする意見が10名ほどの委員から出されております。一元化は望ましいという意見は2名でした。検討する必要があるとする意見が2名ぐらいだったと思います。ただ、書類上の一元化では意味がないという御意見とか、一元化のメリットとデメリットを整理する必要があるんでないか、学籍がそもそも何のために存在するのか見直すべきである、また、ろう学校に学籍を置くことの妨げになってはならない、このような御意見もありました。
4番目として、障害のある人及び保護者が特別支援学校、特別支援学級を選択する選択権の保障についてどう考えるかということです。現在、保護者から意見を聴取するという規定は存在しますが、保護者に選択権があるという法的な構造ではありません。それで、この論点について御意見をいただきたかったわけです。
選択権を保障すべきであるという意見や、本人や保護者が希望する場合には、当面、特別支援学校や特別支援学級を1つのリソースとして利用できるようにすべきであるという意見が多数でございました。ただ、その中でも、すべてを保護者に委ねていいのかという点を問題とする意見や、教育委員会とか学校側との合意の重要性もしくは意見が異なるときの決定プロセスの問題を指摘する御意見などがありましたし、そのほか、個別の支援体制の充実とか、選択の前提として、選択可能な選択肢があるべきなんだと、そして選択した先における十分な支援体制が選択の前提として整備されることが重要であると、そのような意見もございました。
○ 藤井議長代理 これは私も全体を昨日たっぷりと読ませていただきまして、追加意見もたくさん出ています。恐らく、このコーナーが非常に論議の分かれるところであり、また、その権利条約の内実を高めていく意味でも大変大事な部分で、避けては通れない問題だと思っています。特別支援学校の設置、学級の設置、就学先の決定の仕組みと。
恐らく、東室長がおっしゃったように、設問の仕方によっても随分答え方が変わってくるということになるんですが、同時に、この問題は、時間軸で見ていく。今、直ちにどうするのかという問題もあれば、少し中期、長期でこうしていこうということもあるかもわからない等々、いろいろな視点から、また、今日の普通教育、通常教育ですか、ここのやはりさまざまな問題点との相関、例えば、かなり競争が激しい中で、障害を持った子がそこにいられないということが起こっているという状況等もある。普通教育の在り方との関係で、そこの成熟度、あるいは見直しの関係でまた条件は変わってくる。時間軸もあれば、保護者の選択権ということから見る場合の視点もあれば、また、今言ったように普通教育との相関関係もあればということで、どの立場で議論するかによって随分方向性が変わってくるんですが、とりあえずこの段階では、それぞれいろんな御意見ありますので、強調しておきたいと、あるいはこのペーパーには入っていなかったけれども、言っておきたいというのがあったら、このテーマに即して発言いただければと思いますが、いかがでしょうか。
清原委員、どうぞ。
○ 清原委員 ありがとうございます。清原です。
今、議長代理から、さまざまな軸でこの議論はなされるべきものであり、今の段階では、今回の論点に含まれるもの以外も含めて、少し意見を言わせていただけるということですので、意見を申し上げたいと思います。
私は市長という職に就いておりますので、教育に関しましては、基礎的自治体においては、教育委員会にその取組みを委ねている立場でございます。しかしながら、平成19年4月1日に特別支援教育が位置づけられた改正学校教育法の施行に伴いまして、学校の設置者としても、教育委員会と連携をしながら、その趣旨を生かすべく、その取組みを進めてまいりました。
『三鷹市特別支援教育推進計画』を平成19年6月1日に定めたわけですが、実は、三鷹市では、そのタイトルを「一人一人のニーズにこたえる三鷹市教育支援プラン」として、副題には特別支援教育と「特別」の言葉を残しましたが、計画としては「特別」という言葉を除きました。それは、検討のプロセスで、私たちは、障がいのある子も、ない子も、学校、家庭、地域の力を得て、次代を担う人として心豊かに育っていくことを支援するためのプランということで策定し、財政事情は非常に厳しいのですが、毎年のように教育支援学級を増設をしながら、その充実を進めてきたところです。
そのような取組みをしている立場から、まず、1点目、申し上げます。これまで障がい児、障がい者の皆様の教育に携わってくださった関係者の皆様、本当に長年の御苦労の中で、障がい児、障がい者の問題に向き合って教育の可能性を広げてきてくださったことに、まず、心から感謝を申し上げたいと思います。
2点目に、現時点では、三鷹市のみならず、日本国では特別支援教育ということで進めておりますので、新しい、いわゆるインクルーシブ支援、教育ということが出てまいりますと、やや二分法的な議論にもなりかねないことを恐れています。子どもたちが今を生きている以上、急激な改正ですとか、何か大きな変化が、子どもたちに、あるいは児童生徒に、やがて望ましい在り方に行く過渡期だといっても、著しく負荷のかかることであってはいけないと思っていますので、私は、今までの障がい児の教育の改善を求めて、共に生きる方向性で進めてきてくださっている特別支援教育について、もう少し尊重する気持ちを持って検討していく必要があると考えています。
それはどういうことかと申しますと、例えば、1つの例でございますけれども、特別支援教育を進める中で、改めて教師の専門性というものが問い直され、今まで、ともすると障がい児の教育に携わっている教員は、普通教育に携わっている教員よりもやや資質が劣ってもよいかのような、これは言い過ぎかもしれませんけれども、そのような位置づけがあったかもしれません。けれども、今、求められているのは、特別支援教育にかかわる教員の資質の向上であり、また、その一般化といいましょうか、普遍化であり、普通教育を担当している教員こそ障がい児の支援ができる力量が高められ、そのことによって教員全般の指導力、教育力が高まっていく必要があるということが顕在化してきているのではないかと感じるからです。
3点目に、児童・生徒本位の教育がなされるべきでございますが、障がい児の教育の場合には、保護者の選択の範囲が広がるということを方向性として考え、その選択の範囲というときに、重要な教育支援というのは、同じ障がい種別であっても支援内容が異なる場合もございまして、きめ細かな対応が求められる以上、私たちは、二者択一とか、そういう方向性だけではなくて、きめの細かい児童・生徒本位の教育がなされる在り方をやはり理念的には求めていきたいと考えています。
そんなことから、今回、特別支援教育、特別支援学級について、私はこの委員をさせていただいているので発言をさせていただく機会をいただきましたが、構成員の皆様の中に、必ずしも障がい児教育の御専門の方が多いとは思いません。私は、この改革推進会議の最初のころにもお願いしたことなのですが、各府省の連携が必要ということであるならば、このテーマについては文部科学省が格別に取組みをしていただいているわけですから、そのお声も聞きたいですし、特別支援教育に携わっている教員や、保護者や、あるいは可能ならば当事者のお声も聞いていくプロセスを経ていくことが、ほかの制度にも求められていますが、特に教育については、子どもたちへの影響が大きいために、慎重な検討が必要なのではないかと感じています。
併せて、この特別支援教育というのは公立学校だけが携わっているのではなく、私立の取組みも行われています。そういう意味で、設置者によって、ひょっとしたら、直面している課題も微妙に違うかもしれませんので、多様な設置者の御意見も何らかの機会に伺う必要があるのかなと感じました。
最後に、先ほど議長代理がおっしゃってくださいましたが、障がいにかかわる教育の問題を議論していくときには、時間軸が大変意味を持ってくるのではないかと思います。私も、今できることと、中・長期的にきちんと制度を考えていかないと、子どもたちに負の影響が考えられるものもあるかと思いますので、前向きに、よい教育、質の高い教育を、障がい児、障がい者をめぐっては定めていくような、そんな方向性が必要だと思います。
今、話しながら思い出したことを1つだけ申し述べて終わらせていただきます。三鷹市では、三鷹市役所から遠くないところにある都立府中朝日特別支援学校の高校生にインターンシップとして、できるお仕事をしていただくという取組みをこの数年進めております。つまり、申し上げたかったのは、教育と、市役所を初めとする地域の働く場所あるいは就労訓練等との連携が図られていくことも、就労支援の面を含めて重要かと思います。教育の議論をするときには、その他の障がい者に対する支援との連携の論点も含めていくことが有効ではないかと思います。
以上です。ありがとうございました。
○ 藤井議長代理 時間が余りないものですから、少し短縮してお話しいただきますように御配慮お願いしたいんですが、さて、今の御意見に対していかがでしょうか。
まず、中西委員から行きましょうか。中西さん、大谷さん、尾上さんの順番で行きます。中西委員、どうぞ。
○ 中西委員 中西由紀子です。
幅の広い支援、そして保護者の選択、いろいろお話の中に出ていましたが、私自身に関して言えば、親の選択によって普通校で勉強しました。普通校での勉強に関しては、今よりももっと個人的支援がありませんでしたので、教室の移動とか、トイレとかは、自分の方で手伝ってくれる人を用意しなければいけないという段階で、小学校、中学校、高校を過ごしました。
この中でよかったのは、地域の中で普通の暮らしができたことです。小学校を終えると家に友達が遊びに来る、また、中学、高校では、連れ出してくれる友達がいて、一緒に外に出るということが可能になって、その中で社会的価値が身についてきたように思います。
今回、いろいろな資料を特別支援学校校長会等の方たちから送っていただいて特別支援学級に関して感じたことは、「ほとんどの親が特別支援学校を要望する」となっていましたが、本当に今のように普通校の中に何も支援制度がなくて普通学級の中で学びたいとするには、多くの決意、決断が必要になってきますので、数としては特別学級の希望者が多いというのは全くそのとおりだということです。
選択肢に関して、保護者の意見とありましたが、子どもの権利条約でも言われているように、障害児自身の希望も、この意見を聞く際に当然取り入れられなければならなりません。また、身近な例から言いますと、八王子で、実際には普通校でどうにか勉強できるレベルの子が、特別支援学級の方に籍を移したいとなったときに、そんな先例はないということで拒否をされて、大きな問題になったことがあります。選択肢から言えば、その子は落ちこぼれの状態よりも、自分としては、障害を理解してくれる人たちがいるところへ行きたいという理由で、普通校で理解されていなかったがために選択したのですが、それが拒否されて大変だったということがあります。
ですから、保護者のみではなくて、教育機関、審査機関等、専門家の連携も必要だとありましたが、子どもも交え、いろいろな選択肢の中で、実際、特別支援学級には何があって、普通校では何があるか、普通校ではきちんとその子のニーズに基づいた支援がされていることを前提として決断がされるのが理想的だと思っています。
以上です。
○ 藤井議長代理 大谷委員、行きましょうか。
○ 大谷委員 大谷です。
言いたいことがたくさんありますけれども、時間がないので、短く、限られたことだけを言いたいと思います。
基本的に、今、生きている子どもに対して教育が必要であるということで、慎重な議論が必要であるということは、私は否定はしません。ですけれども、今、生きている子がどのような差別にさらされているのかということに関しても懸念がありますし、そのことに関して重大な関心を持ってもらいたいと思っています。
とするならば、教育における差別とは何かということをいま一度考えていただきたい。障害があるがゆえに教育が不十分であるということは勿論大きな差別。それから、合理的な配慮がされていないということも今回提案された差別。それに加えて、分離が強制されているということがあるならば、それも重大な差別だと思っています。
先ほどの清原委員の意見に関しては、慎重な教育、きめ細かな教育ということに関しては、言葉において私は否定しませんけれども、きめ細かな教育ということで、分離が強制されてしまっているという事実もあることを是非知っていただきたいと思います。
私は障害児教育の専門家ではないですけれども、実際、障害児教育にかかわる裁判は多数やっています。その子が地域の学校に学籍がないがゆえに、例えば、介助している人が建造物侵入罪で逮捕されたり、ひとり学級をずっと余儀なくされ、友達との交流ができないということを裁判で争うようなことをやってきました。
そのときに、どんなに求めても、学級指定処分、学校指定処分という措置がされていて、強制されている結果、分離が強制されて、ひとり学級でひとり学び、支援者が建造物侵入罪ということになったとしても、結局は争えない状態になってしまっている。こういうことは、結局、分離強制だと私は思っていますし、現にそれが差別にさらされている状態を我々が見逃してしまっているんだと思っています。
このような事態は一刻も早く解消されなければならないと思っています。そのためには、やはり教育行政の根幹を担っている学籍を1つにするしかないと思います。学籍を地域の学校に統合して、少なくても地域の学校に学籍があるという状態を可及的速やかに実現しない限りは、差別を再生産、助長していると私は思います。
ですから、余り急激な変化は子どものためにもよくないという御意見が出されましたけれども、日々差別にさらされている子どもを一刻も早くその差別の状況から救うために、教育行政の根幹を成している学籍が分離されていることによって生じている差別は、学校教育制度を改正さえすれば速やかに解消されるのですから、せめてそこは統合してもらいたいと思います。
学籍統合が何かよくわからないという御意見も中にあったように思いますけれども、学籍というのは教育行政の根幹を成しているだけではなくて、その地域の子どもであるかどうかということの帰属意識の根幹にもなっています。我が国の学校は、各地方の文化の拠点みたいなことになっていますし、特に義務教育段階では、その地域の小、中学校の生徒かどうかということが地元の子かどうかということの基準にもなっているぐらいです。「うちの学校の生徒」というようなことで地域への帰属意識を再生産しているようなところもあります。ですから是非ここは、分離が強制されているのだと、それは差別なのだということを共通の認識にしていただいた上で、きめ細かなとか、子どもに負担がかからないということを議論していただきたいと思います。それを抜きに語っていただきたくないと思いますので、一言言わせていただきました。ありがとうございました。
○ 藤井議長代理 尾上委員、お願いします。
○ 尾上委員 尾上です。
追加資料を説明しながら意見を述べたいと思います。追加資料の18ページから「明るい花を咲かせよう」というパンフレットの案内のチラシを入れております。その現物を構成員の皆様にはお配りをしております。マスコミでも大きく取り上げられたので御存じの方が多いかと思いますが、これが現在の日本で起きている事象なのです。
去年の4月に奈良県のあるまちで、地域の小学校で学んだ脳性麻痺の女の子が中学校へ上がろうと思ったときに、彼女は歩けないからということで入学の拒否にあいました。裁判の結果、仮の義務づけが出まして、4月から入学は何とか認められて、今は無事過ごしておられるのですが、この資料の4ページのところ、「7月3日、ついにこの日が来ました。みんなから3か月遅れの初登校の日です」という文章を見て、本当に私は胸が張り裂けそうになりました。12歳の女の子が、なぜ今まで学んでいた子と別に、3か月も遅れて入らなければならないのか。こういったことが引き起こるような日本の学校教育制度は大きく改められなければいけないのではないかと思うのです。
