第10回 目標4粕谷プロジェクト

   今回は、群馬大学桐生キャンパスの粕谷プロジェクトマネージャー(以降、PM)の研究室を訪問しました。粕谷PMは、目標4「2050年までに、地球環境再生に向けた持続可能な資源循環を実現」において、環境汚染問題の解決「Cool Earth」を目指して海洋プラスチックごみ問題に取り組んでいます。(2022年5月)

【写真1】目標4粕谷PM(群馬大学)

目標4粕谷PMが進める研究

どのような研究開発を実施していますか?

   我々のプロジェクトは、「生分解*1開始スイッチ機能を有する海洋生分解性プラスチックの研究開発」をテーマにしています。

   従来のプラスチックは、海に入れば時間経過とともに劣化と破砕を重ねながら小さな破片となりますが、100年くらいは完全に分解されずに海を漂うと言われています。その小さな破片となったプラスチックを魚が餌と間違えて食べてしまうことに加え、それを食す側の身体や繁殖に悪影響を及ぼすことが懸念されています。一方、現状市販されている生分解性プラスチックもありますが、これらは使用しているうちに徐々に劣化し、物としての性質を保ちにくいので製品として従来のプラスチックに比べて使いづらいという課題があります。そこで、我々は使用時には物としての性質を保ちつつ、海に落ちプラスチックごみとなったときには特定の条件(スイッチ)を満たすことで分解が始まり、最終的に微生物によって完全に分解される海洋生分解性プラスチックを開発したいと考えています。

*1 生分解:単にプラスチックがバラバラになることではなく、微生物の働きにより分子レベルまで分解し、最終的には二酸化炭素と水になって自然界へと循環していく性質

【図1】プロジェクト研究開発の背景 - 2つの課題

   海洋生分解性プラスチックを新たに開発するにあたって、2つの課題があります。【図1】
   1つは、プラスチックに要求される丈夫な性質と分解しやすさは、そもそも相容れないということです。使用後に速やかに分解されてほしいと思っても、そう都合よくは進みません。
   もう1つは、我々が生分解のターゲットとする海洋では生分解を進める微生物が土壌や淡水に比べて少ないということです。そのために、海洋ではプラスチックの分解が進みにくい状況です。一方で、PHA(ポリヒドロキシアルカン酸)やPCL(ポリカプラクトン)は、海洋でよく分解されることが知られており、その性質の機序の解明を進め、新たな海洋生分解性プラスチックの開発に役立てています。

   これらの課題を解決し、新しい海洋生分解性プラスチックを開発するために2つの戦略を考えています。

   まず、スイッチ機能を付与する戦略です。一般的な生分解性プラスチック(高分子化合物)は、微生物が出す酵素などによって徐々に分解され、低分子化合物になります。その後、微生物の代謝によって完全に二酸化炭素と水に分解されます。低分子化合物へ分解が始まるタイミングを、酵素に代わってコントロールするために、材料に生分解開始に関する「スイッチ機能」を付与します。

   もう一つの戦略は、分解速度を速める戦略です。海洋で希薄にしか存在しない微生物による生分解の過程を制御することで分解速度を速めます。

【図2】プロジェクト研究開発項目(E1,E2,E3,E4)

   これらの戦略をもとに、4つの開発項目を掲げ研究開発に取り組んでいます。【図2】

    E1:生分解性基盤材料の開発
既存の生分解性プラスチックをもとに、スイッチ機能や生分解速度制御を実現するプラスチック材料を開発します。
    E2:生分解開始スイッチ機能の開発
pH(水素イオン濃度)、塩濃度、酸化還元電位、摩耗など分解のきっかけとなるスイッチの付与を検討および検証します。
    E3:生分解速度制御
微生物による分解速度に影響するプラスティスフィアと呼ばれるプラスチック表面の微生物叢*2の構造を解明し分解速度のコントロールに繋げます。
    E4:生分解検証およびその評価
他の開発項目にフィードバックするために、海水を使った実験室での水槽浸漬試験および、その結果を踏まえた浅海・深海での実験を行い、評価します。

   これらの研究開発を進め、2030年の目標として、以下の3つの項目を満たす新たな海洋生分解性プラスチックの開発を目指しています。

  • スイッチ機能が発現した後で、30℃の海水において、半年で90%程度の生分解性能を有する新たな海洋生分解性プラスチック材料を3種類以上創出します。
  • 深海を含む実海洋環境での上記プラスチック材料の生分解性を実証します。
  • バイオマス、二酸化炭素を主原料とした新規海洋生分解性基板材料を創出します。

   目標達成に向け、ここ群馬大学だけでなく東京大学、東京工業大学、北海道大学、東京農業大学、近畿大学および理化学研究所、製品評価技術基盤機構、海洋研究開発機構(JAMSTEC)で、研究開発を進めています。さらに、開発した技術の社会実装を早期に実現するために産業界の協力を得るべく、企業のプロジェクトへの参画を計画しているところです。

*2 微生物叢とは、環境中に存在する多様な微生物の集合体のこと

粕谷PMが所属する群馬大学では、どのような研究開発をしていますか?

