共催者挨拶「高齢社会フォーラム・イン東京」

樋口 恵子 高齢社会NGO連携協議会 代表
NPO法人 高齢社会をよくする女性の会 理事長

 どうやら今年は酷暑の夏となりそうでございますが、会場いっぱいの皆様に朝からおいでいただきました。

 わが高連協(高齢社会NGO連携協議会)は、何といってもまさに今日のテーマである、少子高齢社会の中で高齢者がどのような役割を担って生きようとするか。高齢者というと、たしかに高齢者に対する政策はたくさんあるのですが、何よりも医療・介護・福祉の分野で弱い高齢者をどう助けるか。もちろんこちらが緊急を要するのだから、これが政策の中心になるのはやむを得ないと思います。そしてまた、それをちゃんとやっていただきたいと心から願っています。

 しかし同時に、私も後期高齢者の年まで生きてつくづく思うのは、最大の介護予防・疾病予防は、高齢者が70、80になってもそれなりの仕事を持ち、社会に参加し、人との関わりを持つことだということです。

 高齢社会NGO連携協議会が内閣府のご支援を受けてこのところ進めている、元気高齢者がどのように社会に参画し、当事者として、この世の中の社会形成者として、サポートもされるけれども、しかし自分たちも参加する。こういう視点が、日本社会にはまだまだ欠けているように思います。高齢者自身が、実はこういうことができるのだ、ああやっているのだ、こういうアイデアはどうだろう。日本は何といったって高齢者大国だから、そのうち私たち高連協の実践が海外に輸出される。高齢者の活動のいい事例として、アジアをはじめ先進国に私たちの事例をどんどん輸出していって、人生100年型社会に徐々になっていく世界全体のモデルを提供したい。今日は、そのようなモデルが皆様からたくさん提供されるものと心から期待しています。

 このところ高齢者が弱者として色々被害を受けていることもたしかなのです。オレオレ詐欺とか消費者被害です。ついこの3月には、私の所にまでかかってきました。「恵子おばあちゃん、ボク、ボク」「あなた誰?」「いやだな、恵子おばあちゃん、ボクのこと忘れたんですか。ボク、おばあちゃんの一番上の孫じゃないか」。この辺から私もだんだん分かってきたから、はじめは拒否の姿勢だったのですが、だんだん猫なで声に変わりまして、「ごめんなさい。おばあちゃん、このごろ年で忘れっぽくなって悪かったわ。お久しぶりだわね。よく来てくれたわ。どこにいるの?」と言ったら、「近所まで来てるんですよ。ボク、おばあちゃんのところへ行っていい?」「そう。じゃあ早速コーヒーを入れて待っているから来てちょうだいね」というあたりから、向こうも変だと思ったらしいのです。ガチャっと切れてしまって、その後は来ませんでした。しかし、この樋口恵子の所へもちゃんとオレオレ詐欺が来る。

 私も大学は定年になり、いろいろ活動はしていますが、半隠居の身の上です。家に1日いる日があると、仕事の電話よりも様々な勧誘の電話のほうが多い日も少なくありません。そういう中で、英語でバラネラブル(vulnerable)という言葉があり、被害に遭いやすいとか弱々しいと括られる高齢者ですが、元気でいることが本当に介護予防である、疾病予防である。一見、弱々しく見える高齢者も、何かお役に立ちたいという気持ちがある。人間の本然(ほんねん)にある、およそ善なるものの1つが、何かお役に立ちたいと思う言葉だと思っています。

 先日、高齢者の被害予防をするために、たくさんの団体が集まりました。これは消費者庁の仕事でしたが、広い意味で内閣府の仕事です。私どもの団体も含めていくつもの団体が集まって、それぞれの団体の実践などのお話がありました。一番心にしみたのは、実は老人クラブの方のご発言でした。

 老人クラブの方は、「われら高齢者の弱い立場を考慮してくださって、みんなで高齢者の消費者被害を見守ろうという政策を立ててくださる。そして民間が入ってきて民間団体も一緒にやろうというのは心から有難い」と、まず感謝なさいました。その上で、次のようにおっしゃいました。「実は高齢者も見守られるばかりでいるのではないのです。地域の中で小学生など子どもの被害がないように、行き帰りの安全を見守っている老人クラブはたくさんあります。それから虐待を防止するように見守っている例もあります。高齢者を見守っていただくことはとても有難いことですが、腰を曲げて旗を持って子どもの行き帰りの安全を見守ったり、虐待がないように見守ったり、高齢者もまた地域の中で見守りをしていることを一言ご報告したい」とおっしゃって、私は心から感動しました。その通りだと思いました。

 一見、腰が曲がっていても、できることはたくさんあるのです。そのことが役に立つことが、どんなに老人クラブの人々を元気づけ、健康にさせているか分かりません。もし寝たきりになっても、もし要介護になっても、1人1人の心の底には、私自身の生きる意味は何か、存在そのものが誰かの役に立っているだろうかという思いがあり、それは最後まで持っているだろうと思います。実はそうした老いの人々の心にそっていくのが、よい介護や医療ではなかろうかと思っているのです。