というのも、私自身が子どものときに小学校を養護学校と施設で過ごし、そして中学校から、家から歩いて5分の地域の学校に入りましたが、入学するのに大変苦労をいたしました。学校側は何もしませんよ、先生の手はかりないこと、友達の手はかりないこと、設備を求めないこと、このことを念書として書くのだったら入れてあげましょう、そういうふうに地元の中学校の校長先生、教頭先生に言われました。
でも、実際に入って、いろいろ苦労はしましたが、家のすぐ近くに同じ学年の子がいるというのは、本当に自分の世界が大きく広がるような感じがし、そして人間関係が広がっていきました。ああ、私たちの時代はそういう苦労があったんだなというふうに昔語りで語れないのが悲しいところなのです。この21世紀の日本において、やはり障害のある子どもは差別をされ、地域の学校に入りにくくなっている、これを何としても改めなければならないのではないかということであります。
これは別に特異な例ではございません。追加資料の19ページに、大阪市立大学の、先ほど教育の専門家というお話がございましたが、まさに障害児教育の専門家であります堀先生が、どこでも起きる問題、つまり、今の学校教育制度、就学通知を障害のある子は別扱いをする、つまり、入口を別に分けている仕組み、学校教育法施行令第5条という仕組みが引き起こしているのだということを指摘されています。やはりここを何としても改めなければいけないのではないか。
ちょっと前に戻っていただきまして、追加資料16ページなのですけれども、これは「東大阪市政だより」という、大阪府の東大阪市が去年の秋に出された広報です。その中で「新1年生へのみなさんへ」ということで、就学通知書を小学校は11月10日、中学校は12月9日に発送します。これは、障害のある子も、ない子も、まずは地域の学校に就学通知を送り、その上で本人や保護者が希望される場合は特別支援学校も選択可能という流れにされた、非常に画期的なものだと思っているのです。
17ページにフローチャートのような形で説明をつけています。まず、学齢簿を作成し、ここが大事なのですが、障害のある子も、ない子も、ともに入口を分けないということで、まず、地域の教育委員会、市町村教育委員会が就学通知を出され、就学時健診を受けられた後、本人や保護者が希望される場合は勿論、特別支援学校を選択することもできますが、特に希望されなければ、当たり前に地域の学校に行くことができるようになっております。
やはりこういった流れに変えていかなければ、障害者権利条約が言うインクルーシブ教育の制度になっていかないのではないかと思います。東大阪市の場合は運用という形でこういうことができるということで、この程度の運用は是非いろんな市町村でもやっていただければと思いますけれども、運用という形ではなくて、むしろこれが当たり前の姿に、つまり、今の学校教育法施行令第5条の障害のある子どもを異別取扱いしている書きぶりは、何としても大きく変えなければいけない、削除されなければいけないのではないかということを意見として申し上げます。
○ 藤井議長代理 お待ちください。この時間帯は2時10分で終わることを覚えていてください。今、手が挙がっているのは、門川さん、関口さん、北野さん、竹下さん、5人ですか、30分かかります。したがって、門川さんの発言を一旦受けまして、休憩に入ります。2時10分に休憩に入って、総理が来ますのが45分ぐらいになりますので、最後の方でもう一度議論しましょう。ということで、進行に協力してください。
では、門川さん。
○ 門川委員 門川です。
教育について、特に特別支援教育に関して、ここは議論が分かれるところかと思います。私自身、いろいろな教育を経験してきた立場、初等教育、盲学校教育、ろう学校教育などを受けてきた立場から、また、仲間たちの経験談などを参考に、子どもたちに負の影響を与えないよう、発言を一言させていただきたいと思います。
特別支援教育、それから普通教育、つまりインクルーシブ教育ですね。それぞれに一長一短があるかと思うのですけれども、強調したいことは、特別支援教育は大切だということを言っておきたいなと思っています。これは、例えば、視覚障害とか、聴覚障害とか、そういった障害について言うと、インクルーシブ教育の中で、ほかの障害のない子どもたちと一緒に、同じペースで教育を受けていくということに大きな困難もあるのではないかと思うのです。例えば、集団の授業のペースについていけないとか、教科を学習するのに時間がかかるなどです。特にスポーツについては、集団で行うスポーツなどには視覚障害者独自のルールがあり、視覚障害者同士プレーをするというスポーツもあります。そのため、スポーツ一つを取っても、特別支援教育の中での体育というのは大変重要だなと思います。主要5教科はもちろん、いろいろな教科において、特別教育というのは視覚障害者や聴覚障害者にとってプラスになる意味も多いと思うのです。
しかし、例えば、インクルーシブ教育に、普通学校に籍を置きながら特別支援教育を受けるという方法もあれば、また、その逆に特別支援学校に籍を置きながら普通学校で他の障害のない子どもたちと交流を深めていくという方法もあるかと思います。いずれにしても、どの教育を選ぶかというのは、これは選択権の問題であって、保護者であるとか、その本人が自由に選べるようにしていただくことが大切かなと思っています。
その他、特別支援教育についてですけれども、この特別支援教育の中でも実はいろいろあるのですね。分離教育をしていたり、クラスからは離れて別の教室で先生と生徒の1対1という教育方法を取っている学校があったりします。これも、これでいいのかという問題もありますけれども、普通学校で障害のない子どもたちが、ほかの障害のない子どもたちと一緒に机を並べて勉強していくということが難しいということも考えないといけない。ですから、特別支援学校の存在意義が大きいのだということをここでは言っておきたいと思います。
以上です。
○ 藤井議長代理 それでは、まだこの件はたくさん議論があることはわかっています。一旦ここで休憩をしまして、少し他の方に食い込むんだけれども、第3番目のコーナーが終わった後にこの議論を継続します。これは非常に大事なことなんで、恐らく意見はたくさんあると思いますので、今日、精いっぱい出していただきます。
では、30分まで休憩に入ります。
(休憩)
○ 藤井議長代理 それでは、再開しますので、よろしゅうございますか。第2コマでは、前半は教育、後半は障害の表記であります。先ほど積み残して発言していなかった方たちについては、このコマでお話しいただきます。これより教育の残っている部分で、合理的配慮の具体化とか、聴覚障害、視覚障害を持った方の教育、特別支援教育の評価と在り方の部分と関係してきますので、その部分と併せて議論をしていきますので、よろしくお願いいたします。
最初に、このところの論点の整理を東さんからお願いします。
○ 東室長 東です。
合理的配慮の具体化の問題について、まず御説明申し上げます。これについては「教育に関する意見一覧<2>」の21ページ以下の御意見です。
まず、1番目に、合理的配慮の具体的内容について、障害のある人及び保護者、学校、学校設置者の三者が合意形成をしながら策定するプロセスについてどう考えるかという点です。合理的配慮をしないことは差別であるということが障害者の権利条約であるわけですけれども、これは、法的に言うと、障害を持つ人たちに合理的配慮を請求する権利を認める、逆に言えば相手方に義務が発生するという権利構造になるわけですけれども、実際の合理的配慮の中身をつくる過程においては、三者の合意が必要になってくるんではないかという観点から出題をさせていただいております。
多くの意見が、個別的な合理的配慮の内容を決める過程において、三者の協議を経て、個別支援計画等に結びつけていくことが重要であるという指摘をなされております。ただ、本人とか保護者の弱い立場を考えると、その立場をどう支援していくのかという点について、多くの意見が出されております。また、その1つとして、利害関係のない第三者の関与であるとか、最終的な決定権は本人または保護者に留保しておくべきではないかという見解、それに加えて、不服申立ての機会を設けるべきではないのかという見解がありました。
次に、合理的配慮の内容について、障害のある人及び保護者が不服の場合に、異議申立てなどの手続についてどう考えるかという論点でございます。
これについては、ほぼ全員一致と言っていいかと思います。異議申立ての手続は必要であると言われています。その中で、異議申立ての本人や保護者を支援する体制をどうつくるのか。単に異議を申し立てただけでは、本人の希望とかがちゃんと保障されるのかという観点から、そういう支援体制などが重要なんだという御意見。それとか、子どもは日々成長していくわけですから、速やかな決定がなされるようにすべきであるとか、異議申立機関の構成としては、障害当事者などの参画が必要であるとか、そのような意見がございました。ただ、異議申立機関の組織形態とか権限、設置主体、その点についてはさまざまな御意見がありまして、これらの点に関しては更なる議論が必要ではないかと思われております。
次に、聴覚、視覚に障害がある場合の教育ということで、意見は「教育に関する意見一覧<2>」の29ページ以下に書いてあります。
まず、1番目ですが、手話言語の学習権の保障と教育の在り方についてどう考えるかという点であります。
この点に関しては、手話言語の学習権を保障すべきであるという見解には異論はないと思われます。また、加えて、手話による教育や、手話言語によって学習する権利も含むべきだという見解もございました。これについては、積極的な反論があるところでは決してないと思っております。ただ、その上で、その教育の在り方については、手話の重要性を指摘しつつも、普通学校での教育の選択肢も保障すべきではないかという御意見もございました。
次に、2番目ですが、手話または点字についての適格性を有する教員の確保についてどう考えるか。
この点につきましては、確保の必要性についてはほとんど異論がないところだと思っております。
3番目が、教育におけるあらゆる形態、様式のコミュニケーション保障についてどう考えるかということです。
この点においても、教育におけるあらゆる形態、様式のコミュニケーションの保障が教育において重要であるという点については全く異論はございません。特に、点字の教科書とか、中軽度の難聴の子どもたちへの対応についての問題点が指摘されておりましたし、更には、知的障害や発達障害のある子どもたちにも多様なコミュニケーション方法による教育が効果的である。または、ろう学校でのコミュニケーション手段は手話であることを確認すべきである、そのような意見もございました。
次に「教育に関する意見一覧<2>」の41ページ以下になりますが、特別支援教育についての評価と今後の在り方についてどう考えるかということで御意見をいただいております。これは、法制度の問題というよりも、特別支援教育という中身の問題であります。一応、法制度とは別のものでありますが、皆様がどう考えるのか出していただきたいと思いまして、ここに記載しております。
この点に関しましては、さまざまな意見がございました。少々時間がかかりますけれども、ある程度御紹介させていただきたいと思います。特別支援教育が一人ひとりのニーズに応じた教育であるかという点について、不安であるといった意見がございます。また、特別支援教育は分離別学を増幅しており、インクルーシブな教育に逆行しているので、抜本的な見直しが必要であるという意見がございました。特別支援教育は原則廃止すべきであるが、そのメリットは普通教育に切り替わっても維持すべきであるという御意見がございました。特別支援教育は原則分離教育の枠を新たに拡大したものに過ぎないという意見がございました。支援の有無による影響に関する個別ケースの蓄積だけでなく、広い視点での評価が必要であるという意見もありました。特別支援教育が普通教育の下位に位置づけられるべきではないけれども、普通教育に適合しない児童を排除するための受皿となっているという側面は否定的な評価をすべきであるという意見もございました。障害児に接したことのない児童が、思いやりのない、配慮に乏しい大人に成長していると感じているという御意見もございました。特別支援教育を個別支援としてとらえ、個別に支援を必要とする者すべてに対するインクルーシブな支援として提供すべきであるという意見もございました。特別支援教育とインクルーシブ教育は相反するものではないんだという御意見もございました。特別支援教育は前進面もあるが、能力主義的な管理、統制と格差の拡大が見られるという御意見もございました。特別支援教育の評価については時間をかけるべきであり、評価の仕組みを開かれたものにすべきであるという御意見もございました。特別支援教育はインクルーシブ教育の実現として再構築されるべきである。特別支援学校や特別支援学級での教育が特別支援教育であると位置づけるのは間違いであるという御意見がありました。特別支援教育が学校全体の問題としてとらえられることになったのは大きな一歩ですが、その充実のためには課題が多いという御意見もありました。特別支援教育は分離を促進しており、廃止されるべきであるという御意見もございました。条約の批准といった観点から、障害当事者や親の意見が適切に反映される仕組みの中で、障害児教育見直しを正面から議論すべきであるという意見もございました。普通学級における特別支援教育を実施することにより、合理的配慮の提供も含め、普通学級の在り方自体の変革が求められるという御意見もございました。特別支援教育の現段階での成果はいまだ明確に発揮されているとは言いがたい。普通学校との相互補完的連携システムが必須であるという意見もありました。最後に、現行の特別支援教育は問題が多くて評価できない。盲ろう学校への財政支援に乏しく、その専門性を軽視する傾向が強いという意見がございました。
さまざまな意見があって、かなりはしょって申し上げておりますので、意が伝わらないところもあったかもしれませんが、このような意見がございました。
最後に、その他ですが、12名の委員の方から御意見をいただいております。ここでは義務教育の前の教育、後の教育、その他いろいろな問題が指摘されておりますし、特別支援教育の在り方についての総合的な意見も出されております。また、論点表の組み方を含めて、推進会議の運営に関しても御指摘をいただいているところです。
また、個別論点ごとの意見という形ではありませんけれども、土本委員からまとめて書かれた部分もここに入っておりますので、お読みいただければと思っているところです。
以上でございます。
○ 藤井議長代理 それでは、このコーナーでは、今、言われたように、合理的配慮の具体化、聴覚障害者、視覚障害者の教育、3つ目は、先ほどの特別支援学校の設置や特別支援学級の設置というのは政策論で、今、言われた特別支援教育の評価の在り方は、どちらかというと内容論になるんですかね。少しわかりにくかった点もあったかと思うんですが、政策論と併せて書いている方も多いと思うんです。この部分で、先ほどの議論の続きをしてまいります。前段は合理的配慮の具体化という問題と、聴力障害者、視覚障害者の教育というところにポイントを置きながら、後半はさっきの続きとかぶせながら議論を展開していきます。さて、いかがでしょうか。
竹下委員。
○ 竹下委員 先ほどの続き若干とこの部分とで、短時間で終わります。
清原委員の御指摘は、多分、考えに大差はないと思うんだけれども、少し誤解を招くと思うので二、三指摘しておきたいのは、教育で最も大事なのは理念です。理念のない教育などというのは最悪です。では、理念が明確になったときに、その理念を5年、10年先に実現するとしたら、その間は理念のない教育を子どもに授けることになる。そんなことは多分、清原委員も望んでいないと思うんです。したがって、理念が明確になる時点で子どもたちににわかな変化を求めないとすれば、方法論で1か月かけるのか、半年かけるのか、あるいは交流教育を含めながら段階的な移行を考えればいいわけで、問題は、理念を明確にすることによって可及的速やかな実現ということが大事なんだろうと思っています。
