基調講演「高齢社会フォーラム・イン仙台」
人生100年の生き方~すべての人に居場所と出番~
樋口 恵子
高齢社会NGO連携協議会 代表
(N)高齢社会をよくする女性の会理事長
皆様、おはようございます。私は高連協の代表を皆様ご存じの堀田力先生と一緒に務めさせていただいている樋口恵子でございます。このような会合がございますと、大体堀田先生と私が入れ替わりで伺っておりまして、今回のフォーラム・イン仙台では、私が話をさせていただくことになりました。
先ほどからエイジレス・ライフの受章者の方々のビデオを拝見しておりまして、誠にわが意を得た思いでございました。機会がございましたら取材に伺いたいなと思うようなところばかりでございまして、こういう方々が増えれば、日本の超高齢社会は大変安泰なものではないか、少なくとも多少悲観的なムードを持って語られている高齢者の増加というようなことが、私はかなり解決するんじゃないかと思いました。私はここ数年来、日本のシステムを変えていけば、つまり今日ここにいらっしゃった方々のように、一人一人の高齢者及び高齢者予備群、もしかしたら若い人も含めて、人生の設計や生き方が変われば、高齢社会はそんなに恐れることはないと思っています。そりゃ意識が変わらない、システムが変わらない、国も変わらない、社会も変わらない、会社も変わらないというのは結構ゾーッとすることでありますよ。
今年の夏もゾッといたしましたね、皆様。私は「人生100年、人生100年」ってここ数年言い続けているから、「100歳所在不明、あれは樋口さん、人生100年論者としてどう思うんですか?」なんて結構取材がありました。この酷暑の中に、背筋が寒くなるような話でありました。
最初に見つかったのは70歳代ぐらいで亡くなった111歳の方で、白骨死体での発見でした。これは年金詐取事件という犯罪を構成していましたね。そういうこともあり得ます。それから私は、実は東京都杉並区の住人ですけど、杉並区では113歳の女性が所在不明なまま、今も所在不明のようです。こちらは犯罪の香りはしないんですけれど、子供さんたち3人もいて、その3人がそれぞれ3人のどこかと一緒にいると思ったと言って、その間20~30年間音信不通。あえていえば、最も家族関係の、いってみれば衰退と、地域の中におきましても、人間関係の衰退と両方を証明する結果になりました。
私は、ここにいらっしゃる方の平均より年上だと思います。1932年生まれ、昭和7年生まれ、78歳でございます。でございますから、私、結構昔者なんですよ。ですから男女平等とか、そういうことはワンワン言いますけれど、親子関係とか、そういう点から言うとやっぱり昔の親孝行とかそういう考え方、いやでもしみ込んでおりますよ。
まず113歳の行方不明、子供たち3人がそれぞれが、「どこかにいるんだろうと思っていた」なんて言っているのを聞くと、ムラムラと腹が立ち、子供は何してんのさ?!と思うんですよ。そうしたら子供の年齢が80歳だって。私より年上なんですよ。
この私自身、今こうして元気でおりますけれど、実は1年前にはものすごい大病をいたしまして、ええ、死にかけたんです。お医者さんに近い人であればあるほど、私の病名を言うと、のけぞって「えーっ!どうして生きてんの?!」って感じで、しげしげと見ます。
胸腹部大動脈瘤、感染症、人工血管置き換え手術。これ本当、死んでもしようがなかったし、それから何たって、病気したのが76から77にかけてですから、これだけの大手術をしますと、起きられなくなったり、神経切断しますから、片麻痺になる可能性も20%ぐらいあったんです。ですからもっとひょろひょろして、要支援1ぐらいでいる可能性も非常に高かったんですけれど。
私はまあ、大どんぶりにひびが入ったようなものだって言っているんですけど。だからそのひびから、いつボコッと割れるかどうかは知りませんけれど、今の状況で言いますと別にどこも心配なところもなくて、活動してよろしいということでございまして、だから面白いもんですね。我々が頑張らなきゃいけません。若い者は、年寄りは元気でいてくれなくちゃとか、医療費がかかったり、介護費用がかかるのは困るよと言いながら、意外と日本社会っていうのは年寄りが元気だと、若い者は気に入らないのね。
それで樋口さん、どうですか?どうですか?体の具合どうですか?大事にしてくださいね、大事にしてくださいね、よくそんな大病から治りましたね、なんていうから、もう私このごろは「手術成功!修理万全!部品交換!新品同様!出力向上!ますます元気!100歳確実!乞うご期待!」と言ってやると、40~50代はいやーな顔しますね。まあね、しようがないですよ。私たち伝統破りをしなきゃならないから。
私たちの宿命は、固定概念、そして日本社会に伝統的に伝わるいくつかの固定概念を破って、伝統破りをして、新しい伝統を気づき上げなければならないのが、私たちでありますから、何か年寄りは年寄りらしく、少しシュンとしていたほうがかわいい年寄りと思われるなんて思っている人がいたら、今日きっぱりとその思いに決別し、元気のよい、小憎らしい年寄りになりましょう。今日のエイジレス表章者のごとくに。
