基調講演「高齢社会フォーラム・イン横浜」
「誰もが幸せになる高齢社会づくり ~それは、高齢者の義務である~」
堀田 力
高齢社会NGO連携協議会共同代表
公益財団法人さわやか福祉財団理事長
― はじめに
皆さん、ようこそおいでいただきました。また、内閣府の「エイジレス・ライフ実践者及び社会参加活動事例」表章を受けられた皆様方、おめでとうございます。表章者の方々はそれぞれに、本当にすばらしい活動を展開されておられます。皆様のご活動まではちょっと無理にしても「自分もやれるかな」という、そういった活動だと感じていただけましたでしょうか。そう感じていただいて、やっていただくことが、表章いたしました内閣府の魂胆であろうと思います。それは、いい魂胆であります。
いろいろな活動が紹介されましたが、おそらく、今日おいでいただきました多くの方々は、同じような活動、あるいはもっと違う種類の活動を続けて、おこなっておられるのではないかと思います。お昼休憩の時間が早まり、スケジュールの予定よりも時間がたくさんございます。ゆっくりと、それぞれのご活動を語り合い、披露し合って、「もっと違うやり方があるのだ」「そういうやり方があるのか」と、いろいろお話しいただければうれしいと思います。
私の演題は「誰もが幸せになる高齢社会づくり」です。「幸せになろう」という、いい演題でありますが、その後ろに「それは、高齢者の義務である」、ここのところが、きついです。私がつけたのですけれど。「それは、高齢者の義務である」と言うと、「うーん」という感じだと思います。
私も定年より少し前に、わがままを言って、法務・検察の世界を辞めました。本当にすっきりしました。
公務員時代は、当然ですがいろいろと義務がありました。そういうことからさっぱり縁が切れて、「しなくていいのだ、義務がないのだ」と、この状態は本当に健康にいい、最高です。そういう思いで辞めました後、もう20年になります。その後、ボランティアを広める活動をずっとやってきて、いい方とたくさん知り合いました。何百人、何千人、今日もずいぶんたくさん、知り合った方々とお目にかかれて、うれしい限りです。この20年は本当に最高であります。その前の検事生活30年、悪い人とばかり知り合ったものですから、その期間に比べてこの20年は本当に値打ちがある。いやな人とは付き合わなくていいという、これほど健康にいいことはありません。これを、健康保持の第一にしてほしいと思います。
そういう体験をしておりながら、ここで「高齢者の義務か」ということなのですが、私はこういうことをずっと言っていなかったのです。高齢者になって、自分の時間を自分の好きなように使える、これほど最高なことはない、人生最高の期間です。そんな期間はめったにありません。子どもの頃はたしかに自由ですけれど、「勉強しろ」などと、いろいろ制約があります。学生時代もまた、資格、受験勉強などあります。社会に出て勤めれば最後です。月給をもらっているのですから、仕方がない。義務とルールの連続でした。それから開放されるのが、高齢時代です。定年退職をし、あるいは自分の仕事をたたんで生きることができる、最高の時間であります。
― 我々高齢者はこれでいいのだろうか?
