基調講演「高齢社会フォーラム・イン広島」

「助け合って生きる~自らつくり出す高齢者の生きがい~」

堀田 力
高齢社会NGO連携協議会共同代表
公益財団法人さわやか福祉財団理事長

堀田 力 高齢社会NGO連携協議会共同代表 公益財団法人さわやか福祉財団理事長の写真

○ボランティア活動やその付き合いの中から発見した生きがいの循環構造

 皆さん、午前中からの参加なのですか。凄くお元気ですね。私は、もう20年間ボランティアの世界で活動をしており、この世界で、皆さんと同じように、元気な、元気な全国のボランティアの方々と付き合ってきまして、その中で私が発見した「生きがいの構造」というものがあります。

 私たちが、人のために、あるいは自分のためでもいいですけれど、何かをすることは、自分の能力を発揮していることでもあります。人のために能力を発揮すると、人は「ありがとう」と言ってくれる。「ありがとう」と言ってもらうと自分も元気になる。それが自分の生きがいで、元気になるとまた、もっと能力を発揮しようと頑張る。生きがいは、このように、「自己の能力発揮」「他者の評価」「自己肯定=生きがい」という三つの要素で循環していく構造を持っています。

 これからこの「生きがい=自分の肯定」というところについて、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

○大震災後に多発した自殺者や孤独死についての考察

 自分の存在価値が肯定できない人は死んでしまうか、生きていても死んでいるのと同じような生き方しかしていないのですね。

図:いきがいの意義

 私は、20年前にこのボランティアの世界に飛び込みまして、阪神・淡路大震災、新潟県中越地震、今度の東日本大震災といろいろ取り組んできましたが、阪神・淡路大震災の時に結構、孤独死、自殺者が出ています。どのようにまちを立て直すのか、皆で相談しながら、助け合ってやっていこうということで、避難所に「さわやかネット」とか「ふれあいパラソル」を、あるいは仮設住宅ができてからは、そこに「ふれあいルーム」とか「さわやかルーム」などをつくってもらって、孤立を防ぎ、被災者の皆さんに話し合ってまちづくりをしてもらおうという運動を行っています。今度の東日本大震災でも、ずっとそれを全国の仲間たちとやってきました。でも自殺者が出るのですよね。

 阪神淡路の時には、10か月目ぐらいから孤独死、自殺者が出ました。それがもう何年も続きました。警察は自殺者数を発表していませんけれど、何百人かです。6,500人亡くなった阪神・淡路大震災のなかで救われた尊い命、これを自分で絶ってしまった、あるいは自分で絶つのと同じように、仮設住宅のなかで、酒の瓶だけを並べて、殆ど何も食べずに孤独死してしまう。そういうことが発生してしまいますと、本当に残念ですね。皆で一緒に元気になろうと働きかけても、そういう方は皆のほうへ出てきてくださらないのです。

 どういう層が多いと思われますか。今度の東日本大震災でも同じなのですが、きっと高齢者か、社会的弱者に違いないと思ってはいませんか。そうではないのです。男性です。男性で、50代、60代、または30代、40代、そういう働き盛りの、世の中で社会の中心になっている人たちです。社会のリーダーは、大臣にしても、会社の社長さんにしても、いろいろな団体のトップにしても、ボランティア団体は別ですけれど、日本の場合には男性が多いのですね。これをいいことだとは思いません。もっともっと女性にリーダーになって欲しいのですが、いまのところはまだ男性の大臣とか、社長とか、会社の幹部とかが多い。多いということはしっかりしている、強いと思われているということですね。ところが、実際にはこういう人たちが一番弱いのです。

 震災で何もかも無くなってしまっても、「助けて」と言えない。自分で閉じこもってしまって、工場が壊れてしまって借金を払えない、手形を落とせない、あちこちに迷惑をかける、しかし何かをしなければならないけれど何もできない、新しく借金することもできない、人も集まってこない、家族を養っていけない、自分の責任を果たせない。「どうしよう」「どうしよう」「どうしよう」。だから、仮設の部屋のなかは、お酒の瓶がずらっと並ぶのですね。自分で買い物もできない男性が多い。食べる物も買えないで、お酒だけ注文して買って、朝からそれを飲んで、「どうしよう」「どうしよう」と、先が見えずに暗い思いでいたら、「自分はもう駄目だ」と自殺、孤独死のほうへ行ってしまいます。ここですよね。自分が肯定できない。自分は強い人間で、家族を養い、会社を率い、組織を率いて頑張っているのだと、そういう時は元気です。それがぱぁっと全部取り払われてしまうと、「助けて」と言えない。「助けて」と言うのは、弱い人である。自分のように強い人間は、人に「助けて」なんて言ってはいけない。それは駄目な人間である。そうはなりたくない。自分で勝手に助けてもらう道を閉ざしてしまって、自分を追いつめてしまう。自分の否定ですね。