私も人生100年社会の提唱者といたしましては、この病気社会のどこまでそれが成就できるかどうかはわかりませんけれど、死ぬまで前向きに、森の石松じゃないけど、倒れるときも前向きに倒れてやろうと思っている次第でございます。
なぜなら私たちは本当のことを言って、地球規模で言いましても、21世紀の全人類に共通する課題は、1つはここ仙台で開かれております高齢社会フォーラム・イン仙台で今語り合っているように、高齢社会。特にその高齢社会の高齢者の生き方。つまり高齢化です。もう1つが今、名古屋で開かれている生物多様性会議=COP10。この環境の問題。
私は21世紀の日本人だけでなく、本当に地球規模の課題は日本語でいえば2K=高齢化と環境だと思っております。これは本当に私たち、これは老いも若きもみんなで取り組んでいかなければ解決しないことでございまして、もしかして高齢化と環境と、その2つに共通するキーワードがあるとしたら、それは多様性。まさに環境のほうは今、生物多様性=diversity(ダイバーシティ)ということで語られておりますけれど。
一人一人が多様性を持って、一人一人が志を生かして、元気に生きていこうと。そして他の違った人たち、違った動物たちの命を抹殺するのではなく、ちょっとご遠慮願いたいようなバイ菌とかそういうのはありますけれど、それだって抹殺するんじゃなくて、どこかで共存しながら、多様な生物が、そして多様な人間が、人生100年を生きおおせるようにというのは、実はこれ言葉で言えば簡単だし、エイジレス・ライフの実践者のような、実践なさる方がどんどんできてきていることは嬉しいんだけれど、これ歴史的に見ても、非常に革命的な変化です。恐らく今日は金曜日だから明後日、NHKの龍馬伝を皆様、夢中になって見ると思いますけれど、日本近代の大きな変革でございます。
その変革ということに自分が関りたいか、関りたくないかは別として、圧倒的な事実の前に関わらざるを得ない時期というのがあるんです。近代日本の3度の変革。第1回目は本当の黒船です。坂本龍馬のあの時期です。圧倒的な暴力的な外圧と、そして日本の政治体制、反幕、徳川体制の変革、これはやっぱり賞味期限切れですね。その崩壊とともに、かなりの流血の惨事の中で明治維新は達成された。しかしおかげで日本は植民地にもならず、何はともあれ、近代化に成功し、少なくとも昔、伊達藩の時代には、政治に参画できる人は武士階級の10%だけ。その10%の中でも、何家、何家、ご家老何とかそういう男しか政治に参画できなかった体制を、国の藩の国境を取り除き、移動の自由、教育の自由、職業選択の自由を得て、近代国家の中に一歩踏み入れた。これは大成功だったわけでございます。
2番目の変革は、こちらのほうはもっと痛ましい、日本人だけでも300万人の死者。その日本人が殺したアジアの人たちを入れれば、そして第二次大戦の例えばナチスドイツ人によって殺されたユダヤ人の人を含めて、第二次大戦の犠牲者は千万単位で、その何千万人にも及ぶ、大惨禍を経て、少なくとも日本の国は、そこで初めて民主主義国になれたのでございます。
もちろん戦争の惨禍と引き換えにということにしては、犠牲があまりにも大きすぎましたけれど、その犠牲を経て、私たちは今、世界一の長寿国に辿り着いているのであります。あの戦争の結果、日本はもう戦争はこりごりだといった。憲法9条の解釈とか、そこはいろいろなご意見があって然るべきだと思いますけれど、少なくともかなり日本中のほとんどを恐らく95%ぐらいの人は、少なくとも二度と戦争はしたくない。戦争によって戦死者も出したくない。諸外国の軍人も殺したくないと思っている人が圧倒的であり、おかげで私どもの日本は、日本史上も近代史上類を見ない、65年間の平和を維持することができました。
厚労省が、当時の厚生省が苦労して、簡易生命表で平均寿命を出しています。平均寿命っていうのはどうやって出すかというと、すごく大雑把にいうと、その1年間の死因を分析して、こういう死に方が今後とも続くとすると、今年生まれた子供は何歳まで生きられるか。平均寿命というのは国民の平均年齢でも何でもありません。そういう出し方をするのです。
昭和20年の日本人の平均寿命は男子が23.9、女子が37.5でありました。当時の日本人の人口は1億にまだ程遠かったのです。その中で300万人もの死がありますと、特に若い人々の死があると、男子23.9、女子37.5までも縮むのです。私の兄は昭和5年早生まれ、まだ徴兵される歳ではなく、旧制都立中学から勤労動員されて、造幣省の工場に働きに行き、それだけでなく、日曜日もよく日を次いで、東京の建物疎開、塹壕掘り、雨の中も防空壕掘りに駆り出されている中で、結核菌が入り、やっぱり栄養悪かったですからね。あっという間に急性結核性脳膜炎というのになりまして、15歳1カ月の命を落としました。東京大空襲のほぼ同じ日でございました。焼け死にはしなかったけれど、そういう死に方もございます。
今、昭和20年の男子平均寿命23.9という数字を見ますと、特攻隊で死んだ兵士もいる。引き揚げの中で命を落としていった5~6歳の幼児もいる。そういう死に比べれば、最も平和的であるとはいってもいいでしょうけれど、勤労動員されて栄養失調の中で結核で、あっという間に死んでしまった、私のたった1人の兄の15.1歳という数字も、確実にこの積算根拠に入っていると思うと、感無量であります。
