第8回 目標5小林プロジェクト

   ムーンショット研究室訪問記、今回のテーマは「牛(うし)」。その中でも特に、牛の「ゲップ」です。
   ムーンショット目標5「2050年までに、未利用の生物機能等のフル活用により、地球規模でムリ・ムダのない持続的な食料供給産業を創出」において、プロジェクトマネージャー(以降、PM)を務める小林泰男北海道大学大学院農学研究院特任教授の研究室を訪問しました。小林PMは「牛ルーメンマイクロバイオーム完全制御によるメタン80%削減に向けた新たな家畜生産システムの実現」というテーマで、牛から排出されるゲップ(メタン)の削減によって地球環境と食料危機を救おうという研究をしています。(2022年6月)

北海道大学の農場(圃場*1

   小林PMとともに研究を推進している小池聡教授に、最初に案内してもらった場所が、北海道大学札幌キャンパス生物生産研究農場(圃場)です。ここは、札幌駅から徒歩10分の都市部に位置していて、オフィス街、住宅街はすぐ目と鼻の先。そんな場所に、こんなに広大な農場(圃場)があるのは、世界でもかなり珍しいのだそうです。
   出迎えてくれたのは、大きくて優しそうな牛の皆さま。ちょうど餌の時間が終わって散歩の時間。広々とした圃場で気持ちよさそうに過ごしています。この圃場では、飼料の生産から、家畜の育種、繁殖、飼養、生産物の加工に至るまでの一貫した畜産分野の研究が行われています。集めた牛のふんからの燃料生成、センサーを用いた牛の発情状況の検知、空を見上げればそこには飼料作物の生育・分布状況をチェックするドローンなど。科学技術を駆使した畜産研究の最先端がここにはあります。

【写真1】北海道大学生物生産研究農場(圃場)と牛の皆さま

*1 圃場(ほじょう):農産物を育てる場所や牛を放牧する場所。

牛と人間の関係

   近年、地球温暖化の原因として、牛のゲップが無視できない状況になりつつあります。牛のゲップにはメタンガスが含まれていて、実はこのメタンガスは、温室効果ガスとして一般的に知られているCO2の約25倍の温室効果があります。そして、牛のゲップに含まれるメタンガスによる温室効果の影響は、世界全体で約4%もあると言われています。例えば、畜産大国のニュージーランドでは500万人の人口に対して牛が1000万頭近くいる上、牛と同じくメタンガスを含むゲップを排出する羊などを合わせると、国として排出する温室効果ガスの30%以上が、牛や羊のゲップによるものだと言われています。
   牛の家畜化は紀元前6000年あたりとされており、近年に至るまで8000年近くもの間、牛と人間は良好な関係を築いてきています。元来、牛は草食で性格も温厚、人間との食料競合もなく、それでいて乳、肉、毛などの優良な生産物を提供してくれていました。食における結びつきは各国、各地で独自に発展しており、きわめて多様な食文化が醸成されていることも牛の特徴です。ところが今では、よりよい肉質にしたい、より大量の乳を生産したい、という人間の欲求を満たすため、人間の食料と競合する穀物が牛の餌として大量に消費されるようになりました。また、ゲップによりメタンガスを排出し、地球温暖化にも寄与してしまうので、いつの間にか、牛は悪者扱いされるようにもなってしまいました。しかし、もともと牛は、人間が良質な食料を確保するために人間自らが増やし続けてきたものであり、今さら牛に温暖化の罪を負わせるのは、いかにもかわいそうです。今後、世界の人口はさらに増加し、畜産物の需要も比例して高まることが想定される中、牛と良好な関係を築きながら、この課題を解決しようというのが、このプロジェクトです。

目標5小林PMが進める研究

   圃場を案内してもらった後、小林PMに、現在行っている研究内容をお伺いしました。

どのような研究をしていますか

   目指しているのは、2050年までに牛ゲップメタンを80%削減し、牛の乳肉生産効率を10%向上させる、同時に、飼料に使っていた穀物を100%人類に回せるような家畜生産システムを構築することです。地球温暖化問題が叫ばれる昨今、悪者扱いされ始めている牛ですが、メタンさえ発生させなければ、人間と十分共生できる。また、元来牛は草食動物であり、草主体の餌に戻すことができれば、人間の食料と競合することもなく、現頭数をさらに増やすことが可能と考えています。