自分の存在価値を信じる力とその源泉

 これはいま震災を例で申しあげましたが、震災でない場合にもいろいろな自殺があります。子どもたちの苛めによる自殺も問題になっていましたが、あれもそうです。皆から苛められて、誰も自分を認めてくれない。親に「助けて」と言えない。自分はどう生きていいか分からない。自分の存在価値が肯定できない。それでは力が無くなってしまいます。だから、人間にとって一番大事なのは、自分が生きている意味があるのだということ、自分が信じられることです。これはすべての力の元だと思います。

 それでは、その力の元はどこから出てくるのか。それは、自分なりの能力を持っていますから、それをいろいろ社会で発揮して、人から、「凄いね」「ありがとう」「頑張っているね」と言ってもらって、「ああ、人が認めてくれているのだ」「自分が生きていることに意味があるのだ」と自分で感じ取ることから出てくるのです。そうなると、自分がやることに生きがいを感じるようになりますから、さらに頑張るようになって、成長していく。その喜び、この循環は、いくつになっても必要なことだと思います。

 こういう話をすると、「他の人から認めてもらう。そのことが一番大事なのか。そのような人は人に認めてもらうことばかり考えている人であって、それって何か変ではないの」と独り合点して言う方がおられるかもしれません。しかし、これは変ではないのです。人間は社会の中で生きていくわけですから、お互い同士それぞれこの人も大事、あの人も大事だよという関係をつくらないと一人で生きていけないようにできているのです。ですから、人から認められることは非常に大切なのです。

 このことは実際に、非行少年たちにも当てはまります。非行少年というのは皆、「お前は駄目な人間」「勉強ができない人間」、親からすれば「節義の悪い人間」「もっときちんとしなさいと言われてもできない人間」ということで否定されて、否定されて自殺したくなったけれど、生存本能がありますから自殺は怖いので、そこで、いいほうでは認めてくれないから、俺の価値を悪いほうで認めさせてやろうとしている人なのです。夜中に大きな音を立ててオートバイで走り回って、人々の眠りを妨げている連中がいますね。「何処の学校の奴だ」と人々は怒っていますけれど、あれは「俺はここでお前らを寝させないように頑張っているのだぞー。俺はここにおるのだぞー」という意思表示です。あるいは、「俺の力を認めろー」と、奇抜な格好をしようとします。「これ、見ろー」とばかり、鶏冠のような髪型をしたり、髪の毛を派手な色に染めてみたりします。女の子も爪を長く伸ばしたりして、「私の爪を見ろー。気持ち悪いでしょう。これが私なのだ。私はあなたを気持ち悪がらせる力を持っているのだぞー」と訴えているのです。

 だから、そういう非行少年に、「お前は人に迷惑をかけている。分かっているのか」と、少年院の教官とか警察官とか検事とかが説教をしたりしますが、全然効かない。「そんなことは、分かってやっているのだ。迷惑がらせる以外に自分の存在価値を証明できないからやっているのだ。それぐらい大人のくせに分からないのか。そんなことでよく少年院の教官をしていられるな」と非行少年たちは腹の中で思っていますからね。だから、自分の存在を認めさせることは、悪いほうであっても大事なのです。

頑張るエネルギーの要は自分の価値を認めてもらえる力

 そういう非行少年たちをボランティアに上手に連れて行って、ボランティアをさせる。初めは、無理矢理させるのだからボランティアではなく、教育ですね。そうすると、特別養護老人ホームのおじいちゃんやおばあちゃんが「ありがとう」と言ってくれます。非行少年はそれで、「ありがとう」と言ってくれることは認めてくれることですから、「ああ、いいことをして自分はまだ人から認めてもらえるのだ。自分はいいことをして人から認めてもらう力があるのだ」と思うようになり、ぱぁっと立ち直っていくのです。