昔は、この最高の時間というのはほとんどなかったのです。あっても2~5年、これがぐっと伸びて、20年、30年、40年、聖路加国際病院理事長の日野原先生は、100歳で10年先の講演のアポを入れておられるそうですから、いいですよね。
義務がない時を迎えて、本当にすばらしい人生だと思ったのですが、もうその期間が20年になります。しかし、一昨年ぐらいから、この2、3年、若い人を見ていますと、やはりわれわれはこれでいいのだろうかと思わざるを得ないのです。たとえば、われわれ高齢者の3経費と言われていますが、ご存じでしょうか。年金、介護保険、医療保険ですね、お金がかかるといって大議論をしています。私も社会保障と税の一体改革の委員をいたしまして、その議論に参加しました。もっときちんと制度を詰めて、選択を示して、国民に説明しないとわからないでしょうと。誰でも増税は大嫌いなのだから、特に若い人たちが、こんなに厳しい中でやっていて、「増税」と聞くだけでゾッとするでしょうと。「理屈の問題ではない、頭でわかってもハートに落ちない、感覚に落ちない、そういう問題だ」と言い続けてきました。そういう、若い人たちの状況です。たとえばいまの3経費の中で、「医療保険を払うのはつらい」と、若い人は言っています。「高齢者がほとんど医療費を使っている。その分をほとんどかかっていないわれわれが、なぜ払わなければいけないのか」と言っています。「われわれも払ってきたのだ」と言っても、「あなた方の払った分は、われわれの何分の一でしょう」と。そうですよね、われわれの若い頃は高齢者が少なかった。若い人が多かったのですから、たくさんの若い人で高齢者を支えたわけですから、1人にすれば、いまの若い人に比べたら負担は何分の一でした。われわれの頃の高齢者は、数が少ない上に、そんなに長生きしていないのですから、使う分は少なかったのです。いまはうんと数が増えて、うんと長生きですから、医療のほうでも若い人たちにたっぷりお世話になっています。私も心臓手術をしましたので、高額医療です。あのときあれを払えなかったら死んでいました。保険がなかったら、そのほかにも2、3回死んでいました。言ってみれば、ここに立っているのはゾンビのようなものです。若い人の払ってくれた保険料で、あの高額医療費も負担してもらって、こうやって話ができているわけです。また、毎日が楽しい。こんなに楽しい日をもらっていて、若い人はピーピー言っている、本当に厳しい時代です。「今日は節約をして、390円の牛丼にしよう」と、本当に厳しくやってくれているのを見ると、これでいいのだろうかと思うわけです。
介護保険もそうです。介護保険にお世話になっているわれわれの仲間はたくさんいます。いまの若い人は40歳から払うわけです。私が払い出したのは65歳になってからです。これからずっと介護保険のお世話になる人は、40歳から払い出しています。これを20歳にしようという声も出ています。若くからずっと払い続けて、そうして自分が高齢になって、それもかなりの高齢になってから介護保険を使わせてもらう。われわれは払っていない、2000年より前は払っていません。それで、一人前に、みんなが払った分で介護保険を使わせていただいている。これは丸儲けなのです。こんなに得をしていいのかと思いませんか。
あるいは、もう1つは年金です。年金はたしかに払っています。払っていましたけれど、これも、数少ない高齢者、あまり長生きしない高齢者の年金分を払っていました。いまは違います。ぐっと数少ない人たちで、沢山の高齢者の長い期間を支えるわけですから、負担がまったく違います。この年金は、若い人たちにとって「もうこれではやっていけない」と言うのです。現に年金保険料を払っている人は6割です。この6割のうち2割は免除を受けているわけですから、実質は4割です。それで支えてもらっています。もし年金給付がなかったらどうなるのだろう、介護保険がなかったらどんなことになっているのだろうと思います。介護保険制度がなければ、家庭内の悲劇、自殺、離婚、そして高齢者遺棄、この高齢社会の日本は、本当に悲惨なものになっていたと思います。年金がないと大変です。働かなければいけない。しかし働き口がない。どうなっていたのかと思うと、ぞっとします。それを、若い人たちが必死になって、自分たちの生活をギリギリ絞りながら、よく負担をして頑張ってくれていると思うのです。
