第1回 目標1南澤プロジェクト
今回訪問したのは、目標1の南澤プロジェクトマネージャー(PM)が研究を行う「慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科」の研究拠点「Cybenetic Being Lab」(東京都港区竹芝)と、南澤PMとともに研究を進める株式会社オリィ研究所 吉藤CEOの「分身ロボットカフェDAWN ver.β」(東京都中央区日本橋)です。研究の話を伺うとともに、実験装置を 体験しました。(2021年12月訪問)
目標1南澤PMが進める研究
どんなテーマで研究を進めているんですか?
目標1では、「2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」という目標を掲げています。具体的には、「誰もが多様な社会活動に参画できるサイバネティック・アバター(※1)(以下、CA)基盤」の構築と、「CA生活」の普及をターゲットとして、研究を進めています。
※1 サイバネティック・アバター技術:人々が自身の能力を最大限に発揮し、多様な人々の多彩な技能や経験を共有できる技術。
よく「身体、脳の制約から解放」という言葉の意味を問われることがありますが、それは意欲がありながらも身体的・環境的理由により、やむを得ず社会参画を断念せざるを得ない状況を解決するものです。今回訪問する「分身ロボットカフェDAWN ver.β」がそれを実現した例となります。南澤PMは、目標1で実施している3つのプロジェクト(※2)のうち「身体的共創を生み出すCA技術と社会基盤の開発」を目指しています。「身体的共創」とは「認知拡張」「経験共有」「技能融合」の3つを表しており、それらを実現するために、本人とは異なる姿や 能力を持つCAを操作し身体的・社会的 能力を拡張させる技術、1人が複数のCAを操作しパラレルな経験を全て共存させる技術、2人が1つのCAを操作し技能を融合する技術の3つを研究しています。
※2 目標1の3つのプロジェクト:
「誰もが自在に活躍できるアバター共生社会の実現(石黒PM)」
「身体的能力と知覚能力の拡張による身体の制約からの解放(金井PM)」
「身体的共創を生み出すサイバネティック・アバター技術と社会基盤の開発(南澤PM)」
この研究の先には本来の自分とCAの自分が存在する世界が訪れ、人生経験の質と多様性が飛躍的に拡大する未来が訪れると南澤PMは言います。
「南澤プロジェクトの概念図」
実験装置を体験!
ラボ内の4つの実験装置を体験しました。
1つ目は、2台の卓球台に各々ラケットを持ったロボットが配置されており、その2台のロボットを1人で操る装置です【写真1】。
体験者は、VRゴーグルで各々のロボット視点の映像を確認しながら、同時に2人を相手に2台のロボットを操作し、ピンポンをすることが出来ます。2台のロボットを同時に全て操作して2人を相手にすることは難しいと思われるかもしれませんが、このロボットは、体験者が気づかない内に動作を補助しているので、2台のロボットで2人を相手にピンポンが出来るのだそうです。打つタイミングの経験は通常時の2倍になるため、同じ時間で2倍の練習量(経験)になって2倍速く上達するのではないかと感じました。
【写真1】一人で2台同時にピンポン
2つ目は、特殊なジャケットで身体感覚を共有する装置です【写真2】。
この装置は、モニターに映し出されたダンス映像に合わせて、ジャケット内の複数箇所に埋め込まれた機器が振動するようになっています。振動のタイミングや強弱によって、体の動き出すタイミングなどを教えてくれます。ダンスの上級者と初心者が同時に各々ジャケットを着ることにより、上級者の動きを初心者のジャケットに反映し、言葉では伝えづらい「タイミング」という情報を身体的な感覚として共有することが出来ます。
これら1つ目、2つ目の技術を発展させることで、身体を使って行うようなコツが必要な動きの習得時に、簡単な動きはロボットが補助し、コツが必要な一部の動きだけに集中して人が経験出来る上に、タイミングの情報を的確に身体に伝えることが出来るため、早期の技能習得が可能になるかもしれないと感じました。
【写真2】動作のコツを教えるジャケット
3つ目は、手にコントローラを取り付けた2人の動作を、1台のロボットアームの動作に反映することが出来る装置です【写真3】。