人生50年から人生80年へといいますが、私たちはよその国の平均寿命を随分短くさせて申し訳ないことと存じますが、日本人の平均寿命も確実に、23.9、37.5というところから、平和を回復し、食うや食わずの時代がそれからまだ3年も続きました。随分後遺症ございますよ。今、仙台の「男の台所」のお話を伺って、食生活をきちんとするってことは本当に大事だと思いました。
私なども病気になったのははっきり言って、1つは食生活が悪かったんです。悪いということを今自覚しているし、そのころも自覚していなかったわけじゃないけれど、もっと人生100年に関する食生活っていうものを、人生100年の中でしっかりと教える、皆さん頑張ってくださいよ。生涯教育やってください。私もこれから提唱しようと思っています。人生100年、特に後半の人生の第2の義務教育っていうのをはやらせようと思っています。
だって就学前教育っていうのがあるじゃないですか。やっぱり60過ぎると体も違ってくるし、保健のヘルスの上で、運動とか食べ方と随分変わってくるんですよね。それはやっぱり60歳の入り口ぐらいで、第2の義務教育として、3日でも1週間でもいいから、私はきちんと講座に位置づけてほしい。
こういうことを私はまだ、高連協の会議にかけているわけでもございませんけれど、実は消費者教育のほうではちょっと興味を示してくれていますので、ぜひこの高連協としても、内閣府さんにもお願いして、第2の義務教育。義務教育というと、大人はコチンとくるから、そこはちょっと英語でね、フレッシュアゲイン講座っていうと、何とかやってみようかっていう気になるでしょう。
そこには生活設計もあれば、いかに消費者被害に遭わないようにするかとか、いかに財産を周りの者に盗られないで、しっかりと守って、無事に安全に三途の川を渡っていくか。あえていえば、三途の川の渡り方なんですよ。昔は老いというものはごく短かった。生というものがあって、境界線1つで死の世界に辿り着いた。境界線を三途の川と申しました。ここが老いだったのですけど、この三途の川、ごく短くて、ごく幅が狭くて、ひょいとひとまたぎにまたげるものだったのであります。春の小川のせせらぎほどもなかった。
ところが高齢社会というのは、生と死の間に老いという川が膨大になりまして、その膨大な老いの川もいろいろ分けられるんです。就労前、就労後とかね。それからぼけ以前とかぼけ以後とかね。認知症というべきでありましょうけど、その老いは非常に細分化され、しかも老いと呼ばれるものの川が、かつては春の小川ほどもなかったのが、今は黄河か揚子江か、ミシシッピーか、向こう側も見えにくいほどの大河になり、その間には私たちが老いの中で、私たちは人生のフィナーレの素晴らしい演出をする、やっぱり生きていて、今が一番よかったと思えるような生き方もできる反面、騙し取ろうとする人々。落とし込もうとする人々、病の川、時期が長くなるとか、いろんな問題も重ね合っていきます。
だから私はやっぱり、そしてこの老いの川を渡っていく人口、いまや日本は最近の統計によりますと、1億2千万そこそこの人口、もう人口減社会に入っておりますが、その中で高齢者の比率は増える一方でございまして、もはや23%。0歳まで含めて、全国民の23%を65歳以上が超えているのであります。女のほうがちょっと寿命が長いので、男女で少し差はありますけど、大した差でもないと思うんだけれど、あえて言えば、全日本の女性、赤ちゃんから100歳まで、全日本の女性のうち、4人に1人が高齢者であります。全日本の男性のうち、5人に1人が高齢者であります。まさに高齢者の時代ですよ。
本当にこの高齢者がしっかりして、生き生きとして、病気になるのはしようがない。医療費がかかるのもしようがない。介護費用が増えるのもしようがない。しかしこれは日本が平和を守り、豊かになったことの結果でございますから、高齢化、長寿化っていうのは2つの条件がないと絶対やっていけません。平和が続くことであります。若い世代の理不尽な死が、理不尽に増えないことであります。これが理不尽に増えるのは、何といっても戦争。
第2番目に、少なくとも飢餓戦場を逃れ、餓えに苦しむ人がなくなり、疾病の治療や予防がなるべく格差なく、全国民に行き届く。一言でいえば豊かさでございます。その豊かさがなるべく大勢の人に行き届くということ。つまり長寿化を生む二大要因は、平和と豊かさでございます。
これこそ人類が願ってやまなかった、あえて言えば、人類がつくり出すことのできる、善なる、よき方向のこの2つの相乗作用が長寿化でございますから、それをつくり上げたのは、もう亡くなってしまった人も含めて、戦争から帰って、日本経済の復興のために遅遅として働き、そのあとに私たちは平和の中で学業を終えて、いってみれば日本経済発展に一生懸命努めてきたわけであります。
どうぞ胸を張って長生きしようではありませんか。長生きというのは平和と豊かさの、繰り返しますけれど、長生きというのは平和と豊かさの所産なのであります。この所産を次の世代まで引き継がなければなりません。但し、実はこの世代に自覚して直面するのは、今日ここにいらっしゃる方々を含め、実は今の60・70・80・90ぐらいが初代なんです。これはもう恐ろしいことですけれど、初代なんです。