われわれの若い頃だったら、火炎瓶が飛んだり、デモが起こったり、若い人たちは黙っていなかったと思うのです。そういう意味では、若い人たちは、絆というのでしょうか、高齢者を支えたいと思って払ってくれていると、われわれは思いたいのですけれど、そう思っている人は少ないでしょう。「こんなに無理やり取られて」「本当は逃げ出したい」と、本音で聞くとけっこうひどいことを言っています。そういう中で、われわれはこういうふうにゆっくり楽しんで、人生を生きていていいのだろうかと。やはり、元気なうちは、返せるうちは、社会に返さなければいけないのではないかと思うのです。
― 高齢者ができること
高齢者は働き口がなかなか見つからないのですが、これも工夫をすればまだまだあるはずです。また、働いて負担をすることだけが返すことではありません。「高齢者がこれだけ社会のためにやってくれて、本当にいいね」と思ってもらう。特に子どもたちに対して、です。子どもたちをどう育てていいのか、自分1人で背負い込んでつらい思いをしているお母さん方がいます。子育てのあり方もしっかりみんなで支えるほうに変えていかなければいけません。われわれ高齢者が子どもたちのためにできることを、もっとしなければいけないのではないでしょうか。もちろん、通学をしっかり見守るということも大事なことです。それにとどまらず、帰ってきた子どもたちの話を聞く、子どもたちは疑問をたくさん持っています。そこで、自分のわかっていることを教えて、一緒に考える、一緒に遊ぶ、社会について話をする。できることはたくさんあると思うのです。われわれがそういう活動をすることによって、「やはり、高齢者がいてくれていいよね、助かるね」「これだけ私たちが助かっているのだから」と、そういう思いを若い人たちに持っていただく、それだけの活動はしたいし、それをする義務があると言っていい、言わなければいけないときに来ているのではないかと、私は思います。
もちろん、義務といっても、社会的な義務で、それをやらなければ罰金がくるといったものではありません。しかし、みんなで「それをやるのが当たり前だ」と、そう思うような、そういう社会のルール、考え方、道徳というのでしょうか、社会のものの考え方が必要です。
たとえば北欧の例を聞いてみますと、女性で職に就いていないと、社会から白い目で見られると言います。女性は働くのが当たり前です。また、子育ては、お父さんがしっかり休んで参加する。働いている間もしっかり子育てに参加しています。それもまったく当たり前です。そういう社会のしきたりがあります。そういう意味での義務なのですけれど、そのような社会に早く変えていかなければいけないのではないかと思います。
「義務」というのはあまりいい言葉ではないのですが、しかし、高齢者が自分の能力を生かして人の役に立つということは、本人にとってもいいことなのです。それは、今日、表章を受けられた皆様方が、本当に輝いて、若々しいことからもわかります。足がご不自由な方もいらっしゃいますが、しかし、声に力がある。それは自分の命が輝いて生きている、その証しだと思います。肌に張りがあり、目に光があり、声に力がある、行動が自信に満ちている。やはり、人の役に立っているということは、自分が社会に必要な人間だということを、自分で納得できているのです。これが力のもと、生きるもとだと思います。自分が楽しいと、そう思います。人に喜んでもらったら、人の笑顔をもらったら、あるいは、そういうことがなくても自分で「いいことをしたな」と、そう思って眠れるときというのは、眠りが心地よいのです。眠れないということは本当につらいことです。
被災地はいま大変な状況なのですが、震災でなくても、日々に張りがない、自分が生きているということについて、感覚的に「こんなことをしていていいのか」「何もすることがない」という状態というのは、先に光が見えないのです。眠れない夜があると思うのです。これは健康に悪い。眠りは心の平穏の現れであり、体の大きな力、食事と同じ力です。これが確保できないというのは、つらいことです。