 ですから、子どもたちに対しても、「あなたがいることが大事だよ」という、存在を認めることが絶対大事です。この頃、親も学校もなかなかそれを認めません。「何だ、こんな成績を取って!誰々ちゃんに負けちゃったの。もっといい成績を取ってこないとPTAの会にも行けないわ」と親が言う。それは否定ですよね。それでは、子どもたちはだんだん自分を肯定できなくて、元気が無くなって、やる気が無くなっていく。

 子どももそうですが、大人も同様です。働いている方々は、会社の幹部に認めてもらおうと一生懸命頑張る、あるいは自分が価値あることを認めて欲しいと頑張る。そのエネルギーが必要なのです。

 ですから、人に認められること、つまり「他者の評価」があって、自分は生きていてよかったのだと思えるのです。実際、ボランティアをやっていても、「ありがとう」と言ってもらうと、自分がそれだけ役に立ったのだな、という思いが大きな財産になります。そういう思い出を貯めておいて、ときどき人間ですから落ち込む時がありますが、その時には、「あそこでああして喜んでもらえたよな」と、それを思い出すことが大きな力になります。

人に役立ったことが最高の財産

 私の親父は82歳で死んだのですが、死ぬ少し前に、「生きてきてよかったかな」とかいろいろなことを聞かれました。人は亡くなる1週間前くらいに死ぬのが自分で大体分かるようです。そのような時に、亡くなろうとしている人から聞かれることは大抵二つです。「自分は生きてきて本当によかったのかな」というのが一つ。もう一つは、「死んで何処へ行くのかな」という質問が結構多い。最期の一番大切な時期ですから、これにはちゃんと答えなくてはいけません。このとき不幸だと、それまでどんなに頑張ってきても不幸な人生になりますからね。

 私の尊敬する元検事総長で、巨悪を摘発した伊藤榮樹さんという方は、亡くなる少し前に『人は死ねばゴミになる』という本を出しました。強い人ですよね。でも、「死んだらどうなるのでしょうか?」に対して、「ゴミになるでしょう」と答えるのはとんでもない話です。そうではなくて、「そりゃぁ、しばしあなたの魂はきっと残ります」としっかり言って差し上げなければいけない。本当にそこは大事な答えです。

 もう一つ、「生きてきて何の意味があったのだろうか」という問いにも答えなくてはならない。この「自己存在の肯定」「生きがいの基本」については、自分の命が尽きようとする時に問う人が結構多い。

 私の親父は英語の教師でした。戦後英語教育が導入されて、近所の子どもたちで英語が嫌で学校に行きたくない、授業についていけない事態が起きたものですから、親父は英語が原因で学校嫌いの子どもが出たのでは申し訳ないと、近所の子どもを集めて英語を教えました。勿論、戦後のことで子どもたちは月謝を払えなくて、親父は、いまの言葉で言えばボランティアで、一生懸命子供たちを教えました。そして、子どもたちは学校の授業についていけるようになりました。そうすると、その子たちが30代、40代、50代になっても、やはり感謝してくれているのです。年の暮れに親父のところへお歳暮を持ってきてくれたりしていました。月謝を取っていたらこんなことはないですよ。月謝を取って、こんなに発音の悪い英語を習って損したと恨まれるぐらいが関の山です。親父の発音は、ジャパニーズ・イングリッシュでしたから、月謝を取っていたら全然感謝されなかったでしょう。でも、月謝を取らないので、子どもたちから感謝されたのではありません。何とか子どもたちに、授業にちゃんとついていって欲しくて、一生懸命教えた。そこの気持ちが子どもたちに伝わったのでしょうね。ですから、お蔭で学校もちゃんと出られたということで、その後もずっと親父と子どもたちとは付き合いがありました。私は親父に「親父があれをやったから、たくさんの人が感謝してくれているではないですか」と言いました。親父は、その時まで本当に心配そうな顔をして「やってきたことが、本当に意味があったのかな」と迷いに迷って、最期に問うていたのでしょうね。私がその話をしたらほっと安心した顔をして、それ以後は安らかな顔で1週間過ごしてくれて亡くなりました。多分天国へ行ったのだろうと思うのですけれど。