日本は今、三度の変革を迎えていると申し上げました。一度の変革は明治維新でしょう。二度目の変革が、平均寿命がこんなに縮むほど、多大な犠牲を払って、そして迎えた。仙台の空襲はどんなでしたか?東京なんて本当にひどいもんでしたよ。池袋だって新宿だって、渋谷だって、見渡す限り焼け野原でしたもの。私たちなんて、私の世代は焼け野原のがれきを踏んで、それでもやっと通り出した電車や都電に乗って、学校へ通ったものでございます。
夢のようであります。人間というのはがれきの中から、65年経つと、このような復興を成し遂げるものか。人間の力というものは物すごい。その中でもまた物すごいのは、23.9、37.5という短さに縮んだ平均寿命をたちまち50歳の元に戻し、これは戦争がなくなりますと、まだ餓えている人はいましたけれど、戦争がなくなると、アッと3年ぐらいで回復しました。
そしてその後豊かさが増すに連れて、これは豊かさというのは個人的な所得ばかりでなく、日本の65年というのは、どの政党がやったか、やらないかは別として、別な政党が取っていても、反対政党からいろんな要求が上がってということもあるし、日本はこの65年、特にこの50年間の中で、世界に誇るいくつもの制度をつくり上げました。何よりもこれは雇用者とそうでない人との差が大きすぎて、この後それがどう改正されるかはまだはっきり新政権でも見えておりませんが、何はともあれ全員が加入する予定ということを前提とした年金保険制度をつくり上げました。
その前に今オバマさんが必死になってどうやら、11月1日には中間選挙に負けるらしいけど、政治がそこはわかりませんからね。奇跡的に勝つかもしれないけど。つまり何でオバマさんがあんな攻撃されているか。国民健康保険の制度をすっかり変えたんじゃないんですよ。今まで入れていた人の枠をちょっと増やしたというだけで、税金を多く使う、何だってあの攻撃の嵐でしょう。
日本はとにかく被用者保険から始まって、それから国保をつくり上げ、これまた理論上は漏れのない、払えなくて今、いろいろ証明書給付とか資格証明書とか今もやっていますけれど。今またちょっと日本は格差の増えた、ちょっといやな時代に回っています。これをなくしていくのは私たち、今の国民の責務でもあると思うんですけど。何はともあれ、医療保険つくっちゃったじゃないですか。オバマさんが逆立ちしたってできないような、国民加入の医療保険をつくった。
これは部分的に見過ぎるって怒られるかもしれないけど、私もうちょっと今度の病気で金払ってもよかったです、はい。そんなこと、樋口さん言うな!っていわれるけど、例えばだから、例えばで言います。私のこの大手術は、要するにいくらかかったかというと、500万円かかりました。当たり前でしょう。医者だって6、7人、看護師は10人ぐらいいます。人工心肺、止めるんですから、4時間半も。その技術者で2、3人。その場で放射線撮る技師が何人、何か30人ぐらいの人が立ち詰めで、麻酔料だけで60万円かかっております。締めてざっと500万ちょっと。
私の病気はまあね、私贅沢ですから、個室でないとやっていけないと思いますから、個室入りました。そうすると差額ベッド料取られます。これは個人の贅沢です。だからそれやこれやあるから、今度の病気で私、200万円ぐらいかかったかな。だけどですよ、医療費として病院に払ったのは、全部で40~50万払ったかもしれませんけど、特に最初の4月の月末に手術して、3日間というのがICU使って、手術代使ってというから、そのあとはリハビリ料かかるけれど、一番その手術の集中したときの医療費の総額が500万円なんです。しかし、私の払ったお金は15万円なんです。
これね、私、息を飲んでね、私、現役並の所得がございますから、後期高齢者医療制度でも3割負担なんです。だから500万っていう数字を見て、私は3×5=15。150万払うものと思ってずーっと見ていったら、最後の請求額が15万なんです。桁が違うんです。私はすぐ、まだ麻酔の覚めやらぬときでしたからね、覚めてはいるけど、ちょっと考えが鈍くなっている時期でしたから、おお、これは病院が計算を間違えたわと思ったのです。恐らく150万払わなきゃならないところを、桁間違えて15万ってしたんだろうと。早く払っちゃえって、すぐ払いました。
それで払ってから良心がうずき始めるのが、樋口恵子のいいところでありまして、あれは間違えているんだといけないから、私の助手に「お間違えではないでしょうか」と病院窓口に話してもらおうと思い始めたころに、頭も段々クリアになって、過去の記憶。医療福祉に関する多少の知識は私ございますから、過去の記憶を思い出し、そうだ、高額医療費控除、それも若い人は申請しないと戻ってこないんですよ。あれは償還払いみたいなところがあって。
ところが70歳以上は、これはどういうわけでしょうかね、もう体力もなくなったりしている人もあるから、その辺はパッと返してやろうって、70歳以上の人は償還払いなしに、窓口で支払われて、それがどういう計算か知りませんけど、80,100円+全医療費の1%。こういうのが70歳以上高額医療費一時払いの制度であって、何かで80,100円っていうのを思い出したんですよ。そう、私ちょっと背筋がゾクゾクとしました。