ここでは、1台のロボットアームを2人で操作し、共同で積み木を積むことにチャレンジしました。操作する前は、常に相手の動きに合わせる必要があるので難しい作業になるのではないかと思っていましたが、実際に動かしてみると、1人でロボットアームを操作するよりも2人で操作した方が簡単であり、とても不思議な感覚でした。これは共同でCAを動かすと操作者同士が知らず知らずの内に相手の動きをフォローしているためだそうです。この装置では、2人の操作介入割合を自由に変えることが出来るため、一連の操作の中で、お互いの得手不得手に合わせて柔軟にその割合を変化させることで、別々では出来なかった操作が出来るようになるのではないかと感じました。今回の例で言うと、積み木を掴む作業は得意だが積むのは不得意だという人と、その逆で掴む作業は不得意だが積むのは得意だという人が、積み木を掴んで積むという一連の操作の間に、操作介入割合を変化させれば、1人では難しかった作業が円滑に出来るのではないかということです。これを発展させることで、一般の人々が、特殊な技能や知識がなくて参画出来なかった災害救助などでの活動において、医療や土木、建築、環境、電気などの技能や知識を持った専門家のフォローが入ることで参画可能になり、早期の復旧が可能になるかもしれないと思います。
【写真3】二人で協力してロボットアームを操作
4つ目は、感情を周りの人に伝搬させ、身体感覚を共有する装置です【写真4】。
人は、もう少しで感動するというタイミングで刺激を与えられると、感動しやすくなるのだそうです。この装置は、腕時計のようなセンサーで人が感動して鳥肌が立った時の心拍数や発汗を読み取り、同じ空間で同じ経験をしている人たちの首に掛けた装置に温度変化の刺激を与えます。これにより刺激を受け取った人は感動が促進されるとのことです。これによって、会場をより盛り上げたり、人々をより感動させたり出来るようになると感じました。これを発展させれば、生身の人とアバターが交流する場の雰囲気などを、アバターを遠隔操作する人が体感出来るようになると思います。また、テレワークで増えたWeb会議では感情が伝わりづらい場面がありますが、この技術があれば対面で会議を行う場合と変わらないくらいリアルな感情を伴ったコミュニケーションが行える未来がくるかもしれません。
【写真4】感動の共有を助けるベルト
ELSI(倫理的・法的・社会的課題)をどう考えていますか?
ムーンショット型研究開発制度では、研究成果を円滑に社会実装するという観点から、多様な人々との対話の場を設けるとともに、ELSI(倫理的・法的・社会的課題)について様々な分野の研究者が参画出来る体制を構築しています。特に目標1の研究開発では、CAを現実社会へ取り入れた新たな生活様式での課題を検討することになります。例えば、日本からCAを使って海外で働く場合の賃金制度やCAが事故等の問題を起こした場合の瑕疵担保責任など、多くの検討すべき課題があります。このような課題は、技術的な開発の課題とは全く異なるものではありますが、南澤PMは研究当初からELSIをひとつの研究課題として捉え、技術開発と同時に検討を進めているそうです。
南澤PMがELSIに関心を持ち始めたのは10年前に研究室に届いた質問がきっかけだそうです。ある事情によりビザがおりず、自由に海外への移動が出来ないのだが、アバターであれば自分の代わりに自由に移動が出来るのだろうかという内容でした。法律関係の学生に話すと、面白い研究課題として実際に取り上げられたそうです。その時にCAを社会実装していく上で、技術開発以外に検討しなければならない課題がかなりあると感じたそうです。
CAという「新しい身体」を得ることで、身体の制約を超えて誰もが自由に活動出来るようになる社会が可能になります。そのような社会はどうあるべきか、社会実装にはどのような課題があるのかについて議論する場として、南澤PMは東京大学 未来ビジョン研究センターと大阪大学 社会技術共創研究センター(ELSIセンター)と共に、CAS(Cybernetic Avatar and Society)研究会を立ち上げています。そこでは、情報科学、ロボット工学だけではなく法学、社会科学など様々な立場の参加者が集い、定期的に議論を重ねています。
研究者たちの思い
