第3回 目標1石黒プロジェクト

   今回は、目標1の石黒プロジェクトマネージャー(PM)が研究を行う大阪大学(豊中キャンパス)にお伺いしました。(2022年1月訪問)

目標1石黒プロジェクトが進める研究

どんなテーマで研究を進めているんですか?

   目標1では、「2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」という目標を掲げています。具体的には、「誰もが多様な社会活動に参画できるサイバネティック・アバター(※1)(以下、CA)基盤」の構築と、「CA生活」の普及をターゲットとして、研究を進めています。

※1 サイバネティック・アバター:身代わりとしてのロボットや3D映像等を示すアバターに加えて、人の身体的能力、認知能力及び知覚能力を拡張するICT技術やロボット技術を含む概念。Society 5.0時代のサイバー・フィジカル空間で自由自在に活躍するものを目指している。

   今回訪問した石黒PMは、目標1で実施している3つのプロジェクト(※2)のうち「誰もが自在に活躍できるアバター共生社会の実現」を目指しています。具体的には、利用者の反応をみて行動するホスピタリティ豊かな対話行動ができる複数のCAを自在に遠隔操作するための技術開発を行っています。この技術の実現により、人々が現場に行かなくても多様な社会活動(仕事、教育、医療、日常等)に参画できることが期待されます。

※2 目標1の3つのプロジェクト:

   「誰もが自在に活躍できるアバター共生社会の実現(石黒PM)」

   「身体的能力と知覚能力の拡張による身体の制約からの解放(金井PM)」

   「身体的共創を生み出すサイバネティック・アバター技術と社会基盤の開発(南澤PM)」

   「CAの大事なポイントは、操作者の意図通りに動くということ。ただし、操作者が細かく操作するのであれば、生産性は向上しないため、操作者が大まかな操作をしても思い通りに動いてくれるCAを作りたい。」と石黒PMは言います。

   プロジェクト開始からのこの1年間は、基礎研究を進めつつ、多くの場所で実施した実証実験で検討すべき課題があぶり出されるなど相当な手ごたえがあったそうです。例えば、市役所やニフレル(※3)、東急ハンズのような一般の方々と接する場における実証実験では、1人の操作者が「Sota」や「CommU」などの小型ロボットを複数体操作し、接客を行う中で具体的にどういった問題があるのか、それをどう解決しなければいけないのかということを今後の社会実装に向けて検討してきたようです。

※3 ニフレル(NIFREL):水族館と動物園、美術館を融合した子供から大人まで幅広い世代の感性を豊かにする「生きているミュージアム」。大阪府吹田市千里万博公園内の複合商業施設「EXPOCITY」に属する施設の一つ。

   社会実装に関しては、「2010年頃にアバターのブームはあったものの、働き方改革が出来なかったことから、すぐに収束してしまった。しかし、リモートワークが当たり前になった今では、本格的にアバターが普及していくものと考えている。コロナ禍後に求められているのは、人々が自由に働ける社会であり、それはCGのアバターを含めた様々なロボットに乗り移って、実世界やメタバースの世界で働けるような社会だと考えている。その実現のために、AVITA株式会社を立ち上げた。」と石黒PMは言います。

なぜアバターの研究を始めたのですか?

   「人とは何か」という根本的な問題を子供の頃から考えており、人を知るための究極のアプローチは人のコピーを作ることだと思い、コンピュータやAI・ロボットの研究に行き着いたそうです。今となっては、この研究が人類の未来を創ることに繋がると考えているそうです。

   「元々、アンドロイドやロボットが活用される世の中になるとぼんやりと思っていた。今になって、これまで人間が生き残るために環境に応じて進化してきたことを考えると、今後の人間の進化にはアンドロイドやロボットの活用は当たり前のことだと思う。例えば、地球に大きな異変が起き、自由に活動できなくなった場合、宇宙で活動するしかないが、宇宙ではタンパク質で出来た身体では生き残れない。そうなった時、CAによる宇宙での生活を行う未来が来るかもしれない。」と石黒PMは言います。

   そして、「あらゆるものが満たされてきた世の中で人間が何を求めるのか。それは人との繋がり以外にはない。そう考えると、人間は人間に対する根本的な問題「人とは何か」を解き続けるために人間関係を構築することになる。そうなった場合、CAはカネとかモノを飛び越えて、ストレートに人間関係を構築出来る手段になる。これは人間の生きる目的を研究することにも繋がる。昔は車に憧れる時代があったが、それは車によって人と繋がりたい、色々なところへ行きたいという願望から憧れになっていたのだと思う。それをストレートに叶えることが出来るのがCAだ。」と石黒PMは言います。

研究のポイントはどこですか?