日本の政治に悪いところは山ほどある。もう百か条並べ立てろっていったら、私時間さえあれば、私は百か条言ってみせますよ。しかし日本の医療保険はアクセスのよさという意味でも、これがんなどになりまして、長期の医療を含みますと、そこでやっぱりお金がかかってきて、やっぱり病気貧乏ということはたくさんあります。それから新薬が使えません。様々なことがございます。
ございますけれど、一たん緩急あらばという言葉を我々世代知っていますけれど、そういうときの医療費に関しては、このぐらい手厚くできていると。だから私は、日本はこれだけの制度を何のかんのいってつくってきた国であることを、逆にしっかり守らねばと思いました。500万円の医療費、今までそんな大病していないから、保険料払ってきたほうがまだ私、出し分にはなっていると思いますけど、今度一挙に使った。
私は後期高齢者医療制度の一応現役並っていうのは、もう割りと低いところで切られて、みんな同じなんですよ。私の保険料は50万円であります。ブーブー、ブーブー言って、メディアでもいろんなそういう発言をし、とうとう後期高齢者医療制度改革会議のメンバーになっても、まだ言っているんですね。だから娘に、もう医者なんですけど、娘はそうやって見せながら、お母ちゃん、お母ちゃん、あと10年払わないとこの手術代返せないよって言うんで、それも私はまた1つの元気の素になって、10年働いて保険料を払おうと思っております。
だけど、それは返せるか返せないか、保険制度っていうのは何か起こったとき、みんなで支え合う制度ですから、使っていいのだとは思いますけれど。とにかく日本がこの戦後、平和65年の中でろくでもない制度もいっぱいしてきたし、今仕分けられているような、何だか知らない役人の天下りばっかりが、ここにも役人さん見えているけど、そういう話も、無駄使いもいっぱいしているけど。何はともあれ、年金制度をつくった、医療保険制度をつくった。それから対象者は少ないかしれないけれど、いわゆる失業保険といわれる、これもまたこのごろは機能しなくなって問題ですけれど、雇用保険もつくった。
それからこれまた雇用上の職場において、災害を受けたときの労災保険もつくり、かつ10年前には高齢社会に対応して、介護の社会化という名の下に、介護保険までつくっちゃったじゃありませんか。
これはやっぱり私は平和であったからこそ、そこそこにみんなが食べられる世の中になったからこそ、人間の善なる思いが働いて、このような支え合いの制度をつくってきたことでありまして、ここ10年の政策は貧富の格差をつくり、そして特に貧しい若い者を量産するような状況になっておりますので、これは私たち一生懸命是正していかなければならないんですけれど、戦後の65年は、まずは成功。
しかし今、100歳行方不明老人に見られるように、今年の新語大賞は何でしょうね。新語大賞は何になるかわからないけど、私が審査員だったら、「超高齢者」っていうのを入れますよ。超高齢者っていうことは暗黙のうちに、100歳以上を指すというふうに、今年の所在不明問題で出てまいりました。そしてこれはもちろんネガティブイメージで、超高齢者は語られていると思います。
私たちの役割は、超高齢者をプラスイメージで語ることができるような実践を進めていくことだと思います。人生100年、これはもうあまりオーバーではございません。1980年代に女性の平均寿命は80歳代に達しております。そして今、平均寿命はご承知のように、女性が24年間、ずっと世界トップ。
男子は1位から5位を上がったり下がったりし続けて、ただ、上のほうはほとんど差がないです。1位から5位っていったって、みんな競馬でいえば写真判定、鼻の差です。ですからちょっと何かがあれば上がったり下がったりして、男女合計総合でギリギリ、それこそ鼻の差、写真判定で世界1位というところにおります。
日本人は四季の変化があって、食べるものが多く、長生きするような環境に恵まれているんですよ。この間栄養学者に話を聞いて、ふーん、もっともですなあと思いました。それこそ私の病気の素は食べ過ぎです。50代で私、中華料理の1コース足らなかったもの。追加していました、2品。もう50代なんて食べ盛り。60代も食べ盛り。これよくなかったですね。本当にやっぱりね、大動脈瘤なんてできるもとになっていたと思いますよ。
今、やっと人生100年の食べ方の変化というものが頭に入りまして、今私、食べ方が変わっています。体重も5、6キロ減りました。昔、これ15年ぐらい前の服です。ここ数年着られないから、でもいい色だから放り込んでおいたら、今年からすごく役に立っています。それ着られるように5、6キロやせたからです。