それから、2点目に、非常に気になるのは、私の認識する限りでは日本の教育委員会、自治体の活動も含めたら何千あるのか知りませんが、障害者のいわば代表とも言うべき教育委員が入っているのは例外的にたまたまあるとしても、制度的にはないと理解しております。そうであれば、現在、教育内容、教育方法、学校選択、すべてにおいて決定権を持っている教育委員会において、どれほどの障害のある人たちの意見が反映されているかということは、我々はやはり考えた上で、この制度論を論ずるべきではないかと思っております。
最後に、合理的配慮と特別教育の絡みでもありますけれども、私も盲学校出身者でありますから、盲学校の先生方を含めた先生方が一生懸命頑張っているということと、制度に問題があることを一緒にしたらいけないと思うんです。現実に今の特別支援学校、端的に言えば、盲学校の先生でありながら点字も知らない先生が半分以上です。こういう学校をつくり出している現実というものを私たちは絶対に許してはならないということは共通しているはずです。
そうであれば、制度というのは、過ちを犯さない制度にすることが大事なんであって、現状をどういう形で分析するか、まず、そこの点から出発すべきだろうと思っています。したがって、主人公はあくまでも生徒や子どもたちですから、子どもたちにとって必要な教育、そのために必要な合理的配慮という視点が大事であって、個々の先生方の努力や、頑張っておられるということが基本ではない。あくまでも個々の子どもたちに必要な合理的配慮というものをどう定型化し、ときにはどう個別化していくかということを制度的に確立しないと、個々の先生の努力だけでは解決するものではないと思っています。
以上です。
○ 藤井議長代理 今の合理的配慮の問題は、まさにその観点ですね。個人の意識やレベルに矮小化してはいけない。政策的にどう考えるかということは、全体に共通しますので強調しておきましょう。
関口さん、行きましょうか。
○ 関口委員 まず、事務局の方にお願いしたいんですけれども、私は意見を期限内に提出しているので、私の意見についてはきちんと資料に載せてほしいのと、それから、票数も後で数えてほしいんです。1票変わりますので、よろしくお願いします。
それから、総括的な話になりますけれども、私は大谷さん、尾上さんの言ったことに大体賛成なんですけれども、まず、基本法の部分で「能力及び障害の状態に応じ」と書いてあるんです。基本法のこの目的というのは、障害者及び障害児が、その有する能力及び適性に応じ、自立した日常生活または社会生活を営むことができることを目的としている自立支援法の目的とすごくよく似ているんです。だから、やはりそれはまずいんだろうと思っています。これはちゃんと書いてありますので、後で読んでください。どうせ挙がるでしょうから。
私が一番問題だと思っているのは、特別支援教育のところに書きましたけれども、多様な子どもたちが交流でき、多様なニーズに応じた教育の機会が提供されるべきだと考えております。これは養護学校時代の話ですけれども、普通教育の学校と養護学校がありまして、そこが高い高い金網で遮られているんです。何でそんなことをしなければいけないのか理解に苦しむわけです。
例えば、併設するんであれば、併設したところで子どもたちがお互いに交流できるということは少なくともあっていいはず。勿論、手話を勉強する方は手話を勉強するんだけれども、そうではないときは、健常者の子どもとともに遊んだり何かする。つまり、幼いときから、そういう障害を持った人が身の回りにいるんだということがわからなければ、健常者の教育にもよくないんです。ですから、そこが一番重要だと考えています。
ですから、合理的配慮の具体化というところでもって三者の合意形成と言っていますけれども、合理的配慮は障害児の意思及び保護者の意向を勘案して提供されるべきであって、合意形成は要らないと書いております。なぜかといったら、さっき言ったように、他の者との平等を基礎とした十分な教育を受けられるための必要な合理的配慮及び支援を保障する施策を行うのはパブリックの側ですから、これを行わないのは、合理的配慮が欠如したら差別ですから、そういうことがあってはならない。つまり、望むのであれば、必要な合理的配慮は学校施設は提供しなくてはならない。
例えば、私の仲間などでもいるんです。小学校のとき、全然合わなかった。いわゆる発達障害の部類です。そうすると、どういうことになったかというと、そのときは学校の教員の数が多かった。なぜかというと、いわゆる差別問題のところをやる特殊な学校だったんです。だから、人数の割に教員の数が多かった。それで対応できているんです。勿論、授業などはまともに出ていないんですけれども、ちゃんと卒業して、大学まで行っているということです。
そもそも教育というのは、その他のところに書いてありますけれども、個別に対するものであって、すべての子どもが障害のあるなしにかかわらず特別支援の対象だと思っています。その程度は勿論違うでしょう。教育における差別をなくすためにも、個々の子どもに対応できる体制をつくり上げるべきです。高次脳機能障害などでも、まさに今、普通学校から特別支援学校へと追いやられているような側面があるわけです。それで果たしていいのか。当事者が普通学校で学びたいと言ったときにどうするのか。それに対する必要な合理的配慮をするのがインクルーシブ教育だと思っています。
以上で終わります。
○ 藤井議長代理 大分盛り上がってまいりましたけれども、総理が来られましたので、私たちの推進会議のいわば親であります障がい者制度改革推進本部の本部長でもあり、勿論、総理大臣である鳩山総理から一言ごあいさついただけますか。
○ 鳩山総理大臣 お集まりの皆さん、こんにちは。盛り上がっているところを盛り下げてはいけないなと、そう思いながらあいさつに立たせてもらいました。
障がい者制度改革推進本部というものを昨年立ち上げて、その意味はおわかりだと思います。今もお話がありました、障害のおありの方々が差別のないお暮らしができるのは当たり前の話だと思っていて、政府もそのために一生懸命努力していると言いながら、障害のおありの方々には、やはり差別はまだあるんではないか、そのように思われてしまうような社会でとどまっているという現実。スピード感がまだまだ足りないと、そのように多くの皆さん方が思っておられると思う。そこで、私ども、新政権をつくらせていただいて、推進本部というものを立ち上げて、その中で推進会議を皆様方にこのようにお集まりをいただいて、積極的に議論させていただく場を持たせていただくことになりました。御協力、大変感謝をしておりますし、障害のおありの方々も多く参加をしていただいていること、何よりでございます。
皆様方の活動ぶりは、さまざま予算委員会などでも議論されているところでございます。発達障害の方々が含まれていないんではないかとか、いろいろと御意見もいただいております。一つひとつ学ばせていただきながら、皆様方にとって、特に障害のおありの方々に対して、この会議ができてから変わったねと、スピード感を持って政府も動いているねと、そのように言っていただけるような新しい政権でなければならないと思っています。会議は大いに結構。ただ、言いっ放しで終わってしまったということであれば、なおのこと、皆様方には御不満が残ってしまうだけだと思っております。そうならないように、皆様方の御意見をしっかりと学ばせていただいて、それを施策に反映ができるような、そんな政治をつくり上げていきたいと願っていますし、行動で示してまいりたいと思っております。
障害者の権利条約というものを日本においても堂々と批准していけるようにしていくために、国内法の整備もやはり大事だということで、皆さん方にも御議論をいただいているところだと思っております。クリアすべきところは早くクリアさせていただいて、今、申し上げましたように、差別のない日本の社会になったねと、国民の皆さん方がそう実感できるような社会をできるだけ早くつくり上げていくために努力を惜しまないで頑張っていくつもりでございますので、どうかこれからも更に活発な議論をしていただきたいと思います。
私の発言で盛り下がらなかったことを期待をして、更に会議を盛り上げていただければと思います。頑張ってください。ありがとうございます。(拍手)
○ 藤井議長代理 総理は大変お忙しい中で20分ぐらいいらっしゃるということなので、よろしくお願いいたします。
今日は国会からも民主党の議員さんが8名お見えになって、とても熱心に聞いてもらっております。
総理、今、このメンバーは24名でやっているんです。プラス1名オブザーバーです。私を含めて14人が障害当事者であります。いろんな配慮がされていまして、例えば、聴覚障害者に対しては手話があって、それから、要約筆記、更には磁気ループで補っていく。視覚障害者に関しては、点字の同じ資料を準備する。したがって、各委員は早目に資料を提出しないと点訳が間に合いません。それから、門川さんは目も耳も障害を持っていらっしゃいます。指点字という方式でコミュニケーションを取っている。そして、知的障害を持っている方には、人がつきながら支援をする支援員、あるいはルビを振っている。こんなことを配慮していきながら進めているということであります。恐らく、これ自体、日本の政策決定過程で初めの試みだろうと思うんです。
なお、全体、私たちは、スピード感ということもあるんだけれども、「ゆっくり早く」をモットーにしてやっていこうということで、議論はゆっくり、しかし、いい方向が出れば早くということも含めて考えていきたいと思っております。
なお、傍聴を含めて徹底して情報公開しようと。今日、傍聴者は20倍、5%しか当たらないんです。400名希望して、たった20名、幸運な方が来ています。
それ以外に、オンデマンドで、インターネットで映像配信をしている、あるいはCSテレビで同時中継をしているということで、極力全国にこれを発信していこうということでやっていますので、このこともまた知ってもらえばと思います。
さて、また議論を続けましょう。新谷さんの手が挙がっていました。それから、土本さんからも発言からも来ています。先に新谷さんから行きましょうか。
○ 新谷委員 新谷です。
総理がおられるところで発言できて、非常に光栄です。
先ほどから議論になっていますけれども、教育の場面でのコミュニケーション支援という問題というのは、大学とか専門学校になれば、文字どおりコミュニケーション支援の問題で解決して良いのですが、小学校とか中学校段階の子どものコミュニケーション支援という言い方は、私は当たっていないと思っています。特に小学校3年、4年ぐらいまでの聞こえない子どもに対してはコミュニケーション支援ではなくて、それは言葉の学習そのものの支援というよりも、教育そのものです。
新生児スクリーニングで大体1,000人に5人、0.5%ぐらいの子どもが新生児段階で聴覚障害を発見されています。その子どもたちは、学齢期全体で6万人ぐらいるわけです。そういう子どもたちでさえ全部が特別支援学校とか特別支援学級に行っているのではない。学齢前の聴力検査は今、60デシベルというかなり高いレベルで切っていますので、かなりの数の難聴の子どもが普通学校に流れているわけです。
普通学校では聞こえに関する配慮はほとんどなくて、入るならどうぞ、一緒に勉強してくださいという形で進められています。そういう子どもたちは聞こえがあいまいです。その子たちが書いた文章を見ると、本当にかわいそうな文章です。それはやはり聞こえていないので、あいまいな言葉のまま、国語、社会、算数、いろんなものを教わっているわけです。そういう子どもたちの言語力の問題をきちっと処理しないと、単なるコミュニケーション支援ではなくて、もっと専門的な、教育専門家とか、言語聴覚士のサポートを得て、きちっとした言語力の養成という形でテーマを絞っていただかないと、聞こえに困っている子どもたちの非常に大きな問題が埋もれてしまいます。是非そのポイントに配慮していただきたいと思います。
それから、総理がおられるんで、是非もう一点だけ補足させていただきます。この推進会議は、福島大臣から、きちっとした法的根拠を持った形での会議にしていきますという確約をいただいていますが、片方、今日のメインテーマの特別支援教育に関しても、文部科学省に特別支援教育の推進に関する調査研究会というのがあって、もう20何回、教育に関する議論を積み重ねております。その議論と、ここの推進会議との、今日も何時間が私たちは議論しますけれども、話し合った結果がどういうふうにクロスしていくのか、どういうふうに交わっていくのか。文科省の会議は非公開なので進み方がわからないのです。私たちの言っていることが本当に文科省の会議に反映されていくのかということが非常に気になっています。
いただいた資料を見ると、今後、障害者権利条約批准のための政府全体の障害者制度改革の検討状況を踏まえつつ、更なる検討が必要というふうに、報告書に資料が出てきています。その意味は、推進会議でのいろんな議論を参考にはするけれども、文科省の会議は独自に進めていきますというニュアンスを非常に強く感じます。そういう意味で、この会議が政府全体の施策になるという意味をもう一度考えていただいて、早急な法的措置をお願いしたいと思います。
以上です。
○ 藤井議長代理 それでは、土本さん、ここで御発言していただきましょう。
○ 土本委員 ピープルファースト北海道の土本です。
自分は小学校3年まで普通学級、昭和41年ですから、50年近くになるんですけれども、小学校4年から特殊学級に行かされた。分け隔てられてしまった。普通学級から特殊学級、特殊学級からまた分け隔てられていっている。その学校にいても、また違う場所に行けと言われて、二重三重にも分け隔てられてきました。自分たちも、どんな困難を抱えている運動かをよく知ってもらいたいし、同じに学びたいなと思っていたんだけれども、小学校4年から、中学校もそうなんですけれども、学ばなかった。そこの中では、ほとんど学習とかはなく、体力づくりとか作業をやっていた。詳しくは今日の資料に載っていますけれども、寄宿舎になると、入所施設に前になるんではないか、次になるんではないかということです。自分たちが合理的配慮もなく、ただ親とか、周りの人から言われて行ってきている状況です。どんな困難を抱えても、どんなことでも、本当に合理的配慮が必要だと思います。
以上です。
○ 藤井議長代理 総理、もう少しよろしゅうございますか。
○ 鳩山総理大臣 はい。
○ 藤井議長代理 まだよろしいということなので、堂本さん、お待たせしました。どうぞ。
○ 堂本委員 ありがとうございます。私も、総理のいらっしゃるところで、総理が盛り上げてくださったところでやらせていただいて、更に、今、必ず実行するということもおっしゃっていただいたので、期待をさせていただきたいと思っております。
学校教育法施行令第5条のことと、合理的配慮のこと、両方に触れたいと思います。学校教育法施行令の第5条のことですが、これは廃止すべきだです。そして、居住地域の学校の就学通知をすべての子どもが受け取る仕組みに変えていただきたい。学籍はその学校に置くべきであります。具体的には、すべての子どもがその学区の学校にとにかく通学することが前提です。
それから、就学の健康診断のときに、障害のある子どもについては物理的な障壁を取り除くこと、環境を整備するといった合理的配慮がどのような形で必要なのかということを検討すべきです。その合理的配慮に基づいた支援を相談する場として就学相談を活用する、そういう方法を取るべきです。認定就学者制度は廃止すべきと考えます。
結論としては、段階的にしかできないかもしれませんが、都道府県立の特別支援学校小中学部は解消して、市町村立の小学校、中学校に特別支援教室として移行していくことが将来の方向性と考えています。
そのためには、具体的に今の段階でどうすることが大事かと言いますと、今、大変人気のある通級指導教室、あるいは特別支援学級を特別支援教室に一本化して、特別支援学校についても、通級による指導の場として整備をしていただきたい。つまり、普通の学校にそうした特別支援の場をきちんと位置づける。そして、現行制度に基づいた形で法的な整備を行い、地域の学校で学ぶ環境をつくっていくことが大事だと考えています。