その点、いいことをして、「今日はあの人が喜んでくれた」ということが1つあるだけで、夕食もおいしい。そしてお酒が特においしいのです。お酒の味というのは、気分によって変わります。値段にすれば5倍ぐらい変わります。いい気分で飲むときのお酒のおいしさ、染み通る喜びがあります。沈んでいるときのお酒の苦さ。「悲しい酒」という言葉がありますが、あれはよくありません。やはりいいお酒を飲みたい、いい眠りに就きたい。それは、やはり、自分を生かして、みんなが喜んでくれたという思いから生まれるのです。
― ボランティア活動の効用-心地よい義務
先ほどの表章式では「珍芸クラブ」というものもありました。私はいろいろなボランティア団体、NPOなどが、年に1回開く会に呼ばれます。話をして、そのあと時間があれば「ちょっと、残ってくれませんか」ということで、そこから皆さんの珍芸の披露があります。こちらから珍芸と言ってはいけませんが、立派な芸の披露を一番前の席で見ているのです。さっきのマジック、あの域に達すると芸術でしょうけれど、私どもの仲間では、クルクルと傘でボールを回して、そのボールがコロコロと転がってくる。最前列にいますから、拾って演技者に渡さなければいけかったり、一番前で見ていたら手品のネタが丸見えだったり。これを黙って見ていて、しかもやって見せたら拍手をしなければいけない。見ているほうがボランティアです。しかし、やっている方はお元気です。あのお元気さ、これが大事なのです。ですから、義務とは言いましたが、こんなに快い義務はありません。本当に日々の健康のもとですし、何と言っても家庭の平和と言うのでしょうか。
家庭の平和も大切です。だいたい何もやっていない人というのは、男性が奥さんにやられています。空港などでよく出会いますけれど、かなりご高齢で、やっと出かけてこられたのでしょうが、男性が叱られています。「そんなオモチャを買ってきて、うちの孫はいくつだと思っているのよ。喜ぶわけがないでしょう。行って返してきなさい」と言われてしまう。しかし、ここはもう空港だから返しに行けないのです。そう言えばいいのに、叱られてしょんぼりしています。男性は叱られています。なれの果てなのでしょう。若い頃は威張っていたと思います。「おれが稼いでいるのだ」と、奥さんの話も聞かずにやってきた、そのときにどんと溜まってきたツケがあります。稼ぎがなくなって、体力的にも奥さんに頼らなくてはいけなくなってきたら、これは全部ツケを返されます。しょうがない、これは本人の罰でしょう。
話が逸れてすみませんけれど、私の友達のことです。立派な友達なのです。天皇陛下から勲章をもらった人ですが、最後はへばってしまって、体が動かなくなって、家で奥さんが面倒を看ていたのです。「水がほしい」と言ったら、奥さんが水を持ってきた。枕元の手が届くちょっと先です。ここににじり寄る、これが大変なのです。苦労して、もうちょっとで届くというときに、すっとコップを離されてしまって「あなた、私が最初の子どもを妊娠したとき、あそこのバーのマダムとハワイ旅行に行ったでしょう」と。60年前の話です。「悪かった、悪かった」と、そこでさんざん謝らされたようです。またコップを先に置いて、またにじり寄って、もうちょっとで届くというときに、またすっと離されて「あなた、私が2人目の子どもを妊娠したとき…」と、たっぷり絞られたようなのです。それは本人の報いです。そういう目に遭わされないように、やはり一緒にいいことをしておくことが大事です。
私も30年間、ずっと検事をしていましたが、特に評判の芳しくない大阪地検特捜部、東京地検特捜部にいました。この時代は大変多忙でしたので、本当に妻には借りばかりがあります。例のロッキード事件が終わったとき、ここで妻に返しておかないと、もう定年離婚が危ないと思い、バリ島に一緒に行きました。たくさん高齢者の方々がいらっしゃって、あるご高齢のカップルがいました。「私たちはもう20何回、海外旅行をしています」と言うのです。中南米、マチュピチュ、聞いたこともないようなところ、アフリカにも行ったと。「すごいですね、幸せでしょう」と。世の中にはそういう人がいるのだ、高齢者になって、すごくいいだろうと私は思ったのです。