   主なポイントは、雑音下でも対話できる音響システム、リアルタイムの音声変換、CAのモラル行動の3つだと石黒PMは言います。

   1つ目は、人間と同じように対話を成立させるためには、雑音のある様々な環境でも、しっかりと対話ができる音声処理の技術が必要だと言います。コロナ禍でよく利用されているテレビ会議システムは、参加者が静かな場所で話しているという大前提で作られており、騒がしい場所から参加すると、ノイズキャンセリングが機能したとしても、ノイズだけではなく参加者が発した言葉までも削ってしまって、通常の対話が成立しなくなってしまうそうです。

   2つ目は、CAを使って別人になろうとするには、自分の声をリアルタイムに変換できる技術が必要だと言います。既にディープラーニングを用いて、ある人の声を別人の声に変換した例があるが、これは文章をコンピュータに読み込ませて、処理をしてから再生するという過程が必要なため、リアルタイムでの音声変換は未だにできていないそうです。石黒PMの研究グループでは、まだ音声変換した音声にノイズが含まれているものの、リアルタイムでの音声変換には成功しており、世界的に最先端を走っているそうです。

   3つ目は、CAによる交流を行う上で、操作者がおかしな行動をしても、CAの判断で適切な行動に変換する技術が必要だと言います。これまでの実証実験では、操作者の横柄な態度などの低モラル行動をリストアップし、動作認識を行うためのデータセットを作成しています。これからの研究では、その低モラル行動をモラル行動に変換する技術を開発していくそうです。

   今後の課題として、「自然な対話を行うための基本的な技術は、まだ完全には出来ていないが、我々の研究グループが世界最先端の技術を持っている。まずは、雑音のある環境においても、CAを用いて自分とは違う声で人と対話できる技術を開発していく。その上で、人間と同じように様々なCA同士を連携・協調させつつ、何がどこにあるのかという周辺環境を把握し、指示されたときには正しく判断できる機能を実装していく。」と石黒PMは言います。

ELSI(倫理的・法的・社会的課題)をどう考えていますか?

   「我々の技術は本物だからこそ、ELSIは欠かせない課題だ。」と石黒PMは言います。

   法的な問題では、「早く、アバター認証機構なるものを作らないといけない。我々が目指しているのは仮想世界ではなく実世界で匿名の交流が行える仮想化実世界だが、匿名であるが故にビジネスに発展しづらい状況が想定されるため、公的機関がこのアバターは安全で信頼できる証として認証を与えれば、匿名の状態でもビジネスに発展させることができる。これは今、流行り出している仮想世界・匿名であるメタバースでも同じことが言える。」と石黒PMは言います。

   人間への影響の観点では、「CAに乗り移った時に、どういう気分になるのか、身体にどう影響するのかということを詳細に調査する必要がある。」と石黒PMは言います。その一環で、仮想化実世界と同様に遠隔から間接的に交流するWeb会議をし続けると人間にどのような影響があるのか、を確認しているところだそうです。

   他にも、CAだと自分の能力を拡大して見せることができますが、就職試験などでは従来通り能力を拡大しない生身の人間として評価すべきなのかなど、細かい問題が現時点でも起き始めているそうです。

   また、「人間の差別を生む最大の要因は「肉体」であり、この「肉体」さえ解放すれば差別がなくなる。世界中どこでも身体の一部がないことを理由に権利の一部が奪われることがないように、人間の定義に「肉体」は入っていないことが全世界共通の認識であると考えられる。このことから、「肉体」からの解放は、ダイバーシティやインクルージョンへの道になることは間違いない。」と石黒PMは言います。

各研究室で行われている実証実験を体験

   石黒プロジェクトでは8つの研究グループに分かれて、研究を進めています。この研究体制を構築するには、過去にATR(株式会社国際電気通信基礎技術研究所)で勤務した経験が大きかったと石黒PMは言います。大学だと研究室同士で資源の取り合いになってしまうが、ATRは様々な大学や研究施設を繋ぐハブのような役割を担っており、お互いに連携しながら研究を進めることができていたそうです。その頃の繋がりで、各分野のトップレベルの研究者で構成した体制を築くことができたと石黒PMは言います。

石黒プロジェクトの研究推進体制
石黒プロジェクトの研究推進体制

   今回は、石黒PMと同じ大阪大学で研究を進める3つの研究室を見学しました。

吉川さんが取組む実証実験

   吉川准教授は、グループ1「存在感・生命感CAの研究開発」において、複数ロボットの連携を担当しています。

   CAを実社会で使用するには、対話が一番の課題であり、複数ロボットで対話を実現するには技術的なことはもちろん、操作者の支援やスムーズな自律・操作の切替えがポイントになると吉川准教授は言います。