食べ方も変えました。こういうのを「食い改めた」というのです。皆さんもどうぞ、食べ方の悪い人は食い改めてください。こちらの「男の台所」あたりで勉強して、食い改めて、そして実は日本人っていうのは、とてもそれができる。宮城県は特においしいものがあるとおっしゃいまして、それはうらやましいことでございますが、世界の国に比べれば、日本は全体としてそれができていますよ。小さいころ食べる。そして何か調理の仕方も、お母さんはハンバーグつくってくれる。鶏のから揚げつくってくれる。同居していても、していなくても、日本のばあさん世話焼きだから、時々やって来てくれては、お袋の味より、祖母の味ですね。ばあさんの味。芋の煮っころがしをつくってくれる。サバの塩焼きつくってくれる。それらをしょぼしょぼ食べて、まあね、好みじゃないけど、これもまあねなんて思って、いろんな味知って育つわけですよ。
段々体の変化がきますと、私なんかも典型的でした。さすがに70歳越えたらね、肉より魚になっちゃった。ちょっと遅かっただけです。それでですから、栄養学の大先生にいわせすますと、日本ほど食材が豊富で、年齢に応じた食材だけじゃなく、調理法の多様性に恵まれている国はないと。同じ野菜の食べ方でも、欧米に行ったらサラダっつったらサラダ。たまに温野菜ですけど、日本でしたら生野菜の食べ方も、これはサラダっていう文化が入ってきているから、もう日本のスーパーに行ったら、もうドレッシングの数なんて目を回すほどありますわね。
そこへもってきて、日本昔ながらのおひたしもあれば、ごま和えもあれば、白和えもあれば、そういう野菜をさっと煮た上での、湯を通した上での油を使わない調味の仕方が巨万とあるんですね。そういうことができて、段々とそういうふうに変わっていくと。それがやっぱりアメリカ、ヨーロッパのある国に行くと、5歳でベーコンエッグ、90歳でベーコンエッグ。
ですからやっぱりそういうことを思うと、日本人は大変長生きの体質に恵まれていて、こうした食材と調理法の豊かさは、むしろ日本が主となって、海外へ輸出しなけりゃならない文化ではあるまいかと栄養学者は話されて、それだけがそうかどうかわかりませんけど、一理ある話と思って、ふーんって聞いたわけであります。
そして、この第三の変化に今、私どもはおります。これはもしかしたら第一、第二、明治維新や敗戦のときの変化よりも、もしかしたら根底を揺るがす変化です。それは一にも大変で、大勢の死者を出しました。今度は幸いに血を流さなくて済む変化であります。
優しき名の黒船と私は呼んでおります。但し、事実は大変です。平均寿命が50年から100年に変わっちゃったんですから。理工系の方はよくおわかりでしょうけど、すべての問題は標準ということです。社会の標準は人生の長さです。その標準の人生が50年で、何百年か、もしかしたら1千年以上やってきたのに、今ここで人生の標準が80年になり、90年になり、正確には今90年ぐらいだと思います。男子79.59、もう80まで。来年か再来年は80の大台に乗るでしょう。女性が86.44、女性はいずれ90に到達するといわれております。
だから正確にいえば、人生90年でもいいのかもしれないけれど、既にもう100歳以上の方が44,000人もいらっしゃるというのが、我が国でございます。何事も計画は少しゆとりを持っておいたほうが、例外の方をその中にカバーできます。
私はあるとき、講演に行って、人生100年っていうタイトルで、今日みたいな話をしましたら、終わって、杖はついていらっしゃるけれど、しっかりスタスタ歩いていらっしゃる女のお年寄りが寄って来て、「樋口さん、今日の話はよかった。何がよかったって、中味はともかく、タイトルがよかった。人生100年って言ってくれたところがうーんと嬉しかった。長寿社会のことについて偉い先生が来て、話をあちこちいろいろなさるけれど、特に男の偉い先生は人生80年までしかおっしゃらない。人生80年社会の到来とおっしゃるけれど、その度にあたしはどうすりゃいいのさと思っていた。私は92歳です。今日は100年って言ってくれたんで、あと8年のゆとりを持って生きられるというふうに元気がわいてきた」って言うんですね。
私は以来もう人生100年と言いながら、この場に106歳がいたらどうしようと思いながら、そのときは100歳代を全部含むのですと言おうと思っております。人生100年。この100年という単位で計画を立てていけば、大抵の人がその枠の中に収まります。どうぞ皆様も今日はお家にお帰りになりましたら、既に設計していらっしゃると思いますけれど、我が人生の設計をし直してください。まだ現役で60歳ぐらいの方が70ぐらいまでのことを考えているとしたら、どうぞ人生100年型に設計変更届を出していただきたい。
何も役場に出さなくて結構です。自分の中で人生100年の生活設計をして、90で死んでいいんですよ。100年の設計をしておけば、90歳以降の自分の人生設計を、その他の人々と、下の世代の人々と、夢と希望を共有しあいながら、生涯を終わることができるではありませんか。私はぜひ人生100年型、居場所と出番、人は居場所がないと生きられない。出番がないと面白くない。
今日表章されたような方々は、まさに今日は出番を得られて、自らの輝きにまた一層の光を添えたわけでありますが、平凡に生きている1メンバーの方々でも、私はこれは子供のグループから大人のグループまで、みんなそうなんですけれど、よい活動をしているグループに共通することは、すべてのメンバーにどこかここかで出番を与えている。