しかし、そのご夫妻は食事をまったく一緒にしないのです。みんなで食べるときにも別々で離れて食べている。歩くときも別々でした。オプションでいろいろ出かけるのですが、まったく参加しないで部屋にこもりきりです。「おかしいな」と思いました。せっかく旅行に来ているのにと。私も好奇心が強いものですから、最後に別れるとき「せっかく旅行に来られて、こんなに別々で、どこにも行かれない。それなら、旅行に来ないで残っておられたほうがよかったのではないですか」とお聞きしたら、男性が答えられました。「いや、旅行に来ないで家にいたら、毎日ケンカしますから」と言うのです。高齢社会はなかなかつらいものだと思いました。うちにいたらケンカをする、旅行に出ている間は一緒には行動しないけれど、ケンカをしないのでしょう。「そういうものか」と思いましたが、実際することがない。旅行に行っても、一緒にこういうものを観たい、あれを楽しみたいということがないのです。
私の両親はよく旅行をしていました。親父は短歌をつくり、お袋は俳句をつくり。お袋はきりっとした女性でしたから、きりっとした俳句をつくっていました。親父のほうはだらりとした人間でしたから、短歌というものはだらりとしている。両方違いますから、違うものを詠む、お互いに見せ合っていて、おもしろいものだと思っていました。観ておもしろがるものが違う、ああいう旅行なら、一緒にしていて楽しいだろうと思うのですが、ただケンカをしたくないために一緒に旅行をしている、それも20回も行って、何をしているのだろうと。することがないというのはそういうことなのです。
それで私はボランティアをやっているといったら、ちょっと違いますが、とにかくこれをやっているおかげで、家内とは話すことがあるのです。一緒に子育てをしていた頃は、もちろん子どものことをいろいろ話しました。しかし、子どもはだんだん自立していきます。離れていく。「親はうるさい」と、あれは自立の証しですから、ああなったら子どものことも話すことがない。子どものことについて話がなければ、ほかに話題がないのです。私がロッキード事件の話をしても、妻はまったく興味がない。新聞に記事が載るのですが、全然見ない。ですから、事件の話をしてもだめです。また、妻が趣味の会で「あの人が、どうこう」と言うけれど、それは、私にとって全然おもしろくない。「勝手にやっていろよ、あなたの趣味だから。こっちは疲れているのだ」と。まったく会話がないから、せっかくバリ島へ行った貯金もすぐになくなってしまいました。こう話すことが全然ないと、危ないなと思っていました。
そのうち、妻がボランティア活動をやり出しまして、これで話すことができるようになりました。おもしろいのです。「ああ、世の中、そんなことになっているのか」「そんな人がいるのか」「へえ、そんなひどい人もいるのか」と。ボランティアの世界も、きれいな社会ではありませんから、きれいな話もおもしろいけれど、汚い話も相当あります。特にボランティア初期の頃というのは、変わり者がたくさん入ってきていましたから。この頃は大丈夫です。「ええ?そんなやつがいるのか」と、本当に勉強になりました。刑事事件をやっているよりもずっとおもしろかったのです。「ああ、これだ」と。それで、私もやるようになりました。妻は現場でやっています。私は仕掛けづくりのほうで活動しています。妻にとっては、こっちの話がおもしろいのです。「そんなに難しいの?」などと話をします。対等です。
ここだけの話ですけれど、妻が立派に見えてくるのです。こんなに人様の役に立ったのだと。妻に対して「私が月給を稼いできているのだから、あなたは子育てをやってくれ」と、これは悪い考え、間違えた考えです。しかし、仕事、仕事でしたから、そういう考えでした。これは大間違いだったのです。なかなかの才能を持っているのです。妻の電話を聞いていると「こうしたら?」と、立派なアドバイスをして、「僕も立派な女性と結婚したものだ」と、20年経ってやっとわかりました。客観的には、そんなにたいした女性ではないのです。別に自慢しているわけではないのですが、私から見た感じです。ですが、けっこう尊敬しています。それは、同じボランティアのことを、違う立場でやっているからです。