 やはり、最期の最期まで自分がしっかりと人の役に立ったのだということが一番大事な財産かなと思います。金や名誉は天国にも地獄にも持って行けませんけれど、そのように自分が尽くした思いはずっと生きるのかなと思います。そういう「自分の肯定」、人から存在意義を認められる喜びが大事です。人が喜んでくれると、「ああ、もっと役に立つともっと喜んでもらえる」と頑張りますから、どんどん能力も伸びていきます。実際、70歳でも、80歳でも、90歳でも能力は伸びるのですね。

○スタートは「怨念」

 私は、いろいろな人とお付き合いさせていただいていますが、玉井義臣さんという方がいます。この人は、「あしなが育英会」という交通事故や自然災害等で親を亡くした遺児たちを救いたくて、物心両面で支える民間非営利団体をつくり、活動してきた人ですが、この人の「能力発揮」「他者の評価」「自己肯定」「さらなる能力発揮」という、「生きがいの循環の話」をしたいと思います。

 彼とは、45年前の昭和42(1967)年に知り合いました。彼のお母さんは昭和38(1963)年に交通事故で亡くなりました。彼は、記者のような仕事をしていましたが、彼を突き動かしていたのはお母さんを交通事故で殺した人間に対する怨みでした。「この恨み、晴らさでおくものか」と、「怨み一筋」「交通事故を起こした者をやっつけろー」という大運動をやっていました。

 私は当時法務省の刑事局というところで、刑法の立法をする立場だったのですが、当時は禁錮3年であった交通事故の罪を5年ぐらいに重くしようと思っていました。そこへ、玉井さんが「上げろー」と言いながら乗り込んできたものですから、玉井さんの力も借りて5年までに上げました。当時は世の中には罪を重くするのはよろしくないというような風潮があって、なかなか上げてくれなかったのですけれど、玉井さんはテレビに出て、「怨念」「怨み一筋」で問題提起をしてくれました。

○運動の重心を日本中の遺児の救済に

 このように、「怨み一筋」でやって罪は重くなったけれど、お母さんの怨みは消えないし、怨念は残っている。それでは、自分と同じような思いをしている人がきっといるだろうから、その連中と組んでもっと交通事故の罪が重くなるようにしようと玉井さんは考えました。そこで、交通遺児に声をかけるようになり、一緒に運動をしているうちに、「しかし、怨みだけでずっと一生というのもお互いに辛いよね」と思うようになり、交通遺児の幼い子どもたちが何とか暮らせるように、学校に行けるように頑張ろうということになりました。そこで、そのためのお金を皆で集めようということになりました。だから、怨みで重く罰するための運動から始まったのが、被害者の幼い遺児、子どもたちが可哀そうだから、それを救おうとここでがらりと能力を発揮する方向が変わったのです。そうすると、子どもたちは凄く喜んでくれるし、感謝してくれる。親代わりみたいなものです。共感を得る。そして、「ありがとう」と言ってくれる。本当に慕ってくれる。それが自分の喜びになる。だから、「私の怨み」からやがて「皆を救う喜び」に変わってきました。やがて、それは交通遺児の育英会となって、たくさんの交通遺児を救うようになりました。

 その後、玉井さんは、交通遺児だけでなく、自殺した方や病死された方の遺児等、遺児全部を救おうと、新しく運動組織をつくり、その運動をどんどん全国に広げました。そのため、その頃で集まった寄付金は750億円でした。これは凄い額で、彼は寄付金集めの帝王です。現に、つい1週間ほど前に、世界の寄付集め大会が催されましたが、彼はそこで特別賞をもらっています。