   実社会におけるお客さまのあらゆるパターンに対応するために、ニフレルで実証実験を行ったそうです。ここでは館内見学後、お土産屋さんへ向かう経路に2体のロボット×2か所のブースを設置し、お客さまとの対話からお客さまの好みにあったおすすめ商品を紹介することになっています。これに対してロボットの自律対話を活用することで、1人の操作者で2ブースの接客が可能になるとのことです。この技術が確立されれば、色々な場面に活用が出来るようになると吉川准教授は言います。

   今回は、ニフレルの設定で体験をしました。まず、この対話で重要なポイントは、ロボットが2体いるということです。1体だけで対話を行うと、お客さまの言葉をしっかりと理解して、返事をしないといけなくなりますし、お客さまから意地悪な回答があった場合、自律対話だけでは会話が破綻してしまうそうです。これが2体のロボット同士で言葉のキャッチボールを行い、お客さまとの自律対話を成立させることで、操作者のフォローを待つ間の会話を繋ぎ、操作者を支援できるのだと言います。

   また、自律で動いていたロボットを操作者が操作し始めるには、それまでの会話を把握する必要がありますが、この後の話の展開方法をすぐに操作者が判断できるように、今までの会話から2体のロボットが「○○が好きな人におすすめの商品があったよね」と会話することで、お客さまの好みを操作者が把握でき、自律と操作の切替えがスムーズになると言います。

   この実証実験では使っていないですが、よりスムーズな自律・操作の切替えに必要となる会話を要約する技術は石黒プロジェクトの他の研究グループで最先端の技術を持っているそうです。

お客さまと対話を行う2体の「CommU」
お客さまと対話を行う2体の「CommU」

   実際に対話している体験者は、ロボットが子供のような高い声で優しい言葉を使う上に、かわいい見た目であるためなのか、子供に話すようにゆっくりと優しい言葉で話かけていました。日常生活の中でたまに見かける高圧的な態度で店員に接するような人もロボットを子供のように認識すれば、穏やかで円滑な会話となり、接客時のクレームなどが減るという副次的な効果があるのではないかと感じました。これを1人の操作者が複数のロボットを操作するため、かなりの効率化が図れると感じました。

港さんが取組む実証実験

   理化学研究所の港さんは、グループ1「存在感・生命感CAの研究開発」において、アンドロイドの研究を担当しています。

   今回、拝見したアンドロイドは発表前であったため、写真はお見せ出来ないですが、大阪・関西万博のテーマ事業プロデューサーである石黒PMは、担当の「いのちを拡げる」をテーマとしたパビリオンで披露したいと言います。

   このアンドロイドは中性的な見た目で作られていますが、マスクを被せれば、あらゆる人物になれるようになっています。顔や手に触れると冷えてはいるものの、ほとんど人間と同じ感触に感じられました。体重は人間と同じ50kg程度で、外部からの配線は圧縮空気と電気信号を送る2本のみで簡素な構造になっています。モーターの代わりに空気圧を利用しているため、通常のロボットが動作する際のモーター特有の機械音がなくなり、小さな動作音になります。その上、服を着せると、その小さな動作音もほとんど聞こえず、人間が動いているような生命感を感じることができました。これはCAを人間と同じように認識させるために重要なポイントだと石黒PMは言います。

   機能としては、操作者の声を基に、目元のしわや目の開閉具合で表情の変化を表現し、あらかじめ操作者の癖を登録しておけば、身体の動きも同じように表現できるので、声さえ送れば寝ながらでも歩きながらでも操作ができると石黒PMは言います。

   講演などであれば、決まった内容やよくある質問などは自律で行い、自律では出来ないことや自分の経験として必要があるものだけを自分で行うことにより、アンドロイドを同時に複数体操作でき、生産性をどんどん上げることができます。実際に、石黒PMが石黒アンドロイドによって行ったアルゼンチンの国会での講演は、講演自体は自律で行い、講演後に日本から自分で操作して大統領と2,3分話したそうです。後日、大統領が来日した際、大統領が石黒PM本人にかなり親しげに話しかけてきて驚いたと石黒PMは言います。おそらく大統領は石黒PMと、講演も含めて長い時間、交流して親睦を深めた感覚になっていたのだと思います。私も石黒PMの声で操作された石黒PMの姿格好したアンドロイドは、本当に石黒PM本人が話しているように思うほどリアルに感じました。