そうすることによって、今までは、普通学校か特別支援学校かを選択するために大変な苦労が親にもあったわけですが、こういう構造になれば、それがなくなるということです。そして、後期の中等教育、つまり高校になった場合は、都道府県立とか私立、または特別支援学校を選択することになる。
ただし、視覚障害教育、聴覚障害教育、虚弱児の教育については、病院に併設された場合などですけれども、現行の機能を維持する必要があると考えています。
そして、今日も先ほどから出ていますように、手話の先生も、点字の先生も、現場では大変に足りません。専門家の教育もなされていないというのが現状です。そこで、言語聴覚士のような専門家を常勤の形で配置する制度をきちっとつくり上げていただきたいと思います。
それから、先ほど竹下さんからも御発言ありましたけれども、緊急に訓練をして、点字の先生、手話の先生、特に手話は幾つも方法があると伺っていますので、どのようにしてきちっと手話を教えていくかということを位置づけることが必要だと思います。
本当に地域の真ん中に障害のある子どもたちを置いて、みんなで育てていく、そういった理念の基に学校の制度を組み立てていただきたいと思っております。どうもありがとうございました。
○ 藤井議長代理 手が挙がっていますが、論議をしていく必要がありますので、教育形態や、特別支援学級等あるんですが、大谷さんは、障害児であっても、一旦は普通学級、通常学級に学籍を置くべきだと申されました。東京都は副籍といって、主に置きながら副もある。埼玉の場合には支援籍というんですか。つまり、学籍というのはどうも根幹らしい。この置き方に関して、もし御意見あったら伺っておきたいんですが、いかがでしょうか。
○ 堂本委員 今、申し上げました。
○ 藤井議長代理 堂本さんはわかりました。ほかの方の御意見です。
関口さん。
○ 関口委員 プリントアウトされていないので。私は一元化すべきと書きました。
○ 藤井議長代理 佐藤さん、どうぞ。
○ 佐藤委員 一元化というのが、普通学校、普通学級だけでの教育に限定するという意味であれば、個別のニーズに応じた特別な支援という点で弱点ができるので、全員が、障害児も含めて地元の普通学校に学籍を持つということを基盤、前提として、本人、保護者の希望によっては、ほかの教育の形態も選択で支援を受けることができる、その場合に、第2番目の学籍が必要なのかどうなのかというのは専門的によくわかりませんけれども、いずれにしろ、そういう仕組みにすることが、この構成員の中で大体の合意になっているのかなと、この文章などを見ると伺われます。
確かに日本の障害児教育をめぐっては、今まで大きな意見の違いがあったわけですけれども、今、障害者権利条約というのを我々が持って、それに即してどうかということを皆さんが考えているので、そんなに大きな意見の違いがない。地元の地域社会の中の普通の子どもとのインクルーシブな教育を基盤としながら、プラスアルファで個別の支援も希望によって保障するということかなと思うんです。
今まで日本の障害児教育というのは、全く何もなかった時代、学籍も取れない時代が長くあって、しかし、その後、全員就学が保障される、しかし、それは特別な場でという時代が長くあって、今、権利条約に基づいて、地元でほかの子どもたちと一緒に学ぶことを基盤にしてという第3の段階に入りつつあるんだろうと思うんです。ですから、特別支援教育を否定しているわけではなくて、その成果を地元でほかの子どもたちと一緒に学べるようにするという発展をどう図るかが課題です。しかし、それは普通学校の中に相当な資源を投入しないとできないことです。
私立の特別支援学校連合会の関係者の提案によれば、今の普通学級の1学級を2つに分けて20名定員にして、かつ各教室に2人ずつの教員を置くということですので、普通学校の先生方が4倍に増えるということが少なくとも必要だと。それにプラスして、車椅子用のトイレが使えないような重度の肢体不自由者がいっぱいいたり、あるいは給食なども何種類もの流動食を用意しなければいけないとか、あるいは医療的な管理だとか、いろんなことがあるので、相当予算もかかる。その点で総理が実行するために頑張りますと言ってくれた、予算面でも頑張ってくれるということで、大変心強いと思うんです。
いずれにしろ、今、特別支援学級でも3割の教員しか専門資格を持っていないということですので、一般の教室ではほとんどゼロに等しい状況です。こういう現状において大学の教育のところからきちんとやっていくということになると、5年も待てないと竹下構成員は先ほど言いましたけれども、時間軸を置いて徐々にやっていくことが必要になってくる。ですから、まず養護学校を潰して、徐々に普通学級を充実していこうということではなくて、普通学級、特殊学級を充実するということを前にまずやって、生徒、保護者を犠牲にするのでなくて、選択を実質的にできるようにした上で養護学校をなくしていく。あるいは、今、1,000校あるわけですので、1,800の自治体の2つに1か所ぐらいはあるわけですので、これを更に分校などにして市町村におろしていく、特殊学級に組み替えていくということを後にやるというような、そういう計画的な取組みが必要なのかなと思います。ちょっと長くなって失礼いたしました。
○ 藤井議長代理 総理はもう時間がオーバーしていますので、これで退席しなくてはいけません。総理から一言、最後に。
○ 鳩山総理大臣 熱心な議論をいただいてありがたく思いますし、もっともっとこれからも議論が続くことだと期待をしています。
今、佐藤さんのお話を伺って、教員の数を増やす、その予算が必要だと。その予算も確かに大事だと思いますが、佐藤さんのお隣におられる三鷹の清原市長さんがなさっておられる新しい公共という発想の中で、例えば、小学校、中学校などにもボランティアの教員をリザーブをして、必要なときにボランティアの教員に頑張っていただくことによって、私は更に幸せというものをお互いに享受できるような社会をつくることも可能だとも思っています。お金を出さないと言っているわけではありません。そういうことではなくて、もっとお互いの幸せというものを高めるやり方は、必ずしも補助金みたいなもの、あるいは予算を政府がつければ済むというものだけとは限らないということは申し上げておきたいと思います。
余り一つひとつの話を申し上げるつもりはありませんで、このような会議体がいろんな配慮をされているということは大変感銘深いことではあります。ただ、これが特殊なのではなくて、こういう配慮が通常なされるような社会にしなければいけない。これが変わっているんだとか、特別だということになると、まだ差別的なことが残っているということだと思っておりまして、今日のこういう会議がむしろ、あらゆるところで見られるような、そんな日本の社会を築いていくことが必要なんだなと、そのように感じたところであります。
時間の関係でどうしても失礼しなければなりませんが、これからもどうぞ大いなる議論を展開をしていただきたいと思いますし、その中で、私ども、積極的に役割を果たしていきたいと思っておりますので、どうぞ皆さんも頑張っていただきたいと思います。今日はありがとうございました。(拍手)
○ 藤井議長代理 総理、大変ありがとうございました。
(鳩山総理大臣・泉政務官退室)
○ 藤井議長代理 それでは、引き続き議論を継続してまいります。
お手が挙がっていた長瀬さん、御発言いただけますか。
○ 長瀬委員 ありがとうございます。東京大学の長瀬です。
2点だけ簡潔に申し上げたいと思います。先ほど佐藤委員からも紹介のあった点ですけれども、この構成員になって以来、いろいろな方からいろいろな情報や御意見を寄せていただいて、大変ありがたく思っています。特に教育については、教育の現場の方から、フルインクルージョンを支持するという心強い意見を頂戴しました。先ほど御紹介のあった私立特別支援学校連合会という、私立の特別支援学校の皆様からです。
竹下委員からお話のありましたように、私たちの教育の方向性がどちらにあるのかという点が一番肝心で、そこに向かったときに具体的にどういう問題があるのか、課題があるのか、それを明らかにしていって、それに取り組んでいくことが非常に大切だと思いますので、教育の専門家である皆様が持っている、そして培ってきた障害児教育の専門性を地域の中で生かす方向性を示していただいて、非常に高い見識をこの御意見から感じさせていただきました。
2点目は、これは鳩山総理がいらっしゃるときに話したかったところなのですけれども、日本の障害児教育と教育全般の明確な方向転換ということ、つまり、教育の選択権をこの障害者の権利条約の批准を期に、是非実現しなければならないという点で、それは日本国内だけの課題ではないと思っています。
1990年代の前半にウィーンで、国連の障害者の機会均等化に関する基準規則という、今回の権利条約の前の国際的な基準が策定されていたときに、私は国連職員としてちょうど現場におりました。日本政府は分離を原則とする当時の文部省の立場を非常に強硬に主張し、機会均等基準に反映させることに成功したのは今でも語り草になっているとおりです。
今回の障害者の権利条約の交渉過程では、文部科学省のロビーングは非常にソフトなものになりましたが、それでも2006年前半まで、条約交渉の本当に最終盤まで、現在の条文のインクルーシブ教育には反対という立場で動いていたことは周知のとおりです。日本のそうした立場は、幸いなことに世界の中で賛同を得ることはありませんでした。この障害者の権利条約の批准に向けての取組みを是非チャンスとして、インクルーシブ教育実現に向けて生かすことが、日本のみならず、国際協力を通じた、世界にとって大切なことだと思っています。
なお、私の意見書の最後で文部科学省の機構改革にまで触れさせていただいたのは、新しい酒は新しい革袋に盛れという趣旨ですので、御理解をいただければ幸いです。ありがとうございます。
○ 藤井議長代理 久松さん、大濱さんの順番で発言していただきます。では、久松さん。
○ 久松委員 全日本ろうあ連盟の久松でございます。
もっと突っ込んだ議論をしたいと思っております。まず、教育の専門家が少ない、またはいないという意見が出たと思いますが、教育の専門家という言い方の意味はどのような意味かということについて、もう少し議論が必要だと思っております。といいますのは、ヨーロッパ、アメリカの教育の専門家と言われている人を見ると、障害を持つ当事者が非常に多いわけです。日本の場合には、教育の専門家と言われている人の中に障害を持つ当事者が非常に少ないという現状にあります。アメリカ、ヨーロッパのろう学校の校長先生、特にアメリカのろう学校の校長先生は、耳の聞こえない方が多いわけです。翻って日本のろう学校の校長先生は、耳の聞こえない先生は1人もいないという現状にあります。専門家と言われるほとんどの人たちが障害を持たない方で、その方たちが中心で議論をしている。障害を持つ当事者がそこに参画できない、これが今までの歴史を振り返って反省すべきことではないかと思っています。それをこの場で申し上げたいと思っております。
2つ目に、「特別支援教育」という言葉が適切かどうかの議論も必要だと思っております。といいますのは、私自身、ろう学校の経験者ですが、ろう学校から地域の学校に変わりました。地域の学校に変わったときに、「よかったね、あなたは普通の人になれた」という言い方をされました。
この会議の場でも、普通学校、普通教育、「普通」という言葉が当たり前のように議論の中に入ってきますが、私には非常に違和感があります。ろう学校にいたときに、地域の学校は普通の学校と言われて、それが当たり前のように感じてきた。我々がろう学校に住んでいたときは、普通の人ではないという意識になっている。そういうことで、非常に劣等感を感じ、また、それを持ちながら育ってきた、そういう環境、背景にあったわけです。普通学校、また、普通教育という言葉の使い方は本当に適切かどうか、議論が必要ではないかと思っています。
次に、「特別支援教育」という言葉にこだわっておられたようですが、私はろう学校の教育を受けた経験があることから出発しておりますが、ろう学校では手話でコミュニケーションができない先生もかなりおられます。私たちから見ると、ろう学校の場で特別支援が必要なのは子どもたちではなく、学校の先生ではないか。先ほど竹下委員からのお話にもありましたが、なかなか子どもの目線での議論がしにくいところが多いと感じます。ろう学校にいたとき、外を見ると一般の人、ろう学校にいると特別な人という分け方、言葉の使い方でいいのかどうか。翻って言えば、特別支援という教育についてはもっと議論すべきです。
今、特別支援教育制度の導入の過程で「ろう学校」の名前が消えてしまっているという状況があります。聴覚障害特別支援学校という名称変更になっておりますが、自分がろうであるという誇り、アイデンティティーを持ちにくいという状況がつくられています。そういう環境の中で特別支援教育を受けるような状況をつくるということはおかしいのではないか。ろう学校という名称がなくなっていることを非常に寂しく思い、ただ、これも教育行政の中に、ろう学校教育の必要性を感じている方、例えば、私が受けたろう学校のある県の特別支援教育課長はろう学校の経験があり、ろう教育の必要性をよく理解されているので、ろう学校という名前をなくさない、特別支援学校という言葉を使わないと言っておりました。ですから、本当に専門家というのは何なのかということを改めて議論していただきたいということを、あえてこの場で提言したいと思います。
○ 藤井議長代理 大変根源的なお話で、恐らくここにいる方たちは言わずもがなで、専門家というのは事の本質を知っている人とすると、今、言われている専門家という方々は本当に事の本質を知っているんだろうかという疑問です。これはまた是非、今後、議論を深めていく必要があろうかと思うんです。
時間も余りないんですけれども、大事なことなので、大濱さんと北野さんが手を挙げていますので、この2人でこのコーナーを終わります。大濱さんから、いかがですか。
○ 大濱委員 大濱です。
まず、学籍一元化の件ですが、これにつきまして、分離については、普通学級という中でまず一元化をするという在り方が基本なのではないか。その上で、何か特殊な支援が必要な障害のある子どもたちに対して、どういう支援が必要なのか、そういう個々の特性を別途精査して、支援が必要な場合には、本人や親が希望するところで、希望に沿った支援を行うという在り方でないと、インクルーシブな教育ということになり得ないのではないかというのが第1点目です。
あと、私の周りで実際に何件か相談がありました。何点かあるんですが、その中の1つとして、教育委員会から特殊学校に行きなさいということでしたが、その子ども両親も保育園、幼稚園の通園時の友達と一緒の学校に行きたいという事でした。従って、特殊学校にどうしても子供を行かせたくたくないという親御さんが教育委員会に話しに行きたいという相談があって、教育委員会に一緒に話し合いに行きました。普通学級に行くということを何とか認めてもらったんですが、その後段で、学校に通学する際の送迎は、教育委員会では面倒を見られないから、それはそちらでやってくださいねということでした。これは、義務教育の現場でさえ合理的な配慮がなされていないという現状が今ある。明らかに差別的な状況があるのが現状なのではないか。
千葉県で、3歳ぐらいで交通事故に遭って重度の頸髄損傷になった子が普通学校に行くときに、やはり同様な問題事例がありました。要するに、この児の場合は呼吸器をつけて学校に通っていました。その場合、親御さんがずっと学校一緒に行って、痰の吸引とかを全部していたわけです。今、小学校6年になって、つい最近も中学校に行くというような連絡が来ていますけれども、すごく元気で、皆勤賞で、学校を休まないんだということで頑張って学校に通っているお子さんです。これも全然合理的な配慮がなされていないというのが今の教育現場だと思います。