 このようにして、彼は日本中の遺児を救い、日本と縁の深いブラジルに彼らを派遣し、研修させました。それから、「あしなが育英会」の本拠であるアメリカやイギリスの学校へ行って、連携して遺児を救う運動を展開し始めました。もうそこまで広げたらいいのではないかと思っていましたけれど、自己の能力が成長する喜びなのでしょうか、もう止まらないですよ。10年ほど前から、一番貧しい地域であるアフリカのウガンダでエイズ遺児たちを学ばせて、アフリカ出身者によるアフリカの国をつくるためのリーダーを養成しようと寺子屋をつくりました。そこにアフリカ中の頑張る子供たちを集めて学校を運営しています。そして、どこまでやるのだと思っていたら、今度は、アフリカの子どもたちを、──日本は既に彼が受け入れていますが、──先進国で受け入れてくれるように、そうした先進諸国を説得して回っています。そのためのお金をまた200億円集めて、それによって海外を含めてリーダーを育成しています。これらは彼の凄い能力発揮であり、成長でもあります。アフリカの能力を高めて、先進国の収奪から防いで、アフリカの出資者たちがアフリカを率いて、アフリカも先進国になる。そのときこそが世界中が平和になるときです。私は、アフリカがそうなるまで100年かかるかなと思っていますが、彼は、アフリカ中を30年で先進国にするという凄い夢を持って取り組んでいます。これは、自分の能力や視点がどんどん広がっていって、自分の生きがいが本当に実感できて、ますます循環している素敵な例です。別にアフリカに限らず、皆さんにも、そのようにしてやることは一杯あります。

○「共感」という大きな力

 彼は、2~3年前まで、パーキンソン病のため、車椅子を押してもらっていました。それでも寄付集めに飛び回っていた。いま、アフリカへ行き、世界を回って、アフリカの子どもを受け入れる運動を行っていますが、現在車椅子はほとんど使っていません。これは、何の力か分かりませんけれど、こちらで勝手に言えば、「生きがいの循環の力」なのでしょうね。これって凄い免疫力を発揮するのです。

 彼は、日本ばかりでなく世界中のたくさんの遺児を救うための活動に邁進していますが、勿論東日本大震災の遺児への支援も行っています。震災が起こったときには彼はウガンダにいたのですが、帰りの飛行機の中で、日本が震災に見舞われたことを知ると、「分かった。震災で遺児となった子どもたちにまず100万円をやろう」とぽんと金を出すことを決めています。あっという間に相当の額の現金を配って、そして、いまはレインボーハウスという子どもたちが集まる家をつくっています。そういう馬力があるからパーキンソン病も遠慮するのではないですかね。

 このように、この「自己肯定」、そして「共感」、周りの皆から「ありがとう」と言ってもらえる力が大事なのです。

 皆さんはいろいろ活動をされていると思いますが、家族は大体共感してくれますよね。なかには全然共感してもらえず、「何しているの」と言われている人もいるかもしれませんが……。あるいは共感してくれる家族との関係が冷え切っている人もいるかもしれませんけれど……。人それぞれですけれど、一般的には家族、友達は「頑張ってよくやっているよね」と共感してくれます。特に、男性は外に出ること自体が歓迎されています。ここが大事なところですね。何に共感するかはともかくとして、本人が元気でやりたいことをやっていることは仲間にとっても嬉しいことなのです。勿論、いろいろなボランティア活動をするわけですから、社会の人のためにそれをすると、その方々が喜んで「ありがとう」と言ってくれます。これも大きな力ですね。

○仲間同士で力を合わせて

 私どもの団体は、中間支援団体で、高齢者の方や子どもたちに直接サービスをする活動をしていないものですから、直接「ありがとう」とか言っていただける機会が少ないのですけれど、それでも団体の仲間たちの団体づくりに協力したり、そういう仲間たちと顔を合わせたりして、「うん、今度は勉強になったよ」とか、「また、これで頑張ります」とかいろいろ言ってくれると、それがもう本当にこちらの元気の元であり、嬉しいものです。震災被災地でも、いろいろな団体をつくってその地域で最期まで自分の家で暮らせる、絆のあるまちに復興しましょうと働きかけていて、「よし、やろう」と言ってくださった方々の地域10か所を、私どものモデル地域として取り組んでいます。岩手県の大槌町や宮城県の石巻市、南三陸町、山元町等の地域では、被災者の方々が団体をつくってくれて、「皆でやりましょう」と言ってくれています。こういう活動をやり出すと、元気になります。