ということで、「義務である」と言いましたが、自分も楽しいし、喜んでくれてうれしい、家庭は円満になる。子どもも、親がこういうことをやっていると尊敬してくれます。私の友達のお子さんのことですが、いいお子さんだったのです。しかし、会社でいじめられて引きこもりになったときがありました。ご両親は大使を務められた立派なご夫婦なのです。そこで、ボランティアをお勧めしました。お子さんが引きこもりになって、それまでは外で遊び回っていた親が、出ていくのをやめて、ずっと子供のいる2階をうかがっているというのです。それでは引きこもりがいがない。せっかく引きこもったのに、親が下の階にいてうかがっていられたのでは、引きこもっているほうも大変だと思いまして、「あなた、うちでそんなにうかがっていないで、外に出なさい。ボランティアをやって、その話を2階のお子さんに聞こえるように、食事をしながら話をしていたら、「親も、ちょっとはいいことをやり出した。自分もちょっと参加してみるか」と思うから」と、お勧めしたら、2人ともやり出したのです。1年ほどやったら、お子さんの引きこもりが治って、元気になってやる気が出て、ボランティアの世界に飛び込んで、外に出るようになったのです。ボランティアというのは、子どももよくする力を持っているのです。できれば本気でやる。自分にもいいわけですからやってほしいと、それが義務であるということなのです。
― 大震災地域に学ぶ-「絆」と「義務」と「地域社会」
私は、高齢社会では、最後まで高齢者が尊厳を持って、プライドを持って、自分らしく自信を持って暮らせる、どんな状態になっても、そういう社会にしてほしいと、ずっとこちらの会にもお世話になり、また、自分の会「さわやか福祉財団」を拠点にして、そういう運動を展開してきています。絆というのはふれあいの中で育ち、その中で自分を生かすということ、尊厳の本質、尊厳というのはそういうものだと思います。自分が生きてきたことがよかったと思える、それには、自分の能力を発揮して、人に役立って、人から「あなたがいてよかった」と思っていただける、それがその証しになります。尊厳の証しです。そういう暮らしを最後までできるようにしてほしいということで、運動をしております。
震災が起こりましたときも、震災地を仲間たちと回り、高齢社会の中で最後まで尊厳を持って暮らせる町にしようと、活動してきました。具体的には「地域包括ケア」というのですが、これは役所の言葉です。要するに、地域でいろいろなサービスをする。医療も福祉もボランティアもふれあいも、いろいろなサービスが全部家に届く、どんな状態になっても、自分1人になって体が動かなくなって、トイレに行けない状態になっても、家に食事が365日、3食届く。ヘルパーさんも、いつでも必要なときに呼び鈴を押せば来てくれる24時間巡回サービスがある。看護師さんも必要なときにきちんと来てくれる。また、ご近所の方々、ボランティアの方々も来てくれて、最期まで自分の家で自分らしいことをして、自分らしく暮らせる、そういう町にしましょう、という呼びかけをしています。今日、「地域包括ケアの町」という、被災地で配っている資料を中に入れていただいておりますので、こういうことをやっているのだとご理解いただければうれしいし、共感していただければぜひ、広めてほしいと思います。地域包括ケアというのは、介護保険そのものをそういうふうにしていこうということで、そういう合意ができて、国として厚労省もその方向に動き出してくれています。
どうしてそういう方向に行くのか。これも尊厳の問題です。最期を病院、施設で送る方は9割です。病院は義務の固まりです。朝6時に起こされる。起こされたら体温を測る、それについて別に異議はありませんが、私が心臓病で入院したときは毎朝体重を量られました。そのとき65歳でしたが、65歳になっているのだから、毎朝体重を量ってどうするのかと。そんなものは変わらないだろうと。なぜ6時に起きて体重を量るのかと。それから始まって、アルミのお盆に載った食事が出るけれど、色が薄いのです。見るからに味気ない、それが朝、昼、晩出ます。お酒の1本も付かない。これは絶対に付かないですね。別に胃を壊しているわけではない、心臓なのだから胃は大丈夫だと思うのですけれど、絶対に付かなかったです。ああいう暮らしを最後にしなければいけないかと思うと、ぞっとします。施設はそれよりましですけれど、やはりルールがあります。自分の家で好きなようにしたい。私はあちこちでお話ししますが、「最期まで自宅で暮らしたいと思われる方は?」と聞くと、ほとんど手が挙がります。挙げない方はよほど悲しい家庭なのでしょう。