先ほど竹下委員から話があったように、どれぐらいの早さで合理的な配慮がなされる制度という形に持っていけるか、分離がないような教育、インクルーシブな教育に持っていけるかというのは非常に大切なことなんで、是非ここら辺のスピード感をきちんと持ってやってもらいたい。
以上です。
○ 藤井議長代理 さて、時間が迫ってまいりましたね。北野さんで一旦このコーナーは終わりましょうか。森さんも手が挙がっていますか。では、お2人。少し時間を短縮して発言してください。
○ 北野委員 北野です。
土本さんや大濱さんの御意見との関連で少し意見を述べさせていただきます。私はアメリカの障害児・者の差別とか支援の研究をしておりますけれども、アメリカの分離教育に基づく差別の問題の原点は、よく御存じの黒人に対する強制された分離教育の問題であります。これに関する有名な1954年のブラウン判決の494項でこのように述べております。このような強制された分離教育の制度は、分離された人たちの劣等性を意味すると見なされている。この劣等性の感覚は子どもの学ぶ意欲に影響を与えるとあります。私は、学ぶ場を強制的に分離することによる影響は、障害児教育の場合においても存在していると考えております。更に、このことは、国民、市民の基礎的な社会性、国民性の形成にまさに寄与すべき義務教育において、国民、市民としての共同性、社会性の形成、市民的・共同的同一性のアイデンティティーの形成に関して非常に由々しき問題をはらんでいると考えております。以上です。
○ 藤井議長代理 では、森さん、お願いします。
○ 森委員 私は、教育につきましては、まず、分離別教育制度そのものを根本的に見直した方がよろしいんではないかという気がしております。実は私は、第1回目のときにお話しいたしましたけれども、障害者の行政を大分やってきました。一方においては、重度の知的障害を持った子の親でございました。自分の仕事と比較しながら大分やって苦しんできましたが、最初に、自分の子どもが知的障害かどうかということが大変心配で、いろいろなところに相談しました。学校に行く段階になりまして、一応、普通学校へ行きました。普通学校へ行っても、その当時は、40年代でございますので、ほとんど教育的な配慮をしておりませんので、子ども1人だけの姿。それで、だんだん考えているうちに、やはり養護学校へ入れた方がいいと親は判断しました。中学卒業間際になりまして、地域で福祉作業所みたいな授産ができました。そのときになかなか入れない。私は東京都にいまして、実際問題として、そういう施設もみんなやっていましたから、この施設をうまく利用した方がいいということを考えて、学校をやめさせて行きました。つまり、知的障害などの場合であれば、ライフステージがいろいろあると思うんです。学校は一時期なんです。卒業した後のことも考えなければならない。そういうときに、子どもなり親に選択権を与えないということはあり得ないということを考えております。
一方、その当時、47年だったと思うんですが、御案内のとおり、知的障害の学校へ行けない子どもの通園施設がありました。これは、文部省と厚生省で話し合って、32年にできた制度です。そこに入れたのは、就学猶予、免除を取った中軽度の子どもしか入れない。そこで、重度の子どもを入れようという話があったときに、職員も反対、親も反対しました。なぜか。重度の子がいたら教育できない、そういう反対でした。そのところで私が担当だったということです。8時間以上話し合いまして、ついに親御さんも納得しました。これは、重度の障害を持った人たちに対して、中軽度の人たちの差別なんです。そういう話から実は出発したんです。
東京都の場合、49年に全員就学やりました。ものすごい運動をやったわけです。国の方は54年です。その子どもたちを受けるために、教育庁の人は大変な思いをしたということだったんですが、そのとき私が思っていたのは、今はいい。ただし、いつか将来、地域の学校にみんなが入れるようなシステムにすべきだろう、少なくとも選択権は与えるべきだろうと、そういう思いがありまして、実は、この話も、話をしようかどうか、私個人は悩んでいたんですけれども、やはり一人ひとりを幸せにする、権利条約の根本は人間の尊厳だと思うんです。尊厳のキーはやはり選択権だと思うんです。そういう面から私は教育というものを考えていただきたい。
以上です。失礼します。
○ 藤井議長代理 教育はいっぱいあると思うんですが、冒頭に清原さんがおっしゃったかな、これにつきましては、後でまた東さんから提案があると思うんですが、ヒアリングということで、主務官庁である文科省、関係団体、その先には部会設定等もありますので、そこにつないでいくというとこで、今日の議論を出発点にしていきながら、今後、もっと深めていこうと考えておりますので、今日の段階では一旦これで打ち切ります。
続きまして、障害の表記に入ります。これに関しては、東室長、それから、内閣府の齊藤企画官からお話しいただきます。まず、東さんからお願いいたします。
○ 東室長 東です。
障害の表記に関する御意見は、資料3という形でまとめてあります。これに基づいて御説明申し上げます。
障害の表記の在り方については、昨年の12月8日、障がい者制度改革推進本部を設置した閣議決定の第3項において、今までの法令における障害の表記の在り方に関する検討を行うことになっておりまして、第4項に基づいて、本部から、障がい者制度改革推進会議に対して意見が求められているところであります。
まず初めに、各委員の御意見ですが、まず「障害」の表記の在り方については、表記の見直しについて消極的な意見、慎重に行うべきとの意見が、大久保委員、大谷委員、大濱委員、尾上委員、門川委員、新谷委員、中西委員、長瀬委員、久松委員、関口委員から出ております。積極的な意見としては、委員、清原委員、佐藤委員、竹下委員、松井委員、森委員。当事者が判断すべきことであるという御意見が勝又委員、堂本委員から出されております。
また、「がい」「碍」につきましては、どちらも適切ではないという意見が大久保委員、大谷委員、尾上委員、門川委員、委員、竹下委員、堂本委員、中西委員、久松委員、森委員、関口委員から出ております。「がい」がいいという意見が、勝又委員、松井委員の各委員から出されておりますし、「碍」がいいという意見は、佐藤委員、新谷委員から出されております。
更に、選択肢を広げるという意味で、常用漢字表に追加すべきかということにつきましては、直ちには賛成できないとする意見が、大谷委員、尾上委員、勝又委員、門川委員、委員、新谷委員、堂本委員、久松委員、松井委員、森委員、関口委員から出ておりますし、賛成するという意見が、佐藤委員、竹下委員、中西委員から出されております。
また、「障害のある人」もしくは「チャレンジド」という表現があるわけですけれども、「障害のある人」については好意的な意見が多く、「チャレンジド」を推す意見は少数でした。どちらへの言い換えも不要という意見も多数出されているところであります。
平仮名で「しょうがいしゃ」とすべきとの意見が土本委員から出されております。
各委員からいただいた意見の概要は以上なんですが、皆さんのお手元に資料1ということで、「『障害』の表記の在り方に関係するスケジュール」という表題の資料が配られているかと思います。この資料を基に、齊藤企画官から若干補足説明をいただきたいと思っておりますので、齊藤さん、よろしくお願いします。
○ 齊藤企画官 企画官の齊藤でございます。
資料の補足説明をさせていただきます。まず、資料1の1ページ目をごらんください。「障害」の表記の検討に関係する動きといたしまして、現在、文化審議会国語分科会漢字小委員会におきまして、常用漢字表の見直しの作業が進められてございます。今後、国語分科会での答申の案の決定を経て、分科審議会から答申が出され、その後、改定常用漢字表が内閣告示として出される見込みとなってございます。
なお、この常用漢字表は、昭和56年に制定されまして、今回、約30年ぶりの改定でございます。新聞報道や議事録などによりますと、本年5~6月ごろに答申が出され、秋以降に内閣告示というスケジュールで作業が進んでいるようでございますが、現在の国語分科会でとりまとめております改定常用漢字表に関する試案には、追加実施候補として「碍」は含まれてございません。ということで、文化審議会の答申や内閣告示に向けて障がい者制度改革推進会議としての考え方を発信するかどうか、御議論をいただく必要があるのではないかと存じます。
次に、次のページの資料2をごらんください。これは委員の皆様方よく御存じのことと思いますが、これまでの法令における用語の整理を行った例を御参考までにお示ししてございます。
最後に、資料3をごらんください。これは、現行法令において、どのくらい「障害」及び「障害者」という用語が使用されているかを、政府部内の検索システムを使って機械的に試算したものでございます。法令上のこれらの表記を改める場合には、まず、改正する範囲の考え方、例えば「障害物」や「電波障害」など、同じ「障害」という文言を使用している別の分野の用語の扱いについてどう考えるかなどを整理した上で、それに基づき、すべての使用箇所を精査して法案に落とし込むなど、膨大な作業が必要となってまいると思っております。
資料の補足説明は以上でございます。
○ 藤井議長代理 これは合わせて30分弱になりますけれども、あと20数分間議論してまいります。いかがでしょうか。
竹下委員。
○ 竹下委員 私は、結論的にどの表記がいいかということは、いろんな意見があっていいと思うんですが、この議論を通じて2つのことを共通認識にすべきだと思っています。1つは、なぜこの表記を議論するかということだと思うんです。この表記が表面的な議論ではなくて、この議論を通じて、まさに教育であろうが、権利であろうが、差別であろうが、日本の制度であろうが、そのすべての根本にかかわってくるという認識が大事だろうと思っています。なぜかと言えば、この「障害」あるいは「障害者」という表記を議論することの中身は、結局のところ、日本における障害者に対する理解、あるいは障害者というものの定義がそのまま国民の意識にも、ときには障害者自身の自覚にも、すべて反映してくるほどの大きな意味を持つというところから議論すべきだろうと思うというのが1点目です。
もう一点は、この表記そのものを変えていくときに、どういう狙いでもってそれを議論するのか。すなわち、その表記を変えることによって何が変わるのか、何を変えようとしているのか。国民の意識もそうでしょうし、制度もそうですし、あるいはニュアンスやイメージ的なものがあってもいいと思うんですが、そういう意味では先駆的というんでしょうか、そういう議論でなければならない。しょせんは「障害者」という言葉が、私は歴史を勉強しておりませんが、明治以降の言葉であるはずでありますから、江戸以前に障害者という定義があったとは到底思えない。「めくら」はあったとしても「盲人」すらなかったわけですから。そういうことから言えば、100年を長いと見るか、短いと見るかはともかく、そういう歴史は頭に置くにしても、その言葉によって生み出されてきた日本における差別概念であったり、言葉によってもたらされてきた制度というものも我々は頭に置いて議論すべきだろうと思っています。以上です。
○ 藤井議長代理 かなり本質の話で、今の竹下さんの2つの論点、何のためにこの議論をしていくのか、どういう方向に向かっていくのか、まず、これに関する御意見をいただきましょう。
佐藤委員。
○ 佐藤委員 私も今の竹下委員の考え方というか、提起に全く賛成です。変えようという目的なんですけれども、障害者権利条約で障害の考え方が大分変わったわけです。障害者というのは、いろんな種類の機能障害を持って、環境の障壁との相互作用の結果、社会参加が妨げられている人のことであるという考え方。環境との相互作用という考え方が示されたのですが、しかし、多くの人々の理解の現状は、個人の特徴だということにとどまっている。障害者自身でも、そういうふうに思っている人も少なくない。そういう状況を変えて、環境との相互作用としての障害、障害者を見る。環境を変えることによって、差別もなくなるし、仕事にも参加できるし、教育にも参加できるんだという、障害との取組み方ということも変える可能性が開けるということだと思います。
そういう大きな目的を持った名称の変更であるので、推進会議で適当な名称に決めて、明日から法律を改正して一斉に変えるというようなやり方ではなくて、一定の期間、障害当事者からのアンケートを取ったり、マスコミなどでもいろいろ議論を呼びかけていただくなり、障害者団体などでもいろんな提案をするなり、あるいは地方の障害者施策推進協議会などでもいろんな意見を挙げてもらうなり、1年とか2年くらい時間をかけて、みんなで議論をする、特に障害当事者がどういう言葉がいいと願っているのかということを明らかにする、そういうプロセスが非常に大事なんではないかと思います。
以上です。
○ 藤井議長代理 大谷委員。
○ 大谷委員 ほぼみんなと一緒なんですけれども、目的は共通だと思います。障害者に対する差別をどのようにしたらなくすことができるかということで、表記の問題も含めて検討するという目的に関しては一致している。ただし、このことに関しては、「害」という文字を変えた方が差別がなくなる、もしくは差別をなくすチャンスになるととらえる人と、表記だけの問題にされたくないということで、「害」は「害」として残すべきだという強い意見もある。この2つは正直申し上げて平行線のように思います。いろいろ意見を聞けば聞くほど、同じ目的を持ちながら、どのようにして差別をなくすかということにおいて、かみ合わないと思います。
ですから、今日配られた内閣府の資料が、何か数字だけで出されましたけれども、統一的に法律の文言から「害」を全部変えるということになると、とても大変なことだという意味で出されたのか、意味がよくわからない。この数字が簡単なことなのか、重いことなのか、趣旨も含めて、どういうふうにとらえたらいいのか。我々が着手しようとしていることが、費用というか、かなり膨大な作業があるんだと言われたのか、大丈夫よという趣旨で言ってくださっているのかもわからないので、意味を聞きたいと思います。
○ 藤井議長代理 齊藤企画官。
○ 齊藤企画官 最後の資料ですけれども、特に膨大な作業があるから大変だとか、逆に任せてくれと、どっちの意図でもございませんで、そもそもこの議論をしている法令等における「障害」の表記を検討する上で、どのぐらいの範囲のことを検討していただくのかをわかっていただきたいという趣旨で出したものでございまして、特に意図はございません。
○ 藤井議長代理 私はやはり大変だなというイメージを持ってしまった。
○ 大谷委員 大谷です、ごめんなさい。
この法律は「がい」、この法律はこのままというふうに分けるともっと大変なんですか。そういうことはできないんですか。
○ 藤井議長代理 齊藤企画官。
○ 齊藤企画官 正直言って、まだ作業を精緻にやっておりませんで、どのぐらい、どういうふうに使われているのかの見当がついてございません。要は、障害者と関係のあるであろうボキャブラリーだけ変えるといった場合に、これは関係するのかどうなのか、それは一つひとつの法令の箇所を確認しないことには、なかなか判断がつかないと思ってございまして、正直言って、どのぐらいの作業になるのか、まだわかっておりません。申し訳ないです。
○ 藤井議長代理 一般的には当然分けて考えなければおかしいでしょうね。
では、門川委員。
○ 門川委員 門川です。
私も竹下委員の言われたことと同じで、正直、この「障害者」という表記を変えたいという趣旨がよくわからないのですね。「害」というのが特別難しい漢字だとは思わないし、「害」という字がマイナスイメージを与えているのであれば、「障」という漢字も同じだと思うのです。「聾唖者」の「聾」の字は難しいので平仮名にしているということはわかりますが、「障害者」はそれほど難しい漢字でもないし、マイナスイメージには、どの単語を取っても、障害者関係のボキャブラリーはマイナスイメージを私自身は持っています。