 することがなくて、「どうしよう、将来どうなるだろう」とか、「この土地をなかなか高く買ってくれない。おかしいじゃない」とか、自分のことだけ考えている方は、何となく力がないし、そう簡単に高く買ってくれたりしませんから、挫折するし、直ぐ力が無くなって、「ああもう駄目か、諦めよう」と諦められるのも早い。だから、自分のためだけにやっている活動は、ある意味凄く利己心があって頑張ってくれるような気もするのだけれど、折れ易く、挫け易く、力が続かない。その点、仲間たち皆で「じゃ、この地域をこういう地域にしよう。そのためには行政にはこのようにして買ってもらおう。そして、こういう建物をつくってもらおう」と、そういう話をして、行政と交渉したりしています。自分のためと人のため、この両方が合わさると大きな力になります。そういう方々は、皆でやっていますから、協力者がいて、お互いに頑張るエネルギーが伝わりますから顔色もいいし、行政と話をするときも勢いがいい。これは全体のためで、皆を幸せにするためなのだから、そうは折れません。協力者同士の力も非常に大きい。一人でやっていてもいいのだけれど、やはり団体の仲間に入って一緒に力を合わせること、つまり仲間同士で力を奮うこと、これが非常に大きな力になると思います。

 なお、全部が全部仲間で、直ぐにうまくいくとは限りません。協力者、団体の仲間でも結構足を引っ張る人で出てきたり、意地悪する人が出てきたりします。ときどきは衝突したり、意見が食い違ったりすることも起こりますけれど、それにしても気持ちが同じ方向を向いていたら、一緒になってやります。私の「さわやか福祉財団」もいまはそうではないのですが、結構がたがたしたり、がたがた言う人もいたり、他の人が仕事できないぐらいの大声で衝突していたりして、「こんなに喧嘩してボランティア活動をやれるのか」と心配するほどの頃がありました。これは、それぞれの人が自分の思いでやるから、やり方が違ったりするともう勘弁できないのですね。月給をもらっていたらそのように喧嘩するほどの情熱がないでしょうし、上司が出てきて止めりゃお終いですが、皆それぞれ対等で、自分の思いでやっていますから、衝突したらどうにもならない。でも、こんな喧嘩をしたらこれで終わりかなと思っていたら、30分後には仲良くなって、にこにこして「じゃぁ、こういうかたちでやろう」と、やり方も分担して、よそのメンバーも一緒になって飲みに行って、何のわだかまりもない。だから、同じ志、同じ気持ちであれば、ときには思い切り衝突したって大丈夫なのです。したがって、この協力者は非常に大きな力ですね。

○ご主人を地域活動に向かわせる秘訣

 このように皆がこう認めると非常に大きな力になり、生きがいになって、何かをやる元気が出るのですが、そういう仲間が全くいない人たちも結構います。これは、女性の方は殆どおられないのですけれど、男性は、結構ポストの高かった大企業の幹部であったり、公務員だったりした方が危ないのですね。凄い仕事をしていられた立派な方々なのですけれど、仕事が無くなって地域に戻ると、なかなか地域の中に入れないし、家庭にも入れない。奥様から疎まれます。分かりますよね、それまでの自分の城に、関係のない、殆ど家庭に貢献したことのない男が転がり込んできて、朝から晩までいるわけですから、これでは奥さんが堪らない。立派な奥さんは追い出してくださるのですよね。追い出してくださると、何処かさ迷い歩いた末にボランティア活動に辿り着いたりして、再生されるのですけれど、追い出してくれない奥様は、世間的には優しいと見られている奥さんです。いままで頑張ったのだからと、そのまま放って置く。ところが、(高齢社会NGO連携協議会の)共同代表の樋口恵子さんの言葉にありますが、「濡れ落ち葉」「粗大ごみ」「粗大生ごみ」「産業廃棄物」、そして、「核燃料廃棄物」──どこにも引き取り手がないという意味ですが──そのコースを辿りますから、これは本人も悲惨、奥様も悲惨、社会にとってももったいない、そして、そういう人は身体も弱りますから、介護保険料が嵩む、医療費が嵩む。これは皆にとって大迷惑で、本人にとっても非常にもったいない。共感者がいない、何もしないというこのコースだけは絶対に皆で避けたいですね。ですから、特に女性の方にお願いしておきますけれど、決して優しくしない、食事を準備しない。今日は特別サービスで、そういうもったいない人たちを立ち直らせ、蘇らせる方法をお教えいたします。