そこで、手を挙げた方に「では、自分の家族の状況やご近所の状況、施設の状況、お金の状況など、いろいろ考えて、本当に最期まで自分は自宅で過ごせると思う方は手を挙げ続けていてください」と聞くと、ほとんど手が下りてしまいます。最期まで自宅で暮らしたい、これは尊厳です。自分らしく暮らしたいのです。しかし、それができていない。文明社会になり、いろいろなことが進歩した社会の中で、最後の大事な時期に、一番暮らしたい暮らし方ができていないというのは、われわれの不幸、不合理です。それを何とか、どんな状態になっても最期まで自宅で暮らせるようにしたいと、それが地域包括ケアなのです。
そんなことはできるのか。呼び鈴を押したら、24時間、いつでもヘルパーさんが来る、そんなことはできるのか。しかし、もう実験をおこなって、できています。昼間しっかり起きてちゃんとしていれば、夜眠れるのです。夜中には、そんなに呼び鈴を鳴らしません。鳴らしても、話を聞けば、だいたい「薬をちゃんと飲んだかな」と、そんな話で収まるのです。それほど人件費はかかりません。施設をつくらなくて済むから、断然費用が安いのです。トータル的に安くて、しかも尊厳を守るという、一番基本の暮らし方を、この最期の大切な時期にできる、それが地域包括ケアです。地域でひっくるめていろいろなサービスを届ける、こういう意味です。
この話を被災地に持っていって、たくさん回りました。反対の方はいらっしゃいません。「地域包括ケア」という言葉は使いません。中身について2、3分話すだけで、被災者の方々は賛成します。避難所、仮設住宅、どこでも皆さんから賛成していただける。何とかそういうふうにしたい、そういう町にしましょうと。では、どういうふうにしていったらいいか、みんなで話し合いましょうということで、被災者の意見をしっかりまとめて、市や町に届けて、それを実現していく、そういう作業を続けています。
このように先に光が見えれば、自分たちがこうすればこうなるということが見えれば、いまはつらくても我慢できるのです。皆さんおっしゃいます。「先が見えないのがつらい」と。毎日がつらい、その不安は本当に経験したことのない辛さだとおっしゃいます。現に5月頃から自殺が出始めています。阪神淡路大震災のときにもありました。そのときは10ヶ月目ぐらいから自殺者が出て、私たちは本当に悔しい思いをしたのですが、今度の震災のほうが早いのです。それはもうすべてを根こそぎ持って行かれて、先に光が見えないという、この重さ、これに耐えきれないのだと思います。みんなで救いたいですね。
いろいろなことができます。ものが届くだけでも、それは単なるものではない、多くの人が支えてくれているのだという、温かい気持ち、もの以上の価値を持って届きます。元気を届けます。できることはたくさんあります。この日本中で、被災地の高齢者も、われわれ以上に、本当に安心して幸せになっていただけるようにと思います。これもまさに、この時期、神がわれわれに課した試練だと思って、お役に立てることをいろいろ考えていければうれしいと思っています。
― 生涯、尊厳を持って生きる
もう1点、この尊厳ということについて。高齢者であるわれわれがみんなの役に立つことによって、われわれの尊厳と誇りを最期まで持って暮らしていきたいと申し上げているのですが、認知症についてのことがあります。認知症になって、いろいろなことが理解できなくなってきた、やれなくなってきたときの尊厳、これをどうするかということです。これも、長生きするようになって、われわれが自分で引き起こした大きな問題です。認知症の問題についても、やはりみんなでしっかり解決したいと願っています。