例えば「盲ろう者」にしても、これは盲人であり、ろうあ者である、全く見えず、全く聞こえない人というイメージがありますけれども、盲ろう者イコール全盲ろうとは限らない。いろいろな障害レベルの人がいるわけですね。もともと盲ろう者は、私自身、マイナスイメージを強く持っていました。今はそれはなくなってきています。というのは、盲ろう者自身が比較的、積極的に社会に出ていくようになってきているという現実があるからです。
「障害」という漢字の表記を変えたいというのには、障害者に対する社会の見方とかがあるのではないかと思います。この「障害者」というイメージがプラスのイメージに変わっていけば、今のままでもいいということに落ち着くのではないかなとも思ったりしています。
以上です。
○ 藤井議長代理 中西委員、手が挙がっていますのでね。時間がないので少し短目にしてくださいね。
○ 中西委員 中西由紀子です。
障害の表記に関して、私も今のままで構わないと思います。というのは、今、問題になっているのは、先ほど教育のところでも発言があった、障害者が通う学校は特別で、劣ったもので、それに対するものとして一般の人が通う普通校があることと同様に、つまり、普通でないものの対極に障害があるというような考え方で考えられていることです。これと同じように、障害者に関しても、そうではない人は健常者と呼ばれている。つまりその対極にある障害を持っている人は健常ではない、普通ではない、おかしいのだ、劣っているのだという形で障害者が言われているから、そこに問題があるわけです。だんだんと普通とか、健常とか、そういう言い方を変えていく、また、障害に関する、その対極にあるのではないという意識があれば、障害者という表記は今のままで問題ないし、逆に社会を変えていくことで、これを問題ない存在としたいと思っています。
○ 藤井議長代理 清原さん、久松さん、関口さんの3人で議論を打ち切ります。では、清原委員。
○ 清原委員 ありがとうございます。清原です。
障害の表記に関する意見の4ページに私の意見は書かせていただいておりますが、私は、市長になりましてから、障がい者の皆様の基本的人権を尊重し、差別をなくすという趣旨で、障害者の表記について、その時点では「害」を平仮名とすることを提案し、議論し、関係する条例など500数十か所に使われていた「障害」という字を平仮名の「障がい」という表記に変える提案に市議会の全会一致をいただきました。
先ほど竹下委員がおっしゃいましたように、何のために表記について議論するのかと言えば、この障がい者制度改革推進会議において、まず、検討すべき対象である障がい者制度の障がい者という表記そのものもきちんと議論をして、そして何よりも差別をなくし、基本的人権を限りなく尊重する制度にすべき1つのあらわれとして議論する意義があると考えています。障がいのある方が、表記について、漢字についても、このままでよいという方もいらっしゃいますし、いや、変えるべきだという方、両方いらっしゃいました。
また、音としては「しょうがい」に変わりはないわけですから、それにつきましては、今まで障がいのある方がさまざまな支援を必要としてきたことも事実で、そのことをきちんと継続する意味でも、音としては「しょうがいしゃ・しょうがい」という表現にしたところです。
私は、今回もこの制度改革推進会議で、障がいのある当事者の方を含めて、この表現について、まずは議論をし、その中で結論が今すぐ出なくとも、その表現に込められている、あってはいけない差別をなくすという思いを確認するという手続は必要ではないかと、改めて、今までの委員の皆様の発言から感じたところです。表現を変える場合、必ずしも手続は難しくないと思いますし、三鷹市の事例からもできると思いますから、それは自由な議論をしていただければと考えています。
以上です。
○ 藤井議長代理 久松委員。
○ 久松委員 全日本ろうあ連盟、久松です。
先ほど門川委員から、盲ろうの「聾」の漢字が難しいというお話が出されました。皆さん、「聾」という漢字が書けるどうかわかりませんが、実は非常にかっこいい漢字なんです。龍の耳という漢字です。龍と書いて、その下に耳と書く。非常にかっこいい漢字なのです。ただし、この漢字が書ける方が少ないので、私どもろうあ連盟は「ろうあ」を平仮名で使っています。もし載せるのであれば、常用漢字表の中に入れていただければありがたいと思っています。積極的に普及を図っていただければうれしいです。
私たちは障害者という手話表現をいたしますが、日本語表記の議論はいろいろありますが、私たちの中でも、手話表現を変えるかという議論をするかと提案いたしましたが、議論になりませんでした。手話で「しょうがい」(手話表現)とこうやります。ごらんいただけますでしょうか。両手でグーをして「折る」、そして「人々」、とやります。日本語がどのように変わろうと手話は変わらない。見えない方には大変失礼かと思いますが、この手話の表出は変わることがありません。
もう一点、私どもは「障害」という言葉を使うことに対して抵抗はありません。というのは、今の社会の中において、障害者と呼ばれている存在、障害者と呼ばれている立場が存在するということを自覚し、今の社会を変えようという考え方を持っているからです。ですから、特に「障害」という言葉だけを取り上げ、変えるかどうか、どう表出するかということではなく、今の社会の中において、障害者に対する差別的な、または偏見をなくすということを非常に重く見ており、無理に表記は変える必要はないとあえて申し上げたわけです。
以上です。
○ 藤井議長代理 関口さん。
○ 関口委員 変える必要はないと意見書には書きましたけれども、変わった例を2つほど。例えば「精神分裂病」が「統合失調症」になりました。これは少しはいい方向に、雰囲気的にはなっていますけれども、プロの方は「統失」と呼ぶんです。これはほとんど「分裂」というのと同じ意味合いで使われています。ですから、そういうふうにまるっきり単語を変えてしまうのであれば少しは意味があるかなと思いますけれども、漢字をどうこうというのは、漢字を変えればいいのかというのが1つあります。
それから、もう一つ、精神病についてですけれども、英語表記は person with disabilityも、disabilityですから、何かできない人ということですけれども、英語表記でもって精神病のことを脳病という表現をする場合があります。これについて、どっちの方が差別されるかという実験をやった結果があります。驚くべきことに、脳病となると、遺伝的、あるいは生物学的な欠陥です。こちらの方が差別が強いんです。ですから、一般の社会の人が考えて、よかれと思って脳病と呼んだら、かえって差別は強くなった。これは英語圏での事実ですけれども、そういうのがあります。
ですから、僕らとすれば、もしこれが本当に社会モデルであるんだとするならば、障害を被っているという意味で「被障害者」ということを提案したいと思います。その他の提案があるかという質問があったんで、僕らは「被障害者」と提案したいと思います。そうでなければ、「しょうがい」という単語そのもの、発音そのものが変わるような何かを生み出す必要がある。つまり、差し障りがあって、石の前で迷っているみたいな話ですから、結局、変えたところで、悪いのは変わらないんです。そこのところは、漢字を変えれば済むのかというところで考え直した方がいいと思います。
○ 藤井議長代理 佐藤さん、どうしてもですか。では、短目にお願いします。
○ 佐藤委員 旅人が道の前に大きな石がおっこっていて前に進めなくて困っている姿を描いたのが「碍」の本字だと言われているわけです。今の「害」は、本人の属性だという、旅人の方が悪いんだということを意味しているものなので、環境が悪いんだ、道を妨げている石の方が悪いんだということを示す言葉に変えようということなんで、まるっきり考え方が変わっているはずなんです。でも、よく考えてみれば、そんなに大きな、ドラスティックな変更ではないので、変更に大きなエネルギーをかけるよりは、もっとやるべきことはいっぱいあるだろうということで、しかも障害を持っている構成員の皆さんが余り乗り気でないということであれば、おろしてもいいと思いますけれども、石偏の「碍」の方がよいという趣旨はそういうことです。
○ 藤井議長代理 そうですね。
では、ここのところはそろそろ終わらなければいけませんので、東さんから発言を求められていますので、東室長からお願いします。
○ 東室長 東です。
さまざまな御意見をいただきましたけれども、私見ですけれども、一般社会が障害者に対してどういう呼び方をするかという問題と、障害当事者が自分のことをどう表示するか、社会に向けて発信するかというのは若干違う問題だと思います。自分の障害を社会に向けて発信するときに、表示の選択の幅という意味で、「碍」が登用漢字にないという場合に、そういう漢字を使いたいという人にとっては、それはやはり差し障りがあるわけです。だから、法律ないし社会一般がどう呼ぶべきかという議論とは別個に、自分をどう外にアピールするかというときの選択肢として、どういうものを用意しておくかというのは別の議論として考えていただきたいという点が1点あります。
そういう意味で、これまでの中でいろんな人がいろんなことを言ってきているわけですけれども、それはやはり自由だと思うんです。それぞれの選択であるし、ろうあ連盟の人が聴覚障害者○○協会という名前ではなくて、従来の名前を使われていることと同じだろうと思います。
「碍」についても、昔からこの「碍」がいいと主張されてこられている方もいらっしゃいます。それに対して、だめだと全体が言うということはおかしいと思うんです。そういう意味で、国語審議会は、30年に一度開かれるかどうかの機会だそうなんです。「碍」がないということについて、障害者団体の中で、それがいいという方がいらっしゃるならば、それはちゃんと使えるような形にすべきという意味で、この会議の意見を送るかどうかということが、4月から5月の間について求められているところであるんです。その上で、中間まとめみたいなものに法律の表記としてどうするかという意見を上げなければならないという段階です。
それで、今日はさまざまな意見をいただいたわけですけれども、担当室としては、もっと多くの、一般国民を含めた形での意見を、インターネットを通じたような調査とか、ホームページにダイレクトに書き込んでもらうような方法で、もう少し意見をいただいた上で、再度この点について、こういう意見がありますという形で皆さんにお諮りをした上で、4、5月の文化審議会に対する対応をどうするか、中間とりまとめとしてどうするかということです。再度諮りたいと思っておりますので、そういう方向性でよろしゅうございますでしょうか。
○ 藤井議長代理 それでは、今のことは継続して、各団体で持ち帰って是非議論していただいて、今、言ったように、常用漢字の見直しの時期、一旦遠ざかってしまうと、ハレー彗星のごとく、もう30年間めぐってこないということなので、この段階で、特に悪くなければ、入れるということも含めて議論しよう、今言った調査を含めて、6月の初め、5月の終わりぐらいにもう一度この場で議論しようということなので、また考えてきてください。
私も15年ほど前、ある障害を持ったお母さんに、重度の障害児と言ったんです。お母さんは反論したんです。藤井さん、そう呼ばないでください。どういう意味ですかと言ったら、ニーズが多い人と言ってくださいと言われたんです。あっ、なるほどなと痛感したことを今、思い出しました。
さて、このことは東さんのことをまとめにして、もう一度やるということを前提に、これで終わります。
ここで休憩を取ります。今、8分なので、20分から再開して最後のコーナーに入りますので、20分まで休憩に入ります。
(休憩)
○ 藤井議長代理 それでは、いいですか。再開します。
間もなく福島大臣もお見えになりますので、一緒に最後、加わってもらいます。
では、今日の第3コマで、政治参加に関しての意見交換。これに関しては、選挙に関する情報の保障、選挙に関するもろもろの仕組み、政治活動、公的活動その他になります。一括して東さんの方から論点整理をお願いします。
○ 東室長 東です。
政治参加に関する意見の一覧は資料2にあります。関口さんの追加資料も別にそろえてあります。
まず、選挙に関する情報の保障というところで、民主主義の中において、情報保障、とりわけ知る権利というものは民主主義の根幹を成すと言われております。そのような情報保障が障害者の場合に保障されているかという点において、まず、1点目は、選挙広報などの行政の提供する情報についてどう考えるかということです。
そもそも障害者の権利条約21条では、締約国は障害者に対して、さまざまな種類の障害に相応した利用可能な様式及び技術によって、適時に、かつ追加の費用を伴わず、一般公衆向けの情報を提供することが求められております。その中でも選挙広報などの情報は投票する上で不可欠な情報であるため、ほとんどの委員は、視覚障害や盲ろう者、または知的障害者に対する情報保障、ろう者に対する情報保障の重要性を指摘されております。
しかしながら、例えば、点字広報は自治体の裁量に任されておりまして、地域間格差があることや、公職選挙法の規定によって点字化が妨げられていたり、施設や精神病院などでは偏った形で提供されたり、点字や音声による情報の内容がほかの一般の情報と比べて薄かったり、選挙に関するテレビに字幕がなかったり、点訳とか音訳に時間がかかり過ぎたりして間に合わなかったり、または公職選挙法上、平易な言葉に置き換えることができなかったりなどの問題点が指摘されているところです。そういう中にあって、情報提供についての法的な義務づけの必要性を強調する意見もございました。
次に、政見放送などの選挙に関する情報についてどう考えるかですが、政見放送に関しても、必ずしも全部の選挙で手話、字幕がつくということではないという現状があります。選挙活動においては、例えば、電話による勧誘は認められている反面、FAXは禁止されているという状況があります。政見放送に字幕を付与するには公職選挙法等の改正が必要であるにもかかわらず、政党の申し合わせで改正ができない状況にあったりする。もしくは立候補したろう者の政権放送では、読み取り通訳をつけられなかったなどの問題があった。このようなさまざまな問題点が指摘されているところであります。このような御指摘の中で、複数の委員が述べられるように、適切な情報伝達方法を確保するための法的な義務化が焦点になるということだろうと思われます。
3番目に、国会での議論に関する情報についてはどうかということですが、ここでも多くの委員は、国会における議論が障害者に伝わっていないという点を指摘されておられます。特に国会中継とか記者会見などの場合、手話とか字幕などが媒体で提供されることを義務づけなければならないという御指摘もあります。
以上が特に選挙に関する情報の保障についての御意見なんですが、議論の方向性はほぼ一致していると思っております。対立する意見があるというわけでは決してありません。ですので、問題は、小手先の改正とかいうことではなくて、むしろ抜本的に情報のバリアフリー法をつくるとか、公職選挙法の中で、例えば、包括的に情報を保障するような規定を設けるとか、そういうような抜本的な解決策について、どうここで考えるかということについて、更なる御議論が必要になるかなと感じているところです。
次に、選挙の仕組みということで、選挙権、被選挙権や投票の仕組みは公職選挙法等によって規定されているところですが、現行の法律で障害者の選挙権や投票権が障害のない人と同等に保障されているかという点につきまして、二、三論点が挙がっております。
まず、選挙権、被選挙権に関する欠格条項があります。成年被後見人であるという場合には、両方とも剥奪される。この点はどう考えるかということですが、ほとんどの委員は、この制限については見直しないしは削除が必要だということで、この欠格条項を残すべきだという意見はございませんでした。
2点目が、投票所への移動支援をどう考えるかということですが、この点に関しても、支援は必要ないという意見はありませんでした。ただ、この支援をどういう根拠に基づいて導き出すかという点については、例えば、日常生活支援として位置づけるべきだという御意見、それとは別枠で公的な支援として位置づけるべきだという御意見などがあるわけで、そういう点での議論を少ししていく必要があるのかなということです。