 「放って置く」、これが第1のルールです。今日はこのフォーラムが終わってもすっと帰らない。なるべく仲間といろいろお話をして過ごす。まあ、あまりほったらかしたことがない人は7時ごろには帰ってください。最初から9時・10時になりますと、あとややこしくなりますから。7時までほったらかしておくと、自分で冷蔵庫を開けてビールぐらいは飲んでいますから。これが更生の第1歩です。自分でビールを開けることを覚えると、今度は枝豆の茹で具合のところまで行くし、外へ買い物に行くぐらいのところへ行きます。ある程度自分で食事が準備できるようになったら、1泊…、2泊…、3泊…、4泊。さわやか福祉財団は4泊ぐらいの研修を東京で行っています。4日放って置くと洗濯もやりますから。是非ほったらかしていただきたい。ご主人の幸せのためです。

 二つ目のルールは褒めることです。やはり、人は尊厳、プライドがあります。やり始めは駄目ですよ。「下手くそ!」「何、これ!」と、そこでぼろくそに言うと、ご主人はプライドが傷ついて、引いてしまいますから……。褒めなければいけない。「まあ、綺麗な枝豆ね」と褒めればいいですよね。固くて食べられなくても、放って置けばいい。ご飯に芯があろうと褒めればいい。あとは、ご主人が始末します。洗濯物が皺立っていようとなかろうと、「まあ、クリーニング屋さんがやったみたいね」と褒める。着るのはご主人ですから。全部褒める。

 「ほったらかす」「褒める」この二つによって、社会活動に入ってくれない男性たちをこちらの世界に是非誘導してください。

 このように、プライドを傷つけないように、是非褒めて、上手に使って、たくさんの落ち漏れている能力を世の中に出して欲しいと思います。その方たちがやることは一杯ありますから、その中から自分に合ったことを選んで、その方たちが自分の能力を思い切り発揮していく、いい循環に入って欲しいと思っているのです。

○誰でもできるボランティア

 こういう話をしていますと、「私はそんな能力はないので」と、結構謙虚な方々が多いのですが、私は、誰でも200は人のために役立つ能力を持っていて、20ぐらいは直ぐに出てくると確信しています。だから、「手帳の裏に書いておきましょう」と言っているのです。書いておくと、落ち込んだ時に、「おっ、自分もこれだけ役に立つのだ」と元気が戻ります。

 若干の例を言ってみます。こうして座っていただいていますが、座っている能力があれば留守番はできます。団体の留守番、事務所の留守番をやっていると本当に喜んでもらえます。

 「いやもう、座っているのが辛いのだ」と言う方にもいろいろなボランティアがあります。「添い寝ボランティア」があります。一人で寝たきりになると、夜昼分からなくなって、夜中に目が覚めて、ヘルパーさんに迷惑をかけたり、密室でさびしくなって、「ワー」と泣いたりしますけれど、あれは昼間ちゃんと起きていて、話し相手のボランティア仲間がいて、夜は添い寝という、隣にひと肌があることが大事なのです。そうすると、自然に眠りにつきます。だとするならば、二人別々の寝たきりの方を、一緒に寝たきりにすれば、お互いに添い寝ボランティアですよね。お互いにぐっすり眠れますから……。寝たきりだって、添い寝ボランティアはできます。

 勿論話も聞けます。妻の親父も96歳で死にましたが、完全な認知症でしたけれど、ボランティア活動をしていました。施設にいたのですけれど、男気のある性格の親父は泣いている女性を放って置けないのです。施設にはさびしがりやのおばあちゃんがいましたが、親父はそのおばあちゃんを連れ出して、両方とも認知症ですけれど、施設のソファに座って朝からずっと喋っていました。夜も寝ないで喋っていました。妻と兄弟が心配しまして、両方とも認知症なので、何を喋っているのだろうかとこっそりスパイに行って、二人の喋っているのを聞きました。お互いに喋っているのですね。こちらのおばあちゃんが喋っているときには、親父が「うん、うん」と頷いている。終わったら、親父に喋らせて、今度はおばあちゃんが「うん、うん」と頷いている。喋っている中身は、全然関係ない。自分の好きなことだけを喋っている。人が喋っているあいだは、「うん、うん」と言っている。だから、認知症になって、人が言っていることが分からなくなっても、お互いに話し合って、気持ちはつながるわけです。このようにボランティアは直ぐにできるものです。

 私たちはそれぞれにいろいろな能力があるのですから、これを活かして、生きがいを循環させていって、最期は幸せに人生を閉じられればいいなと思っています。頑張りましょう。