認知症の世界について、私は「法の暗黒領域」と言っています。盗み、横領、財産を持って行かれ放題です。持って行かれても、それを確定できない、つまり事件にできないのです。犯人を捕まえられない、そういう世界になっています。それは、財産を盗まれた、持って行かれた、家族に横領されてしまったということです。家族もけっこう持って行くのです。しかし、盗まれたほう、横領されたほうが、認知症でわからないのです。だからこれは事件にできないのです。何のための財産か。せっかく自分が最後まで幸せに生きたいということで、必死にお金を貯め、年金の保険料も払い、いろいろなものを払って、それでなおかつ一生懸命自分で貯金をして、いざというときに自分が自分らしく暮らせるために貯めてきたこの財産を、人に持って行かれ放題となって、それがどうにもできない。こんな不合理なことはありません。
それでしっかりした後見人を付けて、そうならないようにしようという後見人の仕組みも、介護保険と同じときにできました。法務省も頑張ってつくってくれました。しかし、介護保険はけっこう利用していただいていますが、後見人制度を利用する人は10万人ちょっとです。認知症の方は200万人を越えているわけです。その利用者である20万人弱、しかもその7割ぐらいが家族なのです。家族後見人というのは、もちろん家族は家族ですから、愛情には満ちています。言っておきますが、家族は誰よりも親を大事にします。しかし、親より大事な人が1人いる、それが自分です。ですから、この財産が親に行くか、自分に来るか、こうなるとやはり、自分に来るほうを選ぶ子どもが少なくないのです。その人が後見人ですから、それは自分のほうに持って行き放題です。そういう争いは、弁護士をしていますから、あちこちであります。立派な人の家もやっています。たくさんある人はもちろん、たくさんなくてもやっています。家族は愛情をもって、家族が訪問して話をしてくれるのはうれしい。しかし、家族に財産を委ね、面倒を看られるということは、やめたいことです。子どもたちも自分たちの生活でいっぱいです。私たちは、しっかりした社会の制度、介護保険制度、地域包括ケアに代えたいと思っています。そして、そこに自分のお金をしっかり足して、盗まれないようにして、自分の最期をまっとうしたい。そのためには、第三者後見人にしっかり見てほしいのです。
ところが弁護士も数が少ない。弁護士、司法書士、税理士、それぞれ志のある方がやってくれていますが、圧倒的に数が少ないのです。認知症の方は200万人を越えているわけですから、とても足りませんし、社会福祉士も数が足りません。これはやはり、市民同士で支え合うしかない。市民後見人ということです。午後にも話が出ると思います。市民後見人でしっかり支えていきたい。財産管理よりも身上監護のほうが大事で、その方が幸せに過ごすためには、施設に入っていただくのか、グループホームに入っていただくのか、家でデイケアを利用しながら過ごしていただくのか、どんなサービスを受けるのか、本人の幸せにとってここが一番大事です。そういう知識もいりますし、財産も管理しなければいけない。
「そんなことは荷が重いよ」と、それは確かに重いです。重いのだけれど、やることはできます。自分の生き方をしっかり決められて、自分の身上監護ができて、自分の財産をしっかり管理している人、つまり皆さんです。誰でもやっています。それができている人は、人の分もやれるのです。そして、認知症の方をしっかりと支えて、その方に最期までその方らしく幸せに生きていただける、これはすばらしいことなのです。それをわれわれの力でできるわけですから。それこそが、社会に対する大変大きな貢献であり、それ以上の貢献はないだろうと思います。そして、認知症の方がみんなに支えられて、最期までしっかり幸せに暮らせる、認知症になっても尊厳を持って、その人らしく暮らせる。そこが大丈夫になって、初めて高齢社会というのは、安心して暮らせるのです。高齢化ということが、みんなにとってすばらしいことになるわけです。そうすることが、高齢社会の先端をきっている私たちの開拓であろうと思います。
私たちがやれることはたくさんあります。やることがたくさんあるということは、もっとわれわれが幸せになれる、もっとわれわれの能力を生かして、日々満足して「生きていてよかった」と思いながら生きることができるということです。せっかくのチャンスです。これを使って、すばらしい高齢社会にしていきたいと願っております。
ご清聴、どうもありがとうございました。