3番目に、投票所のバリアフリー、物理的なバリアをどう考えるかという点なんですが、これについてもほとんどの委員が物理的バリアは除去すべきであるということでした。本来、投票所の物理的バリアフリーを論点として挙げなければならないこと自体が本当に情けないような気もしますが、実際は、複数の委員が示されたデータを見ますと、多くの場所で、いまだかつてバリアフリーではないというのが現状だと思われます。
次に、4番目ですが、投票所内での障害に応じた必要な配慮をどう考えるかという点ですが、多くの委員が、知的障害のある人や、文字を書くのが困難な人への人的支援や、他の容易な投票のやり方への変更、代理・代筆の許容、筆談や手話通訳による支援など、必要な配慮を求めておられます。これについても同じように、どういう根拠に基づいてその支援を提供していくのかということが、更なる議論が要るところではないかと思っています。
5番目で、投票所内で投票できない場合の現行の代替措置、例えば、郵便投票などですが、それをどう考えるかということです。御存じのように、公職選挙法では、投票所において投票することが原則となっております。郵便投票などをその代替措置として把握するか、もしくは、別に投票所における投票を原則として考える必要はないんだという前提で考えるか、とらえ方には違いがあると思われます。しかしながら、いずれにせよ、現行の郵便投票制度については、これまで、その範囲を拡大してきたことを一定の評価をしつつも、いまだ問題を解消し切れていないという現状にあるという御指摘。それとか、施設や病院における不在者投票制度、これはいろんな形で不正問題が挙がっておりますけれども、そういう点を指摘している意見もありました。これについても、先ほどの議論と同じように、小手先の改善というよりも、包括的な法的な手立て、そういうものをどうしていくかという議論が必要かと思われます。
6番目に、点字投票の場合における投票の秘密をどう考えるかということです。投票の秘密については、障害者の権利条約においてもうたわれているところであります。特に点字投票に関しての論点なんですが、この点に関しては、守秘義務がある者が開票に当たれば問題ないとする意見もございましたけれども、ここでは、点字投票者の数が絶対的に少ない、特定されがちであるという問題点が現実としてあるわけです。ですから、開票時だけが問題ではなくて、投票時点も含めて、秘密投票の権利が侵害される恐れを指摘している意見がございました。投票時から開票時まで含めて秘密が損なわれないような手段や工夫を提案している意見もございました。
それと、政治活動ですが、障害者が候補者として選挙活動や政党の活動等に参加する際に必要な支援をどう考えるかという点です。この点に関して、竹下委員の意見を基に整理すると、3つの切り口からそれぞれの委員の意見を分析できるのではないかと思っております。
竹下委員は3つのレベルで考えるべきだということなんですが、まず、第1に、選挙活動には一般的な制限として、いろんなものがあります。しかし、この一般的な制限をそのまま障害者に適用することによって、実質的には障害者の選挙活動が大きく損なわれるといった事態があるわけです。これは、いわば間接差別的な状況が生じているということが言えます。そういうレベルの問題が第1点です。
第2点は、選挙活動に対する支援の問題です。どのような支援がなされれば、実質的に障害のない人の選挙活動とか、政治活動と同等なものができるのかという論点であります。
第3は、政党や団体の一員として活動する場合、政党や団体自身が障害のある構成員に対してどういう配慮をすべきかという問題です。
第1の制限の問題は、選挙活動の自由、表現の自由にかかわる問題であって、先ほど言ったように差別の問題であるというような御指摘もあったと思います。
第2については、多くの委員がその支援の必要性を訴えられておりますが、合理的配慮として考えるのか、公的介助のサービスの一環として考えるべきか、それとも別枠での公的差別として位置づけるのかは意見が分かれるところであります。
第3の点については、政党や所属団体が成すべき合理的配慮の問題であるとする意見がございました。ここについても議論の方向性はほぼ同じだと思われますので、今、申し述べた点を少し整理する必要があるかというところです。
それと、公的活動ですが、障害者が福祉や教育、人権等の公的活動を行う組織を結成し、または公的活動に参加する際に必要な支援をどう考えるかという点です。障害者団体の活動に大きな社会的な意義がある、これに対して支援を提供していこうというのが世界的な先進的な流れであるわけですけれども、委員としても、大方はその方向での見解だったと思います。
もっとも、少し整理すべきは、個人のレベルでの支援と、団体そのものについての支援は少し分けて考えるべきかと思います。個人のレベルであれば、合理的配慮という形での問題提起、位置づけは可能なんでしょうけれども、団体そのものについての合理的配慮というのはどうなのか、そういう理屈づけができるのかというのは難しいのではないかと、私見としては思っているわけですが、そこら辺の問題も含めて御議論いただければと思っています。
その他にもいろいろ御意見をいただいているわけですけれども、土本委員からは、ここにまとめて出されておりますので、皆さんに読んでいただきたいと思っていますが、少し紹介しますと、例えば、選挙時に各党からマニフェストが出る。しかしながら、振り仮名一つ振っていない、内容も非常にわかりづらいということであったり、選挙はがきが来るわけですけれども、それについても振り仮名がない。どこに行けばいいのか、投票所もわからない。そういう現実とか、例えば、入所施設での投票については、誘導されて選挙に行かされるような事件も発生している。その他についても指摘がありますが、こういうことが書かれてあります。
以上が大体の御意見の紹介です。
○ 藤井議長代理 ありましたように、ほとんど論を争わないという点で、これに関してはほぼ一緒の方向を向いている。今、伺っていましても、制度とか法律を変えるまでもなく、運用で、努力でできる部分もあるわけです。これ自体、怠っているということ。時間が余りないんですが、何人もが第29条(a)項を挙げています。短いので、権利条約の参政権がどう書いてあるかということを朗読しますので、よろしくお願いします。
第二十九条 政治的及び公的活動への参加
締約国は、障害者に対して政治的権利を保障し、及び他の者との平等を基礎として、この権利を享受する機会を保障するものとし、次のことを約束する。
(a)特に次のことを行うことにより、障害者が、直接に、又は自由に選んだ代表者を通じて、他の者との平等を基礎として、政治的及び公的活動に効果的かつ完全に参加することができること(障害者が投票し、及び選挙される権利及び機会を含む)を確保すること。
(i)投票の手続、設備及び資料が適当な、及び利用しやすいものであり、並びにその理解及び使用が容易であることを確保すること。
(ii)適当な場合には、支援機器及び新たな機器の使用を容易にすることにより、障害者が、選挙及び国民投票において脅迫を受けることなく秘密投票によって投票し、選挙に立候補し並びに政府のあらゆる段階において実質的に在職し、及びあらゆる公務を遂行する権利を保護すること。
(iii)選挙人としての障害者の意思の自由な表明を保障すること。このため、必要な場合には、障害者の要請に応じて当該障害者により選択される者が投票の際に援助することを認めること。
(b)障害者が、差別なしに、かつ他の者との平等を基礎として政治に効果的かつ完全に参加することができる環境を積極的に促進し、及び政治への障害者の参加を奨励すること。政治への参加には次のことを含む。
(i)国の公的及び政治的活動に関係のある被政府機関及び被政府団体に参加し、並びに政党の活動及び運営に参加すること。
(ii)国際、国内、地域及び地方の各段階において、障害者を代表するための障害者の組織を結成し、並びにこれに参加すること。
ということで、随分と我が国の状況とは違うなという印象を持たざるを得ません。効果的かつ完全にと書いています。特にこの件で御発言いただきますが、もし可能であれば、まだ発言していない方にと思っているんですが、いかがでしょうか。
では、尾上さんから行きましょうか。
○ 尾上委員 済みません、2回目の発言になって申し訳ございません。
○ 藤井議長代理 いいですよ。まだ少ない方ですから。
○ 尾上委員 まず、先ほど鳩山総理が来られましたが、非常に感銘を受けました。この推進会議での合理的配慮が特別ということではなく、社会のどこでも当たり前になるようにしていくことが本来の制度改革だということをおっしゃられました。その点からしますと、先ほどの資料2の8ページ、新谷委員から出ている、非常にわかりやすい表なのですけれども、この夏にあると言われている参議院の選挙区は手話も字幕もつけられない状態に今なっています。手話も字幕もペケ印です。比例代表区は、手話はつけれますけれども、字幕はペケ印なのです。
御存じのとおり、この推進会議の情報公開は非常に画期的だと思っています。今日、5時過ぎぐらいまで会議があったら、9時半とか10時前ぐらい、今夜じゅうには手話と字幕つきで情報公開がされるわけです。日本のそういう関係者の人たちの技術はすごいなと思うのですけれども、その日のうちにできるのだったら、政権放送を手話、字幕をつけるのは当たり前ではないでしょうか。つけることができるというよりも、今、推進会議でやっているような手話、字幕つきで政権放送をするというのがスタンダードだというぐらいまで踏み込むのが制度改革ではないかと思います。とりわけ7月の参議院選挙、もう間近ですので、各政党での合意が必要ということもありますので、政府としても制度改革の議論を国会に伝えていただいて、今日、国会議員の皆さんも何人か来ておられますけれども、党派を超えて、この推進会議で示された合理的配慮を社会に広げる第一歩として、7月の参議院選挙からやっていただけないかというのが1点でございます。
そして、もう一つが、成年後見に関する欠格条項、選挙権が奪われるというのは本当に不当なことだと思います。是非ともこれも7月の参議院選挙から、後見人制度を使っている人の選挙権が復権できるように、一刻も早くできないかと思います。
更に、この問題に関連して、成年後見というのは、いわゆる財産管理とか、契約とか、そういう部分で得意か、不得意か、人間だれでもあると思うのですが、契約行為が苦手な人に成年後見をつけるという仕組みだとするならば、それがいつの間にか、選挙で投票する力があるかどうかとか、いろんな公的活動をすることができるかどうかとか、あるいは働くことができるかどうかまで、ほかの制度までこの成年後見が流用されている、そういう問題があると思っています。
39ページに紹介をいたしておりますけれども、例えば、いまだに地方公務員法では、成年被後見人または被保佐人は公務員になれないという規定が残っていて、これはある自治体の公務員採用試験の募集要項ですけれども、地方公務員法の規定に基づいて、成年被後見人または被保佐人、あるいは禁錮以上の刑に処せられ云々という人のいずれかに該当する場合、受験できません。受験すらできないとなっています。例えば、知的障害をお持ちで、財産管理の部分は後見人さんに手伝ってほしい。でも、今、知的障害者の公務員採用も徐々に広がりつつありますが、そういう知的障害者はそもそも公務員試験すら受けられないという、非常に大きな不合理がまかり通っています。こういったものは、ほかにも、法人の役員を取り消すことができるとか、400以上、この前も御紹介いたしましたけれども、欠格条項がいまだにあります。障害者の社会的な位置、あるいは公的活動をもっともっと促進をしていくという意味で、早急に直す必要があるのではないかということを提起したいと思います。
○ 藤井議長代理 東室長から発言を求められていますので、東さん、どうぞ。
○ 東室長 東です。
通常、選挙権だけの問題で言われていますけれども、法律上は、選挙権並びに被選挙権ということも書いてあるわけです。ですから、被選挙権についての議論が少し足りないと思うんです。要するに、知的障害であろうと、自分が立候補するという意思を表明して、多くの人たちが、知的障害者は知的障害については専門家だから、なってもらうということで選ぶということができないわけです。その点についてはいかがお考えですか。
○ 尾上委員 選挙権も被選挙権も同等に、今の成年後見という仕組みとは全く別のことで、成年後見というのは、投票したり、あるいは政治活動ができるかどうかという力を見ているわけではないので、先ほど言いました成年後見でさまざまなほかのことに流用するということ自身が問題なので、選挙権、被選挙権ともに制限ということは見直すべきだと思います。
○ 東室長 特に被選挙権の問題は、本人の政治的活動ということにも関係してくるわけです。自ら立候補するという、積極的な活動の面がどうしても、そこまではいいみたいな雰囲気で議論されていますので、その点についてもどうなのかということをきちっと、皆さん方に御意見いただければと思っています。以上です。
○ 藤井議長代理 では、これに関して意見があればと思います。
どうぞ、森さん。
○ 森委員 森でございます。
私は大変ショックを受けているんですが、実は、成年後見人制度ができる前に、地方公共団体等で権利擁護制度という形で勉強して検討してきていました。法律が変わる前にその制度を実施してきているわけです。これはやはり障害者の権利を守るという立場でつくっていたわけです。
これは私自身がいけないんですけれども、私は、先ほどお話ししたとおり、自分の子どもがいますので、自分が後見になったんです。そうしたら、この間、選挙のときに、子どもの名前がないんです。びっくりしてしまって、妻にも話してみたら、妻もびっくりしたということでございます。この欠格条項を見ますと、選挙権及び被選挙権の欠格条項は、大体、禁錮刑以上の刑罰を処せられた人たちなんです。そこにぽんと被後見人の人はないという規定になっているんです。私は本当にびっくりしてしまって、これは一日も早くしてもらわないと、自分の子どもに対しても申し訳ないと、こういう思いでおる現在です。これが1つです。
もう一つ、先に進んでしまうかもしれませんけれども、日本障害フォーラムの中で、選挙についてのバリアフリーという記事がないかなという形でみんなで相談していましたら、こういう記事が出ておりました。2007年4月12日の毎日新聞地方版でございますが、車いすの女性が投票を断念したということなんです。投票の場所が2階で、エレベーターがないので、男性職員が4人で背負っていくという申し出をしたそうですけれども、4人という形になりますと、本人から見れば、大変おっかないんです。それで断ったそうです。これは2007年でございますので、19年になるんでしょうか、まだまだ新しいことだと思うんですが、こういうことがあってはならないんではないかと思っております。
なお、これは鹿児島のようでございますが、同市では、エレベーターがない2階に設置されたところが2か所あったという記事も一緒に載っておりました。我々もしょっちゅう行って見ていますけれども、今は大変バリアフリーになっていると思いますが、まだこういうところがあるということだけを御披露させていただきました。以上です。
○ 藤井議長代理 時間が来ているんですが、さっき言ったように、論はまたないと思っているんですが、聴力障害を持っている場合、かなり影響は出ていますので、新谷さん、久松さんから手が挙がっていますので、お2人から発言いただきます。
○ 新谷委員 新谷です。