出番を用意しているグループというのは発展いたします。人間、居場所がないと生きられない。出番がないと面白くない。面白く生きる人が増えてまいりますと、みんな機嫌よくなるのであります。ということで、私たちは今、武力にも迫られない。何かTPPとかいって、今いろいろ騒いでどうしたらいいんですかね、あれもね。だけど圧力といっても、せいぜいTPPぐらいですよ。武力による圧力はちょっときな臭くなっても、まずはしないのが人類の知恵に今なってきます。
だけどもちろん部族間抗争とか、局地的な戦争はあり得るでしょうけれど、私たちは二度の大戦を経て、全地球規模の戦争はしないということが、人類の共通認識になっていると思います。だとすると変革はむしろ難しいのです。戦争とか、外からの武力のような、あるいは進駐軍の命によりという、あらがい難い権力の側から、お前ら変われ。私はやっぱり少し昔者ですから、東京にいる私たちより、仙台は大都市ですけど、この辺の方のほうが変革をよくおわかりだったと思うけど、やっぱり私、農地改革なんてよくできたと思う。
あれは戦後の進駐軍の命令でなかったら、できませんでしたよ。結果はよかったです。だから農村に小作人がなくなって、地主さんはえらい迷惑だったと思うけれど、しかし農民のほとんどは小所有者となり、日本の中産階級を形成することができたと。日本の戦後の豊かさは何たって工業、ハイテク工業の振興でございますけれど、しかしそれを下支えしたのは農村部における極貧層がなくなり、中間層を形成することができた。あれもいい変化だったけど、あれも進駐軍の命によりでなかったら、あなた、農地解放なんて今の民主党政府だったらできませんよ、悪いけど。
だから今は大変なのです。今、大きな変革を強いる大権力はありません。あえていうならば、その大権力を形成しているのは、私たち国民でございます。私たち国民が一人一人変わる勇気を持ち、そして人生50年型の社会を人生100年型に変えていく。それは何よりも特に私ども高連協で取り組まなければならないことは、定年の60、65、70ぐらいまで延ばしてもいいと思っているけれど、そう無限に延ばすというわけにもいきませんでしょう。年金支給開始年齢との問題もございます。
ですから一定程度の定年は認め合って、年金とリンクさせるにせよ、定年後の年寄りが働かなかったら、この世の中持ちませんよ。だってあと40年後、2050年には65歳以上が4割になるんですから。こういう社会に第二の働き方。年金もらっているけど、それプラス社会に参加し、お役に立って、人々と出会い、自分も向上しという、いってみれば社会参加型活動家の第二の働き方を社会的発明として、私たちやっていかなきゃいけない。企業も取り組まなきゃいけない。我々ももう楽隠居には決別しましょう。
はっきり言って、楽隠居させてくれる日本の経済の余地はありません。1人で何億も貯め込んでいる人はいいと思いますけど。でありますから、やっぱり私たちは今、圧倒的な外圧も武力も、流血の惨事もないのに、自らの意思を持って、人生100年働いて生きるんだとか、仲間の中から引きこもりで、孤独死っていうのは1人で死ぬのはしようがないと、私は思っていますよ。病状によっては、1人暮らしの人が1人で死ぬのはしようがないと思っていますけど。
2週間も発見されなかったと。孤独死に対して、これは孤立死というべきで、人間は孤独には耐えるべきです。多少の孤独に耐えられないような人が、集団の中で幸せになれるはずはない。人間は1人で生まれ、1人で死んでいく。一定の人間の尊厳と裏腹にあるような孤独には、私は人間は耐える覚悟をしなければならないと思います。特に老いにおいては覚悟しなければならないと思っています。孤独に耐えるのは個人の責任であります。
但し、その人を孤立させるのは、みんなで形成している社会の責任であります。人を孤立させてはいけない。人を排除してはいけない。亡くなったら少なくとも、翌日か翌々日ぐらいには発見されて、人間らしく腐敗もしていないうちに、荼毘に付してみんなで送る。孤立死は絶対に私は出していけない。孤独は多少個人で耐えなくてはならない。しかし高齢者を、弱った人を孤立させるのは我ら社会の恥であり、行政の恥でもあり、政府の恥でもあり、地域社会の恥でもあると思っております。
でありますから、そうでない社会をみんなでつくりましょう。長寿、人生50年60年が平均だった時代まで、これはこの間NHKのテレビ見ていたら、私なんぞみたいなんじゃなくて、ハーバードの人口学の偉い先生が言っていました。人類は、特に先進国においてですけど、過去5千年にわたって伸ばしてきた寿命の長さと、過去50年、たった半世紀において伸ばしてきた寿命の長さがほぼ匹敵するんですって。30~40年でしょうね、きっとね。
ですから人類がこのように不変的に長寿を獲得した歴史は、まだたった50年しかないんです。50年経って、前の30年ぐらいは混沌として見えませんでしたから、我々が人生80年90年100年社会に到来したということを自覚したのは、やっとまだこの30年ほどだと思います。