 人生100年型社会。考えてみたら、去年も同じようなことを申し上げました。これは私が言っているのではなく、ハーバードの人口学者が言っていたのですが、ここ50年の寿命の延び方は、その前の過去5,000年の寿命の延び方に匹敵するのだそうです。5,000年といったら、ピラミッドより前です。それだけかかって延びてきたのが、特に先進国で、ここ半世紀足らずの寿命の延びはそれを上回ってしまって、オーバーではなく、人類始まって以来、人生80年、90年になっている。私ははしょって人生100年にしていますが、この頃アメリカの老年学研究で盛んに言われている言葉は、センテナリアン(centenarian)という言葉です。センテナリアン──1世紀以上を生きる人々の研究が大変深まっているようです。

 人生50年、60年から、人生100年を基準として個人の生活設計がされつつあります。国家は昔から国家100年の計と言っていましたが、それに我々の人生が追いついてしまったのです。人生100年の計。その中でもご先祖の文化遺産は、50代まではあるのです。ないのが60代、70代の生き方で、まして80代、90代の生き方は前代未聞、全くモデルがないのです。国際社会においても私たちは人生100年日本丸の共同乗組員として、一生懸命に知恵を絞って新しい航跡を描いていく第1歩、第2歩が、この高連協の動きだと思っています。

 私たちは誠に新しい使命を持っています。特に、定年後はどのような働き方がいいのか、どのような人間関係がいいのか。今日の調査もよく見てください。これは特に男の方に言いたいです。日頃の日常活動的な付き合い、人間関係のない人は、男のほうが女の倍以上います。男性は今まで良かったのです。会社という強固な人間関係がありました。逆に言えば、我々の世代の女は、職場という人間関係の中からはじき出されていました。ところが、はじき出されているうちに、よくしたもので、女は地域の中で結構な人間関係を作り上げている面もあります。だから普段しゃべり合う人にはあまり不自由しないのです。ただ、孤立している人もいるので男女共通の問題ですが、特に男性はあらゆる人間関係の原点であった職場を失うと、人間関係から疎外されていきがちです。だからこそ頑張りがいがあるのです。本当はこういう集まりに来て女が少ないと私はすねるのですが、今日は男性が多くて結構です。男性こそ、この問題に取り組まなければならないからです。

 そして定年後にどのような働き方をするか。単なる定年延長ばかりが能ではないと思います。色々なあり方があると思います。その多様なあり方を発明するのは、エジソンやスティーブンスンがやったような科学的発明に匹敵する、我ら世代のシニアに与えられた社会的発明だと思います。

 今日はそのような社会的発明についてのご提言も色々伺えるであろう、新たな人間関係の絆の結び方についてもご提言が伺えるだろうと思ってワクワクしています。私は午後も皆様のお話を伺わせていただきたいと思っています。

 ただ気になるのは、わが日本丸は大波小波に揺れ動いています。しばらくはなかなか安定しないでしょう。しかし私たちは、その揺れている間も年齢を重ねていくのです。

 人生100年社会。しかも、65歳以上がほぼ4分の1に達しようとする時、子どもを生み育て、主たる所得を形成し保険料を払い税金を払っている、20代から50代あたりが政治・行政の中心になることにおいては、全くやぶさかではありません。特に20代、30代の、時代の波を受けて就職にあぶれた方々の問題こそ最優先にすべきだと思っています。とはいえ、政権がどちらに変わっても、それぞれの政権の売りにするものが若さと精神だけでよろしいのかということは、65歳以上の1人としていささか疑問を持つのです。

 横のダイバスティ──横の多様性は国際化社会だから当たり前ですが、日本は今や人生100年社会。世界で一番寿命の長い国として、世代別の縦の多様性が一番豊かな国です。この縦の多様性が豊かであることを生かして、人生100年の人々、ゼロ歳から100歳代までの人々が同じ時代を生き、世代間交流できることを生かしながら、多様性とはそれぞれ違う人がいるということだから、違いを力に変えていく社会的実験を皆様ともども進めていきたい。私も残る人生を一生懸命やりたいと思っています。

 ドイツのワイツゼッカー元大統領の「過去に目をふさぐ者は未来を失う者である」という有名な言葉があります。世代間の対立を防ぎ、そして世代間交流をしながら、しかし高齢者が当事者として政治的にも社会的にも経済的にも発言し行動していく。この事を私たちは目指していきたいと思っています。

 若者は我々の過去であります。そして高齢者は若者の未来であります。お互いに未来であり過去である老若の世代にとって、過去に目をふさぐ若い世代は自らの未来を失うことになりかねない。お互いに過去を大切にし、お互いの人生100年を大事にしあうような、そんなご提言をたくさん期待して、私のご挨拶とさせていただきました。

 どうも有難うございました。

<略 歴>

評論家。高齢社会NGO連携協議会(高連協)共同代表。
高齢社会をよくする女性の会理事長。東京家政大学名誉教授。
時事通信等を経て、東京家政大学教授。
元「女性と仕事の未来館」館長、「社会保障国民会議」委員。
著書に『親と子の距離を考える』、『他人が見える教育』、『祖母力』等。

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