   それを実現するために、現在以下の3つのテーマで研究を行っています【図1】。

   ①メタンを強力に抑制する飼料の開発

   ②低メタン牛に特徴的なルーメン細菌の特定と機能の利活用

   ③ルーメン内に留置し発酵状況をリアルタイムで体外へ発信する新規デバイス(スマートピル)の開発

   ルーメンとは、4つある牛の胃のうちの第一の胃のことです。牛が餌を食べて、この第一の胃で餌が発酵された際に水素が発生すると、胃の中に住み着いているメタン菌が作用してメタンガスが発生し、それがゲップとして大気中に排出されています。

【図1】プロジェクトの全体像

①メタンを強力に抑制する飼料の開発

   メタン排出削減に向けて、まず即効性がありそうなものが、メタンを強力に抑制する飼料の開発です。私たちの研究室では、ムーンショットに採択される前から、メタン抑制飼料の開発に取り組んできました。出光興産株式会社との共同研究によって開発・商品化したカシューナッツオイルを含ませた餌は、牛のメタン生成を5~40%抑制することに成功しています。現在、ムーンショットで行っている研究では、それ以上の効果を有するものを探し出し、飼料化を目指しています。数十種類の素材をスクリーニングし、効果の在りそうなものが何種類か出てきており、これらの素材を使った飼料の開発を急いでいます。

②低メタン牛に特徴的なルーメン細菌の特定と機能の利活用

   牛も様々で、同じ餌を同じ量だけ食べても、発生するメタンの量に個体差があることが知られています。なぜメタン発生量の少ない牛がいるのか。低メタン牛を特定して、その原因追及の研究していたところ、メタン発生量が少ない牛の胃に特徴的な微生物がいることを発見し、そして、その微生物の分離培養に成功しました。低メタン牛の胃の中の微生物の検出は欧米でも行われていますが、分離培養に成功したのは世界初の快挙です。この微生物を利活用し、例えば、毎日食べる餌にこの微生物を混ぜるなどすれば、メタン発生の少ない牛へ改善できるのではないかと期待しています。

③ルーメン内に留置し発酵状況をリアルタイムで体外へ発信する新規デバイス(スマートピル)の開発

   この研究は、牛の胃の中にスマートピル(センサーなどを備えたカプセルサイズの医療機器)を入れて、胃の中における餌の発酵状況をリアルタイムでモニタリングしようというものです。現在、牛の胃の中で5年間くらいは正常に動作可能なスマートピルの開発を進めています。
   餌を与えた後、ゲップ排出量が最大になるまでの時間は2~3時間、中には4時間くらいの牛もいて個体差が存在します。スマートピルで胃の中をリアルタイムでモニタリングし、ゲップ排出量が最大になる直前のタイミングでメタン抑制飼料を投入するなどできれば、メタン発生が抑制できるのではないかと考えています。また、リアルタイムモニタリングにより、個体別に餌のタイミング、量、成分などを調整することで効率的にメタン排出量の削減が図られることを期待しています。

   上記のとおり、①メタン抑制飼料の開発、②低メタン牛に特徴的なルーメン細菌利活用、③スマートピルを用いたリアルタイムモニタリングによる適切な給餌のタイミング、この3つの組み合わせにより、メタンの排出の削減を目指しています。
   上記3つの研究を進める上で基本となっている考え方がひとつあります。牛の胃の中には多くの微生物が存在していて、食物(餌)発酵の際に発生する水素を好む微生物として、メタン菌の他にプロピオン酸菌というのがいます。プロピオン酸菌は牛の成長にとって重要な微生物で、水素にプロピオン酸菌が作用して発生するプロピオン酸は、肝臓で代謝されて牛の重要なエネルギー源になっています。一方で、水素にメタン菌が作用して発生するメタンは体内に吸収されずにゲップとして大気中に排出されるだけなので、端的にいうと飼料エネルギーのロスと言えます。実は、胃の中で発生した水素を、メタン菌とプロピオン酸菌が奪い合っていて、メタンが減るとプロピオン酸が増えるという拮抗関係にあります。上記3つの組み合わせによってメタン排出量を減らすことができれば、その分、プロピオン酸を多く生成することができ、効率的に体内に吸収できるエネルギー源を増やせることにつながり、つまり、飼料エネルギーのロスが減ることで、今までよりも少ない飼料で牛の生産性を上げることができます。いずれは、飼料を100%草由来にすることを目指しており、それが実現できれば、メタン発生を抑制しつつ、人間と競合する穀物も使わない、そして、生産性の高い牛の飼育が可能となります。私たちはそれを目指しています。