時間がない中、済みません。繰り返しの論点ですけれども、もう一回だけ説明させてください。先ほど政見放送の字幕の問題は尾上さんがおっしゃいましたけれども、国会中継と記者会見の字幕について、NHKから非常にわかりやすい、NHKの本音だと思うのですけれども、こういう回答が来ています。資料の11ページです。「本件に関するNHKの聴覚障害者団体への回答では、内容の正確さに万全を図る必要があることは他の番組と同様ですが、政治的議論は、声の大小、高低、間など、微妙なニュアンスも含めて伝えないと公平さが図られないという側面があります。これらを生字幕で表現することは、不可能に近いといえます。」、これがNHKの回答です。
これはどういうことかというと、これからもずっと生字幕はつけられませんと言っているわけです。なぜですか。ほかの番組にいっぱい生字幕ついています。政治的な発言は違うのですか。政治的発言だけは生字幕をだめだと言わないといけない理由はどこにあるのか。
多分、勘繰りですけれども、政治家の方が、ついている字幕は自分の発言内容と違う、これを省いているとかということをおっしゃっているのではないかと思うのです。手話の場合はそうではないですね。政治家の方は手話を読めません。字幕は読めます。だから違っていることがはっきりわかるので、それは困ると、こういうふうに言っていて、NHKはそれは確かにおっしゃるとおり、字幕では全部を表現できていない、だからそれは正直に回答するとこうなのですというふうに理由づけをされているんだと思います。
これは、私は差別ではなくて虐待だと言っているのです。1時間、2時間の国会中継をずっと見ろというのは、私たちに対する差別を通り越して虐待だと思うのです。それを政治家の先生、福島先生おられますので、是非わかっていただいて、ある程度のはしょりぐらいは、私たちは冷静に判断出来ますので、90%、80%の字幕で良いと思いますので、是非そういうことの実現を検討いただきたいと思います。
○ 藤井議長代理 新谷さん、よく海外の事例が出されて、欧米ではやっていますよということを伺っているんですが、その辺は、政治討論会だとか、国会中継とか、あるいは首相のインタビューとか、海外での事例はいかがですか。
○ 新谷委員 オバマ大統領の選挙のキャンペーンのニュースをお聞きになっていると思うのですけれども、オバマ候補は字幕で付けて行ったわけでが、対立候補は字幕をやらなかった。そのときのオバマ大統領の字幕付きのPR力というのはすごいわけです。
それともう一つ、エポックメーキングなのは、コマーシャルに今まで字幕がついていなかったですね。これを、某社は初めて日本でコマーシャルに字幕をつけるということを始めました。私たちの団体としては、その会社に大拍手です。この会社は私たちに優しい会社だということで、私たちの団体としてはPRしたい。すべてのコマーシャルにどうして字幕がつかないのか。字幕がついてないものはものすごくあるのです。考えてみれば本当におかしな事例がいっぱいあるのです。福島先生の記者会見ぐらいは、きちっと生放送で字幕をつけるというふうにやっていただきたいと思います。
○ 藤井議長代理 では、久松委員。
○ 久松委員 全日本ろうあ連盟の久松です。
欠格条項への取組みをして50年です。公職選挙法への取組みを40年、ろうあ連盟は運動しております。ろうあ連盟としては公職選挙法に強い思いがあります。非常に長い間、戦ってまいりました。このようなところでこのテーマで議論できるところまで持ってこれたということは、とても感激しております。
改めて申し上げますと、私たちのコミュニケーションは勿論手話なんですが、手話通訳者の立場をどう見るかが大きな問題になっております。今の公職選挙法は、残念ながら手話通訳者の扱い方を運動員として見ております。運動員として見ておりますから、政党が配置する、あるいは議員が依頼する手話通訳者、立候補した人たちの政策を市民に伝えるのに、手話通訳は運動員という扱いという考え方がずっと長い間、続いており、いまだに改正されておりません。
逆に言えば、被選挙権を行使する立場としましては、例えば、ろうあ者が立候補した場合、選挙活動ができないという、支障が多くあります。例えば、手話通訳者は運動員ですから、運動員の数に制約を受けます。例えば、今、この会議では手話通訳は3人おりますが、3人を通して市民に投票してくださいとお願いをする。手話通訳3人を運動員として採用するとなると、選挙活動に必要な運動員がほかに整備できなくなります。
次に、電話での呼びかけができません。聞こえないので、電話で呼びかけができませんが、FAXやインターネットで投票を呼びかけることも認められておりません。実質的に選挙活動ができないという状況になっております。聞こえない人が立候補したくても、なかなか立候補できる条件整備がされていないというのが大きな問題としてあると思います。
それから、先ほど新谷委員からのお話にも含まれていましたが、アメリカでは、字幕を義務づけてから30年の歴史になります。ここ一、二年前までは、韓国ではテレビに字幕はまだだろうと思っていましたが、去年、韓国に行きましたところ、テレビをつけてみてショックを受けました。字幕、手話通訳の画面がたくさん出てきておりました。昔は全くなかったのです。今は、韓国では日本よりもむしろ進んでいる状況です。日本はNHKが技術的な問題で無理だと言い続けて40年ですが、もうそろそろNHKも民放も、字幕、あるいは手話通訳をつけることが当たり前の状況になってほしいということを是非お願いしたいと思っております。
以上です。
○ 藤井議長代理 皆さん、時計を見てください。この時間になりますと、本当は終わっていなくてはいけないんですが、最後にお2人、手が挙がっていますので、これをもって終わりにしてまいります。
大久保さん、行きましょうか。
○ 大久保委員 大久保です。
一言申し上げたいと思います。本当に重要なことで、先ほど尾上構成員、あるいは森構成員がおっしゃったことと同じことになりますけれども、知的障害の重い方も選挙に行っているという実態があります。これをまず御理解いただきたいということ。
それと、これは制度上の問題なのですけれども、成年後見制度を利用すると、後見人をつけた段階でいきなり投票のはがきが来なくなるということがあるわけです。これをどういうふうに御本人に説明できるかということです。基本的な、それこそ国民の権利としての、被選挙権も含めてですけれども、選挙権が剥奪されている状況がある。これも本当にしっかりと見直していただきたいということです。つまり、先ほども話にあったように、契約あるいは財産管理とか、そういった判断能力というところに困難があったとしても、それと選挙をするということとどういう関係があるかということなのです。それこそ尾上構成員が言った制度の流用というか、根拠のない流用ということになるかと思います。
それと、もう一点だけ申し上げたいのは、合理的配慮というところで、知的障害の立場からしますと、記号投票というのを衆参の選挙でも導入していただきたいということです。あと、投票所で、例えば、候補者と名前が必ずしも一致して認識することができない場合もある。つまり、漢字がよくわからないということもあります。そういうことで、投票所の中にも写真を掲示する。それは決して不可能なことではないと思うのです。それこそちょっとした配慮です。そういうことを含めて申し上げたいと思います。ありがとうございました。
○ 藤井議長代理 では、関口さん。
○ 関口委員 まず、選挙に関する情報の保障に関してですけれども、これは全部、最大限の情報保障をすべきと書いています。刑事施設と書いていますけれども、公民権を停止されている場合は選挙権がないわけですから当然なんですけれども、例えば、拘置所です。起訴前です。つまり、推定無罪の段階。これでも選挙には行けないんです。こういうところも含めて考えていかなくてはいけないんではないか。これは人権の問題ですから。
もう一つは、例えば、住民票が中野区にあって、青梅か何かの精神病院に入っていたとして、中野区議会議員選挙があるというときに、選挙のはがきが来るかというと、来ないです。中野区の職員が全部把握していて、はがきと同時に選挙広報を送ってくれるということをやらない限り、来ないわけです。こんなのは多々ある話でもって、この辺を実際的に担保するのはどうするのかという問題が1つはあると思います。
先ほどから出ている成年後見人の問題は、我々の立場としては欠格条項の問題ではなくて、成年後見制度に内在している法的能力の平等の問題だととらえています。
それから、バリアについてはもう小川さんがおっしゃったんですけれども、もう一つ我々が問題にしたいのは、ガイドヘルパーとか、そういう問題です。移動するときの支援です。候補者になった人が移動するのに、別に税金を払うわけではないわけです。ところが、候補者になった障害者が移動するのに、自分の費用でもってそれを賄わなくてはいけないとなると、これは当然、合理的配慮を欠いているんではないかということ。
それから、これは大阪精神障害者連絡会からいただいた意見ですけれども、被選挙権については、障害者を初めマイノリティーの政治参加を進めるために、各政党は障害者を初めマイノリティーを一定の割合で候補者とするべきである。その際の供託金等について国が保障すべきであるということですけれども、これは、先ほど条約の29条を読んでいただきましたけれども、中に入っている理念を実現するためには、これぐらいのことをやらなくてはいけない。
○ 藤井議長代理 私の分担時間を終わりますので、議長に渡しますが、その前に、鳩山さんが、変わったねということを実感できるようにとさっきおっしゃっていました。尾上さんがおっしゃっていたように、私たちは今、本質の議論をしていますけれども、余りにも理不尽な目の前のことについては並行して手直しを行っていく必要があると思うんです。新谷委員から出ています政治参加の8ページの衆参、都道府県知事選挙、手話と字幕、少なくとも迫っている参議院選挙に関しては、なるほど、推進会議が出来上がって初仕事として、変わったねということをつくっていかなくてはいけないと思うんです。公職選挙法の政見放送及び政権経歴実施規定を直せばできるんです。これぐらいは何としても実現していきたいなということを感じながら、あるいはそのことをもう一度強調しながら、小川議長にマイクを渡します。
○ 小川議長 小川でございます。
本日は長時間の討議、お疲れ様でございました。
ここで、東室長より今後の予定を含め、報告すべき事項について簡潔に説明をお願いいたします。東さん、どうぞ。
○ 東室長 5時を過ぎましたけれども、ちょっとおつき合い願います。今後の予定でありますけれども、次回は3月30日火曜日、テーマは障害児、医療、司法手続の3点です。実は、難病のテーマも30日にお諮りしたいと思っていましたが、難病については、最初の会議の中で、障害の定義に入れることについて異論はありませんでした。推進会議の意見としては、大枠として、これで固めるという前提で、詳細については、やはり当事者がいらっしゃるところで議論を進めた方がいいだろう。ですので、総合福祉部会の中で、当事者がいらっしゃるところで難病については議論いただく、その方が適切かと判断いたしましたので、次回は難病については議論しないということで考えております。
意見書の提出期限は、これを言わなければならないんで申し訳ないんですが、3月23日火曜の午後3時となっておりますので、御協力のほど、お願いします。
それと、前回、3月1日の第4回の推進会議で新谷委員及び久松委員から、津波に関する字幕放送など、自然災害時の障害者に配慮した報道についての問題提起がありました。非常に重要な問題であると認識しております。その後、総務省とかNHKから、その取組状況を聞くことなどをしておりますけれども、推進会議では、今後、関係省庁からのヒアリングの機会に説明していただくとか、そういう取り上げ方をしていきたいと考えておりますので、御了承ください。
それと、総合福祉部会について、今日発表できればよかったんですが、もう少し調整が残っておりますので、遅くとも次回にはということで準備しているところでございます。
次々回は4月12日です。テーマとしては、交通、建物、情報のアクセスの問題です。それと、所得保障の問題。それと、障害者施策に絡む財政の問題。いずれも大きな問題で、やっていきたいと思っているところです。
前回も言いましたけれども、4月以降の予定としては、原則、第2、第4の月曜日ということでお伝えしていたかと思いますが、ヒアリング等をスピード感を持ってしていくためには、第2と第4の間の第3も実はやりたいと思っているところです。ヒアリングですので、意見として準備されるということではないわけで、これについてお願いできないかなと思っているところです。ですので、お持ちの方は、今、手帳を開けていただいて、第3も×印を入れていただければなと。
ヒアリングに関しては、例えば、大きな省庁関係で言っても、厚労省、文科省、法務省、総務省、国土交通省、それと内閣府、6つぐらいあるわけです。ヒアリングのやり方としては、分野別に、団体ヒアリングと省庁ヒアリングを同じ日にセットしてやっていければと思っているわけです。6つの省庁を6回でやるとすると、この12日がちゃんと終わったと前提をしての話ですけれども、4月19日が第3、26日が第4、5月10日、17日、24日というふうに入れていかないとなかなか終わらないと思っていますので、よろしく。いいですね。了承していただいたということで、勝手に解釈させていただきたいと思います。
そのヒアリングについては、4時間にするか、2時間にするかというところは、全体状況を詰めて、追ってメールで御連絡したいと申し上げております。ということです。
○ 小川議長 ありがとうございました。ただいまの東さんの説明について、異論もございませんので、確定いたします。
それでは、ここで、福島大臣がお見えでございますので、一言ごあいさつをお願い申し上げます。大臣、どうぞ。
○ 福島大臣 今日はもうこれで最後ですので、短くあいさつをいたします。鳩山総理が来られたときに私は国会の委員会に呼ばれていたので、一緒にいれなくて残念ですが、よかったです。総理に是非来てほしいと言いまして、総理大臣がほかの省庁にこういう形で来るのはとてつもなく珍しいことだと聞いておりますが、ただ、この雰囲気と、やっていることを共有してもらって、内閣挙げてやっていくという実感を是非見てもらいたい、熱心な議論を味わってもらいたいと思い、今日は鳩山総理が来て、一緒に時間と思いを共有できて、また、この推進会議がよりエンジン部隊として推進できるようになるようにと思っています。
私は最後の政治参加のところの議論は聞くことができました。前の教育のところもしっかりまたインターネットで見たいと思っています。11名の有識者の皆さんにも本当に心から感謝ですが、今日の政治参加の議論を聞いて、障害を持っている当事者の皆さんがここで発言していただくことで、現実がよりまた変わっていくとも思っています。参議院選挙についての要望もありましたので、津波の件のときの報道についても持ち帰りましたが、今回、参議院選挙に向けて、現実を変えるという中で、また努力をしていきたいと、毎回、出席するたびに宿題が来るという感じですが、それをしっかり実行できるように頑張っていきたいと思っております。
これだけの事前のレポートを提出していただき、4時間にもわたる議論にしていただき、推進会議に身も心もエネルギーも吸い取られている感じがするかもしれませんが、現実を変えるための熱い突破力はみんなでエネルギーを合わせてやっていくしかありませんので、どうか頑張って現実を変える突破力をみんなで一緒に持っていきましょう。傍聴者の皆さんも、介助していただいている皆さん、協力者の皆さんも、本当にありがとうございます。また、健康に気をつけてではないですが、ハードな推進会議を一緒にやっていきましょう。よろしくお願いします。(拍手)
○ 小川議長 ありがとうございました。
大臣もありがとうという言葉はいつでも使っていただいているので、私どもも感謝の気持ちで、この会議、真剣に努力をいたしたいと思います。大変ありがとうございました。
それでは、これをもちまして本日の会議を終了いたします。本日の推進会議の概要につきまして、この後、この場所で記者会見を行います。私と藤井議長代理及び東室長が対応いたします。
本日は、お忙しいところお集まりいただきまして、ありがとうございました。