南澤PMは、現時点ではまだ検証の段階だが、将来的にはもっと自然にCAという新しい身体を自由自在に操れるような社会にしたいと夢を語ってくれました。
「研究開発において、今は要素毎に研究を進めている段階だが、これを組み合わせることが出来た時、全く新しい社会のスタイルが生み出されると思う。そうなったときに、人々から新しい社会のスタイルに対してどのように理解が得られるのかが重要なポイントであると考えている。そのために、研究開発だけではなく、ユースケースをもとにELSIの観点から制度も考えていかなければならない。」
「我々が目指すCAは、身体そのものである。その身体が体験する記憶や身体知、経験をどう自分の価値として導いていくのか、その身体で何が出来れば、どんな新しい社会を創造出来るかなど、実際に皆さんにもイメージしてもらいたい。最終的には、人の「身体観」が変わることを期待している」と、南澤PMは言います。
南澤PMの下で研究を進める笠原さんは、自身のエピソードを交え、以下のように語ってくれました。
「今日、ちょうど家を出てくる時に娘からホットケーキを作ってほしいとお願いされたが、時間がなく作ってあげられなかった。娘はホットケーキを食べたい気持ちと同時に、父親と一緒に焼きたいと思っていたのではないか。CAによる自分の分身があれば、移動しながらでも娘と一緒にホットケーキを焼くことが出来るかもしれない。ロボットによる料理の自動化ではなく、アバターによって自分の手を通して料理を作る。自身の体験を拡張出来れば、本来経験することのなかった親子のふれあいを味わうことが出来る。そういった未来を作りたい。」
南澤PMと共に研究を進める吉藤さん
分身ロボットカフェDAWN ver.β
東京の新日本橋駅からすぐのところに、「分身ロボットカフェDAWN ver.β」はあります【写真5】。
訪問してみると、写真の通り、非常にオシャレなカフェといった印象です。これまでは、期間限定で分身ロボットカフェをオープンしてきましたが、2021年6月からは常設店舗としての営業を実現しています。現地にいる数人の従業員と、パイロットと呼ばれる従業員が遠隔地から操作する分身ロボット複数台で運営しています。
【写真5】分身ロボットカフェDAWN ver.β
この店は大きく3つのエリアで構成されています。1つ目のエリアは予約不要で入れる「CAFE LOUNGE」です。ここではコーヒーや軽食が楽しめ、Wi-Fiや電源も完備されているので、普段使いにはもってこいのエリアです。2つ目のエリアは目の前でコーヒーを淹れてくれる「BAR&Tele-Barista(予約制)」です。ここでは事情により今までのように働けなくなったバリスタの方がパイロットとなり操作を行う「テレバリスタOriHime×NEXTAGE」というロボットが、お客さまと会話しながら、好みに合わせたコーヒーを淹れてくれます。【写真6】
【写真6】テレバリスタOriHime×NEXTAGE
3つ目のエリアは「OriHime Diner(予約制)」です。ここでは各テーブルに手や首を動かしてリアクションしながら会話が出来る「OriHime」というロボットが設置されています【写真7】。
テーブルに着席したお客さまは、パイロットが操作する「OriHime」から メニューの説明を受け、その流れでオーダーを取ってもらえます。その後、お客さまはパイロットと何気ない日常会話を楽しみながら食事を楽しめます。実際にお話ししてみると、普通に対面で話している時と同じようにスムーズな会話が出来る上に、コミュニケーション能力の高いパイロットが会話を盛り上げてくれ、楽しい食事の場を提供してくれます。
この店は、身体の不自由な方々も来店されることを想定し、トイレなどを含めた全てのエリアで介助ベッドに寝たままのお客さまが問題なく使用出来る広いスペースを確保しており、従業員とお客さまが障害の有無に関わらず、共に楽しむことが出来る設計になっています。
加えて、吉藤さんは純粋に料理を楽しんでほしいという思いから、他のレストランに負けない美味しさの料理を提供するという強いこだわりがあるようで、特にローストビーフがおすすめだそうです。
このように、随所に吉藤さんの強い思いやこだわりが感じられるお店でした。
【写真7】タブレット使いながら、会話を楽しむ「OriHime」
ロボット研究やカフェを始めたきっかけは何ですか?