でありますから、私たちは今、この世代の人たちは、日本が人生100年社会を迎えたということで、新たに建造された人生100年丸という船に乗り込んだ協働の乗組員でございます。船はできているけれど、海路図もない。航海図、航路図もない。羅針盤もできていない。どうすれば人生100年を豊かに導いていくことができるかに関しては、実はまだ海図をつくる初代なのでございます。我ら人生100年丸、乗組員初代。
一緒に乗り組みたくない人もいるでしょうよ。夫が妻と乗り組みたくないなんていう人もいるかもしれないけど、乗り込まざるを得ない。
私たちは同世代として、その人生100年丸の新たな航跡、航路をみんなで知恵を寄せ合って、エイジレス・ライフの表章とか、お互いの実践を交換し合うなんていうのは、まさにその知恵を寄せ合っているところで、政府も民間団体も個人個人も、地域、地方自治体もみんなで協力し合って、この変革の時期、武力の強制力がありませんから、今私たちの変える力は何かっていったら、お互いこうして勉強し合い、古い考え方は捨てなきゃいけないんだ。
年取ったら隠居になって、あとの代へ譲っていればそれで済むんだなんていうことから、男女の関係もそうです。男は外で働いているから威張っている、女は家事。台所へ夫を入れないようにしている。それがいい夫婦だなんて思ったら、定年まで生きた人の4割は90まで生きますからね。夫婦ともそっちの中入っちゃうと、定年になってから、子供は出払い、犬も死に、という定年後の老夫婦が2人でどうやって生きていく。
定年後も、定年前と同じように妻を追い、使おうなんて思った人は、これはバチが当たって、本人のほうが先にばてるんです。廃用性退化といって、現実にあるんです。介護保険、困難例の事例の中に出てきています。だからまだ犬でも飼っていて、散歩すればね、いいんですけど。犬も飼わなきゃ、テレビの前にデンと座って、テレビの前のもう1つの備品のごとく動かず。定年後、ずっとやっていると3年で大体、あんまりよく歩けなくなります。犬でも飼っていりゃいい。
この暑い夏に定年後、犬も嫌がる5度目の散歩っていうのがあったけれど、犬に引かれず、自分の志に引かれて出て行くところがある。出て行ったところで語り合う仲間がいる。語り合った仲間と何かしようという共通の目標を持つ。その目標のときに、一人一人の多様性を尊重しながら、最大多数の公約数でするべき目標を持っていく。そして大事なことは勇気を持つことであります。変革に対応するいくつもの資質があります。行動力、好奇心、そして私は勇気だと思います。
最初に人生100年型の人生を生き始める人たちは、まずは伝統的な社会、年寄りは年寄りらしくしていればいいのにという人から、はっきり言って笑われます。今日のこの会もどこかで笑っている人がいる。何だか知らないけど、黄色い陣羽織だかちゃんちゃんこか何か着て、年寄りは年寄りらしく、じっとしていればいいのになんて必ず笑う人がいます。
私たち初代はまず笑われる、変わる勇気を持つことと、笑われる勇気を持つこと。これは実はイギリスにおいて最も尊敬されているディケンズという人の作品に、そろそろクリスマスも近づいてまいりました。『クリスマスキャロル』という有名な作品があることをご存じだと思います。そこにスクルージという因業な、ケチで因業でどうしようもない爺さんが出てまいります。
しかし細かいいきさつは別として、ここら辺はキリスト教がわからないから、私もよくわかんないですけどね。とにかく彼はあることで、非常にボランティア精神に満ちた、体の弱い雇い人の小さな息子をかわいがる善良なおじいさんになるんですよ。素晴らしい、リッチでかつ寛容で、ボランティア精神に富んだおじいさんに変わるのです。ここら辺がやっぱりディケンズの作家としての観察力の鋭いところで、それでめでたし、めでたしで終わるかっていうとそうじゃないんです。
スクルージがよく変わったもんですから、みんな嫌な顔するんです。スクルージが変わったことをみんな周りの人々はかえって迷惑に感じた。だって今までスクルージという因業おやじがいるおかげで、誰もがスクルージの悪口をいえば、みんなで仲良 くなることができた。共通の悪口をいう相手がなくなった。
そしてだから腹いせに、みんなスクルージのことをあざ笑うことにした。あんな因業おやじがあんなふうに変わりやがって。いつまでもつか。大体今までしてきたことがしてきたことだから、ろくな死に方できないよとかね、みんなであざ笑ったり、さげすんだりすることで、周りは対応したそうであります。
ディケンズのこの美しい物語の最後は、私も持って来なかったけど、ほぼこのような言葉で締められております。あざ笑われても、スクルージは平気だった。なぜならば、今の生き方のほうが、人類人々みんなの幸せにかなう生き方だということを知っていたからだ。
初代は時々、みんなから笑われることもございます。スクルージに倣って私どもも、笑われても平気で信じた道を歩いて行きましょう。その道が人生100年の幸せに通じる道だからでございます。皆様のご健闘をお祈り申し上げます。ご静聴ありがとうございます。
<略 歴>
評論家。高齢社会NGO連携協議会(高連協)共同代表。
高齢社会をよくする女性の会理事長。東京家政大学名誉教授。
時事通信等を経て、東京家政大学教授。
元「女性と仕事の未来館」館長、「社会保障国民会議」委員。
著書に『親と子の距離を考える』、『他人が見える教育』、『祖母力』等。