今後の乗り越えないといけないものは?

   「ムーンショット」の名のとおり、私たちは非常にチャレンジングな研究をしていると思っています。ルーメンの中には7000~8000種の微生物がいると言われていますが、そのうち、分離培養に成功しているのはたった10%程度であり、まだまだ分からないことだらけです。牛の胃のことを「まるで宇宙だ」という研究者もいるくらいです。微生物が何を利用してどんな代謝産物を生んでいるのか、それは分離培養ができなければ解明できません。そのような中で、低メタン牛から特徴的な微生物を発見、分離培養できたのは画期的な成果だったと言えますが、今後、更なるルーメン内の微生物ネットワークの解明が必要です。
   メタン抑制飼料の開発では、ルーメンの胃液を使った培養実験によりメタンが減少したという結果が出ています。どれくらいの量のメタン抑制素材を含む飼料を与えればメタンが減少するのかも分かりつつあります。しかし、今はあくまでもラボレベルでの話です。これを実際に牛に給餌した際に本当にメタンが減少するかどうか、また、メタンが減少したとしても、個体別に最適な給餌レベルがどういうものであるかを確定するためには、まだ時間がかかりそうです。ここに乗り越えなければならない壁があります。
   スマートピルも近いうちに試作機が完成しそうなところまできています。今は、胃液を模した液体の中に入れて実験を行っていますが、今年はそれを本物のルーメン内で行いたいと思っています。未解明な部分が多いルーメンの中では何が起こるか分かりません。確実にリアルタイムモニタリングができ、電波を発信してくれるのかなど、様々な困難が予想されますが、突破を目指しています。
   全てに共通していますが、私たちの研究の難しいところは対象が生き物だということです。ラボレベルでは成功しても、すぐに実装に結び付くわけではありません。ここが逆に楽しく、挑戦し甲斐のあるものでもあります。チームとして、この困難を乗り越えていきたいと思っています。
   最後にもうひとつ。このプロジェクトでは、いずれは、元来そうであったように、牛の餌を100%草由来に近づけたいと思っています。そうすると、例えば、乳肉の味は少なからず変化するでしょう。この場合、それを食す皆さんには、ある程度、嗜好転換が必要になってくるかもしれません。地球を守り、食生活を守り、人間と牛が共生するためには、人間側にも変化が求められます。そのためには、私たちは、研究開発だけではなく、広報活動にも力を入れているところです。ここまでを含めて、私たちが目指すムーンショットだと考えています。

結びに

   今回、研究室を訪問させていただき、あらためてムーンショット型の研究開発が意味するものを感じることができました。本来、牛と人間は良好な関係にあり、人間は、牛から多様な食文化を生み出した以外にも、様々な恩恵を受けてきました。その牛がいまや悪者にされています。地球温暖化は人災であるとも言われ、それに巻き込まれた牛にとっては大きな災難です。地球温暖化防止、食料危機回避、人間と牛との共存。牛のメタンさえ減らすことができれば、これらの両立が可能であるといいます。非常にチャレンジングだけれども、必ず解決しなければならない課題です。相手が動物であることから一筋縄ではいかない、だからこそチャレンジする意味がある。それに向かって、小林PMの研究チームは挑み続けています。ここに、ムーンショットの原点を感じたように思えました。
   加えて、地球温暖化に寄与してきた人間の側にも、嗜好転換などが必要となります。乳肉に限らず、生活様式の見直しなどの「思考転換」も必要となります。ムーンショット型研究開発と人々の意識改革、この両輪によって、必ず地球温暖化問題の解決は進んでいくものと思いました。