吉藤さんは、この世の中は「身体を自由に動かせる人を前提にデザイン」されていると言います。吉藤さん自身も体調が悪くなることが多く、学生時代には学校に通えなかった経験があることから、寝たきりの方などが社会参画出来るような未来を目指し、ロボット研究を始めたそうです。吉藤さんの親友であり、寝たきり生活を送っている秘書の番田さんとの「秘書ならコーヒーを入れてくれよ(笑)」「それならコーヒーを淹れられる体を作ってよ」という雑談をきっかけに肉体労働が可能な「OriHime‐D」の開発に着手したそうです。【写真8】
当初、分身ロボットを用いて、寝たきりの方や身体障害者の方に学校や旅行に行ってもらおうと考えていたが、障害者の方々からは「働きたい」「社会参画したい」などという声が大きかったようです。知的障害者の就職率が30%なのに対して、身体障害者の就職率は5%に留まっており、その原因は、企業側が何をさせたら良いのか分からないことに加えて、身体障害者側も何をしたら良いのかが分からないことだと吉藤さんは考えています。
「その原因を肉体労働が可能となる「OriHime‐D」で解消したい。それにより、身体障害者の方が現場の経験を身につければ、将来的にテレワークでも活躍出来るマネージャーにもなれる」「目が悪い人がコンタクトや眼鏡を着けることが違和感もなく当然のことになっていると同様に、障害のある人たちがロボットを違和感なく当然のことのように活用することで、社会参画してほしい」という思いを語ってくれました。
【写真8】OriHime‐D
この「分身ロボットカフェDAWN ver.β」では、パイロットをヘッドハンティングしても良いそうで、既に30人程度の実績があるそうです。これまで、どのように働いてもらうかをイメージ出来ていなかった企業側も、このカフェで実際に働いている姿を見ることで、安心して雇用出来るようになるようです。実際に、パイロットの方とお話ししてみると、コミュニケーション能力が非常に高く、大活躍してくれそうな印象を受けました。
「分身ロボットカフェDAWN ver.β」で働く方々の思い
身体障害者の間では、この「分身ロボットカフェDAWN ver.β」は憧れの職場だという人もいるようです。ここでは、各テーブル上に設置され、お客さまとの会話が行える「OriHime」、配膳などのためにホール内を動き回ることが出来る「OriHime‐D」、お客さまの好みに合わせてコーヒーを淹れる「テレバリスタOriHime×NEXTAGE」の3種類のロボットが働いています。「テレバリスタOriHime×NEXTAGE」は、バリスタの知識を持つ方の専用機であるため、通常のパイロットの方々は「OriHime」と「OriHime‐D」を交替で担当しているようです。
私がお話を伺ったパイロットは、週4,5回「OriHime」と「OriHime‐D」で1時間ずつ働いていました。ただ、夕方になると体調が悪くなることが多いため、早めの時間に入るよう調整してもらっているそうです。もし突然、体調が悪くなった場合でも、常に待機者が準備しているので、すぐにシフトを交替出来る体制が構築されており、従業員の状況に寄り添った勤務形態となっています。ロボットの操作もほとんどの方が1,2週間で習得可能だそうです。
あるパイロットからは、「今まで自分のアイデンティティは病気の名前でしか語ることが出来なかったが、このカフェで働き始めてからは、職業で語ることが出来るようになった。いつか海外で働けるように英語を勉強している。」と熱い気持ちが伺えました。別のオーストラリア在住のパイロットからは、「コロナ渦で日本に帰れなくなったが、このカフェで働くことで日本に帰ってきた感覚になる」と伺えました。
元々は、身体障害者の社会参画を目的にオープンしたお店ということですが、コロナ渦で日本と海外の空間の制約を超えて、身近にコミュニケーションが取れる場ともなっているお店でした。
読者の皆様も、是非「分身ロボットカフェDAWN ver.β」を体験して頂ければ、幸いです。
結びに
これらの研究により、身体の障害を持った方だけではなく、例えば対人恐怖症など精神的な症状を持つ方なども、CAを通してであれば社会に出て活動しやすくなるかもしれないと感じました。使い方次第で障害の有無に関わらず、全ての人が身体、空間、時間の制約等により出来なかったことをCAが可能にし、多様性を与えてくれるものになると思います。
今回紹介した「分身ロボットカフェDAWN ver.β」では、コロナ渦で海外から日本に帰れなくなった方が、CAを通して日本で働くことで、日本に帰ってきたような感覚になれるという事例がありました。障害の有無に関わらずCAの活用方法はかなり広く、今後の社会実装において、大きな可能性を感じました。
また、南澤PMは自身の専門分野だけではなく、それを社会実装する際の課題も見据えた検討を進めており、「ムーンショット型研究開発制度」で掲げる2050年の目標達成に向けて、着実に研究活動が進んでいることを、今回の訪問で確認することが出来ました。そして、現実に南澤PMが目指す未来がやってくると感じました。
私たちは、これらの研究によって「ムーンショット型研究開発制度」が目指す「人々の幸福」を一人でも多くの方々が実感出来るようになることを期待して、これからも研究開発を進める方々のサポートをしていきたいと思います。