   群馬大学では、生分解開始スイッチ機能の開発(E2)、生分解速度制御の開発(E3)、生分解検証およびその評価(E4)を担当しています。

   生分解開始スイッチの開発(E2)では、材料が海洋に入ることで低分子量化を開始する塩濃度スイッチ、材料が酸素のない海底質*3に到着すると低分子量化を開始する酸化還元スイッチ、あるいは、材料の劣化により低分子量化が開始する摩耗スイッチなどの研究を進めています。

   生分解速度制御の開発(E3)では、プラスティスフィアと呼ばれるプラスチック表面の微生物叢の構造を制御することにより、生分解速度のコントロールを試みています。

   生分解の検証および評価(E4)では、実際の海水を使って研究室内のBOD試験*4、水槽浸漬試験を実施し、有効と思われるプラスチック材料を特定しています。その特定したプラスチック材料を実際の海洋現場で生分解性の検証試験をしています。

*3 海底質とは、海の底を構成する堆積物や基盤岩からなる物質
*4 BOD試験とは、水中に含まれる有機物が微生物によって分解されるときに消費される酸素の濃度を計測する試験

海洋現場での検証試験は、どのように実施していますか?

   JAMSTECと共同で、浅海と深海で一定期間、プラスチック材料を沈め、生分解試験を実施しています。浅海試験は、JAMSTEC岸壁(水深0-5m)で実施しています。

【写真2】しんかい6500と海底に設置したプラスチック材料 (©JAMSTEC)

   深海試験は、JAMSTECの所有する有人潜水船「しんかい6500」を使って、初島沖(水深854m)、三崎沖(水深757m)、KEO西方(水深5502m)、明神海丘(水深1294m)の4か所の深海底で実施しています。共にプラスチック材料を海底に設置し同時に水温、塩分、溶存酸素*5、酸化還元電位、pHなどを測定します。現在も500くらいのプラスチック材料を沈めて定期的に経過観察をしています。その中で、明神海丘(海底火山)はpHや水温などが特殊であり微生物量が多いので加速試験場として利用しています。

*5 溶存酸素とは、水中に溶解している酸素のこと

研究室見学

   生分解スイッチ開発(E2)の実験室では、塩濃度スイッチや酸化還元スイッチなどの材料のスイッチ部分を合成化学的な方法で作っています。塩濃度スイッチ機能を持ったプラスチック材料については、淡水では変化していないものが塩水で反応して劣化したものを見せてもらいました。スイッチ機能を持ったプラスチックは、実験室のフラスコ内で合成し【写真3】、プレス機でフィルム状に成型して作っているそうです。

【写真3】プラスチック材料の合成装置

   生分解速度制御の開発(E3)の実験室では、プラスティスフィアの構造制御によって、生分解の速度をコントロールする実験をしています。海洋では生分解されない生分解性プラスチックにプラスティスフィアの構造を制御する物質を混錬して、プレス機【写真4】を使ってフィルム状のプラスチック素材を作っています。プラスチック表面にある混錬した物質に混留する微生物によってプラスチックの分解が加速されます。作ったプラスチックを実際に海から採ってきた海水を入れた水槽浸漬試験装置【写真5】に、1ヶ月から2ヶ月静置して、プラスチック材料が分解されるか確認し、分解が確認できたプラスチック材料は、実際の海洋での現地試験に回すそうです。

【写真4】プレス装置

【写真5】水槽浸漬試験装置

   生分解評価(E4)の実験室では、BOD生分解度測定のデモンストレーションを見せてもらいました。BOD生分解度測定は、微生物がプラスチックを生分解するときに消費される酸素量で生分解の進行を評価しており、スイッチ機能の開発(E2)、生分解速度制御の開発(E3)など、本プロジェクトのほとんどの開発項目の評価で利用しているそうです。

【写真6】恒温槽に入ったBOD測定装置

   デモンストレーションでは、ハンディー端末で恒温槽に入った複数のBOD測定装置【写真6】から酸素消費量データ(圧力変動データ)を無線経由で一斉に収集し、そのデータを用いてコンピュータの画面に分解過程がグラフで表示されるという一連の流れを見せてもらいました。

   一緒に見学をした方も過去に同じような実験をしていたようですが、日夜実験室に通って手作業で紙に記録していた大変な作業が、このように劇的な進化を遂げていることに驚嘆されていました。

結びに

   今回の訪問にあたり、海なし県である群馬県で海をターゲットとした研究が行われていることを疑問に思っていました。お聞きすると、実海洋での実験場であるJAMSTECがある神奈川県や水槽浸漬試験やBOD試験のために海水や砂の取得を行う茨城県に高速道路を使って2,3時間掛けて行くそうですが、実験室にミニ海洋を再現し基礎的なデータを取るなどの工夫をしているそうです。そのミニ海洋で効果が確認できたものを対象に、実際に海洋に出向いてJAMSTECの近くの浅海および「しんかい6500」を使った深海での実験を行うとのことです。そういった方法で海なし県でも効率的に研究ができており、疑問が解消されました。それから、ちょうどこの訪問記を書いている日の朝のNHKニュースで、しんかい6500を使った深海実験の活動を偶然拝見し、ご活躍を実感しました。

   このプロジェクトは、海洋プラスチックの問題を扱う環境汚染問題の解決「Clean Earth」を目指していますが、プラスチックの作成に、石油由来ではない植物由来の材料や、微生物が二酸化炭素から生成した材料を積極的に使っていることから、目標4のもう一つの課題である地球温暖化問題の解決「Cool Earth」にも貢献します。このプロジェクトで作るプラスチックは計画通りに出来たとしても、それを色々な製品の原材料として普及させた後に、その製品が捨てられた際に初めて真価を発揮するものです。そういう意味でも、未来社会を展望し、困難だが実現すれば大きなインパクトがある社会課題に挑むというムーンショットらしいプロジェクトであり、是非、早期に目標を達成することを期待しています。