   また、人間は見た目に影響を受けるため、操作者はだんだんとアンドロイドの見た目になったように感じてくるそうです。まだリアルタイムの音声変換技術は開発できていないため、アンドロイドの見た目に合わせた声にはなりきれませんが、これが実現された際には、自分の好きな見た目・声・動作を表現できるアンドロイドで活動できると感じました。

長井さんが取組む実証実験

   長井教授は、グループ4「CA協調連携の研究開発」において、CAを簡単に操作する技術、複数CAを協調させる技術の研究を担当しています。

   CAを簡単に操作する技術とは、CAの動作を事細かに遠隔操作するのは非常に効率が悪いため、ある程度CAによる自律動作が出来るようにするということです。例えば、「物を掴む」という動作を完全遠隔操作だと「腕を物の横に動かす」「人差し指の第2関節を曲げる」など、一つひとつ指示が必要になりますが、自律動作が出来るようになると「物を掴む」という指示だけで、CAが物の形状などを判断し、掴むことができるようになり、非常に効率よく簡単に操作ができるようになります。実際に、どのように動作をコマンドとして定義していくのかというと、まず完全遠隔操作を何度もプロの人が行い、その動作データを蓄積します。それをAIに機械学習させることで、一連の動作をコマンドとして定義ができるそうです。これを繰り返すことで、最初は「物を掴む」「移動」「物を置く」だったコマンドが「物を片付ける」というコマンドにまとまり、遠隔操作の頻度を少なくでき、CAによる自律動作の時間が長くなります。これにより、1人の操作者で複数のCAを操作できるようになると長井教授は言います。人間にとっては常識的な行動であっても、CAに周辺の環境から判断して行動させることは少し前まで不可能と言われていましたが、ディープラーニングの技術により徐々にできるようになってきたそうです。

   複数CAを協調させる技術とは、複数のCAが同じ場所で動作する場合、個々にCAを操作するのではなく、各CAの能力に応じた役割分担をCA自身で考え、効率的に動作させるということです。まだ実環境での実証は行っていませんが、仮想空間を使い、協調させるという検証を行っているそうです。また、1人で5体ではなく、4人で20体を操作することで操作者の作業平準化(操作待ちCAの減少)に繋がり、効率向上が期待できるため、多対多の検証も並行して行っているようです。

   これらの技術により、特に家の中で高齢者や何かサポートが必要な方に対して、生活を支えるCAを実現し、複数のCAを複数の人が連携して支援できるようにしたいと長井教授は言います。

   この実証では、家庭を模した場所で「物を掴んで運ぶ」という最も多いであろう動作を、コマンドによる操作と完全遠隔操作で比較を行っています。同時に、共同で研究を行っている東京の電気通信大学から、大阪大学にあるロボット2台を遠隔操作できるということを確認しています。

ぬいぐるみを片付ける2台のロボット
ぬいぐるみを片付ける2台のロボット

   この実証では、操作者の視線や発汗、心拍などから、完全遠隔操作よりコマンド操作の方が画面の注視時間や心的な負荷が減少することを確認できました。画面の注視時間短縮により、複数のCA操作が可能になります。

   これらの技術を実現出来れば、CA自身が操作者の意図することをどのように行動して実現するかを判断することが出来ます。その結果、操作者の意図を実現するために必要となる操作者の制約される時間が短縮され、今まで時間の制約で出来なかったことをCAの力で実現出来ると感じました。この技術で、人間が一生の中で得られる経験を何倍にも増やすことができるので、自身の可能性をやる気次第で格段に広げるチャンスになると思いました。

結びに

   これらの研究の先には、まさに目標1で目指す「身体、脳、空間、時間の制約から解放」される未来が想像出来ました。具体的には、本研究のCAが実現されれば、どこにいても声だけでコミュニケーションが取れる上に、自分の意図した行動を簡単な操作で行うことが出来るようになります。加えて、CAが持つ能力を自分の能力としても扱うことが出来るため、今まで想像も出来なかった経験を味わうことができ、我々の生活が飛躍的に発展すると感じました。

   その発展した生活を実現するために、石黒PMは、今まで培ってきた人脈を活用し、世界最先端を走るトップレベルの研究者を集結した研究グループを構成しています。そして、今回の訪問の節々で、石黒PMがその研究者たちを尊敬し、その技術に自信を持っていることを感じることが出来ました。それは、石黒PMが各研究者と密に連携をとっている証であることから、必ず目標1で目指す「身体、脳、空間、時間の制約から解放」された未来を実現してくれると感じました。

   そして、CAによって差別がなくなると石黒PMが考えているように、私たちも「ムーンショット型研究開発制度」が目指す「人々の幸福」を一人でも多くの方々が実感出来るようになることを期待しています。これからも研究開発を進める方々のサポートをしていきたいと思います。